三州の俳人

平山梅人

 三河田原藩士で、江戸に住んだ。採荼庵二世。別号第一園。俳諧を広岡宗瑞に学ぶ。広岡宗瑞は中川宗瑞の門人。

橘 また橋 宮毛備前守様御屋敷内 梅人


 天明2年(1782年)10月12日、三河田原の龍泉寺に芭蕉の句碑を建立。



寿久三行や馬上尓氷る影本うし

 天明5年(1785年)、『杉風句集』刊。採荼庵二世となる。

 寛政2年(1790年)、杉風伝来の芭蕉真蹟を模刻して『かしま紀行』刊。

 寛政3年(1791年)、『続深川集』刊。

 寛政5年(1793年)5月、芭蕉の百年忌で採荼庵梅人社中は真性寺に芭蕉の句碑を建立。



白露もこぼさぬ萩のうねり哉

享和元年(1801年)10月14日、58歳で没。

 文化4年(1807年)、梅人七回忌に『梅人句集』(郁賀・杉長編)刊。

 文化9年(1812年)、梅人十三回忌追善集『栞集』(成蹊編)刊。

 文化10年(1813年)、半場里丸は梅人の第一園を継承。

梅人の句

梅柳先おとこ文字女文字

俳諧竹之友』

夕すゝみ精進落てもとりけり


五月雨や半夏をわたる風涼し


涼しさや見る間に星の二つ飛ふ


浮く時は一物もなき蛙かな


土佐が繪の松に櫻や棚がすみ


初雪や足らぬふもとは宵月夜


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