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| このエッセイを「東京にsk8の祭り」を夢見ている、さいとーさんと日本中の江戸っ子や世界中に広がる彼の友人達の情熱に捧げる | 改訂 2003.6.15 初版 2001.12.20 |
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| 『運転手さん……俺はびっくりしたよー!』 『……?』 『なにしろねー後ろでだよ、……ものすごい地響きが近づいてきたんだ。ゴーというすごい音だったよー!』 『ほー……』 『一体なんだろうと、振り返ってみたんだよーそうしたらだねー……信じられるかよー?数えられないほどの人間が広いシャンゼリゼいっぱいに広がってすごいスピードで迫ってきたんだ!』 『……うーん』 『 それが全部インラインスケーターだって分かったときは度肝を抜かれたねー……一体全体こんなことってあるのかと信じられなかったよー!!』 『……』 『日本じゃ見たことも聞いたこともないじゃん!!』 『それは、最近のこと?……』 『いまパリから帰ってきたところさ!』 『ホーゥ!……』 |
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| タクシードライバーは偶然のことから、ひょんな話を聞かされることがある。その度に耳学問は養われることとなるのだが。世間は広いから、それこそダーティーな世界の話から、心温まる話、身につまされる話など、なかには秘密の話なんかも飛び出すこともある。こうした話の多くは公開は出来ない、守秘義務というものがタクシードライバーには課せられているからだ。しかしそうは言っても、固有名詞などを除いて、特に差し障りの無い部分は遠慮は要らない。 | ||
![]() 少年の写真はパリローラーからCes photos sont signs Alain ERNOULT,photographe professionnel venu en reportage le vendredi 19 juin 1998 pour le magazine Focus 2003年から、この写真はパリローラーのサイトでは閲覧できなくなったので転載することにした。 |
この話などはその部類だから誰も被害を受けることはない。こういうことは、これからもじゃんじゃん書きたいものだ。 たまたま、箱崎シティーエアーターミナルからの乗客と雑談していた。話はいつのまにか、インラインスケートになった。乗客は見てきたばかりの光景をかなり興奮して語り始めた。 |
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| ここは、営業車のトランクの中にインラインスケートを放り込んでいるほどのマサドンだ。スケートショップで手に入れたビデオでそれに近い光景を見てはいた。どうやらアメリカの事情はかなりのものらしい。当初、入ってくる情報は主にローラーブレードのアメリカからのものが圧倒的だった。噂に聞くだけ、あるいは新聞で紹介されたりする情報だけだった。 ニューヨークのセントラルパークを走り抜ける様子、あるいは西海岸の光の下でのびのびと滑るすがた、などを想像するたびに、なんとも羨ましく思っていた。 だが、このパリの話はその想像力を超えていたのだ。この頃のマサドンはパリのこうした話には初めて接するものだった。 |
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| 夢中で話しかける乗客の声を聞きながら「パリ燃ゆ」という大仏次郎の小説の題名を思い出していた。 ……うーん!これは凄い!まさに、パリは……燃えている! フランスは自由の女神をアメリカにプレゼントした国だ。フランス国民の誇は自由の精神にある。パリが燃えたのもその自由を得るためだった。そして今、パリは二度目の自由を手にしようとフランスの市民とスケーターが燃えている。 さすがというべきだろう、シャンソン・ファンのマサドンにはこれを黙って放っておくことは出来ない。 |
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| さいとーさんは”roamingcity"と名付けたサイトを発信している。これは”自由な街角”とでもいう意味だろうか。ここに、素敵なエッセイがある。街を滑走する自由について、大変しっかりした哲学をもってインラインスケートの問題を追求しているので、是非このエッセイを参考にして欲しいもの。さいとーさんはこのサイトを光るウイール(インラインスケートの車輪)を輸入販売する目的で開設したとのこと。この、光るウイールをマサドンはストリート・バロック・アーティストの必需アイテムとして推薦する。エッセイ「2050年の旅(1)アスファルト・バロック」に詳しく記したのでご覧いただきたいものだなー!! | ”僕の目標はパリです!” 初冬の日差しがまぶしい丸の内でさいとーさんはぽつんと語った。2001年11月11日の日曜日、マサドンは彼が夢見ているパリに繋がる東京の一端に居たのだ。 それまでマサドンは、パリが何故インラインスケートのメッカなのだかを理解していなかった。毎週金曜日の夜そのイベントはすでに5年ものあいだ続けられていることも知らなかった。まだこの出会いがあるまでのマサドンには、箱崎から乗せた乗客の話が消化し切れていなかったのだ。 |
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![]() 下町のオジサン、この写真はパリローラーに掲載のもの Ces photos sont signs Alain ERNOULT,photographe professionnel venu en reportage le vendredi 19 juin 1998 pour le magazine Focus 2003年から、この写真はパリローラーのサイトでは閲覧できなくなったので転載することにした。 |
このさいとーさんの一言で、自宅に戻るやいなや、早速サイトの検索をした。……うーん、なるほど、あった!……パリがスケーターで埋め尽くされている!照明に浮かび上ったエッフェル塔を背景に無数のスケーターが滑っている。階段を逆立ち上がりするスケーターがストロボに浮かんでいる。オテル・ド・ルーブルのネオンサインが輝く広場ではダンスが始まる、すごい数だ。頭を丸刈りにした中年のスケーターがドリンクの缶を片手に、首から携帯をぶるさげてこちらを凝視している。その姿はこの人物の人生まるごと、生き様そのもの、個性的な服装と装備、すごい表現力だ!ブーツはと見ればなんと昔のローラースケート!!うーん……懐かしくなってくるマサドンは、下町は裏長屋の祭り好きなおっさんそのものをこの人物に見た。 | |
| 群衆の中にはバギー車に彼女を乗せて得意そうにあたりを見回すスケーターが居たりする。メトロの階段をインラインで駆け上ってきたばかりの人物が笑顔で横切ろうとする。どう見てもその顔、その体つき、髪の毛の様子から中年の紳士だ!さすが、と唸ってしまうこういう場面をフォーカス誌のカメラマンが見事に捉えている。 今回、改訂するに当たってこのプロの写真家の写した作品を転載することにした。2003年入って、パリローラーのサイトに掲載されていたこのアルバムが消えたからだ。 |
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![]() パリローラーポリスCRS、市民の祭りをサポートする警察組織として創られた。 Ces photos sont signs Alain ERNOULT,photographe professionnel venu en reportage le vendredi 19 juin 1998 pour le magazine Focus 2003年から、この写真はパリローラーのサイトでは閲覧できなくなったので転載することにした。 |
この夜のイベントの責任者の一人と思われる人物はかなり高齢ではないかと思われる。満足そうな微笑みで老人の顔が、パリローラーのロゴ文字が印刷されたスタッフ用のTシャツに乗っかっている。この老人を先頭に夜のメインストリートを若いスタッフ達が取り囲んで疾走している光景はなんと下町と似ていることだ。少年の姿もある、光が丘パイロンズの子供たちと少しも変わらない可愛さだ。ハロウィン滑走は真っ昼間、メインストリートを思い思いの仮装で楽しんでいる。うーん……これは祭りだ、江戸っ子の祭りそのものの世界だ!パリはマツリに燃えている!!名付けて”The Paris Friday Night Fever Skate” | |
| パリローラーで、ひとつ目を引くことがあった。インラインスケートを履いて参加者と談笑する警察官の姿だ。パリCRSローラーチームと言う。マサドンはこの存在はすでに日本でも新聞で聞き知っていた。日刊スポーツの1998年6月11日の記事は、W杯フランス大会の警備に機動力のあるインラインスケートが選ばれたと記されている。交通渋滞のさなかの警備にローラースケートの機動力は抜群だと判断したというのだ。「ローラーポリス」とこの記事を書いたロイターの記者が呼んだパリCRSは8人で編成されている。パリローラーのサイトの写真でも、やはり8人のポリスが滑走訓練をしている光景が紹介されている。いつどちらがパリCRS編成の事由だったのかはこれだけでは判断できないが。いずれにせよ、パリ警察がインラインスケートを高く評価していることはハッキリしたのだ! | ||
| ここで、街中を滑走するインラインスケーターにとって、日常的に関わりの大きな日本の警察組織のことを振り返っておこう。明治維新期の混乱が一応の落ち着きを見せた明治5年(1872)、東京警視庁初代総監の川路利良は当時国際的にもっとも名声の高かったパリ市警察が日常生活の雑多で付随的な問題のすべてを網羅した仕事をこなしていることをパリに視察の目的で来て知った。そのなかでも特に川路の目を引いたのが、パリ市民にきめの細かいサービスをする交番だった。川路は帰国すると早速パリ市警察を模倣した組織を造ることを目指したのだ。これが日本の警察の原型となった。 かつて、パリは日本の警察の目標だったのだ! |
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![]() Collage - YOSHINO masaki 2001 |
パリ・ローラーの集まりは600人の規模にふくらんだ時点で、パリ市警察の要請を受け、主催者団体を作ったのだそうだ。つまりこの時ハッキリとスケーターは公道上の滑走する市民権と市民として果たすべき義務を得たものと考えてよい。その間、ながいディスカッションが警察とスケーターとの間で行われたことと想像できる。主催者団体の中にかなりの高齢者が加わっていることもその現れかも知れない。 パリのように、東京の警察官がインラインスケートを履いて東京ローラー・フィーバーを警備する姿がいつか実現するのであろうか?これもまた楽しい光景ではなかろうかとマサドンは思うのだ。 |
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| マサドンはタクシードライバーだから、交通安全に誰よりも関心が深いことを解ってもらえると思う。また、長い経験からいろいろな場面を体験して来たことも。だから、スケーターが市民権をメインストリートの上に得るということに同じスケーターとして特別の関心をもつのだ。 | ||
![]() パリの地下鉄、こんな光景がごく日常になった。 Ces photos sont signs Alain ERNOULT,photographe professionnel venu en reportage le vendredi 19 juin 1998 pour le magazine Focus 2003年から、この写真はパリローラーのサイトでは閲覧できなくなったので転載することにした。 |
パリ市内では5分間に一人のインラインスケーターに出会うと言われている。もうすでに完全にスケーターが市民権を獲得しているのだ。強調しなければならないのは、金曜日の夜だけではなくなっているのだ。昼間、地下鉄の出入り口から飛び出してきた紳士スケーターが日常的な光景として街の中にとけ込んでいる。金曜の夜の見事に制御された祭りによって、スケーターと市民との間の相対的交通安全原理が確立できたからこその光景だ! マサドンがパリ警察の要請は素敵な決断だと思うのはこうした立場からのものだ。 |
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| 新丸ビル前の花崗岩で舗装された美しい歩道上が休憩場所となった。この日、マサドンはネット上で企画されたイベントに落ち合うために上野駅前から滑ってくるスケーターの一団を待機していた。上の駅からのシティーランの足を休めながら「僕の目標はパリです」と熱く語ったさいとーさんはなかなかの国際派だ。 |
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| さいとーさんとその友人達はシティーランという日本製英語を生み出した。”街は走る”とでもいう意味になろうか、変な英語には違いない。しかし、相対性原理から言えばスジの通った造語になる。アインシュタインが歓声をあげることマサドンは請け合いだなー!だが、ほんとうにこのシティーランという日本製英語を喜んでくれるのは祭りの原型を極めていた猛烈江戸っ子の岡本太郎だ! | ||
| 東京のシティーランナー達は滑走の自由と市民の果たすべき義務についても熱心に考えていた。この問題にたいするパリ警察のサービスは徹底している。それはパリ市民の安全と交通の確保をマツリと両立させるためのアイデアとして大変質の高いものと評価でる。さいとーさんもこのことについて「やはり大集団で道路を占拠し、しかも警察が先導するような環境だからこそできることだと思います」と明快に答えを出している。 | ||
| シティーランという造語はよく考えてみると、交通ルールの相対性原理にも最適の言葉になっているだはないか! 街が走る、そう、向こうから街が走ってくるのだ!だれかが街と道路の王様ではない、車も、歩く人、自転車、みんな相対的交通安全原理の下では平等なのだ。だれも特権をもっていないのだ!特権のない交通ルール、それがこの相対交通ルールだ!! |
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| 江戸の祭りも時代が封建社会ということもあって、厳しい規制があった。江戸っ子は野放図に祭りを行った訳ではない。だが、祭りはあくまでも心と体の解放をもたらすものでなければやる意味がない。じゃーどうゆうのを祭りというのだ?……そう、恐らくあなたももう少し詳しく知りたいと思うのではなかろうか。そのためにも相対交通ルールのことは知っておく必要があるだろう。この辺の事情はパリローラーではどんなだろうか? | ||
| 「パリのルール」江下雅之著、七賢出版・2000、はパリローラーに参加するための様々なノウハウを集約している。人気のパリ案内書なのだそうだ。その江下氏がパリローラーに参加した体験談を「パリローラーへの道」に記してくれた。このエッセイから一部を以下に抜粋して転載させていただくとしよう。 | 作家の江下雅之さんは、パリに留学滞在していた1999年2月からラスト・シティーランの7月までをパリ・ローラーへの参加で楽しく飾った。その祭りの記録をネット上で私たちにプレゼントしたのだ。そのお陰だ!まるでパリに居るかのような臨場感を、それも親切に添えられた地図の助けもあって、たちまち東京でナイトフィーバーを味わうことがマサドンはできた。ありがとう! 祭りの生き生きとした空気と、パリCRSローラーチームの活動ぶりはこうしてパリから東京に空気ごともたらされたのだ。 |
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![]() Collage - YOSHINO masaki 2001 |
江下雅之さんのパリローラー(1) | 日記風に記された江下氏のエッセイはこんな風にしてはじまる。 1999年2月28日 「ふと気づくと、妙に騒々しい声が聞こえてきた。おまけに天気がいいのに俄雨のような「ざーっ」という音。もしやと思って外を眺めたら、ローラースケーターたちが延々と道を滑っていた。……PARI ROLLERとは、ローラースケートの愛好家たちの団体である。昨年来、毎週金曜の夜になるとPlace d'Italieで集合し、パリ市内を三時間滑走している。警察が先導して車道上を滑り、行進列の最後尾にはボランティアが自転車でケアするなど、けっこう大がかりな体制で活動がおこなわれている。」 |
| 江下雅之さんのパリローラー(2) | 当の江下氏もなかなかの強者だ。 「小学生時代は、アメリカのローラーゲーム・チーム、LAサンダーバードに熱狂し、学生時代には週末になると代々木公園や駒沢公園で空き缶を並べて滑りまくり、会社員となってからも時折後楽園のリンクで滑走していたワタクシとしては、パリ市内の車道をおおっぴらにスケートで滑るなんてことは、じつに魅力にみちみちたことであった。ああ、足がうずく。」……オー居ますねー好きな人が!! |
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| 江下雅之さんのパリローラー(3) | 雨の一日 「集合場所のPlace d'Italie Gaumont前には、すでにスケーターが200人ほどたむろしていた。まあ、小雨ということで、集まりが悪いのだろう。車道の脇には先導の白バイ隊と付き添い警護のパリCRSローラー・チームがいた。」 |
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| 江下雅之さんのパリローラー(4) | 1999年2月26日、途中リタイアしてしまった。 「時間にして23時半ごろ、行程の半分ぐらいったところですかね。もうひと息頑張ろうとも思いかけたのだけど、足の踏ん張りがぜんぜん効かなくなってしまった。で、帰りはAssemble Nationaleの前あたりでタクシーを拾って帰宅。階段をあがるのもしんどかったから、やっぱリタイヤは正解だった。中国系のタクシーの運転手からは、「スケートかい?」と聞かれました。自宅に着くまでいろいろ話してきたんだけど、なんでもバカンスあけの9月が参加者のピークで、天気のいい日には5000人以上集まるそうな。そういうときは、タクシーの仕事もあがったりだそうです。そりゃそうだなわな。」 |
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| 江下雅之さんのパリローラー(5) | 「車道をスケートで滑ったことのある人ならご存じのとおり、路面の凹凸があるんでかなり脚力がいるんですよね。おまけにRue de TolbiacとRue d'Alesiaが延々と昇りだったので、これで一気に息があがってしまった。……モンパルナス・タワー近辺の売店で水を買っているうちに列の最後尾になってしまった。一応、水は用意したのだけど、25CLボトル一本だったのが敗因でした。」 | |
![]() Collage - YOSHINO masaki 2001 |
江下雅之さんのパリローラー(6) | 「最後尾になると、スタッフとCRSローラー隊のプレッシャーをもろに受けてしまう。なにしろすぐ横で拡声器を使って「Allez vite !=頑張れ」と煽られちゃう。」 なるほど、祭りは甘くなかった!! |
| 江下雅之さんのパリローラー(7) | 「いやしかし、街並みを楽しむゆとりはほとんどなかったけど、車道を堂々と滑れるのは気持ちがいい。路面状態からすれば歩道の方が楽なんだけど、なにせパリの歩道ったら犬のクソがそこいらじゅうにありますから(笑)。」 どうだろー……シティーランの気分って……まーこういうもんだろうと共感を覚える。祭りの開放感がここにある!! |
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| パリの祭りをチョットのぞくとこんな具合だ!!さて……ここに祭りの名解説がある、江戸の、そして封建時代の祭りとはどんなものだったかじつに見事に描いているのでご紹介したいと思う。 | ||
画家、彫刻家、建築家、家具職人、テレビタレント、哲学者、精神科医、エッセイスト、ピアニスト、写真家、ダンサー、民俗学者、スキーヤー そして美術史にも偉大な足跡を残した。縄文の美にルネッサンスを、また江戸文化にも再発見を。とくに祭りと尾形光琳の再評価はピカイチ。江戸っ子の本領を発揮した。 岡本太郎、OKAMOTO taro (1911-1996) Illustlation - YOSHINO masaki 2001 |
「江戸時代、市民は桜が咲くと、女房を質に入れてもと、上野や向島へ繰り出して浮かれた。当時は封建制度というきびしい階級制社会下にあったが、お花見のときだけはそのワクを忘れる無礼講の伝統だったんだ。花の下では上下貧富のしきたりがはずされた、貧しい人は日頃のウップンを陽気にぶちまける。そして、富貴な人は、庶民達とおなじ場所、おなじ雰囲気の中で遊ぶことで、普段の空しさが満たされた。すべての人が抑えられていた人間性を、花の下の無礼講で再獲得する。ここに分断されていた世界が一つに溶け合うのだ。」(「太郎に訊け!」岡本太郎、青林工藝舎版・2001) |
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| いまは、封建時代じゃない!そう …… 確かにそうだ、だが人間の精神や体が何物かに抑圧されている状況は封建時代とくらべてむしろ勝るのではないのか? こうした反問があればこそ岡本はあえて封建時代の祭りをもっての答えなのだ。道路は便利で効率的だからと車に独占されて、遊び場は端に追いやられた。情報は大量に世界を駆けめぐって休む暇もなく右脳と左脳に引きちぎられようとしている。忙しく、せわしなく、止まることを許さない日常世界と、勤務時間。原子力は次々と事故を誘発して害毒を振りまき、巨額の処理費を必要としている。地球の温暖化は危機的な気象状況をもたらし、人間の生活を圧迫ている。ガンやエイズなど次からつぎえと新手のミクロの悪魔が想像を超えた反撃を与えてきている。封建権力とは異質の見えない何物かから市民の生活は大きな抑圧を受けているのだ。 |
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| シャンソン歌手の瀬間千恵さんは大型犬のアリスとチャムを細い体で精一杯ふんばって散歩に連れ出す。大型犬二匹はなかなかの牽引力だ。頭が良くて穏やかな犬とは言え、よくぞという風情。 マサドンのシティーラン・コースと千恵さん達の散歩コースが交差する。そんなときに、軽い挨拶が交わされるマサドンの大事なギャラリーの一人、いや一人と二匹だ。うちのカミさんとは幼なじみだから、なにかと昔の話題や時々の話が豊富だ。弟さんは山梨の山の中で自然農法の農場を経営している。 あるとき千恵さんが大きな目を更にまーあるくして言った。(なにかに感心したり感動したときのこの人の仕草で) ”スケートって地球に優しいね!!” |
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これだ!……そう、インラインスケートは地球に優しいのだ!都会ではなにかと今は邪魔者扱いだ、だが視点をかえればこれほど環境に優しいスポーツはなかなか他にない。アウトドア・スポーツの中で同格として思いつくままに考えられるもの、自転車、水泳、ジョギング、マラソン、それにゴルフを除く球技などがあろう。際どいところだが、スキーやアイススポーツは今や大量の電力、そして自然環境を浪費することを考えると、簡単には地球に優しいとは言えないかもしれない。 このへんはなかなか微妙な問題があろうと思う。エコロジーの世界は極めて巨察的な叡知で判断しなければならない問題があるからだ。いくら部分を精緻に突き詰めても、その立論そのものが無意味になってしまうから。 |
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| インラインスケートはエコロジー・スポーツの代表格と言っても過言ではない。これはパリ・ローラーの基底にながれる哲学に連なる問題意識だ!大事なことは、市民と警察が深いところでこのことを理解しているという知的な連帯が感じられるところにある。 このような状況はアムステルダム市民の場合においても同じようにあることを忘れてはならないだろう。 マサドンは大きな声でいうのだ!……、パリ市民は偉大である!アムステルダム市民は偉大である!……地球人は偉大である! |
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| マサドンはとうとう”ラ・マルセイエーズ”の替え歌を作ってしまったのだ、インラインスケーターへの賛歌だ!エコロジー・スポーツへの賛歌がこれだ!地球人による地球人のための祭りの賛歌を! 時代は変わった、今は封建時代ではない、王制時代でもない、ラ・マルセイエーズに歌われるような獰猛な兵士は今はいない、卑しい暴君もいない、奴隷と裏切り者と陰謀を企てた王どももいない、卑劣な足枷もいまはない、ブイエ将軍の共謀者もいない。だが地球は危機に瀕している、この小さな容器の中の脳髄はずたずたに引き裂かれようとしている。この華奢な身体は超ミクロの害毒の侵入に曝されている。 小さな一歩しか市民は進めない、他になにも手段がないのだ。みんなで手をつないで自分たちの体で、足だけで、小さな一歩を進むしかない。無抵抗の聖人ガンジーがしたように、ただ静かに歩むしかない。 |
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| 神聖なる地球愛よ、 我らの愛のブーツを導き、支えたまえ! 自由の女神よ、愛しき自由の女神よ、 君の擁護者とともに滑りたまえ! 我々のウイールの下、勝利の女神が 君の雄雄しい滑走に駆けつけんことを、 君の生命と自然環境の敵どもが 君の勝利と我らの栄光を見んことを! |
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| 僕たちは道にスケートを踏み出すだろう 僕たちの先人がもはやいなくなった時には。 僕たちは見つけるだろう、地球の敵の亡骸と、 彼らの悪徳の跡を。 彼らより僕たちは気高い誇りを持つだろう。 彼らの誤りを根気よく正し、優しく導くという誇りを! ……くりかえし |
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