● 1998年 ●
8.15
昨日三越美術館の「なら・平城京展」を見に行ってきて思ったのですが、人を感動させる力のある絵や彫刻他美術品を展示するのに比べて、こういう展示は主催者の方の力量が問われて大変でしょうねぇ・・・。
素晴らしい文化財なら、そこに置いておくだけで入場者は充分満足しますが、割れた土器とか下手な墨の文字が書かれた板っきれ、それにレプリカなどでは、ただ展示して「見てね!」では誰も来てくれないでしょう(笑)。
興味をひくような説明板、具体的な使用法を描いたパネル、それから「貴族の部屋の復元」「古代の食事」、私が気に入った(笑)「トイレの復元」などなど、展示にも工夫が必要になってきます。
その分、誰にでも本当に楽しめる展示になり得ると思うのですよね。
「覚えるのが苦手だった」というのが、学生さんが歴史を嫌う理由の第一だと思いますが、こういった展示を一度見れば、
「をを!古代のトイレってば、こんなんだったのね!」←こだわる私(爆)
「人間って、昔から他人を呪ったりしてたのね!@@」
なんて興味がわくと思うのです。
興味さえあれば、(子供達が「ポケモン、言えるかな?」って、151匹のポケモンの名前難なく覚えるのと一緒で)、その後いろいろ記憶するのは面白くこそあれ、苦痛でなんかなくなる・・・はずなんですがねぇ。
もっとも、私が数学と化学と物理と英語が嫌いなように、誰でも歴史を好きになれる、とは思いませんけれどね!(^▽^)
8.14
墨染めの衣の有髪の若僧が、
信号無視して自転車で爆走するのを目撃。
そう言えば今はお盆、寺の書き入れ時。
供養のハシゴか?(笑)
<死んだらどうなるのだろう>
その素朴な疑問を抱かなくなって久しい。
記憶にあるのは、
<人は何故生きるのか>
に悩んだことのみ。
生きる「ための」理由はいくらでも見つかるけれど、
生きるわけを知りたかった。
十代・・・も終わりころ、その疑問はふと発展、
<何故、「有」か>
という問いにとりつかれた。以来今もずっと・・・。
人に限らず、この宇宙に限らず、そもそも一切が何故「有」ったのか。
有らねばならなかったのか。
「無」でもよかったはず、
何も存在しなければ、ただそれだけのことだったはず。
答えがあるとは思わない、問い続けていればそれでいい。
時々、すべてが「無」の状態を想像する。
何もない、もとから空間すら存在しない、光も闇も、時間も思念も。
・・・それは今とさして変わらないことだと気づく。
8.6
二日続きで突然の激しい夕立
自転車ごとびしょぬれ 傘は役立たず
誰も彼もイライラと 足を止めて雨のやむのを待つ
駅の出口で、デパートの軒下で、歩道橋の下で
瀑布のような雨に為す術もなく
眉間には皺、口からは文句
私の家ではまた雨漏りしているかもしれない・・・
そんな時ふと思う
最初の人間の祖先は
いったいどんな思いで海から陸へあがったのか
叩きつける雨粒が
少しだけ 懐かしくなった
8.4
ぷしゅ、と聞こえたかすかな音に、
ふと振り向けばその命は既に路面に張り付いていた
三角の黒い羽根だけが対向車の風圧にヒラヒラ揺れて・・・
飛ぶことを知って何日?何時間?
喜びの乱舞のさなか、その命は再びもとの場所へ、帰る
・・・お前の、父に、母に、会えたか?
8.1
就職活動の時期になりましたね!・・・て、もう既に遅いでしょうか?(^^;
この時期になると思い出す、ある着物の会社での入社試験問題の一問。
「海と人間の共通点を述べよ」
あなたはどう答えます?(^^)
・・・
随分妙な問題だなあと思いつつ、私は何の疑問もなく、
「無限の可能性を秘めていること」
と答えました。
後で友達に「こんな変な問題が出たよ!どう答える?」と話していて、
すごいことに気づきました。
なんと、友達は十人が十人とも「塩分を含むこと」と答えたのです!@@
私にとっては青天の霹靂みたいな「塩分」発言、
でも、友達は私が変なのだと言います、たしかに、数ではそうですね(^^;
けれど、私は自分のその変な感性、結構好きでした。
あれから○○年。
人間には無限の可能性があるなんて、今でも素直に言えるでしょうか・・・。
念のため、私も友達もばりばりの文系です。
7.30
形なきはずのものの存在を、
この身にしんしんと受ける。
それは明るい水色のアメーバになって、
病める心を少しずつ染め直してくれる。
目に映るものは、
ただ、パソコンが作り出した文字という形象のみ。
けれど確かに、何よりも確実に存在する、
この息づかい、この気配・・・
私の打つこの文字が、
すべてのあなたへ、
私のありがとうを伝えるといいのだけれど・・・。
7.27
今日は姪っ子のお供で「ポケットモンスター」の映画を観てまいりました。このアニメ、今時珍しいくらい優しさと友情を素直に描いていて、それでいて押しつけがましくないので前々から好きです(^^)。今日観た劇場版は、昨今のクローン動物論議への痛烈な批判・・・というより、むしろ一歩先を行った警告のように感じました。
父から生まれたのでも、母が産んでくれたのでもなく、神の創造ですらない、人が作り出した最強のクローンポケモン、ミューツー。彼はそういう自分の存在に疑問を抱き、何故自分が存在するのか悩みます。そして同じようなクローンポケモンを量産し、コピー元の本物のポケモンたちと闘って、自分たちの方が強いと証明することで、かろうじて存在意義を確認しようとします。何種類ものクローンポケモンが、うり二つの本物ポケモンと闘う様は、人が内部の自己と戦う姿に重なって、非常に切ないものがありました。
結局、クローンであろうが本物であろうが「今、生きている」ということに何の変わりがあろうか!という結論に達することによって、闘いを収めていくわけですが、そのラスト、クローンであるミューツーと、コピー元のミューとの闘いを止めようとして金属に変化してしまった主人公サトシくんに、必死で何度も何度も電気で刺激をおくるピカチューの、ほとんど無心とも見える姿には、もう涙ポロポロ・・・そこが劇場でなければ思いっきり泣くところでした。・・・そう・・・姪っ子のお供とは真っ赤なウソ、明らかに姪をダシに観に行った私です(=^^=)。
<注・ポケモン=ポケットサイズに格納可能な怪獣。人に育てられたり訓練を受けることで強くなります。/ピカチュウ=主人公と仲良しのポケモン。黄色い可愛い子です、オバQのOちゃんやさざえさんのたらちゃんがお好きな人ならきっとピカチュウも好きです(^^)>
7.21
昨日は突然湘南の海へ行きました!(我が県には海がない)
海・・・祖父は小舟をひとりであやつる日本海の漁師でした。
そのせいか私も海が恋しい・・・。しかも日本海が見たい・・・。
日本海と太平洋とで、海の色って違いますよね!
あと、オホーツクと東シナ海も、海の表情が違うと思う・・・。
そう言ったら、昔、恩師に、
「太陽の位置が違うだけでしょう?」
と言われてがっかりしてしまったのですが、どうでしょう?(笑) |