芭蕉の句碑

秋にそうてゆ可ハや末は小松川

 日本地域文化研究所の亀井千歩子さんの話をお聞きして、あらためて香取神社にある芭蕉の句碑を訪れた。


芭蕉の句碑


秋にそうてゆ可ハや末は小松川

 再び日本地域文化研究所を訪ね、芭蕉の句碑について伺うと、亀井千歩子さんは著書『小松菜の里−東京の野菜風土記』を貸して下さった。

 以下、主に亀井千歩子さんの著書『小松菜の里−東京の野菜風土記』による。

 芭蕉は貞亨4年(1687年)8月に、深川の庵から小名木川を舟で下り、船堀川を通って下総の行徳に出て、市川の八幡を通り鎌ヶ谷、我孫子の布佐を経て「鹿島詣」をしている。

 ともなふ人ふたり、浪客の士ひとり、僧は烏のごとくなる墨のころもに、三衣の袋を襟にうちかけ、出山の尊像を厨子に崇め入れてうしろに背負ひ、しゅ杖ひき鳴らして、無門の関も障るものなく、天地に独歩して出でぬ。いまひとりは、僧にもあらず俗にもあらず、鳥鼠(ちょうそ)の間に名をかうぶりの、鳥なき島にも渡りぬべく、門より舟に乗りて、行徳といふところに至る。

『鹿島紀行』

 小松川は、小松菜の産地であった東西小松川村の間を流れ、船堀川に流入していた。

 「秋にそうて」の句は、元禄5年(1692年)の9月尽(じん)の日、今日でいえば10月末の日に詠まれたものとされ、ここに句碑となり、井本農一氏の筆になるものは、『芭蕉句選年考』に稲葉氏蔵真跡によると記され、女木澤(小名木川)に舟遊びした時のものである。

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