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| 改訂 2003.6.20 初版 2001.9.28 |
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| 子供の頃、私の暮らしていた下町には粋な大人が沢山いたものだ。彼らに共通していることといえば、みんな遊びが好きで、遊びが巧かったらしい。……らしい、というのは子供の私には確認しようにも出来ないものが大人の世界にあったからだが、それにしても粋な世界がどんなものかはその空気でよくわかった。そうした大人達が子供に対してそれなりの遊びを教えてくれてもいた。その中で子供の遊びに熟達した大人たちは子供達の憧憬を集めていたのは、まー至極当然のことだろう。 | ||
| 「S字」という遊びは、道路いっぱいにチョークで陣地をS字状態に描いてのドッジボールだが、これには大人も飛び入りで加わったりした。年長者も幼い子供も一緒に遊べるから人気があった。ローラースケートもこの部類に入ってくる。やはり大人も子供も一緒になって遊べると言う点では共通している。下町では表通りは舗装されていたから、夕方の道路はこの遊びで子供も大人も夢中になって汗を流していた。しかし、こうした遊びが通行する車や自転車の邪魔になるという時代が迫ってきていた。 | ||
| そうこうするうちに、世の中はかなりの勢いで変ってゆく。高度経済成長のいくつかの前段階を踏んで次第に大人は”いそがしい……いそがしい……”を連発するようになってゆく。横丁からは大人達の姿がきえて、大人だけの世界から出てこなくなる。仕事と歓楽街とゴルフが大人の居場所になってゆく。子供達はそのビジネス予備軍として、学校と塾通いに閉じこめられてしまう。こうなると、遊びは後ろめたい気持ちで眺めるだけのものになってしまった。この辺の事情は……まー、間違ってはいまい! | ||
画家、彫刻家、建築家、家具職人、テレビタレント、哲学者、精神科医、エッセイスト、ピアニスト、写真家、ダンサー、民俗学者、スキーヤーと多才だがヨロズヤではない多元的な人なのだ。 岡本太郎、OKAMOTO taro (1911-1996) Illustlation - YOSHINO masaki 2002 |
サラリーマンは”遊び”と”お遊び”の区別ができない、と断言したのは、かの岡本太郎画伯だ。大のスキー狂で、46才になってからゴルフに見切りをつけての大転向をやってのけた強者だ。”お遊び”から”遊び”の世界へ岡本のいう180度の大転換はいかにしておこなわれたか。岡本画伯に言わせれば、仕事のストレスを発散するだけの酒やゴルフは、ただ”遊ばせてもらう”もの。ましてや、接待の酒やゴルフは接待する方も、またされる方も仕事の延長にすぎない。いかに、「遊び」のようにみえても、それはやはりビジネスの一部なのだ。これは、接待業の世界に組み込まれたタクシー業界では常識というものだ。 | |
![]() Collage - YOSHINO masaki 2003 |
では”遊び”とはなんだろう? ─ おっと、堅苦しい議論と引用はここではやめておこう、それはいずれそんな議論が似合う場所でやろうか。それこそ粋じゃないからね、”お遊び”がどんなものか見当がついてきたのだから、それで今は十分というもの。 | |
| ただ一つ、誤解を避けるために付け加えておこう。ゴルフだって立派なスポーツ、問題はそれを仕事の世界やお遊びの世界に取り込んでしまったサラリーマン文化のほうにあるということだ。つまり純粋になりたっていないところの問題だろう。その点、スキーは通常は接待などには使えないから、件の世界に取り込まれないで”遊び”のなかに居られるということだ。インラインスケートの場合には、なんら説明もいらないくらいこの辺の事情は鮮明であることは分かってもらえると思う。いま「サラリーマン文化」といった、これはマサドンがサラリーマン氏の多くから聞かされた言葉であって、決してサラリーマン文化が在るなどとは思えない。お遊びほど文化から遠いものはないのだ。それは接待ゴルフというシステムがスポーツとは似て非なるものとおなじだ。 | ||
| 粋な江戸っ子は残業をしなかった、その日残った仕事は次の日の早朝片付けていたのだ。私の家の近所にシカゴ銀行のアメリカ人のサラリーマン一家が転居してきた。娘さんが5才、息子のジョジョ君は3才、奥さんは日系二世、という家族構成。さて、父親は大のアイスホッケー好き、日曜ともなると息子を自転車にのせて、10キロはある東伏見アイスアリーナへ。では、問題の平日はというと、夕方5時半には家の前の道路に仁王立ちしている。ジョジョ君が近所の子供と遊んでいるのを見ているのだ。 いきなり、父親が険しい顔をしてジョジョ君のところへ飛んでゆく。バッシーとお尻をたたく音がする……そう”しつけ”をしているのだ。さあ、みなさんがた、この光景をどう思うだな。わたしの育った下町ではこうゆう光景はごく当たり前のこと、普通のことだった。 |
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| なんだ”シカゴっ子”が江戸っ子とおなじことをしている、彼はそれこそ暗いうちに自宅を会社に向かって出勤してゆく。江戸っ子の職人とすこしも変わらないではないか!なんということだ日本のサラリーマン諸君とのこの違い。 嘆いていても仕方がないが、息子と同じ遊びをする父親、息子を厳しくしつける父親、息子から尊敬される父親が確かにここにいる。仕事をいい加減にしているとは思えない父親がここにいる。一方で、会社のためといって家族を後回しにして”頑張る”会社人間は、接待だ、つき合いだと、お遊びでもまたせかせかと忙しそうに頑張る。止まることは許されないかのように。それは、見えないなにものかのため走り続ける、これが”頑張る”というサラリーマン諸君の姿だろう。……これも、違ってはいまい。 |
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![]() llustlation - YOSHINO masaki 2001 |
そこで、とくと考えるため参考に、残業なんてもってのほか、という江戸っ子の生活を見ておきたいと思う。「守貞漫稿」という江戸時代の生活記録がある。喜多川守貞が当時の生活を詳細に記録したものだ。江戸学のニューウーブ石川栄輔氏による解説では江戸時代の人々の生活はこんな風だった。箇条書きにまとめておくと。 | |
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![]() Collage - YOSHINO masaki 2003 |
1,労働時間 | 1, 職人の労働時間は拘束時間が約8時間、その中で休憩時間がかなりゆったりと取ってあって、一日三度の休憩時間を除く実働時間は約4時間。西欧風の日曜日というのはないが、休日は現代より多かった。なにしろ祭りだ、花見だ、といえば前後一週間ぐらい平気で休むし、雨だ雪だといえばこれも休日になったりする。仕事のペースは「紺屋のあさって=納期は遅れて」当たり前。 |
| 2,晩飯は自宅 | 2, 日が水平線に出る少し前、薄暗いうちに起きて出勤、日がまだ高い午後3時か4時には仕事は終わる。シカゴの江戸っ子と同じ。 | |
| 3,安定社会 | 3, 物価と人口は200年間変わらなかった。つまり、少子化時代で経済安定社会だった。このことは、当時すでに高度のワークシェアリング・システムが発達していたということでもあった。つまり、欲を言わなければ何らかの仕事はあったし、働けばなんとか呑気に暮らしてゆけた、ということを意味している。 | |
| 4,職業の自由 | 4, 職人は営業権の自由を持っていた。自分に合った仕事を自由に選んで行商や店舗を開業できたのだ。この中には医者も開業自由だったから藪医者なんていうのが現れるのだが。小咄に「うちの竹藪が枯れたので、先生チョット診てやってくだせー」「おいおい、うちは医者だぞ!」「エッ?……ご近所では評判の藪医者って聞いて来たんですがねー!」 | |
| 5,税金 | 5, 今でいうところの都心の一等地の固定資産税=公役料が坪あたり年間1,000円くらい。これを家賃に上乗せする。チョット外れれば凄く安くなる。税金らしいものといったらこれしかない。 | |
| 6,銀行 | 6, 銀行=両替商は預金すると預かり手数料を取った、今時のように利息などというものは払わない。だから庶民はチョットばかし貯金してもしょうがない。 | |
| 7,NPO福祉シ ステム | 7, 都市住民の江戸っ子には固定資産税以外はほとんど税金は掛からない。その代わり、町内の諸事万事にわたってボランティア活動=NPOシステム(非官僚型公共サービス)が義務づけられている。老人の世話もその中に入っているから、老後の心配は無い。 | |
| 8,衛生環境 | 8, 上下水道と衛生環境は18世紀当時、パリやロンドンなどより進んで、世界最高の設備と循環システムが備わっている。例えば、木製の地下水道設備が玉川上水を町内の水道井戸=水道桝に配水していた。 | |
| 9,教育と出版 | 9, 江戸は文盲率が世界で一番低かった、ということは教育が世界最高のレベルだった。この結果、出版事業が隆盛を極めたから流行作家さえ現れている。就学は自由意志に任されていたから必要と思わない人は行かなかった。身分差別はあったけど、学歴差別は無かったから、現代の教育状況と比べてどっちが子供にとって幸せかはそう簡単には言い切れない。 | |
| 10,外食産業 | 10, 外食産業の多様性ときめの細かさ、これもまた当時では世界最高。味もいい、なをかつ健康食としても最高品質だった。 | |
| 11,旅行 | 11, 国内旅行のためのビザシステム=往来切手が完備していたから、松尾芭蕉のような旅人がごく普通にいるのだ。 | |
| 12,安心都市 | 12, 町内の入り口にはそれぞれ木戸があって、原則的な夜間外出禁止=緩い戒厳令のおかげで、都市としては犯罪が世界一少なかった。 | |
| 13,酒、味噌、醤油、納豆 | 13, 醸造技術が世界一だった、例えば、酒などの低温殺菌技術はフランスより300年以上早く完成させていた。おかげで、灘の生一本を楽しめたのだ。これは結構おおきな幸福を江戸っ子にもたらした。 | |
| 14,娯楽 | 14, 大道芸から歌舞伎まで、娯楽が豊富。 | |
| 15,遊郭 | 15, 花魁システムによって男性社会の短所を補うことが出来た。つまり江戸時代の遊女は明治以降のような人身売買の結果できたものではなく、年期奉公だったから女性の権利はキチンと保護されていた。 | |
| 16,文芸と遊び | 16, 俳諧から浮世絵まで文芸が奥深く、世界的に見ても最高水準にあった。 | |
| 17,ご隠居さん | 17, 隠居システムのお陰で人生を二倍楽しむことが出来た。 | |
| 「大江戸生活事情」(石川栄輔、講談社文庫版 1997)を参考に箇条書きにまとめました。 | 18,コトバ | 18, 江戸言葉を創造した。これは実はすごいことなんだ、フランス人がフランス語を500年もの時間をかけて創ったのと同じ事を50年くらいでやってしまった。まーハングルを創った半島の人々も立派だけど……文化先進地である上方の関西語と地元関東の農民コトバ、それに新たに台頭した職人達のコトバ、これらが統合されて江戸っ子コトバが創造された。ことのついでに花魁コトバも創ってしまった。 |
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| なかなかどうして、結構な社会がここにあった。これじゃー江戸っ子が自慢してもおかしくないだけの立派な都市だったことが納得されるであろう。18項目を箇条書きしたが、これはバロック都市江戸のごく一部の描写である。いずれこの続きはどこかで書きたい。戦争も争いもない平穏な300年があればこそ、こうした社会が成り立っていた。 | ||
| 「光が丘パイロンズ」は東京・練馬区光が丘の公園で活動しているインラインスケートを楽しむグループ。その技術水準は日本でも有数だ! | さて、光が丘パイロンズの子供達ってどうしてあんなに可愛いのか、と家内とよく話し合う。ほんまさんが光が丘の大会などの司会で”かわいい─!!……かわいいー!!!”を連発するのがホントによくわかる。そして、そんなとき私が思うのはジョジョ君とその父親のことだ。ジョジョ君は昼間近所にいる唯一の大人であるマサドンのところへ遊びに来るんだ。玄関のブザーを小さな体をいっぱいに背伸びしてボタンを押している。だから、のぞき窓からはだれも居ないように見える。彼は「マサドンさん遊びましょう!!」と可愛い声で、しかし、大人が訪ねてきたような仕草で言う!! | |
Illustlation - YOSHINO masaki 2003 |
タクシーのローテーションの関係で昼間ご町内シティーランする、こんなときよく顔を合わせるから、いつの間にかマサドンはジョジョ君と友達になってしまった。いっしょにスケートをしたりして遊んでいるとき、彼は一人の人間としての人格を表す、それでいて子供らしい……とても可愛いのだ。これは”父親のしつけ”のじつに偉大な成果だ!これは、パイロンズの子供達の可愛さの中におなじことを私は感じてきた。 | |
| 哲学と言う言葉が好きで、マサドンは青年の頃から親しんできた。ところがである、これほど評判の悪いものもない、たいがい嫌な顔をされるので途中で止めてしまう。しょうがないから、「ポリシー」という言葉に変えてみた。これならまあなんとか受け入れてくれる。う〜ん、そうは言っても何かマサドンにはしっくりこなかった。 | ||
| 下町の人間は哲学という言葉こそ使わないけれど「筋を通せ」と言っていた。マサドンも子供の頃からよく大人に言われたものだ。なにかにつけ、この「スジを……」という傾向は遊び上手で「粋な大人」ほど強かったと思う。だからか若い頃のマサドンは「筋、スジ」と「哲学」とはほぼ同義語と思っていた。江戸っ子の生活を見ると、先に列挙したものを一通り見れば、生活の全体に太いスジを通していることが解るであろう。 | ||
| 青年になってようやく西田哲学がどうのこうの、という議論のあることを知った。これはかなり難解で解ったような気持ちになったり、解ったつもりがフット消えてしまったり。どうも手品にかけられているようで、「スジを!!……」に比べると今ひとつカッチと来ないもどかしさがある。このもどかしさと不可解さが、逆に青年のマサドンにはたまらない魅力でもあった。この感情は嫌悪をも含んでいたから、なかなか複雑な様相を秘めている。 | ||
| 人間の本当のスジを通して生きていた江戸っ子の生活をこうして見てくると、もっと遊びに頑張れと言いたくなるではないか!! | ||
| 江戸っ子みたいに上手に遊びたいと改めてマサドンは思う。しかし、そこには大きな壁が立ちはだかる。幕末、黒船が現れてからこの方、日本は植民地支配の恐怖の下で必死に富国強兵・重産業立国をすすめてきた。この歴史の潮流はいまも惰性によるものか同じ方向にむかって流れている。しかし、それによって江戸文化を破壊し、忘れ去ってきた。このことのツケは教育の荒廃、公害や地球環境の激変、など数えあげたらきりがない。こんな状況のいま、インラインスケーターの姿を見ていると、これからの新しい方向と生きるスジを示唆しているようにマサドンにはおもわれる。それこそ、頑張るなんて粋じゃない……という江戸っ子のような方向だ! | ||
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