一茶の正月


享和4年(1804年)42歳

享和4年(1804年)の正月を一茶は愛宕山大嶋寺勝智院で迎えた。

大島稲荷神社


   三日 晴

我庵の貧乏梅の咲にけり

『文化句帖』(享和4年正月)

享和4年2月11日、改元。

文化2年(1805年)43歳

元旦、小林一茶は心可と佃島の住吉神社に初日の出を見に行く。

住吉神社


晴 心可と佃島住吉の旭おがみに行く。

年立や日の出を前の船の松

欠鍋も旭さす也是も春

『文化句帖』(文化2年正月)

2句目は本所相生町の住居に戻ってからの句であろう。

文化3年(1806年)44歳

一日 朝曇 風吹

遊民遊民とかしこき人に叱られても今更せんすべなく

又ことし娑婆塞(しゃばふさげ)ぞよ草の家

『文化句帖』(文化3年正月)

文化4年(1806年)45歳

元日も爰(ここ)らは江戸の田舎哉

『文化句帖』(文化4年正月)

文化5年(1806年)46歳

梅咲くやあはれことしももらひ餅

『文化句帖』(文化5年正月)

文化6年(1806年)47歳

一日 寅刻ヨリ辰刻迄晴天 不二南吹 巳刻霰 午刻晴大風

      思旧巣

   梅さくや寝馴し春も丸五年

 文化5年(1808年)12月18日、一茶が郷里の柏原から江戸に戻ると、文化元年(1804年)から足掛け5年住んだ本所相生町の家が取られていた。

七[日] 晴 随斎初会

   梅咲いて身のおろかさの同也

八[日] 晴 流山ニ入

十日 晴

      歳旦

   元日や我のみならぬ巣なし鳥

『文化6年句日記』(文化6年正月)

文化7年(1810年)48歳

春立と申もいかゞ上野山

門々の下駄の泥より春立ぬ

『七番日記』(文化7年正月)

文化8年(1811年)49歳

守谷で正月を迎える。

西林寺


一 大風 晴

我春も上々吉よ梅の花

壁の穴や我初空もうつくしき

『七番日記』(文化8年正月)

7日、竹里がやってきた。

七 晴 竹里来

『七番日記』(文化8年正月)

文化9年(1812年)50歳

 文化8年(1811年)12月22日、一茶は布川に入り、文化9年の正月を布川で迎える。

羽立山応順寺


廿二 晴 大西吹 布川ニ入

『七番日記』(文化8年12月)

春立や先人間の五十年

咲梅のうしろに不二の御兒哉
     
月船
うしろからおぼろ月夜と成にけり

春立や菰もかぶらず五十年

『七番日記』(文化9年正月)

文化10年(1813年)51歳

文化9年(1812年)11月14日、一茶は江戸を引き上げる。

借家住居して越年。

よ所並の正月もせぬしだら哉

『七番日記』(文化10年正月)

「しだら」は、ていたらく。

文化11年(1813年)52歳

あつさりと春は来にけり浅黄空

『七番日記』(文化11年正月)

この句を発句にした一茶と希杖の連句がある。

あつさりと春は着にけり浅黄空
   一茶

   西に鶯東に雪
   希杖

文化12年(1815年)53歳

大雪の我家なればぞ花の春

『七番日記』(文化12年正月)

文化13年(1816年)54歳

こんな身も拾ふ神ありて花[の]春

『七番日記』(文化13年正月)

文化14年(1816年)55歳

文化13年12月22日、籠山(こもりやま)の西林寺に入り、西林寺で年を越す。

我菴は昼過からが元日ぞ

『七番日記』(文化14年正月)

文政2年(1819年)57歳

目出度さもちう位也おらが春

   こぞの五月生れたる娘に一人前の雑煮膳を据ゑて

這へ笑へ二つになるぞ今朝からは

『おらが春』

文政元年(1818年)5月4日、長女さとが生まれる。

四 晴 柏原ニ入 キク女子生ム

『七番日記』(文化15年5月)

文政5年(1822年)60歳

まん六の春となりけり門の雪

『文政句帖』

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