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| 改訂 2003.6.10 初版 2001.9.28 |
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| 『あらァ〜……なーんだァ……おたくだったの〜』 『……エッ?!……』 『だって……遠くから見たら〜後ろ姿だったし〜……そんなの着てるから〜……中学生が遊んでるのかと!思っちゃたー』 『還暦です!私……ハイ!!』 『でも〜……そのTシャツ……ねー』 『あーこれ?!家内が買ってきたんだけど!まーしょうがないから……』 『でもッ……若々しいわー……うちの主人なんか〜テレビばっかりかじりついて……少しはなんかやったらーなんて言ってますのよーホホホ』 『一緒に滑る人が居ないので、どなたかその気になってくれたら……と……思ってるんですけどねー』 『……?』 『まー無理か……!』 |
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| どんな格好で、どんなスタイルで、そしてどんな機能的装備なのか。だんだん、中高年らしくなってきたと思うことがある。最初はなんでも若者ばりにやってみたりしたけど、それこそ年寄りの冷や水だ。 それでも、後ろ姿で中学生に間違われる。光栄と言うべきか、恥辱と思うかは判断の分かれるところであろうが、私はこれを喜びとしている。だが、私の周囲はそういう私の態度をもって幼児化症候群の発症とみなすようだ。 そこで、このあたりの私の心理状態と精神状態とを精神科医の小此木先生に客観的にかつ一気に分析して頂きたいと願うこととなるのだ。 |
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![]() Illustlation - YOSHINO masaki 2001 |
ひと昔、いや二昔も前のことになってしまったが、『ピーターパン症候群』という言葉がかなり流行った。これはいい年をした成人が子供のように幼稚な精神状態に成ってゆくこと、あるいは大人になり切れない大人が増加したこと。もうすこし突っ込んでいうと、「本当の大人ってなんだ?」という疑問に対する精神医療方面からの定義に基づいている。 いわば社会現象として、青少年や新入社員と社会人あるいはサラリーマンとの間に亀裂が認められ始めたこととこれは期を一にしていた問題だった。 |
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| この『ピーターパン症候群』という言葉を、発祥地のアメリカから日本に持ち込んだ張本人もしくは翻訳者である精神科医の小此木啓吾氏によると。アメリカと日本ではこの「子供っぽい」、あるいはおなじことではあるけど「大人」という概念が逆転しているというのだ。 ほほー!……こりゃ面白いではないか! |
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| ピーターパン症候群の最初の成書はシカゴの心理学・精神科学者であるダン・カイリーによる「ピーターパン・シンドローム」で、大人に成れない恋人や息子、それに夫のことで悩む婦人への治療指針として書かれたものだという。 ところが、これが小此木によって翻訳されると日本の企業、教育産業、人材養成産業界などから新入社員を主な対象とした研修用のテキストとして注目を集ることとなった。だから、15年か20年ほど前に新入社員研修をうけた方ならこの言葉はかなりおなじみなのかも知れない? |
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Illustlation - YOSHINO masaki 2002 |
小此木先生はここで意外なことを言う。実は、この本でいうところの「大人になれない大人」とは、被害者である女性向けの本を企業の人材育成など、会社の仕事に使おうというような感性と発想を持つような”会社おじさん”つまり仕事中心人間もしくは仕事中毒者のことを言うのだ……と。 なるほど、うんうん!……マサドンには、これはよくわかるねー! |
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| 小此木氏によれば、ピーターパン症候群の重要な症状に該当する人の特徴はまず、仕事しかできない人、男のつきあいしかできない人、仕事以外の話題がない人、奥さんを仕事にかまけて家に置いて放っておく人。子供と遊ばない人。 それとは逆に、大人らしい大人とは。上司に対して仕事を家庭のためにという理由で拒否できる人、子供や老人と、そして大変重要なことだがご婦人や近隣とも同じ立場で話題がもてる人なのだ。 ここまでハッキリ言われるとショックなんていう人もいるだろうが、そういう自覚症状のある人はまだ軽症なのだ。 |
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| なぜこんなことが大人の世界に起こっているのだろうか?そんな関心から小此木先生の著書を覗いてみた。そこで飛び出した言葉が「モラトリアム人間化=大人猶予期間化人間」という精神科学上の概念だった。 | ||
「らくらく上達インラインスケートBOOK」ノースランド出版、1998、P56の写真を下絵にしました。モデルは森正樹さん。この本では山北しのぶさん、寺田良太さん、と日本のプロを代表する3人がモデルになっている見事な初心者にも親切なハンドブック。勿論エキスパートにも示唆するものが多い!! Illustlation - YOSHINO masaki 2003 |
「古典的な概念規定ではおとなになっていないと言える現代の大人は、その存在全体がモラトリアム人間化していると言うこともできます。……一般に言われる今の大人とは、表面的に社会に出て、企業に就職したり、結婚したり(資格を採ったり)してゆく人ですが、これは古典的な意味では”ほんとうのおとな”とはいえません。……つまり、大人とは何かを考えると、いまのところ残されているのは年齢や身体的条件など外的な定義しかありません。現代では、内面的には何をもっておとなというのかは、とてもむずかしくなってしまっています。」(「ジゾイド人間」小此木啓吾、ちくま学芸文庫版1993) | |
| 外見からだけ判断する、いまのわれわれの常識から大人を見るとき、マサドンは子供のような人間であり、幼稚な大人に見えるに違いない。ここで問題になるのが「古典的な意味での大人」だろう。古典的には大人は13才ころに訪れている。元服という儀式は大人になるためのセレモニーでありシチュエーションであった。そこでは外見がいかに幼くても大人としての内面的な装備を要求されていた。「素養」ということばが実際あった、これなんかも内面的な水準を計った言葉だ。これを現代風に変換すると「素養⇒資格⇒外的要因」だったりする。だがこれは古典的な大人に求められるものではなかった。 | ||
ニューヨークのインラインスケート専用車線のマーキング Illustlation - YOSHINO masaki 2002 |
「大人らしい大人とは」なにかをもう少し敷衍すると、子供、老人そして女性と同じ時間を共有する場所に居るということを求めていることが分かろう。これは古典的な大人の大事な事柄だった。つまり躾=シツケや教育をする主体は近隣や親などの大人に負荷されていることであった。決してその主体を外部の専門家である教育者に丸投げしなかったんだ。 昔はサラリーマンも商家も、だいたいどこの家庭でも晩飯には父親を中心にして家族が必ず集まっていた。こういうことは、今では想像することが難しくなっているけど、日本だって一家団らんと近隣の参加というものが日常世界に組み込まれていたということだ。例外はあるものの、残業のない江戸っ子の家庭は長屋の開放的な建築構造と相まって自然とこの基準に適合してしまう。江戸っ子は家に住まない、街に住むのだった。これは大人を大人にする重要な要素であった。 |
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| さて、この基準を使って小此木先生が自己診断したところが面白いのだが、「私の家族からみると私は”要注意”程度のピーターパン症候群だった」と言って笑っている。 さて、ピーターパン症候群の遠因はという問題が浮かんでくる。小此木によると、この精神状態の遠因は”マザコン”にありというのだ。おやおや、そこに来たかと言う感じだが、なかなか説得力がある。父親不在の家庭はどうしてもマザコンを再生産する基盤に成りやすいことは理解できる。 |
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| まあこのくらいで十分であろう、すでに触れたが”光が丘パイロンズの子供達”がそして”ジョジョ君”が囲まれている世界とはこういう大人と繋がりのある世界なのだ。インラインスケートを通じて夫婦が同じ話題を持ち、それを子供が共有するということの大切さがここにはっきりと現れている。大人が大人になるには子供と対等になって一緒に遊ぶことだ。 岡本太郎流にいえば”子供と真っ正面から付き合え”ということか。 これは大人がピーターパン・シンドロームに巻き込まれないための方策でもある。そうして、一度ピーターパン症候群にかかった大人を治療する薬でもあるのだ。 |
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| さあ、どうやら結論がでたね! 私の精神状態が幼児化シンドロームに見えた大人達のほうがむしろ危ないということだな! 子供達と一緒になって夢中になって遊ぶ「光が丘パイロンズ」の大人が正真正銘の”本当の大人”だったことになる。 |
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