〜一茶の句碑〜

八十二銀行信濃町支店
indexにもどる

ゆうぜんとして山を見る蛙哉

明専寺から国道18号(北国街道)に出る。


国道18号(北国街道)沿いの八十二銀行信濃町支店にも小林一茶の句碑がある。

一茶の句碑


ゆうぜんとして山を見る蛙哉

冬に来た時は、雪に埋もれて見えなかった。

文化10年1月、一茶51歳の時の句である。

この句の碑は道の駅「しなの」にもあった。

 文化9年(1812年)11月14日、一茶は江戸を引き上げ、24日に柏原に帰る。翌文化10年1月には弟と和解し、父の遺産の半分を受け取っている。

句碑は昭和63年建立。

 信濃町には一茶の句碑が百基以上あるが、ほとんどが平成に入ってからのもの。信濃町にある一茶の句碑としては比較的古いものと言える。

句碑の隣に一茶の句を英訳した碑があった。

Jast sitting there,

a flog

viewing the mountain.

英訳すると、「ゆうぜんと」した感じがない。

八十二銀行信濃町支店の隣が柏原宿本陣跡。

柏原宿本陣跡

 北国街道は、加賀金沢藩・大聖寺藩などの参勤交代や佐渡の御金荷などの重要な交通路として栄えました。この付近は雪深い信越国境に位置し、中山八宿とよばれた難所でもありました。柏原宿の中央には松並木と町用水があり、本陣の前に高札場がありました。

入梅晴や佐渡の御金が通る迚

『七番日記』(文化7年8月[文化13年6月之部])

加賀どのゝ御先をついと雉(きぎす)

『七番日記』(文化15年2月)

(きぎす)はキジのこと。春の季語である。

   加賀守

梅ばちの大挑灯(でうちん)やかすみから

『七番日記』(文化15年3月)

 本陣には御門や御殿が設けられ、御殿の天井には加賀藩の紋所「梅鉢」格天井で飾られていました。代々中村六左衛門が世襲し、桂国(利和)・観国(利賓(としつら))は俳句をたしなみ、一茶と親しく交友しました。明治・大正時代には第13代六左衛門利貞(瑞鷹)と弟の六郎利謙(蘿月(らげつ))が一茶顕彰に力を尽くしました。

 文化9年(1812年)6月18日、一茶は柏原に帰ると直ぐに本陣の中村家を訪れる。

   [十]八 晴、柏原中村入。

『七番日記』(文化9年6月)

   四 晴 問屋ニ入

   八 晴 本陣ニ入

『七番日記』(文化9年7月)

同年7月19日、21日、22日、一茶は本陣に入る。

   十九 雨 本陳(陣)ニ入

   廿一 晴 折々陰 本陳(陣)ニ入

   廿二 晴 本陳(陣)ニ入

『七番日記』(文化9年7月)

信濃町役場へ。

「旅のあれこれ」のトップページへ