濃州の俳人

田中五竹坊
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 本巣郡北方村の人。仙石廬元坊の門人。美濃派(獅子門道統)四世。別号東伯、帰童仙。

 宝暦8年(1758年)道統を安田以哉坊に譲るが、後改めて河村再和坊に継がせた。

以後美濃派は「以哉派」と「再和派」に分かれて道統を継承する。

 明和6年(1769年)10月12日、帰童仙門人の恵方庵富無三は「落葉塚」を建立。

さびしみの姿とどみて落葉川   帰童仙

『落葉川』

 安永2年(1773年)4月、鳰亭連中は長良の法久寺に芭蕉の句碑を建立。



夏来てもたゝひとつ葉の一葉哉

安永9年(1780年)7月26日、81歳で没。

関ヶ原町の美濃不破関跡に帰童仙の句碑がある。


誠にと立あかりけり不破の月

大垣市の正覚寺に発句塚がある。


住みあいた世とは嘘なり月よ花
   仙石庵廬元坊
名月やことしの影はことしとて
   田中五竹坊
しづけさや芭蕉にかかる雨の音
   岡田冬恕坊

五竹の句

芍薬に蝶も廿日のねふり癖


鹿の声かすかに二日月夜かな

俳諧百一集』(康工撰)

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