一茶の病気


 文化9年(1810年)7月17日、一茶は雨に濡れて発熱。

   十七 大雨 柏原ニ入 頭ヨリ雨ニナリテ発熱 大傷寒 大承気湯ヲ呑

『七番日記』(文化7年7月)

 「傷寒」は、漢方で体外の環境変化により経絡がおかされた状態。腸チフスの類。

 文化10年(1813年)6月18日、一茶は善光寺桂好亭で癰(よう)を病む。

   十八 桂好亭ニ入 仝礼踊 去十五日癰兆シ今日甚

『七番日記』(文化10年6月)

桂好亭は上原文路宅。癰(よう)は悪性の腫物。

一茶は75日間療養のために桂好亭に滞在。

 7月2日、仙六が見舞いにやって来た。8日、柏原本陣の桂国から金二両が届く。9日、可候がやって来る。

   二 晴 仙六来 ソバ一袋

   七 晴 癰大膿出

   八 晴 夜桂国ヨリ金二両宏海持参

   九 晴 可候来

『七番日記』(文化10年8月)

 げにげに此書に明かせる通りなりし物を、前にかゝる事夢にもしらば、はからふべき術あるべかりしを、医師(くすし)ならぬ身のつたなさは、たゞそれなりにうち捨おける物から、病は思ひのまゝにはびこりて、つひに癰にせいせられて、長[の]月日をくるしみにおくりぬ。

名月や寝ながらお(を)がむ体たらく


8月24日、可候より布子が来る。

   廿四 晴 可候ヨリ布子来

『七番日記』(文化10年8月)

布子(ぬのこ)は木綿の綿入れ。

 文化13年(1816年)7月8日、一茶は瘧(おこり)発症。以後10日、12日、14日に発症。

八 晴 午刻白雨 アサノニ入 従酉上刻瘧大発 戌刻甚至止寅刻
十 晴 上丁ニ入 『杖祝集』為清書 雖瘧中為推参所ニ今日申刻瘧発シテ至止夜戌刻
[十]二 晴 牛(午)刻雨 甲(申)五刻瘧至夜戌刻
[十]四 晴 午刻雨 畳干 未下刻瘧酉刻止
[十]六 晴 未刻白雨 今日瘧止

『七番日記』(文化13年7月)

 「瘧」は、一定の周期で発熱し、悪寒やふるえのおこる病気。マラリア性の熱病の昔の名称。わらわやみ。おこりやみ。

 同年11月、一茶は皮癬(ひぜん)を発し、12月22日、籠山(こもりやま)西林寺に入る。

   [廿]二 晴 大西風 寒 入篭山

『七番日記』(文化13年12月)

西林寺


 其後後安清被成[候]哉、奉賀。されば、私、前便に申越候通り、去十一月より、ひぜん発し、外へ行も延(遠)慮いたし居候所、去十二月十三日より、足のうらへも腫候へば、山寺に籠り療治仕候。

宛て書簡(文化14年3月3日)

 「ひぜん」は疥癬(かいせん)のこと。疥癬虫の寄生によっておこる伝染性皮膚病。「山寺」は西林寺のこと。

それがしがひぜんうつるな閑古鳥

『七番日記』(文化14年5月)

 文政3年(1820年)10月16日、一茶は浅野の雪道で滑って転び、同時に中風が起こる。

 小人も十月十六日に、淡雪の浅野の途中にて辷り転ぶと等しく、中風起り、五里の道も駕にて庵に乗り込、とみに大根おろしのしぼり汁にて、半身不遂(随)は癒候へども、いまだもとのごとくの足に成かね候。

   病中俳諧寺のていたらく

袵形(おくびなり)に吹込雪やまくら元

斗囿あて書簡(文政3年12月)

吾転けて霜は柱と立にけり

『八番日記』(文政3年11月)

 文政7年(1824年)閏8月1日、上原文路宅で中風再発、言語障害に陥る。

   一 晴 不言病起

もどかしや雁自由に友よばる

『文政句帖』(文政7年閏8月)

梅堂・梅塵は一茶の病中を見舞い、歌仙を巻く。

 文政10年(1827年)11月19日、持病の中風が昂じ、3度目の妻に見守られて、焼け残りの土蔵の中で65歳の生涯を閉じた。

史跡小林一茶旧宅


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