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| 改訂 2003.6.18 初版 2001.9.10 |
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| 還暦 | 初めてローラースケートを履いてから早くも50年以上も経ってしまいました。小学校にあがる前から滑り初めて、たいして上達するわけでもないけれど、いちども諦めることなく、飽きることもなく続けてきました。いま、還暦といわれる歳を越えて、そうだ!!昔のことを書いておくのもいいかも? と思いついた。それに、この不景気でゴルフどころではない中高年、それに定年間近のサラリーマン。さらに、どこにでもいるオジサンや、元気盛りのおばさん達にとっても、何かのきっかけになるかもしれない。昔とった杵柄というではないか!そして、なによりも若い人からいろいろ教えてもらったり、話相手になってもらえるかもしれない…… | |
| 安全運転に一役買って | タクシーの仕事に入ってから、これもまた30年を越えてしまった。なによりも平穏無事に務めてこられたのは、スケートで運動神経を刺激し続けていたこと、足腰の筋肉を衰えさせなかったことによるのではないかと思う。インラインスケートは安全運転に一役買ってくれていると信じてきた。エッセイではあちこちで強調しておいたが、インラインスケートは交通上見た目とは違って極めて安全な乗り物である。私自身は考えたこともなかったが、チョット目には危なっかしい印象を与えるらしい。しかし、タクシードライバーの目から見ると、全く逆なのだ。危ないのは経験不足のバイクや車のドライバーの方だ。交通という立場で見たら優先権を持つのは特定のものではなく相互の安全性だけであろう?車だけ、歩行者だけが優先するのではなくて道路は公平にその利用する権利が開かれていなければならないと思う。こう言うことを伝えることも一つの目的となって、私はこのサイトを開いた。さらに、重ねて言えばインラインスケートはエコロジーなのだ!! | |
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実用目的にも使える | 低収入のタクシードライバーにとって大した経費をかけず、気軽に、時間的にも効率的に、そして一番大事なことだけど楽しくできるスケートはもってこいのものなのだ。日本のスポーツといわれるものはことごとく金がかかる、混雑する、不便だ、など気軽には出来ない。ましてや不景気なこのごろ、おいそれと無駄金は使えないから、遠くのゴルフ場はがらがら、不便な場所のスポーツジムは値下げしても会員が集まらない。まあ、こんなご時世にとっておきのスポーツがインラインスケート、一年中、どこでも、思ったときに、楽しく、格好良く、買い物などの実用目的にも使える。 |
| 自画像 | イラストにしたがって書いて行くことにしましょう。まあ、顔はこんなもので頭の毛は抜けてきました、そこへ白髪がだいぶ混じってきて逆らえないものと観念するしかありませんですなー……老眼の目は細くて埃が入りにくいことぐらいの取り柄しかない。一応いまは虫歯なし。耳は、ヘッドホンを大きな音量で永いこと聞き続けてきた程の音楽ファンなので、いくぶん遠い。私と話をする人は、適当に私が返事をするので呆れることがある。人格もいたって適当でアバウトなもので、細かいことはどっちかというと気にとめない方なのでこんなことになる。 だれですか……”いつ頃の自画像なんだ?”……って、細かいことをいうのは……しかしまあ、少しはサバを読んでいますよ、多少はね! |
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目の免疫 | 横から見た私の姿はどう見てもホッテントットみたいだ(ホッテントットさんご免なさい、気を悪くしたかな)。自分でもなんとかしなくてはと思っている……そうはいいながらも、いい加減な私のことだからなにか特別ダイエットするでもなし、ビールも止めないし。好きなもの喰って、好きなことして、勝手に滑っているうちに……まーなんとかなるさと思っている。 こんな私のスポーツマンの風上にもおけない姿を見て、がっかりしてインラインスケートを止めたくなる人が出ないことを祈る心境。 というわけで、イラストをわざわざ描いたというのも、同好の志やこれから始めたいと折角思ってくれた人の視覚に訴えて、目の免疫でもつけておいてもらいたいからなのだ。そんな事情があるから、マサドンは恥を忍んで自分の姿を提出した次第。だからといって、私は決して露出癖があるわけではないのでこの点は安心できる。まー……絵を描くのは出たがりのためではなくて、昔、そのまた昔は美術に希望をもったこともあったからなのです。 |
| Illustlation - YOSHINO masaki 2001 | 50年前の音 | 東京の下町浅草に生まれて育った。浅草橋駅前の中学校の校庭はコンクリート舗装の狭小なものだった。それくらいだから、街もほとんど土というものがない。路地にはいるとぬかるんだりするけれども、遊ぶところと言えばコンクリートの舗装道路の上がもっぱらの環境。もうこれだけで条件は十分というものであろう。いずれ書くことにしているが、下町浅草はローラースケートのメッカになってしまった。これもそんなところに理由らしきものがある。ご同輩にかつての少年スケーター、少女スケーターがいるはずである。もっとも、少女スケーターの数はごくわずかではあったけど、ギャラリーだった大勢のおばさんがいまも健在のはずであろう。夜昼なく街を騒がす鋼鉄製のローラーの音が、今も私の身体には50年前の音が残っている。 |
Collage - YOSHINO masaki 2001 |
最近はタクシーの仕事をしながら落語を聞くことが多くなった。6枚のCDがカセットに入るオートチェンジャーには、落語3枚、バルトークが必ず1枚、それにジャズかロマン派が1枚、エスニックかシャンソンが1枚と、だいたいこんな構成で2日か3日に一回組み替えている。この組み合わせを見ると私の野次馬根性が伺えるような気がする。なにしろ、かの有名なジャズタクシーは、ジャズのCDを100枚の入るオートチェジャーにいれて、真空管アンプでジャズファンの熱烈な支持を得ている。一筋というか、こういう世界と比べたら私などはかけ離れたもので、いやはや雑然とし貧弱なものだからだ。私などとうていその真似をできない質なのです。だからかどうか解らないけれど、最近は多元論などという、よろず百科に糸のつながるようなものにのめり込んでいる。20代に熱中した哲学症候群が一時下火だったのに、50代になって再発したらしい。つまり落語と哲学がたいした脈絡もなしに同居しないでは置かない性質なのでしょうね。 | |
| アバウトな性格と同時に、変に理屈っぽいから時々こうしないと自分自身で困ってしまう。自分のことは棚に上げて追求型の論理展開をしたくなる。でも、素直だから間違っていたと気づけば笑って正すのですなー 誰です!?……困ったやつだなー……なんて、言うのは? |
最後にマサドンの名前について書いておきましょう。本名は吉野、名前は正喜、吉野やの牛丼にちなんで正=マサ、丼=ドンということです。私は食べることにことのほかこだわりがある。昔からどんぶりは大好きで、おにぎりと丼は江戸文化の花だと秘かに思っていた、このさいやはり丼が縁のある名前となった。このことでは嬉しい話があるのでここでご披露しましょう。ある晩、二人のアベックが私の車に乗ってきた、女性はフランスの若いかなりの美人でした。この二人、後部シートで生真面目に会話を交わしていたのでしたが、日本人の男性が彼女に”おにぎりを知っているか?”と訊ねたのでした。彼女いわく”勿論知ってまーす、フランス人は馬鹿です、何故ならおにぎりをしらないからでーす!” | |
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| 転載に当たり、作家の渡邊裕之さん健康情報誌『さわやか元気』の編集長・鈴木秀雄さん、成美堂出版株式会社及び?リバービート、以上の方がたのご協力を頂きました。 | 2002.3.10 | (渡邉裕之/『さわやか元気』誌 2002年3月号掲載原稿に加筆) |
| ◇◇◇単独滑走者の音楽◇◇◇ | ||
| 「滑走する人」に会ってしまった。滑り抜ける人だから速い早い。話してみると私が興味あることの多くは、その人が既に走り抜けた道であり、ハイスピードで飛び去っていく風景になっていた。この出会いの感覚……この人は、稀少の人である。 |
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| 会ったのは東京・西荻窪在住、60歳になる吉野正喜さん。インラインスケートをする方だ。靴の底に四つの車輪が装填されたローラースケートに対し、アイススケートの刃のように靴底に小さな車輪が縦一列に並んだものがインラインスケート。 それを履いて滑走する者の体の動きはローラースケートにスキーが合わさったもの。並んだ車輪のエッジを使い動きを変えていくことができるので、雪上のスキーヤーと同じ重心のかけ方をしてアスファルトを滑っていく。 |
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| 相当なスピードである(時速110キロを出した猛者も!)。目の前を走り抜けた吉野さんが、すぐに道の彼方へと小さくなっていく。稀少ならぬ極小の存在になったところで、またこちらへと猛スピードで戻ってくる。 私の前で止まった吉野さん。髪の毛は後退し、目は細く、お腹はぷっくり出て、職業は個人タクシーの運転手であり、よくみかける市井の人なのだが……再び走り出せば超スピードで極小へと向かっていった! |
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![]() Collage - YOSHINO masaki 2001 |
吉野さんがローラースケートを始めたのは小学校に入る少し前。昭和16年生まれだから、終戦直後のこと。そして私は初めて知ったのだが、その時期にローラースケートブームがあったという。それもただのブームではない。浅草で育った吉野さんの記憶によれば、こんな熱い事態なのだ。 | |
| 「夕方ともなると、浅草の街に金属とコンクリの摩擦音が響きだすんです。そして夜、横丁やメインストリートでは道いっぱいにスケーターたちであふれ、それを見物する老若男女が加わって、まるでお祭りのような騒ぎでした」 昭和25、6年のことである。戦後のどさくさの東京だ。 |
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![]() Collage - YOSHINO masaki 2001 |
「おもしろかったのは、スケーターたちの溜まり場が消防署だったということ。今の常識では考えられないことだけれど、『祭り』という言葉に引っ掛ければ、その謎も難なく解けます。ほら、火事と喧嘩と祭りは江戸の華! 江戸から東京へと通底している都市のエネルギーがローラースケートと路面の摩擦で発火したんですね」 |
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| しかし、巨大な炎として燃え広がらせる時代の風は吹かなかった。 「逆風です。まさに江戸っ子の風上にもおけない輩が勢力を強めてきます。祭りより商売が大事という人が世の中の安定化と呼応して増えていくんですね。状況は変わります。警察官はスケーターを追い回し、校長先生は朝礼で禁止令を発布するようになるんです」 こうしてスケーターの数は減っていく。残ったとしても路上の少年は職場の青年、家庭の父親へとなっていくだろう。しかし、吉野さんは、このような流れに抗って、たった一人で滑ってきたのである。 |
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| この単独滑走者の時代は長く続く。アメリカで開発されたインラインスケートシューズを履いた少年たちの集団を、吉野さんが路上で発見するのは90年代初頭のこと。 それまでに、約30年もの時が流れていた。 |
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| ◇◇◇バルトーク「バイオリン協奏曲第二番」のリズムにのって30年もひとっ飛び!?◇◇◇ | ||
![]() Illustlation - YOSHINO masaki 2003 |
ここで音楽についての話を聞いておこう。様々なこと(現代美術、現象学、多元論、数学、地震研究、音楽、スピーカー製作……)に興味をもち、冒頭で記したようにハイスピードで没頭してきた人である。好きな音楽も、飛び跳ねるようなスピード感のある音楽だった。 バルトークの「バイオリン協奏曲第二番」。バルトークが生まれた国ハンガリーに住む人々の祖先を辿っていけばヨーロッパに攻め入った騎馬民族フン族とも重なってくるだろう。民族の記憶を大切にした作曲家が作った曲は、馬上のリズムを思わせる、音のひとつひとつが、そこここに飛び跳ねている協奏曲。 |
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| 「これを聴き続けてきたんですか?」 「ええ、ずっと一人で」 あの30年間であろうか。しかし、こんな激しいリズム感で飛び跳ねていれば、30年間もあっというまに過ぎていってしまうのではないか。これはいい。こうして過ごしてしまえば、専門家になることも先生になることも成熟することもなく時は過ごせる。 |
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| 今、吉野さんが子供のように興味をもっているのはパリのこと。箱崎から乗せたフランス帰りの客と雑談していた時、すごいニュースをキャッチしたという。 「決まった日になると、パリのシャンゼリゼがインラインスケーターでいっぱいになるっていうんです。近くにいると、ゴーというすごい音がしたと教えてくれました」 |
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| その瞬間、吉野さんの中で浅草で聴いた摩擦音とパリの響きは結びつき、ひとつの音楽になったろう。 どんな音楽かって? それは、このマサドンのサイトの部分として全体として聴こえだしているはずだ。 その音楽に誘われ、私なんぞはこのサイトに迷い込み、マサドンこと吉野正喜さんに出会えたのだ。 |
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付録 マサドンはインラインスケートのほかに3ッのサイトを開いてます。 好奇心と野次馬根性の確かな方は覗いてみても裏切られることはない、、と…… |
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