![]()
![]()
国宝平等院展場所 東京国立博物館
展示は二部屋ばかりのこじんまりしたもの。ただし、内容は濃いですっ!(カッコ内は展示番号) まず最初の部屋には庭園遺構からの出土品や古地図を含む書類関係がずらり。 この部屋で最も気になったのはやはり中央にででんと鎮座ましましてる国宝「梵鐘」(13)でしょう。 その特徴である、全身に施された細かな模様は、天女あり、獅子あり、唐草模様ありで、鐘としては優美繊細なものです。 さて、メインの雲中供養菩薩はもう一つの部屋にあります。 でも、お楽しみはあと(笑)、まずは入口すぐの鳳凰堂壁扉画模写を眺めます。 絵自体は剥離がはげしく、かなり傷んでいます。それに落書きがひどい(><)。何とも評しようがないと思いつつ、一番目立つ落書きの「足利本八」という名前に目が行きました。 さて、雲中供養菩薩52体のうち41体は、一体ずつ磨りガラス状の板をバックに据え付けられ、それが何体かまとめられて一つのブース(?)に収まっています。 別の10体は、平等院内部を模した木の柱に囲まれた白壁にふわふわと浮かぶように展示されていました。 それにしても、この10体は貧乏くじねえ(笑)・・・と、よくカタログを読んでみると、ありゃま、この10体はいずれも「頭部は明治時代の修理で補われた」とあるではありませんか! さて、残る1体は、鳳凰像の横のガラスケースの中にいました(南20(59))。 この雲中供養菩薩たち、その名前や姿から舞い踊る天女の群像みたいに思っていましたが、実は楽器などの持ち物はほとんど後補で、天衣なども削り取られたりして原形がわからないそうですし、残る墨書から密教との関係も指摘されています。 私が最も心ひかれたのは、やはり最も有名な南20号(59)と北25号(38)でした。前者の感想は既に述べましたが、後者はまた香り立つ色香、月光のさやぎを感じるとてもデリケートな像でした。 ちなみに番外の一体は、明治37年に国宝指定された直後に別の場所で見つかったものなのだそうです。今でも一体だけ国宝じゃあないんですよ(笑)、追加で指定してあげればいいのに・・・。 ところで、菩薩たちの乗っている雲の彫りなのですが、皆人が素晴らしいと評するように、それぞれとても豊かな表現で、見ていて楽しいものでした。 そうそう、最後に忘れてはいけないのは、デジタルアーカイブ(とやら(笑))で復元された鳳凰堂内部の制作当時の荘厳の様子!これは綺麗の一言でした、デジタル時代に生まれた恩恵ですね(^^)。
<データ> 東京国立博物館 |
日本国宝展・続記場所 東京国立博物館
まず何と言っても天寿国繍帳(156)。伝世品としては世界最古の刺繍だそうです。橘大郎女が、亡くなった夫・聖徳太子の冥福を祈って622年に作らせたもの。斑鳩の中宮寺に伝わったもので、布としてはもうボロボロです。途中鎌倉時代に模造されたものとあわせて、模様だけのパッチワークみたいに一枚に張りあわせてありますが、その新しい方も・・・と言うか、新しいものの方がボロクタ(笑)、色も落ちてまことに惨めです。模造という浅はかさを目の前に突き出された感じ。(いえ、既にその時代劣化していたでしょうから、本来の姿を少しでも残そうとした気持ちはわかるのですが・・・) 比べて当初の飛鳥時代に刺繍された部分は、色も鮮やか・・・むしろ千年以上の時を経て一層の深みが増し、艶やかな色気すら感じます。どんな糸を使い、どんな染料を使ったのでしょう・・・それ以上に、どんな想いを込めて、一針ひとはり縫いすすめたのでしょうか。橘大郎女本人が針を持ったものかどうかわかりません。でも、悲しみを優しさで埋めるように縫い尽くされた人物画などを見ていると、縫子の采女たちも皆、主人の気持ちを察していたに違いないと思えてくるです。天寿国とは、太子が往生したと信じられたあの世の姿、今は大郎女も、采女たちも皆、太子とともにそこにいるはずです。 残る二点は他でもない、法隆寺の吉祥天立像(175)と四天王立像中の広目天(170)。ともに金堂に安置され、実物はもちろん、写真でもさんざん見たことのある像です。いや〜、まじまじと単体で見るとこんなに素晴らしいものだったとは!@@ 嬉しい驚愕でした(^▽^)。・・・仏像は寺で見てこそ、というのが持論なのですが、法隆寺の金堂は特に暗くて遠目の金網越しにしか見られませんから、こういう展示は心から有り難いです。 吉祥天の前に立ったときは思わず「すごい、こんな美人だったのね!」と叫んでしまいました(笑)、写真では丸顔に見えますが、どことなく面やつれした年上の女(ひと)という感じ。眩しそうな目が「あの、こんな所でさらしものにされて恥ずかしいんですけど?」と、言葉とは裏腹のろうたけた気怠さで訴えかけてくるよう。たおやかな結髪が印象的でしたが、それをすっかり隠してしまうあの頭飾は、もしかして後補なのではないかしら(調べたけれど手持ちの書籍ではわかりませんでした)。 さて、広目天(飛鳥時代・木彫)ですが、裳や袖口の几帳面な衣のひだ・・・と言うかプリーツと呼んだ方が似合うきっちりとした折り目の、ちょっと多すぎやしないか?と思うほどの連続に(笑)、とても心地よいものを感じました。癒しの効果でもあるかのよう。 体部をこれだけ几帳面に表現しながら、顔は対照的に茫漠ととらえどころのない表情にしたのも何か意図があったのでしょうか。「ああもう面倒くさいからあっちへ行ってくれ」と言わんばかりのより処のなさ。正論でかためた弁論中ふとのぞいてしまった本音、まさに武装からはみ出た生身という感じ。 でもって、足下の邪鬼がまた・・・なんともはや、作り物のような・・・って、作り物ですが(笑)、顔とも体部とも異なる人を食った作り(^^;。トイレで用を足したら紙が無くてうへっと言ってるみたい(爆)。けれど、デフォルメしてあるようで実は細かくお腹がたるんでいたり、くるぶしのこぶまで表現されていたりするのですよね〜。本当に面白いです。 ・・・で、面白いと言えば、ここで年輩のおじ様二人の会話をどうしてもご報告しなきゃ(笑)。 と言うわけで、本当は福島の勝常寺の薬師三尊などをもう一度見たいと思って、実は入口から順路を逆行して一番に仏像の部屋へまわったのですが、ごめんなさい、どうしても法隆寺のこの二像に心ひかれたのとは比べようもありませんでした。円成寺の大日さんも霞むほど、私はやはり古いもののほうが好きなようです。
<データ> 東京国立博物館 |
日本国宝展場所 東京国立博物館
こらあ、オヤジども、館内では帽子を脱げ、帽子をっ! なんだってみんながみんな、山男がかぶるみたいな帽子でうろうろしてるんだ?(^^;。私はごく平均の身長だと思うけど、オヤジたちの帽子のつばがちょうど目に刺さる位置に来て邪魔なことこの上ないのよ(怒)、本人だって見にくかろうに・・・。 平日の昼間だというのに、ものすごい人出だったんです。流石に大昔のモナリザや正倉院展の時のような、敷地の外にまで長蛇の列というほどではありませんでしたけどね、それでもゆっくり鑑賞などという雰囲気からはほど遠く・・・。帽子かぶったおじ様やおしゃべり好きなおば様の何がイヤって、そういう人達に限って常設展には目もくれずに帰っていくところです。勿論特展でもない限り、東博になど足も向けないんだよ。国宝だって置いてあるし、そうじゃなくたって良いモノいっぱいあるのに、常設展にもさ。あの人達は何しに来てるんだ? 今日は特に思いました、こういう混雑する展覧会は、時々入館料三倍の日とか、試験に合格しなきゃ入れない日とかを作って欲しい! いや別に金持ちや知識人を優遇せよと言ってるのではなく、高いお金を出したり試験勉強したりしてまで鑑賞したいと思う人に、せめて心地よく鑑賞できる日を与えて欲しいという意味です。人出が今日の十分の一になるなら、入館料三倍、3900円出すよ、私!(←言い出してみたものの試験に受かる自信はないらしい(爆)) あと、あとね、これは誰を恨むことも出来ない、仕方のないことで、私が今日しか行けなかったためなのですが、一番見たかった中宮寺の天寿国繍帳は来週からの展示、次に見たかった京都・龍光院の曜変天目は昨日までの展示だったんです〜(;;)。それがもう残念で残念で残念で・・・あああ、でも、ここで書いたら少しは気が晴れました(^^;。 ほほほ、ちょっとだけのつもりが長く愚痴ってしまいましたね(^^;。気を取り直して会場へGO! 最初に出迎えてくれたのは奈良・薬師寺の「吉祥天画像」(1)。 古い画でへええと感心したのは、他には園城寺の「五部心観」(3)。簡単に言えば曼荼羅中の仏さまをひとつずつ図解した墨絵というような物でしょうか、唐時代の作品です。どの線ひとつとっても息継ぎの切れ目を感じさせない完成度の高さ。この集中力がよく続いたものだとため息が出ます。 それから雪舟の「破墨山水図」(27)。そこにあるのはただの墨のシミ(笑)。けれど間違いなく遠くの岩山であり、近くの木々であり、水面に間近な家々であり・・・とにかく500年前に雪舟さんが「見た」風景そのものなんです! これはすごいことだと思います。細々と説明的に描かれたどんな風景画よりも、ただの墨のシミのほうがより真実に近いだなんて。この絵に感応できるのが日本人だからだとしたら、私はそれだけでもこの国に生まれてよかったと思います。 あとは狩野松栄「遊猿図」(29−4)にあたたかさと優しさを、長谷川等伯「松林図屏風」(31)に何故か怨嗟と悲しみ、生への脱力感、それでもかすかに求めざるを得ない希望、そんなものを感じました。 書跡は、悲しいかな、私にはよく解りません。でも、奈良時代の筆跡は好きです(^^)。ひとつひとつの文字を本当に大切にしている感じがするのですもの。 刀剣では、大阪・四天王寺から「丙子椒林剣」(117)が来ていましたね、聖徳太子ハイ用の伝のある直刀です。虹色にすべるように光っていました。 「花蝶蒔絵挾軾」(129)は何だかしりませんがとても心ひかれました。9世紀の蒔絵のひじかけみたいなものです。どこがと言うことなく、なんとなく綺麗です(笑)。幅11pに対して長さが90pもあるひじかけ・・・現代家具では見慣れない寸法なんで気になるんですね、きっと。 「橘蒔絵手箱及び内容品」(144)は、箱の蒔絵も綺麗でしたが、装飾はむしろ中身の小箱たちのほうが好きでした。丸い小箱の絵柄の間がよかったと思うのだけれど・・・。 蒔絵ではいつも思うのだけれど、本阿弥光悦作の「舟橋蒔絵硯箱」(145)、教科書にも載ってる、甲高の金色の箱の真ん中に斜めに黒い橋の模様が渡っているやつですが、これ、絶対いそべ餅だよ〜(笑)。綺麗とかすごいとか思う前に、立派ないそべ餅だな〜で終わります(^^;、全然好きじゃないのにどうしても気になる存在です(笑)。 曜変天目は見られなかったですが、「卯花墻・うのはながき」の銘を持つ「志野茶碗」(148)はふんわりと優しくてとても素敵でした。茶碗は手にとって眺めたくなるものです。この器で茶を含めば、さぞふくふくと甘く感じることでしょう。神社の鳥居みたいに見える鉄絵の、そのさりげない「線」がこんなにも確かで安心できる美しさを持っているとは・・・。 萬野美術館からは、かわいらしい「玳玻天目・たいひてんもく」(151)が来ていました。こぶりなせいか、見込みに型紙で描いた15個の団花が置かれているせいか、渋い色合いにもかかわらず、とても愛らしい表情をしています。自分の世界で遊んでいる子供のような。 「喜左衛門」の銘をもつ、狐篷庵の「大井戸茶碗」(155)、これはなんだか江戸時代の素寒貧のお侍さんの丼茶碗みたいでした(笑)。後ろに枯れ葉を感じました。 考古遺物では、石上神宮の「七支刀」(183)に妙な感想を持ってしまいました。刀の形にそってくぼみをつけたケースにいれられていたのですが、こんなにぴったりにしちゃって、成長したらどうするつもりだ?なんて(笑)。生き物みたいでしたよ〜。 「火焔形土器」(178−1)はいつ見てもすごいです、自然界には決してないだろう形を、よくここまで想像したものです。ふちのぎざぎざ見るとよく解りますが、迷いのかけらもない形です。 それから「袈裟襷文銅鐸」(181−4、5)。教科書にも載っている、四角い区画の中に狩猟する人だの鳥だの鹿だのが刻まれたものですが、こういう簡素で過不足のない造形を見てしまうと、後世の装飾はみな饒舌にすぎて飽きてくる気がします。素晴らしいものです。 素晴らしいと言えば、今回最高の出会いは「縄文のビーナス」と呼ばれる「土偶」(177)でした。これは写真では絶対にわかりません、実物を見るべし! 前後左右どこから見ても、頭、顔、腹、腰、足、どこを見ても、こんなに美しいラインは他にありえない! 写真で見ると妙な形の稚拙な土の人形なんですが、それは間違いなくそのまま立体として見るべく作られたための副作用です。人の形なのにどうしてこんな妙な姿を想像できたのか、それがまたどうしてこうも美しく香り立つのか、特に頭部の装飾は、線が途中でテンテンになっていたりして、やる気がないのかと思えばそのテンテンが妙にバランス良く力強くて・・・。大和朝廷が出来て以来の伝世品の美しさと、縄文の人が土の中に遺したものの美しさでは、人の作と神の作くらいの違いがあるような気がします。言い過ぎかなあ・・・けど、前者は私にも想像のできる中での最高の美しさですが、後者のものはちょっと予想外の衝撃を伴うんですもの・・・。 さて、最後に彫刻です、仏像です(^^)。 造形的に好きだったのはやはり大日さんです。秋日の中、お寺で見た時のような一条の光こそ感じられませんでしたが、かわりにその時は望めなかった左右や後ろの詳細を見てくることができました。背から腰に落ちる線がとても美しいのですね! それからくしけずった髪の流れの見事なこと(=^^=)。 最後の部屋には復元模造品が展示されていました。銀を使ったものと、玉虫厨子だけは是非復元してもらいたいな〜。でも、玉虫君の羽根をむしるのでは、今では動物愛護協会からクレームがついてダメかしら(笑)。
<データ> 東京国立博物館 |