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まずは、手塚治虫文化賞のマンガ優秀賞受賞、おめでとうございます。 毎年、候補には挙がっていたようですが、このたびついに受賞。なぜこの時期に?というところもありますが、まず妥当だと思われます。この賞の歴代受賞作は粒選りの名作揃いなので、かなり賞自体に権威が備わってきたのではないでしょうか。 さて、話は例によって、あまり進んでおりません。旅をするガッツとキャスカに、同行者が加わり、ドツボは脱したらしい。ファルネーゼが前向きにがんばっているのが、いい感じです。 ただ、雑誌連載の方では、彼らに大きな転機が訪れているようなので、続きをとても期待しております。 |
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「東地中海の真珠」と呼ばれる、キプロス島。主人公、平林響子は、若い女性向けファッション誌の取材で、「ワンランク上のリゾート」たるこの島を訪れた。同行者のカメラマン檜山正幸と、島内を取材して巡るうちに、極上のリゾート地と見えたこの島の、不幸な歴史と、現在の不穏な気配が、次第に伺い見えてくるのだった。 キプロスでは、1970年代に内戦を経て、トルコ系住民とギリシア系住民が対立していた。民族の違いに加えて、キリスト教とイスラム教という、2つの大宗教勢力の最前線であるこの地に、火種は最初からあったのだ。 その住民感情に火をつけるべく、暗躍する何者か。小さな不幸な事件の積み重ねが、ついに一触即発の危機を呼ぶ。響子と檜山は、その渦中に巻き込まれてしまうが…。 うーん、作者はこのキプロスという島について、歴史も現在も、相当綿密に取材したことでしょう。その場にいて、本当に政変を見ているような臨場感があって一気に読んでしまいました。このテーマ自体は、実はベタなほどシンプルなのだと思う。紛争よって利益を得る黒幕の存在や、紛争を日本に報道することの意味なども問いかけておりますが、この話のメインテーマは、つまり「うっかり平和ボケしたまま、イメージにつられて紛争地なんかに出かけると、とんでもない目に遭うよ」という、教訓話であるような気がします。 その教訓を、まさにタンカを切るように、よどみなく、一気にまくしたててみせたストーリー。まさに円熟した「芸」を見せてもらいました。 |
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少女マンガ史上に燦然と輝くプロサッカーマンガ。連載開始は、1983年のLaLa誌にて。そういえば、途中まで、リアルタイムで読んでおりました。 もちろん、時事ネタのつもりの再読です。改めて読むと、サッカーをめぐる時代の変遷に驚かされます。作者が、同好の士のほとんどいなかった当時から、サッカーが大好きだった様子がヒシヒシと伝わって来るので。さすがに誰も、日本中の誰もが、猫も杓子もこのスポーツに浮かれる時代が来るとは、夢にも思わなかった事でしょう。 さて、舞台は南米の架空の国、エスペランサ。ジャングル出身の少年アドルは、この国のプロサッカーチーム「FCヴィトーリオ」にスカウトされる。ヴィトーリオの仲間たち。そして、立ちふさがる敵チームの選手たち。個性豊かな男たちにもまれながら、リーグ優勝を目指してひた走るアドルであった…。 内容は徹底したギャグで、変態一歩手前の個性的な男たちが、ところ狭しと、珍プレーを繰り広げてくれます。途中、これは何の競技なんだ?と首をひねるところも続出ですが、最後はアドルの成長物語、そして、ライバルチームの選手、マルロの出世物語として、きれいに締めてくれました。しかし、どう見ても途中から、マルロの方が作者に贔屓されていた気がする…。 見所は、暑苦しいばかりの男のキンニクの乱舞。そして、今見ると意外なのが、アドルを除くほとんどメインキャラが、妻帯者だったこと。少女マンガなのに?と思いましたが、このたびの各国W杯代表チームを見ているとうなずけます。本当に、当時としては画期的なマンガだったんだなあ。 |
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いさやまもとこさんは、4コマ誌ではおなじみのマンガ家さんで、エッセイマンガ等をよく見かけます。そのエッセイには、飼い猫がよく登場するので、ネコ好きなのは知っておりました。これは特に、まるまる猫との暮らしをテーマにした猫バカマンガで、女性週刊誌に連載されたものらしい。湊さん、どうもありがとうございました。 10年連れ添った飼い猫「うんこちゃん」が亡くなった後、(うんこちゃんは、この作品中では天使猫となって、ずっと登場)。いさやまさんの家に来た猫たち「ドロちゃん」「シャー・フー」「いもこちゃん」。それぞれの個性的な猫たちの楽しいエピソードが満載です。 中でも、シャー・フーを拾った話と、彼が家出した時の話は、ショックでした。家の前にいて、呼べば近寄ってくるのに、どうしてもつかまらなかった家出シャー・フー。今傍らにいる猫と、いつまでいっしょに暮らせるかというのは、本当に縁なのだろう。その縁がふとしたきっかけで途切れていくのが、見ていて悲しかったです。 時折、「猫と人間とのあるべき関係」についての主張が入るのには、ちょっとだけ引っかかりますが、とにかく、猫が可愛いから許します。 |
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『チェンジリング』で気に入った、妹尾ゆふ子さんの正当ファンタジー。分厚い上下巻をフルに使って、妹尾さん独自の世界が、すみずみまで骨太く構築されていることに、まず感動。評判通りの迫力でぐいぐい読まされながら、最後まで先の見えない展開でした。 世界は、遙か昔に「銀の声持つ人」によって語られた。そして、「真実の言葉」によって、この形に固定された。その世界は、時の経過とともにあるべき姿がゆらぎ、滅びに瀕していた。それは、この世界が生まれたときから、定められた運命。そして、その滅びに立ち向かうのは、西方月白領の領主ソグヤム。「竜使い」ジェンと、その幼なじみのウルバン。そして、身の内に「真実の言葉」を封印された少女エスタシア。彼らは、果たしてこの世界を救えるのか?そして、「真世の王」とは? そこに描かれているのは、「言葉」が他の何よりも力を持つ世界。言葉が文字通り、世界を創造し、維持し、そして滅ぼす力となっているという世界は、そのまま、言葉によって1個の世界を創造する「ファンタジー」なるものの暗喩のように思えて、興味深いです。 ともあれ、滅亡に瀕した世界の描写は果てしなく暗い。そこで、各人が、生き延びるために、身近な誰かのために、必死に足掻き、それぞれの戦いを続けている。そのあたりは、なかなかにシリアスで、見ているのが辛いものがありました。なので、ソグヤムと、従者のクルヤーグとの漫才がありがたかった。おかげで、ずいぶんと救われました。 きらびやかに美しく、そして、ずっしりと重い、そんな何とも言えない読後感でありました。 |
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久々に、コバルトのシリーズにハマってしまいました。 いえ、王道少女小説との噂は聞いていたものの、噂だけで引いてしまい、なかなかトライできなかったのでした。確かに最初は、入り込むのに少々苦労しました。 何せ舞台は、純粋無垢なお嬢様が集う、私立リリアン女学園(ぶっ)。カトリック系のこの学校では、マリア様の加護の下、良家のご令嬢が、清く正しく美しい学園生活を送っているのであった(ぶぶっ)。 そして、その高等部では、伝統的に「スール」と呼ばれるシステムが存在していた。「スール」とはフランス語の「姉妹」のことで、上級生が特定の下級生の、「お姉さま」となって、「妹」の指導にあたるものである(うわあ…)。 すみません。この時点でつい、ヨコシマな先入観で、めくるめく淫靡な世界を想像してしまいました。あいさつは、「ごきげんよう」。生徒会役員のお姉さまたちの通り名は、紅薔薇さま、白薔薇さま、黄薔薇さま。(しかも、ロサ・キネンシス様〜 と、ルビ付き…)。皆様文字通り、薔薇を背負って、きらきらしくご登場。 さすがに、めげました。が、すぐ立ち直りました。なんだかんだ言っても、ここには、女の子の友情と成長を主軸に据えた、かつての王道学園小説の世界が、確かにあったからです。いや、今ではむしろ、こういった世界を描くためには、前述のような特異な舞台設定が必要になってしまったのかなあ。今や絶滅が危惧されている、かつての『クララ白書』(氷室冴子)の世界を、ふと思うのでした。 さて、主人公の福沢祐巳は、そのリリアン女学園の1年生であったが、ある日唐突に、2年生の小笠原祥子から「スール」の申し込みを受ける…。祥子は、現紅薔薇さまの妹で、いわば次代の女王候補。際だつ美貌と品格を備えた、祐巳のあこがれの上級生であった。パニックになった祐巳であったが…。 と、いうわけで、祐巳のシンデレラストーリーを中心に、個性豊かな女の子たちの、それぞれのドラマが繰り広げられており、ここまで一気に読んでしまいました。図書館GETと、他に、旅先でゆかり様に続きを借りて、電車の中で読みふけってしまったものと。その節はありがとうございました>ゆかり様。白薔薇さまの過去にまつわる話『いばらの森』には、ぼろ泣きしてしまった。 この物語に登場する「スール」というシステムの本質は、決してヨコシマなものでなく、ただ、「あなたは私に甘えていいのだ」という暗黙の了解なのだと分かりました。読んでいて、誰かにとっての特別な存在でありたいと願った頃のあの痛みが甦ってくるようで、我ながらちょっとイタい。薔薇様方の友情にグっときます。 ただ、メインキャラが進級したあとの『チェリーブロッサム』以降の展開は、ちょっと物足りないかな。新キャラも、あまり好きになれなかったし。来月の新刊に期待します。 |
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『樹魔・伝説』,『イティハーサ』等の名作で有名な漫画家、水樹和佳改め、水樹和佳子さんの、これは小説です。作者の初挑戦の長編小説は、当然のことながら、マンガとの勝手が違い、読む方も多少違和感がありました。何というか、水樹作品が、いかに絵に頼っている世界なのかを、再確認してしまった感じ。我ながらこう書くと、あまり褒め言葉にはならないなあ。 主人公は、高校生の亜門斎木(ゆぎ)。彼は生まれつき、他人にはない強力な共感能力を備えていた。その力は実は、家業の神社に課せられたある役割を果たすために与えられたものであった。そんなある日、彼は幼なじみの兄妹と、話題の歌手「瑠那」のコンサートに出かける。名前以外のプロフィールがいっさい公表されていない謎の歌手、瑠那。斎木は彼女にも、自分と同じ共感能力を感じ取ったのだが…。 ストーリーや展開は、いかにも水樹和佳子なのでした。作品から漂う、繊細で透明感のある感性や、何事にも冷静で、やや老成しているとさえ感じる主人公などなど。しかし、あの絵が無いがために、最初は話が相当、トンデモに思えてしまいました。たとえば多賀家さんの設定とか(そんな奴いるかあ!)、御門一族に伝わる使命とか、(いきなり言われて、すんなり納得するなあ>主人公)。まあ、読み進むうちに次第に水樹挿絵の人物が、脳内アニメーションで動き出すようになりましたが。 ただ、やはり、現代日本を舞台にするからには、テーマへのそれなりの見識が欲しいと思ってしまった事が一点。児童虐待の現実について、作者がどこまで理解していたのかが、気になってしまいました。この作品の中で、これはかなり重要な位置にあると思うのですが、あの虐待の取り上げられ方は、お気楽な私でも、かなり現実ばなれしたものを感じてしまった。 いえ、主人公たちの役割は、あくまでも、霊となってまで苦しむ子供を癒すことであり、虐待の生身の被害者を救済することでないので、テーマもそちらにあるのは分かるのだけど。しかし、主人公の強力な共鳴能力が、死者に対してしか役立たないという設定は、少し物足りなかったです。生きている子供や、かつて傷つけられた大人は救えないのか。 どちらかというと、今現在に虐待に遭っている親と子の救済ということであれば蜷川さんのやりかたが、一番確実で、手っ取り早いような気がする。なのに、目的がヨコシマだというだけで、あの描かれ方。報われないよなあ、あの人も。 等々。また、クライマックスも、言葉だけでは心理的な盛り上がりが弱い気がしてしまった。結論としては、「悪くは無いけど、やっぱりマンガの方がいい」でした。 |
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第1部完!!!。雑誌で立ち読みしていたので、この結末は知っておりましたが改めて読んで、しみじみホロリ。囲碁界の新しい波を予感させ、ヒカルたちの輝ける明日を予感させ、佐為の存在に決着をつけ。本当にきれいに区切りをつけたと思います。 コミックスになって挿入された、ほったさんの書き下ろしコラムが楽しかったです。韓国の囲碁関係者の方々に、『ヒカルの碁』の愛読者が多いという話はさすがというか。そして、その方々があたりまえのように佐為のことを話題にするのに、ちょっとホロリ。こんなに多くの人の心の中に、確かに佐為はいたのですから。 さて、ジャンプ本誌では第2部の連載が開始されましたが、正直これは、おまけのようなものかとも思っています。それなりに楽しみだけど、私のヒカ碁本編は、ちゃんとここで終わっているので、少し余裕を持って眺めています。 |