香取神社
〜葛飾風物保存の碑〜

「小松菜ゆかりの里」の碑

江戸・東京の農業 小松菜
享保4年(1719年)、八代将軍吉宗が鷹狩をするときの食事をする場所として、当道灌島香取神社が選ばれ、時の神主亀井和泉守永範がそのお役を受けた。しかし、これといって差し上げるものもなかったので、餅のすまし汁に青菜を少々、彩りとしてあしらって差し出すと、吉宗は大変喜ばれ、この菜をこの地にちなんで「小松菜」と命名されたと伝えられています。それ以来、当社の祭事には必ず小松菜を神前に供えて氏子永代の反映を祈願しています。
文化元年(1804年)の「成形図説」には、「小松川地方で産する菜は、茎円くしてすこし青く味旨し」とあり、文政11年(1828年)の「新編武蔵風土記稿」には、「菘(な) 東葛西領小松川辺の産を佳品とす。世に小松菘(な)と称せり」と記されています。
味のよい優れた菜類として江戸の人々に喜ばれた小松菜は江戸川区の特産野菜となりました。
宮司 亀井悦造氏の像

香取神社の第21代宮司亀井悦造氏(1899〜1980)は亀井鳴瀬という俳人で、原石鼎(1889〜1951)に師事。
親のない子は泣き泣き育つ
親は草場の陰で泣く
泣いてくれるな、もう夜が明ける
明けりゃお寺の鐘が鳴る
葛飾の子守歌
昭和26年、鳴瀬が30年余り師事した石鼎が他界する。
昭和43年、中村草田男(1901−1983)に師事。
鳴瀬の妻キヨも俳号杉芽女という俳人であった。
葛飾風物保存の碑

葛飾風物保存の碑に夫妻の句がそれぞれ2句ずつ刻まれている。
鮒焼くや麦の朧がつつむ家
| 鳴瀬
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干ては枯れ濡れては大野枯れ果てし
| 鳴瀬
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鳴瀬の雅号は、生家の前を流れる小松川の鳴る瀬音に由来している。
花人にひやかされつつ打つ田かな
| 杉芽女
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蓮の径(みち)蜆(しじみ)売りなどそれて来し
| 杉芽女
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1ぱい機嫌の花見客にひやかされながら、それを傍(かた)えに、田を打つ姿を詠んだもので、かつて、”葛飾乙女”とよばれた女性たちの姿がしのばれる。
作者の住む周辺は、昭和40年代頃まで蓮田が広がっていた。夏の朝、浦安方面から来た蜆売りが、わざわざ大通りから蓮田の径にそれてやって来た。
俳号の「杉芽女」は次の句による。
杉の芽にふと触れてより我が名かな
昭和4年8月『鹿火屋(かびや)』
杉芽女の母によると、杉の芽はまっさおで、さらさらっとしていて柔らかで、これからぐんぐん伸びていくので見ているだけでも楽しい、と語っている。
杉芽女については、亀井千歩子さんからお借りした『江戸川 葛飾のむかし かつしか物語』による。
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