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平成10年正倉院展

 

 場所 奈良国立博物館
訪問日 1998.11.6



正倉院展、毎年何があっても通い詰めて13年・・・東京に来た時と学生時代を入れると15回ほど見ていることになります。噂によれば80年毎年見続けても全部は見ることが出来ないとか。

そもそも正倉院展とは、東大寺の正倉に伝世したお宝を、秋の曝涼(要は虫干し)の期間のみ一般公開するというもの。そのお宝の内容は、8世紀の聖武天皇遺愛品を中心とする宮廷用品と、東大寺関係の遺品とに大別されるようです。

数にして一万件とよく言われますが、これは玉類や繊維製品の断片などをまとめて一件と数えた時の数。ばらせば数万、数十万点にのぼるそうです。これを毎年たった二週間だけ、約7〜80点ずつ展示していくのです、しかもそのうち初出のものは、例年10点余、今年などは7点でした。これでは確かに、何年見てもそのすべてを見尽くすのは大変そうです(^^;。・・・そこがまた魅力で、毎年通ってしまうわけですが(笑)。

ちなみに奈良博での最初の正倉院展は昭和21年、以来今年で50回になります。

さて、先にちょっと文句を言っておきます。細かいことですので、飛ばして読んで下さい(^^;。

正倉院のお宝たち、なんとなくすべてが聖武天皇の時代、すなわち8世紀頃の天平時代のものであるような気がするものですが、実は長い時の中で当然激しく出入りがあり、新しくは明治期施入のものも確認しています(私が本などで読んで覚えている範囲で。もっと新しいのもあるかも)。だからと言ってお宝そのものの価値が変わるというものではありませんが、これが展示およびカタログではちっともわからないのです。制作された国も一見ではわかりません。他の博物館には当然あるような、「○○年、○○国製」という表示がないのがとても不思議です。・・・たぶん特定できないせいもあるのでしょうけれど。

また、当然修復されたり彩色のしなおしされたものもあるはずですが、これまた展示の説明を見る限りではわからないのです。・・・どうも明治期の修復ですら、既に史料が残らずよくわからなくなっている様子ですが。でも少なくとも繊維製品の断片の修復などは、ない部分を補って復元しているわけですから、一言あってしかるべきだと思うのです。・・・これまた、そんなこともわからない奴は見に来ないはず、ということかもしれませんが。

以上は正倉院展全般に関するグチ、以下は今回の展示に関するグチです(笑)。
最初に書いたように今回は第50回展。新館完成の年とも重なって、少なからず記念すべき回で、カタログ類にもはりきったお宝が出ている旨、書かれています。が、しかし、そのうちかなりはこの十数年に出ていたものです。しかも螺鈿紫檀五弦琵琶や鳥毛立女屏風などの教科書に出るお宝や、宝庫に9面(?)伝わるというべらぼうに美しい螺鈿の鏡とか、麻布菩薩、布作面みたいな面白いの、白瑠璃碗みたいな興味深いものが出てないのです!ぷんすか!・・・要は自分が見たいお宝が出ていなかったと言ってすねてます(笑)。

さて、グチはグチ。見るものは見ますよ!
まずは、紅牙撥鏤尺(こうげばちるのしゃく)
象牙でてきた、幅3p弱、長さ30p弱、厚さ5〜10ミリの定規です。表面を紅で染めてから、模様を毛彫り(撥彫り(はねぼり)・ひっかくように細く彫ることで、そこだけ象牙の白色が出ます)し、要所に緑色を差しています。その模様は、鳳凰や天馬、花食い鳥やおしどり、細かいお花のいろいろなど。

これが私は昔から大好きで、ひとつ家に欲しい・・・・いえいえ(^^;、せめて手にとって心ゆくまで眺めてみたいと思っています。なにしろ紅色が、こっくりと深く、心まで染めるようなしみじみとした良い色なんです。その上描かれた鳥たち、動物たちがとても可愛い(=^^=)、散る花、咲く花、どれも素晴らしく繊細でいて豊か、特にお花の台の上にとまっている二羽の含綬鳥(がんじゅちょう・帯やリボンなどひらひらしたものをくわえた鳥さん)なんか、首をからませていちゃついてますのよ!@@ や〜ん、本当に可愛い(=^^=)。

この紅牙撥鏤尺は宝庫に6枚あるそうですが、舶載品、中国人が日本で作ったもの、そしておそらく日本人がそれらを真似っこしたもの、との、3つの系統に分けられるそうです。前二者は彫りがのびのびしていて実に見事なバランスで自由に描かれています。現に今回の展示品など、天馬の前足がワクからはみだしちゃってます(笑)。比べて日本人が真似をしたものは、いかにもいじけてオドオドした線になっているそうです。これは唐人と日本人の技術云々より、やはり「模倣」の限界を示していると言えるでしょう。

尺は定規という様に、一応、寸きざみの区画を作ってありますが、どうやら儀式用具だったようです。

ちなみに最初の染料に紺を使用したものは、何故か緑牙撥鏤尺と呼ばれています、宝庫に二枚伝わります。

お次は三合鞘御刀子(さんごうざやのおんとうす)
一本の鞘に、十数pの小さくて華奢な小刀三本を入れたもので、ちょっと変わっています。ちょうどピストルで言うガンホルダーの様に腰からぶら下げて飾りにしたみたいです。その際一本ずつが抜き差ししやすい様に、柄が少しずつひねるように曲がっています・・・あ、なんかうまく説明できない(^^;、こんな細部に心を込めた作りのものが、現代の製品には存在しないので説明がしにくいのです(笑)。ええっと、柄が猟銃のようなカーブで緩く曲がった三本のごく華奢な小刀が、三つまとめて束ねられた鞘におさまっている・・・・こんな説明でどうでしょう(^^;。よけいわからないかしら(^^;。

で、この柄がそれぞれ斑犀(まだら模様入りサイの角)、沈香(香木ですね)、紫檀(堅くて光沢のある輸入木)で出来ています。いずれも高価な材料。
鞘は皮に漆を施したシンプルなもの、上部にぶら下げる時のための小さな輪っかがついています。

更に、抜き出されて横に展示されている刀身が、これがまた綺麗なんですよ(=^^=)、刃もとに金象嵌(模様を彫ってそこに金などをはめこむ技法)で簡単な唐草模様が入っているのですが、簡素な中になんとも言えない味わいがあって、ユーモアを感じるほど。ちょっと線香花火が踊っているみたいです。これを彫り混んだ人は、きっと底抜けに明るい人だったのだろうな・・・と、勝手なこと考えたりして(=^^=)。三本の刀身のうちでは最も小さい一つが模様の面積が一番広く、模様も自然だと思います。

この小さな刀は、これだけ上等なものは飾りとしてぶら下げていたのでしょうが、本来木簡などを削る文房具だったのかもしれません。一つの鞘に複数の小刀を納めたものには、四合鞘、十合鞘などあります。また普通の小刀も、宝庫には瀟洒な加飾のものが伝えられます。手に包んで見られたらどんなに幸せでしょう・・・。

お次、御書箱(おんしょのはこ)
聖武天皇やら光明皇太后、元正天皇の書いたものを納めていた、白葛(しろつづら)の箱。いわゆる文書箱ですね、カタログにはあけびのツルを芯にしてカヤツリグサの一種をまとわせ、素地のまま成形したもの、とあります。上等な柳行李みたいなものです(ひどーい(笑))。
蘇芳染めのツルで編み出した菱形の紋が控えめに並んでいて、何気ないのですが非常に綺麗です。「用の美」などと言う言葉は、こういうもののためにあるのでしょう。

とっとと行きます(笑)、人勝残欠雑張(じんしょうのざんけつざっちょう)
人勝とは、中国南朝時代の湖北地方の習俗で、正月七日に色絹や金箔を人型、花の形に切り抜いて、屏風に張ったりかんざしにしたり、人さまにお贈りしたりして、長寿や子孫繁栄を祈ったものだそうです。派手な年賀状みたいなものらしい(笑)。
残欠雑張とは、天平宝字元年(757年)に二枚奉献された人勝の残欠を貼り合わせて一枚にまとめたもの。30p四方の朱色のハンカチみたいな布に、四方に金のレース、中央上部に吉祥句が書かれた黄色の羅(薄い絹織物)、切り抜きの樹木などが貼り込まれています。特にちっちゃな子供が、白黒ブチの、多分犬っころと遊んでいるように貼られたものがとても可愛いんです(=^^=)。別の残欠によれば、犬はチンでしょうかねー、子供はほっぺが真っ赤ですし、本当に愛らしいんですよ、それがゴージャスな金のレースに囲まれていて、すごく印象的です。
・・・でも、最初の文句に書いたように、この残欠を張り合わせたのは一体いつごろか、書いて欲しいです。不明なら不明で。

伎楽面 呉女(ぎがくめん ごじょ)
音楽つきの無言の仮面劇、伎楽に使われる、唯一の女面。くれおとめ、と呼ばれたそうで、私はこっちの音のほうが好き(=^^=)。実は面に関しては滅多に好きなものがないのですが、このくれおとめはとても気に入りました。晴れ晴れと弧を描く眉、優しく自然にこちらを見つめる眼、目立ちすぎない鼻梁、朱もあでやかにきゅっと閉じた小さな唇。熟女のゆとりある微笑みです。
不勉強で伎楽において呉女がどんな役回りなのか知りませんが、これは二十代後半の、女性として豊かに生きている人の、自然とわき出す自信に導かれた、ふくよかな微笑みじゃあないかなー。これが面とは思えない、まさにそこに立っているかのような自然さでした。ちなみに伎楽面はその後の舞楽面や能面などと異なり、後頭部からすっぽりかぶるので、ちょっと大きめです。

沈香木画箱(じんこうもくがのはこ)
12p×33p、高さ9pの小型の長方形の箱です。これの加飾が素晴らしく手が込んでいて、今回最もびっくりしたものです。柿材に沈香の薄板を張り付けたものが全体の地になり、その全面に金銀泥で細かい絵が描かれています。柄は側面が流水を主とした山水画、フタが複雑な曲線(木理文というらしい)。これだけでも充分贅沢ですが、こんなものではありません(^^)。側面とフタを紫檀の帯で四角く区切り、その中に更に矢羽模様の木画(細かい寄木細工の象嵌)で縁取りした窓をあけ、小さな絵を入れて水晶をはめてあるのです。絵の数は長側面とフタに3つ、短側面に一つです。そして箱の各角には窓とそろいの木画があり、箱の下に脚がついているのですが、そこには全面細かい透かし彫りの象牙板がはめ込まれています。

最も驚いたのは、絵を入れて水晶をはめた窓です。こんな細工は宝物では初めて見ました。絵は鹿や麒麟やお花の絵、青地と赤地があって、市松に配されています。まるでミニギャラリーに並ぶ西洋絵画を見るようで、すごく不思議な新鮮さでした。

もうこれでもかっ!と言うほどの装飾ですが、不思議と落ち着いた品格が漂い、ゴテゴテした印象とは正反対です。出来うる限りの手法を駆使して最高に手をかけた大切な品、という気概を感じます。木の命を良く知って作ったのでしょうね〜、しっとり充実の良い品でした。

以上が特別心惹かれた宝物です。他に印象に残ったものを並べてみますね。
白瑠璃瓶(はくるりのへい)
初めて見ました。もこっとした無色のガラスのポット。こんなんがよく割れずに残ったものです。

十二支八卦背円鏡(じゅうにしはっけはいのえんきょう)
直系60p、とにかくでっかい@@重量級の鏡で、そのわりには控えめな十二支と四神がついてます。

褐色絹裳(かっしょくきぬのも)
黄褐色のプリーツ状巻きスカート。衣装というのはとりわけそれを着ていた人の既に亡いことを偲ばせて感慨深いものがあります。ことにこれは一目瞭然女性用。儀式のためのものだとしても、この裳が華やかな色で風に舞っていただろう時のことを思わずにはいられませんでした。

刺繍羅帯(ししゅうらのおび)
刺繍と金銀泥絵で花や鳥の装飾を施した、二メートル半以上の長い帯。女性用で、胸前で結んで両端を長く垂らして使う飾り帯。非常にモダンな装飾で、こんな言い方は変だけれど、現代の流行の最先端をゆく西欧ファッション界のお手本に貸してあげたい。・・・まちがっても「現代にも通用する」という表現は使えない。逆だから。

組帯
茶紫地のなんの変哲もない大柄のチェックの帯・・・に見えて、実はこのチェックが微妙にカーブしたり幅を変えたりして、波打つような素晴らしい躍動感溢れる仕上がりとなっているのです。この決して派手でない手のかけ方こそ、本物の貴人の心だと思います。

子日目利箒(ねのひのめとぎほうき)
ほうきです。昔校庭掃除に使ったような、馬のしっぽみたいな。ただし、その掃き出す部分の一本一本に、無数のガラス玉がさされていたそうです、今では5つしか残りませんが。万葉集の大伴家持の歌「初春の初子の今日の玉箒 手にとるからにゆらく玉の緒」に詠まれたそのもので、新春の行事として皇后が蚕部屋を掃いて蚕神を祭り、五穀豊穣を祈った時に使われたものです。・・・ちなみにその時天皇は田んぼを耕したらしい。
それにしても箒に玉ですよ!わさわさ玉が触れあって音がするほどの!しかも根本は金糸で巻かれています。すごい・・・。

双六頭(すごろくとう)、双六子(すごろくし)、木画紫檀双六局(もくがしたんのすごろくきょく)
双六頭は、象牙にくぼみをつけて漆を入れたサイコロ。双六子は双六の駒で、今の碁石の形です。材質は水晶、琥珀、各色の瑠璃や石・・・こういう小さい綺麗なものは無条件に好きです(=^^=)。木画紫檀双六局は、木画(様々な材質の木や象牙を使った細かい寄せ木細工の象嵌)で鳥やお花を描いた紫檀貼りの双六盤。この上で前記のサイコロをふって駒を動かし、遊んでいたと思うと・・・しみじみ。

赤漆文カン木御厨子(せきしつぶんかんぼくのおんずし)
カンは木ヘンに観の正字。文カン木で、木目の美しい欅のこと。それを蘇芳で染めた上から生漆をかけて仕上げた厨子です。写真では決してわからない、立体的な美しい木目をそのまま生かした、日本人ならではの造形美。しかも天武天皇から孝謙女帝まで、天武・持統の直系の天皇にだけ伝えられたという由来を持ちます。天智系の元明がちゃんと除かれているのが切ないです。

はああ、以上、はしょったものの、なんだか文書類を除くすべてが印象深かったと言えますね、これでは(^^;。あ、今回のメインでカタログ表紙を飾る、パックマンみたいな口をした漆胡瓶(しっこへい)、どうしてかあまり好きでないのです。実物より模様を浮き上がらせたX線写真のほうが好きです(^^;。
また来年の出会いを楽しみに、今年の感想はおしまいにしましょう・・・。

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<データ>

奈良国立博物館
奈良県奈良市登大路町50番地
п@0742−22−3331
近鉄奈良駅下車徒歩15分
または奈良交通市内循環バスで博物館前下車徒歩2分

平成10年正倉院展会期
1998.10.24〜11.9

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珠玉の仏教美術〜古代から近代まで〜 

 

 場所 大倉集古館
訪問日 1998.10.9



館蔵品による、主に東アジアの仏教美術を、幅広い時代、地域にわたって紹介する展示です。
入館してまず正面に並んでいるのは、数十p大の、小ぶりなタイとミャンマーの仏像たち。それがまあ、なんと尊大で楽しそうなこと!(笑)。

特にタイのバンコック朝(19世紀)の宝冠仏は、ひょろりと細い体で両手を胸の前にあげて手のひらを見せ、「通行止めですよ」のポーズをしているのですが、よく見ると全身にゴテゴテの彫刻入りの衣装をまとっています。なんだか気色悪いぞ?と、もっと良く見ると・・・どうやらそのゴテゴテの彫刻は、本来一面に穿たれた無数の小さなくぼみに色ガラスをはめ込んで、非常にきらびやかに装飾されていた、その名残のようです。もとはさぞかし華やかだったことでしょう・・・。

それから同じ19世紀のミャンマーの横臥仏は、肘枕で寝台に横たわる、優雅でリゾート気分いっぱいの釈迦像でした。額の髪の生え際に、やはり色ガラスをはめ込んだ細い帯がついていて、夜店で昔買った子供用のカチューシャのような懐かしさがありました。しかも顔が石田純○そっくりだよう(爆)。
普通、横臥している釈迦像というのは「涅槃」つまり釈迦が亡くなる時の表現の定番なのですが、ミャンマーのものは本当に体を休めているのですって!@@ この形式(マンダレー様式というのだそうです)では「ペグーのシウェサルヤン横臥仏」というのが有名なのだそうで、隣に参考写真が出ていましたが、ぎょろ目の派手顔でした・・・確かにとても死にそうには見えない(笑)。

他にミャンマーのものでは清楚で愛らしい天女ナッ像というのが印象的でした。ミャンマー固有の土地などの神だそうで、幸福と災難除けのご利益があるそうです。厚ぼったい唇でにこにこ愛想良く笑っている顔も可愛いのですが、体部がよかったです。細いウエストと丸いヒップ、腰をひいて両手を下向きの合掌形に差し出して宝貝みたいなものを捧げ持っています。衣装もひらひらふりふり、天衣いっぱいの可愛いもので、えらく愛らしい像でした。・・・これでお顔がもう一歩可愛かったらなあ(^^;あはは。

奥の方には清朝の頃のチベットの仏像(?)があって、これは上記ナッ像とは対照的で、ちょっとすごかったです(^^;、なにしろ大楽金剛立像という妖しい名で、装飾過多の衣装をまとった、4つの顔と14の腕を持つ男神が、4つの顔、6本腕の女神と大股広げてぴったり抱き合い、踊りながらちうをしてるの!@▽@ 高さ数十pの、それほど大きくない像でかなり破損していましたが、実はじっくり見てしまいました、私(笑)。いや、男が女の腰に回した腕がとても優しげで、ちょっと羨ましかったりして(=^^=)。顔も4つあれば、どれか一つはハンサムだろう・・・(オイ(^^;)。

・・・いずれもとても面白かったのですが、私はやはり、しめやかな情感漂う日本の仏像の方が好きです(=^^=)。・・と言うか、古代インドで発祥した仏像、長い年月をかけて各国に広まるうちに、その国の人々の好みにあわせて形も変わって行ったのでしょうね。・・・つまりそれほどまでに、国によって感性が異なるということなのですね。その意味でも面白かったです。

で、日本のものは、と言いますと、やはり常設の普賢菩薩騎象像が群を抜いてよかったです、仕方ないですがね(^^;。感想は「涼へのいざない」の項を見て下さいね。
あとは室町時代の懸仏(かけほとけ)が二作、も、見るからにへたくそな、子供の宿題みたいな作りなのに、どうしてだか心ひかれました。
ちなみに懸仏とは、神社のご神体の鏡に仏像をレリーフした形で、神仏習合のたまものだそうです。鎌倉、室町時代に流行しました。お寺の内陣に懸けて拝むものなのだそうです。
でも、もしかしたら、この懸仏は、世情不安の室町時代、あまりお金はかけられないけれど家に仏様でも懸けて、ちょっくら家内安全を祈るべぇ・・・なんて思った庶民の家に懸けられていたのかもしれない・・・妙に心ひかれるのは、そんな世俗的だけれど何時の世にも共通な素朴な祈りを見たからかもしれない・・・これを拝んでいただろう普通の人たち、その息づかいさえ身近に感じる気がしました。
・・・あ、片方は関東大震災の時、火中から救われたものだそうですよ。

と言うことで、ああ、ごめんなさい、また彫刻の話に終始してしまいました(^^;、本当は絵画作品の方が数は多かったような・・・(^^;。
あ、そうだ、19世紀タイの過去五十仏と仏伝図、これは良く見ると楽しいですよ、象がお酒を、お猿がスイカを差し出していて、それをひょこひょこと取りに来る釈迦像(だか何だか仏さまらしい人(笑))が描かれていたりして(笑)。
あとは融通念仏縁起絵巻という室町時代の絵巻物では、主人公の良忍さんの頭の上に、金ぴかのちっちゃな仏像がどこでもついて歩いていて笑ってしまいました(笑)。
それと、幕末の勤皇の志士でありながら絵のために幕府要人宅に出入りしたせいでスパイ扱いされ、42で刺客に刺し殺されてしまった冷泉為恭の山越の阿弥陀図、これなどは大変な貴族趣味の絵でした。その傾向は、名を「冷泉」と変えたことにも現れているそうです。

<データ>

大倉集古館(財団法人 大倉文化財団)
東京都港区虎ノ門2−10−3
п@03−3583−0781
NTTハローダイヤル 03−3272−8600
地下鉄日比谷線神谷町駅下車徒歩8分
地下鉄銀座線虎ノ門駅下車徒歩10分

珠玉の仏教美術〜古代から近代まで〜展会期
1998.10.2〜11.29

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日本美術院 創立百周年記念展

 

場所 日本橋三越7階ギャラリー
訪問日 1998.10.9



仏像に比べて絵画はそんなに好きではない私、でも、近代の日本画は好きです(=^^=)。明治以降の日本画壇、竹内栖鳳を中心とする西の京都画壇と、岡倉天心、横山大観などの活躍した東の院展派とに二分される様ですが、どちらも好きです。

今回の展示は、その院展派の名前のもとともなった日本美術院の創立百周年を記念して、初期から現代に至るまでの正員、同人の作品100点を一堂に会し、時の流れと日本画の変遷がわかるようにしたものです。
ちなみに「在野の研究団体が芸術活動を百年にわたって継続し続けた例は、世界的に見ても稀なこと」でそうです(^^)<カタログの「開催の言葉」より。

最初に言います、見終わって会場を出るとき、私はほとんど涙ぐんでました(笑)、どうしてでしょう、100年、100点の力でしょうか・・・。

鑑賞環境は最悪に近いものでした。仕方のないことですが、人気のある展示で人がものすごかったのです。明治の横山大観から現代の平山郁夫まで、素人でも名前を聞いたことのある有名画家さんの作品が目白押しでしたもの。
その上デパートのギャラリーということもあってぎゅう詰めの展示、離れて眺めるスペースもなく、くねくね迷路状の、しかも所々で途切れてバーゲンコーナーなどの見える(爆)会場を、ただ人の流れに沿って移動するしかありませんでした。

それでも何故か、こみ上げてくる感動がありました。心にまっすぐ何かが入ってきたのですもの(=^^=)。この感じ、よく説明できませんから、特に印象に残った作品を具体的に挙げてみますね。なお、絹本か紙本か、墨か顔彩かなど、全然覚えておらず、カタログにも載ってないので、全部「紙」「墨」と表記します(^^;、いい加減でごめんなさいね〜m(_ _)m

橋本雅邦「大洋」
小さめの横長の巻物みたいな紙の右下に、墨でぽちょぽちょと岩らしきものを描いただけのもの。やー、これがびっくり、ただそれだけなのに、穏やかに続く悠久の海辺の状況が懐かしいほど感じられました。
雅邦さんのこんな絵、初めて見た気がします・・・たいていは端正に墨痕を置いた、生真面目大作戦な作品じゃありませんか?(^^)

横山大観「長瀞之巻」
横に思いっきりながーーーい巻物仕立ての紙に、長瀞(秩父にある峡谷。今は都内周辺の絶好の日帰り観光スポット)の、何故か山々が描かれたもの。横山さんは線がほのぼの優しくて好き(=^^=)。特にこのタイプの巻物は、よくもまあ、疲れないで描くものだと感心します・・・て、日本画の大御所に向かって何てこと言ってるの!(笑)。でも、ちらしなどに使われた「喜撰山」は、緑色が単調であまり好きでない・・・(^^;。

菱田春草「黒猫」
この方には「黒き猫」という重文指定の作品がありますが、それは札幌会場でしか出ないようです。東京には赤い椿の木の下で、落花椿をきょとんと見ている黒ねこちゃんが出ていました。可愛いんですよう(=^^=)。今は黒ねこと言えば、縁起の悪いものとか逆に幸運を招くとか、どこかの運送屋さんのマークとかって連想されますが(笑)、明治時代にはどう思われていたのでしょうか・・・。

下村観山「元禄美人図」
・・・好きというか・・・あの、この方の描く人物の表情って、どうしてどれも「イッちゃって」るんですか?(^^;

木村武山「光明皇后」
濃いい!・・・いえ、彩色自体はむしろ淡いのですが、顔といい、衣装といい、何かものすごく濃厚な色気がありますっ!匂い立つような・・・

安田靫彦「大和のヒミコ女王」
歴史画で有名な方ですね、いつ見ても不思議な情感が漂っています、人物は変てこりんな顔で、絶対に現実にはない表情をしているのに、そこに古代の雰囲気がありありと流れているのです。

小林古径「鶴」
鶴がですね、うずくまっているのですよ、一羽、画面の右下に(=^^=)。飛んでなくて足のない鶴の絵なんて、あまり見ないじゃないですか、なんだか妙に親近感(笑)。卵でも抱いてるのでしょうかねぇ・・・。

前田青邨「知盛幻生」
怖いです、これ(;;)。縦140、横220くらいの大画面に、左上から右下にむけて斜めに7人くらいの弓持った武者が並んでるのですがね、背に黒を負い、眼前の白い波頭へただぼーっと弓を持つ腕を差し出しているだけ・・・。いったい何してんだか、古典の素養のない私にはよけい解らなくて怖いです(;;)。

富田渓仙「雪中鹿」
あれは東大寺の二月堂でしょうかねぇ、淡く雪をかぶった高所のお寺をバックに、鹿が飛び跳ねてます。好きなんですよね、こういうほとんど墨だけで生き生きと様子を描くもの。加えてなんとなく、滅多に旅行なんか行かない田舎のおじいちゃんが、初めて東大寺へ行って感動して描いたような、そんなうきうきした感じがするのですもの・・・て、あああ、また大家の作品になんってことを!(^^;

荒井寛方「黒駒」
・・・聖徳太子・・・・に見えるおじさんが、黒い馬に乗って富士山の前を行きます。・・・が、富士山の煙が「ピーッ!」って漫画チックに怒ってるみたいで可愛いのですわ(笑)、馬も雲に乗ってる様ですし・・・。

速水御舟「丘」と「闘虫」
好きなのです、この方の絵(=^^=)。特に墨一色に近いのが好きですが、今回のは色つき。「丘」は、ただ雑木林の中の開けた丘に、薪が幾束か積み上げられているだけの絵。ものすごく不安定で、なのに懐かしい景色。
「闘虫」は蝉を喰らわんとしているかまきりの絵。このかまきりがねぇ、ギロリとこちらを見て、「なんか文句あっか?」って言ってるの(笑)。ついつい、「あ、いや、どうぞそのまま」って答えたくなりますです(^^;

川端龍子「火生」
ど・・どうしちゃったのだ?(^^;。全身真っ赤で髪逆立てた人が、すっぽんぽんで剣もって金の炎の中に坐って万歳してる・・・んでもって金の葉っぱで要所を隠してる・・・ああ、どーしたの?としか言えない(爆)。

真道黎明「葵の上(無明之祈)」
お能の葵の上の一シーンなのでしょう、般若の面もすごいですが、右下、紅い裳すそが闇に消える所、幾重にも幾重にもはかなく続き、人を想う心の哀しさを感じました。

岩橋英遠「彩雲」
西日に色づいた巨大な雲のかたまりが、画面いっぱいに描かれたもの。下には電線でしょうか・・・。雲、好きです、特に西日に照らされた雲、子供の頃は毎日眺めても飽きませんでした。それにこの絵の雲、中に太陽を隠しているのか、光の中心がマンボウの眼のようなんです。

吉田善彦「新秋」
小さな浮島をはらんだ森の中の湖・・・沼かしら・・・秋の色にけぶる静かな画面。

鎌倉秀雄「阿修羅」
出た!私の好きな、興福寺の阿修羅像!すごいすごい!まったくそこにあの阿修羅がいるかのようです、この間の復元像なんかよりよっぽど・・・ごめんなさいm(_ _)m>復元に苦労した方々・・・眉間の微妙な緊張感や、六本の腕の得も言われぬバランスなど、こんな風に写し取ることができるのですね・・・。

岩壁冨士夫「海風」
漆喰画のようにぺたっとした白い質感の画面に、白いスカートと白いカーディガンの現代の少女が、海辺の変わった小舟をバックにこちらを振り返っています。・・・このタイプの絵、何も日本画にしなくても・・・と、たいてい好きではないのですが、この娘さんの強烈な表情にやられてしまいました(^^;。あと不安定な構成にも・・・。ああ、仏像なら何と言っているのか聞こえることがあるのですが、絵はまだまだその声を聞くことが出来ません(泣)。何か言いたくてこちらを見ているのですよ、この人は・・・いつか聞こえるようになるでしょうか・・・。

田淵俊夫「緑風」
これ、好きです、大好きですぅぅ(=^^=)。ただの笹藪の絵なんですが、日本的情趣いっぱいの、湿った色、あるがままの自然、ぼんやりと続く夢幻の霧・・・はあ、いいなあ(=^^=)。

小山硬「仔羊」
銀の丸い玉の中のあどけない銀の子羊・・・この玉は母の胎内でしょうか。

関口正男「月明」
インドの菩薩像みたいな色気爆発の女の人が、月を背にパントマイムを・・・ああ、こんな説明でよいのかしら(^^;、とにかく美しいのです。綺麗なお姉さん、女性でも憧れます、というか、色気は自分にないですから、よけい憧れます。

・・・と言うことで、ぎゃあ@@思わず長くなってしまいました、画像もなくて勝手な絵の感想だけなんて、誰が読んで下さると言うのだ(泣)。もっと少ないと思っていたのですよう、カタログめくっていくと、あれもこれもとその時の感想が思い出されて、ついつい(^^;。これでも2/3くらいに減らしたのですが・・・。

うーーん、結局、では何故私の目に涙が浮かんだのか、よくわかりません。一つ、言えるのは、近代の日本画に限っては、その情景が、私の生まれた頃の日本にまだ残っていた、ひどく懐かしいものだということでしょうか。舗装されない道、雑木林、何もない野原、泳げる川、潮の香りだけの砂浜・・・そんなものはごく当たり前に、家々のまわりのどこにでもあった時代。私自身がはっきりと記憶しているのは高度経済成長のころからですが、確かにその前にあったはずの、いえ、きっともっと前にあったはずの・・・多分2000年くらいあまり変わらずにきたはずの情景。この数十年で日本人が失ってしまったもの、そして、失ったことにすら気づかないでいるもの。・・・そんなものを感じるからではないかと思うのです。ちょっと感傷的になりすぎですかね(^^;

 

<データ>

日本橋三越7階ギャラリー
東京都中央区日本橋三越本店7階ギャラリー
営団地下鉄日本橋三越前下車、駅と直結


日本美術院創立百周年記念展会期
1998.10.6〜10.18

日本橋三越本店7階ギャラリー
1998.10.24〜11.15
北海道立近代美術館
1998.12.15〜1999.1.15
広島県立美術館
以下全国を廻るようです。

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