<大好きなものたち・1>
〜万葉歌〜 最新の更新 9/23 歌・・・三十一文字を称して短歌とか和歌とか言うものですが、私の好きなのは万葉集。これはやはり、短歌、和歌と呼ぶよりも、一言、「歌」と呼ぶほうがあっています。それも道理で、万葉集の中には短歌以外の形式の歌がたくさん収録されていますから。その中から私の好きな歌を、少しずつ書いてみたいと思います。
(テキストの表記は岩波文庫・『新訂/新訓万葉集上下 佐々木信綱編』にならいました。現代語訳は乏しい理解の範疇で私が書いたものです。私の勝手な感想と、解説を加えました)
多麻川に さらす手作(てづくり) さらさらに
何ぞこの児の ここだ愛(かな)しき多摩川に晒す布がさらさらと鳴るように、どうしてこの人がさらにさらに愛しいのだろう
この歌は何よりも「愛しき」を「かなしき」と読む、その切なさに惚れました(=^^=)。いえ、当時の人の言葉としては「愛しい」は「かなしい」と訓んでいたのでなんということもない当然の表現なのでしょうが、私には普通以上に切実な思いが感じられて、とても好きなのです。今の表現では「哀しいくらい、あなたが好き」・・・とでもなりましょうか。でも、その表現の深さのなんと異なることでしょう!
閨(ねや)で愛しい女性を腕にかき抱いた男性が、思わず知らず口からこぼした囁き・・・
そう勝手に解釈したい所ですが(=^^=)、少し歌の説明をしましょうね。
この歌は東歌の武蔵国の所にあります(巻14・3373)。万葉集の時代、今でいう東京と神奈川の県境の多摩川沿いは、調という租税のための布を産出していたようです。今でも田園調布とか、そのものずばり調布などという地名に、その名残があります。貢納のための布ですから、色を白くするために、女性たちが川に入ってこれを水に晒すのです。さらさら・・・さらさら・・・。おそらく大勢の娘さんたちが、いっせいに川へ出て、きらきらおしゃべりなどしながら仕事にいそしんでいたのではないでしょうか?その中に想う人の姿を見つけた、口べたの東男が、「俺のこの切ない気持ち、お前にわかってもらえたらなあ」などと思って詠んだもの、それがこの素朴かつストレート、でもどうにも喩えようのない情感のある歌なのではと思ったりします。(たしか「この児」には自分の子供、という解釈もあったと思います。でも、せっかくだから、私は恋の歌だと思っています)
さて・・・作者はどう思っているでしょう?(笑)。もっとも東歌に限らず、万葉の歌の多くは、特定の個人の作ではなく、共同体で愛唱されて伝わったものだといいますが・・・。
采女(うねめ)の 袖吹きかへす 明日香風(あすかかぜ)
京(みやこ)を遠み いたづらに吹く昨日までは華やかな采女の袖を吹きかえしていた飛鳥の風も、都が藤原京へうつってしまった今、戯れる袖さえもなく、ただいたずらに吹きつのるだけ・・・
華やかな采女の姿、そしてそこに吹く爽やかな風と重なって、飛鳥の古京を恋うる気持ちがとてもおおらかに表現されていて好きな歌です。私の奈良を恋する気持ちとぴったり一致するのです。
けれど、そんな私の脳天気な感傷とは裏腹に、この歌(巻1・51)にはなかなか難しい裏があるのです。
采女というのは、もともと地方の王が天皇家への服属の証として、自分の娘や一族のうちの容貌美しい女性を差し出した、いわば人身御供ですから、それだけで様々な想像をかきたててくれる存在です。あわよくば天皇のお手つきとなって世継ぎを産むことを、実家一族から期待もされましたから、その姿はおそらく唐風に着飾った、華やかなものだったでしょう。けれど身分としては女官、決して高くはなく、ふるさとにいれば王の子として大切にもされていたものを、見知らぬ土地につれてこられて心許ない中、日々の仕事に加え、天皇の寵を競う争いにも否応なく巻き込まれていく、その胸の内はどんなだったでしょうか。
ふるさとを恋うて慣れぬ飛鳥の地にたたずむ采女。その袖と戯れるように吹く風も、彼女にとっては残酷なものだったかもしれません。そして、この歌を作ったのは志貴皇子(しきのみこ)。壬申の乱でその直系が皇位につくことを許されなくなった、天智天皇の第七皇子。皇子は父帝の治めた飛鳥の地を捨て、新しく藤原の地に都を構える叔母、持統天皇を、どのような目でみていたのでしょう。そして捨てられる都を、どれほど惜しんでいたことでしょう。この時代の、血族が謀殺しあって天皇位を奪い合った事実を考え合わせると、奥の深いものが見えてきます。
そんな背景があってもなお、私には、この歌の持つ明るい爽やかさは変わらず魅力的です。むしろ望郷の哀切な念が実感されて、一層好ましい・・・。飛鳥の魅力を歌ってこれほど私の心を打つものを、他に知りません。
東(ひむかし)の 野にかき(ぎ)ろひの 立つ見えて
かへりみすれば 月西渡(つき、かたぶ)きぬ東の野に陽炎が立つのが見えて、振り返って西を見れば月が傾いている。
この歌ほど、言葉が意味以上のものを伝えることを実感させてくれる歌も少ないでしょう。現代語で意味だけ書けば、「はあ?それで?」と言いたくなる内容(笑)、けれど、この歌の持つ言葉の力はなんと強く豊かなことでしょうか。
朝焼けの東の野は遙かに続き、西の蒼天には細い月(*)が今しも姿を隠さんばかり。返り見るその人の動きには、地球の丸さ・・・いえ、天動説時代の人の見た壮大な天の丸さが感じられる。しかも何だろう、この息も絶えんばかりの哀しくなりそうな雄大さは・・・。
この歌(巻1・48)は柿本人麻呂の作。軽皇子が阿騎野で泊まりがけの狩りをするのに付き添っていて作りました。
人麻呂は著名な万葉歌人ですね。生没年は不詳ですが、年代のわかっている歌から、活躍したのはだいたい天武・持統・文武三代の天皇の頃(7世紀終わりから8世紀のはじめ)、壮大な抒情歌を得意とします。
軽皇子(かるのみこ)は後の文武天皇。草壁皇子の子で、聖武天皇の父となります。14歳で天皇になり、24歳で亡くなっています(年齢は単純に生年からの計算です。以下同じ)。
阿騎野は、現在の大宇陀町のあたり。古代には阿騎の大野と呼ばれて大宮人の狩猟の地でした。場所は飛鳥から伊勢へ抜ける所、長谷寺や室生寺などの南にあたります。さてちょっくら歴史のお話になりますが、古代に壬申の乱というのがあったこと、覚えてますか?(^^)。天武天皇(当時大海人おおあまの皇子)が、兄天智天皇の息子大友皇子から政権を奪った闘いですね。自分がそんなことして皇位についたので、天武とその皇后持統(当時宇野讃良うののさらら皇女)は、皇位継承に非常に敏感になりました。特に持統は、天武の他の妃たちの皇子でなく、自分の一人息子草壁を次期天皇にする心づもりでいました。
ところがどっこい、草壁は病弱だったもので、天武の死後もなかなか即位が出来ません。こりゃまずい、恋敵たちの息子に皇位とられちゃう(;;)ってんで、母持統は自ら政権を握り、最大のライバル大津皇子に謀反の罪きせて処刑までして、草壁の即位を待ちます。大津は持統の実の姉さんの子なんですよ〜(;;)。
そんな母の努力も空しく、三年後、草壁は幼い軽皇子を残して27歳で死去してしまいます。こうなったら仕方ない!軽ちゃんが即位できる様になるまで、ばあちゃんの私が天皇やったる!・・・と言うわけで持統が正式に即位したのは草壁の死の翌年です。
その後、即位した軽も24で亡くなり、そのまた一人息子首(おびと)皇子が聖武天皇として即位できる様になるまで、元明・元正の二女帝が、持統にならうかの様に中継ぎ的即位をします。元明は草壁皇子の妃、元正は草壁皇子の娘、軽から見ると母と姉にあたり、首から見ると祖母と伯母にあたります。
この見るからに強烈、強引な天武−持統系皇統独占の努力、実は最後には裏目に出るのですよね・・・聖武天皇には女子しか出来ず、これが孝謙天皇(二度目に皇位についた時は称徳天皇)となった後は、重なるライバル粛正の結果天武の子孫に適当な皇位継承者がおらず、皇統は結局天智の孫光仁に移って現在に至るのです。おまけにその間藤原氏につけ込まれて、平安時代以降の皇室権力の実質的失墜まで引き起こしちゃうしー。あらあ(^^;、ちょーっと長くなりすぎましたね(^^;。でも付け足しちゃおっと(笑)。ここに書いた皇位継承のお話は男系(赤字)に固執したもので、実は持統自らが天智の娘だったりするのですが(笑)、一夫多妻の当時、父ちゃんは誰かが最も重要だったというのは想像できますよね〜。
ざっとこんな流れの中で、人麻呂は早死にした草壁の子、次期天皇間違いなしの軽皇子にくっついて狩り場へ出たのです。同時に詠んだ歌には、軽を讃えると共に亡き草壁を偲ぶ作も含まれます。
と知ってこの歌を見ると(やっと戻ってきたぞ(笑))、東の野の曙光は軽、西の残月は草壁、そして歌そのものは持統への献歌、持統の心に響く様に作ったもの、そんな風にもとれる気がします。どんな思いでか人麻呂が讃えた親子三代の意志の末路は、人麻呂も、本人達も予期せぬ方向に動いたけれど、この歌はいつの時代も変わらず人の心を捉え続けます。言葉の意味以上に、雄大さの中で息が詰まるような、不思議な魅力があると思うのです。それはもしかしたら、景色を詠う様でいて、実は人の心の本音を、母心のおろかしさを突いてみた、彼の作歌態度の副産物かもしれない。壮大な時の流れの中であがく人々への、讃歌だからなのかもしれない。そんな気もしてくるのです。
とは言え私が惚れたのは、あくまでこの歌の言葉の力、調べの魅力なのですがね!(だったらこんなに長く書きなさんな(^^;)
*この歌の月を「細い月」としてしまったことについて、読んで下さった中学生の方から「明け方の西の空に見える月は半月と満月の間の形のはず」というご指摘を頂きました。何かの資料を見て細い月としたはずなのですが、現在(2003.1)調べ直すことが叶いませんので、このままにしています。いずれ(いつになるかな(^^;)調べられた時に、訂正なり追記なり、します。すみません。また、ご指摘ありがとうございました。
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