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とっておきの仏像たち・在庫

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とっておきの仏像たち・在庫 東大寺戒壇院四天王立像のうち広目天立像 東大寺法華堂不空羂索観音 渡岸寺十一面観音像 法隆寺献納宝物166番観音像 五部浄像

東大寺戒壇院四天王立像のうち広目天立像


「邪まな者は退くがよい」

観る者を包み込む眼差し、その心中を見つめる瞳を持つ仏像は数多あれど、この広目天の視線には、それに触れようとする者を横へはねのけて顧みない強靱な独特の力を感じる。
時や次元、そんな抽象的な物では一切ない、確かにそこにあるはずの何かをじっと見つめている眼、喩えれば、遼々たる草原の彼方に雪を頂いた山脈の姿を探すかの様な、実に実に遠い目だ。
けれど草原は遙かに広く、探す山の白さは永遠に遠いので、いつの間にか時を、空間を、ひたと見つめざるを得なくなった・・・広目天の、眼を細め眉を寄せた表情からは、そんなことを感じる。
この人の目には、きっと地球は丸くない、あくまでも、どこまでも平らなのだ、見つめ続ける限り。仏像と向かい合ったとき、水平な広がりを感じるのは、この広目天のみかもしれない。

邪な者は退くがよい・・・けれどいつかあなたの視線に入り込むことが出来ますか?

瞳に黒曜石をはめ込まれた等身大のこの像は、仏法の守護神として甲冑を着込み、邪鬼の上に静かに乗っています。下ろした右手に筆を、肘から折った左手には巻物を持って、広目天である証をたてています。ただしこの両手首から先と持ち物は明治時代の後補。

同じ様に目を細めて静かな表情で佇むのは、右手に高く塔を捧げ持つ多聞天。表情は似ているのに、どうしてかこちらはただの不機嫌なおぢさん然としています(爆)。他の二体、持国天と増長天は、まん丸く見開いた目を憤らせています。

この仏像たちが安置されている戒壇院は、東大寺境内の西の端。院とは寺内のある地域のことを言うので、正確には戒壇堂に安置されているということになるようです。でも、一般的には戒壇院の四天王像と呼ばれています。

ここは修学旅行生や団体さんでごったがえしている大仏殿周辺と異なり、いつ訪ねても人気が少なくシンと静まり返った気持ちのよい寺域です。それでもいつだったか数十人の団体さんとはち合わせたことがありました。「しまった、時間をずらそうか・・・」、しかし、その懸念は全くの杞憂、ここまで来る方々は、団体さんでも特に仏像などかお好きな方々のようで、狭い堂内に数十人が入っているにもかかわらず、声一つしません。皆真剣に仏像と対峙しているのです。これにはちょっと感動しました。しかも中にはなんどもなんども四体をまわる方、私以上にしっかりと広目天に張り付いて離れない方などもいて、なんだか嬉しい気持ちになりました(=^^=)。

仏像、ただ見るだけではその魅力は半分伝わればいいところ。せいぜい美術作品としての魅力を感じる程度でしょう、それだってすごいことではありますが。やはり対話が出来てはじめて、その魅力の全容に近づけるのでは?と思っています。美術作品としての完成度の高さは、その対話をさまたげないための最低条件、あるいはその入口みたいなものなのかもしれません。形のどこかに破綻があると、気がそがれて集中できないという経験を幾度もしていますから。

私が気に入った仏像の前で立ち止まり、動かなくなり、そしてやがては何度も訪れることとなるのは、美しいもの、好きなものを見ることの果てに、どれだけ充実した対話が出来るか、それを確かめたいからなのです。それは旅でも人でも同じこと。

そうそう、10年ほど以前までは、須弥壇上に上がって、ほぼ等身大のこの四天王像と同じ目線で鑑賞できたはずです。何を見つめて1300年近い年月を越えてきたのか、ほんのわずか知ることが出来たようで嬉しかったのを覚えています。
その後、いたずらをする人が出てきたためか、壇上には上がれなくなり、四隅に警報装置のセンサーがつけられてしまいました、切ないことです。・・・今もそのままなのでしょうか・・・。


<解説>

東大寺戒壇院四天王立像のうち、広目天像
所蔵 東大寺戒壇堂
740年頃作
塑造(塑土、いわゆる粘土を使ったもの。わら縄などを巻き付けた心木に粘土を何層か重ねてつけて造形し、乾燥させる。細かい造形がしやすい代わりに、重く、崩れやすいなどの欠点もあったため、天平時代に流行したあとは廃れてしまった)

なお戒壇院とは、天平時代に渡来した有名な唐僧鑑真が、大仏殿前で聖武天皇(その頃は既に上皇)らに戒律を授けた時の式場と言える戒壇を、翌年現在地に移転したもの。当時作られた戒壇は、他に下野の薬師寺、筑前の観世音寺にあり、東大寺のものとあわせて三戒壇と呼ばれている。戒律を重んじていた当時、受戒の場である戒壇は、とても重要な意味を持っていた。

ちなみに東大寺の戒壇院、こじんまりとした堂内の中央には、不釣り合いなほどの面積を占めて基壇が設けられています。これが戒壇だと思うのですが、実はよく知らないです(^^;。壇の中央には多宝塔と愛染明王、鑑真和上像が安置され、その四隅に四天王像が安置されています。

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東大寺法華堂不空羂索観音

「行かば行け、戻りたくば戻れ。
我、ただここに在るのみ。
時を従えて汝を見つむるのみ」

およそ厳しいという形容がこれほど身に添う仏像を、他に知らない。
峻厳、冷厳、厳然、厳粛、厳格・・・それらすべてで言うより、一言、厳しいと形容される存在に、どれほど魅了されたことか。

東大寺境内東側の山腹に、奈良時代と鎌倉時代、時を隔てた二つの建物を合体した法華堂と呼ばれる建物がある。俗称三月堂。その正殿に15体もの諸像に囲まれて安置されるのが不空羂索観音(ふくうけんさく(けんざく・けんじゃく)かんのん)。すべての願いは空しからず、という誓いを込めて、羂索という縄状の持物を携える。

像容は、三つの瞳と八本の手を持つ、像高3メートルを越える重厚かつ堂々たる立ち姿。
肉付きのよい面部からは優しさと共に迷いが消え、細く切られた両の伏し目と額の真中に縦に刻みつけられた三番目の眼は、その決して微笑まぬ唇と相まって尊容をいやでも厳しく引き締める。
第一手は胸前で直線的に合掌し、残り6つのかいなを体部に沿ってごく静かにひろげ、それぞれ持物をとる。三番目の左手が持つのが羂索。
八臂(はっぴ)を難なく支える肩から胸部へかけての広く悠揚たる逞しさは、充実した脚部へむかってすらりと収斂する。
膝上で交差する天衣は人を拒むが如く、頭上に頂く銀製透かし彫りに七色の珠を絡めた繊細華美な宝冠や、背後で華麗に輝く光背も、ひたすら貴くあれという願いに塗り込められ、甘く贅沢な装飾の域をはるかに脱している。
しかも不思議なのは、これほどの重量感に富んだ厳然たる像でありながら、まるで質量を無くしたかのように、不思議な浮遊感を漂わせているのだ。

そう、この像には人を受け入れる優しさが、どこにもない。厳しさそのものが手の届かぬ所に存在するのみ。けれどこれほど心惹かれるのは何故だろう。
煩悩の人々の願いをどこまでも果たすのに必要なのは、優しさではなく、厳しさ。厳しさこそが底知れぬ優しさ。不機嫌に立つこの観音は、静かな全身で人の願いを支えている・・・だからか?
それとも、他人にも自分にも媚び、蔓延する浅はかな優しさに飲み込まれて気づかない自分を、ふと正気に戻してくれるからか・・・。

この観音は、鎌倉時代の薄暗い礼堂から自然光の入る奈良時代の正堂へまわると現れる。壁に腰掛けがしつらえてあって、ゆっくり、じっくり対峙することができる。幾組もの修学旅行生をやりすごすうちに、どんな混雑した季節でも、ふと人気のない一瞬が持てるだろう、そんな時、よく全身を眺めてほしい。これほど重厚で、厳粛で、痛い程に重い像が、実はすうっと宙に浮いているのが解るだろうか。
考えた理由は三つ。
一つは、この像が中空の乾漆像(麻布と漆を塗り固める技法)であること。本来金銅製や木彫のものに比して、大きさの割りにそう重くない。素材感がなせる錯覚か?
もう一つはすべて厳しい中の一カ所のほころび、下半身。これが意外とあどけない(笑)。八臂を擁した上半身のあまりにも重厚なことに比べて、下半身は充実しながらもどうしても造形的に弱くなる。逆三角形の体形が錯覚を生むのか?
最後は光背。何の理由か柄が切りつめられているそうで、本来あるべき位置より下がっている。つまりその分、像が上にせり上がって見えるのだ。私の錯覚はこれが原因か。

いずれにせよ1200年の歴史を眼に映して今もここにある。
蔀(しとみ)からの風が如何にうららかでも、この像の厳容はいささかも崩れることはないだろう。


<解説>

東大寺法華堂不空羂索観音
所蔵 東大寺法華堂(三月堂)
8世紀中頃作
脱活乾漆作り

奈良時代、聖武天皇の世、国家の総力をあげて行われた東大寺大仏殿の廬舎那仏、俗に奈良の大仏と称される大仏の造像に際して、すべての障壁を取り除いてほしいと言う願いを込めて作られたのではないか、と言われています。大変呪術力が強い仏と言われています。

これはかなり有名でしょう(^^)。
修学旅行の定番コースですね! 次も東大寺から一体予定してます!

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渡岸寺(向源寺)十一面観音立像

 

「この、罪を見よ」
寂しげな唇がわずかの言葉をもらす。
絢爛豪華な肉体に囲まれて、その表情だけが限りなく静か・・・。

一切の煩悩を昇華させて清冽なまでにくっきりと迷いなき尊顔、対象的に細腰をなまめかしくくねらせて、薫り立つ色香で観る者を惑わせる体部。
なんと不思議な像だろう、この、湖北の農村地帯にポツリと遺された平安初期の観音は。

そう、収蔵庫に入ってその意外と華奢な姿と対面すれば、たいていの人が「仏像がこんなに色っぽくていいのか?」と当惑する。薄衣にすける体、くねる腰、大きなピアスをはめた耳、そして耳横にまであふれ出す頭上の十の仏面さえ、一見高く豪勢に結い上げられた女髪に見えるだろう。
特に入ってすぐの堂内向かって左隅の角から眺めると、突然、下半身にわずかの布をまとっただけの美しい女身像が姿を現す。女性の私でも一瞬ドキリとして、あとしばらくは赤面してしまうあられもない姿態。

ではそれでも何故、この顔はここまで何事もなさげに清らかなのか、むしろ寂しげなほど・・・。

この像は有り難いことに至近距離で四方から眺められる。それでまずは真横にまわると・・・これはどうしたことか、正面の細腰、華奢な姿はどこへやら、どっしりと質朴に大地に根ざした母なる豊かさが我が目を圧倒する。泣いてしまいたいような、忘れて久しい総てを受容してくれる優しさ。同じ像なのか?これが。

そして真後ろ。再び艶っぽく丸みを帯びた腰をくねらせ、欲望の淵に誘うかの様な体部・・・けれど、そこには正面にないくさびが打ち込まれている。それは頭部に埋め込まれた頭上十面の一つ、暴悪大笑面。大きく開けた口を歪ませて笑うその顔は、正面の美しい尊顔の裏で、常に悪の気を吐いていたのだ。

しかし最も観るべきは、像の後ろから見てななめ左側からの尊容。すらりと弓なりに前方へ歩み出す姿は、この像の聖なる気品を示して最たる魅力がある。朝露を集めた柔らかな湖面から、光に満ちた波がすうっと天上へ立ちのぼるかのような、貴き後ろ姿・・・だがその代償として、見る者に残されるのは、不思議にも置いて行かれるという恐怖、不安、焦燥・・・。すがりついても届かぬ久遠の思い。

そして少しわかった。この観音は、我が身に煩悩を付加することで、生まれながらに煩悩と切り離せない、人というものの哀しみを象徴しているのだ。
精神をどんなに磨き立てても、どんなに一切を捨てたつもりになっても、肉体を持つ限り、人は煩悩とは切り離せない。それは色欲にかぎらず。
その業をともに負ってたたずむのだ、この観音は。見捨てることなく、咎と責めることもなく。それはどんな聖性よりなお優しく清らか。まるで哀しみへ乗り出す三日月の舟・・・。
この像が造形美を越えて愛され続け、史上幾たびもの戦火を、近郷の村人が土に埋めてまで守り遺してきた理由はここにあろう。

そして常に人々に問い続ける。

「我が罪の姿を見よ」

だが、生きることは、それほどに罪なのか・・・。


<解説>

渡岸寺(どうがんじ・どがんじ)または向源寺(こうげんじ)十一面観音立像
所蔵 向源寺に所属の渡岸寺観音堂
(滋賀県伊香郡高月町渡岸寺88/JR北陸本線高月駅から徒歩15分)
9世紀作
檜の一木作り

天平年間建立の渡岸寺は織田信長の戦火で廃絶し、現在は地名に残るのみです。地名は「どがんじ」ですが、地元、また古仏ファンには「どうがんじ」のほうが通りがいいです。この仏像が祀られる観音堂は、1900年以降向源寺に所属しています。ですから正式には向源寺の観音像ですが、一般には昔ながらの渡岸寺の十一面観音で通っています。

十一面観音は観音菩薩の数ある変化形の一つで、頭上に11または10(この場合本面と併せて十一面となります)の小さな仏面がついています。日本にあるほとんどの像が、頭上面を冠状に並べたもので、この渡岸寺の十一面観音像のように耳横に二面を配したものは特異です。

やっと少しメジャーな仏像が紹介できました(^^)。それでも仏像ファンには有名ですが、場所柄一般の観光客は足をのばすこともなく、あまり知られていないかもしれません。井上靖の「星と祭り」で一躍有名に・・・なったのはいつのお話でしょう(^^;。いかにも村人に愛されてきたという感じの、気取らない堂内に安置されています。
文中、堂左隅から見ると最も色っぽい、という記述は、10年以上前に訪ねた時、説明の方が、たまたまいらしていた雑誌社の方だか研究者の方だかにこっそり教えてらしたのを、ちょっと盗み聞きしたものです。その位置から見たら本当に色気爆発、すげえ!@@って感じでした。作者の遊び心かも(笑)。

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法隆寺献納宝物166番観音菩薩像(四十八体仏のうち)

 

身長25センチ弱、童顔とほっそりとした体を持つこの立像の観音像は、
世界中の愛らしさを一身に体現するかと思う程、
あまりに可愛いらしい姿をしている。

にっこりと微笑む媚びのない丸い顔、形よく結った高い髪、
心地よくくびれた胴をもつすらりと伸びた体部。
そのシンプルな形を左右から装飾するのは、
まず両頬に垂下するやわらかに折り畳まれた天冠帯、
肩先からそれに重なって蕨手状に外巻きにからむ垂髪、
ひじから先は幅広の天衣がすそ広がりに波を打つ。
そして何より心ひかれるのは、
みぞおちに引き寄せられた両の小さな手で、
おにぎりを握るように大切に抱えられた宝珠!

1300年の以前、何を祈って誰が作らせたのか、
今は法隆寺からの献納宝物の一つとして、
番号がふられ東京国立博物館に収まっている。
俗に「四十八体仏」と呼ばれる同じような小金銅仏群の中にあって、
とりわけ注目されることが少ないのは、
その左右対称形が古拙と受け取られるからだろうか、それとも、
形の似た165番と異なって銘が刻まれていないからか。
小さくて細身であるのに、ふくよかでのびやか、
気取りない自然さの中に宿る気品、
それらは四十八体仏の中でも際だって素晴らしいと思うのだけれど・・・。

そしてなにしろ可愛いらしいので、
逢えるとそこだけほのぼのとした明るい色に染まって見える。
そう、古代から、優しい希望を身にまとったまま、
時の中をここまで歩いてきたのだ。
己が姿を見知った幾多の人間を鬼籍へ見送り、
なお自身は変わらぬ明るさで前へと歩む。
やがて私が灰と化しても、この子は未来を変わらずに進むだろう。
いつまで・・・どこまで?

これは私が「持って帰りたい!」と思う仏像ナンバーワンです、
家に置いてなでてあげたい(=^^=)。
いくら仏像好きの私でも、
悲しい顔やおっかない顔のものは家に置きたくないですが(笑)、
この子が家にいてくれたらさぞやハッピーになれるだろうなと、
そう思える一体です。

「惑うな、自然にまかせればそれで・・・」

そんな鈴のような声が聞こえます。
東博で新設中の法隆寺宝物館が平成11年完成の折りには出陳が期待されます、
機会があれば是非見てやって下さい、おすすめの逸品!(^^)


<解説>

法隆寺献納宝物166番 観音菩薩像 (四十八体仏のうち)
所蔵 東京国立博物館
飛鳥時代(7世紀)作
金銅製

法隆寺献納宝物とは、廃仏毀釈による寺宝散逸を恐れた法隆寺が、明治11年、その一部を皇室に献上したもの。同15年の開館以来東博に管理が移管される。昭和24年、皇室財産処理のためそのほとんどが国有になり、現在に至る。
四十八体仏とは、献納宝物中の小金銅仏群の江戸時代以来の俗称、実際には四十九件、五十七体になる。有名なものには「摩耶夫人及び天人像」がある。
金銅造りとは、銅で鋳造した本体に鍍金仕上げを施したもの。この手法は奈良の大仏を頂点に平安時代以降衰頽。小金銅仏と呼ばれる、体長2,30センチ前後を中心に50センチくらいまでの小さな仏像は、意外と各地のお寺に残っている。

うおお!何故にまたこんなマイナーなものを!(^^;
しかも、四十八体仏の中でも更にマイナー・・・(^^;(^^;(^^;
我ながらちょっと変とは思うものの、好きなものは好き。仕方ないです、はい(笑)。
この番号だけでどの子かわかる方、いらしたら是非メールお待ちします!(^▽^)

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五部浄像

 

奈良は興福寺の、今は新造の国宝館に時々出現する、肩から下の朽ちてない、
頭に象を載せた少年像!
その瞳は遠く虚空を見る。
角度によっては、溢れんばかりの涙をためているようにも、
言いしれぬ怒りを帯びているようにも見える。
この像を最初に見た時、これは絶対に、伸び盛りの息子を死なせた父親が作ったものだと思った。
生きたかった息子の姿を、父は命ぜられた造仏に写し取った。
出来上がったのは「生きたかったのに、何故生かしてくれない?」と問いかける姿。
哀しみと怒りの静かな混在。
時を経て今・・・この像を残した父もとうに亡く、残された像も肩から下を失って久しい。
いずれはその総てが消滅するだろう、あと千年か、二千年か、もっと先か・・・。
それでも、生き続けることの叶わなかった往時の少年が、
不変永久の問いかけとともに観者の向こう側を見続ける。
「何故・・・生きられなかったのだ、私は・・・」

この子の右手が、東京国立博物館に置いてある。
この数年で二度ほど常設展示に出た。
ごろんと無造作に置かれた、壊れた仏像のかけらにすぎないその右手は、
しかし、それ一個で完全な美しさを保っている。
あるべき曲線がそこにある。その驚きは、他に類を見ない。
見ているうちに、そっと触れたい衝動にかられる。
その途端、確乎たる存在の重みが押し寄せ、1200年の時を手中にする幻覚を見る。

それにしても、どうしてこんな所にお手々だけ?(^^;
いずれ、せめて一時だけでも、本体と並べてあげたいものだ。
・・・と、東博の学芸員さんに手紙を書いたことがある(笑)。

何故にとっておきの一番目が、国宝とはいえ壊れたマイナー像なのか?
それは本人にも不明(^^)。
数ある好きな仏像の中で、一番は?と聞かれたら、迷わずこれを挙げるほど、
この五部浄像はお気に入り。


<解説>

五部浄像

奈良の興福寺の旧西金堂安置、八部衆像のうちの一つ。現在は同寺内の国宝館にて、不定期出陳。
欠損した肩下のうち、右手肘から先は、東京国立博物館が所蔵(廃仏毀釈時に流出した模様)。こちらも不定期出陳。
天平時代作(8世紀)
脱活乾漆作り(麻布を漆で何層も塗り固め、表面を木糞漆という漆に木クズなどを混ぜたもので成型する技法。平安以後衰頽)
八部衆とは、天竜八部衆ともいう、仏法を守護する八体の守護神。有名な「阿修羅像」も、ここの八部衆の一体。

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