大島蓼太
『
俳諧
雨の日数』
元文2年(1737年)5月、
多少庵秋瓜
は西奴と沼津の矢部石矢宅に泊まった。
西奴は
白井鳥酔
の前号。
長月の末都を立て
初冬のみそかちかきほど
沼津に至る旅館の
あるじ所望によりて
風流捨てがたく筆を
走らす
ばせを
都いでゝ神も旅寝の日数哉
日枝神社の句碑
都出てゝ神も旅寝の日数哉
五月みそか、沼津矢部氏のもとに行脚の
杖をとゞむ。其亭のしつらひしほらしく、
床には河骨の水際涼しう投いれて、
蕉翁の神も旅寝とありし真蹟を掛られ
たり。いと有がたく是を拝して。
短歌行
さみだれを爰に笠ぬぐ日数かな
秋瓜
風を迎える門の蚊やり火
石矢
背中にもひとり膝にも子を持て
西奴
米の小買の世はせはしなき
野笛
三枚橋山王の社にて
釜堂に煮え立ばかり蝉の声
西奴
あつらへの朝顔咲ぬけさの秋
麦阿
朝露に尻つほりたる鶉かな
敲冰
元文丁巳年冬十一月
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