■人は二度死ぬ
人は二度死ぬ、といいます。
亡くなった後、遺された者の心の内に生き続け、誰からも忘れ去られた時または思い出してくれる者がいなくなった時、再び、今度は永遠に死ぬのだと。
今年(2002年)2月から、二歳の息子と私が交互に体調を崩し、病院通いが長く続きました。
特に子供が肺炎をきっかけに滲出性中耳炎になった3月から5月はじめまでは、ほぼ毎日を耳鼻科に通って過ごしました。
そんなことが40目前の私には存外の負担だったのか、4月末から薄々感づいていた妊娠の兆候も、常軌を逸した具合の悪さとなり、足許から崩れ落ちる様な脱力感に悩まされました。
何も食べなくても増加して辟易としていた体重も、わずか数日で3s減少、その後もどんどん落ちていきました。
病院で妊娠確実の判断が出たのは5月10日。
たぶん妊娠3、4週、普通の人ならまだ気づかない時期です。
そしていきなり切迫流産(流産しそうな状態)、更にあまりの体調不全に子宮癌の検査もされました。
とりあえず自宅で安静にしているしかなく、不安との闘いは、慣れているとはいえ、辛くないとはいえないものでした。
おまけに子供は情け容赦なく降りかかってくるし(笑)。
その頃から、まだまだ他言するには早い時期だとは充分承知の上で、でも、体調が悪い理由にウソをつくのも何なので、生友さん、ネッ友さんその他、何人にも次々妊娠の事実を告げてまわりました。
やはり早すぎたと後悔することになったのは、6月3日。
検査でお腹の中の赤ちゃんは死んでいました。
いわゆる係留流産です。
6月5日に入院して、6日に手術で死児を掻き出し、7日に退院しました。
泣きました。
どれ程泣いたか。
手術の麻酔がきれかかる頃には既に涙が溢れ、夜に泣き朝に泣き、子供とふたりになるとすぐ泣いていました。
もちろん、これを書きながら今も容赦なく涙が流れます。
三度目の流産で慣れていると、自分では思っていたのですが、子供が生まれてからは初めてで、それまでとは違う、親としての悲しみに打ちのめされました。
初期の流産のほとんどは受精卵に問題があるのであり、母親に責任はありません。
それは知っていましたが、手術の間、麻酔のきいた朦朧とした頭でなお「赤ちゃん、ごめんね、ごめんね」と繰り返していました。
この子と一緒に死んでやらなければこの子があまりに不憫だと、麻酔から目覚めないことをすら願いました。
でも、悲しいことに目覚めてしまった。
あれ程散々だった体調もすっかり元気になってしまった・・・。
それからは妊娠を喜んでくれた人達へ、ダメだったの連絡の日々です。
何が辛いって、みんなを言葉につまらせてしまったこと。
こんなことに世慣れた返事ができる人はいませんから。
特に使いやすい「次があるから」は、長い不妊治療を続けている私には、誰も言えないのです。
話してさえいなければ、こんな思いをさせてしまうこともなく、何も言わずにそのままでいられたのに。
だけど、みんな残念がってくれました。
お会いしたこともないネッ友さんを含め、涙まで流してくれた人もいました。
ふと、思いました。
たとえ社交辞令だったとしても、たくさんの人に残念がってもらって旅立てたあの子は、もしかしたら、闇から闇へ何ごともなかったように連れ去られるよりも、ずっと幸せなのかもしれない。
親として、亡くなった子供を悼んでもらえることは、何よりの供養になるんじゃないか・・・。
その時、冒頭の言葉が浮かびました。
顔も見てやれなかったけれど、あの子は私の中で、そしてもし誰かが時々思い出してくれれば、その人の中で、生きていける。
生き続けてほしい。
話してしまったことを後悔する必要はないのですね。
夢紫五色の掲示板には様々な方がいらして下さっていましたから、さすがに私にとっての妊娠、まして切迫流産の重大さを、すべての方に理解してほしいと望むわけにはいかず、ただ体調が悪いとしか書けませんでした。
そのためにご心配を、とりわけご迷惑をおかけしたことを、申し訳なく思っています。
経緯は上のようなものでしたので、今更ですが、どうぞご理解頂ければ嬉しいです。
そして、もっと事実だけを書こうと思いましたが、悩んだ末に上のような文章になったことをお許し下さい。
(2002.6.17)
■姿 |