加舎白雄ゆかりの俳人

杉坂百明

 上総東金に生まれる。通称志蔵。前号大至。土竜庵。白井鳥酔門。鴫立庵四世。在庵16年。

 明和3年(1766年)、白井鳥酔は加舎白雄を伴い東金の土龍庵に遊ぶ。

   遊土龍庵 東金殿山下

仁者の山知者の水誹諧に世を遁るゝものゝ居は山も水も去り嫌ひなし。我か友百明法師か幽棲を尋ねて見まはせはうしろは殿山の岸千歳不易の赤土なり。前はわつかに二三十歩を避て徳利の通ひは足を労せず、左右は人に骨折らせたる茄子さゝげ芋やうのもの目には富たり。


 明和5年(1768年)7月、鳥酔は百明・烏光と銚子を訪れる。

鴫立庵に句碑がある。

杉坂百明句碑


西東鳴へき夜也ほととぎす

百明房得らひたり昨烏歎書

明和7年(1770年)8月13日、建立。昨烏揮毫。

昨烏は加舎白雄の前号。

明和8年(1771年)、鴫立庵百明信濃行脚。

 天明3年(1783年)8月、「奥の細道」行脚の途中で病気になり、本宮の塩田冥々宅で療養、快方後郡山宿の佐々木露秀を訪れている。

天明4年(1784年)7月22日、歿。

銚子飯沼観音の芭蕉句碑に百明の句が刻まれている。

芭蕉句碑


曇れたゝ櫻かもとに倚やすき    土龍庵百明

百明の句

青柳や動けはわかる水の中


鶯や起しては日を長うする


螢見や夜照る石を踏あるき


何所からか雀入けり冬こもり


一雨の跡かも知らずけさの秋

一日も温石(おんじやく)ならでは冬ごもり


石擲のむしろ寄けり梅の花


灌仏や旅で逢たるたのもしさ


春けしや柳にかよふ鐘の声


月のけふ暮六ツの鐘聞ゆなる


正月も半たちけりいかのほり


若竹や射(うち)に分ゆく投あみ舟


老か旅よしのゝさくら散けりな


紅梅の咲もはじめぬつぼミ哉


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