![]()
![]()
「春を寿ぐ」展場所 横山大観記念館
いざ、門と言うよりはでかい木戸といった趣の入口を入ると、敷石伝いに右手へまわることに。ここで入場料を払います。 して一歩足を踏み入れると・・・わああ@@、真っ先にトイレだ!(笑)、ここ、入ってみなかったのが惜しまれます、どんなだろう。 ここは明治42年、大観が41歳の頃から、東京大空襲による全焼をはさんで昭和33年に90歳で亡くなるまで起居した場所だそうです。 たとえば客間。入り口欄間には千鳥にはめられた竹、よし張りの舟形天井、静かに切られた炉、広い床の間とそこに掛けられた大観の軸「霊峰飛鶴」、またその右には藤原時代の小さめの不動明王(重文)、そこからの庭の眺めの晴れ晴れと心地よいこと・・・この部屋は「鉦鼓洞」と名付けられています。 肝心の絵はですね、大観と、同時代の日本美術院の同人の作品が十数点あるだけんなのですが、これがまた、ほとんどが床の間や壁にかけてあってとても自然に鑑賞できるのです。もちろんほとんどがガラスケースなし。やはり絵も、あるべき所で見るのが一番ですよね、軸なら床の間、大きくない額なら部屋の壁で、大切に飾られているのが最も心なごみます(^^)。 ところでこの記念館、館の係りの方がめちゃくちゃ多い(笑)。お客さん5人しかみなかったのに、館の方、7人はいらしたですよ! 広くはない家屋なので、どこへ行っても館の人とぶつかっちゃって(^^;。 なお、一階の一番奥の部屋には同人さんの絵や大観の軸が掛けられていますが、ここが大観の亡くなった寝室なのだそうです。ちょっと、心改めて入室しました(=^^=)。
<データ> 横山大観記念館 |
西行物語絵巻展場所 出光美術館
絵巻、中世の作品の江戸時代における模本で、絵の部分が琳派の祖、俵屋宗達、詞書きの部分が、寛永の三筆に次ぐ能書家と言われた烏丸光広の手になるものです。中世の漂泊の歌人西行の、出家から亡くなるまでを描いています。奥書から寛永7年(1630)9月作とわかりますが、これは宗達の作品中、明確に制作年のわかる唯一のものだそうです。 と、真面目な説明はこれくらいで(笑)、実は絵巻ってば、主人公がどれだかよくわかりません(^^;。特に出家前の西行を描いた部分、同じ様な狩衣の殿御たちがちょろちょろしていて、誰がだれやら(笑)。 綺麗だな〜と思ったのは、第四巻、西行の娘が出家するシーンでの、牛の表現。白と黒の混ざり具合が鮮やかで、ひどく心に残りました。 好きなシーンは、今回の展示では写真だけだった、「武蔵野の秋の夜、小さな庵に老僧を訪ねる」場面。繊細な秋草と跳ねる鹿たちが美しくて、そこに庵と言うよりは屋台の屋根だけみたいなものの下にいる老僧と西行が、控えめに描かれています。なんだか、自然の中で人はかく生きるべし、というほど遠慮深げで好ましい絵でした(^^) とまあこの程度で、絵は(さんざん書いてますが)、よくわからないんです(^^;、でも、中央の部屋の両壁際いっぱいを使って、全四巻のうちの三巻を展示してありましたが(第三巻は散逸)、まるで収まりきらない長大な代物。これを広げて端から読んでいったであろう往時の人の、気持ちの優雅さというか、時間、空間の贅沢な使い方というか・・・ちょっと感じるものがありました。 さて同じ部屋には尾形乾山、野々村仁清などの焼き物がいくつかと、伝西行筆の「中務集」、烏丸光広の書などがありましたが、最も心ひかれたのは、乾山の「色絵紅葉文壺」! 別の一室では中国古陶の小特集をしていました。 遼代の陶磁という小特集もしてまして、私の甥っ子の名が「遼那(りょうな)」ということで親近感がわいて(笑)、じっくり見てきました。 じゃばらの長首とラッパ型の口を持ったスリムな長壺が多い!@@ 変だったのは「三彩人魚形水注」! ハッとして思わず欲しいと思ったのは、十数p四方の小さな三彩の角皿「三彩印花花文方盤」。 さてさて、そんなに広くはない出光美術館ですが、それでもひととおり見たあとはくたくたになってます。ふふふ、そう、ここには無料でお茶を飲めるスペースがあるのです。紙コップに自分で注ぐんですけどね(^^) で、ここからの皇居の眺めがとっても気持ちいいんですよ、なにしろお堀端のビルの9階ですもの。大事に抱えられた緑と水の中、周囲の車の喧噪などどこ吹く風とばかりに、水鳥たちが別世界の時を刻んでいました。おすすめです(^^) 以上、久々の更新でした。 あ、付け足し!
<データ> 出光美術館
|