羽州の俳人
吉川五明
秋田の人。初号鼠河。別号鶴頭。虫二房。小夜庵。門下に
美丸
がいた。
秋田
五明
吉川伊右エ門
『諸郡銘録』
岩間乙二
・
常世田長翠
・小野素郷と共に奥羽四天王と称された。
享保16年(1731年)、那波家初代三郎右衛門祐祥の五男として久保田茶町菊ノ丁に生まれる。22歳で同町の豪商芳川家の養子となる。
宝暦12年(1762年)、五明と改める。
明和5年(1768年)、五明は温湯温泉で湯治。
安永4年(1775年)9月、路丸を伴い温湯温泉で湯治。
同年10月、秋田市の
宝塔寺
に芭蕉の句碑を建立。
四つ五器のそろはぬ花見こゝろ哉
天明2年(1782年)、久保田川尻上野に小夜庵を営む。
天明4年(1784年)秋、美丸は五明を訪れた。
天明甲辰の秋上野
今人のよぶ名也実は川尻村の内
の小夜菴五明が方へ美丸と云る行脚来れり紀州の産にて今年二十一歳なるが詩歌連俳の達人と云
人見蕉雨『黒甜瑣語』
天明元年(1781年)、也鳧庵
一艸
は吉川五明を訪問。
天明3年(1783年)、
一艸
は再び五明を訪問して、越冬。
寛政3年(1791年)、
重厚
・宗讃は五明を訪れる。
寛政3年(1791年)、五明は
象潟
で句を詠んでいる。
象潟や森の流るる朝かすみ
寛政4年(1792年)、
一艸
は三度五明を訪問する。
寛政5年(1793年)、秋田市の
菅原神社
に小夜庵連中芭蕉の句碑を建立。
春もやや景色調ふ月と梅
寛政6年(1794年)8月、
倉田葛三
は五明を訪問。
寛政10年(1798年)3月、
『波羅都々美』
(五明編)淡山園主人序。
寛政12年(1800年)、
常世田長翠
は奥州行脚に旅立ち酒田を訪れ、さらに秋田の五明を訪問した。
翌年、再び酒田にやって来て、その足で秋田の五明を訪ねた。
享和3年(1803年)10月26日、73歳で没。
宝塔寺に五明の句碑がある。
日向あり陰ありて芭蕉静かなり
文化元年(1804年)、五明の一周忌に建立。
文化12年(1815年)、五明十三回忌の追善句集
『小夜志久麗』
(尋風編)。
子日庵一草
跋。
文政2年(1819年)、五明十七回忌の発句集
『小夜の月』
(渭虹編)。
五明の句
手を負し猪のさまよふ花野かな
『春秋稿』(初篇)
日ハ花の中より暮る木槿かな
『猿墳集』
振そむる雪や闇より松の形
『潮来集』
紅梅のけふなれハはや夕べかな
『此まこと』
夜の明て見れば雨降さくらかな
『春秋稿』(第六編)
蔭ありて日向ありて芭蕉靜也
『松の炭』
目にもちてまとろむ花の木蔭哉
『春秋稿』(第七編)
やぶ入のしきみ提
シ
ぞあはれなる
『さらば笠』
枯なもみいつまて人にとりつくそ
閑 居
紫陽花ハ木かくれ住(む)我花か
『黒祢宜』
白魚や走てちきらんものハこれ
『つきよほとけ』
秋もはや一ふし白き木賊哉
『続雪まろげ』
秋の山霧て書たるすかた哉
『おくの海集』
よき扇かざして通る四月哉
『随斎筆記』
雛祭り盆三日よりあはれ也
『名なし草紙』
夏山や子にあらはれて鹿の鳴
『三韓人』
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