〜小林一茶ゆかりの地〜

我孫子に一茶が立ち寄った寺があるというので、行ってみた。
国道356号(成田街道)沿いに最勝院があった。
最勝院の山号は興旭山。真言宗豊山派のお寺である。
最勝院の入口に「四國廿七番」と書かれた石柱があった。

新四国八十八ヶ所相馬霊場の第27番札所である。
右の石柱には「新四國大師道」と書いてある。
最勝院本堂

昭和49年に新築されたもの。
大師堂

昭和37年改築
文化7年(1810年)3月29日、一茶は流山から布川に向かう途中、我孫子の最勝院に立ち寄った。
廿九日 晴 野々下村通り柏村かゝりて我孫子駅にて昨夜の三人ニ別ル 布川ニ入
「昨夜の三人」は昨鳥、藻風、木之坊。
高之山村に四国廿七番の観音うつして参詣有。是を新四国道場といふ。庭に大桜有。布佐村に入る。神輿大小二ツかき出して、阿波大杉大明神悪魔を払てよいやさ、と笛太鼓三弦にてはやして、さらに祭のさまをなす。此里疫神の流行(はやり)なる物からかくするといふ。苗代のこやしに草葡萄の入る。土地ぶりなりといふ。
桜木や同じ盛もお膝元
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けふぎりの春とは成りぬのべの草
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手の奴足の乗もの花の山
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『七番日記』(文化7年3月)
「足の乗物手の奴」は、他の力を借りず、すべて自分の手足で行なうこと。『方丈記』に「手の奴、足の乗物、よくわが心に叶へり。」とある。
寛政3年(1791年)3月26日江戸を発ち、出郷してから初めて柏原に帰る。柏原に帰るのに先立ち、29日馬橋から布川に向かう途中で我孫子を通り過ぎる。
我孫彦の駅[と]いふを[過]れば、印旛沼といふぬま、松[陰]に見ユ。三月(やよひ)尽、
、
破鐘もけふばかりとてかすむ哉
「我孫彦」は我孫子。「印旛沼」は手賀沼。
一茶は享和3年(1803年)4月16日、10月1日、文化3年(1806年)2月5日にも我孫子に立ち寄っているが、我孫子に逗留した形跡はない。
我孫子より北へ入、野田を過て流山に入ル道に、一丈ばかりなる蛇蟠る。
『享和句帖』(享和3年4月)
晴 小金領篠籠田村より呼塚(よばづか)村に出る。流山より我ビコ迄三里。
霜どけやとらまる枝は茨なり
明治22年(1889年)、篠籠田村は柏村・戸張村・松ヶ崎村・高田村等と合併して千代田村となる。
大正15年(1926年)9月15日、千代田村は町制を施行し、柏町となる。
昭和29年(1954年)9月1日、柏町は土村・田中村・小金町と合併して市制を施行し、東葛市となり、11月15日に柏市と改称。
呼塚(よばづか)村は柏市に呼塚新田の地名が残っている。
我孫子市役所には一茶のものといわれている句碑があるというので、我孫子市役所に行ってみる。
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