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お気に入りのお宝たち
美術館・博物館巡り

ここは私が時々出かける、主に都内(とその周辺)の、
美術館、博物館での感想を述べるページです。
分野は雑多、好き嫌いの激しい勝手な感想です。
所在地、会期情報などは、<データ>を参考にして下さい。
これまでの記録はこちら

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■更新記録 2005/2/13 唐招提寺展 2002/11/9 奈良博平常展 2002/11/7 平成14年正倉院展

■唐招提寺展 国宝 鑑真和上像と盧舎那仏

場所 東京国立博物館
訪問日 2005.2.13

■久々に足を向けた東京国立博物館。
風の冷たい冬の午後、それでも人の波は熱気を帯びて平成館へと続いている。
今からあの唐招提寺の金堂盧舎那仏に会いに行く。
像とまっすぐ向き合うには、この人混みと闘わなければ雑念が払いきれない。
足早に人混みをすり抜けながら、
私ほど、攻撃的な気持ちでここを歩く人はいないのではないかと思う。
けれど、ふと、手前の人工池にぽちゃんと沈む小銭を見た時、
それが既に雑念だと気づき、ちょっと恥ずかしくなってみたりする(笑)。

平成館の入り口は、やはり回転扉がはずされて通常の自動ドアになっていた。
事故のニュースが取り上げられるたびに、あそこはどうしたかなあと、気になっていたので、ひと安心。
入ると中央の階段が巨大な蓮の花で荘厳されていた。
仏像に会いに来る気持ちに、この荘厳はあまりに自然すぎて見過ごすところだったけれど、
考えてみれば意表を突いた演出だったかもしれない。

 

■広い展示室に入る。
梵天・帝釈天と四天王がゆるりと配された空間の最奥に、
いた、盧舎那仏。
・・・
・・・
「小さい!@@」
・・・
会場内から聞こえる「でっかいねー」のため息とは正反対に、
私の最初の感想は、これ(笑)。
これ、本当に、金堂の、あの像?
何度も顔を見て説明を読んで最前列まで近づいて、それで頭では納得。
でも、本当に小さく、イメージも異なって見えた。
なぜ?

光背と蓮台のせいなのは瞬間的にわかった。
あの無数の化仏がざわざわと息づくような大きな光背は取り払われて、
今、背面は色のない壁。
普段は当たり前すぎて特に注目すらしないけれど、
重なる蓮弁があるべき場所を落ち着いて示してくれている蓮台は、
今日は金属製(に見えた)のより一層目立たない作りの台(うてな)。
像をこそはっきりと「展示」するには最高の心配りであることはよく理解できた。
同時に、私がいつも見ている「仏像」は、光背も台座も含めて堂内全体をも付属させた、
「そこにある像」
だということを、あらためてしみじみ実感させられた。

それなら、今日は、素のこの像と向き合ってみよう。
荘厳を取り去った姿が、何を語ってくれるのか。
あまつさえ普段あり得ない背後からの鑑賞も可能なのだから。
と、向かって左側から後ろへ回り込んでみた。
・・・
・・・
お、おっさんだっ(爆)。
・・・
寂しくふたつに盛り上がった背中は、
よれた半袖シャツを着てテレビでもみているうらぶれたお父さんのそれ。
後頭部など半分かじりとられて哀れでさえある。
すごい と思った。
この像が造られた時代、テレビ、などいうものは、誰一人想像すらできないものだったはずなのに、
それを見ているようにしか見えないのだから。
きっと、また何百年が何千年か後、
今の私たちが想像もできないモノが現れた時でも、
この像は、うらぶれた背中で、それを見ているように、見えるのだろう。
かなり、ぞくっとした。

それからふたたび正面へ。
本当は、初見で「小さい」と感じた瞬間に、これは対峙すればするほど大きく感じるようになるだろう、と、
そうも感じていた。
顔はすがすがしく若いのだ・・・唐招提寺のあの金堂内で見る時はいつも、
人を近づけない年齢不詳のふてぶてしい迫力に満ちていたけれど、
ここで見ると、眉などすらりと美しく、癖のない瞳にはむしろ青年の香気が漂っている。
そして首から胸元。
大きくはだけた胸部は、少し赤みがかったまま、残る金箔を融合させて外へ外へと、対流しているかのよう。
この吐息の様なうねりが、無限の大きさを、見る者に分かち与えてくれるのだ。

そんなことを感じ終えた時、闘うまでもなく、
人混みはさっぱり気になっていない自分に気づいた(笑)。

この室には他に、180センチを超える梵天・帝釈天像と四天王像が、
手を触れられる位置にケースなしで安置されている。
充分距離をとってゆったりと置かれているので、鑑賞するには絶好の環境だ。
立ち姿が好きなのは帝釈天だったけれど、
梵天の衣の美しさに、とてもひかれた。
特に柔らかく跳ね上がる裳裾の細やかさは、金堂内にあってはまず発見できない驚きだった。

 

■もうひとつの目玉は、鑑真和上像。
御影堂に奉納された東山魁夷の全障壁画も同時に来ている。

まず障壁画。
ふすま16枚にも渡って、青緑色の海が描かれた「濤声」。
これを私はかなり以前に一度だけ、見たことがある。
記録が見つからなかったけれど、記憶では奉納記念の展示会。
そうすると昭和50年代のことだ。
その時の感想は、あろうことか・・・
こんな青一色のどこが「絵」なんだ?
そもそも、お寺のふすまって、もっとキンキラおどろおどろしてるものだろうに、
こんなさっぱりしたものでいいのか?
・・・という、とんでもないもの(笑)。
10代の、まだ何も見えていなかった頃のこととはいえ、
おそまつ至極(>_<)

ただ・・・
そんな感想でも、はっきりと、覚えているのだ。
本当につまらなかったら、見たことすら忘れているものではないだろうか。
その時はまったく自覚はできなかったけれど、何かが、心に植え付けられたに違いない、と、
今日再会して、あらためて思った。

20年以上前、青一色だと思ったその絵は、
無数の階調に塗り込められた海の泡の嘆きであり、
可能な限り柔らかく優しく立てられた白波の頭には、
凛然と逆巻く海の恐ろしさがこめられていた。
穏やかな青緑色のうねりに身をまかせれば、
潮騒に風の音や鳥の声まで聞こえてくる。
鑑真が、これを見たのか、それとも、
鑑真に、これを見せたかったのか。

もう一作、おぼろにけぶる山間を描いた「山雲」とともに、
人が見たもの、の重さを感じさせてくれた。
人が、「見た」、という証は、
時に現実の風景よりはるかに重く、確かなものなのだ。
10代で何の感興もわかなかった絵を、
今の私は、涙ぐまずに見ることはできなかった。

 

■鑑真の故郷の風景という、墨一色の「揚州薫風」に囲まれて、
有名な盲いた和上像は安置されていた。
高僧だろうが何だろうが、坊主の像には一切興味ないのだけれど、
さすがにこれはまったく別格。
なんという表情なのだろう、不自由となった目からは人間のあらゆる感情がほとばしり出て、
薄い唇からは今にも震える声で、唯一信じた経文の一説がこぼれ出しそうだ。

私たちには、この方の声を聞くことは、できない。
たとえ同じ時代に生きていたとしても、
哀しいかな庶民には、この方の存在すら、伝わらなかっただろう。
だとしたら、像、となって時を経たとしても、
今の私たちのほうが、どの時代の庶民より、この方に親しく接せられているのかもしれない。

不可思議な感興とともに、会場をあとにした。

 

■平成館の一階に「親と子のギャラリー 仏像のひみつ」という展示があった。
ここにさりげなく並んでいたのが、「五部浄の右手」!
乾漆像の技法説明コーナーに出ていたのだけれど、思わず頬ずりしたくなる愛しさ。
並んで出ていた菩薩像左手も、ふっくらと可愛らしく、本体のしのばれるもの。
おでかけの際はぜひ見てみてください。

 

■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■

■データ
東京国立博物館

東京都台東区上野公園13−9
п@03-3822-1111
ハローダイヤル 03-5777-8600 
JR上野駅または鶯谷駅、京成電鉄上野駅下車、各徒歩10分
地下鉄上野駅下車、徒歩15分
(上野公園内)
「金堂平成大修理記念 唐招提寺展 国宝 鑑真和上像と盧舎那仏」会期
2005年1月12日(水)〜3月6日(日)

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■奈良博平常展

場所 奈良国立博物館
訪問日 2002.11.3

正倉院展のついでに本館の展示も見てきました。
数年前に東新館が開館して以来、正倉院展の会期中にも本館が開いていてくれるようになって大変有り難いことです。
しかし「ついで」と書くにはあまりに恐縮してしまう素晴らしい展示。
特に今年はすみからすみまでほとんどが仏像の展示になっていて、仏好きにはたまりませんでした。
結局、これが奈良の力なんですね(^^)。
日本(鎌倉時代まで)、ガンダーラ、中国、朝鮮半島と、仏像の海であっぷあっぷと溺れるかと思いました(笑)。
好きなもの、面白かったものだけぽちぽち書いておこうと思います。

新館側入口を入るとすぐに、見上げるような二体の憂いを帯びた表情の像に迎えられます。
秋篠寺の梵天立像伝救脱(ぐだつ)菩薩立像です。
この寺で最も有名な伎芸天と同じく、この二体も頭部のみ奈良時代の脱活乾漆造、体部は鎌倉時代の木彫です。
特に向かって右にうつむくように立っていた梵天立像の面部に強烈に惹かれました。
薄れかけた朱色のその顔は、ざわめく休日の博物館とはかけ離れたところで、寂しく、悲しく瞳を泳がせていたのです。
日の暮れの都大路を行く孤児のような、捨てられた者の悲しさでした。
捨てられるという、現代では遠くなってしまった寂しさを、この像は写し取って慰め続けているのかもしれません。

比較して左側の伝救脱菩薩立像は白い顔料がはっきりと残るなめらかな表情。
救脱というのが何を意味するのか、俗世あるいは煩悩を脱することに救いを見るという意味でしょうか、手元に資料が不足でわかりませんでしたが、この像の顔にはむしろ諦めからくる不敵な微笑みが刻まれている気がしました。
人が煩悩から脱することは永久にないのだと、そう知ることで余裕が生まれるのだよと言わんばかり。
菩薩がそんなこと言っていいのかい?・・・って、これは私の空想ですね(笑)。

ところで、頭部が奈良時代のもので体部が鎌倉時代の補作であることについて。
奈良博の両像の解説にも、また巷で見る伎芸天の解説にも、必ず「まったく違和感がない」という表現が使われています。
これって、大ウソじゃん!
でなきゃ、そう書くことで書き手自ら納得しようと努めてる、つまりウソだと自覚してるとしか思えませんっ。
どこが違和感ないんだ?ありまくりじゃないの。
一番好きな梵天に関して言えば、あの強い面貌に対して彫りの甘々な脳天気な体部がどれほどだらしなく見えるか。
たしかに彫刻としてはすぐれていて、彩色も見事かもしれません。
でも、顔への遠慮からか弱いしボケています。
元の体部は、もっとすべてが削ぎ落とされた、絶対の形であったはずです。
緊張感に満ち、強く孤高な唯一の軌跡を持っていたことでしょう。
そんな往事の体部の在り様が、わからないながらも私の目の奥に浮かんでくるのです。

鎌倉時代に損壊したこれらの像を悲しんで補作した人の心はそのまま大切にするとして、だからといって違和感がないなどと、ただ誉め上げることは、できない相談です。

そこから左にまわるとガンダーラ、中国、韓国の諸仏の展示です。
じっくり見れば興味深いものを、速攻で通過してしまう浅はかさ。
仏伝のレリーフや仏龕、セン仏等に気を引かれながらも先へ進みます。
途中、新しく寄贈された中国古代青銅器の特集がありました。
好きなんです、中国の青銅器。
けれどやっぱり、ここはひとつかっ飛ばすしかありません。
なにしろ日帰りですから(大汗)。

そうこうするうちに檀像登場。
気合いが入ってますからいい感じです、檀像。
しかし、メモするのを忘れたので、感想が飛んでしまいました(^^;。
唯一このコーナーに「試みの大仏」と呼ばれて有名な、小さいけれどド迫力の弥勒仏座像があったのが印象的でした。
・・・檀像・・・なんですか?これ(^^;。
う〜ん、知りませんでした。
檀像の洗練されたイメージとは随分かけ離れた、野卑とも言える生命力に満ちているのですもの。
荒々しい鼻息が聞こえそうです。

これは東大寺法華堂に伝来した、来歴・当初の尊名ともに謎の多い仏像です。
9世紀の作で、高さ40センチに満たない普通なら「小像」。
でも、一度見たら好き嫌いは別として二度と忘れられない独特の風貌、加えて「よっ、お疲れさん!」とでも言いながらこちらへ突き進んでくる様な、勢いのある上半身のお陰で、実際より大きなイメージを植え付けられます。
笑うせぇるすまんの様だなあと常々思う私(笑)。

このあたりを境に今度は、あれれ?びっくり、小金銅仏が登場します。
どうも順路を逆行していたようで、後でこの室の入口を見たら「古代の小金銅仏」コーナーの表示が!
ああ・・・だから奈良は辛いっ。
どんなに時間がなくても情け容赦なく仏像が降ってくる〜!(笑)。
というわけで、大好きな小金銅仏を前にして、ついに私の足は止まってしまいました。

椰子の葉の様なびろんと派手やかな宝冠を頂く神野寺(こうやじ・奈良)の菩薩半跏像聖武天皇の念持仏と伝えられる衣紋の華やかな菩薩半跏像、あとメモでは大阪・金剛寺、同・観心寺、奈良・法起寺、同・法隆寺のものなど、関東にいたらなかなかお目にかかれないすぐれものが並んでいます。
とりわけ嬉しかったのは、佐保路の清楚な尼寺興福院(こんぷいん)の菩薩立像が出ていたこと。
文化財の指定をうけていませんが、これは非常に心惹かれる一体です。

像高わずかに12.7センチ。
小さいものが多い小金銅仏の中でも特別小さいのではないでしょうか。
そして細い!
手のひらに乗るとはまさにこれのことです。
面貌や金銅の色合い・光加減は有名な摩耶夫人像に似ています。
こちらも小さな像ですが、それでも16.6センチありますから、興福院の像がいかに小さいかわかるでしょう。
(ちなみに膝をついて摩耶夫人に付き従っている三人の従者が11.5〜13.0センチなので、高さはちょうどそれくらいですね)

像容はおとなしく単純です。
両手を胸前で上下にあわせて宝珠を包み、すっとまっすぐ立っているだけです。
衣紋も単純に垂下するだけで、跳ねたり翻ったりはしていません。
表情も、笑うでもなく怒るでもなく、そして穏やかですらなく、ひたすら静かです。
しかし、このすべてのバランスが絶妙に良いのです。
その小ささとともに、どこにも滞るものがなく、意識の中をまっすぐに心地よく流れていくのです。
この像を知ると、他のどんな像も無駄に過剰な装飾で胸焼けして見えさえします。

と言って細部に目をやれば、両の足許に優しくたわむ衣の豊かさ、膝前で鎬立つ天衣のとらえ処のなさ、可憐な二の腕、貝あわせの掌、指の腹でちょいとつまんで持ち歩くに都合の良さげなふたつのもとどり・・・いずれの心配りも尋常ではないのです。
殊に見る者を安堵させる水の輪の様な衣紋のリズムは絶品だと・・・私は思うのです。

さて、ここで既に私の仏像貯水池(なんですか?それ(爆))は満タンで、あとに続く平安・鎌倉の諸仏は見て回るのが精一杯。
鎌倉仏にはいいお顔のハンサム君もいたのだけれど、メモする余裕がなくなっていて残念でした。
薬師寺の八幡神三体が雛人形然として可愛らしくも派手な台に乗っていたのが印象的でしたね。
あとは隅っこでその名も裸阿弥陀という、すっぽんぽんの木造阿弥陀如来が立っていたのが可笑しかったです。
陰部に蓮華、ヘソに輪法印を表し(これは珍しいらしいです)、立派な耳と螺髪を持つとはいえ、すっぽんぽんの人型というものは情けないものですね(^^;。
服、着せてやれよ〜とか思ってしまいました(笑)。

最後に中央の大きな展示室ですが、解体修理中の唐招提寺から薬師如来が来ているのはいいとして、興福寺から十大弟子像二体と八部衆一体が来ているのはどうしてなんだか(^^;。
お隣さんなのに。
興福寺の国宝館も充分な広さがないので常時全部を展示はできないという事情もあるのでしょうけれど、なんだか、すぐ隣にも見に行かない人のためにわざわざ展示してやる必要はないだろう、と、ちょっと意地悪な気持ちになったりして(^^;。
あー、いえ、あれらは群像として造られたものだから、できれば群像として置いて欲しいというのが一番の気持ちなんですけどね。

そんなこんなで、奈良博平常展、決して侮っていたわけではありませんが、こちらのキャパシティを遥かに越えた大容量の展示でした(^^)。

■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■

■データ

奈良国立博物館
奈良県奈良市登大路町50番地
п@0742−22−3331
近鉄奈良駅下車徒歩15分
または奈良交通市内循環バスで博物館前下車徒歩2分

奈良博平常展会期(2002年)
【彫刻】10月8日(火)〜12月25日(水)
【阿弥陀信仰の彫像】7月23日(火)〜12月25日(水)
【坂本コレクション中国古代青銅器】9月7日(土)〜12月25日(水)
(その他直接館にお問い合わせお願いします)

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■平成14年正倉院展

場所 奈良国立博物館
訪問日 2002.11.3

日帰り正倉院展なので、無理・無茶はしないよう心にきめていた今年、そのお陰で他に訪ねる場所も興福寺と寿宝寺だけに絞っていたので、逆に98年以来久しぶりにゆっくり展示をみてまわれました・・・ちょっと皮肉(笑)。

この正倉院展、毎年ひらかれる国内の展覧会のうち、展示品の地味さでは他に敵無しなんじゃないかと思いますが(笑)、そこは1200年の伝世の凄みか、毎年相当な人出です。
特に三連休の真ん中のお昼頃なんて、一番混雑していたのではないでしょうか(^^;。
恐縮しながらもおばさんパワーで人を押しのけ踏ん張り見てまいりました。

しかし最初の一巡では宝物の真の魅力がなかなかわからないのが悩みのたね。
宝物は伝製品とはいえ古ぼけていることにかわりはなく、かつ、古代のしかも極上品がほとんどなので現代の庶民である我々には見慣れないものが多いから、ではないかと常々思っています。
一度先入観なしで見終えた後、カタログをざっと通読してみると、自分の目がいかに節穴であったかに恥じ入る気持ちになります。
それでおもむろに二巡目に突撃するわけです(つまり人様の波に逆行(^^;)。
感想は一、二巡目まざっています。
そして、多分に感傷的です。
私にとって、宝物の魅力はものそのもの以上に、そこに付随している「時」との対話に他ならないので。

展示室に入って最初に見ることになるのが、1御冠残欠(おんかんむりざんけつ)。
聖武天皇と、その奥さんで非皇族初の皇后となった光明皇后が「奈良の大仏」の開眼会に使用したのではないかと推測される冠の、今は見事にバラバラになった残欠です。
まだ入室してすぐ、人だかりの一番すごい場所ですし、落とした照度に目が慣れていないせいもあって、一巡めは「はあ、見事な細工だこと。完品だったらどんなに豪華だったことか」程度ですませてしまいました。
しかしカタログの写真、特に金細工を見て「見事」などと言うには狂気じみた、執拗なまでの加飾に肝を抜かれました。
二巡目、あらためて見るとやはり薄暗くケースの中なので写真ほどはっきりはしないのですが、これをかむった高貴な二人よりもむしろ、細工に腐心した名の残らない職人さんの心を思いました。
まるで手を加えれば加えるほど家族の糧が増えるとでも信じていたような、病的な手の込みようの美しさです。

それから玉類。
文句無く今でも女性の心をとらえる美しい色味です。
しかも大量の。
中でも小さなというよりははっきり言って細かな真珠玉に心惹かれました。
これらは皆伊勢志摩以西で採取された国産の真珠だそうです。
当然養殖などしていなかった時代、海人たちは獲ったアコヤ貝をひとつひとつ裂き開いては、真珠粒を探したのでしょうか。
残るだけで3830個あるそうです。
ひとつ見つけるたびにみなで喜んだのでしょうか。
ネットで調べてみたら、アコヤ貝に自然に真珠が宿る確率は1000分の1とか3とかだそうです。
中央へ貢納するために、どれだけの労力が必要だったかと思うと、この残欠に宿る思いがまた別の角度から見えてくる気がします。

同じ冠でも6漆冠オケ(うるしのかんむりおけ・オケの字は筍という字の下が司です)は全然違った意味でギョッとします。
見ればただの古ぼけた円筒形の漆塗りの容器なのですが、木を削ったとか板を曲げたとか、そういう素人が予測できる作りではなく、厚さ2ミリの薄板を36重に巻き締めたとか、2センチ幅の薄板を20数段重ねたとか・・・よくわからないながらも(笑)、異常な手間が掛かっています。

極めつけは中に納められた18頭ぶんの冠残欠!
「諸臣」の礼冠だったそうなので、華奢で飾り気も少ない簡素なものですが、間違いなく当時の高官、つまり偉いおっさん等が頭に乗せていたと実感できる代物。
頭の油まで想像できそう(^^;。
それが形も崩れなんだかよくわからない物となってごそごそと筒の中に収まっている様は、その人々の死をはっきり具現化して見せて、背筋を凍らせるのでした。

11紫檀槽琵琶12桑木ゲンカン(ゲンはこざとへんに元、カンは感の上半分)
ゲンカンも丸い琵琶みたいなもの。
今回出品の目玉らしき二点です。
どちらもカンバチという、バチのあたる部分(?)に絵が描かれているのですが、肉眼でそのまま見える人は少ないのでは?(^^;
描きおこし図やアップの写真を見てからじっと実物を見ると、なんとなくわかるような・・・それでもわからないような(苦笑)。
しかしこれが作られた当初どれほど艶やかに人目を引いていたかだけは想像できるのです。
特に前者は雄壮なハヤブサが画面中央を大きく降下する意匠にハッとさせられます。
後者は上部にあるふたつの満月形にも日の象徴の三本足の鳳凰(烏)と、月の象徴の兎+臼その他が描かれているのを知って見ると、また違う表情が見えてきます。
見えないものが見えないことで雄弁に時を語る典型例のような気がします。

22師子児布サン(サンは杉がころもへん)・23緋あしぎぬのしとうず
舞い用の衣装と靴下。
サンは下着と考えられるもので、シンプルで飾りけのないサラシ布みたいに見える生地で作られています。
しとうずは真っ赤なあしぎぬという絹織りの布と麻布の袷仕立てですが、こちらもシンプル。
どうしてこれが気になるかと言うと、だいたい宝物の衣装は見た感じでかいのです。
腕をのばすとゆうに2メートルは越えるような衣装は、現代人より体格の劣っていただろう古代の人々がどうやって着たのか、よほどたぷっと帯などで締めて着ていたのだろうなと思うのですが、この二点はとても小さいのです。
子供の衣装なんですね。
舞いという晴の舞台で子供が活躍するとなれば、この衣装をつけた我が子を、親が誇りをもって抱きしめたこともあるかもしれません。
人が着たものは、それだけでも温もりを感じるものですが、子供が着たものは、今の私にはとりわけ切なく温かく感じるのです。

25未造了沈香木画筆管(みぞうりょうじんこうもくがのふでのかん)
竹管の表面に沈香という香木の薄板を貼り付けて金泥で縁取り、樹皮の模様にしています。
小口に木画の細工も。
小口の細工はカタログを見ないとどこにどうあるのかわかりません。
穂先がないので未造了つまり作りかけと言われていますが、途中でぬけてしまったのかもしれないそうです。
それだけ手をかけたにもかかわらず、今目の前にあるのはただの壊れたボロ筒でしかあり得ません(笑)。
だからこそ、なんとも心ひかれてやまないのです。

45双六筒(すごろくのつつ)
双六のサイコロをいれて降り出す筒です。
直径3センチちょっと、高さ8センチ半の小さなものです。
意匠に手の込んだ小さなものはたいてい好き(=^^=)。
特にこれは野の花みたいな普通の植物が描かれていて、いかにも「遊び」のための道具であった感じがして好ましい一品でした。

46投壺(とうこ)・47投壺矢(とうこのや)
投壺といって、壺の中に矢を投げ入れて、その入り方で優劣を競う遊びに使われた壺と矢です。
ダーツの的が壺になったようなものでしょうか。
矢は矢羽まで木で作られ、羽の模様が入れられています。
先端は丸い玉になっていて、朱色のものと緑青色のものとあり、その他の作りとともに敵味方を区別できるようになっています。
可愛くて面白いです(^^)。

そして壺のほう。
一巡めは混雑していたので遠目から形だけ見て「ははあ」で終わり。
耳つきの変わった形の銅器だけれど素地なのね、などととんまなことを思っていて、まさか全体に細密な模様が入っているとは、カタログを見るまで気付きもしませんでした(^^;。
二巡めにガラスケースに張り付いてよくよく見てみましたが、ライトの加減で実物に彫り込まれた微細な線刻はさしてよく見えず、かえって下面に置かれた鏡を通してのほうがはっきり見えました。
これが古代の装飾の醍醐味だと思っているのですが、彫りのひとつひとつはあっさりすっきりさも当然という自然さなのに、魚々子を使って全面隙間無く埋め尽くされた模様は、ぐるぐると目眩を誘うほど濃密なのです。
これほどまでに空間を消さなければならなかったのは何故だろう?
現在日本的と言われている「余白の美」だの「空間の余情」だのがまったくケツの青い若造の戯言に感じてくるから不思議です。

以上、気になったものだけ書いてみました。
他にも獅子の伎楽面の耳の差込口に人の顔や手の落書きがあるのや、妙に窮屈な場所にポロやってる子供の姿が描かれたフェルトの敷物や、切ったゴミが落ちないよう工夫されたナイスなハサミや、舶載されたまま未使用の可哀想な佐波理のさじの束や、双六の盤が中高にたわんでいるのや、よく売ってるニセ大理石の石鹸入れみたいに見える軟玉の細工物や、一家にひとつは欲しい転がっても火がこぼれない球形透かし彫りの薫炉や、豪快な密陀絵のでかい箱や、竹ひごと絹糸で編んだ華麗な経包みや、脱力系のほんわか雲の意匠が施された如意や、ごく小さな柳ごおりの数珠入れや・・・まあ、思い出せば印象的なものが目白押しでした。

ところで毎年すっ飛ばし、今年もざっと見ただけの文書類ですが、私は正倉院文書の文字は大好きです。
文字がまだ実用品でも美術品でもなく呪術的な力を持っていた時代の名残を留めている気がして(=^^=)。
大学でちゃんと勉強していれば少しは読むことができて面白かっただろうに、サボりまくっていたがために、今てんで読めなくて悔しい思いをしています(苦笑)。

■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■

■データ

奈良国立博物館
奈良県奈良市登大路町50番地
п@0742−22−3331
近鉄奈良駅下車徒歩15分
または奈良交通市内循環バスで博物館前下車徒歩2分

平成14年正倉院展会期
2002.10.26〜11.11

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