加舎白雄ゆかりの俳人
宮本虎杖

『つきよほとけ』
虎杖の句
本名宮本八郎兵衛道孟(みちもと)、通称清吉。古慊・天姥・梨翁の別号がある。元文5年(1740年)、埴科郡下戸倉村中町の豪農宮本佐太郎常則の息子として生まれる。
長翠、巣兆、道彦、保吉、碩布、春鴻、葛三とともに加舎白雄八弟の一人で、白雄没後は同門の長老として春秋庵派の拡大につくした。
我信ず、白雄先師は頗る英傑の士なり。独り正調を吟詠し、悉く其古きを改む。是に於て名声籍甚、国花者の兆形と謂う所、又我儕の幸なり。弟子蓋し四千名、世に知らるゝ者二百余人。虎杖は其長也。其徒又少なからず。
門下に宮沢武日、倉田葛三、平井嵐窓などがいる。
小林一茶の『知友録』には「はつ音や勝右衛門」とある。
「はつ音や」は宮本家の屋号。虎杖の祖父と弟が「勝右衛門」を称しているが、虎杖本人は「勝右衛門」とは称していない。虎杖は家督を弟の「勝右衛門」に譲っている。
虎杖の名が『知友録』に見られるから、一茶は寛政3年(1791年)には虎杖を知っていたのであろう。ただし弟と名を混同しているから、面識はなかったものと思われる。
明和5年(1768年)8月、来信した加舎白雄に師事。虎杖28歳の時である。
入門の際、白雄から句を贈られている。
あそびよきすがたさだめよ月の秋
天明4年(1784年)秋には、判者(宗匠)の許しを受け「虎杖庵」と称している。
天明5年(1785年)3月、加舎白雄は虎杖菴に滞留。
やよひ半なりけり、虎杖菴に滞留せしころ。
薄履(げた)やものゝついでの朝ざくら
天明7年(1787年)春、虫歌観音堂に俳額を奉納。宮本虎杖選。虎杖筆。
観音堂の俳額

人の子のものいひそめし春日哉 虎杖
天明8年(1788年)4月9日から1週間、加舎白雄は海晏寺で芭蕉百回忌繰り上げ法要を行う。
海晏禅寺

寛政3年(1791年)3月22日、虎杖の妻たか没。47歳。
辞世
さくら遠くゆめのこゝろよ昼の月 楚明
楚明の句
杉たちや霧のうへなるはこびあめ
岡の蝶ながめは春につきぬ也
春風やふと吹れたる神詣
人の身も夏野の艸もてる日かな
桜遠く夢のこゝろよ昼の月
同年9月13日、加舎白雄没。享年54歳。
寛政4年(1792年)、後妻鳳秋と結婚。
寛政5年(1793年)、長子八郎生まれる。
寛政12年(1800年)8月、長楽寺に加舎白雄の句碑を建立。
白雄の句碑

白雄居士之遺趾
姨捨や月をむかしのかゞミなる 白雄
虎杖の息子八郎は舟山と号した俳人。
流れ行螢をすくふはゝきかな
| 少年 | 八郎
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当時、八郎は9歳の少年。
文化元年(1804年)春、虎杖は戸倉自在神社に俳額を奉納。
戸倉自在神社

文化5年(1808年)12月10日、一茶は初めて虎杖を訪問したらしい。
十 雪折々 戸倉虎杖庵ニ入
『文化五・六年句日記』(文化5年12月)