一茶と芭蕉忌


寛政7年(1795年)

寛政7年(1795年)10月12日、一茶は義仲寺の時雨会に参加。

義仲寺へいそき候はつしくれ


享和3年(1803年)

享和3年(1803年)の芭蕉忌に一茶は田川に入る。

田川に岩橋一白がいた。

   十二日 晴 田川二入

   芭蕉の日

影ぼうしの翁に似たり初時雨

『享和句帖』(享和3年10月)

芭蕉忌には晴れていても初時雨を詠むものらしい。

文化元年(1804年)

松戸市平賀の本土寺に「翁の碑」ある。

翁の碑


文化元年(1804年)に行われた芭蕉忌を期して建立されたもの。

この時の「翁会」に一茶は参加している。

   十二日 晴 小金 翁会 布川二入

芭蕉忌に先つゝがなし菊の花

『文化句帖』(文化元年10月)

文化2年(1805年)

文化2年の「翁会」にも一茶は参加している。

   十二日 晴 馬橋ニ入

ばせを忌や丸こんにやくの名所にて

『文化句帖』(文化2年10月)

文化3年(1806年)

文化3年(1806年)の芭蕉忌は夏目成美の所にいたようだ。

   十二日 晴 芭蕉忌随斎ニ有

こんにやくにかゝらせ給へ初時雨

『文化句帖』(文化3年10月)

翌13日は嵐雪百年忌

   十三日 雨 嵐雪百年忌

『文化句帖』(文化3年10月)

嵐雪は芭蕉十哲の一人、服部嵐雪。別号雪中庵。

墨田区千歳の要津寺に雪中庵関係石碑群がある。

文化4年(1807年)

文化4年も一茶は「翁会」に参加している。

   十二日 晴 小金ニ入

ばせを忌や時雨所の御コンニヤク

『文化句帖』(文化4年10月)

時雨だけでなく、蒟蒻(こんにゃく)も詠んでいる。

文化7年(1810年)

文化7年(1810年)10月10日、馬橋から布川に入る。金比羅講興行。

琴平神社


布川で芭蕉忌を迎える。

   十 晴 布川入 金比羅講興行

   十二 曇 小雨

ばらつくや是は御好の初時雨

けふの日や鳩も珠数(数珠)かけて初時雨

念入てしぐれよ藪も翁塚

『七番日記』(文化7年10月)

江東区森下の長慶寺に芭蕉時雨塚がある。


文化8年(1811年)

文化8年10月、一茶は馬橋で芭蕉忌を迎える。

   十二 晴 馬橋ニ入

『七番日記』(文化8年10月)

青柴や秤にかゝるはつ時雨

文化9年(1812年)

文化9年(1812年)の芭蕉忌に一茶は流山に入る。

   十二 陰 申刻雨 柏村ヨリヌレテ流山ニ入

   十三 晴 昨日ノ泥衣洗 双樹病

双樹が病気で、芭蕉忌どころではなかったようだ。

山寺の茶に焚かれけりはつ時雨

有様は寒いばかりぞはつ時雨

『七番日記』(文化9年11月)

「山寺」は光明院のことであろう。

光明院


同年10月27日、双樹没す。

同年11月14日、一茶は江戸を引き上げる。

文化10年(1813年)

文化10年(1813年)10月12日、一茶は長沼に入る。経善寺で芭蕉会があった。

   十二 晴 長沼ニ入 経善寺有芭蕉会

『七番日記』(文化10年10月)

経善寺の住職は一茶の門人呂芳

 何がしの寺に芭蕉会あり。門には蓑と笠とをかけたり。しかるにけふは又ことさらに晴れたれば、さるもの、蓑に打水して其のぬれたるさまを見せたるも、かの翁の昔しのぶにはおもしろき企にこそあれ、一念の信、俳諧に遊ぶともがらにはかゝるわざくれの事も好しからず。此の身このままの自然に遊ぶこそ尊かるべけれ。

『志多良別稿』

明治初年、経善寺は廃寺となったそうだ。

『迹祭』に一茶と魚淵の歌仙がある。

   法楽

御宝前にかけ奉るはつしぐれ
   一茶

文化十年十月吉日
   魚淵

『迹祭』

文化11年(1814年)

 文化11年(1814年)7月22日小林一茶は柏原を発って、8月9日江戸に入り、10月12日深川長慶寺の芭蕉の塚に詣でる。

   十二 晴 深川長慶寺 芭蕉塚詣

芭蕉塚まづをがむなり初布子

『七番日記』(文化11年10月)

文化12年(1816年)

翌12年(1816年)10月12日にも一茶は長慶寺を訪れている。

   十二 晴 遊翁塚
『七番日記』(文化12年10月)

   十月十二日 翁塚巡長慶寺

芭蕉忌も松も武張りて

『七番日記』(文化9年10月[文化12年10月部])

文化13年(1817年)

文化13年(1817年)の芭蕉忌は守谷の西林寺迎えた。

西林寺


   九 晴 入西林寺

   [十]二 雨 翁忌

翁忌や何やらしやべる門雀

『七番日記』(文化13年10月)

文政3年(1820年)

十月の御十二日ぞはつ時雨

『八番日記』(文政3年10月)

 文政3年(1820年)12月、斗囿あて書簡がある。

 小人も十月十六日に、淡雪の浅野の途中にて辷り転ぶと等しく、中風起り、五里の道も駕にて庵に乗り込、とみに大根おろしのしぼり汁にて、半身不遂(随)は癒候へども、いまだもとのごとくの足に成かね候。

   病中俳諧寺のていたらく

袵形(おくびなり)に吹込雪やまくら元

斗囿あて書簡(文政3年12月)

10月16日、一茶は浅野の雪道で滑って転び、同時に中風が起こったようである。

一茶がどこで芭蕉忌を迎えたか、はっきりしない。

文政4年(1821年)

芭蕉忌と申も歩きながら哉

『八番日記』(文政4年10月)

 『文政句帖』(文政6年10月)には「ばせをき(芭蕉忌)やきやとて歩きながら哉」とある。

どこを歩いていたのか、分からない。

文政6年(1823年)

文政6年(1823年)5月12日、妻きく没す。享年37歳。

   [十]二 陰 時々晴 菊女没

『文政句帖』(文政6年5月)

文政6年の芭蕉忌を湯田中で迎えた。

   [十]一 晴 田中ニ入

   [十]二 晴 楚江希杖帰

ばせを翁の像と二人やはつ時雨

『文政句帖』(文政6年10月)

希杖亭で楚江、希杖と芭蕉忌の三吟を催した。

一茶ゆかりの宿湯田中湯本


文政六年十月十二日

芭蕉忌や豆腐の上の菊の花
   希杖

時雨をお(を)がむ草庵の月
   一茶

『茶翁聯句集』

文政8年(1825年)

文政8年(1825年)の芭蕉忌は六川で迎えたようだ。

   [十]二 六川入

『文政句帖』(文政8年10月)

ばせを忌と申も只(たつた)一人哉

『文政句帖』(文政8年11月)

文政8年11月の句である。

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