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ようこそおいでくださいました! 感想・意見・激励文などは、こちらから 蓮田市在住の河童:ミタニ河童こと三谷得起氏は、凄いウオーカーであり、地球一周を目標に歩いています。 |
2010.11.1 今井 村長様
さいたまかっぱ村新聞第30号を拝読いたしました。記念30号発刊おめでとうございます。一言で「継続は力なり」などと安易な言葉では、ここまでの道のりとご苦労を讃えることにはなりません。心から敬意を表します。さて、冒頭で関口顧問の訃報を知りました。私にとっては寝耳に水のような驚きでした。在りし日の関口住職の姿を偲び、合掌させて頂きます。 今回も益々多彩な投稿で才人才女の面々が紙面を賑わせて、面白くなってきました。しかしながら、村長さんの河童探訪紀行一つ取り上げても。奥飛騨紀行、利尻・礼文の旅、宇都宮かっぱ村、などがあり、そのほか各種催し物への参加等が目白押しで、その活動範囲の広さと、精力的な行動に驚嘆させられます。どうかご自身の健康とお歳を考えられて、ご無理な活動はご自粛されるように切にお願いする次第です。村長さんあってのさいたまかっぱ村です、とても余人には変えられない運営を主宰されていますことを最後に申し上げます。久しぶりに採録をお届けいたします。御暇な折upして頂ければ幸いです。
第383話
玉名郡江栗にその名も江栗山という相撲取りがあって、ある日菊池川を渡っていると、岸の手前で乗っていた馬が棒立ちになった。見ると河童が馬の尻尾に取り付いている。そこで相撲取は河童と言い交し、相撲を取り勝った方の意志を通すことに決した。陸に上がって組合ったところ、相撲取りが勝って首尾よく対岸に渡れたと言う。ここでは今も相撲が盛んで、九月五日の祭礼には河原で取り組みが行われるそうである。(『熊本県民俗事典』熊本県玉名郡菊水町より)
第384話
肥後天草郡牛深のある漁師は、その腕を返してやった礼に河童相撲を伝授されて大力士になったと言う。ある日この漁師が釣り糸を垂れていると河童がかかり、一所懸命引っ張り上げると二本の腕だけが抜けて来たので、これを持ち帰って戸棚にしまっておいた。すると、女が毎晩訪れて、河童の腕をくれ、と言う。七夜目にくれてやると、その女は喜んで二冊の書物を置いて行った。一つは魚釣りの秘伝、一つは河童相撲の秘伝であった。そのお陰で漁師はそれから大力士、かつ大尽になった。その女は腕を取られた河童の妻であったと言う。(『天草島民俗誌』熊本県天草郡牛深町より)
第385話
ここに一人の男があって、富岡の殿様が塚を築くにあたって人夫を募った際に出かけて行ったところ、体が小さいので不採用になった。それで泣く泣く家に帰る道すがら、男の前に河童が現れて、なぜ泣くのか、と聞いた。そのわけを説明すると、それならお前の願いを叶えてやるから、その代わりにこちらの願いも聞いてくれ、と言う。河童の願いと言うのは、家の中にいる八つ目の怪物を退治して貰いたいと言う事であった。男は道下の淵に入って探って見ると馬鋤があるので取り除いてやった。それから家に帰って飯をたらふく食って一寝入りしたら、大きな石を軽々と持上げられるほどの大力を授かっていた。そして、再び殿様のところへ出向いて雇傭(こよう)を願ったら採用になったと言う。もっとも、この男は力があり過ぎたために、築城の後に殿様から恐れられ、不幸な結果を迎える事になる。
(『熊本県民俗事典』天草郡深海村・二浦村より)ではまた次の機会に。
2010.11.1ミタニ様
秋らしい佳い日が続きません。このまま冬になってしまうのではないかという強迫観念に戦いています。昨日は、志賀高原の山々を彩る紅葉を垣間見て、ロマン美術館の下見に行ってきました。台風一過の暖かな一日でした。三谷様にはいつもながら暖かなお言葉をいただき感謝に耐えません。嬉しくてもっともっと頑張りたくなり、木にも登りそうです。ご忠告身にしみております。今後ともご支援の程お願い申し上げます。採録ありがとうございました!村長
010年9月分
今井 村長 様
さいたまかっぱ村新聞第29号を拝読いたしました。猛暑には、さすがに参りました。白露が間近になり彼岸入りに差し掛かろうとする初秋とは思えぬ連日の酷暑に、新聞発行誠にお疲れ様でした。投稿記事も多彩な面々が加わり、相変わらず村長さんの精力的なイベント参加や河童探訪旅行記、交流会の開催と地域社会に貢献される清掃作業等々、目まぐるしく活動されているのに驚嘆致します。とても小生なんてクーラー無しでは生きていけないひ弱な河童には真似ができません。この貴重な体験と思い出を資料として後世の河童村民に残したいという思いがあります。初刊から30号とか50号の節目の記念号までを、一冊の本に集大成されては如何でしょうか。一村民として強く希望いたします。では採録の一部をお届けいたします。
第380話
(水天宮との関係)
★天狗には相撲を好む性癖のほかに怪異を為す一面がある。どうやら川天狗は後者の属性ばかりを分担しているようである。山にいて相撲を好むものは天狗、芝にいて相撲を好むものは芝天狗と言う。されば水中にいて相撲を好むもの、それは水天狗にほかならない。とりわけ後世まで相撲の盛んな、しかも水信仰の篤い筑紫地方に水天宮のあることは、よしなしとしない。
河童は水天宮の眷族と言われている。水天宮は水難除けを祈願する神である。久留米藩主・有馬家が祀る水天宮が江戸屋敷に分祀され、やがて現在の日本橋蠣殻町に遷された。霊験あらたかなる水天宮は、焼津市その他の勧請するところとなっている。水は田畑を潤し豊穣をもたらす根源である。
その霊感が作物ばかりでなく、人の上にも及べば多産を促すことになる。水天宮が産の神たるゆえんである。天宮で出している御符の神呪文字「いつもじ」を平仮名の「の」の字の順に切り取って水に浸し、これを服すると水難を逃れると言う。
相撲行事について
第381話
★河童と遭遇した者の見聞並びにそれらの聞書きを収めた『水虎伝』には豊後日田郡豆田町の相撲取り、嘉吉なる者が筑後妻郡八重村の相撲の帰りに星野村蛇渕で、同じく日田郡武田村の嘉右衛門すなわちしこ名を国原と名乗る相撲取りの子供が祇園会の翌日河原町銭渕で、また筑後浮羽郡魚間村の小市に惣吉の二人が村内の?下で河童に相撲を挑まれたとある。(「天草島民俗誌」熊本県天草郡御領村より)
第382話
肥後天草郡御領に一人の相撲取りふぁあって、村の溜池で河童と相撲を取ったことがある。夜通し組合って、河童の冷たさのために自分の体が痺れてしまいそうになったとき、幸い夜が明けたと言う。「天草島民俗誌」熊本県天草郡御領村より)
ではまた次回に。
2010.9.3ミタニ様
秋のきざしが一向に感じられない今日このごろ、お元気にて採録の継続を嬉しくかつ有り難く感じている次第です。異常気象がいつまで続くか分かりませんが、なんとか息をついているところです。八月は熱中症を心配し、九月から朝の散策を開始して今日で三日目ですが、すっかり元に戻ってしまい疲れます。とりあえず5千歩と無理をせず、慣れてきたら、また一万歩にしたいと思っています。わがまま新聞にお付合いいただき感謝!感謝!です。どうぞ、暑さ対策をして、いっぱい歩き回ってください。そして地球一周前に、半周記念でも、お祝いをやりましょう! 村長
2010年8月分
今井村長 様
残暑お見舞い申し上げます。長らくご無沙汰いたしました。今夏の猛暑ですっかり参って、ひっそりとしていました。村長さんにはお変わりございませんでしょうか。
さすがの河童も頭のお皿が干上がるほどの記録的な暑さが続いて、水から上がれないことで有ったでしょう。久しぶりにPCのキイを叩いていますが、頭は朦朧として脳味噌が沸騰したままです。妄言はお許しください。では忘れていた採録を少し申し訳程度に書いてみます。
第377話
★池の原の奥に白石と言う所があって、ある冬の事鴨猟の猟師が山の中で焚火を囲んで野宿をしたときの事である。浮かれ者の二人は曲物のメンパをかぶって万歳楽に興じていたのであったが、突然暗闇の中から血染めの大手が頭上に現れて大室権現へ向かって合掌した。二人は興も覚めて転げるように山から逃げ帰ったと言う。(『道志七里』山梨県道志村小善地より)
第378話
★某と言う杣(そま)があって、的場向こうで一休みしていると急に眠気を覚えるのであった。ふと見ると蜘蛛(くも)が杣の足先と傍らのウツギの木の間を盛んに往復し、糸が次第に太くなってゆく。杣が足から糸を外してその場を立ち去ろうとする時、淵の中からその糸を引くものがあって、やがて根こそぎにされたウツギの木が水中に没したと言う。ら二話は川天狗の仕業であると信じられている。(『道志七里』山梨県道志村小善地より)
山川で万歳楽や謡をやったりすると怪我をする、異変があると言い、そこで働く者に禁忌とされている。さて、暗闇の中を火の玉が転がるなどの怪異が起こった所には、河原の石を洗い清め、その上に取れた魚を備えると止むと言う。投網を打ちにいって、姿は見えぬがすぐ上をただ投網を打ちながら行く気配がしたり、松明の火が見えて多勢の人物の人声がするのに、そのくせ何も居ないと言うのも川天狗の仕業であると言う。(『相州内郷村話』より)
ではまた次の機会に。
2010.8.20ミタニ様
いやあ〜暑いですねー 大好きな夏が嫌いになりそうな今夏です。いや、これから毎年こんな銚子かも知れないー 地球環境を冒涜しすぎた人間への自然のしっぺ返しでしょう。われら河童族が自然環境、水辺環境の保全なんて言ったって、拾う傍から捨てる奴がいるんだよ〜 懲りない人間に懲罰だあー
お元気で嬉しい限りです。あとどの位で地球一周になりますか?早くお祝いしないと、私の命が燃え尽きる〜村長
2010年7月分
暑くて暑くてお休みです〜。
2010年6月分
今井 村長 様
しばらくご無沙汰していましたが、村長さんにおかれましてはその後お変りもなくお元気にお過ごしのことと存じます。梅雨の季節は一年で一番ウオーカー泣かせの季節です。3日も家に閉じこもっていると、河童が陸に上がったように頭の皿にはカビが生え、足は萎えてきます。久しぶりに河童噺の採録を始めましたが、いよいよ種切れで満足な記事が書けません。定期的な採録がお届けできません事をご容赦ください。千一夜的連載を目指ししましたが、到底叶わぬ目標で、見果てぬ夢となりました。時に触れ気長に探してみるつもりです。取り急ぎ本日は三編ばかりで取り繕っています。
第374話
★川に出る芝天狗もあれば、山に出る芝天狗もある。土佐郡土佐山では山の尾根に出る話を伝えている。菖蒲の某と言う者が、隣村の長岡郡上倉村に越す石神峠を歩いていて、石神の祠の傍らで芝天狗に出会い、一晩中相撲を取って体中血まみれになって倒れているところを通りがかりの人に助けられたという。この村では「山では芝天狗、川ではエンコウ、道で道碌神(どうろくじん)」という諺をもって、野外で出会う怪異を用心する戒めとしている。勿論エンコウとは河童のことである。(『土佐の伝説』二巻・高知県山村菖蒲より)
第375話
幡多郡十和では、エンコウは人と会えば相撲を取りたがる、そこでエンコウと相撲を取れば木や石にぶっかり、人はへとへとになると言っている。そうして、エンコウは川にいるが、水さえあれば山にもいると言うし、川に千年、山に千年住むけれども、結局川にいるものともいう。エンコウの姿は赤ん坊のようでいて赤く、川猿であるから手が長い。肌はヌルヌルとしていて頭に皿がある。ところで、シバテンは坊主頭をしていたり皿を頂いていたりすると言う。
(『十和の民俗』高知県十和村より)
水天宮の由来に関して
第376話
★川天狗は川にすんで魚を好み、怪火を発したりすると信じられている。甲斐南都留郡(つるぐん)の道志川沿いの小善地と言う所にくそまた淵がある。下手断崖に栃ノ木沢がたきをかけている。昔この滝の際に栃の古木が三本茂っていて、たまたま怪異を示したと言う。道志川で溺れ死にする人があれば、栃の木から蒼い火の玉が飛び出した。あるとき狩人がこれに筒先を向けた事があったが、火の玉はたちまち樹間に返って消えうせたと言う。怪異は、他にもいろいろあった。
ある日、クソマタ淵で村の子供が釣り糸を垂れていると、子供!子供!と大声で呼ぶものがある。恐る恐る声のする方を振り向くと、栃の木の間に黒い坊主がニョッキョリ立ちはだかっていたと言う。また、夜釣りに行って河原を歩いていると、ザブッと網を打つ音が聞こえる事がある。この音を聞けば、いつも魚が取れなくなるということである。(『道志七里』山梨県道志村小善地より)
ではまた次の機会に。
今井 村長 様
風薫る皐月の空を鯉のぼりが悠然と泳ぐ端午の絶句を迎えました。暦の上では初夏の季節に入り汗ばむような陽気です。村長さんのゴールデンウィークは如何お過ごしでしたでしょうか。 さて、昨日「さいたまかっぱ村新聞」第27号を拝読させて頂きました。今回は何と3枚6頁に亘る増刷版に驚きました。いつものカラー写真入りで愉快な仲間との交流や河童探訪記事につい惹き込まれ一気呵成に読んでしまいました。また、村民からの投稿記事も増え喜ばしい事であります。居ながらにして多くの見聞を広め大変有難く感謝申し上げる次第です。更なる河童村のご発展と村長さんのご健勝を心より祈念させて頂きます。ついでに恐縮ですが、しばらく休んでいました採録短編をお届けいたします。宜しくお願い致します。
第369話
★セコもヤマワロと一つで、姿は見えないけれども確かにいるのだと言う。秋の彼岸にのぼり、春の彼岸にくだるのだとも、日暮れごろ山に登り、夜明けに谷へ下るともいわれている。セコの通路は稜線で、夜になるとその声が聞こえる。誤って通路に昼寝をすれば、眠っている間に傍らに移されてしまうし、山小屋を建てれば石を放るとか木を倒す音などをさせて脅かされる。セコの機嫌が悪かったら、早く家に帰って今夜は俺が悪かった、と言って謝ればよいという。
(熊本県民俗事典・熊本県上益城郡一帯より)
河童もどきの芝天狗の話
第370話
★羽前における天狗の相撲取り場は、白砂のあると言うような清浄な所とされているのに対して、隣の会津では草原を想定している。会津の山の多くが湿原におおわれているせいでもあろうか。尾瀬ヶ原は全くの田代地帯であり、駒ヶ岳の頂きも乾湿の程度の違いはあるけれども田代地帯になっているし、その証拠にはその名も田代山と言う全山田代の山もある。この田代山の頂きに天狗の相撲取り場がある。
第371話
★また、裏燧(うらひうち)の七入から御池に通じる昔の鞠林道には、径十メートルばかりの天狗の相撲取り田代があって、ここだけ明るく開けた草原で、鬱蒼たる樺や栂(つが)、唐松などの密林に囲まれていた。尾瀬に魅了されてせっせと単独行きを続けた若き日の作家が、この鞠林道を何回か往復したものだが、そのたびごとに不思議な経験をした。田代の下側の傍らに大木の切り株があり、ちょっとした茂みをなしていた。そうして、この田代にかかろうとした時、作家の足音に驚いた何者かが、その茂みの中へいつも逃げ隠れするのを聞いた。ちょうど穴熊ぐらいの大きさの動物の気配であった。それはともかく、田代は相撲を取るには全く好適の場所である。こうした草原を相撲取り場にしているのは、何も会津の天狗に限ったことではない。
芝を土俵とする天狗は土佐にもおって、これを芝天狗またはシバテンと言う。
第372話
★芝天狗は川にも山にも住むが、多くは川岸の?上なる芝生に生息する物で、河童か河童の親戚ぐらいにみなされている。昔は小さいけれども力が強く、良く人に相撲を挑み、なかなか手ごわい。夜間、人が堤の上などを歩いているとき、小男のような芝天狗が現れて相撲を挑むので、投げつけてやろうと思ってやってみると、逆に投げつけられる。何番やったところで、勝ったと思えば負けており、しまいには着物は破れ、体は傷ついて、ほうほうの体で逃げ帰るのがおちである。これが芝天狗に会った人の常態であるという。芝天狗のいるところは人里離れた川の?で、高知の近傍では下田川、下知?、幡多郡では後川の?などである。ある時、この後川の堤を歩いていた人が、川洲に立って水中の魚を取っては食い、取っては食いしている芝天狗を見たという。それは一メートルに足りない小入道姿であったという。(土佐風俗と伝説より)
第373話
安芸郡赤野は山手まで広がる水田地帯であるが、これは宝永・正徳のころ、時の郷士・仙頭半之助によって開拓されたと言われ、それ以前は赤野川の反乱が相次ぎ、竹藪や淵などもある荒れるにまかせられた場所で、芝天狗もよく出没したそうである。当時村の百姓に馬三郎という力のある宮相撲取りであって、かねがね噂に聞いていた村人の恐れる芝天狗をあまり気にも止めなかったけれども、ある晩の事、ちょうどこのあたりに来懸かって、淵のある方からぐみ原をごそつかせて来るものがあるのに気づいた。それがやがて行く手に現れて、こちらから近づけば後ろへ引き、止まれば歩み寄って来ると言う具合だったので、馬三郎は尻をまくり、グンと腰を落として四股を踏んだ。すると、人の子供ほどの芝天狗も真似をして四股を踏むので、掴みかかって行くと、宮相撲の腕は強いはずの馬三郎もあっさり投げ飛ばされ、ぐみ原の中へ落ち込む。馬三郎は負けん気を出して何度も組みついたが、そのたびに軽くいなされ、逆に投げ出されもんどり打つ。やがて東の空が白んで、通りかかった村人に発見された時は、ぐみ原の中で完全にのびていたという。(『土佐の伝説』二巻・高知県赤野村より)ではまた次回に
2010.5.5ミタニ様
役場の都合で小休止をお願いしましたが、またまた継続いただきありがとうございます。お忙しい時期もあると思いますし、採録余地もすだんだん少なくなっていると思いますので、以降は気が向いた時や採録できた時にいただければ幸いです。五月号は腰の修理で記事が無いと思っていたら、4月にあれこれ行事が繋がり、増刷となってしまい編集も印刷も雑になってしまいました。増刷は今回で2回目ですが、苦労の割りにその甲斐が内容に思われますので、今後は出来る限り編集努力で増頁しないようにしたいと考えています。特集以外は、「一記事一写真」を厳守します。ぜひ、ご投稿をお願いします。
2010.3月分
2010.03.12今井 村長 様
春はもう目の前に来て、あとは桜が咲き乱れるのを待つばかりとなりました。先日村長の膝の治療で入院された事を初めて知りました。知らぬ事とは申せお見舞いにも伺えず大変失礼をいたしました。術後の経過は如何でしょうか。これからは気候も暖かくなるので、ごゆっくりリハビリされ、ご快復を願っております。寒さも峠を越したようで、そろそろ採録を始めたいと思っています。ネタ切れで少々困っていますが、河童HPにも余裕がありましたら掲載を続けて頂きたいと、勝手ながら甘えさせて頂きます。では今回も三編お願いします。
第369話
★セコもヤマワロと一つで、姿は見えないけれども確かにいるのだと言う。秋の彼岸にのぼり、春の彼岸にくだるのだとも、日暮れごろ山に登り、夜明けに谷へ下るともいわれている。セコの通路は稜線で、夜になるとその声が聞こえる。誤って通路に昼寝をすれば、眠っている間に傍らに移されてしまうし、山小屋を建てれば石を放るとか木を倒す音などをさせて脅かされる。セコの機嫌が悪かったら、早く家に帰って今夜は俺が悪かった、と言って謝ればよいという。
(熊本県民俗事典・熊本県上益城郡一帯より
河童もどきの芝天狗というテーマで(余話として)
第370話
★羽前における天狗の相撲取り場は、白砂のあると言うような清浄な所とされているのに対して、隣の会津では草原を想定している。会津の山の多くが湿原におおわれているせいでもあろうか。尾瀬ヶ原は全くの田代地帯であり、駒ヶ岳の頂きも乾湿の程度の違いはあるけれども田代地帯になっているし、その証拠にはその名も田代山と言う全山田代の山もある。この田代山の頂きに天狗の相撲取り場がある。
第371話
★また、裏燧(うらひうち)の七入から御池に通じる昔の鞠林道には、径十メートルばかりの天狗の相撲取り田代があって、ここだけ明るく開けた草原で、鬱蒼たる樺や栂(つが)、唐松などの密林に囲まれていた。尾瀬に魅了されてせっせと単独行きを続けた若き日の作家が、この鞠林道を何回か往復したものだが、そのたびごとに不思議な経験をした。田代の下側の傍らに大木の切り株があり、ちょっとした茂みをなしていた。そうして、この田代にかかろうとした時、作家の足音に驚いた何者かが、その茂みの中へいつも逃げ隠れするのを聞いた。ちょうど穴熊ぐらいの大きさの動物の気配であった。それはともかく、田代は相撲を取るには全く好適の場所である。こうした草原を相撲取り場にしているのは、何も会津の天狗に限ったことではない。芝を土俵とする天狗は土佐にもおって、これを芝天狗またはシバテンと言う。ではまた次回に。
2010.3.12ミタニ様
い膝が悪いのですが、今回は、周囲の反対を押し切り、腰の修理をやりました。2週間も部屋に閉じこめられましたが、優しくも怖い天使さん等に囲まれ、バンクーバーで活躍する選手たちを朝から晩まで応援し、眠れない夜中も読書に専念し、持参した本では足りずに追加するなど、すっかり目を悪くしてしまいました。ようやく、家に帰り、見沼の畑中や芝川、西堀沿いを歩いてリハビリに勤しんでおります。ミタニ様には大変ご迷惑をお掛けしました。掲載も再開いたしますのでよろしくお願い申し上げます。村長
2010.01.21今井 村長 様
毎度お世話になります。大寒も過ぎ寒さも一段と厳しくなる季節ですが、英国の詩人シエリーは「西風に寄せて」の詩の中で、“冬来らば春遠からじ”と書いています。春を待ち望む気持ちは分かりますが、これはちと気が早い。大宰府の飛梅の開花が伝えられると水温む春の味が恋しくなりますが、暖かいとは云え、春とは名ばかりの風の寒さを感じる今日この頃、水温むにはもう少し待たなくてはならない様です。村長さんも気長にウォーキングを続けておられるとか、継続は力なりと申します。陰ながら応援していますので、寒さに負けないで頑張ってください。一時に長い距離を歩かなくても、通算で一万歩あれば結構と専門家は書いています。では睦月最後の採録を三編お願い致します。
第363話
★肥後八代郡の川俣ではヤマワロは山の神の一番くらいの低いものであるといい、上松求麻では山の神の手先だとも眷族だともいう。そしてヤマワロの忌詞(いみことば)としてヤマシンとかヤマノモン、アノシなどの呼称がある。アノシは指示代名詞のあの人と言うほどの意味で、これらの忌詞は畏れ敬う気持ちを表している。とにかくヤマワロは大変な機嫌者で、祀れば人の手助けもするが、癇に障ることでもすれば、いろいろの悪戯もする。山仕事をするときにはヤマワロを頼む。例えば大木を運ぶ場合に、沢山の股木を作って助力を頼むと、ヤマワロがその股木を一つずつ持って支えてくれるので楽に運ぶことが出来る。それから、山焼きをするときに、風向きが悪い場合はお神酒をあげて頼めば風が変わる。山畑に虫がついたような場合でも、頼めば一度で虫はいなくなるという。(熊本県民俗事典・熊本県八代郡一帯より)
第364話
★ヤマワロはお神酒とかシトギが好物であり、シトギを持って来てやるから、と言って仕事の手伝いを頼むのが最もよく、そうすれば、人が昼寝をしている間にも仕事をしてくれる。約束を守り、翌日シトギを持って行って地面に播いてやると、姿は見えないが食物は見る間になくなってしまう。ここに悪戯者があって、そのシトギを口で吹き飛ばしたところ、ヤマワロがびっくりして山の中いっぱいに響き渡るような叫び声を上げた。あとで仕返しされたということである。(熊本県民俗事典・熊本県八代郡一帯より)
第365話
★それから、猟をする場合や山に泊まる場合に芝を立ててヤマワロに断ってからにしなければ邪魔をされる。山の稜線のような場所はヤマワロの通路になっており、そこに山小屋でも建て様な物なら一晩中ゆすられるし、風呂水などゴロゴロと生臭くされてしまうと言う。(熊本県民俗事典・熊本県八代郡一帯より)
ではまた次回に。
2010.1.21ミタニ様
いいですね〜私はいつのまにか英国人でなく日本人の詩かと思っていました!そう言えば、竹久夢二にも
「冬来たりなば春遠からず」と言う詩があります。シエリーの妻メアリーの書いた小説フランケンシタインは、私が現在身をもって体験している出来事です。2月は寒いので我慢できず冬眠に入りますので、三谷様には2月分は2月25日以降にご投稿いただければ幸いです。なぜなら訳ありで2月7日以降24日までは、メールが満タンになり届かなくなると思いますのでよろしくお願い申し上げます。村長
2010.1.14今井 村長様
正月気分も成人式の日を過ぎれば抜けきって、変化のない日常生活に戻ってきた。新しい年を迎えることは、気分的に明るくなる。何も昨年と変化はないが、季節の節目として昔から大事にしてきた意味が少しわかるような気がします。人間のんべんだらりでは、緊張感も厳しさも感じなくなる。かと言って年の初めに目標や抱負を特別に誓った事もない。むしろ老境を意識して「正月や冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもない」と言うのが本音であろうか。では今年初めての採録を三編お届けします。
第360話
★芦北郡の湯浦は村相撲が非常に盛んな所で、昔の力士は山に行ってはヤマワラから力を貰って来たという。山に行ってどんな事をして来たのか、と尋ねても、それについては一切何も口にしなかったという。また、山の中にはヤマワロと人とが相撲を取った跡の残っていることがままあって、そのあたり一帯にシダが生えていて、ひどい藪の中であるが、そこだけ穴があいたように草木が倒れ伏しているという。(熊本県民俗事典・熊本県湯浦町より)
第361話
★これは以前人力車夫をしていた者の話なのだそうだが、ある晩酒に酔って村の老人を乗せて、ヤマワロのよく出る河淵に差し掛かった。すると突然老人は、何、俺に手向かいするのか、と言うや否や腕まくりをして車の上に立ちあがり、しきりに足を踏みならして騒ぎ出す。車夫の目には何も見えないけれども、老人は、ヤマワロが来ている、と言ってきかない。そして、とうとう人車もろとも河原に転げ落ち、梶棒を折ってしまったという。(熊本県民俗事典・熊本県湯浦町より)
第362話
★それから、ごく最近の出来事で、中学生が釣りに行ってヤマワロと相撲を取ったという話が土地で大変な評判を呼んだ。友人と一緒に小川へ魚釣りに行った少年が、途中で仲間と別れて山奥に入って行くと、木の枝に牡丹餅が下がっている。取ろうとして登ったとたん、ヤマワロに蹴落とされた。立ちあがってあたりを見ると、何匹のヤマワロが取り巻いて、相撲を取ろう、と言う。組合ってみるとなかなか強く、最初の一番はヤマワロ二勝ったが、その後は負けっ放しであった。少年は夜遅く家に戻って来て、家族にこの話をしたそうである。(熊本県民俗事典・熊本県湯浦町より)
ではまた次回に。
2009.12.25今井 村長 様
今年も残すところ一週間になりました。今日はクリスマスです、昨晩は、奥様と静かに聖この夜をお過ごしになられましたか、それとも飲み屋で盛大に飲みかつカラオケで楽しまれたことでしょうか。今年一年村民として村の行事にも顔を出さずしまいで、貢献度の低いことを反省、お詫び申し上げます。100年に一度と言われる大不況や未曾有の政権交代、地球温暖化のCO2削減目標等々目まぐるしい激動の一年でした。来年こそはと期待を込めて景気回復を祈っています。どうか気分一新して明るい新年をお迎えなさってください。今年最後の採録をお届けいたします。
第358話
★また、北秋田郡大阿仁に弥三郎という炭焼きがあった。ある晩の事、一家団欒の最中に森吉山の峰続きの上平森の方からドシドシ」という足音と共に何者かがやって来ると、この家の軒下を一巡してから杉皮の戸を開けて押し入った。それは髪の中から目を異様に輝かせ髭を胸元まで垂らし、熊の皮を藤蔓でつづったものを毛だらけの身にまとった身の丈二メートルもの大男であった。炭焼きが山男を炉辺に手まねき、稗飯をヘラに乗せて与えると、それを平らげおとなしく引き揚げた。その晩から山男はしきりにやって来るようになった。家人も次第に馴れて、食物を与えたり、片言ながら会話をしたりして遊ぶようになった。ところが、ある晩、いつものようにやって来た山男は、熊皮の腰巻をたくしあげて藤蔓の紐を締め直すと、炭焼きの手を握って相撲を挑んだ。三輪に出て菖蒲は炭焼きの勝ちであった。再び炉辺に戻ると、山男は、ソナタ強いな、と言って相手の背中を撫で下ろした。その力が余りに強いため炭焼きはその場に気を失ってしまった。
びっくりした家人の叫び声に、山男は外へ逃れて山中に没したという。(『大阿仁発達史』秋田県阿仁町中村より)
川に千年、山に千年というテーマで収録しています。
第359話
★また、北秋田郡大阿仁に弥三郎という炭焼きがあった。ある晩の事、一家団欒の最中に森吉山の峰続きの上平森の方からドシドシ」という足音と共に何者かがやって来ると、この家の軒下を一巡してから杉皮の戸を開けて押し入った。それは髪の中から目を異様に輝かせ髭を胸元まで垂らし、熊の皮を藤蔓でつづったものを毛だらけの身にまとった身の丈二メートルもの大男であった。炭焼きが山男を炉辺に手まねき、稗飯をヘラに乗せて与えると、それを平らげおとなしく引き揚げた。その晩から山男はしきりにやって来るようになった。家人も次第に馴れて、食物を与えたり、片言ながら会話をしたりして遊ぶようになった。ところが、ある晩、いつものようにやって来た山男は、熊皮の腰巻をたくしあげて藤蔓の紐を締め直すと、炭焼きの手を握って相撲を挑んだ。三輪に出て菖蒲は炭焼きの勝ちであった。再び炉辺に戻ると、山男は、ソナタ強いな、と言って相手の背中を撫で下ろした。その力が余りに強いため炭焼きはその場に気を失ってしまった。びっくりした家人の叫び声に、山男は外へ逃れて山中に没したという。(『大阿仁発達史』秋田県阿仁町中村より)
2009.12.25ミタニ様
孫と過ごすクリスマスはあっても、家内や仲間と過ごすクリスマスは無いのでしょうか!?
結局、お寺の大掃除を午後から初め、夜は、蓮田の駅前で盛大に呑み会をやり、いささか飲み過ぎた。そのため二次会では、唄も歌えず、お酒も飲めず、食べることも出来ずただ、ぐずぐず駄べってお開きになり、タクシーで家に帰って怒られました〜。あしたはゴルフでしょう。早く寝なさい!
翌日は、やはりあちこち寄り道の多い散々なゴルフでした。私にとって、腹切りもあり、世相と同様に大変な年でもありましたが、何とか凌いで生きてきました。ミタニ様には、いつものように地球規模で歩き、沢山の採録をして、常に日常の四季の変化に感性を磨き、世相を読み、深い知識の一端をご披露いただき、お陰で人生の生き方の見本を感じさせて頂きました。真似は出来ませんが目標にはなります。正月ぐらいゆっくりお休みして来年もよろしくお付き合いください!
今年も一年間ありがとうございました!村長
2009.12.10 今井 村長様
今年もあと20日ばかりで終わります。師走に入ると用事もないのに急に慌ただしさを感じるのは、永年の習慣のせいでしょうか。失礼ながら坊さんも先生も走り回るほど忙しいのは、檀家や師弟の家庭に挨拶回りをされるからでしょうか。小生のような粗家に住んでいると大掃除も障子や襖の張り替えもなく、小春日和には日溜まりで暖をとりごろごろしています。さて、久しぶりに採録をお届けいたします。酒が飲めないので、忘年会は勝手ながら欠席させて頂きます。
第356話
★土佐の高知に前田又右衛門と言う人があって、幼少の折に愛宕へ通い始め、常に夜行し、いつの間に帰るものか戸を開閉することもないのに、朝はちゃんと寝床から起き出てくる。こうして天狗から武芸を習ったという。これを千葉流と言い、相伝された一巻の書は金紗にして五、六枚、皆天狗の形であった。後には月五、六回座敷にこもり、独りぶつぶつと詮議することがあった。師の天狗が通って来ていたためであろう。妻子を持ってからは身の穢れを厭うたかしてそれも中絶した。さて、前田又右衛門は弟子への伝授を、一間を立ちきり行灯をともして行ったと言いう。(『常慳舎叢書』高知市より)
第357話
★羽後秋田郡の五城目在に田舎相撲の心得のある木こりがあった。ある日山中で薪を背負って立とうとしているとき、不意に山男が現れて、相撲を取ろう、と言ってとめるので、荷縄を解いて相手になり、まず一番は木こりが投げ勝った。二番目はわざと山男に負けて、それで帰ろうとすると、少し待ってくれ、と言って仲間を二、三人連れて来る。そこで、みなと取って一勝一敗と引き分けて別れた。これが縁となって出会いを重ねているうちに、お前の家に遊びに行くから家族を外に出し餅を搗いて待っておれ、と言う。餅を一斗ばかり搗いて振舞うと山男どもは喜んで、一日中遊んで帰った。しかし、これに味をしめて、時々来ては酒食を要請するので、木こりはこれを気に病んで床に着いてしまったという。(『秋田の伝説』秋田県五城目より)
ではまた次の機会に。
2009.12.10ミタニ様
何もしなくても時間は過ぎて行きますが、ミタニ様は「晴歩雨読」の毎日。羨ましい限りです。私など夕方の1万歩健康歩きが寒くて、暗くて、辛くなり、朝昼夕の三回に分けて分散歩きに変更し1週間経過。順調に合計歩数は増えていますが、何か忙しい感じがします。
今日はあいにくの雨と言うか、恵みの雨だあー、と、すっかり朝寝坊してしまいました。今日は、部屋のゴミでも整理しながら、夕方からの大和田支部の忘年会に備えます。現在、ギャラリー河童では野崎遊河童の童謡シリーズを展示しています。日曜日が最終日です。ぜひ、ご覧ください!村長
いよいよ秋も深まり紅葉の季節となりました。気温は秋と言うより初冬の寒さを感じます。日々ご多忙な諸事に追われていらっしゃることでしょうが、ご健勝のこと何よりです。しかし、ご無理は禁物です、何事もほどほどにと申しても、120パーセントまで全力を出される村長さんの事、糠に釘、暖簾に腕押しなんでしょうね。まあ悔いを残さないように、お互い切磋琢磨してやるべきことに取り組んでで参りましょう。向寒のみぎり御身お大切にされて下さい。では今回も例のごとく採録をお届けします。
第353話
九州地方には河童の腕と称する物を所蔵する家が少なくない。現に貴島憲という人が大正四年に、寄せた報告の中にも、日向の旧領主・島津男爵家の所蔵にかかわる実物を見たとあり、話に聞いたこととは異なり、イタチぐらいの大きさであったように記憶している、と述べている。(「郷土研究」三ノ五より)
.天狗の相撲取り場(余話として)河童だけが相撲を好むというわけでもなく、天狗も河童に引けを取らない。そこで、三、四話紹介してみよう。
第354話
★羽前の朝日連峰の一つである竜ヶ岳には天狗の相撲取り場と言う所があって、正月の十日の日に国内の天狗が力比べをするという。冬のさなかの事とて四囲の山々は雪におおわれているけれども、ここだけは純白の砂場になっている。前日から雲集した天狗たちによって何万俵の餅が搗きあげられ、当日は暗いうちから太鼓が鳴り響き、庄内天狗、最上天狗、米沢天狗の三者が覇を争うと言う。最も強い者が大天狗の座につき、一年の間、支配権を握ることになる。四隅に当たる所に土俵の四本柱と称する恰好の石があって、南部の恐山、伯耆の大山、信濃の浅間山、常陸の筑波山から駆け参じた天狗たちがそれぞれ控え、鞍馬天狗が軍配の羽根団扇をふるうと言う。たまたま悪戯者があって四本柱を散らしてしまうような事が起こっても、石は一夜のうちに元の位置に積みなおされ、しかも土俵は綺麗に掃き清められているという。(『小国郷の伝説集』山形県小国町より)
第355話★東村山郡天童町の後藤運太郎という村会議員までやったことのある人が黒森山へ松茸狩りに行った時、天狗の土俵の近くで蓑を着た大男に出会い、何ともいえぬ怖さを感じて逃げ帰ったという。聖域に接近しすぎたために咎められたのであろうか。これは『炉辺山話』に収録されている丹羽正氏の報告である。
ではまた次回に。
今年も霜月を迎え晩秋の山々の紅葉の彩りが鮮やかな茜色に染まる季節となりました。本日、さいたま河童村新聞の第24号を拝読いたしました。いつもながらの精力的なご活躍と、多士済々の河童名士とのご交友に感服いたしております。また、「河童と花器シリーズ」や「鞠と殿様」の美しい作品を観賞しますと、趣味の域を超えた芸術作品と感嘆させられます。今回は私の怠慢から拙投稿の穴を村長さんに埋めて頂き、誠に失礼いたしました。改めてお礼申し上げます。更に、ウォーキングと拙採録をご紹介の上過褒され赤面致す次第です。今後とも益々のご発展とご健勝を祈念申し上げます。今月の採録を二編お届けします。
第351話
★信濃三峰(みぶ)川の流域杉島にある竹の下という家で、昔水辺に池を設けて魚を飼っていたところ、毎夜盗みに来る者があったという。この家の主が隠れて見張っていると、盗人の正体は河童であった。物陰から飛び出して引き捕らえようとすると、河童は相撲を挑みかかって来る。しばらくもみ合っているうちに、主は河童の腕をしっかり握った。そうして、思い切りぐるぐる振り回すと、その腕がすっぽり抜けて残った。河童が慌てて逃げ去ったので、主は腕を我が家に持ち帰った。その夜更けの事である。戸を叩く者があるから開けてみると、先刻の河童がそこに座っている。二度と悪戯はしないから腕を返してくれ、と頼むが主は返してやろうとはしない。そうすると毎晩訪れては腕を乞うたが、主はついに返さなかった。そのうちに河童は諦めてしまったのであろうか、ぷっりと姿を見せなくなった。ところが、しばらくしてから、竹之下の子供が三峰川の川縁で遊んでいて河童に取られてしまったという。その時の河童腕は今もこの家で所蔵しているそうである。
(「山国の動物たち」長野県杉島より)
第352話
★北国の陸奥八戸の風張という所に昔相撲取があって、近郷の力自慢が集まってきては力を競い合っていた。勝抜きで優勝を決しようと言う相撲に、見馴れない若者が二人来て力自慢に挑み、片っ端から投げ勝った。毎日のように何処からともなくやって来ては、皆を負かしてしまう。不審に思った村の若者たちが、ある晩二人の後をつけてみる事にした。それとは知らずに二人は話しながら先を歩いて行く。この腕は引っ張られたらすぐ抜けて、我々が負けてしまうだろうに、人間と言う者は馬鹿なもんだなあ、と言い、村はずれの橋から下に降りて水中に入って行った。相撲に強い二人の若者は河童だったのである。
それから、翌日の相撲には、村の若者が河童の腕を掴んでグイグイ引っ張った。なるほど抜けてしまった。河童は川へ逃げ帰って再び相撲には現れなかったという。河童の腕は下に引っ張るとすぐ抜けてしまいから、組合った時にそうすると良いと言われている。
(「ふるさと伝説」青森県風張より)では、また次回に。
2009.10.23今井 村長 様
秋も深まり、夕暮れは釣瓶落としのように暮れてゆく今日この頃となりました。今井村長様にはご機嫌麗しく存じます。
ゴルフでのスコアより健康体作りで効果が出るのが、嬉しいことでしょう。スコアを落としても健康を維持されるお楽しみに視点を転じて頂ければ、人生もまた楽しです。歩け河童は、水を離れ陸(おか)歩きばかり、目下日光街道を踏破進行中です。先日日本橋から粕壁宿まで歩きました。日帰り計画で月一回の例会に参加しています。完歩 したらご報告いたします。では豊潤な秋食欲旺盛でメタボにご注意を。今回も三編何とか拾ってきました。そろそろ種切れ気味です。
第348話
★備前岡山は御津郡福渡の浜辺で、ある夏のこと子供たちが水遊びをしていると見慣れない子供が来て、相撲を取ろう、と言った。よく見ると河童であって、頭の皿に水をたたえている。子供たちはその水をなくさせてしまおうとして頭を振る。河童もそれを真似て、頭を振るうちに、水をこぼしてしまって何もできずに帰って行ったという。(『民族』三ー五―四―岡山県福島より)
第349話
★肥後八代では河童と相撲をする場合は、両方から一つずつ約束をするものだと言っている。河童の方からは頭を触らないこと、人の方からはくすぐらないことを条件にする。河童は頭に触られると皿の水がこぼれて神通力を失うし、人は河童に懐へ飛び込まれてくすぐられると負けてしまうからであると言う。
(熊本県民俗事典より)
{.河童あわれ}というテーマで採録
第350話
★大隅の屋久島も河童の多いところである。一湊の人が酒に酔って宮之浦から帰って来るとき、途中で四、五人の子供に出会った。その子供たちがいきなり相撲を取ろう、と言い出してきかない。河童に違いないと感づいたので相手になる。俺の頭に手をやるな、と言って子供たちがいどむ。それをいちいち投げかかったが、何しろ数が多いので骨が折れる。そこで、まあ一時休め、お前らは何処の子か、と聞いた。すると子供たちはわけのわからないことをしゃべる。もう一度、お前らは何という者だ、と聞いてみるが、相撲を取らんか、と言うばかりである。男は酒の酔いもようやく覚めかかり、いよいよ相手の正体が河童と知れたので再び立ち会いに入り、今度は片っ端から腕を持って振り回した。案の定腕がみな長く抜け出たという。(屋久島民族誌・鹿児島県上屋久町一湊より)
2009.10.23ミタニ様
本当に良い季節になりました。歩くのにもゴルフにも暑くもなし寒くも無しで絶好です。苑展が終わり、思いがけず阿弥陀仏の清掃もさせていただき、これで過去の罪は全部消えたと喜んでいましたら、ゴルフにもハーフ36が出ました!これも阿弥陀仏様のお助けではないかと喜んでいます。
日光街道踏破とは凄いですね〜そして一日で日本橋から春日部宿ですか!私は先日、桶川宿1kmを往復して疲れましたー
ぜひ、踏破の折りにはお知らせください〜村長
2009.10.1今井村長 様
◇もうと言うか、未だと言うか10月になりました。今月は「神無月」と呼び、神様サミットで出雲が大賑わいです。出雲だけが「神在月」になるそうで、いずこも神のご加護は望めません。ところで村長さんのウォーキングは、1時間半も歩けば十分です。それが体に無理を与えない効果的なウォークです。私などの長距離歩けば良いというものでなく、かえって過ぎたるは及ばざるが如しと申し、負荷が掛け過ぎ疲れが蓄積します。彼岸花も枯れてこれからはコスモス観賞でしょうか。来月は鳩の巣渓谷の紅葉を求めて歩く予定です。村長さんもゴルフに絶好なシーズンです、お楽しみください。では今回も三編採録しました。
第345話
★同じく天草島に山下金三という農夫があって、相撲に強かった。ある日、広瀬の白岩という所の田の中で働いていると、金三、相撲を取ろう、と言う声がしたので顔を上げてみると、河童が畔(あぜ)に腰をかけている。そこで、お前は田の草を取って加勢したら取ってやろう、と言うと、またたく間に田の草を取ってしまった。いよいよ手合わせと言う時に、昔から相撲のときは両方頭を下げて礼をしてから取ることになっているから、礼をしてから向かって来い、と言うと、河童はペコッと頭を下げてからかかってくる。投げつ投げられつ、日暮れまで相撲を取って遊んだ。河童と相撲を取る時は、まず礼をさせ、頭の水をこぼさせてしまってからするとよいという。(天草島民族誌・熊本県天草町より)
第346話
また、ある者はそのことをよく知っているので、相撲を取る前に河童どもを一列に並ばせて、まず最初に頭を下げてお辞儀をすること、それから、河童は脇の下と臍(へそ)に触らぬこと、そのの代わり自分は河童の頭に触らない、などと言い渡した。その通りにして組合ったので、河童を負かすことができたという。
(天草島民族誌・熊本県天草町より)
第347話
★また、重助という者があって、ある時川岸を通っていると河童が出て来て、相撲を取って俺に勝てたら持っている宝物を全部やろう、と言う。重助は河童をだましてお辞儀をさせ、皿の水が空になったところで相撲を取り、わけなく河童を負かして宝物を得、村一番の大金持ちになったという。
(天草島民族誌・熊本県天草町より)ではまた次回に。
2009.10.2ミタニ様
昨日、カンカン照りの中で、魚沼市の中学時代の仲間と年一回のゴルフをやりました、、河童の絵を描いたボールは次から次へと谷川や池に水を求めて飛び込む。それならばと打つ前に河童ボールを水に漬けてから打つもまたもや谷川へ〜大変な一日でした。今日は、ホテルで朝食後すぐに新幹線で帰宅しようと早めの特急に乗ったのだが、大宮には停まらず、東京駅まで連れて行かれ、また新幹線で戻ってきた次第です。ボケは相当に進んできています。
疲れて今日は歩きません〜。村長
2009.9.24今井 村長 様
暑さ寒さも彼岸まで、と言われますが秋もたけなわとなり食欲の秋、スポーツや芸術の秋と賑やかになりました。
村長さんにはお変わりなくご機嫌宜しくお過ごしのことと存じます。秋の陶芸展に向け日々お励みのお疲れはありなせんか。物造りの楽しさは門外漢には測り知れませんが、これぞと思う作品が出来るときの達成感・満足感は如何程のものかと想像つきます。
世間は民主党の政策運営を鵜の目鷹の目のように見ていますが、賞味期限は100日とか、後は批判の嵐に晒される運命にある。その点我々傍観者はラクダ。政党への投票責任は問われないから・・・では今月の二回目の採録をお届けします。
第343話
★筑後の久留米に腕自慢の相撲取りがあって、ある時筑後川の川岸に降り立っているとき、川の中から三匹ばかりの河童が出てきて相撲を挑んだという。相撲取は直ちに応じて簡単に三匹を負かしてしまった。すると、水中から大勢の眷族(けんぞく)を呼び寄せて闘わせたけれども、やはり勝つことが出来ないで、すごすごと引き揚げて行った。勝ち誇った相撲取は手を洗おうとして水辺にかがみ込む。その瞬間、相撲取は飛沫を挙げて川へ落ち込んだ。水中では滅法強い河童のために引き込まれてしまったのであるという。(筑紫野民潭集・福岡県久留米市より)
第344話
★天草島は本村下河内の庄屋は大変な漁好きで、夏の間は毎日のように広瀬川に網を打っていた。ある日、七尋淵(ななひろふち)で網をあげると、何か重いものが入ってきた。見ると、ちょうど三つ四つの子供ぐらいの、皿のような頭をした河童であった。それを縛って帰り、厩(うまや)の前に縄でもって括りつけておいた。そして、下男が飼葉をやりに行くと歯をむき出してゲゲッとやる。下男が腹を立てて、河童の頭から水を浴びせかけたので、たちまち縄を切って逃げ出したという。いわば水は河童の命のようなものである。頭頂に蓄えられた水をあけさせてしまえば、人間の勝ちである。だから、どうしてそうさせるかが、知恵の働かせどころとなる。
(天草島民族誌・熊本県天草町より)
ではまた次回に。
2009.9.24ミタニ様
絶好の歩きシーズンで狭い日本知らない道が無いくらいに歩いていること思います。ますますお元気にて歩き回る大兄を羨ましくも敬服致す次第です。先日、江ノ島ハイキングに参加して、登りはエスカを利用し、裏の階段を下りて言ったら、台風の余波で舟が出ず。結局歩いて戻る羽目になり、太り気味の三才の孫に手を引かれてようやく階段を上った次第です。毎日五時半には夕食が終わり、歩き始めますが、1時間半で家に戻る。調子が悪いと途中五、六回休憩。します。
何とも情けない話です。
テレビ報道による新内閣の様子は、小学生の演劇を見ている気分になります。私も投票すれど責任は取りませんが、火の粉は被るでしょうね〜
明日は、お寺で苑展の最終制作です。歩いてお寺でもギャラリーでもみにきてくださいー村長
2009.9.11今井 村長様
本日は快晴の秋晴れです。天高く馬肥ゆる秋、刻露清秀と申すか、素晴らしい天気です。村長さんはゴルフのシーズン、私にはウォーキングに最適、共にこの秋を満喫しましょう。先日、日本ウォーキング協会の副会長である泉さんというドクターが肺癌により65歳で亡くなった。日頃よりスポーツ医学を説きウォーキングの効用を広めてきた人である。その人が医者の不養生・坊主の不信心と言われるような死に方をして、ウォーカーとしてショックでした。それも私より若い、仲間とも一緒に歩いた人、これは参りました。友人から歩く効用あてにならんなと。でも村長さん信じて下さい、信じる者は救われると申しているではありませんか。では九月の採録を三篇お届けします
第340話
◆越後西頸城(くびき)郡根知村では、河童が七つ、八つの子供のような格好をして川遊びをするといい、そこを脅したりすればいきなり飛びかかってくるし、負ければ悔しがったり大入道に化けて見せたりするそうである。(『小谷口碑集』新潟県根知村堤小屋より)
第341話
◆根知川が女川へ注ぎ入る合流点も近くに根小屋と言う所があって、そこの某と言う男はどこへ行くにも鎌を腰に差したままで、一生身から放さなかったと言う。その訳は、この男が糸魚川に用足しに行き、タナゾという所まで来ると、そのとき、付きまとい始めた小童に飛びかかれた。とっさに組合ってみると、見かけによらず力がある。ふと某は腰につけた鎌を思い出し、抜き取って振り回すと小童はたちまち逃げ失せて、だめだめその奴は鎌を持っているぞ、と叫ぶ声が姫川。の中から聞こえた。それから後はどのような時でも鎌を離さぬようになったと言う。(『小谷口碑集』新潟県根知村堤小屋より)
第342話
◆三河北設楽郡三輪村に小久右衛門というものがあって、えらい力持ちなので大力久右衛門または鬼久右衛門と呼ばれたと言う。ある夜、長尾かと川合の境にある亀淵に差し掛かった時、久右衛門は先になり後になりして歩いているかむろ髷の少女に気が付いた。怪しんでいると、クルッと向き直り、久右衛門、火貸せ、と言って笑ってみせる。亀淵のあたりに河童が出て人に悪戯をすると言う話を聞き知っていた久右衛門が、すかさず腰に差していた大煙管(きせる)でもってその頭を打ちすえたところ、少女の姿は消え失せ、我が身はしびれてその場に倒れてしまい、朝方にやっと気が付き、ようやく村へ帰りついたと言う。亀淵は深い淵をなしており、底が知れないと言われている。ちょうどそのころ、村に深さを測ってみようとする者があって、縄の先に鉈(なた)を結びつけて垂らしたけれどついに底まで達しなかった。やがてこの者は中に落ちて淵の底に沈んでしまったと言う。(『虹と黒潮』愛知県三輪村川合より)
ではまた次回に。
2009.9.11ミタニ様2009.8.31今井 村長 様
昨日の衆議員議員選挙の結果は民主党の圧勝に終わり、自民党は歴史的敗北となった。投票前から民主党の風が強く勝利は確信されていたが、これほどとは思いませんでした。これで政権交代を目指した民主党もマニフェストの実行と変革の求められるだろう。今日の台風と雨は自民党に吹き荒れる嵐を象徴しているようだ。悔し涙にくれている暇はない、解党的出直しにこれからの四年間邁進してほしいものである。村長さんは如何様にお感じになられましたか、世直し政権交代なるか、はたまた混迷深まる時代の招来か、期待が大きいだけに、政策運営の舵取りが問われますね。では八月最後の採録を三篇お届けします。
第337話
★同じく肥後の八代二見では、この村の馬喰(ばくろう)が夜遅く馬を引いて君ケ淵の傍を通りかかり、現れた河童に相撲をせがまれた話を伝えている。河童に驚いて暴れる馬を引き、あわてて逃げ去ろうとする馬喰に向かって、相撲を取ってくれなければ馬を川の中に引き込むぞ、と河童が脅す。馬喰はすっかり困惑して、とにかくいったん馬を我が家に戻した上で相撲を取りに出直して来るからと約束してその場は許して貰った。気が進まないが後の祟りが恐ろしいから、約束も破ることもならず、馬喰は出掛けにオハッサン(仏飯)を食べて行った。君ケ淵には大勢の河童が馬喰を待っていた。しかし、いざ相撲を取ろうと言う段になると、目が光って相撲が取れない、と言って逃げ去ってしまったと言う。(『熊本県民俗事典』熊本県二見村より)
第338話
★筑後の三井郡大刀洗村の彦兵衛と言う農夫があった。ある日、隣村への行っての帰りに日暮れて真っ暗となり、雨模様の薄気味悪い夜道を辿り、やっと自村の端までやっと来たところが、たくさんの子供が寄り付いて相撲を挑むのであった。暗いことでもあるし、第一腹がすいたから一度家に帰って出直してくる、と答えるが、子供達は聞き分けそうにもない。ついに門前までついて来て、仏さんの飯を食べちゃ厭だよ、と口々に言う。彦兵衛は子供の正体をすっかり見抜いて仏様の飯を食べて、腹ごしらえをして庭へ出る。すると、先ほどまで門前に群がっていた子供の姿は一つ残らず消え失せていた。河童どもはそれを知って早々に退散をしてしまったのだと言う。(『筑紫野民潭集』福岡謙大刀洗村仁王丸より)
第339話
★四国は伊予の越智郡関前村に与一と言う農夫があって、薬師堂の傍らの畑で農作業をしていると、河童が現れて、相撲を取ろう、と言う。与一は河童を待たしておいてその堂に入り、仏飯をいただいて出てくる。すると、お薬師さんのオブッパを食べて来たな、と言い捨てて河童は相撲も取らずに逃げてしまったと言う。(『民俗学探訪』41年度―愛媛県関前村岡村より)
それではまた九月に。
2009.8.31ミタニ様
夏の疲れも感じさせないさすがに鍛え抜かれたスタミナを感じさせる月末の採録をありがとうございます!これほどの敗北を喫した麻生太郎は責任をとって総裁辞任?私なら恥ずかしくて当然議員辞職します。この神経が駄目議員象徴なのでしょう。自民党にお灸を!とは思っていましたが、これほど多くの人たちが同じ行動を起こすとは思いも寄らなかった。政治家同様、自分も含めて駄目国民かと思っていたら、最低の意識は持っていたんだと少し嬉しくなりました。しかし、それはそれとして大した期待は出来ないと考えています。大きな混乱または変わらぬ政治手法とは思っています。少しでも変革があれば上々等です。これが私の心境です。村長
2009.8.21今井 村長様
夏も終盤を迎え、夏らしいカッと照りつける陽射しの日が数えるほどに少ない八月でした。あと10日ばかりの天候はどうでしょうか。衆議員選挙も30日に投票がありますが、焦点は民主党による政権交代が実現するのか、期待と不安が交差します。村長さんは今度の二大政党の政権公約を比べて、いずれに軍配を挙げますか。尤も似たり寄ったりで興味も薄れるでしょうが。マニフェストは選挙用で、政権を握ると公約は膏薬のように剥がされては困りますがね。
では暑さで朦朧とした頭で二編書き写しましたので音で消します。
第335話
★また、宮田村にみやなぎという相撲取りがあって、海岸を隣村に歩いていると、河童が現れて、相撲を取ろう、と言う。用事があるから帰りに相手になろう、と言って、用事を済まして、帰り際に仏飯を頂いて来る。再び河童に会って、相撲を取ろうと言うと、目が光るから恐ろしいと言っていどもうとしない。さっきの約束を守らないのは不都合だ、と言って責めたて、これから後は宮田の人の尻を決して取らないと約束させたと言う。(『天草島民俗誌』熊本謙天草町より)
第336話
★また、ある時、相撲の強い人が外出することになり、途中に飛石伝いに渡る川があった。母親が出掛けに仏飯を食べさせてやった。歩いて行って川を渡るとき、小便を催したので川へ垂れ流した。すると、頭の上に小便をするのは誰か!と言って水中から河童が出て来て言い合いとなり、しまいに、お前は相撲取りのようだが俺と相撲を取って勝ったら向こうへ渡してやる、と言う。相手をすると、目が光るから恐ろしい、と言って河童の方から降参したと言う。(『天草島民俗誌』熊本謙天草町より)では、また次回に
2009.8.8今井 村長 様
今年の夏は異常気象の成果連日梅雨あけとは言え蒸し暑い曇天が続いている。地球温暖化の影響だと声高にいう有識者もいるが、果たしてそうであろうか?村長さんもこう蒸し暑い日にはウォーキングは避けたほうがよろしいでしょう。私もお市寄りの冷や水と言われぬ前に自重しております。ビールが飲めたらスカッーとして夏気分を味わえるのですがね、下戸は損ですよ〜。では、今月も暑さバテで取り敢えず二編だけでご勘弁下され。河童を負かす知恵というテーマで拾ってみました。
第333話
★肥後天草島の大江村の赤崎少年が桑津留という所の淵の側を歩いているとき、河童に引かれて水中に飛び込み、相撲を取った。苦戦して泡を吹いているところへ折よく通りかかった村人に助けられ、家に連れ返された。しかし、河童と相撲を取りに行く、といってきかないので神主を頼んで祈祷して貰ったら、次第に静まったと言う。(『天草島民俗誌』熊本謙天草町より)
第334話
★また、ある浜辺を子供が一人で歩いていると、不意に海の中から河童が出てきて、相撲を取ろう、というので、子供は面白がって、飯も食わずに晩まで相手になった。暗くなって家に帰ると今頃までどこで遊んでいたか、と家人が尋ねるので、浜辺で相撲を取っていた、と答える。これを聞いて皆吃驚する。さらに、約束をしたから明日も行く、と言うと、しきりに止めるけれども、明日来なければ打ち殺すと河童が言っていた、と言うので、仕方無く翌日に仏様の飯を食べさせて出してやる。家人が心配してつけて行くと、やはり砂浜に河童が待っていた。ところが、仏様の飯のお陰で光る子供の目玉に恐れをなして、海の中へ逃げ込んでしまったと言う。(『天草島民俗誌』熊本謙天草町より)
では、秋の展示会に向かって創作活動をお励みください。くれぐれもご無理はなさらないで、スローライフをお心がけください。
2009.7.21村長様
梅雨明けと共に猛暑が襲ってきたかと思えば、この二三日梅雨空を思わすような蒸し暑い日が続きます。山口では梅雨明け前の大洪水に見舞われ土石流の災害が発生しています。幸い埼玉は大雨の心配もなく、土用の丑の日に、昨年より安い蒲焼にもありつけました。村長さんもうなぎを召し上がって夏バテ防止に如何ですか。ところで7月25日の暑気払いの日、またも蓮田市歩こう会の例会日と重なりました。誠に残念ですが欠席させて頂きます。皆さま大いに暑さを吹き飛ばし楽しい宴になるよう祈っています。では今回も3遍採録をお届けいたします。
第330話
★日向宮崎の外蟹町に日高政二郎と言う者があり、ある時対岸にある大淀の中村町へ行くために大淀川を小舟で渡り、岸からすぐの桑畑を歩いているとき、河童が現れ、相撲を取ろう、と言うので取っ組み合う。かなわぬと悟ったか河童が逃げてしまった。あとで気がつくと、この者の体はいたるところかきむしられていたと言う。(『民俗学』二―八外蟹町より)
第331話
★また、同じ外蟹町に日高と言う兄弟があって、ある夏の日に水浴びに行ったまま晩方になっても帰らない九つになる弟を、兄が心配して探しに出た。河原に来てみると、1メートルにも満たない子供たちが十人ばかりで、一人の子供を中に置いて代わるがわる相撲を取っている。よく見ると、河童どもに弟が攻められていたのであった。人の気配に河童どもはいっせいに姿を消した。弟は全身爪で引っ掻かれ、その夜からひどい熱を出したと言う。(『民俗学』二―八外蟹町より)
第332話
★毎年三月三日になると、筑後八女郡中広川村にある高間堤の付近を誰一人通行する者がないという。それは昔この村の若者が節句酒に酔って堤のほとりを通りかかった際に、河童のためにひどい目にあわされてからのことであると言われる。節句などの物日には、村中打ち揃って野良仕事を休み、仲間同士寄り合って終日楽しく遊び過ごす習わしである。そうした団欒の一日を送った若者が高間堤に差し掛かると、皿を被った小童が現れて行く手をさえぎり、相撲を取って、俺に勝たなければここは通さない、と言う。村相撲で土つかずと言う若者は、小童に組つくや否や、力任せに投げ飛ばした。そして通り抜けようとすれば、また行く手を遮る者がある。次から次へと新手が出てきて、小童どもの数は十七、八にもなった。ここで若者は河童を追い払う呪術を思い出し、手に唾をして身構えると小童どもはあわてて逃げ失せたと言う。それからというもの三月節句の日に高間堤に近寄る者がなくなった。(『筑後民譚集』福岡謙八女郡高間堤より)
以上ではまた次回に
2009.7.21ミタニ様
この暑い中を収録ご苦労様です!私は、全盲河童作家:荒谷氏との二人展が終わり、昨日、今日と草取りでした。窯場は、ジャングルの如く生い茂り、何処から手を付けていいのやら状態でした。展示準備から留守番そして後始末に礼状書きと、ささやかな1万歩あるきも休止し、なかなか再開できません。辛いのは先送り人生の真骨頂を発揮しています。きれいな暑中見舞いをありがとうございました!暑気払いはまたもや「歩き負け」仕方がないです。相手が相手だから....。その内に参加出来る日が来るでしょう〜楽しみにお待ちしております。村長
2009.7.9今井 村長様
7月も初旬が過ぎ去ろうとしていますが、河童サミットを含めて探訪の旅のお疲れはとれましたでしょうか。梅雨真っ最中でウォーカー泣かせの日々が続いていますが、河童族はこの雨を恵みの雨として喜々としていることでしょう。蛍の鑑賞会、夏草の刈込に、芝川の清掃と相変わらず精力的に活動をされてお姿に敬服いたす思いです。私のマンネリの採録も底を突きそうで、日暮れて道遠しという焦燥感にかられています。いつものように二編採録を。
第328話
★これも昔の話になるが、安倍竜識の『水虎説』(1846)に、筑前姪浜の久三なる者のことが記載されている。島原の出で、そのころは姪浜の茶屋の裏に住み、日傭取りなどをして暮らしていた。あるとき、隣村まで用足しに行って夜中に帰ってくる道すがら、河童に出会った。そこでその方は島原においてわれらが腰掛石を取り捨てたり、力量ことに優れたるを知れたると言って、河童に相撲を勧められた、とあるから、前に一度力比べをしていたことになる。夜が明けてからならともかく、夜中に相撲は取り難し、と言って断り、家に帰る。するとその家まで押し掛けて来てなおも勧めるが、久三は外に出ようともしなかった。明けてから事の次第を妻に語り、相撲を取りに行こうとすると、家主の耳にも伝わって皆心配する。さて、宝見川に行ってみると既に五匹の河童が待ち受けていた。汝等一人ずつ相手になろう、と久三は初めに約束する。河童どもは川から上がっては交互に挑みかかって来る。若い時相撲を取り、人に優れた力量のある久三にとって、河童などは子供の手をねじるような、ものだけれども、体がヌルヌルして捕まえどころがないし、また生臭いので閉口する。久三は工夫を巡らして河童の股に手を差し入れ、逆さに倒して、訳なく投げ勝った。勝ち目のないことを悟った河童どもは早々と退散してしまう。このとき近辺の者どもが大勢付き添って見物に行った。しかし、河童の姿は見えず、久三が一人で相撲を取るように見えたが、時折水に飛び込む音と水の動揺するのを見聞したと言う。当時見物に行った茂助という者の話である。
(安倍氏『水虎説』福岡市姪浜より)
第329話
★『大鏡』に藤原師輔が夜更け宮中から退出の折に大宮通りで百鬼夜行に出会った逸話はよく知られている。供の者に声作りさせ、みずからは畏れはばかって平伏し、尊勝陀羅尼(そんしょうだらに)を読みつつ鬼神をやり過ごした。供は何もわからず、全く合点のゆかぬことであったと言う。寛永になった森戸里述の『川太郎伝』によると、豊後日田郡武田村に白糸嘉右衛門という相撲取りがあって、その子が相撲を取り疲れた果てに河童に憑かれた話を伝えている。十二歳の少年正吉は親に似てなかなかの剛の者であったよし。盛夏の一日、隈川で水浴びをしている際に足の裏を何者かにかかれた。少年はすぐに水に潜り、その者を懲らしめて帰った。ところが、その夜半になって、少年は水浴びがしたくてたまらず、フラフラと河畔に出て行ったところ、水中から子供がニ、三人現れてお前は相撲取りの子だから相撲を取ろう、と言う。河童と悟ると、その両足を捕まえて石に叩きつけ、二匹までやっけた。しかし、いつの間にか十数匹もの河童に取りまかれてしまい、必死に応戦する。そこへ息子の外出を怪しんで探しに出た父親が来合わせて見ると、少年はただ一人で荒れ狂っているのであった。家に連れ帰ったけれども、少年の目は門の方を睨んで、さあ来い、と狂い立つ。そこで河童と相撲を取ったのに違いないということになり、ある人が郷義弘の脇差しを持って来て枕元に置くと、書中にもかかわらず夜具をすっぽり被って鎮まり、持ち去ると先のように騒ぎ出す始末であったが、法力の優れた修験祈祷によりやっと元に戻ったと言う。
(『日田郡誌』大分県竹田村河原町より)
ではまた次回に
2009.7.10ミタニ様
いやはや暑くなりましたー。河童も川から出れば暑さは同じ、頭のお皿などあっ!という間に乾いてしまいます。台北かっぱ村の河童石像除幕式に参列。暑い台湾から帰ってきたら、日本の方が暑い!のには驚きました〜 今日は、疲れを癒し、明日はもっと熱い!焼成です。暑さに負けずというか、逆わらず日陰でゆっくりやりすごしましょう〜。村長
2009.6.30今井村長 様
十日ぶりのご無沙汰でした。ご機嫌如何で御座いますか。関東地方は今週は梅雨本番で連日降雨に見舞われて、ウォーキングもままならず、鬱とおしい日々を退屈に過ごしています。梅雨と言う季語で、梅雨雲とは、空一面に暗雲に覆われ、今にも降りそうな天気。梅雨寒とは、北から寒気団が入り急に気温が下がるとき冷たい雨が降る。梅雨晴は、梅雨の最中にふとのぞく晴天で、一番うれしい時です。河童族は梅雨の方がありがたいでしょうがね。では今回も採録を二編届けます。夏場はPCの前が暑いので中休みさせて頂きます。
第326話
★土佐は高知の農人町に大工頭の野村紋之丞と言う者があった。ある村の小社造営を頼まれて落成に至ったが、どういう事情によるものか破談となり、その社を壊して帰る途中、堤上に小坊主が現れて相撲を乞うた。捕まえて水中に投げると、水面を歩いて来て再び相撲を乞う。その時指小刀をもって一突きにすると傍らの流れに逃げ込んだという。(『皆山集』高知市農人町より)
第327話
★一説によると、野村安之丞が夜中に新町田淵の樹下神社の西から農人町に通じる田道でしかじかのことがあって、その後、新市町東詰の橋の上に、小坊主が現れ、足を掴まれて水中に引き込まれそうになったが、欄干に取りついて難を逃れたとある。その後、夜中に、安之丞いるかと言って家を訪れる者があった。戸を開けて見るけれども人影なない。三晩目にも声がするばかりで影はさらにない。ところで小坊主の言う事には、報復をしようとしているけれども、あなたは運の強いお方で目的を遂げることが出来ない。しかも、過日の傷のために、わが命は明日に縮まってしまったので、一つの願いがあって来た。明日常盤町東第一の水門に強飯を供えてわれに手向けたまわらば、それでもって成仏し、何も思い残すことはない、と言って立ち去った。翌朝、安之丞が願いの通り強飯を門の水中に手向けてやると以後変わったことは何も起こらなかったという。人からの伝説だとして松野尾章行(1836〜1903)が記している。(『皆山集』高知市農人町より)
では次の機会に
2009.6.19今井 村長 様
河童サミットin 盛岡での旅を終えてお疲れのことと存じます。今回は助役さんもご一緒とのことで、楽しいお土産話を次回の紀行文でご紹介いただけることを楽しみにしています。さて、連日のように夕方になると雷雨がありましたが、今日は梅雨の晴れ間でしようか。夏は新緑も青に変わり、夏の言葉として、青葉の季節に吹く青嵐(せいらん)とか、水田の稲が青々と連なる青田、深緑に降り注ぐ露を春梅雨とか、黒潮のことを青葉潮などと季節に合わせた言葉があります。そして青春とは精神的に若い人のことも言うらしい。その点創作意欲・好奇心旺盛の村長さんは、まさに青春そのものであるまいか。では今回も二編採録をお届けします。
第325話
★筑紫野の水を集めて西に流れ下る筑紫川は、その昔よく氾濫してその流域に甚大な被害を及ぼした。とりわけ筑後三井郡床島は、筑紫川の流れが複雑になっている上に桂川や佐田川の支流を集めているので、水の被害のおき易いところとなっている。ある日のこと、白髪の老爺がこの村を訪れて、村人が水に苦しめられるのは枝川をせき止めて水の調節をできるようにせねからだ、と言い残して去った。これを聞いた村人は憑かれたように工事に取り掛かったけれども、仮せき止めの土嚢(どのう)は積む後から流されてしまった。すると、再び白髪の老爺が姿を現して、こうなるのは神様の思召しによるものであるから、十二歳までの乙女を一人俵に詰めて流れに投ずるがよい、と村人に告げた。ところで、村の貧しい百姓吉兵衛には九つになるおさよと言う娘があった。おさよは村人の苦悩を知り、みずから人柱になろうと決心した。そして俵に入れられて、流れに投じられた。やがて堰は完成し、水を通じようとして取り除けられた俵の一つにおさよの亡骸(なきがら)があった。すると、また例の老爺が現れ、その手で亡骸を撫でたかと思うと、たちまちおさよはよみがえったという。(『筑紫野民譚集』福岡県床島より)
(追記:少し河童から横道に入りましたので、本題に戻ります)
相撲を好む河童をテーマに拾ってみました。
第325話(相撲を挑む)
★陸中の大槌湾に臨む安渡と大槌とを結ぶのは雁舞道という路で、渚の迫った、桑の木と乱杭ばかりの人気のないところであった。明治の代に安渡に里舘某という狩人があって、春先のそぼ降る雨の中を、大槌に行こうとして雁舞道を歩いているとき、背後にヒタヒタと言う足音を聞いた。見るとその頭に皿をいただいた、丈は60cmほどの河童である。これ以上付けられてでは厄介だとばかりにその場に身構えると、河童が攻撃をし始めた。真直ぐに飛んで来ては、体当たり寸前の所でヒョイと横にそれ、股の下をすり抜けては背後に回る。何度か繰り返した後に、とうとう脇ばさみに捕え、力任せに地面に叩きつける。それから凄まじい闘いになった。肌はスベスベするし、殴れば拳がめり込むし、苦しい闘いになった。やがて、物凄い力で渚に引きづられそうになるのを桑の木にしがみついてこらえ、からくも河童の手から逃れおおせた。里舘某の体は三本指の爪にひっかかれて傷だらけ、しかも握られた所はくろあざが出来たという。(『大槌の民話』岩手県大槌町安渡より)
ではまた次の機会に。
2009.6.19ミタニ様
まさに梅雨晴れの良い天気で、昨日は慶福寺の草取りで膝がガクガクそして今日は、今年まだ二回目の焼成でしたが、窯番をしながら草取りは暑い熱い一日でした。あまりの暑さに昼食にビールを呑んだら、アルコールが廻ったのか、窯が熱いのか、太陽が暑いのか分からなくなってしまったー。
午後からは多少風もあり、凌ぎやすかったが、太陽の威力には勝てず顔も腕も真っ赤に焼けてしまった〜。青春というより、最後の灯火みたいです〜
採録ありがとう〜村長
今井村長 様
鬱とうしい季節の梅雨のシーズンを迎えます。村長さんの膝は湿気には支障がでませんか。今月は14日から「河童サミットin岩手」にご参加の予定だそうですが、ご多忙で体調を崩さないよう切に願っております。盛岡の「わんこ蕎麦」は有名ですが、20〜30杯はお茶の子さいさい、と言われ男性なら100杯食べるとも言われました。そのお茶の子さいさいなる言葉、本来、朝早くから仕事をした農家の人たちが、朝食前に食べた簡単な食事のことで、同じ意味の言葉「朝飯前」がある。お茶の子は腹にたまらない。そこから「簡単」「たやすい」の意味になったとか。またも蛇足になりました。では6月最初の採録を二編お届けします。
第323話
★羽後泉北郡西明寺では元和四年に大洪水のために大野堰のとめが破れて、稲田をみな押し流されるという災難に見舞われているという。そこで翌年のこと、水係りの百姓どもが神社に籠って二十一日の祈願をこめると、満願の日に大日如来の託宣があって、前の年の洪水は竜神の祟りであるから、三歳の牝牛に若い巫女を乗せ生贄に奉って竜神を鎮めよ、とのことである。牝牛の方はすぐに得たが、巫女はなかなかいない。当時、小白川に長兵衛と言う者の家があって、そこにお小夜という娘が奉公していた。お小夜は巫女であったが。さる飢饉の年に母と一緒に南部領から流れて来た者で、病んだ母の薬餌を得るために長兵衛の下女をしていた。その母も先年亡くなって孤独の身であった。村人がこのお小夜に目を付けぬはずはなかった。お小夜は村人に願われて、犠牲になることを決心するに至り、牝牛に乗ったまま槽の中に入り、川底に沈められた。村人はその上に頑丈な堰堤を築き、お小夜の守り本尊には大日如来の一字を建て、その霊を鎮めるべく、巫女を養成せぬこと、牛を飼わぬこと、水槽を用いぬこと、井桁のある井戸を作らぬこと、胡麻を蒔かぬこと、麻を蒔かぬこと、藺草(いぐさ)を植えぬことを七つの禁断を設けたという。この堰堤(えんてい)は享和の洪水にも、安政の洪水にも耐えてきたが、昔は夜になると、ここから女の叫び声がしたそうである。
(『秋田の伝承』<長山>秋田県西明寺より)竜神=河童の類かとも
第324話
★越後西蒲原郡を曲がれる西川が氾濫し、善光寺樋管が抜けて、堤防が破れるという出来事が昔起こった。村人は必死の防水作業を続けたけれども、激しい水勢の前にはどうしょうもなかった。その所に行きずりの占者があって、この水は人柱を立てねば治まらぬ、と言った。そこで村人は誰を犠牲にしたものかと相談したが決まりそうもなかった。その時、おせんと言う娘が自ら進んで人柱となって見戸口に飛び込んだ。すると、さしもの洪水も治まって、堤防を築く事が出来たという。その後ここに石地蔵を立てて、おせんの霊を供養したそうである。(『越後佐の伝説』新潟県西川町より)少し河童本道を外れて余話となりましたが、悪しからずお願いいたします。では次回にまた
2009.6.9ミタニ様
6月分をお送りいただきありがとうございます。梅雨前線もまもなく関東に到着の予定です。河童も安心して暮らせる季節になりましたが、川の水が干上がらない限り、河童は安泰でございます。まもなく東北河童のふる里にてサミット開催されますが、遠野巡りは3年目になります。まだまだ楽しみです。今年は助役夫妻も同行するので楽しみも倍加すると思います。また、HPでも記載しましたが、北野氏のギネスブック登録認定報告もあり、サミットも盛り上がることと思います。このところ毎日一万歩強を歩いて調子が出たところ、孫とジャンプ遊びをして膝を壊して現在休養中。休養中は一生懸命河童を作っています。村長
2009.5.29今井村長 様
今週で皐月も去り来週からは水無月となります。梅雨入りも近いのか雨が多いのに水が無い月とは解せません。村長さんの前回の便りでは、一日一万歩も歩かれたと書かれており吃驚です。立派なウォーカーですよ! さて、世上は大型景気対策予算として、歳出の大盤振る舞い。「大盤」と書いて「おおばん」とは近世のことで、元は「椀飯(おうばん)」と言った。文字通り「一椀に盛った飯」であり、古はそれが客への持て成しだった。また、「ふるまい」は「特別な饗応、宴会」を意味し、結婚の祝宴や祭りの饗応など晴れの日に使った。椀飯の由来は「共食」の信仰から、神に供えた食物を家族や仲間と共に頂くことで、絆が一層強くなると信じられたそうだ。そう言う意味で麻生さんお上との絆を大盤振る舞いで饗応せんとしているのかな、元は供えた税金なんだがな〜。冗句はこの辺で、五月最後の採録を二編。
第321話
★そうして身ごもった河童の子は三ヶ月で生まれ出る。一腹十二匹の河童の子は生まれ落ちると直ぐ川に入って数十年の寿命を保つが、雌河童に魅入られた男が人間の女と交われば、長い手足の指の間に水掻きを持つ合いの子が生まれ、それは一年を経たぬうちに死んでしまうという。魅入られた女の家人は、その女を荒縄で柱に縛りつけたうえで祈祷師を頼んでくる。その際、決して濡れ手拭などを頭に置いたりしてはならない。もしその女が水気を含んだ物を頭上に乗せるようなことがあると、たちまち物凄い大力を得て縄を切ってしまうからである。河童外しの修法は、祈祷師によって七日七夜の間続けられるが、これには二つの方法があるという。まず一つは、カネを当人に飲ませる方法である。これを飲むといったん気絶した後に憑き物が落ちて本性に戻ると言われる。もうひとつは番匠の用いる墨壺の糸を伸ばして川に渡し、河童を近づけないようにしてから、番匠がねと猿の左手とを供えて祈祷する方法である。(『あしなか』37輯―大分県玖珠郡より)
第322話
人身御供をテーマで、
★水の神に牛または馬などの動物を供犠することは、今も僅かではあるが行われている。これが河童の駒引きの根拠の一半をなしておると思われるので、余話ながら紹介してみたい。途中ですが続きは採録中ですので次回にお願いいたします。
2009.5.28ミタニ様
皆野満願の湯(楽一の河童絵)から歩いて34番札所「水潜寺」そして「秩父華厳の滝」まで脚を引きずりながら1時間半雨の中を歩いて来ました。帰りは下り道のためか、腰も痛みがなく30分で歩けました。(16000歩片道約3km?)しかし、今日は残念ながら筋肉痛。その痛みを取るべく今日はゆっくり一万歩
無理して歩いたら、筋肉痛が一層強くなり、ついに湿布を貼って寝るはめになりました。ウォーカーと言われて嬉しいやら恥ずかしいやら〜村長
2009.5.18今井 村長様
連日インフルエンザN1A1型の報道があり、急に感染者が増えつつある。関西は学校も休校が多く、町を歩く人たちもマスク着用が目立つようになった。村長さんは風邪をひき易い体質なので十分ご用心されるよう願います。今回のは毒性が弱いと言われるが、既往の風邪を病んでいる方は重篤になるとも言われて不安を増幅します。民主党の党首も鳩山さんに決まり、小沢傀儡政策を懸念する声も多いが、日本人はとかく「寄らば大樹の陰」で多数意見になびきやすいと言われるが、少数意見に価値がないとあながち決めつけてはいけない。私は彼の真摯な態度に期待している。では今回も三編採録しました。
第318話
同じ所の水車小屋には夜なべ仕事をしながら付近の娘らがよく泊まり込んでしまうことがあった。すると、河童が出てきて呪いをかけるそうで、時々娘が変になるのはそのせいであろうという。魅入られた娘の許には夫やよい男に化けて通うようになり、三度その子を産(な)せば女は神通力を得ると言う事である。(『ふるさとの伝説』<河合>青森県十和田村相坂より)
第319話
越前坂井郡長畝の平岩は岩を掘り割って水路を開いた所で、広瀬川が清く流れて恰好の洗濯場所となっている。この近くの農家に美人の嫁があって、いつも夜半になると出掛けて行き、ほど経て全身ずぶ濡れに濡れ、ヘトヘトに疲れて帰って来ては眠りこけるのであった。ある夜、夫が後を付けてみると、妻は平岩の岸にある柳の根にしがみついて、おのれらに負けんぞ、と独りで力みつつ何者かに引き込まれるのを必死に拒んでいるところであった。夫はあわてて妻を川から引き揚げようとしたが、どうしてもすぐにはあげることが出来なかった。このようなことが毎晩続く内に妻はみるみる衰弱していったという。河童に魅入られてしまったのだろう、と土地の人が話したそうである。(『福井県の伝説』『越前若狭の伝説』福井県長畝村より)
第320話
豊後玖珠郡では河童は人間に魅入り、山セコは牛馬などに悪戯をすると言われている。河童は概して水浴びをしている二十歳代の女に魅入る。すると、その女は急に淫乱になって、男と見れば家族の見境もつかない有様になってしまうという。当の河童は夜な夜な障子の隅から女の部屋へ遊びに来るが、常人にはその姿が見えず、ただ障子紙が濡らされて穴があき、帰った後の布団の湿りによって知られるだけである。女の方からもしばしば川へ出かけて裾をまくりあげ、腰まで水に遣って交わりをするという。(『あしなか』37輯−大分県玖珠郡より)ではまた次回に
2009.5.18ミタニ様
新型ウイルスには今のところ冒されていないようです。風邪を引きやすい病弱な私が、インフルエンザの予防注射をするようになってからは、幾分かかりにくくなっているようです。まして自分の部屋から一歩も出ずに、他の人と関わり合いも、河童探訪のみですから世間に比べたら比較できないほど安全圏で生活しているとも言える。このところ高〜い萬歩計を買ってからは、一日一万歩(8km)を目標に歩いています。今日も朝から忍ばずの池の周囲を歩き、江戸民俗資料館〜都美術館(3展覧会を覗き)を巡り、上野公園だけで1萬歩になりました。だんだん暖かくなり汗をかくようになりましたので、いつまで続くか分かりません。今日でまだ10日目ぐらいです〜村長
2007.5.7 今井村長 様
相変わらず膝のご容態がお悪いようで、心配しています。気長に養生されるしかないのでは、ご無理は禁物です。青春の思い出の一つとして、終夜、友と語り明かした夜がある人は多いと思いますが、私は寧ろ徹夜麻雀で自慢になりません。。終夜は「夜もすがら」と言うが、夜もすがら眠らないで時を過ごすのは楽しいときばかりではない、例えば松尾芭蕉と旅を共にした河合曽良は旅先で腹を病み、師と別れ、一人全昌寺に泊まった。だが、寝付かれず、一晩中、裏山に吹く秋風の音を聞いていたとある。墨汁一滴の正岡子規にも病床での一時間ごとの周囲の出来事を書いた一節が見える。やはり眠れない方が苦痛なのである。わが友は松尾芭蕉の「奥の細道」を辿るウォークに参加して、11年かけて踏破する企画に参加、今年で6年目を迎えた。夜もすがら興奮して眠れない夜があると嘆いていた。その点鈍感な私はどこでも眠れる。因みにGWは「河童の川流れ」にもならず、四日間で93kmを完歩 、夜もすがら10時間も眠りについている。人は歩き馬鹿と呼ぶが・・・・では村長さんの無事をお祈りしながら、採録を三編お届けします。
第315話
★都城の産婆の実談に、川岸に独り住まいをしていたある後家がいつの間にか妊娠してしまい、河童の子を産んだという話がある。いよいよ臨月になって産婆が行ってみると、その家の座敷にたくさんの川魚が籠に入れて据えてあった。その日のうちにお産があって、ピョロピョロと仰山の子を産んだけれども、みな姿を隠してしまい、おまけに先刻の魚籠(びく)も消えてなくなったという。(『民俗学』二―八・都城市より)
第316話
★肥後では河童に悪戯されるから娘を窓の傍に寝せるものではない、ただしオハグロをつけていれば金気嫌いな河童は近づかないと言われている。水俣湯出という所の娘は、毎晩川に行って尻を付けている内に河童の胤(たね)を付けられたという。こういう伝承は方々にあるそうである。(熊本県民俗事典より)
第317話
河童の魅惑をテーマに
★陸奥十和田の相坂にある大池神社の近くの娘が、側を流れている奥入瀬川(おいらせがわ)の河原へよく遊びに行っていたが、いつか河童に魅入られてその子を孕んだ。ある朝その川端で出産したらしく、家人が行ってみたときには、そこにグッタリとなっていた。連れ戻そうとすると、未練がましくただ川を眺めてばかりいたという。(『ふるさとの伝説』<河合>青森県十和田村相坂より)ではまた次回に
2009.5.8ミタニ様
いずれも偉大な文化人の例を挙げ、一介の河童の足腰の弱さを慰める苦労を推しはかると涙が出てきます。いつも暖かい慰めの数々をありがとうございます。
お陰様で昨日は、芥川龍之介、遠山の金さん、千葉周作の墓参りをし、ついでに中野駅から阿佐ヶ谷駅まで河童を捜して二駅を歩きました。河童に引っ張られてこんなに歩けるなんて、嬉しかった!でも霧雨の中を歩いたため今日は風邪気味です。治らない膝腰であっても好不調はあるんですね〜
少しずつでも歩けるようになりたい!村長
2009.4月分
2009.4.25今井村長 様
四月も来週で終わり、いよいよ風薫る皐月に入ります。気候が良くなれば村長さんも体調が戻り、制作に河童探訪に、また精力的にご活動されることと存じます。私事でいつもながらの得て勝手な言動で恐縮ですが、他人との接触が苦手で、呑みにケーションに一度も参加していないことをお許し下さい。「人の意見や意向に従い、気二入られようとする」ことを「意を迎える」と言うが、「迎合」とは少しニュアンスが違い、日本人は本質的に人の気持ちを汲むのが上手で、相手が何を欲しているかを瞬時に察することが出来る、と言う点からは私は程遠い感じがする。従って政治でも商売でも、国民や顧客の意見や意向を知り、気に入ってもらおうとすることは基本中の基本だが、そんな風に「心を配る」「気を遣う」ことを「意を用いる」という。同じ気を使うのであれば、意を迎えるでなく、意を用いるように心掛けたい、とは思いながらも、読者の意に反して今日も自分勝手に書きなぐってしまった。
第312話
猿ケ石川に河童が多く住んでいて松崎の川端に二代まで河童の子を孕(はら)んだ家があった。家族一同がある日畑に行って夕方帰ろうとすると、この家の娘が水際でニコニコと笑っていた。次の日には昼の休みにこのことがあった。こうして「度重なる内に、この娘に夜な夜な村の男が通うと言う噂が立った。初めは娘婿が浜の方へ駄賃つけに行った留守ばかり窺ったが、しまいには聟と一緒に寝た夜さえ来るようになったので、河童であろうと言う事になり、一族が集まって娘を守ったが何の甲斐もなく、深夜その娘の笑う声を聞いて、来ている事を知りながら身動きも出来ず、どうしょうもなかった。その産は極めて重かったが、馬槽に水を湛え、その中で産んでみたら果たして出産することが出来た。手に水掻きのある子が生まれたので斬り刻んで樽に詰め、土中に埋めたと言う。その母も河童の子を産んでいたそうである。(『遠野物語』岩手県松崎村より)
第313話
信濃北安曇郡小谷のある後家の所へ毎晩のように某所の神主が通って来る。共寝をすると男の体があまり冷たいので、どうしてこんなに冷たいのか、と聞くと、遠くから通ってくるからだ、と答える。そのうちにこの女が孕んだ。いよいよ臨月になって産み落として見ると、それはイモリの子で笊(ざる)に七杯半もあったという。(小谷口碑集・長野県北小谷村より)
第314話
日向は宮崎市在の南方と言う所に河童の子を産んだ女があった。その女が産気づいてから、産婆を呼ぶ暇もなく産は軽く済んでしまった。ひとりでにあまたピョロピョロ生まれると、そのままゾロゾロ部屋から這い出して近くの池に入ってしまったという。(『民俗学』二―八・宮崎市より)
ではまた五月にお届けします。
2009.4.25 ミタニ様2009.4.17今井 村長様
今日は朝から雨、春雨じゃあ濡れて行こうってウォーキングに行く訳にはいかない。ウォーカー泣かせの雨である。村長さんもお元気な様子、少しでも歩けれが徐々に伸ばして行けば良いと思います。江戸の俳人・与謝野蕪村の句に「春の海 終日(ひねもす)のたり のたりかな」という穏やかな春の海を眺めている姿が浮かびます。ひねもすは、朝から夕方まで、「ひめもす」とも言う。現代人の感覚では、終日と言えば24時間と思うが、昔は日本人の一日と言えば朝から夕方まで、朝明るくなって家を出て、夕方暗くなる前に家に帰ってくる。私のウォーキングは昔の人と変わらない。蕪村に倣って「今日はひねもす寝て過ごすか」と無為徒食の私である。
では採録三編をお届けします。
第309話
大湊湾に注ぐ荒川の上流大平に母娘があって、由緒正しい一家であったそうだが、貧しく暮らしていた。立派な婿殿と念じている内に、娘は男が出来て毎晩のように通って来るようになり、男の運んでくる食物によってこの母娘は日を送っていた。しかし、その娘の許に荒川の河童が通っていると言う噂が村に流れ始めた。果たして娘は河童の胤(たね)を宿してしまい、形相の恐ろしい子を産み落とし、やがて儚くなってしまったと言う。(『奥隅奇譚』青森県大平より)
第310話
八戸市の館と是川との境にある土橋家の嫁は、河童の子を二匹まで生んだので、出されてしまった。余程因果な人だったと見えて、次に嫁いだ杉沢でも河童の子を産んだ。生まれた河童の子はいずれも捨ててしまったと言う。やはり是川に河童の子を産んだ女があって、驚いて焼き捨てると、その夜灰の所から川まで灯りが点ったと言う。河童が迎えに来たのだろうと言われる。(『ふるさとの伝承』青森県福地村より)
第311話
陸中上閉伊郡郷の某家で河童らしいものの子を産んだことがある。体中真っ赤で口が大きく、まことに嫌な子であった。これを捨てようとして道辻に運び、そこに置いて一間ばかりも離れたであろうか、ふと思い直して拾おうとすると早くも鳥隠れてしまったと言う。(『遠野物語』岩手県松崎村より)
2009.4.17 ミタニ様
暖昨日の定例草取り会は四月だけに4名集まりました。来月は5名来なければご破算になる。なってもいいけどね〜。雨後の為に草も抜きやすかった。そのためか分からないが、タケノコが届いた!? 雨後の筍とは聞いていたが....。意味はちがうがね〜今日は足腰が痛い!まだまだ回復出来ていない。
ゆっくりゆっくり参ろうか♪〜 村長
2009.4.7今井 村長 様
先日の写真研修会での氷川参道散策は如何でしたか。男性陣だけでの集まり、それとも紅一点「利根側河童」の方もご一緒でしたか。大宮公園の桜も花見客で賑わっていたことでしょう。今頃から桜は花吹雪となり惜しまれながら散っていくさまは、「散り際の美しさ」が一段と風情を感じさせる。昔から日本人の心をつかんで来たもので、日本人は死に際、去り際を潔くし、綿々と地位にかじりつくようなことを善しとしなかった。今の麻生首相にその武士の心は消えてしまったのか、世俗のことは言い、今は去り行く桜花を惜しんで心ゆくまで楽しもう。では三編の採録をお届けいたします。
第306話
同じ吉野郡の下市町にある滝上寺裏の淵に河童が住んでいた。そうして、川遊びに来る子供を引き込んだり吸いついたりの悪戯をするので、近所の者はこの銚子ケ淵へ子供を近づけないようにしていた。ところで滝上寺二十二代恵真和尚がある晩厠へ入っていると、水のように冷たい手で尻を撫でるものがあるので、その手をしっかりつかまえた。すると声がして、私は裏の淵にいる河童であるが、もう悪戯はしないから堪忍してくれ、その代わりよく効く傷薬を教えよう、と言うので放してやった。明治初年に滝上寺で出していた傷薬はこれであったと言う。(大和の伝説・奈良県下市町より)
第307話
羽前鶴岡に江口と言う武士があった、ある日厠に行ったら、不意に男根を掴むものがあるので、捕えてみれば川獺(かわうそ)である。そこで持っている刀で斬ろうとすると、しきりに詫びて、私は大変良い薬を知っている、その処方を教えるから助けてくれ、と言うので許してやった。あとから川獺に教えられた通りに処方して傷口に塗ってみたところ、著しく効験があったと言う。江口の膏薬と言われるのがそれである。(民俗学・一―三鶴岡市より)
河童の妻まぎをテーマに採録。
第308話
南部の十和田では河童が娘を川へ引き込もうとした話がたくさんあり、水車小屋などの水辺に眠る女は、よくその子を持つと言われている。向村のある女は陣痛が来てもなかなか産まない。三本木から呼んだ医者が切開して胎児を出したが、すでに歯も生え、袋を被っていたと言う。この間、外の辺りをガリガリ掻くものがあったが、それは河童であろうと言われている。河童は人の腹を借りるもので、女が河童の子を産むと親の河童が子を取りに来る。もし生まれた子を殺して捨てて置くと、いつの間にか死骸をさらって行くという。当地では五月節句に屋根に差すよもぎ・菖蒲は河童除けの呪いとされているが、これを差させまいとして邪魔をする。そうして、差さずに置くと、その窓から入って来て女に子を産ませることがあるという。河童の子は紫麻幹(むらさきおがら)に弱いから、これで溶かすか燃やすかするとよい。それで馬の手綱や川狩りの綱にも河童除けの紫麻幹を結びつけるのである。なお、河童の子を焼いた灰も水を吸えば蘇生すると言うから油断がならない。
(十和田湖の民俗・青森県十和田湖村より)
ではまた次回に。
2009.3.27今井 村長様
散歩のトレーニング中だとか、結構なことです。健康には負担のかからないウォーキングが最適で、有酸素運動にもとても良いのです。継続は力なりと申します。根気よく頑張って下さい。満開間近の桜の花は、満開の前から散り始める。花吹雪は桜の終わりごろに見られる。風が吹くたびに無数の花びらが舞い、樹の下に桜色の絨毯を敷いたようになる。その儚い美しさを愛で、散る桜を「落花」とも「飛花(ひか)」または「花の屑」「花の塵(ちり)」などと昔の人は称した。花見の宴も風流であるが、酔って落花狼藉は見苦しい。今宵は桜の花びらを盃に浮かべて飲めれば、この世は春である。では今回も三編採録をお届けします。
第306話
同じ吉野郡の下市町にある滝上寺裏の淵に河童が住んでいた。そうして、川遊びに来る子供を引き込んだり吸いついたりの悪戯をするので、近所の者はこの銚子ケ淵へ子供を近ずけないようにしていた。ところで滝上寺二十二代恵真和尚がある晩厠へ入っていると、水のように冷たい手で尻を撫でるものがあるので、その手をしっかりつかまえた。すると声がして、私は裏の淵にいる河童であるが、もう悪戯はしないから堪忍してくれ、その代わりよく効く傷薬を教えよう、と言うので放してやった。明治初年に滝上寺で出していた傷薬はこれであったと言う。(大和の伝説・奈良県下市町より)
第307話
羽前鶴岡に江口と言う武士があった、ある日厠に行ったら、不意に男根を掴むものがあるので、捕えてみれば川獺(かわうそ)である。そこで持っている刀で斬ろうとすると、しきりに詫びて、私は大変良い薬を知っている、その処方を教えるから助けてくれ、と言うので許してやった。あとから川獺に教えられた通りに処方して傷口に塗ってみたところ、著しく効験があったと言う。江口の膏薬と言われるのがそれである。(民俗学・一―三鶴岡市より)
「.河童の妻まぎ」と言うテーマで採録しました。
第308話
南部の十和田では河童が娘を川へ引き込もうとした話がたくさんあり、水車小屋などの水辺に眠る女は、よくその子を持つと言われている。向村のある女は陣痛が来てもなかなか産まない。三本木から呼んだ医者が切開して胎児を出したが、すでに歯も生え、袋を被っていたと言う。この間、外の辺りをガリガリ掻くものがあったが、それは河童であろうと言われている。河童は人の腹を借りるもので、女が河童の子を産むと親の河童が子を取りに来る。もし生まれた子を殺して捨てて置くと、いつの間にか死骸をさらって行くという。当地では五月節句に屋根に差すよもぎ・菖蒲は河童除けの呪いとされているが、これを差させまいとして邪魔をする。そうして、差さずに置くと、その窓から入って来て女に子を産ませることがあるという。河童の子は紫麻幹(むらさきおがら)に弱いから、これで溶かすか燃やすかするとよい。それで馬の手綱や川狩りの綱にも河童除けの紫麻幹を結びつけるのである。なお、河童の子を焼いた灰も水を吸えば蘇生すると言うから油断がならない。
(十和田湖の民俗・青森県十和田湖村より)
ではまた次回に。
2009.3.27 ミタニ様
有酸素運動が効果をもたらす前に、腰が痛くなり、足下が痺れ、たちまち歩けなくなる。まさに致命的な欠陥を抱えている足腰と心身である。それなのに余計な事ばかり顔をつっこみ、苦労を重ねている生き方は「何かに付ける薬はない」と言われている通りです。明後日から足腰腹その上に歯痛まで抱えて河童探訪に出掛けます。ついでに京都の桜を見てきます〜村長
2009.3.20今井 村長 様
暑さ寒さも彼岸までと言われる春分の日ですが、お元気にお過ごしでしょうか。ウォーク河童にとっては絶好のシーズンになり日曜日は、今春の卒業生と共に歩く「武蔵野十里」に参加します。指扇から東松山まで荒川の堤防に沿って25kmの道程です。菜の花が咲き乱れる荒川土手を若い中高生と一緒に思い出に残る卒業ウォークとして毎年実施されています。今年は東京都の「春一番」ウォークに参加32kmを完歩しました。目標は遠くゴールも見えませんが、元気なうちは頭を使わない脚だけ使うこの道を進み続けます。では、今回も採録三編のみお届けします。300回掲載テロップ恐縮です有難うございました。
第303話
北安曇郡大出と言う所の中根家の厠に毎晩怪異が出て用便する者の尻を撫でて仕様がなかった。ある晩主が意を決して厠に入っていると、果たして腕を伸ばして尻を撫でるので、素早く手頸を捕えて力一杯引くと、怪異はその腕を置いて逃げてしまった。あくる晩家人の寝静まった頃に水神ケ淵の河童が詫びにきて毎晩川魚を捕って来て進ぜるから腕を返してくれ、と愁訴するので、主はそんなものを置いても仕方がないと思って返してやった。そうして、河童が言うとおり盥(たらい)を外に出しておくと、朝には生きたままの魚が一杯入れてある。長い間それが続いたが、ある晩盥がふさがっているので鍋をだしておいたところ、川魚は全く入れてなく、以後この習慣は絶えてしまった。この家には河童秘伝の水神様の御夢想薬が伝えられている。この薬は諸病に効くが、特に産婦の腹痛に妙薬だと言うので遠方から貰いに来たものであると言う。その薬は今は出さなくなったが、河童から造り方を教わった河童味噌があるということである。中根家の主の詮議は余程厳しかったと見えて、さらに蔵平橋から野平橋の間では決して大出の人に手出しをせぬとの誓いまでして行ったと言う。ところで大出の水神様はその河童を祀ったものであると言われ、これは野平に行く橋の袂にあり、この場所は昔恐ろしい淵になっていたと言う。(小谷口碑集・北安曇郡北城大出より)
第304話
肥後八代郡種山にも家伝のワガッパ膏薬を出している家がある。当家の先祖が夜厠に行くと河童が壺のところから手を出して人の尻を撫でるので、気丈夫な翁がその腕を捕まえて斬りとってしまった。すると、その河童は毎晩翁の枕上に立って、腕を返してくれとせがんだ。今更お前にあの腕を返したところで接ぐことはできまい、と翁が言うと、河童が言うことには、私は非常に効能のある傷薬の処方を知っているので、その薬で接げば必ずつく、もし腕を返してくれたらお礼にそれを教えよう、とのことである。そこで翁が腕を返すのと引き換えに、習ったのが家伝薬の始まりだと言う。ところで、その時のもう一つの約束事は、村の子供がよく川で溺れるので、その川のほとりに石塔を立てて、その石塔の腐るまでは村の子供を絶対に引かぬことであった。この石塔は川のふちに今も立っているが、よく河童が出てきて早く腐らせるために水をかけるそうである。(熊本謙民俗辞典・八代郡種山村より)
第305話
大和吉野郡神納川では、河童が厠から毛の生えた腕を出して人の尻子玉を抜くと言い、その腕を引きぬいた人があった。その河童が来て腕を返してくれと言うので、抜けた腕はつかないだろう、と言ってやる。良くつく薬があるから大丈夫だ、返してくれればお礼に教えよう、と言って、どこやらの岩の根に生えている金草というのを河童が教えた。それが大塔の金草で、打ち身や挫(くじ)きによく効く家伝薬であるという。(大和の伝説・奈良県十津川神納川より)
ではまた次回に。
2009.3.9 ミタニ様
赤、白、桃、黄色と様々な花が咲く百花繚乱の春に、若い男女、それも中高校生と一緒に25kmも歩けるなんて、素晴らしい事ですね!羨ましい限りです。私は今、リハビリ歩きで1kmに挑戦中、少し歩きすぎると腰痛がひどくなり、2日間ぐらい寝たきり状態になります。足腰が弱り、歩けないとまた弱る。どん詰まり状態に陥っています。楽しい歩き話と新しい発見を寄せてください!たのしみにしています。村長
2009.03.09今井 村長様
3月弥生はもう春ですが、天気は雨模様が続いています。お元気になられたでしょうか?異国の地に旅をされていらっしゃった様ですが、また次回の紀行文で異国の河童達の探訪話でもお聞かせ下さい。春は天気が変わりやすく、曇天が多い。まだ桜の咲く時期には少し早いが、この天候を「花曇り」と称す。日本人の繊細な感性は、春の曇天を花鳥風月と結びつけて花曇りという綺麗な言葉を生みだした。もう少し早い時期は「鳥曇り」と呼ぶそうです。これ等のすっきりしない天気を「春陰(しゅんいん)」と呼んだ。花見のシーズンを前にして、昔もやきもきして、江戸川柳にはこんな句があります。『着飾って 舌打ちする 花曇り』娘心を詠んだ佳句と思います。では今回も三遍の採録をお届けします。
.尻を撫でる河童というターマで紹介します。
第300話
信濃北安曇郡下寺の酒屋では、婦人が夜厠(かわや)に行くと何者かが出て尻を撫でるので困っていた。そこで主が女装して厠へ行ってみると、果たして尻を撫でる者がいるので、ひっ捕まえてひきあげようとすると、得体の知れぬ動物の肢のようなものを残して逃げ去ってしまった。すると翌晩そのものがやって来、前非を詫びて腕を返してくれるようにと哀願する。それは姫川に永年住んでいる河童であった。主人は不憫に思って腕を返した。それからは約束通り毎晩戸口の木鉤(きかぎ)に生魚を柳の枝に通してかけて行ったが、金鉤に改めてからやんでしまった。また、河童が詫びを入れた際に預けていった柳の板に梵字を記したお札は、その家の長持の底に貼り付けてあったそうだが、後代の者が剥ぎ取ってから行方が知れなくなってしまったという。それから、明治の初めごろ、ある所に重病人があって、わざわざそのお札を借りにきたことがあった。御嶽行者に御座を立てて貰うと、そのお札を借りて病人に頂かせると治るという託宣があったそうである。なお小正月の十五、十六の両日に、この家のお茶を貰って飲めば、川の災難を逃れると言うことで、つい先ごろまでご馳走になりに来る者が多かったという。(小谷四ケ荘伝説集・小谷口碑集・北安曇郡郷土誌稿・第七編・同所下寺より)
第301話
越中上新川郡大場の高崎家ご新造は大変気丈夫だったそうで、厠へ行くと尻を撫でるものがいるので、引き捕えると、その手足が抜けてしまった。よく見るとそれは河童で、泣いて頼んだが承知せずにいると、これこれのことをするから返してくれ、と言うので返してやった。それから毎年鮭を持って来て台所の外へ置いていったものだという。河童は薬があるから抜けた手頸もすぐつけることが出来ると言って、ついでにその製法を教えて言ったという。それにより、河童相伝のアエスという薬を出して、怪我人に分けている。(民俗三―五・太田村大場より)
第302話
越後蒲原郡のある村の内川善右衛門と言う者の妻が厠入りすると、冷たい手で尻を撫でられることが幾晩も続いたので、代わって主人が女装して入り、伸ばしてくる腕を斬り落とし、人に見せると河童の腕だと言う。翌晩七、八つばかりの男の子が現れ、謝罪をして、腕を返してくれるなら、その礼に毎日魚を一桶ずつ贈る、と言った。腕を返してやると、翌朝から一桶ずつの魚を玄関先に置いて行った。しばらくこの贈り物は続いたが、次第に魚の数が減ってきて、しまいには僅か二、三尾となってしまった。そうしたある日、痩せ衰えた河童が訪ねて来て言うには、水神ケ淵の魚が少なくなって、我が身のこのような有様になってしまった。代わりに秘薬の処方を伝授するから、出来れば魚の方は免じてもらいたい、とのことであった。この際伝えた傷薬が内川家家伝の水神薬であるという。(蒲原の民俗より)
ではまた次回に、さようなら。
2009.3.9 ミタニ様2009.2.24今井 村長様
どうもこの二三日天気が愚図ついている。村長さんにはお変わりなくお過ごしのことと存じます。菜種梅雨には少し早いが、気候不順な折お体にお気をつけてご自愛ください。さて、春の朧月夜と言う言葉があります。これは「春の夜のほのかに霞んだ月」を言うそうですが、こう雨が続くと朧月夜なんて風情は見られません。古歌にも「照りもせず 曇も果てぬ 春の夜の 朧月夜にしくものぞなき」という大江千里が詠ったものがある。それより月より団子?朧の食べ物の名前に使われている例を挙げると、タイやタラ、ヒラメの身をほぐして味をつけ煮たものも朧と言う。昔から「でんぷ」とか「そぼろ」と呼ばれた。また豆腐が固まらないうちにすくいあげた「朧豆腐」、蒸した昆布を薄く削った「朧昆布」、表面の皮をむいた「朧饅頭」などがある。朧は、雪月花を愛し続けてきた日本人の生活に深く浸透しているようだ。エッ単なる食いしん坊じゃないかと言われると、酒が飲めない言い訳をしているようで恥ずかしい。村長さんのグルメにまつわる余話を機会がれば拝聴したいと思っています。では今回も三編採録をお届けします。
第297話
肥前では真黒葬礼に付することになっている。河童に引かれた者にこれをしないと、必ずまた犠牲が出ると言われる。鹿本郡五領から小道と言う所に子守に出ていた小娘があって、ある夏の日に、子守の暇に近くの堤で泳ぎをしていて河童に引かれてしまった。真暗葬儀をする筈であったのに、どうしたことかそのようにしなかった。すると、その兄にあたる荷馬車引きが、高瀬町に俵米を積み出しての帰途、あまりの暑さに馬車をつないで高瀬川に入ったが水を浴びている所を河童に引かれてしまった。因果なことに兄が引かれたのは、丁度妹の初の命日だったという。(民俗学・熊本県小道より)
第298話
同じく下益城郡の寄田におみつと言う女があって、河童に肝を取られて死んでしまった。皆で夜伽(よとぎ)をしていると河童が集まってきてギャッギャッと悲しい声で鳴くのが聞こえたという。人の肝を抜いた河童は、その人を焼いた灰でもって磨かなければ手の先が腐れてしまう。わざと葬式を遅らされたために河童があわてたのだという。(熊本県民俗事典・同所寄田より)
第299話
真暗葬礼というには、火を一切用いずロウソクも点さずに葬礼を済ましてしまうことである。抜いた肝はそのままでは駄目だが、洗い場の雫で肝を洗い、葬式の火であぶると食えるようになるし、一度それが出来れば、また人を引くようになるという。河童にそれをさせないために火の使用を禁ずると共に、排湯は床下に捨てて河童の忌む渋を流すそうである。(民俗学・三−一より)では弥生三月に次回を。
2009.3.6 ミタニ様
春は誰しもが待つ季節、高尚な言葉は知らないが、百姓言葉で言えば春は「降る、吹く、曇」もう少し、勝手を言えば、この日は記念すべき「俎に乗った日」である。以来晴れる日がなく、涙と額の皺みたいな日が続いている。公開が遅れて申し訳ありませんでした。もう、大丈夫です。3月の採録お待ち申し上げます。村長
2009.2.17今井 村長様
春一番と木枯らしが交互に吹き荒ぶ今日この頃ですが、ご機嫌よろしゅうお過ごしですか。。「枕草子」には『春はあけぼの。やうやう白くなり行く山ぎはは、少しあかりて・・・・』と春の夜明けを美しく詠っている。また「古今集」でも『あさぼらけ(朝朗)有明の月と、見るまでに 吉野の里に 降れる白雪 』というように、この時期吉野には雪が舞うらしい。埼玉でも三月に雪が散らつくのも珍しくないが。これらの枕言葉を時の順位並べると面白い。
@暁・・・夜半過ぎから明け方まで
A曙・・・元横綱の名?夜がほのぼのと明け始めたころ
B朝朗(あさぼらけ)・・あたりがほのぼのと明るくなる頃を表す
日本語の微妙な違いだが、春の朝の色が違って見えて趣がある。春眠暁を覚えず、その訳は昨夜の春嵐で目が覚めて今なお朧げなる頭でキイを叩いている故か、拙文が纏まらない。まあボヤッーとしたのも春めいていて良いかも。ところで、お誘いの3月18日も例会と重なり、申し訳ありませんが参加できなくなりました。失礼の段お詫び申し上げます。では今回も採録を四遍お届けします。
第293話
河童が水蜘蛛になり、日頃殺生を重ねている漁師に仇をするという伝承を裏付ける話は多い。陸中遠野は栃内琴畑の者が、小鳥瀬川の淵で釣りをしていると、蜘蛛の巣が時々顔にかかるので側の切株にかけておいた。その日は珍しくたくさんの沼魚が釣れたそうで、日暮れ時になって、名残惜しく引き揚げようとするとき、やにわに切株が淵の中へ落ち込んだ。びっくりして家に帰り、腰籠を見ると岩魚(いわな)だと思っていたのが柳の葉っぱであったという。(遠野物語拾遺・琴畑より)第
294話
肥後は阿蘇山の南面から、中央を流れる白河へ落ちる渓流におとろしケ淵という所がある。この淵の主は蜘蛛であると言われる。なんでも蜘蛛が多いようである。ところで、ある男が釣りをしていると、蜘蛛が出てきて、足許を回っては向こう岸へ泳いで行き、また来ては足許を回るという具合に、十数回も往復しているうちに、草鞋と対岸の岩に張られた糸の太さが小指ほどにもなった。そして、向こう岸の上で何やら恐ろしい音がしたかと思うと、草鞋ばかりあちらへ飛んで行き、男は足を取られずに済んだ。もし草鞋か素足であったら危ない所であった。角結びの草鞋をはいていたから助かったのだ。と村人が釣り人に語ったという。(日本の伝説・高木−白木村南郷谷より)
7.人の川流れについて触れてみたい。
第295話
痛ましいことだが、水の犠牲者はあとを絶たない。不幸にして川流れにあった人の死体を探し出せぬ時や水死者を葬る場合には、特殊な呪法や尋常ならざる葬法に従わなくてはならぬとされている。飛騨吉城郡大原では溺死体が上がらぬ場合に、サンダワラに水神様の御札をはさんで川に浮かべ、後を追って行ってそれが止まった所を捜すことにしているという。(民俗探訪・二三年度―上宝村大原より)
第296話
肥前では河童に引かれた者を黒葬に付する。火を使わず、衣類から棺まで白物を一切用いない。こうして黒葬すれば、その河童は目潰れ、腕腐れして遂に死ぬという。(郷土研究・二−三より)ではまた次回に
2009.2.17 ミタニ様
春一番が南風に乗せて暖かい空気を持ち込んでくれたのに、このところシベリア寒気団がまたまた冷たい風を送り込んできました。
今日は、朝ぼらけの中、車を走らせ久しぶりのゴルフ、最後のゴルフへ行ってきました。覚悟していた寒さと風の冷たさは朝のひとときだけで、お日様が照らしてくれる光の偉大さは途轍もなく大きく、日が昇る頃にはうっすらと汗ばむほどになり誠に結構なゴルフ日和となった。成績は不結構なのはいつものことでしたが大いに楽しみ、今年はこれで最後のゴルフとしました。3/18は週二、三回(もっと?)の例会を頑張ってください。村長
2009.2.9今井 村長 様
如月に入り、なお残寒の続く毎日、暦の上では立春も過ぎ春遠からじの観もある。北風の吹き荒ぶ中「つきの輪」の二ノ宮山にハイキングしてきました。梅は咲いたか桜はまだかいな〜と浮かれてみたが、早咲きの紅梅がチラホラ寂しい限り山里は未だ冬眠から覚めやらぬ風情でした。村長さんにおいては、そろそろ虫も蠢く啓蟄の前触れに初窯開きのご準備かと存じますが、ゴルフにお気をとられて、お忘れなきよう。ところで孫民との新年会はさっぞご盛況でしたことでしょう。皆さん芸達者の方がお揃いですから、愉快な宴席になられたと、陰ながら喜んでいます。私も人並みに春醸の佳酒など嗜みたいのですが、生来の下戸で酒宴に加われないのが残念です。では村長さんのご健康を祝して、かっぱ村の益々の弥栄を祈念し、今回も四遍の採録をお届けします。
第289話
大和吉野郡天川の寺井氏の先祖が川へ魚取りに行って釣り糸を垂れていると、蜘蛛が近づいては、履いている草履の鼻緒の結び目に糸をかけているので、眺めていると次第に引っぱりだす。急に足を引き上げると、その糸の先に河童がいる。引きずり歩いて居る内に、大きな柿の木にしがみついて離れなかったが、陸に上がったので、しおれてしまった。子孫の代まで取らぬから助けてくれ、と言って頼むので許してやる。それから寺井氏の一族は川で溺れる者がなくなった。一族のしる印には耳たぶに針で突いたほどの穴があるという。(吉野西奥民俗探訪録・天川村より)
第290話
上野利根郡を流れる片品川に架かる栃又橋の袂に観音淵がある。近くに住む爺がある日、その上の林に薪伐りに来て、一服入れていた。すると、いつの間にか大蜘蛛が現れて爺の足しに絡みついている。もう一仕事しよう、と立ち上がるついでに側の切り株にかけた糸がみるみる大きくなり、よいしょう!と下で掛け声がしたかと思うと、切株は根こそぎ淵へ引きずり込まれてしまった。覗くと淵の岸に座っている河童小僧の皿頭が見えたという。(白沢村の民俗・白沢尾合・多那より)
第291話
土佐高岡郡は岡崎のユルギと言う所に千人バネという突堤がある。ある夏の日に男がこの上で休んでいると、下の淵から何遍も這い出して来ては、赤蜘蛛が膝頭へ糸をかけて降りて行く。それから、糸を外して傍らの木の切株に巻きつけておくと、間もなく大きな地揺るぎと共に、切株が淵の中へ引きずり込まれてしまったという。(土佐の伝説・二巻・岡崎より)
第292話
明治中ごろの話であるが、羽前最上郡上郡は小国郷の落合いの淵において、ある爺が真昼に釣り糸を垂れている内に、はなはだ眠気を催し、しばらくは草に腰を降ろして夢うつつであったという。魚に竿を引かれて起きてみると、足の親指に蜘蛛の糸が何本も絡みついている。青い小蜘蛛が水面を渡ってきて糸をかけているのであった。やがてその青蜘蛛を捕えて踏み潰し、糸を草にからみつけておくと渦巻き始めた。淵の中から、よいしょ!と掛声が起こり、さっきの草むらは根ごと引き込まれてしまった。あまた川魚を取ってきた爺は、河童から仕返しを図ったのであろうと思って、その日は魚を取らずに帰って来たそうである。(小国郷夜話・最上町より)ではまた次回に。
第286話
★河童が人の肝を抜くのは、竜神に捧げるためであると言う伝承が、信濃北安曇郡に行われている。竜神は蛇体であるため、日に三度、夜に三度、熱の苦悶を受けなければならないので、これを免れんために」、河童に命じて人の尻子玉を取らせて食う。河童は竜神のつかわしめであると言われる。(小谷口碑集・小谷村より)
第287話
竜王は人の肝ばかりでなく猿の生き肝を好むと言う話がある。飛騨は乗鞍岳から流れ出る小八賀川の渓流にかかる、平湯街道筋の八賀盆地から山峡に入る小野橋の下にある萩の淵は青く澱み、竜宮への通路があると言われる。ところで竜宮の乙姫がふと病にかかって、物も食べず、次第にやせ細っていくばかりであった。竜王は猿の生き肝が効くと聞いて萩の淵の河童に命じてそれを取り寄せようとした。河童は淵にさしかかる大木に居る猿を折よく見かけたので、これを騙して水中に誘った。そして「川へ引きずり込むまでは良かったが、猿の生き肝を抜こうと言う段になって、」その訳を打ち明けてしまった。すると猿は、それは残念なことである、木の上に肝を干し忘れて来たので一緒に取りに来てくれ、と言葉巧みに偽って再び元の大木に帰り、木に絡みついてなっているアケビをもぎ取っては河童に投げつける。頭頂の皿にしたたか叩きつけられた河童は、肝を抜く試みに失敗したばかりでなく、アケビを恐れて、実がなる季節になるともう出なくなると言う。(飛騨の伝説・丹生川村小野より)
第288話
陸奥下閉伊郡川平の一軒家の先祖がレンゲ沢へ雑魚をあすくに行くと、取れて取れて面白いので、つい下流の深い方へ行った。そして気づいてみると、大きな蜘蛛が水中から出てきては我が足に糸を絡めている。蜘蛛の糸を足から外して川岸の太い樹に巻きつけておいて、更に下流に行く。しばらくすると、物凄い音がして、さっきの木が川へ倒れ落ちる。そのとき水の上に河童の姿が見えたという。(たのはた風土記・田野畑村川平より)
ではまた来月に。
2009.1.30 ミタニ様
時の経つのが早いと感じるのは、誕生日と大好きな季節が終わるときだけ、毎日寒くて、早く暖かい日が来ないかと心待ちにしています。今日のゴルフなど朝から降り続き、だんだん本降りになってくるのに、雨具を来てぬかるみに入り、まるで堤防工事の一日でした。馬鹿だね〜。陶芸はまだまだ冬眠中、昨年は正月早々に窯出ししていたのに今年はめっきり老け込んで工房はきれいなもんです。毎日コンピューターの前で宿題をこなしています。明日は新年会だ〜。村長
2009.1.18今井 村長 様
大寒を控え冬は仲冬に差し掛かりました。今年はまだ雪もなく穏やかな小春日和が続いています。世間では不況の嵐が吹きまくり大荒れの状況で、天候だけでも暖かいのがせめてもの救いです。政治もアメリカは「チェンジ」をスローガンに掲げていますが、我が国では混迷が深まるばかり。今年は年初より波乱含みの政財界の動向が気になる所です。さて、村長さんも寒い間は、何事も無理をなさらず、御身の周りを暖かくあせて、楽々と炬燵の番をなさいますよう、お勧めします。腰痛・関節痛には暖と静養が一番です。私は、寒風吹きすさぼうが、雨が降ろうが例会には出て行く歩き馬鹿。人はアルチュウ(?)と呼ぶ。昔は村長さんも、吹雪の夜、いろり端で熱い葛湯を飲みながら、ご尊父より河童四方山話をお聞きになられたのでは、と余計な妄想を湧かしています。お風邪などひかれないようご用心ください。では今回は採録三編のみお届けします。
第283話
また、別の伝えでは、ある漁師が熊本の南にある川尻に舟をつけて休んでいると、夜中に二人の若者に起こされる。そして、この手紙を預かって行ってくれ、お前の着く所に受取人が待っているから、と言う。あとでその手紙を取り出して見ると、真白で何も書いていないから、河童の手紙に相違ないと思って水に浸けると、案の定字が出てきて、ここで取れぬからそちらで取ってくれ、と書いて圧。猟師はすかさず、この者に宝物をたくさん渡してくれ、と書き替える。そして翌夕八代の小川と云う所に舟をつけると、夜になって若者が訪れ、手紙を受け取りに来たから渡してくれ、と言い、わたされるなりそれを読みつつ不審そうな様子だったが、今夜潮と水とが合う所で待っていてくれ、と言って立ち去る。漁師は言われた通り川口で待っていると、やがてたくさんの河童は現れて舟いっぱいに魚を積んでくれたので大もうけをしたと言う。(熊本民俗辞典より)
第284話
河童同士が互いに肝を抜く競争をしたと言う話がある。備北神石郡油木の田川瀬川のほとりにある古川池と、これより南の高山にあるにごり池に昔住んでいた河童が、百人の肝をどちらが早く取るか競争したと言う。そのころ尾道から東城の間を魚を運搬して商う仲仕があって、ある日、にごり池の側を東城に向かって歩いていると、ふと河童に呼び止められ、わしがじかに行けばいいのだが頭の皿の水が干上がってしまうと困るからこの手紙を古川の河童に届けてくれ、と頼まれる。仲仕はそれを引き受けるが油木でちょうどお昼になったので茶店に寄り、店の主にこの話をして、手紙を見せる。字の読める主は急に顔色を変えて、これには九十九の肝を手に入れこれで百になるが、最後の一つをお前に分けてやろう、と書いてあると教える。そこで一計を案じて、古川池の辺りにそっと手紙を置き、かなり遠ざかったところから池の河童に大声で用向きを知らせると仲仕は懸命に走り去る。古川池の河童はその手紙を見るなり、あとを追いかけてきたけれども、とうとう振り切ることが出来たと言う。(広島県の民話と伝説より)
第285話
肥後天草には柳河に住む河童の王に年貢として百の肝を納めたという話がある。あるとき一隻の船が有明海へ向けて上島と下島の間の瀬戸を走っていると、船頭さんその船はどこへ行くか、と岸から呼びかけられる。見ると男がいて傍らに樽を置いている。柳河に行く、と告げると、それはちょうど良かった、急いでいるのでこの樽を柳河まで届けてくれまいか、と言って荷代をたくさんくれる。樽の中は大事な物が入っているので決して見てくれるな、もしあければ大変なことになる、と繰り返し念を押して男はどこかへ去ってしまう。さて、灘中に差し掛かった時、舟子は見るなと言われた樽の中を見たくてたまらなくなり、船頭を口説き落としてあけて見た。かって見たことがない物がぎっしり詰まっている。なんだか見当もつかぬので、送り状を見ることにする。それには、今年は人の用心が厳しく百の肝を取るのが難しいので九十九送ることにする。不足分はこの船頭の肝で補ってくれ、と書いてあるので二人とも吃驚してそれを打ち捨ててしまった。樽の中のものは河童の王に納める人の肝であった。九州に君臨する河童の王は、柳河に住んで各地の河童から年貢として人の肝を取り立てていたという。(天草島民俗誌より)
ではまた次回に。
2009.1.5今井村長 様
正月気分も今日まで、遅ればせながら「さいたまかっぱ村新聞」を拝読致しました。早や第19号となる発刊に敬意を表し、新年を寿ぎ祝すご挨拶に共に慶びを感じました。いつもながらの万艦飾の愉快な写真と英哲なる健筆を以て紙面を賑わわせ、読者の目を楽しませて頂いています。昨年の趣向として「河童ギャラリー」の開設が新たなる埼玉河童村の歴史に刻まれたことです。改めて村長さんの多彩な活動と実行力に驚かされます。毎回記事の中でお酒の話がふんだんに語られています。正月の戯言として酒の言葉遊びを少しさせてください。旨い酒の言葉を挙げて見ました。まず美酒、旨酒・旨酒(ししゅ)・緑酒(りょくしゅ)・?酒(りょくしゅ)・味酒(うまざけ)味酒(あじざけ)・甜酒(たむざけ)・?酒(れいしゅ)等々酒客には“お神酒飲まぬ神はなし”とも、私のような下戸には羨ましい限りです。以前申し上げた川柳にも「下戸の建てた倉はなし」とあるようにけして金も溜まりません。今年も村民共々よろしくご支援ご指導の程お願い申し上げます。新春に際して変わり映えのしない採録をお届けします。
第281話
人様の文字ばかりでなく、時には河童文字と言うものも用いられるらしい。陸奥宮古に伝えられている詫証文と称するものは筆でぬたくってあるだけで、とても文字のようには見えない。見知らぬ者にこんなものを託されたなら、誰だって疑心暗鬼するであろう。次の伝承は相手に手紙を渡さずにすまして助かった話である。石見邇摩郡鳥井の行商人が、ある日備後境の女亀山の麓にある出雲赤名からの戻りに、邑智(おうち)郡粕淵小原の江の川岸を通っていると、手拭被りの女が呼び止めて、あなたは鳥井へ帰られるか、太田を通るか静間を通るかと尋ねる。静間を通って帰ると言うと、それではこれを釜ケ淵へ投げ込んでもらいたい、と一通の手紙を手渡して去った。道中怪しみながら川合いの橋のたもとまでやって来、いつものようにまた六屋に寄って茶碗酒を一杯やりながら、この話を亭主にすると、そいつは怪しい、手紙を見せよ、と言うので出して見せると、これは人の字じゃない、釜ケ淵は河童のいる所だから、きっとこの者を取れと言う通知であろう、と言って焼いてしまった。商人は静間道を避け、太田の方を回って家に帰ったので事なきを得たと言う。(民族・三―五より)
第282話
また河童の書いた文字は透かしになっていて、水に浸ければ現れると言う。肥後八代の日奈久から田浦へ夜道をしていたある男が、途中出会った見知らぬ男に、この手紙を田浦まで持って行ってくれ、そして男が待っているはずだから渡してくれ、と宛名も何もないただの白紙を託される。そこでいろいろと思案しながら歩いていると、ふと河童の手紙であることに気づいた。かねて河童の字は普通では見えないが水に浸けるとみえるようになる、と聞き及んでいたので、こっそり水に浸けてみると、この男を騙そうとしたが、こっちでは失敗したので、そっちで始末してくれ、と書いてある。そこでこの男は大変いいことをしてくれたから宝物をやってくれ、と書き替えて田浦へ行くと、やはり見知らぬ者が暗闇の中から現れて、それを受け取った。その男はしばらく首をかしげていたが、やがて、湖水と真水の交わる所に舟を出して待っておれ、と言い残して姿を消した。それで川口に舟を出して待っていると、くだんの河童が舟にたくさんの魚を投げ入れてくれた。その魚を売って大金もうけをしたという。(熊本民俗辞典より)
追伸:1月31日の新年会には、医者より糖尿病のため酒を禁じられていなすので、申し訳ありませんが参加できません。よろしく村民の皆様にお伝えください。
2008.12.31今井 村長様
今日は大晦日、鼠の出番は終わり明日からは牛がモウ〜登場します。この二三日暖かい小春のような天気で、この暖かさは有り難く、忙しさの中でも誰もが顔をほころばせる。それはまるで、本格的な寒さを前に、最後の暖を天上の神が与えてくれているようである。激動の一年、とりわけ世界同時大不況は暗い年末となりました。せめてもの晴天で迎える大晦日感謝する思いです。さて、この一年村長さんは、多忙極まりない日々を過ごされたのではありませんか。作陶に河童探訪、仲間との交流、合間を縫ってゴルフと。また手間暇かかるギャラリーの開設や三越での石彫り等々八面六臂のご活躍でした。自分史に獅子奮迅の一年として記念されるべき年であったと、とどめられるでしょう。本当に私共々村民のために、骨身を削って奮闘されたことに心より感謝申し上げます。例の如く村長さんは、これは俺の遊び好きでやっていることじゃとシャイな人ですから仰るでしょうがね・・・来年も楽しい村づくりに共に励みたいと存じます。
良いお年をお迎えください。今年最後の採録をご多忙も顧みず送ります。
第278話
陸奥八戸の沼館にある八太郎沼と鍛冶丁堤とに昔河童が住んでいた。村人が八太郎沼の脇を通っていると、河童が現れて、お前はどこに行くのか、と聞く。吹上へ行く、と言うと、そんなら鍛冶丁堤の河童にこの書状を渡してくれ、と言って手紙を託される。そこへ行く途中で知っている者に会って、どこへ行くところだ、と聞かれたので、河童の手紙を持って鍛冶丁堤まで行く、と答えると、その者は大変珍しがって、河童の手紙と言うものはどんなものだか見せてくれ、と言うので見せてやった。手紙には、この男の尻は紫尻だからお前が取って食え、と書かれあったので、二人ともたまげてしまった。相手の男は、そんなら別の手紙を書いてやろう、と言って、この男に宝物を渡せ、と書き換える。その手紙を持って行き、鍛冶丁堤の河童に差し出す。するとそれを読むなり、宝物は一代の物か、それとも二代三代の物か、と聞くので、一代の物、と答え、一代の宝物を授けられた。男はその宝物のお陰でみるみる長者になり、開田しては米作りに励んだ。収獲時には米糠がまるで山のように積もるほどであった。だが男の死と共に家運が衰え、それきり滅亡してしまったと言う。長者屋敷と言うところには長者山や糠塚がる。(ふるさとの伝説・八戸市より)
第279話
金右衛門が普代川荒神淵の側で畑を耕していると、その紫がかった尻を河童が抜きたがって、しゃがむたびに尻を撫でてしようがない。
あまりうるさいものだから、金右衛門は鍛冶屋に頼んで鉄の尻当てを作ってもらい、褌の下にこっそりしめていた。それと知った河童は、これから悪戯はできないが、瓜だけは食べさせてくれ、と言って去ってしまった。以来この川で溺れる者はなくなった。だから、いまもって普代の女衆は瓜の花を普代川に流して河童に与えるのであると言う。(たのはた風土記・田野畑村より)
第280話甲斐東八代の鶯宿に昔平大尽という分限者がいて、その先祖が下九一色村の魚桶(いおけ)にある観音へお参りに行くと、魚桶淵から爺が出てきて、わが娘が上曽根の向こうのけさん淵にいるから、これを届けてくれ、と言って一通の書状を差し出した。平大尽の先祖はしかたなくそれを預かったけれども、途中で薄気味悪く思って開けてみると、この男を取って食え、と書いてあるので驚いた。そこで、この男に銭をたくさんくれろ、と書面を書き改める。さて、けさん淵へ行って手を叩くと、淵の中から美女が現れて、渡された書面を見ながら変な顔をしていたが、少し待て、と言って淵の中へ潜り、小判や甲州金をもって出てきた。その金を袋に入れて持ち帰ったのが元で、平大尽は大金持ちになったと言う。(甲斐伝説集・鶯宿より) では また来年に。
2008.12.31 ミタニ様
今年最後の採録お疲れ様でした!今は、二年参りも行けぬほど酔っぱらって、これまた夜更かしの孫達と遊んでいます。本当に熱心に且つ真面目に採録を続けていただき今や驚異に感じています。河童仲間からもだんだん注目されて来ていますので、私も嬉しい〜。無理なときは、休み休みで良いと思いますのでゆっくりゆっくり牛のようにお願します。正月の二日間は寝て暮らす予定です。村長
2008.12.18今井 村長 様
慌ただしい師走も半ば過ぎ、街はクリスマスの装いで‘Xマスソングの歌も流れる季節となりました。例年になく暗い年の瀬を迎え、連日派遣社員や非正規社員の契約打ち切りや、各企業の業績悪化を伝えています。世界経済の同時不況の嵐は、即効性のある対策はなく逼塞感は深まるばかりで、ついにアメリカはゼロ金利政策に踏み切り、日本も引きづられ低金利時代を再度迎えることになった。河童の世界では複雑な仕組みがなく安閑としておれるのだが、世間の騒々しさに巻き込まれてしまった。年金生活者にとって、米国のゼロ金利金融政策は対岸の火事どころではありません。年金原資はアメリカ国債を多量に買って運用している。もしこれにより債券市場が低迷すると、大きな打撃を生み、株大暴落と同様に年金資産運用に大きな損失を与え年金支給の引き下げの端緒になることを恐れています。
まあ杞憂に終われば目出度いことですがネ。採録に手を抜き今回は二編のみ送ります。
紫尻は上尻をテーマにして
第276話
★人の肝を狙うと言うのも、もう少し手の込んだものに河童の文使いと称する話がある。陸中の青尻または紫尻の伝承はこの類型に属する。下閉伊郡川井にある娘があって、腹帯(はらたい)の淵の辺りを通ると淵から若者が出てきて、御行((おんぎょう)の淵へ届けてくれ、淵の岸に立って三度手を叩くと人が出てくるからこれを渡してくれ、と言って手紙を託される。それを持って行くと、向こうから旅の六部(ろくぶ)が来て、その手に持っているものは何かと尋ねるので、事情を説明すると、六部は不審を起して、その手紙をちょっと貸せと言って開いてみると、ただの白紙であった。六部は、これは水の物の手紙だから水に浸して見ればわかる、と言って水に浸して見ると、「この娘は青尻だがから取って食ってもよろしく候」という文句が現れた。これは大変だ、よし俺が文句を書き変えてやろう、と言い、路傍のカボチャの茎を持って、「この女は青尻なれども決して取り申す間敷候。かえって金を多く与へ申すべく候」と書いてくれた。娘はその手紙を持って御行の淵へ行き、岸に立って手を三度叩くと中から美男が現れる。そして手渡された手紙を見ていやな顔をしたが、淵の中から金を持って来て娘に渡したと言う。もと腹帯の淵と御行の淵とは仲の良い兄弟で、青尻の者を見込んでは互いに手紙を付けてやって取らせ合っていた。しかし、このこと以来仲が悪くなったので、誰が通っても大丈夫だということである。(聴聞草子・同地より)
第277話
岩手郡御所にある男があって、川岸の路を夕方急いで歩いていると、雑魚釣りに呼び止められ、下の淵にも雑魚釣りがいるからこれを届けてくれ、と言って手紙を託される。男は言われるままに下の淵にいる雑魚釣りに手紙を渡した。すると、ちょっと待ってくれ、いま淵に落し物をしたから、と言って淵の中へ飛び込んだ。間もなく出てきて言うことには、実のところ俺はこの淵に居る河童だが、いま川上の河童から、この男は紫尻でうまいから取って食え、と書いてよこしたけれども、お前は正直者だからこの宝物をやる。しかし、このことは誰にも言ってはならないぞ、と言うわけで、黄金包みをくれたと言う。(聴聞草子・同地より)では次回今年最後の採録をお楽しみに。
2008.12.19 ミタニ様
世界経済が我々の生活を脅かすことを簡潔に説明し、何時までも極楽とんぼでは居られないことは良くわかりました。しかし、馬の耳に念仏。河童に浮き袋。そんなに長く生きないだろうと、焦って遊んでいますが、はや七年が終わろうとしています。今回のギャラリーごっこでまた余裕がなくなり、ミイラになる予定も早まりました。何処の誰かが私のミイラを神棚に供えてくれるか分かりませんが、ただただ果報は寝て待て、多分現れないでしょうね。
暮れの忙しいおりにも採録ご苦労様です二編とは言え、長編でしたお疲れ様です。先日、ある「歩こう会」がギャラリーの前をとおり、全員で河童を見ていってくれました。ミタニグループでは無かったですね。本寒ですご自愛の程。村長
今井 村長 様
冬枯れの季節になり木立ちもすっかり落葉しています。冬草と冬菜の白菜・小松菜などが路傍と畑に見られ、冬至冬中冬始めと言われる時候となりました。
このたびは、「ギャラリー河童」の開設についてご挨拶を頂き、まことに有難うございました。オープンに際してお祝いにも伺わず大変失礼をいたしましたことをお詫び申し上げます。近日中には暇を見つけてぜひ観賞に参りたいと思っています。村長さんにはご多忙の中開催案内までご手配のお骨折りを頂きお疲れ様でした。さて、今回も採録を四編お送りします。
第272話
★河童は人のはらわたを好み、雨の日や夕方に現れては、遅くまで働いている者を襲う。(北佐久郡口碑伝説集より)
第273話
★陸奥では普通の肝や尻ではなくて、河童の好みにも特質があり,紫肝とか紫尻を狙うという一段と古い伝承が残っている。遠野には「紫尻(けつ)の上々穴(けつ)」と言う諺があって、青尻または尻に青い斑点のある者は河童に取られると言われている。(聴耳草子より)
第274話
★雫石でも、河童が紫尻の子供を水に溺れさせて尻から手を入れ、生肝を抜いて食うと言っている。ここは普遍的な現象として、禁忌または吉凶伝承の逆転はよく起こりがちなことであって、下北半島では、逆に紫尻を嫌うと言い伝えいる。しかし、いずれにせよ紫肝や紫尻をもって特に選別した名残をとどめていることに変わりはない。(岩手郡誌より)
第275話
★下北半島の正津川は宇曽利山湖に発して、落ち口が三途川、それから渓流を合して北海に注ぐ長さ十三キロばかりの川であるけれども河童が住んでいる。正津川部落の姥像はかなり有名で、恐山の地蔵尊に詣でた者の巡礼するところとなっている。正津川はショウウズカ婆さんーー奪衣婆――に出た地名である。
さて、この川の河童は人や馬に大変悪戯を働いて村人を困らせたそうである。そこで村人は難儀のあまり、正津川の姥様に河童を叱ってくださるよう祈願したところ、早速願いが聞き届けられた。河童どもは姥様を恐れて詫びを入れたので、悪戯が止んだと言う話である。尻の紫の人を避けると言うが、河童の方にも好みがあって、いったん見込まれたが最後、どうしても逃れられない。それは生まれつきの運命で、いかに用心していても、友人とか叔父叔母に化けて来て、しまいに川へ連れて行くという。(奥隅奇譚より)
では向寒の砌、風邪などお召しにならないようご自愛ください。
2008.11.28今井 村長 様
いよいよ今週で晩秋も暮れ、来週からは慌ただしい師走に入ります。村長も現役時代は走られるような忙しさをご体験されたこととでしょう。さて、晩秋の心寂しさは、「満目?条」とした荒野を想像するからであろう。こんな時節はお酒好きなら、「お神酒上がらぬ神はない」と自己弁護しながらも楽しめるが、こちらはからっきしの下戸。口の悪い友は「下戸の建てた蔵はない」と冷やかすが、これも満更嘘ではなく師走のやり繰り算段に頭を悩ます。ところで和尚も走る時期ではあるが、人が死ねば空に帰する。教祖である釈迦には墓がない。
むろんその十大弟子にも墓がなく、おしなべて墓という思想すらなく、墓そのものが非仏教なのである。要するに私は本来の仏教に戻り、墓は作らない。散骨は環境汚染になるからやめた。全て空に帰することが望みである。
こんな話和尚が読めば「この罰あたり」とお叱りを蒙るは必定、桑原くわばら。では霜月最後の四編の採録を。
第268話
★遊泉寺に老人があって、あるとき田圃の堰淵の傍に立っていたところへ小僧が現れて、おじさん、この中にちょっと入ってごらん、いい気持だから、と言葉をかけた。怪しい奴だとにらんだ老人は、いや年を取るとこんな中は厭じゃ、と言って応じなかったので、ガメも諦めて瀧の中に飛び込んでしまったと言う。
(民俗学―三―五―石川県能生美郡中海村より)
肝を抜く噺について
第269話
筑前植木は今の水天宮のある辺りの大川(犬鳴川)で天保年間の六月二十八日に大人が河童に引かれた。同じ場所で、それより二十年ばかり前にも、中ノ江の某家に男衆に来ていた伊予の者が引かれ、三年ばかり後にも一人引かれていると言う。いつも五、六人で水浴びをしていて、その中の一人だけ引かれ、河童の餌食にされてしまう。その者が決まって水底に這いつくばっているのは、引き込む時に肝を取られてしまうからであると言う。(民俗学二―六より)
第270話
★面白いことに河童は非常な金持ちで、大尽は人に危害を加えないものだが、貧乏になれば人の生肝を取ると言う。日向宮崎の一ツ葉に住む漁夫の伝承である。人の生肝は河童の病気にとって一番の薬であるため、それを取る。従って一人でも水浴びに行けば河童が尻の穴から手を差し込んで内臓を引き出すと言う。(民俗学二―八より)
第271話
★出雲石見においても水死した者の尻穴が開いているのは河童が肝を取って食うからであると言われている。明治二十三年、そのころの安濃郡(あのぐん)朝山の岩谷という学童が夏の日の下校中の出来事であるが、三、四人の友達と山間の溜池に入って泳いでいるうちに、突然もがきながら水に沈んでいった。これを見ていた友達が、やあ、岩谷が躍るわ踊るわ、と大騒ぎした。助けを求めて引き上げてみると肛門が開いているので、河童の仕業であると知れたと言う。
(民俗学三―五より) ではまた次回に。
2008.11.28 ミタニ様
もう、暮れですか!?毎日、気持ちだけ駆けていて、世の中も季節も体もわからない状態。しかし、個展が明日で終わるので、ようやく一息つけそうな気分です。ギャラリーの店主も辛いものがあります。これが仕事であったらかなり楽なのに、遊びと思うと辛いですね〜。たった5時間勤務が出来なくなって居ました。自由を満喫していた結果と愕然としています。採録の継続も歩きの継続も全て力なり、真剣に生きる河童教授の爪の垢を呑めば良いのですが、辛いことは避ける本性がなかなか実行に移せません。私の代わりに頑張って下さい〜応援団の村長より
2008.11.14今井 村長様
秋も深まり晩秋の木々が赤く染まってきました。本日は七五三あいにく天気は曇りがちだが、大ぜいの宮参りが予想されます。
さて、河童の世界ではこんな政治の迷走は見られないだろうが、「生活支援定額給付金」なるもの、一体いつ貰えるやら。景気浮揚策、生活支援とかで、当初「減税方式」から全世帯が対象になる「定額給付金」となり、所得制限だ高額所得者は自主的に辞退しろとか、二転三転の上、実務と判断は地方自治体に丸投げ下請させ、金だけ出すという体たらくに唖然とする。生活支援なら、的を絞って、失業者、生活保護者、無収入者等低所得者層を対象に支給すべきであろう。既成の住基ネットを利用すれば対象者が選別できる。それともプライバシー侵害になるとでも言うのであろうか?また消費アップの効果を期待しているが、前回の引き換え券の轍を踏んでいるようで、この不況で将来に不安がつのる時期、消費には向かわないで貯蓄に回るであろう。まあ河童族が人間社会の混乱ぶりを心配するまでもないがね・・
では今回も採録四編をお届けします。
第二百六十四話
★肥後の天草島にやもめ暮らしの婆さんあぅて、川端の家に住んでいた。その川端では毎夕のように妙な泣き声がしていたと言う。ある日、川へ洗濯に降りて行くと、向こう岸からこちらへ美しいベンタ人形が流れてくる。婆さんはその人形を拾って帰り、戸棚の中にしまって置いて泣き声を聞こうと思った。やがて、いっとき声がしたので人形を取りだして、その晩懐に抱いて寝た。すると夜半に尻のあたりがモザモザするので、触ってみようとするうちに、クスクス笑って息を引き取ってしまったと言う。(天草島民俗誌より)
第265話
★尻子玉を抜く河童は水の中にいて人を待つか、その人の欲しがるような物に化けておびき寄せるかしさえすればよいので、相撲を挑むときのようにあまりノコノコと陸を出歩くこともなさそうでだが、やはり童の姿で現れては子供を誘う。元来河童の姿は童そのものであるけれども稚児に化けて出ると言うようにも言われている。駿河は清水の巴川に住む河童は、この川に架かる稚児橋の開通の日に、稚児に化けて、渡り始めしたと言う。(静岡県伝説昔話より・以前写真で紹介した橋)
第266話
信濃北安曇郡李平(すもんだいら)に伯楽がおって、あるとき来馬と言う部落で用事を済ませ、夜道を帰りかけて来馬河原にさしかかると、ヒョッコリと小僧が現れた、これから一緒に安芸の広島へ行かないか、と言ってうるさく袖を引っ張る。突拍子もないことなので断ったけれども、あまりしつこいので腰の焼金を抜いて小僧を撲りつけ、さっさと帰宅した。この小僧こそ姫川を住居とする河童であったと言う。(北安曇郡郷士誌稿第一輯より)
第267話
★神様のお許しで毎年一人は取っても良いことになっており、子供が泳ぎに行かないと友達に化けて誘いに来る、と越後蒲原郡あたりでも言い(蒲原の民俗より)陸奥十和田には小娘を引き込もうとした話がある。ある娘が赤ん坊をおぶって子守をしていたところ、女の子が二、三人ばかりで水泳ぎに来て、お前も泳げとしきりに勧める。娘もそのつもりになると、背中の赤ん坊には火のついたように泣きだされるし、困っているうちに日暮れになり、家人の迎えが来て、ようやく連れ戻された。女の子は河童の化生であったと言う。(十和田村の民俗より)は次回に。
2008.11.16 ミタニ様
この国に政治家は要らない、役人のトップに少し気の利いた、少し良心のあるそして少しの愛国心と外国語ができる者が居ればそれでいい。あとは国民が少しの道徳心と協調性を発揮すれば、何とかなるでしょう。少なくとも」現状よりは悪くはならないと思います。
先月巴川の稚児河童に会って来ました。(新聞で報告済みでしたね)明日は焼成日です。天気は悪そうですが、窯付近は暖かいから大丈夫でしょう。
風邪(インフルエンザも)を引かぬようにして下さい。歩けなくなりますから....。村長
今井 村長 様
早いものでもう霜月に入り今日は立冬、暦の上では冬になりました。札幌では週末は雪が降るとか、街路樹の木々も一枚一枚葉が落ちて晩秋の寂しさを感じさせます。村長さんにはお変わりなく恙無くお過しのことか、否慌ただしく寸暇を惜しんでゴルフに河童焼成に取り組んでいらっしゃることでしょう。マスメディはアはアメリカの黒人大統領オバマ氏の誕生を史上初とか賑々しく報道しています。今後大きく世界が変革の時期に差し掛かったのでしょうか。果たしてチェンジ出来るのか、世界同時不況に見舞われた政治の舵取りは、私など庶民には縁遠い話です。河童の世界は人間社会と関係なく悠久に生きています。では今回は手抜きの四話採録でご勘弁ください。
第二百六十話
★遠州灘に注ぎ入る長川(おさがわ)の河童は、筬に化けて遠州小笠郡比木の老媼をおびき寄せ、筬を拾おうとしたところを引き込んで食ってしまったといい、長(筬)川の由来となっている。(静岡県伝説昔話集より)※「筬」とは、はたを織るとき横糸を入れとく道具のこと。
第二百六十一話
★越後西蒲原郡赤塚ドンチ池の河童は毛鞠に化けて子供を誘い込んだという話がある。(蒲原の民俗より)
第二百六十二話
★飛騨吉城郡の荒原に子持ケ淵という淵がある。ある女がこの村へ深田を植える時に用いるオオアシを買いに来ようとして、その淵の側を歩いていると、折よくオオアシが浮いているので拾って帰ろうと思って降りて行った。ところが、それは河童の仕業で、この女は子を負うたまま淵へ引き込まれてしまったという。淵の名はここから来たものである。(民俗探訪32年度―岐阜県より)
第二百六十三話
★下野塩谷郡川俣にある馬坂沢の河童は、しばしば赤い鰍(かじか)に化ける。そして、これを捕えれば河童に化かされると言う。(栗山の民俗より)
ではまた次回に
2008.11.8 ミタニ様
ほんとうに、寒くなりました。採録ありがとうございます!昨日は、岩槻高校の創立60周年記念式典に出席して、若いエネルギーを貰って来た。と思ったのは勘違いで、一瞬は気分だけ若返っただけ。冬は一挙に年を取りそうな気分に戻りました。
今日は、朝から寒く、午後から
自分の生徒に元気を貰いに出掛けたのですが、若さに圧倒されて、早々に帰宅。暖かい部屋で孫ぶのが精一杯でした。
三谷河童は、頭も体も脚も元気で羨ましい限りです。村長
2008.10.28今井 村長 様
10月も今週で終わり、来週からは秋も深まり晩秋の季節となります。何となく物悲しさが漂う秋の夕暮れは、人生のそこはかとない終焉をイメージさすものがあります。
村長さんにおかれては、お変わり御座いませんか。と言っても10日間ばかりのご無沙汰でしたが、先日のゴルフでは100を切るスコアを不満気味に語られていました。が、失礼ながらその御歳で100を切ることはご立派で思います。ゴルフのゴの字も知らない素人から言われてもご不快でしょうが、プロになるわけでもないのでしょうから、楽しく遊べれば最高ではありませんか。それにカートにのるにしても歩くわけですから運動にもなり健康増進にも役に立ちます。まあ村長さんには何の慰めにもならなかったでしょう、閑人の戯言と聞き流してください。では毎度の採録四編をお届けします。(アッ出前ではありません)
第二百五十六話
村の川に橋のかかる前は飛石を置いた。老人がそれを飛んで渡る際、わざとタバコ入れを流し、拾おうとして水に入ったところを引き込むとか、女が渡ると見ると、女の欲しがる櫛や油瓶などを流したりして引き込み、尻子玉を取ると言われている。
第二百五十七話
★花草履など美しいものに化けていて、川や海で遊んでいる子供の目先を流れて見せて騙し、だんだん深みに誘い込んだり、友達に化けて来て、奇麗な花をくれるから来い、などと誘っては尻子玉を抜くと言う。夏ばかりではなく、冬は岡へ登り、紫の葉に化けていたり、シャカギの根に隠れていて尻を取る、河童の居る木は枯れるものだと言う。(以上二話『天草島民俗誌』より)
第二百五十八話
★屋久島でも人が溺れ死ぬのは河童に尻子玉を抜かれるためであると言われている。ここでは河童が小坊主に化けてでて、行こう、と言って必ず大瀬と言うところへ誘う。人の行方が知れなくなって、どこを捜してもいないときに、そこへ行ってみると、たいていぼんやり立っていて、あとで訳を尋ねるとそう答えると言う。
(屋久島民俗誌より)
変化(へんげ)の誘惑について触れてみたい
第二百五十九話
★頭頂の皿をいろいろに化けさせることによって河童はひとをおびき寄せ、拾おうとして手を伸ばしたところを水中に引きずり込むと言う。安芸高田郡の志道(しじ)入口の魚切り滝の河童は、かんざしに化けて上野介を引き込もうとしたことがあった。相手は武勇の聞こえのある毛利家の重臣であるから、さすがの河童もあえなく岡に引き上げられてしまった。足裏の吸盤でもってしがみついていた岩さえも欠けて大穴があき、今に残っていると言う。(広島県の民話と伝説より)
では村長さんにとって良い秋でありますように。
2008.10.28 ミタニ様
日曜日のハイキングは一日中小雨、霧雨でしたが、ミタニ河童殿に良い秋を願って頂いたせいか、昨日・今日は素晴らしい秋晴れの中を東海道河童探訪に行って参りました。そして明日は、年の割に良いスコアーが出るように頑張ります。何も考えず、唯々車か電車に乗り、見て、呑んで、喰ってばかり、今回は朝から呑んで、桜海老とシラスを食べ過ぎて些か胃も頭も何かに凭れて居るような気分です。株が幾ら下がろうと私には関係ないと思っている不幸者です。
今後ともよろしくお付き合いの程を、いっぱい歩ける秋でありますように!村長
2008.10.20 今井村長 様
10月も半ばを過ぎ秋もたけなわとなりました。村長さんは秋の出展にまた、秋晴れの中でのゴルフコンペにとご多忙のことと存じます。趣味も一芸に秀でた村長さんは、ますます磨きのかかる佳境に差し掛かり日々研鑽され、河童像作陶史に残る逸品が世に出ること必定と信じています。
さて、秋の句「朝茶のむ
僧しづかさよ
菊の霜」(松尾芭蕉) と言うのがあります。めっきり朝夕冷え込んで熱いお茶が恋しくなる季節となりました。10月に入りアメリカのリーマンブラザーの破綻に端を発した金融危機は株の大暴落を引き起こし、世界経済を震撼とさせました。
日本もアメリカに追随し自由主義経済・規制緩和・構造改革を標榜してきましたが、アメリカ式「ワシントン・コンセンサス」である、小さな政府⇒規制緩和⇒市場原理⇒民営化と言う構図のアメリカ型価値観、その路線は今や完全に行き詰まった。賃金は上昇せず従業員・地域と共に深い社会的存在を忘れた政府の失政である。格差社会の助長により貧富の格差・学力の格差等富める層だけが謳歌する不満と嫉妬を生みだした。これからは修正自由主義の長い道程が始まる。柄にもなく時評をしました。一億総評論家の時代どのメディアを見ても同じ論調。押し並べて金太郎飴情報化時代を迎えた感がある。それでは私の砂漠に塩を求めるかの如く採録四編の作業に入ります。末筆になりましたが、二百五十話のお祝いの表示有難うございました。
第二百五十二話
★若狭の長源寺浦から浅ケ瀬にかけて、水泳ぎや洗い物などに出て水死するものが、以前は四、五年がうちに一人ずつあったと言う。水中に引き込まれるためである。あがった亡骸はみな肛門が破れているだけで、そのほかの傷はない。しかし、手当を施しても助かった人はないと言う。川縁町を歩いていて、長源寺浦を渡る大亀の姿を見た人があったが、後で大水で流されてしまったもか、以来水死する者もなくなったと言う(越前若狭の伝説より)
第二百五十三話
★河童は水に近づく人を待つばかりでなく、時には積極的に人を誘惑したりする。相撲を挑むなどの強引な方法のほかに、幻惑等の方法を用いる。色々の変化(へんげ)も自在である。天草島の久玉と深海の境にある女淵はよく河童の出るところで、自動車の通行を妨げるほどであったと言う。ところで、女淵川の由来を尋ねると、昔得体の知れない美女がおって、携えている重箱から金を掴みだしては川へ投げるので、そこへ通り合わせたある女が、それを拾おうとして川へ入り、河童に取られたと言う。
第二百五十四話
★佐井津にお春と言う女があって、川へ泳ぎ身行くと、見たことのないような大きな鯉がいる。それを捕まえるつもりで深みにはまってしまい、尻子玉を抜かれて死んでしまった。村の男が舟の上からその様子を見ていて、その鯉を捕まえて見たら、すぐに河童の正体を現したと言う。
第二百五十五話
★ある男が城河原で特に昔から気味悪い井出東(いでんこち)と言う両側を山で挟まれた狭い田圃続きの道を雨の降りしきる夜に歩いて、ようやく我が家の灯りが見えるかと思われる時分に、深田の中から赤ん坊のような泣き声がしたので提灯の光を差し出したところ、女の子のようなものが立っている。男は一目散に我が家に駆け込んだ。これは人間の尻子玉を抜くには早い時間だったから、河童が空腹を抱えて田圃に蛙をあさりに来ていたのであると言う。
(以上三話『天草島民俗誌』より) ではまた次回に
2008.10.20 ミタニ様
日本の政治・経済そして社会を憂える河童紳士殿にはお恥ずかしい話、自分の年金問題だけが経済でゴルフのスコアがスポーツで粘土の乾き具合が芸術そして
今日の財布の中身が合うか合わないかが数学である村長。いささかお恥ずかしい次第です。苑展も無事に終了し、今日は46/43の悪スコアー明日は、思い直して佐久で修行して参ります。いえ、お寺ではありません!遊興施設で包丁を握り、美味しい豚汁修行でございます。気持ちが優しい方は秋の深まりに嘆息をし、世の常を嘆くとのこと。私はただ寒くなるのがいやだー。季節の変わり目ご自愛くだされ!村長
2008.10.4今井村長 様
神無月は神々が出雲の国でサミットがあり鎮守様が留守となる。交通事故・盗難・火事などには細心の注意が必要である。さて、村長さん風邪は完治されましたか。前回は過奨なるお言葉を頂き、誠に面映ゆい思いがします。張り子の虎のように見かけだけで、中味はボロボロなんですよ。とても村長さんの多様な才能・芸事に長じた風流人の前に面を晒すことは叶いません。秋という季節は人生の夕暮れを仄かに感じさせ、抹香臭くなる。仏教では人間は必ずしも別格でなく、輪廻と言う宇宙にくるまれて、万物と共に生々流転して行く。今生においては人間であっても来世では、河童になっておるかも知れない。と説いている(笑)村長さんは秋の出展に大童で河童の手も借りたい時期とお察します。依ってこんな愚にもつかない駄文はこの辺で今月の採録を四遍。
第248話
★河童は一度見こんだ人を必ず溺れ死にさせて尻子玉を取ると言う。信濃北安曇郡は北小谷村下寺の上に岩鼻という所があって、その下は姫川の淵になっている。日稗田山の山崩れが起こる前はそこに河童が住む穴があって、河原においてちょうど人間の子供のような姿で遊ぶのをみかけたこともあったと言うし、よく足跡が砂の上についておったものだと言う。来馬(くるま)の辺りでは時たま河童の住処の近くで鼓を打ち鳴らす音がすると、必ず溺れて死ぬ者がでた。人を取る二日ほど前に河童は川鼓を打って祭りをやるのだと伝えている。河童に見込まれた人が溺れるときは、最後にニコニコと笑うのでそれと知れる。この笑っているときに尻子玉を抜かれるのだと言う。(小谷口碑集より)
第249話
★この隣の神城村におった横川利七という翁の話によると、川水が出ると河童がグワーグワーグワーと音をさせて上ってくると言う。かってこの村の伊左衛門という者が、からむしを煮るための薪を取りに行っての帰り、ひどく増水した川を担ったまま徒渉する際に、足をさらわれて流され、一度は川中で立ったが、また尻もちをつき、そのはずみに尻子玉を抜かれてしまったと言う。(小谷口碑集より)
第250話
★昭和60年の盛夏、津軽は最果ての小泊を作者が訪れたのは、河童に尻子玉を抜かれた子供の亡骸が海岸に打ち上げられた翌日のことで、部落はその噂でもちきりであった。河童は川ばかりでなく海にもすむと言う。安芸倉橋島では、海の河童と川の河童の二つを考えている。海の河童―――エンコウは川にはあがらないけれども、尻子玉を抜く性質は変わらない。子供の水死はみなエンコウに取られたものであるとみなし、これはいくら手当てをしても成功しないから、溺れた者の肛門を見て開いていたら望みを捨てるよりほかないと言う。一方の川の河童――川獺(かわうそ)は川ばかりいて石垣の間に住み、雨の夜は化けて出て人を驚かす。脚に接木をして二メートルもの白坊主に化けるから、これに出会ったら地上一メートルの辺りを撲(なぐ)れと言われている。(民族三―五より)
二百五十一話
★魚などもまた河童に擬されている。備前和気郡香登の大池、御津郡馬屋下村大窪の奥田池などの主はみな大亀で、池沼の主もまた人の尻子玉を抜くと言う。岡山城と後楽園との間にある旭川の淵で、昔は子供がよく溺れ死んだ。それらの亡骸の肛門が大きく開いているのを大亀の仕業と言った。(民族三―五より)
では秋を大いに楽しんでください。また次回に
2008.10.4 ミタニ様
ついに、250話採録おめでとうございます!お祝いより、ご苦労を労う方が心情に添うかとも思います。よくぞ頑張ってくれました。先日、遠野に旅した折り、ホームページの話になり、あの採録は、どの本を写して居るんだと聞かれ、本に限らず、図書館資料そしてインターネット上の探索で探し回っているんだよ。今度、採録者に逢わせてやるからさいたまかっぱ村に遊びにきてください。と答えて置きました。いつまで採録が可能か分かりませんが、出来る限りお願いしたいと思います。でも、残念なのは読んでも覚えて居られないのが悲しい!
いま、まさに秋の展覧会向け、遊びすぎた反動が来てあわてています。馴れもありますが、ウエルカム河童が!これから焼くのですが、ぎりぎりになり、失敗が許されない状態になりました。来週早々ゴルフの翌日焼成です。心配頂いた風邪は終末期を迎えています。ありがとう!村長
2008.9.28今井 村長 様
長月も今週で終わり、秋もたけなわとなります。村長さんからの前回の過褒にのお言葉には、痛く恐縮しております。また講釈などのお勧めには、とても話下手で苦手とするところです。誠に相すみませんがその場のジョークとして拝聞させていただきます。むしろ村長さんの御歳で100を切るスコアの実績を誇るゴルフ談義(例えばグリーン泣き笑いなど)を口演される方がどれだけ面白いか知れません。私など例の如く「窓のない思考」と言うものが頭から穴倉に突っ込んで独り思いに落ち込んでゆく思考法は、(秋は特にもの寂しくなるためか)自分と論理が一体になって自己旋回してゆくのは、水中の感覚のように甘美でさえあるように自己陶酔させられるが、結論はたいがい碌なことではない。これは故事曰く「下手な考え休みに似たり」である。さて、千話採録は未だ四分の一、日暮れて道遠しの観甚だし。
第244話
★また、櫨宇土村の子供がトトロ淵で泳いで溺れ、その浮かびあがった死体には爪で引っ掻いた跡や歯の跡のようなものがあったと言う。医者は苦しさの余り自分で引っ掻いたのだろうと言い、易者は河童の仕業だと言った。結局、河童の仕業として神官を頼んで祈祷して貰った。それから後この淵に河童は現れなくなる、祟りもなかったと言う。(『天草島民俗誌』より)
第245話
★美濃加茂郡では河童が六月十六日に人の尻子玉を取って水神に供えると言い伝え、従って、出来るだけ十六以前には泳がないように子供に注意しているとのことである。水に溺れる者は、泳いでいるうちに笑ったかと思うと水中へ沈んでゆく。これが河童に尻子玉を抜かれるときであると信じられている。水死者の肛門の開いているのは、尻子玉を抜かれたためであると言う。(民芸三―五より)
第246話
★河童に尻子玉を抜かれる際に人は笑うものであり、笑って沈めば助からないと言う伝承は美濃一円に行われている。盆の十五日に坂下の姉妹が木曽川の養老岩付近で泳いでいるうちに妹が流れた。川下に来てニコッと笑って沈んだかとみると、そのまま浮かんで来なかった。このように笑って沈めば再び出てこないようになると言う。ことに盆中は河童に取られやすいと言い、この期間の水泳を戒めている。
第247話
★河童に引き込まれそうになったら砂の上に押し出すとよい。引く力は強いが押されることには弱いから、川の中にいて岸へ押し上げるのである。河童は童女のように髪を垂らした美人で、パタペタと人の肌にひっつく水掻きのついた綺麗な手を持っている。そ手で人の足をつかみ、水底に引き込んで尻子玉を抜く。ゲラゲラ笑う人は生きて浮かんでこない。木曾川では毎年一人ぐらいずつ流れているから、一人で行くのは危険視されている。(以上二話、糸魚川良二談より)
ではまた次回に
2008.9.28 ミタニ様
9月の陽気とは思えぬこの寒さ。なんだか喉の調子が悪く、成形の粘土粉を吸い込みすぎた為かなあーと思っていたら、案の定、風邪を引いてしまったらしい。今日は仕事が二コマあり、声を出すのが辛く、ずるい仕事(ホイッスルだけの)をして来た。
季節の移ろいははやいものです。ついこの間まで暑い!暑い!とボヤいて居たのにねー。それでもこのまま寒くなるわけでは無いでしょうが、確実に冬に近づくのが辛い!。私は頭を使わず身障体ひとつで仕事をしていますが、ミタニ大兄は、立派な体力・脚力・持久力と素晴らしい論理力・語彙力・脳活力を併せ持つ、私から見ればまさに「青年仙人千里を行く」如しです。気候の変わり目、ご自愛の程。村長
2008.9.16今井 村長様
九月も半ばを過ぎ昨日は「敬老の日」でした。猛暑も去り空模様がはっきりしません。今年は台風の本土上陸がまだありません。たわわに実ったリンゴとか黄金色の穂を垂れる稲が台風で被害が出ないことを稲生ばかりです。世間を騒がせた角界も秋場所が始り今一つ人気が盛り上がりません。さて、いつもの屁理屈を申し上げますが、文明が本来機能的であるのに対して、それを裏付けている文化と言うものは、すべて不合理なものです。不合理さが裏打ちされずに文明の機能だけが先行すると、人間の住む社会はなくなるのではと一人危惧しています。そんなこと、天が落ちてこないかと心配するようなものだ、と蛙鳴蝉噪(あめいせんそう)の愚考だと一笑に付されるかも。これは伝統文化の相撲に当てはめると、不合理が力士の強さを生むと反面言えるのでは・・・・この辺で止めます。ゴルフのプレイに最適なシーズンになりました。村長さんの出番です、歩けるときに存分に楽しむのが、悔いのない人生につながります。では今回も四遍お届けします。
肝を抜く河童をテーマにして。
第240話
一、尻子玉を抜く
★肥前北高来郡土師(はじ)野尾に一人の村人があって、五日の雨上がりに椎の木淵に釣り糸を垂れているといつもなくよく釣れるので夕方までねばった。さて、帰る段になって、まず手を洗おうと川に手を入れる。すると、その手を河童が握って淵深く引き込んでしまった。翌日、尻子玉を抜かれた死体が発見されて大騒ぎになったという。(民俗学三―一より)
第241話
★河童伝承の豊かな肥後天草島にはくさぐさの話がある。浦に又作という薄馬鹿があって、家族総出で藷(いも)植えに行った折に自分一人麓におりてきて、裸になって乙女蛇池へ飛び込んだら、そのまま沈んで上がらなかった。家人が岸の着物を発見して、恐らく沈んだに違いないと騒いでいるうちに、又作の体が不意に水面へ浮かんだかと思うと、また沈んでしまった。若者たちによって引き上げられた死骸の尻穴はポンと開いていたと言う。
第242話
★また昭和の初め頃御所浦島の小学生を運ぶ渡船が着岸するはずみにどうしたわけか転覆してしまった。川に中で溺れかかっている生徒たちを近くの村人が駆けつけてみな救いあげた。さて、あとになって一人足りないことが分かり、それから大騒ぎをして探したけれども見つからなかった。ある者がふと思いついて逆さまになっている船体をひっくり返してみると、その中から死者となって現れた。この者は河童に取られたのだという評判が高くなって、しばらくの間ここを渡る者がなかったと言う。
第243話
★やはりこのころ、佐井津は西法寺の後ろにある堤で子供が三人で泳いでいたところ、その中の一人が河童に引かれて沖に行き、いったん水面へ浮かんだ後に沈んでしまった。村へ急を告げられて早速網などをいれたけれども、上がってこなかったと言う。同じころ御領の子供が海で泳いでいた際に、河童が現れて子供を取り、二度三度水面へ差しあげて笑わせてから、水中へ引き込んだ。人が助けに行ったときは、すでに尻子玉を抜かれてしまっていたと言う。
(以上三話『天草島民俗誌』より)
ではまた次回に
2008.8.27 ミタニ様
昨年の今頃は、各コンペが台風に潰され、今年もか?と危ぶんだが、今日は晴天でした。でもね41.43の私にしては上出来だったが、BMというビリ賞品を貰って家内に慰められています。相変わらずの文化文明論を嬉しくなります。一言出始めたら止まらないのでしょうね。今度「河童文明論」を構築し、河童達の前で講演会をやりましょう!それも、あまり真面目論ではなく、当然大きく縦横無尽にして大いなる飛躍を加え、反論無用でも敵対歓迎でも結構ですのでやりましょう! 村長
2008.9.4今井 村長様
九月のことを長月と呼ぶ。語源には諸説あるようだが秋になると長雨が続くから付けられたと言う。その割には八月にゲリラ豪雨と称される長雨が降り、過ぎゆく晩夏などの風情を楽しむ余裕はなかった。無粋な話を一つ、聞き流してください。男には、女に対して二つの型があると言う。猟師型と農夫型である。猟師型は女色家と言うが、決して道徳感覚が欠如していることではなく、普通以上に、未知へのあこがれが強く、冒険的行動欲が盛んだけとうだけのことである。農夫型は、そうではない。十年一日のごとくわが畑を耕し、鍬先にあたるその土のきめ、匂いになじみ切り、その定着生活に何の疑いもなく、もし土地を変えて他村へ移れと言われれば目の色を変えて怒るだろう。さて、私は農夫型であろうか?また村長さんは客観的に見て猟師型に思えるが如何でしょう。では今月の採録を四編お届けします。
第236話
★仁徳天皇六十七年の条下に、毒をもって人を害する吉備浅口郡川嶋川の大?(みつち)を笠臣(かさおみ)の祖県守(あがもり)が退治したとある。この大?が河童の古名ミズチ・メドチに通じる。さて、県守はその淵に臨んで三つの瓢を水に投げ入れ、大?に沈めしめたとき、身を鹿と変えて瓢を引き入れるけれども、沈めるそばから浮きあがって完全に沈めることが出来ない。そこで県守は剣を振り上げて大?を斬り、眷属をもことごとく退治する。(日本書記より)
第237話
★十一年の条下には、神の霊夢により、武蔵人強頸(むさしひとこわくび)と河内人茨田連衫子(かわちひとまんだのむらじころものこ)をして河の神を祷祀せしめたとある。強頸は人柱に立ち、衫子は二個の瓢を水中に投げ入れ、われを得んと思わばこの瓢を沈めて浮かばせるな、と祷った。たちまち旋風が起こって瓢はいったん沈んだけれども、波の上に舞いつつ早瀬を流れ下って行った。衫子は人身御供にこそならなかったが、これで河内茨田堤が成ったという。これは河童が瓢を忌むという俗信の素地をなしたかと思われる。一方、瓢は水霊の宿る容器であったことを示唆している。これにとって、水神の神意が占われた。(日本書紀より)
第38話
鳥羽・志摩地方では、夏海に入るとシリコーボが尻を抜きにやってくるので、予防のために瓢の汁を吸うという。(鳥羽・志摩漁労調査報告書より)
第239話
陸奥八戸市糠塚では河童の最も嫌いなのは夕顔で、夕顔の汁で団子を作って食わせると、河童は溶けてしまうという(大久保寛談より)
ではまた次回に
2008.9.5 ミタニ様
昨日今日、昼は真夏のような暑さがぶり返しているが、それでも朝夕はめっきり涼しくなり、確実に秋の気配が、ゴルフ場ではうるさいほど赤とんぼが飛んでいる。そうです!私は猟師だと思います。女性が好きで、好奇心もあり、執心と飽きっぽい心が交互に出てきます。でも、時々面倒くさくなると農夫にもなれるのです家から一歩も出ずに暮らしたいと思うことあり。場合によっては変態型かも?!村長
2008.8月分
2008.8.26今井 村長様
オリンピックも閉幕となり、騒がしい日々が終わりました。テレビ観戦疲れで気だるさが抜けません。結果は金9個、前回のアテネは16個、スポーツも景気と同じ下降線。それでも二連覇選手が頑張り面目を保つ。ロンドンは若手が育たないと危ない。人生模様と同じで、選手もチームも監督・コーチも悲喜こもごもの顔を見られた。中国の圧倒的強さに大国の威信を感じ、国を挙げて国威に脅威を覚えた。今後の中国が傲慢になるのか、国際社会にスマートに溶け込んでいくのか、世界の目は向けられている。オリンピック談義はおいて、晩夏とはいえこの一週間の涼しさは異常でしょう。地球温暖化?どこに行ったのでしょう。村長さんには焼成作業が楽になってのではと、余計なお節介しています。では今月最後の採録を二編(さぼっていました!)
第234話
★肥後天草郡中田村では、氏神様が河童の頭領と賭けをしてへこましてしまった話を伝承している。氏神様は河童の頭領に対して、百の瓢を一時に沈めることが出来たなら、この村の者の尻を取ることを許してやろう、と言った。河童は早速、瓢を沈めにかかったけれども、沈めるあとから浮いてしまう。それでも苦心の末に、やっと九十九個まで沈めたが、最後の一つを沈めることが出来ずに降参した。それで河童はここに住まなくなり、安心して泳ぐことができるようになったと言う。(天草島民俗誌より)
第235話
★ある日、おじいさんが田んぼにやってきました。そして、びっくりしてしまいました。昨日まで、からからだった田んぼに、きょうは、水がいっぱい入っているではありませんか。おじいさんは大喜びで家に帰ってきました。これ、娘、喜べ。田んぼに水がいっぱい入っているぞ「まーほんと・・・・」娘は、はじめは本当と思えませんでした.が、おじいさんが観てきたのですから、勿論、うそのはずはありません。おじいさんと娘は、大喜びで、昨日の河童の話など、すっかり忘れていました。
その時、二人の前に、ひょっこりと、昨日の河童が現れました。おじいさん。昨日、わしに言ったことは忘れまいな。水は、このわしが引いたんだぞ。
河童は、おじいさんと娘の顔を見ながら、言いました。しかし、おじいさんは、そんなことを本気にしません。ドウシテお前に出来るものか。こりゃ、神様が、お引きくださったのじゃ・・・・・・・・・それを聞くと河童は、腹を立てて言いました。よしお前が本当にしないなら、もういっぺん水をなくしてやる。そういうと、河童は、もう、どこかへいってしまいました あくる日、おじいさんは、また田んぼにやってきました。そして、驚いてしまいました。昨日いっぱいあったのに、今日は田んぼが乾き切っているのです。や、困ったなおじいさんは頭を抱えて,田のあぜにしゃがみこんでしまいました。 すると、そこへぴょっこりと、河童が現れました。
おじいさんわかったか。 [分かった、分かった。もう一度、水を田んぼに引いておくれ。よし、引いてやる。その代わり、約束を忘れんようにな! そういうと河童は山を駆け下りました。そして、いきなり、山ノ下の流れに飛び込みました。 そこは・深い淵になっているのです。その淵に渦巻きが起こると、急に、水が少なくなっていきました。おじいさんはすぐに田んぼに行ってみました。田んぼには、噴水のように水が噴出し、見る間に、田んぼは水がいっぱいになってしまいました。
そこで、おじいさんは、娘を河童のお嫁さんにすることに決めました。そして、娘の嫁入り道具には、ひょうたんを三つ持たせてやる事にしました。
あくる日の朝早く、娘は、ひょうたんを三つ持って、山ノ下の流れのところに行きました。そして、淵のところで待っていると、すぐに、かっぱがあらわれました。
さあ、娘さんはやく。河童は、娘さんの手をとろうとしました。すると娘は、ちょっと待っておくれ。先に、このひょうたんを運んでおくれ。おもうてならん。
と言って、河童の背中に、ひょうたんをくくりつけました。何じゃ、こんなもの。すぐに運んでやるから、そこでまっていてくれ。
河童はそういうと、どぼんと、淵に飛び込みました。ところが、河童は水にもぐろうとしても、背中のひょうたんが浮いて、どうしても水にもぐれません。
それを観て、娘は河童に言いました。 どうしたんですか。はよう、はこんでくださいよ。河童は負けずに、なあにすぐに運んでやるぞ。 と、一生懸命水にもぐろうとしますが、すぐに、ぷいと、浮かんでしまいます。河童も力尽きて伸びてしまいました。 これ、娘さん。この背中の化け物を、はようとってくれ。河童は、息を大きく吐きながら、いいました。お前さんの願いは、何でも聞いてやる。はよう、背中の化け物をとってくれ。じゃ、田の水のもりをしてくれるか。 「うん、するとも。」
余り頼むので、むすめはかっぱのせなかのひょうたんを、とってやりました。すると河童は、その化け物は恐ろしい。そんなものを持っているお前さんも、ごめんじゃ。そういって、淵深く戻っていきました。 それからもう、おじいさんの田んぼの水はかれることが無くなりました。その代わり、夏が来ると、河童の好きなきゅうりを、淵に流してやることになったのです。(長野の鉄人29号さんよりの投稿より)ではまた次回に
2008.8.27 ミタニ様
朝夕はめっきり涼しくなりました。今日は、河本河童と見沼通船堀の「閘門開閉実演」を見に行ったら、既に終了していた。なぜなら13時を午後3時と勘違いしてしまったのです。少し歩いただけで、汗びっしょりでした。まだまだ昼は暑い!そう言えばここ二、三日は雨で涼しかったと聞きました。私は田舎で暑い中ゴルフをやっていました。このクソ暑い中(失礼!)採録ご苦労様です。焼成はお盆前の暑い日に倒れそうになりながら終わりました。来月はゴルフ6回と遠野巡りと作品づくりでてんてこ舞いの月になりそうです。なんだか自分の首を自ら締めて居る気がします。まだまだ残暑、ご自愛の程。村長日
2008.8.17 今井 村長様
残暑お見舞い申し上げます。
オリンピックも終盤に入り、予定された金メダルの数も出そろった感じがします。ハイライトは北島の平泳ぎ二連覇でした。水泳日本の意気を示してくれました。しかしどんどん日本のお家芸が世界に通じなくなっている観がします。 さて村長さんは、お盆いかがお過ごしでしたでしょうか。ゴルフとか窯の作業をされては居ないと思いますが。まず人間にとって芸とは何かということを、ある人は人間は、ただ存在しているだけで、観賞に耐えるようなしろものではない。いぎたなく大昼寝をしている人間(例えば私のような)をわざわざ見に行く人間もいないでしょう。仕事をしている人間は、美しい。それを見るために一時間も建築現場の穴ぼこのふちに立っている人もいます。
恐らく村長さんの石彫り作業を見続けた観客も同じ「芸」に魅せられた人だと思います。では暑さボケしていますが、今回も4遍採録しました。
第230話
★岩代南会津郡舘岩では師走朔日の朝カビタレ餅をついて、子供に水の災難のないようにと、その朝川へ流す。ところで、親子三人暮らしの家があって、父親は魚釣りが好きで、川魚釣りを生業としていた。そして師走朔日と言う日に、自分は休んで代わりに子供を魚釣りに出してやることにした。三人で食った余りの餅を父親がみな背負わせようとすると、母親は、昼食分だけ持たせればよい、と言い張るが、結局みな背負わせてやる。さて、魚を釣りながら段々淵に近づいたら、いい女が渕から顔を出して笑う。そこで餅を投げつけると引っ込んだ。また女が顔を出して笑うので投げつけ投げつけして、餅をみななげてしましった。そして家に帰ると両親は喜んで迎えた。父親が言うには、教えてはやらなかったけれども、お前の命は今日限りであった。竜神がお前の命を貰わなくてはならぬと話しているのを聞いたので、餅を背負わせてやったのだ、餅と命とり替えることが出来て良かった、と言う次第であったと言う。(舘岩村民俗誌より)
(瓢に宿る水霊についての伝承話)
第231話
★キュウリをはじめ瓢などの瓜は水霊を宿すものと信仰があり、人はそれを献じて水霊を祀り、河童の災厄を逃れようとしてきた。『聡耳草子』には歌ったり踊ったりする瓢を得て、富を授かった瓢長者の話が見える。これは桃の子太郎と一つで、まさに水霊のなせる業であり、瓢こそはその物実であった。水霊への捧げ物としては渡来のキュウリよりも、在来の瓢の方がはるかに古い歴史を有している。
第232話
★安倍氏『水虎伝』に秋月雑記しるすところの瓢に宿る水霊の伝承が引用されている。豊後夜次郡下浦に長蔵という者があって、村の中を流れる大川に筌(うえ)を伏せては朝に行って蟹鯰を捕えるのを日課としていた。ところで、ある朝の事、蟹鯰はかからずに三ッ四ッの瓢が入っていた。誰かの仕業として瓢を流に捨てて帰った。次の朝少し早く行ってみると、前日同様で獲物は皆食い散らしてある。その翌朝は早く起き、召使の市右衛を伴なって行くと、筌の中で骨を噛む音がする。そこで、かねて用意のベットウという敷き藁を筌ノ口に押し込み、市右衛と二人して担って帰る道々、長様長様、市様市様、としきりに呼ぶけれども、一言も答えずに我が家の内庭に入り、その中央に置いた。しまいに、夜は明けたら焼き殺して日頃の恨みを晴らそう、と長蔵がいうと、筌の中から声がして、長蔵よく聞け、我々は水神である、助てくれれば汝の寿命を延ばしてやろう、また、そなたには眼を患うことがあるだろう、そのとき用いる妙薬を教えよう、この薬を四方にひさげばその利益は計り知れない、と語った。長蔵は怪しいものだと言う風に聞いておったが、親しい老人の勧めで、眼薬の処方を聞いて放してやろうとした。筌の中には六つの瓢が入っていて、すぐに元の川へ入って行った。それから後は蟹鯰の獲物は多く、眼薬を売り出して繁盛したという。(安倍氏『水虎伝』より)
第233話
★瓢に宿った水霊は、みずから水神であることを名乗っている。悪戯を許してもらう代償に妙薬を伝授しようと言うのは河童の口吻(くちぶり)である。水神は怪しい。美濃揖斐郡櫨原あたりでは、河童は瓢汁を大変に好むと言われている。昔清水角左衛門家の先祖が瓢を川に投げてやったところ、河童は喜んで水に浮いてきて容易に沈まなかったという。もっとも、これは異説があって、その汁を飲んだら沈むことが出来なくなり、そこを捕えて、以後櫨原の者を決して取らぬようにと約束させて放してやったと言う。ともかく、その後毎朝のように川魚を門の木鉤に掛けておくようになり、家人が欲をかいてその鉤を丈夫な鹿の角に替えたら、それっきり来なくなったしまったという。(美濃徳山村民俗誌より)ではまた次回に、暑いので今月はこの辺で・・・
いよいよ八月猛暑・残暑の月に入りました。お元気でしょうか。真夏の夢ならぬ、真昼の茹だるような暑さに居ると妄想ばかり浮かんでくる。昼間から怪談?はよしてくれと云いたいところですが、長文を書いたあとは、いつもの奇癖が顔を出すもので・・・中国の正義に関係なく、正義という多分に武力と血の匂いのする自己貫徹的精神は、善とか善人と別の世界の種類である。愚生などは善人になれなくても出来るだけ無害な存在として生きたいと希求していおるが、正義という電流が脳の中に流れてしまったら人間は、極端に殉教者になるか、極端に加害者にならざるを得ない。清吾の反対は概念は邪気であり、邪気を斃さない限りは、自国の正義が成立しようもない。とあの国は自国への愛国心が正義だと思っている。まあ日本は平和です、他国民を殺傷しないだけ、物騒な事件は起きていますがね。では遅れましたが(暑いので・・ヘトヘト)四遍を採録しました。
第226話
★岩代信夫郡茂庭では、師走朔日をカッパレ朔日と称して野良仕事を休み、牡丹餅をこしらえて家人に食わせたり、川へ流したりする。『牡丹餅を食わぬうちに橋を渡るな』の諺もあり、この日仏様にあげた牡丹餅を食えば川遊びをしても河童に引かれぬと言っている。(民俗探訪・39年度より)
第227話
★川遊びの好きな子供がいて、いつも川で河童と遊んでいた。師走朔日の日にその子が遊び相手の河童に牡丹餅をくれたら、ご馳走様、と言って水の中へ潜って行ってしまった。あとになってその河童が語るには、丁度牡丹餅を貰った折に親が病気をしていて、人の生き肝を食えば治るというので、お前の肝を取ろうと思っていたが、牡丹餅をもらったので殺すに忍びなかった。しかし、生き肝だと偽ってその牡丹餅を与えたら親の病気が治ってしまった、ということであった。だから、この日に牡丹餅を食わねば川も越せぬし、河童にひかれてしまうと言う。(民俗探訪・39年度より)
第228話
★昔話に分類上、運定め話と呼ばれる説話群がある。下野塩谷郡栗山では昔七つになる子供のいる家で、屋根に白羽の矢が立つと人身御供としてその子供を川へやらねばならなかった。川へ行くと河童が取ってしまうのであった。ところで、戸中部落のある家では子供を送り出すのに際して、その子供の好きな餅を沢山持たせてやった。さて、川の縁に来るとその子供は餅を食いはじめるが、しまいに飽きて川へ放り投げた。すると、子供を取りに来た河童が餅を食うのに熱中の余り、子供を取ることを忘れて帰ってしまったと言う。(栗山の民俗より)
第229話
★昔野間部落にある夫婦があった、夫は妻の妊娠中に伊勢参りに出かけた。路銀の持ち合わせも少ないので、お宮やお堂に寝泊まりしながら旅を続け、恙無く参詣を済ませた。そうして、いよいよ帰宅できると言う前の晩、とある薬師堂に泊っていると、馬の蹄の音が近づいて来て、お堂の前で止まった。それは観音様であった。観音様が、村でお産があるから行こう、と誘うと、今晩は泊まり客があって行けぬからよろしく頼む、と薬師様は断りをいった。それで観音様は一人で出かけて行ったが、やがて帰って来て、お産は無事済んで男の子が生まれ、寿命は十三歳の師走朔日まで、職は魚釣りを授けて来た、と報告した。お堂に宿を借りていた男はそれを聞いてハッとした。妻がちょうど今月が臨月に当たっていたからである。翌日帰宅して見ると男の子が生まれていた。そして、生長するにつれて魚釣りを好むようになり、とうとう十三歳の師走朔日を迎えることになった。夫が例の出来事を妻に打ち明けると、妻は何を思ったか、餅をついて子供に持たせて釣りに出してやった。そして釣りをしていると大蛇が現れて一呑みこもうと襲いかかってきたので、子供は大蛇の口に餅を投げつけた。やがて大蛇はぐったりとなって水に流されて行ったという。(『栗山の民俗』より)では、また次回に
2008.7.19今井村長 様
暑中お見舞い申し上げます。関東もようやく梅雨明けでしようか。
雨の心配をしないでゴルフが楽しめますよ。この間「このくそ暑い中歩いている」と呆れ顔で言われました。普通の人はクーラーの効いた部屋で昼寝でもしているのになあ〜。自分でも可笑しいと思っていますが、村長さんも熱い窯に向かって、溶鉱炉の製鉄マンに似た作業をしていると、同類かな?否中身の重さが違うと身を竦める。さて、「人生は一場の芝居だ」というが「芝居と違う点が、大きくある」と司馬はいう。「芝居の役者の場合は、舞台は他人が作ってくれる。生の人生は、自分で、自分のガラに適う舞台をコツコツ作って、その上で芝居をする。」つまり他人が舞台を作ってくれはせぬということである。その点村長さんは着々と舞台作りに励み、舞台での艶やかな舞を(河童の舞か?失礼)夢見ておられる。私は虚構の中に舞台を組み立てている。真夏の夢・幻の幻影を追うような日々である。村長さんは有形、私は無形(煙のようなもの)。
さていつものように4遍を
第222話
★日向東臼杵郡西郷村花水流では十二月七日にオソキ水神を祭り、相撲をする。この時神主や相撲行事に関係した者の目には、相撲を見物しているオソキ水神と河童の姿が見えると言う。また、オソキ水神は子供好きで、子供が境内や河原で遊んでいると現れ、帰宅する際に見送ると言う。(民俗探訪38年度より)
第223話
下野阿蘇郡田沼町御神楽のように師走朔日と六月朔日の両度にわたってカピタリ餅をつく所もあるほどである。常陸西茨城郡七会村ではこの日カピタリ餅またはカワッペリ餅というのをつく。これはまたシアン餅とも言い、正月の思案をするものであると言う。ともかく、その餅を屋敷を出てから最初に渡る橋の下へ、「河童にやる」、あるいは「川の神様にあげる」と言って供える。この餅を後ろ向きになって、竿で刺して取って食うと水難除けになると言われとぃる。(民俗探訪・46年度より)
第224話
★甲州でもカワピタリ餅を作る。南都留郡忍野村では鍋蓋の上に牡丹餅を載せて厩に行き、「この橋はがっかい長者のかけた橋、細くも太くもわたってみる。アブラオンケンソワカ」と唱えて馬に食わせる。そうすると、河童の悪戯を除けるという。
第225話
★禾生村田之倉ではカワピタリ餅を、川へ行って尻を水に浸けて来ぬうちは食わぬ、と言って師走朔日の朝、子供を川へやるそうである。一名シアン餅とも言い、機織り女などが来年も年期を入れて働くかどうかを思案する日であるとされている。東桂村などではカワピタリ餅を杓子に乗せて行って、後ろ向きになって川へ投げ入れると言う。(以上二話甲州年中行事より)
2008.7.20ミタニ様
暑くなりましたが、スタミナ誇るアルキニストMR.ミタニの言葉はとどまるところを知らず、「人生は歩く影だ。あわれな役者だ。舞台の上を自分の時間だけ、のさばり歩いたり、じれじれしたりするけれども、やがては人に忘られてしまう。」(シークスピア)
私は言葉も忘れて、ただただこれまで呑まなかった分を取り戻そうと呑むばかりで腹が出て来るばかりです。
本当に暑い中を採録ありがとうございます!村長)
七夕も過ぎ、洞爺湖サミットも事故もなく閉幕しました。例年になく蒸し暑い梅雨を感じるのは、年をとって体力が落ちたせいかも知れない。村長さんの強靭な精神とスタミナを羨ましく思う今日この頃です。時折孤独を感じ都会の群れに溶け込んでみたい衝動に駆られます。人間は孤立しては棲めない生物でもある。アフリカの縞馬のように群れで棲み、社会をつくって生存を保つのだが、しかし都市生活はときに個々に孤立に似た状態を強いる。それに堪えられなくなったとき、たとえ短時間でも激しく群れたがる。これは机上での妄想にすぎないが、出会いサイトを覗いてみたくなる。では、文月の採録を四遍送信いたします。
第218話
★土佐幡多郡十和村ではお盆の十五、十六日に川に入ると河童に尻を抜かれると言われている。この日水遊びをすると、河童が子供の肝を取る。水に溺れた者の尻穴が開いているのは、河童に肝を抜かれたためであるという。(十和の民俗より)
第219話
★肥後下益城郡当尾村では河童は八朔の日に帰ると言い、その日ナスの馬を作り、花を飾って川へ流すという。また玉名郡山北村では八朔の節供の日に河童は山に登るので、この日に川で泳いでいると山へ連れて行かれてしまう、と言って子供の泳ぎを禁じていると言う。(熊本県民族辞典より)
(解説)八朔(はっさく)とは、陰暦の八月一日の称。農家では田実(たのみ)の節と称して、その年の新しいイネを主筋の家などに贈って祝った。
第220話
★天草郡では八月の川の神祭りの日は、河童どもがみな揃って山の庄屋の所へご馳走になりに行くので、どんなに泳いでも尻を取られるきづかいはないと言う。また、夏越えの節供の日は、山へ素?を食いに行くので、人の尻を取らぬと言う。(天草島民俗誌より)
第221話
★丹波ではこの日(八月十六日)に川に入ると河童が足を引く、尻を引くと言われ、この日は川に入らぬ。河童は女子供と見れば水中に引っ張り込んで尻を抜く。引っ張り込まれる際にニコニコ笑うのは尻を抜かれている最中だという。(口丹波口碑集より)
ではまた次回に
2008.6.29今井村長様
村長様にはお変わりなくお過ごしのことと存じます。
今は日々7月の新聞発行に向けてご多忙かと思います。それに清掃のボランティアに賛同された方7人が、町の美化に取り組んで居られた。まず塊より始めよの一歩は不言実行で示されました。その点小生のような口舌の輩は、顔厚忸怩たる思いです。マーク・トウェインが晩年書いたペシミズムの横溢した「人間とは何か」の一節に「人間には、ひとかえkらも崇高さなどはない。古来の自己犠牲の輝かしい例も、全てウソである。人間は、他人のためだけの自己犠牲などやったことがない。すべて自分のなにかを満足させるためのもので、それ以外にない。何故かというと金銭的利益だけでなく、精神的なものをも含めてのことだ」と、これは老人特有の厭世感である。あの少年に明るい未来の希望を抱かせた作家の言葉とは思えない、悪魔の言葉に等しい。小生は極めてオプチミズムを志向しているのでご心配なく。では水無月(おかしな呼名・雨だらけなのに?陰暦ですね・・・)最後の採録を四編。
第214話
★伊予越智郡関前村あたりでは七夕以降に泳ぐと河童が出て足を引くと言われている。そうして、釣り船に寝かしておいた子供まで河童にさらわれてしまったことがあると言う。(民俗探訪42年度より)
第215話
★肥後天草郡では七夕のすんだあとに泳げば河童に尻を取られぬと言っている。祭りの後七夕竿を切って海に流す習わしであるが、そのとき逃げれば取られぬと言う。(天草島民俗誌より)
第216話
★陸奥八戸市櫛引では、七日盆の日は河童が馬を取ると言っている。馬を引き込もうとして失敗した河童が、これからは取らぬ、と詫びたが、それでは生きてゆけぬので、滝の明神様に、七日盆の日だけ取らせてくれ、と願って許されたという。(ふるさとの伝説より)
第217話
★阿波三好郡は祖谷山の西山では盆の十六日に川へ泳ぎに行くのを忌む。昔この日に水泳ぎをしていた子供が河童に尻子玉を抜かれたことがあったので、それから盆の十六日は川へ行かぬようになったという。(祖谷山民俗誌より)
ではまた次回に
2008.6.29ミタニ様2008.6.20今井 村長様
毎度ホームページを愚生の乱文で汚し相済みません。梅雨時はウォーカーにとって嫌なシーズンです。ゴルファーは雨の中でもプレーする、根性が違いますね。またまた雨中で考える妄想は河童の屁の突っ張りにもならない。元来、子孫と言うものが先祖に対して責任をもつ必要は一切ない。私どもこの世に一人存在しているのは、三百数十年前までさかのぼれば、その間どれだけの血縁者を持つか、数学的に計算したこともないが、おそらく五十万や百万人ではきかないであろう。それら無数の連中がやったであろう窃盗、殺人、姦淫、かどわかしから盗み食い、浮気に至るまでそれをすべて子孫がひっかぶって気にせねばならぬとすれば、それはすでに立派な狂人であろう。河童の世界にはそんな思想はないと思うが如何であろうか?例えば三世紀に三人の子供が結婚をして三人づつ生んでいけば21世紀には全て血縁となるという笑い話がある。これもまた空論なり。では水無月もあと十日、今回も採録を急がねば・・・
第210話
三重県志摩郡鳥羽町国アでは陰暦六月十四日の天王様の日に泳ぎをすると、ゴボシという海の魔物に尻を抜かれるから海に入ってはならぬと言われている。相賀では子供が水死するとカンコロボシ(河童)にギンボを抜かれるとか、シリノキボーを抜かれたなどと言う。(鳥羽・志摩漁調査報告書より)
第211話
★美濃揖斐郡谷汲み村では七月十五日も祇園様の日や八朔に水を浴びると河童が引いて行き、肝を取って食うと言われている。川に行っていて、水がネバネバになると河童に魅入られて引かれてしまう。河童は子供を引くと、まず爪と尻小玉とを抜き、これを乙姫様への土産に持って行くと言う。(民俗探訪46年度より)
第212話
紀伊日高郡あたりでは、河童を祇園様のお使いとしている。陰暦六月七日から十四日までの間に祇園様に捧げるために必ず一人だけは取るので、この期間の子供の水遊びを戒めているという。但し、紫肝の人だけは引き込まぬそうである。なお、川上とか多田とかいう昔からの水術の家があって、河童の供養を行っているという。(郷土研究三^十一より)
第213話
★肥後では夏越の日に河童は竜宮に集まる。また海神が蓋で河童を押さえているから、いくら泳いでも尻を抜かれぬと言われている。(天草島民俗誌より)ではまた
2008.6.20iミタニ様
採録ご苦労様でございます!
そう言えば、年賀状に清和天皇末孫と記してある方が居たが、それなら大体日本人全員皆天皇の末孫だよね〜昔の天皇なんてあちこち子種をばらまいていたんだから(これって不敬罪かな)、昨日は、二時間ゴミ拾いで1万三千歩(2時間)汗をかきながら河童月例会、今期最多?の七名参加で良い気分で呑む。今日は、朝に制作、昼には玉打ち練習、午後は医者通いで、腰牽引、低周波治療、マッサージ、鍼、仕上げに注射を打って、帰ってきてすぐに呑みだし今は良い気分なり。明日は、朝からお寺で備前焼講習と午後から総会で夜は多分呑むだろう。呑めない私もだんだん美味しくなってくるから酒(ビール)は不思議です〜村長
2008.6.8今井 村長 様
梅雨の晴れ間に歩こうと、思っている間に雨、足が萎え腐りそうだ。さて、最近はオカリナ作りに精を出されていると仄聞しましたが。出来栄えは如何でしょうか?売れ残りがあれば一品所望致したい(図々しい!)。人間は、運と言う点ではすこし植物に似ているかも知れないと言う話。例えば村長は、他の環境に生まれていれば、芸術家にでもなった人だったろうと思う。が、学問の匂いを身に受けた境遇は好むと好まざるに拘わらず、教育の場に立たされた以上、そういう陶芸家の道を選ぶことは、ほぼ不可能だったと推量致します。村長と言う種子が芽を出した土壌が子弟への教育である以上、種子が他の所へ飛んで行っても結局は学問で仕事をするしかなかったのでは、と的外れな狂想に取り付かれている。 私は、偃鼠(えんそ)河を飲むとも腹を満たすに過ぎずと、分際を心得雨天は逼塞しています。ではいつものように4編お届けします。
第206話
★職女と牽牛が瓜の水に流され、天の川に隔てられてしまったとする七夕伝説からして水との縁は濃厚である。肥後天草島では庭前に竹を立て、その下に竹の棚を設けて七夕祭りをする。五色の短冊と継ぎ紙の帯、紙の着物を竹に飾り、棚にはスイカ・キュウリ・ナス・稲穂・栗穂などを供えると言う。(天草島民俗誌より)
第207話
★六月朔日(ついたち)を、岩代信夫郡飯坂町では、この日をムケノ朔日と称して、桑の木に触れると体の皮がむける、蛇の抜け殻がある、とか言って仕事を休んで小豆の物を食う。ことに、この日は河童にさらわれる日だとして川遊びなどを慎むと言う。(民俗探訪29年度版より)
第208話
★肥前東松浦郡鎮西町では、六月朔日に川へ行けば河童に引かれると言われている。また、陰暦五月十五日にも河童にやられるから海川に行くなと戒めている
(民俗探訪43年度より)
第209話
★肥後八代郡種山村では六月」朔日のコッツイタチ(氷朔日)には河童が山から川へ入るので、川に入ってはならぬとされているという。
(熊本県民族辞典より)
では次回に
2008.6.9ミタニ様 「河童サミット福島」では、自作河童100体持参し、販売しましたら82体を購入いただき、その販売代金で他の河童陶芸品や河童絵そしてグッズなどを買い漁り、行くときよりも帰る時の方が荷が大きくなるなど間抜けな旅となりました。翌日の今日は雨天予定が晴れ渡り、奥羽山脈・安達太良山、磐梯を眺めながら裏からおもてへと越えて檜原湖から猪苗代湖へそして久しぶりの遊覧船にも乗り、先ほど帰宅しました。今年の一大イベントも無事に終わりました。詳細は7月号にて報告致します。6月採録ありがとうございました!村長2008.5.29今井 村長様
雨の日は退屈である。人は退屈こそ最高の贅沢だという。現代人は時間に振り回され寸秒の暇を惜しんで動かされている。例えば村長さんは雨の日も風の日も、雪が降ろうと寸暇を惜しんでゴルフに興じる、また作陶に河童の寄り合いに東奔西走・千思万考の日常を送られている。その点私は、「晴歩雨寝」の自堕落な生活。。村長さんのような生き方は所詮無理だし、望むべくもない。さて、先日「小さな親切大きなお世話」と知人に言われた。つまりつまらない親切心が他人には不愉快に聞こえ身に害を及ぼすから止めろという。世知辛い時代だ。「親切」と言うのは、愛欲などといったような人間の本能とは別の系列の感情と行為である。親切は、人間の暮らしの日常の中で、様々な数奇を生む要素かと思われる。普通日本社会にあっては軽度な親切はあっても、身を破滅させるほどにそれを貫く例は少ない。」という一文がある。それは宗教の問題か信念のことか凡人は悩む。どうでも良いこと、閑人閑話である。では皐月最後の採録を四編お届けします。
第202話
★肥後はさすがに盛んで、八代郡竜峰では春三月ごろ、部落ごとに、子供だけで相談して河童祭りをするという。、麦藁で酒樽様のものを作り、御神酒の竹筒をその中に入れ、これを笹竹に吊るして川岸に差し立て、河童に引かれぬように祈願する。それから祭り宿にいって飲食するそうである。(民俗学四-九より)
第203話
★北肥後では陰暦五月二日に小竹に御神酒の竹筒と、米と塩の紙包みを結わえづけたカケグリと称するものを水辺に突き立てて水神に供える。これは河童に取られぬための行事だと言う。(民俗学四-九より)
第204話
佐賀平野のカワソ祭りは、四月に行われる。川と言えば水汲み場を意味するほど川水と密接な土地柄だけに、近年まで盛んであったという。川端は堀岸の洗い場に稿の円座とか舟を浮かべ、御神酒筒、小豆飯や煮物、帆柱に見立てた笹竹または梅の枝にはムツゴロウを吊るし供える。さらに鯰・キュウリ・ナスなどを描いた短冊をちょうど七夕の色紙のようにつける。(佐賀の民俗第六号より)
第205話
★東松浦郡西町八床では主婦の川祭り座があって、夏のある日を期し、竹をもって川に棚を掛け、白い短冊や幟(のぼり)を飾り、御神酒と魚を備えて祀る。同じく横竹では、こうして正月・五月・九月の十一日に川祭りをするという。(民俗探訪42年度より)
では来月にまた
2005.5.29ミタニ様
雨の日は寝ているどころか頭の修養に励んでいる様子が窺い知れます。私は一心不乱に頭は使わず唯ひたすらに土笛作りです。来月の河童サミットで売り出す予定です。売れなかったら、持ち帰り村民に無理矢理配布します。大体私が作っている土笛、オカリナは音が出る事は出るが、音感が悪いせいかじぶんでも、ちょっとおかしい?と思うまま作っているのです。
これで売れたら詐欺だあ〜と言われそうです。村長
2008.5.18今井 村長 様
若葉の色が目にもまばゆいほど鮮やかな、新緑と清流の町飯能ツーデーマーチの60kmを歩き終え、疲れ果てています。それでも山間に広がる狭山茶畑の新茶の香りはこれまた気分一新でした。村長さんに於かれては、日々ご多忙にお過ごしの中、先日は河童村例会を催されお疲れ様でした。生憎都合がつかず欠席致しましたが、談論風発の様子は後日新聞で拝見させて頂くことを楽しみにしています。
ところで、開催地飯能市民の素朴な行儀の良さには感動した。快適にその日その日を生きたい、という欲求は、人間ならば誰でもあります。あらねばならんし、この欲求を相互に守り、相互に傷つけることをしない、というのが、日常と言うものの基のもとなるものかと思う。昔から、群居している人間の仲間で、行儀作法が発達した。行儀作法は相手にとっての快感のためにあるのらしい、人間が、人間にとってトゲになったり、ちょっとした所作のために不愉快な存在になることはよくない。生活に退屈しはじめると、こまごまと他人の意の内の動きに興がおこるものだと、いつもの埒もないことを瞑想している。
では恒例の採録四編を送ります。
第198話
★大和吉野郡枌尾(そぎお)の中枌家では代々キュウリを作らぬ。昔その家の先祖が川で馬を浴びさせていると、河童が出てきて、馬の尻に吸いついてはなれぬ。そこでキュウリが河童の好物であることを思い出し、どうか馬を助けてくれ、その代わりお前にキュウリをあげさせてもらいから、と頼むと、河童は馬を放して去った。それからこの家では、河童にあげたのだから、と言ってキュウリを作らぬことになった。ところで、四十年ほど前、この家の畑へ種子がこぼれて自然にキュウリが生えた。ひとりでに生えたものならば、と言ってそのままに放っておくと、病人が出きたので、畏れて抜きとったら病人は全快したと言う。(大和の伝説)
第199話
★また、吉野川流域では、川へ魚を取りに行く際はキュウリを忌む。もしキュウリの匂いをさせて行くと、河童がその香を慕ってやって来るので魚がみな逃げてしまうと言うことである。また、五条市の湯谷でも天王様の御紋であるから恐れ多いというわけで、キュウリは作らぬと言う。(大和の伝説)
.水神祭りと河童について
第200話
★各地に河童祭りというのが行われている。岩代安達郡川之は阿武隈川に臨んだ小集落であり、旧盆の十六日の宵に川燈籠流しをする。この村は河岸段丘に位置する関係上、井戸は全くなく、すべて川の水に頼り切っている所だけに、しばしば水の事故が起こりやすく、この行事に寄せる信仰は熱心なものである。川燈籠は水楊(かわやなぎ)をもってかたどった亀甲型の骨組に麦藁で肉付けし、さらに篠竹をたくさん差し立てて、ロウソクや提燈を取り付けるものである。この行事の起源は、河童との約束にあると言う。(あしなかー三七輯)
第201話
★土佐南国市前浜のエンコウ祭りは六月十七日に行われ、部落を流れる下田川のほとりに菖蒲小屋を掛け、キュウリや菓子を供えて祀る。また、平野部の農村でもこの日の前後にエンコウ祭りを行い相撲をするという。(『高知』日本の民俗より)
ではまた次回に。
2008.5.18ミタニ様
素なんと二日で60kmとは、驚きです。私は一日がかりでせいぜい7kmいやジグザグだから10km。嘘です!打ってはカートに乗りで、それでも終われば疲労困憊している様は、とてもミタニ氏の爪のあかです、呑めば歩けるなら、何でも呑みます。今日は昨夜からの雨が朝方も降りしきる中を馬鹿と言われようと世の中の義理と人情そしてゴルフマナーを守るために出掛けました。到着して朝食を摂り1時間後にスタートしたら、凄い雨がぴたりとやんで、青空さえ出てきました。素晴らしい雨後の澄み切った空気と万緑の中で嬉しいラウンドでした。優勝はできなく次点でしたが、明日は優勝するよう頑張りたいと思います。村長
2008.5.1今井 村長 様
村長さんにはお変わりもなくお元気でお過ごしの様子何よりでございます。この度「さいたまかっぱ村新聞」第15号を拝受いたしました。待ち焦がれた甲斐あって、春の陽気に誘われて足どり軽く各所を探訪されたレポートが、写真と共に満載されて嬉しくなります。
特に「志木河童巡り」は第1回に参加させて頂いただけに、懐かしく読みました。疲れを知らない各イベントへの参加と酒仙の如くというか、バッカスの弟子のように愉快な酒宴を楽しまれている。
多くの河童仲間との交流と、さいたま河童村も次第に村民が増え、村長を取り囲む河童世界は大きく広がりを見せています。
私、「歩き河童」も五月は忙しく、3〜5日は「東京国際スリーデー」、17〜18日は「飯能ツーデーマーチ」と長距離を歩きます。
それ故、村民としての貢献と協調性に劣り内心恐懼していますが、所詮人間の器として、「越鶏は鵠卵を伏す能わず」と言われるように、自分の分際を心得るしかありません。(*^_^*)。
「諺なんざ、死物だぜ。世界中の諺を万と集めた所で、どうにもならぬ。その点、陶芸と言うものは、河童というものがいかに美しく、さらにはその心がいかに奥深いものであるかを、異種族である我々に教えてくれる神聖技術なのである」と採録の河童がささやく。
今回も早速新聞に刺激され4編書くことにしました。
第194話
★羽後山本郷二ッ井町では昔、日照りの年に河童がキュウリ畑に入ってキュウリを食べていたので、最初のキュウリは二本あれば二本、一本しかない時には縦に二つに割り、川の神様にまずあげる、と言って川へ流すと言う。(民俗採訪・44年度)
第195話
★岩代郡山市湖南町三代の牛頭(ごず)天王祭は陰暦の六月十五日で、宵祭りに二本のキュウリを供え、帰り祭りに一本をお護符としてもらい受けて来る。これを家族で分けて食すると、流行病に罹らぬという。また、この両日に田の草取りをすれば、稲の穂先で目を潰すと言って慎む風習がある。(猪苗代湖南の民俗)
第196話
★土佐高岡郡須崎町や東津野村などでは陰暦六月七日を祇園様の日といい、この日はキュウリは勿論、切り口にスのある蓮根とか芋茎(ずいき)のようなものまで忌むという。ことに祇園様の御紋がキュウリであると言い、沖ノ島でもこの日はキュウリを食わぬし、宿毛市神有などでは祇園様の氏子である関係で年中キュウリやマクワウリの類を忌むという。(南海民俗風情)
第197話
★越後三条市付近では腐れかけたキュウリが川上から流れてくると、ソーラ河童が来た、と言って急いで岸に上がると言う。(越後三条南郷談)
解説
キュウリは河童並びに水神の神饌(しんせん)である。祇園は牛頭天王を祭神とする天王信仰にほかならぬが、水神信仰と深くかかわっている。御霊信仰がことに水と結びつく要素を持っていた。キュウリはまた祇園様の神饌であるゆえんである。神饌の耕作や食用には禁忌を伴う。そのため、これの耕作を忌むという所まで出てくる。
ではまた次回に、
2008.4.25今井 村長 様
春に三日の晴れ間なし、と言われるように天気が日替わりの如く変り、ウォーカー泣かせの天候である。雨でもゴルフはされるようですが、私は雨は寝て過ごします。孔子の言葉に「益者三楽、損者三楽。礼楽を節することを楽しみ、人の善を道(い)うことを楽しみ、賢友多きを楽しむは、益なり。驕楽を楽しみ、佚遊(いつゆう)を楽しみ、宴楽を楽しむは、損なり」と言っている。が、それは昔の話、現代は奢り高ぶる楽しみ家を外にして帰ることを忘れるほどの楽しみ、酒食や美女と戯れる楽しみを悦楽とする生き方がナウイとされる。私には縁遠い話ではあるが・・・さて、この世を自由に生きて居るとは言え、男は一個の身を無数の権力もしくは権力現象に身をゆだねたり、その虜になり、他に害を与えたり、あるいは害を受けたり、ときにはそれを得ることによって何事かの自己表現を遂げようとあくせくし、それがために生死する。このことばかりは人類の初めから今日に至るまで変わる事がなく繰り返している。そのことは小さな職場や地域内でのことであったり、あるいは国家規模においてその化け物が狂い廻って何百万の人間が死ぬ不幸な時代があった。科学の発達は有益ではあるが、反面両刃の剣で原始は棒でたたき合う闘いが、一瞬にして何百万を殺傷する兵器が作られ、日々不安を与えている。河童の世界にはイデオロギーの違いも格差社会もない、輪廻転生で今度生まれ変わるとすれば、静かな湖に棲む河童になりたい。雨の日は果てしなく妄想が続くので、この辺で採録を4編お届けします。
第190話
★美濃加茂郡太田町付近では、河童が各々六月十六日の尻児玉を水神に献上せねばならぬことになっているので、それ以前に子供が川へ泳ぎに行くことは危険である。また、河童はキュウリが好きなので、これを食って川へ行くことは、はなはだ無用心であると言われている。(郷土研究三―八より)
第191話
★越前北蒲原郡笹神村の天王様を祀る須賀神社の祭礼には、近郷の農民がキュウリの初生りを山のように供え、それまでは決して食わぬものとされていた。それから、新津市萩島にある天王様の六月五日の祭りには、参拝者はキュウリの初生りを供え、除難を祈る。しかも、この日までに泳ぐと祟りがあると言って子供を戒めたという。(蒲原の民俗より)
第192話
★陸奥八戸市櫛引では初生りのキュウリを川や堰へ投げ入れて河童に供え、それから天王様へも供えたあとに食することになっており、河童はキュウリの先の花のついた所を最も好むので、そこは食わなかったものであるという。(ふるさとの伝説より)
第193話
★八戸市糠塚ではキュウリを六月十四日に天王様へ手向けるために水へ流し、それから食する。キュウリは天王様の紋だからあげる。ただし、恐れ多いから丸切りにするものではないとされている。(大久保寛談より)
2008.4.25 ミタニ様
酒食も十分楽しんでいるし、美女かどうか分からないが、若い(自分より)女性とも戯れる(言葉だけ)ことは戯れているが、善とも悪とも思われない。同性とも玉を内ながら戯れるのもまた愉し。今日は、大学の後輩たちに呼ばれ、乱打、乱打、で楽しんできた。今週は絶好調だった。
確かに孔子や孟子が生きた時代は人の本性についての関心が高まり、「性無記説」(性には善も悪もないとする告子の学説)や「性が善である人もいるが、悪である人もいる」とする説、「人の中で善悪が入り交じっているのだ」とする諸説が流布していた。これらに対し孟子は「性善説」を唱えた。これは孔子の忠信説を発展させたものとされる。私の新説は外なるものは悪であっても、内なるものが善ならば、それもまた良し。要は、人のそれぞれの価値観で決まるものである。(独りよがりの我が儘放題、「自身是善説」である)村長
2008.4.14今井 村長 様
過日は懐かしい「志木の河童探訪」をされたようで、愉快な時を過ごされたと想像します。あの折のご夫妻との三人の旅(?)と違って、多士済々のメンバーで大いに盛り上がったことでしょう。さて、「春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは 少し明りて紫だちたる雲の細くたなびきたる」と書かれる山際を歩くと、遠望する山々は紫立ちて見える季節となりました。世事を忘れるつもりのウォークに、習癖の妄念が湧いて独言が出ました。政治がもし論理のみで動くものであるとすれば、人類の歴史ははるかに輝けるものであったろうと思われる。しかし政治においては論理と言う機械の作動する部分は不幸なことに僅かしかない。とある人の言葉がよぎる。それよりも私利私欲・党利党略で動くと言うことは大いにあるであろう。しかし今日の混迷な時代の国家の指導者たちは、国民の利益を決して代表していない。むしろ感情・面子で動いている。感情が政治を動かす部分は、論理や利益よりもはるかに大きいと言えるかも知れない。国民は勘弁してくれよ〜と叫んでいる。
では妄言はこの辺で、採録4編をお届します。
第190話
美濃加茂郡太田町付近では、河童が各々六月十六日の尻小玉を水神に献上せねばならぬことになっているので、それ以前に子供が川へ泳ぎに行くことは危険である。また、河童はキュウリが好きなので、これを食って川へ行くことは、はなはだ無用心であると言われている。(郷土研究三―八より)
第200話
越前北蒲原郡笹神村の天王様を祀る須賀神社の祭礼には、近郷の農民がキュウリの初生りを山のように供え、それまでは決して食わぬものとされていた。それから、新津市萩島にある天王様の六月五日の祭りには、参拝者はキュウリの初生りを供え、除難を祈る。しかも、この日までに泳ぐと祟りがあると言って子供を戒めたという。(蒲原の民俗より)
第201話
★陸奥八戸市櫛引では初生りのキュウリを川や堰へ投げ入れて河童に供え、それから天王様へも供えたあとに食することになっており、河童はキュウリの先の花のついた所を最も好むので、そこは食わなかったものであるという。(ふるさとの伝説より)
第202話
★八戸市糠塚ではキュウリを六月十四日に天王様へ手向けるために水へ流し、それから食する。キュウリは天王様の紋だからあげる。ただし、恐れ多いから丸切りにするものではないとされている。(大久保寛談より)
ではまた次回に
2008.4.15 ミタニ様
二年ぶりの同窓会が新潟市のイタリア軒にて開催された。
各地から懐かしいメンバー(と言っても忘れた顔・名前が多い)が集まり昔話に花が咲く。でも、小学校の頃をみんな良く覚えているね〜私はほとんど記憶がない。ただ、ひたすらに呑むだけ、やはり飲み過ぎた為に翌朝まで残る。
ゴルフメンバーは、雨の中を出発。ゴルフ場に到着してもまだ降り止まぬ。昨夜から、「大丈夫!スタートするときには雨はやむ」と広言していた私も雨具に着替える。
ホラ!晴れた。まさに第1打を打つときである。我ながら凄い!?あいにく乗用カートがなく、久しぶりに全コースを歩いた。
雨後の満開桜がきれいである。このコースは今年10月に「女子オープン」が開催される。
とても疲れた!一晩寝ても今日は体のあちこちが痛い!ミタニ氏に笑われる〜村長
2008.4.7今井 村長 様
御機嫌宜しゅうお過ごしですか。早桜も散りて新緑の季節になりました。「春雨や二葉に萌ゆる茄子種」芭蕉の句にもある、風景が里山を歩いているとみられます。村長さんのゴルフに対する執念は、私ごときのウォーキングでは及びもつかないところがあります。ウォークは雨や雪が降れば休み、風が吹けば止め、足が痛いとさぼります。宮沢賢二も吃驚しているでしょう。さて、小生の自虐趣味と屁理屈の世界に入りますが、我々が、身辺の何が美しいかと思うのは、その周辺の人が発見するよりも、他の優れた文化によって、衝撃と共に教え込まされるという場合が多い。私が秋の月を美しく思うと言うのも、縄文時代の古代人もそう思っていたのではなく、のちに中国の漢詩が渡来し、その類的体系の中で月の美しさを知ったと見る方が自然である。げんに秋の月を美しく思うという感受性は、さほどの普遍性はなく、イギリス人はそうは思わないそうである。では採録を4編送ります。
第186話
★河童はキュウリ畑ばかりでなく、地方によってはナス畑にも出る。日向東臼杵根郡西郷の河童はナスが好きで、畑に入ってはよくナスを食っている。ある日、そこへナスをもぎに行った婦人がナスを食っている河童を見て驚き、失神した。それ以来病弱になり、占いをやる老媼に見せたところ、水神様の祟りだから御神酒をあげよ、と言われたので、河童の好きな胡麻の幹と御神酒とを供え、ロウソクを点して祈ったが、ついにその甲斐もなく亡くなってしまったと言う。そのとき一瞬のうちに体が紫色に変わったそうである。
(「民族探訪」38年度より)
第187話
★また、村内の山三ケではナスを河童の好物であるとして、その初生りを槍の先に突き刺し、これを畑に立てておいて河童に捧げる。こうして供えるまでは、ナスを食ってはならぬと固く戒められている。(「民族探訪」38年度より)
第188話
★肥後天草郡の方でも、河童はナスが好きで、夜の間に畑に入って食ってしまうと伝えられている。そんなことのないように、初生りのナスを一つは必ず井戸へ投げ入れて水神様に供えると言う。また、鬼池のあたりでも、河童はナスやカボチャなどに爪のかたをつけたりして悪戯をする。以前、あまり生り物に害をするので罠をかけておいたところ、これに河童がかかった。村の者が調べに行ったけれども、姿が見えぬためにかかっておらぬと思っていると、連れていた子供が不意に横の深い穴に落ち込んだ。これは河童に仕業に違いあるまい、というので、大勢集まって穴へ石を投げ込むと、その中から、ナスをたくさん持ってくれば子供を返してやる、と言う。それでナスを持って来て与えたら子供を返してくれたと言う。(天草島民俗誌より)
第189話
★野菜の初生りを捧げる行事は幾つもある。その中でも、水神または河童に対してはキュウリを供える。ナスを供えるという地方も若干ある。これはそれらの害を防ぐためのものだとされている。羽前最上郡は向山の下に小国川の深淵があって、水遊びの子供が毎夏のように吸込まれその亡骸さえ浮かばぬことが少なくなかった。ある年の事、夏に臨んで水の犠牲を心配していた村人は、たまたま来合せた旅山伏を頼んで伺いをたてた。その結果、旅山伏の先導で淵の祈祷供養をすることになり、村の者もみな淵の側に集まった。
いよいよ祈祷が始まって、みな一心に拝んでいるうちに、旅山伏の唱え言がひときわ高く響いたかと思うと、波被りの大岩の上に地蔵様が姿を現し、子供をとるのはこの淵の河童の仕業であるから、取られぬようにしてもらいたかったら、みなキュウリの初生りを一本ずつ毎年この淵にあげよ、と告げるや、たちまち消えてしまったという。それからはキュウリの初生りを一本川へ流してから食う事にし、水に入って遊ぶのもこれをすましてからにする習わしとなった。その後は水の事故も絶え、淵も大水の際に埋まってしまったそうである。
(羽前最上・小国郷夜話より)
でがまた次回に
2008.4.07 ミタニ様
2008.3.31今井 村長 様
春雨じゃあ濡れて行こう、なんて悠長なことを言っていたら、折角満開となった桜花は濡れそぼめて散ってしまう。慶福寺の枝垂れ桜も雨の中で人待ち顔に佇んでいるでしょう。さて、今日で三月弥生も去る。明日からは卯月、「卯の花匂う垣根に・・・」の童謡に誘われてウォーキングの季節になりました。村長さんの作陶にもゴルフにも絶好な季節となりました。今年の創作に興味津々で野次馬根性(失礼!)丸出しで秋の展示会を期待しております。毎度私の妄想にお付き合い下され、またか〜ウザイと食傷気味でしょうがご容赦くだされ。先ずは春ボケの一節を。たとえば、こういうことが言える。自分のためになり、社会のためにもよく、家族も喜び、友達も笑い、妻子も泣かさず、親にも孝に、女にももてる、というような馬鹿な行き方があるはずがないのは当然である。そういうことを思いつく人間というのは空想家であり、法螺吹きであり、結局はなにもないい、自分の様な茫々とした男である。何事かをするということは、結局はなにかに害を与えると言うことだと、遊惰な気持ちでに考えている。何者かに害を与える勇気のない者に善事が出来る筈がない、と言い訳じみた結論になる。
では採録4編を載せます。
今回のテーマはキュウリを好む河童について
1.水霊の捧げ物伝承
第182話
★瓜は水性と深くかかわっている。とりわけキュウリは水神ないしは河童のための重要な供物とされている。陸中岩手郡雫石の河童淵に近年まで河童が住んでいたと言われる。その渕の上には与惣兵衛、源助、生内、茂兵衛を号する家があって、裏の畑にキュリを作っている。その畑によく河童がついて、キュリを食っているのを見た者が何人もあったそうである。(郷土研究・岩手県雫石街五―四より)
第183話
★越後西蒲原郡西萱場に大きな松の古木があって、これを河童松と呼んでいた。ある年のこと、何者かによってひんぴんとキュウリ畑が荒らされたことがある。それで、村人は警戒のために見張っていた。すると、ある日バラバラ髪の小さい生き物が畑の中でキュウリを食っている。そこを捕えて、松の木に縛り付けておくと、この中之口川の河童が詫びて、今後キュウリ畑を荒らさぬ、そして、この松の木がある限り西萱場の子供を取らぬ、と約束した。それからこの木を河童松と呼ぶようになったと言う。(続越佐の伝説より)
第184話
★新潟に横堀という農家があって、昔西川の堤内にキュウリを作り、朝市などに出荷していた。ある朝早く畑へ行くと、キュウリをムシャムシャ食っているものがいるのではないか。早速そのものの背後に回って窺うと、それはほかならぬ河童であった。主は急いで家にとって返し、馬槽を持ってきて、河童の頭からスッポリと被せて生け捕った。それから厩に閉じ込めて、食物を与えずに懲らしめてやると、前非を詫びて、もし助けてくれるなら、どんな難病もたちまち治る灸を伝授しようと言う。爾来、横堀家では代々、此の時の灸を相伝して、病弱者に施療しているそうである。(蒲原の民俗より)
第185話
★肥後天草郡浜田の海岸の近くに一軒の家があって、その畑にキュウリを作っていた。ある夜の事、そのキュウリ畑から非常に生臭い匂いがしてくるので、家人は不思議に思った。あくる朝早く起きてみると、キュウリはみな噛んだ跡がついている。それで、今晩にも捕まえてやろう、と待ち構えていると、夜に入ってまた生臭い匂いが漂ってくる。そして雨戸をガサガサ引っ?く音が次第に激しくなって来た。家人が棒を持って出てみると猫のようなものがたくさん居て畑の中で盛んに暴れまわっていた。頭頂が平たくなっているので、これが噂に聞く河童だな、と思うと恐ろしかったが、棒を投げつけたり、水を浴びせかけたりして追い払った。河童どもはみな海中に逃げ込んだという。
(天草島民俗誌より)
ではまた次回に。
2008.3.31 ミタニ様
2003.3.17今井 村長 様
村長さんには、お変わりありませんか。作陶にも本格的に取り組まれる良い季節となりました。うららかな春の光に誘われ、野山では木々が一斉に花開く。俗に「春は黄色から」と言われ、早春に咲く花はマンサク、サンシュユなどの黄花が多い。
そして日本の春といえば桜。花便りが聞かれるようになると、誰の心もそぞろ浮き立ってくる。現代では桜といえばソメイヨシノだが、万葉集などに詠まれた桜は自生の山桜。種類は違えど、開花を待ちわび、散る花を惜しむ気持ちは時代を超えて変わることがない。大宮公園も大勢の花見客で賑わうのも間もなくでしょう。さて、陶芸と言うのは、結局村長さんの中にある少年の投影だと私は思っています。同時に村長さんの中から少年が消滅したときに陶芸家は作陶をやめてしまうものだし、別の表現で言えば、少年の感受性を多量に持っていなければ陶芸に向かう心が成り立ち難いとも思っています。むろんこのことは、他の創造的な仕事にも通ずるでしょう。世故にたけて心のひからびた私のような、おじさんのイメージと、たとえば新しい音楽を創造することは無縁のものだということを考えあわせれば分かります。3月も半ばを過ぎ、春の霞のような朦朧とした妄念に取り付かれています。では無味乾燥な採録を続けま〜す。
★肥後八代郡上松求磨村でも猿楽師が川を渡る場合には必ず猿に目隠しをすると言っている。そうしないと、猿が舟の上から河童を見つけでもしようものなら、すぐにそれを捕りに川へ飛び込んでしまう。河童は十二時(とき)しか水に潜っておれないが、猿は二十四時(とき)も潜っていることが出来るので、河童を捕えて食い殺してしまうそうである。(熊本県民族辞典より)
★また、あるとき、八代の蛇籠から天草に渡る船に猿楽師が乗っていて船上で猿に芸を仕込んでいたが、ふとその猿は急に芸をやめて、猿楽師に飛びつき、離れようとしなかった。何か恐ろしいものがいるのかと探してみると、船の近くの水面にブクブクと泡が立っている。船頭は棹をもって河童をさがしたけれども、いつまでも船の後からついてきたそうである。(熊本県民族辞典より)
★猿は馬を疾疫から護り、河童の害からも守る。猿には河童除けの呪力があるのであろう。肥後芦北郡では申の年の申の日の申の刻生まれの者は、河童のいる淵に入って泳いでも何ともないと言われている。その者に限って河童の姿が見えるし、捕まえようとすれば、たやすく捕まえることができるそうである。また肥後菊池郡川村では村の川にヤゴ猿の毛が流れているので、村の子供は河童に引かれることがないと言う。(熊本県民族辞典より)
2008.3.17 ミタニ様
昨待ちに待っていた春の到来です。私の春は、暦上ではなく、自分がもう大丈夫だ!と思われる温度、暖かいことが条件であります。今日はゴルフの練習、慶福寺の清掃、整形外科通院そして晩酌が終わったところです。ようやく明日が初窯です。昨年は2月14日でしたから1ヶ月以上の遅れです。それだけ老いし、寒かったのでしょう。今回の焼成はバーナーを新しくしたので、静かな焼成となるでしょう。まだまだ梅と桜しか区別が出来ない私です。桃が咲き始めると遠目では分からなくなる花音痴、樹木音痴、と言おうか全ての物に音痴(知識不足の記憶低下)なのです。もうどうにも止まらないです。村長
2008.3.3今井村長 様
昨日は、「さいたま河童新聞」第14号の配信ありがとうございました。短い首を長くして、春の訪れを待つように配信日を楽しみにしていました。今回も取材が大変であったと思うほど多彩な記事と、楽しい写真が満載されています。村長の人柄と仁徳を如実に映し出している交流先々での和気藹々の姿に、羨ましくかつ敬服いたします。
さて、暦の上では「ひな祭り」が過ぎると啓蟄です。『啓蟄や蚯蚓の紅の透きとほる』(山口青邨)の句にあるように、閉じこもっていた虫たちが目覚める時季となりました。生命ある生き物にすべて神が宿ると古代から信じられてきました。されど心は人間だけが持つ特別のものであり、悪と善も人間の社会だけに存在し河童の社会では見られない。それ故、釈迦は人間の苦悩が、その心より起るものであると分析し、さらに心と、心が作り出す苦悩を見つめ切って、苦悩から逃れようとすれば、たれもがその内面から自分を変える必要があるとした。心は、心そのものが悪いのではなく、その深奥に一カ所人間を苦しませる部分があるとする。その部分から毒素を分泌しているために、人間は苦しむのである。その部分か、あるいは毒素の事を、釈迦は妄執という概念でとらえた。私の妄執はまさにここに起因している。狂愚というか頑狂というべきか、河童社会の迷宮に踏み込んだ悪酔いに戸惑っている。さて駄法螺はこの辺で採録の続きを。
第175話
★また、土居の明神下の青淵で、ある年の牛休み(水無月初丑)の日に村の者が牛を洗っていると、突然河童が現れて尻を抜こうとして牛の足につかまった。牛が驚いて河原へ駆けあがるのと一緒に河童もひきあげられたから生け捕りにした。それを鎖でつないで明神の草引きをさせた。ところが番をしている者は何となく気持ちが悪いので、尻に小石をあてがっていた。河童はそれを悟って、あなたの尻は石尻だ、と言った。この河童にも将来この里へ入りこまぬようにと誓いをたてさせ放してやった。それで今も寒川には河童がいないと言う。
(「南紀土佐資料」より)
第176話★猿は水辺をよくうろつく動物である。河童の形状や行状には猿をモデルにした部分がかなりあって、時には猿そのものであるかのような観を呈しているけれども、意外にも双方仲が悪い。日向児湯郡都農では河童の腕はもともと猿の腕であったもので、ある日河童が猿と取り替えたのだと言う。それで今でも猿は欺いた河童を恨んで常に仇を返そうとしているから、猿回しなどが川を渡る際は、必ず猿に目隠しをしなければならぬとされているそうである。(民俗学二-十)
第177話★日向西臼杵郡高千穂町あたりでは猿回しは川を渡るとき猿に目隠しをする。昔河童が猿の手を引っ張ったので長くなった。猿はそれを根に持って、河童を見るとすぐ喧嘩したがるので目隠しをするのだと言う。(「高千穂」熊本商大)
★肥後天草郡馬場上小平すなわち渡合川上流にワタゼという所があって、ある時猿回しが猿を傍らの木につなぎ、そこで泳いでいるうちに河童に尻を取られてしまった。猿は河童を狙うけれども自由がきかぬので懸命にもがいていた。通りがかりの者が縄を切ってやると、猿は川の流に飛び込むなり河童を捕えて上がってきたと言う。(天草民俗誌)
ではまた次の機会に。
2008.3.3 ミタニ様 満二周年目に入りました!三谷様の根気強さに敬服です。2008.2.29今井村長 様
明日で如月も終わり弥生が訪れ、二月は逃げるように去って行く。三寒四温の季節が巡って、陽だまりが恋いしい時期も薄れ、朝夕の陽射しが長くなった今日この頃です。村長さんにはお変わりございませんか。地道なボランティアにも積極的に精出され、地域に貢献されている姿勢には頭が下がります。人間の悪と善を思うとき、ふと次の一節を思いだす。「人間は、本来、猛獣かひどく気味の悪い動物だったかもしれん」と、ある作家は言った。そのくせ人間は虎のように一頭で生きるのではなく、群居しなければ生きて行けない動物なのである。群居するには互いに食いあっては種が絶滅するから食い合わないための道徳が出来た。道徳には権威がいるから、道徳の言い出し兵衛に権威を付け、いやがうえにもその賢者を持ち上げて広めた。しかし道徳だけでは、事足りない。人間の精神は、傷つけられやすく出来ている。相手を無用に傷つけないために、礼儀正しい言葉使いやしぐさが発達した。人間にとって日常とはなにか。仕事でも学問でもお役目でもなく、それぞれの条件のもとで快適に生きたい、ということが、基底になっている。仕事、学問、お役目はその基底の上に乗っかっているもので、基底ではない。さしずめ私など口舌の輩で、善行は必要と知りながら自分では何も動こうとしない。分類すれば悪の類、大目に見て愚物である。駄弁はこれ位にして、2月最後の採録をお届けします。
第172話
★また、畝畑にバンノブという淵があって、昔、大日照りの時、ここに三升ぐらいの水しか溜まっていなかった。村の者が牛を連れて行って水を呑ませようとしたら河童が出てきて、その牛を引きずり込もうとしたが、あべこべに河原に引き上げられたと言う。また、曲川で凄い日照りの日に、水を呑ませるために田村川にある檜葉のゴロブチに牛を連れて行ったことがあった。片足を水につけるや、猫のような格好をした河童が出てきて牛を引きずりこもうとしたと言う。 (国学院雑誌第65巻題0−11号より)
★紀伊日高郡大熊の出会いの淵にも昔河童がおった。あるとき、程近い湯の倉の田圃に牛を放しておいたところ、その河童上がってきて尻子玉を抜こうとした。牛は驚いて河童を引きずりながら大熊平と言うところまで駆けて行った。河童はそこで村の者に生け捕られ、農作業を手伝うことになったが田の草取りなどにこき使われて辛抱出来なくなり、以後、天に星がなくなり、河に真砂が消え、竜蔵寺に小松の生えるまで湯野々から上の人には危害を加えない、と約束して放免された。なお誓文は石に刻んで竜蔵寺の手水鉢の下に埋めてあると言う。(「南紀土佐資料」より)
★後年、竜蔵寺の住職を勤めた荊山という僧が庭前に二本の小松を植えたところ、果たして湯野々の者が二人、この川へ夜釣りに行くと言ってでたまま行方が知れなくなってしまった。これは松を植えたために河童が業をしたのであろう。ということになって松を伐ったら、そのような異変はおこらなくなったそうである。(「南紀土佐資料」より)
ではまた3月に
2008.2.13 今井 村長 様
立春を過ぎて余寒どころか冬本番さながらの厳寒に見舞われ、せっかくほころびかけていた梅も蕾のまま固まっています。
さて、昨年週一ゴルフで年間48回ラウンドされたそうで、その恐るべき体力と執念に舌を巻いています。月並みですが「継続は力なり」、精神力の強靭さが培われたことと存じます。さて、話柄をガラリと変えて、今の日本の企業社会で、同業企業と気が狂ったように競争している勤め人達の7割以上は祖父の代まで、太陽の下で手拭で頬かぶりをしながら田圃や畑の草を取っていた。
たった二代で大変化を起こしたこの社会で、私達は割合平気で生きているというのが滑稽なほどだが、しかし心のどこかで、かっての人間らしい社会へ回帰したいという思いが、河童伝承噺とのふれあいの中で絶えず感じます。
では恒例の三話をお届けします。
第169話
★また信濃上伊那郡市野瀬の宮下民弥と言う者の家では、三峰川沿岸の城の腰に水田を作っていたが、馬を放しておく機会が多かったために河童の仔を産んだそうである。城の腰は河童の住処だったもので、いつしか河童の子を宿し、河童に似た仔を産んだ。その頭が鉢のように窪んでいたと言う。 (山国の動物たちより)
★紀伊東牟婁(ひがしむろ)郡は畝畑の中瀬でのことだが、昔大日照りの年があって、谷の水までも干上がる有様で、連れて行った牛が谷底の水をみな飲み干してしまうと、出てきた河童が牛の鼻をとらえて引っ張ろうとした。双方引き合いとなって、河童が負けてしまった。牛飼いに捕えられた河童は、この土地の見える限りの場所に松の木が三本在るうちには、人畜に絶対に危害を加えない、と約束して許されたと言う。今ではどこでも泳げるが、畝畑では松の木三本だけは絶やせぬものであると言っている。
(国学院雑誌第65巻題0−11号より)
ではまた次回に
2008.2.15 ミタニ様
寒い日が続き、早朝起きのゴルフも気勢が上がらず、今年は昨年の半分にも到達していない。今回は顔と手が切られるような風に見舞われて、最初は好調な滑り出しであったが、徐々にプレイヤーの本質が表面に現れ、いつもと同じお寒い結果となってしまった。いつもと違う新年を迎え、まだ例年の調子に戻らず、制作したり片づけたりで落ち着かない日々を過ごす。もう明日は浅草曹源寺での新年会である。さいたまかっぱ村村民の健康と諸氏それぞれの活躍を祈って来たいと思います。村長
2008.2.5今井 村長様
先日の大雪が嘘のように青空が広がり清々しい一日でした。大寒に相応しい如月、重ね着をするほど寒い月と言われ、文字通り寒雀のように着ぶくれて丸まっています。新春の捏ね始めも終わり、この一年の創作プランに向かって始動されたことでしょう。
さて、話柄をガラリと変え、「烏鳥の私情」すら既に遅しという歳になり、抹香臭い話になりますが、最近常々人間の生死を見るにつけ、人間とは何かと思う時がしばしばある。人間の厄介なことは、人生とは本来無意味なものだと言う事を、うすうす気づいていることである。古来、気づいてきて、今も気づいている。仏教にしてもそうである。人間は貴族であれ乞食であれ、すべて平等に流転する自然生態のなかの一自然物にすぎない、人生は自然界において特別なものでなく、本来、無意味である。と仏教を聞くと感ずる。これが真理なら、たとえ親鸞なら親鸞がそう言いっ放して去って行けばいいのだが、しかし親鸞は人間の仲間の一人としてそれでは淋しすぎると思ったに違いない。そこから救済という思想が出たのか、解脱のための修行とか念仏がひろまったのかも知れない。果たして河童の世界に信仰はあるのであろうか疑問は解けない。では、如月最初のん採録をお届けします。
第166話
★また湖沼の主を馬とする伝承がある。羽前村山は宮本に大沼と呼ばれる沼があって、あるとき、その真中の湖底から大きい泡をブクブク盛り上げたことがあり、ためにみな沼の主がいると信ずるようになった。さて、この近くの村に三太郎という者があって、仲秋の名月の晩に家路を辿って大沼の傍らを歩いていると、突然湖面に大渦が湧き上がって、一匹の白馬が頭を現したかと思うと、目をランランと輝かし、耳をピンと張った駿馬が宙に舞い上がり、北の空を目指して飛び去った。そして、白馬は最上郡沼の台の沼に入って湖底に住み着いたが、月明りの湖上に現れては、大沼を恋うて沼の台の部落を暴れまわり、壁を剥ぎ落したと言う。それからみなこれに懲りて民家を板囲いするようになったそうである。(北村山地方の伝説と民話より)
★肥後天草郡宮野河内村では、馬を川入れに連れて行ってそのまま繋いでおくと河童が来て馬につく、ことに種馬にはよくつくと伝えられている。これは駿馬の胤を水界から得たとする伝承の片割れである。(熊本賢民族辞典より)
第168話
★陸奥十和田市の館で飼っている馬は、放すと必ず沼の尻に行きました。不思議がっているうちにその馬の腹が大きくなり、産み月になるとしきりと沼尻に出たがった。みなでかかって産ませると、生まれた仔馬は、体つきこそ馬であったが、顔立ちは河童そっくりであったと言う。すぐ死んだので野原に捨てておくと、いつの間にか消え失せ、間もなく母馬も死んだそうである。 (十和田村の民俗より)
ではまた次回に
2008.2.6 ミタニ様2008.1.31今井村長様
寒さ厳しき折柄ご機嫌よくお過ごしのことと存じお慶び申し上げます。さて、愉快な村民諸氏との愉快で楽しい新年会も盛況であったことであろう。小生冬眠状態の頭で、ろくなも文句も出てきませんが、睦月は過ぎ去り明日からは如月にはいり、もうじき暦の上では春を迎えます。私の習癖としてやたら修辞と回りくどい文体の傾向があり、村長さんは嫌うようで反省しています。されど、人は、いつも、自分を様々な意識で縛り上げている。見栄、てらい、羞恥、道徳からの恐怖、それに、自分を自分の好みに仕立て上げている自分なりの美意識がそれであろうと思う。それらは容易に消えないし、むしろ、その捕縄の一筋でも解けると、自分の全てが消えてしまうような恐怖心を感じてしまう。またくどくなりこの辺でやめます。では、1月最後の採録をお届けします。
第163話★土佐は高知城下の鏡川において、あるとき河童が人を取ろうとして捕まえられ、潮江天満宮の氏子ならば今後は取らぬ、という約束で許された。また、香美郡下田村でも河童が馬の手綱を引っ張っていて跳ね上げられ、人に捕えられ、下田の生まれの者には危害を加えぬ、という約束で許された。そこで高知近在の子供は水に入る際に、「下田生まれで天神氏子」と叫べば決して河童に取られる心配はないと言う。(土佐風俗と伝説―下田村より)
第164話第165話
★その磨(する)墨(すみ)を凌いだ佐々木四郎高綱の名馬池月は、同じく岩代河沼郡広瀬に鎮座する広瀬神社境内の親沼から出現したと言う。ここは中洲の多い河川敷で牧をなしていたそうである。 (会津坂下町の伝説と史話より)
少し河童殻外れましたが、次回又
2008.1.20 ミタニ様
いつもは時が過ぎるのが早いと感じているくせに、この寒さを終わりにしたく、無性に春が恋しい毎日です。ようやく如月ですね。何とか亀のように首を縮めて、あと一ヶ月すれば
春が見えてきます。ようやく今日が練り初めでした。昨年より大分遅れています。今年は正月から少し忙しかったせいもありますが、とにかく寒さに負けている毎日です。
新年会は、いつものように楽しく盛会におこなう事が出来ました。ミタニ氏が居ないのが寂しいですが、新人3名が参加してくれました。村長。
2008.1.19今井 村長 様
早いもので睦月も半ばを過ぎました。村長さんにはお変わりございませんか。三越の「匠の技」実演も、ご案内を頂いたギャラリー・ミハラヤでの眞河童展にもウォーキングにかこつけて出向けず、誠に失礼の段お詫び申し上げます。頭の隅には常に時間を作って伺おうと考えて居るうちについに時期を失しました。さて、話柄を転じて今年子年の面白い川柳を仮借の上紹介します。
(亥〜子)い〜ねって みんなが思う 年にしよ
実にシンプルで素直、睦月に相応しい川柳である。今年も河童に対する想い「居るいると言う哲学的論証(?)を重ねつつ、伝承と修辞と叙述を発達させてきたような観を呈しながら、この絶対的虚構は、居るいると糸巻に糸を巻きつけるように展開させねばならない」と妄想をつのらせています。新年早々狂愚というか狂妄ともつかぬ挨拶になりましたが、この一年よろしくご指導賜りますようお願い申し上げます。引き続き投稿欄を汚させて頂きます。
第160話
★若狭三方郡佐田の吉岡又右衛家にも河童の証文があると言われている。昔、吉岡家の先祖がある日の夕方、牛を海辺に連れて行って水を浴びせようとするが、その日に限って入ろうとしない。仕方なく波打ち際で牛の体を洗ってやっていると、しきりに後脚を跳ねて蹴る様子をする。経を誦しはじめると、五、六歳の下げ髪の子供が牛の後脚を引いているのが見えてきたので、これを捕えて縛り上げた。これは織田浜に住む河童であって、祇園祭のうちに人畜の尻子玉を祇園様に供えなくてはならぬが、まだ一つも取れていないので、この牛を取ろうとした。と白状に及んだが、怒って撃ち殺そうとすると、今後は織田浜で決して人畜に危害を加えぬ、と言って謝る。そこで証文を書かせようとすると、今は硯箱もないから明朝届ける、と言って立ち去った。そしてあくる朝、吉岡家の門口に一枚の証文と鮮魚が置いてあった。毎朝魚が懸けてあるのを見て、小さな鹿角の鉤の代わりに大きな鉄の鉤を吊るしたところ、ぱったり止んでしまったと言う。証文は水にうつせば判読出来ると言われている。 (『越前若狭の伝説』より)
★豊前築上郡は友枝にも河童の証文を所有する者がある。昔この村の川に河童が住んでおって、人畜を取ったが、ある日のこと水を飲みに来た馬を引き込もうとして手綱を自分の体に巻いて引いたところ、跳ね上がった煽りをくらって、皿の水をこぼし、かえって馬のために引きずられて厩に来てしまった。主がこれを捕えて、将来この川で人を取らぬと言う証文を書かせて、それから放してやった。だから、この村には河童の害というものはないと言う。なお、この地方では田螺を河童の食物なりといい、田地の間にある田螺殻の堆積を河童の食い殻だとしているそうである。(郷土研究―友枝村より)
★出雲八束郡西川津に川獺(かわうそ)の証文を祀る社がある。昔この川の岸で草を食んでいる馬の手綱を、川獺が腰に巻いて水中に引きずり込もうとしたことがあった。馬は飛び上りざま、二、三百mも一気に走って綿畑の中に駆け込んだ。馬に引きずられている川獺を、仕事をしている村の人が見つけて、カワコ、カワコと騒ぎ立てた。川獺は腰に巻きつけた手綱のために、逃げ出すことも出来ない。そこで村の衆が殺そうとすると、しきりに謝るので村の奉公する約束で放してやった。そうして田畑の仕事を手伝っていたが、川獺の本能でどうしても人の尻へ手を出したがる。初めは瓦の片を尻にあてて用心していたけれども、しまいに気味が悪くなって、川獺に証文を入れさせて暇を取らせることにした。川獺はそのとき、「雲州西川津村」と三度唱えれば生命を取らぬ、と誓って川へ帰ったと言う。宮に祀ってあるのはこの証文であり、「雲州西川津村」を川子除けの呪文としている。川獺と称するのは、すなわち河童の事である。
(日本の伝説―高木―西川津村より)ではまた次回に。
2008.1.20 ミタニ様
昨日で銀座河童展も終わり、最後の呑み会を収入役とやって帰りは疲れて新幹線で帰り、今日は礼状書きで一日終わり、ようやく
通常生活にに戻り、一日遅れのhpupです。いつもながら採録ご苦労様です〜。歩きの暇見て採録活動大変でしょうが、よろしくお願いします。村長
2008.01今井 村長 様
初春の嬉しい便り、新春第13号を拝読させて頂きました。正月に相応しい満艦飾の記事にはいつも感服されます。特に今回の「河童探訪」倉敷・岡山の旅は、回を重ねること19回に及び、取材に要した時間と費用を思うと、率直に頭が下がる想いです。いつもながらの軽妙でウイットに富んだ道中光景と個性的人物描写には、思わずニヤリとさせる妙があります。写真もふんだんに挿入され目を楽しませてくれます。さて、特筆すべきは、三越本店での「匠の技」展に河童の石彫りに挑戦されていることです。単なる好事家の域を超え、芸としての匠の技が世に伝わりメジャー入りすることです。村民として誇らしく、世の河童連に自慢の種がまた一つ増えたことです。最後に小生の稚拙な投稿に過分なるお褒めの言葉を戴き、分不相応な教授の肩書を授けられましたが、プロフェッショナルには程遠く辞退の上、河童研究員として精進して行く所存です。河童村の着実な発展と村長さんの激務に耐え得る体力の持続をお祈り申し上げます。
2008年度最初の採録をお届けします。
第157話
★上閉伊郡は橋野の沢檜川の川下に五郎兵衛淵と言う淵があって、昔この近くの大家の人が馬を冷やしに行って、馬ばかり置いて家に帰っているちょっとの間に、淵の河童が馬を引きずり込もうとして、自分の腰に手綱を結びつけて引っ張った。馬はその河童を引きずって行って厩に入ったので、やむなく馬槽(うまふね)の下に隠れていると、家人が飼葉をやりに来てその馬槽をひっくり返した。中に河童がいて大いに謝り、これからはもうこんな悪戯はせぬから許してくれ、と言って詫証文を書いて淵へ戻って行ったと言う。その証文は今でも大家の家にあるそうである。(遠野物語より)
第158話★陸前黒川郡の粕川堰に河童が住んでいて、ある時武山氏の家臣が乗馬を堰につけて帰ったところ、尻尾にすがってやって来た。厩の中にザンギリ頭の痩せた子供があるので、捕まえてみたら河童である。この堰ではよく人馬がとられたが、みなこの河童の仕業であったので、」殺そうとすると、大変詫びて、これから村の人馬を取らないと言う証拠に布に手判を捺して行ったという。それは久しく武山家にあったが、明治の大火のとき焼失してしまったそうである。(『宮城教育』(郷土の伝説)三八号より)
第159話★羽前最上郡の塩沢に遠田弥次衛門という家があって河童の証文を秘蔵している。聞くと悪いことがあると言って誰にも見せないと言う。昔、遠田家の先祖が端午の節供の日に苗代の代掻きをしていると、夕方時分に雨が落ちて来そうになったので、泥にまみれた馬を川へ連れて行って流してやり、途中まで引いてくると、急にいなないて立ち止まった。馬の後ろに回って見ると尻尾に河童がしがみついているので、持っていた鞭で殴りつけて捕え、早速荒縄で縛り付けた。すると河童は謝り、これを持っていれば川でどんな危ないことがあっても決して死なぬ、と言って巻物を差し出した。遠田家の証文なるものは、此の時の河童が授けた巻物であると言う。(『出羽今井物語』より)
2008.1.4 ミタニ様 今年も最初の採録をいただきありがとうございました!師走も押し迫り、毎年のことながら年の瀬の慌ただしさを感じます。
さて、この一年村長さんには、毎月・毎回採録掲載の労を取って戴き心より感謝申し上げます。「孟子」に、「木に縁りて魚を求む」という比喩があります。私の河童探訪・採録も「坐して河童を求む」感無きにしも非ず。
村長さんのフットワークの良さを学ぶ必要があります。
採録納の話として面白くありませんが、人間は生涯七、八十年という物理的時間の密度も質も、
耳障りの良いユーモアを感じるかどうかによって違うものになる。ユーモアを一個の陶器にたとえると、
上質の虚しさと、気品のある楽天主義とが表裏をなしている。
その狭間で弾けるのがユーモアで、諧謔や洒落まして冗談とは違うと言える。
人生の良否を決めるのはカネではなく感受性かと思われる。
“そんなの関係ねえ”とか“別に・・・“で今年も平穏無事に終わる、泰平の世の中結構と素直に喜びたい。
村長さんには今年もお世話になりました。よい新年をお迎えください。
では今年度最終の採録をお届けします。
第154話
2007.12.13 今井 村長 様
師走も半ばになると、暮れの行事が目白押し、十日は大宮のエビス祭り、十二日は浦和の調神社の十二日祭り、十四日は川口と続いている。歩き納は十六日の鎌倉歴史探訪で関東の一都六県が集まり、七つの切り通しを分担コース別に歩く。一年の垢を清められるか、鶴岡八幡宮に無事完歩 の感謝の祈りを捧げたい。振り返ってみれば歩いた足跡は風に消え、道元が申したように「人身受け難く 仏法あひがたし」である。虫や魚に生まれることなく、すでに人に生まれて、しかも六十数年の人身を得た以上、あとは虚空からこの世に客に来たと思うと、気楽ではあるまいか。ともかく風と火に化する日まで、この世への奉仕に自分を使おうと思い定めてしまえば、爽快な六十代が送れるかも知れない。と有言不実を繰り返す「チョイ悪爺」の反省の弁である。(*^。^*) 残り半月、村長さんの一年間のゴルフ奮闘記をエピローグでしめて頂きたいと思います。来年はプログに奮闘記をアップロードされては如何ですか。好評を博すると存じますがね〜。では採録をお読みください。
第151話
★肥後八代郡佐世野に河童の地蔵様というのがある。河童が球磨川に馬を引き込もうとしたらあべこべに馬に引き上げられ、体に巻きつけた手綱を解く暇もなく、村へズルズル引きずられて来て捕まえられてしまった。その時、地蔵様の尻が腐るまで業をせぬ、と約束して許された。以来この辺りの河童の被害はなくなったけれども、この石地蔵が倒されることがある。腐ってこぬかと石地蔵の尻を見るために河童が転がすのだと言う。(熊本県民族辞典より)
第152話
★日向児湯郡の分子を流れる名貫川のほとりに徳泉寺という古刹があって、昔ここの住職を勤めていた洞光和尚が、ある時檀家からの葬式の戻りに、あまり暑いので馬を川原に引き入れたまま寺へ帰った。しばらくすると、馬が飛んで戻ったので側へ行って見ると、河童をくわえている。和尚はその河童を大綱で柱へ縛りつけておいた。すると以後馬はとらぬからどうか水をかけてくれ、と頼むので、和尚がその通りにしてやると、河童はにわかに力を得て、綱を切って逃げてしまった。それから、この河童は毎晩夜更けになると大勢の仲間を連れて来ては、厩堂や田畑を荒らすのであった。そこで和尚は付近の百姓を寺に集めて七日七夜の大祈祷を続け、十の石に経文を刻み、この石の水に溶け失せるまで河童の害のなきように、と祈念して川へ投げた。祈祷の効験によって、河童は川に住めなくなり、みな打ち揃って寺へ詫びに来た。そして、川の水が全く尽くるとも、炒った豆から芽が出ようとも、人畜に害をせぬから経文の石を取り除いてもらいたい、と嘆願した。約束を破られた前例に鑑みて、和尚は炒り豆を川へ流し、この豆に芽が出るまで悪さをするな、と言った。それから今日まで名貫川の河童に被害はない。名貫川にまだ経文を刻んだ二つの石があるので、河童は早く人畜を取りたさに、常に撫でていると言う。徳泉寺はその拾い集めた石を埋めた塚と祈祷碑があるそうである。(民俗学二―10・日向の伝説より)
第153話
★鳥の白くなるまで、枯れ木に花の咲くまで人馬を取らぬなどの類型もある。陸奥上北郡は石呑の農夫が新盆に近くの五戸川へ馬を浴びせに行く、洗い終わってその川原で昼寝をした。その時河童が馬の尻尾をつかんで水中へ引きずり込もうとしたが、気張った馬のために陸に引き上げられ、そのまま厩に連れてこられてしまった。そして、飼葉を被って隠れていた所を、馬の騒ぎに驚いて後を追いかけてきた農夫が見つけて怒鳴ると、河童は、黒い鳥が白くなるか、枯れ木に花が咲くまで、悪戯はせぬ、と約束した。それからは川上の部落の者が河童に尻児玉を取られる事があっても、石呑の者だけは取られなかった。しかし、それから十年ばかり後に、枯れたはずの猫柳が芽を吹いて花を咲かせたので、再び河童に取られるようになったという。今から四、五十年前の話だそうである。(以上「ふるさとの伝説・川合より」)では今年最後の採録を次回に
2007.12.13 ミタニ様 寒さのため身体も精神も縮こまっり、家の中から一歩も出ずに、あれこれ堂々巡りをしている内に一日が終わり、2007.12.06 今井 村長様
師走の声を聞くと、急に慌ただしさを感じる今日この頃です。村長さんも今年の
総決算をされて、多くの得るべき作品と見聞の収穫に実りの秋を感じられたことと存じます。「陰徳あれば陽報あり」」と申しますが、ボランティアとも言える各種活動には、我等村民はスタンディング・オベーションを贈ります。毎回のコメントからは、楽天主義的印象を受けますが、人間の自然的に、あるいは悪であるかも知れないが、人間の意思努力によって改善しうる場合もあると、考えるのが楽天と言う意味かも知れません。私などは所詮「飲河の満腹」で一年を無為に馬齢を重ねていると、毎年年末に省みておぞましく感じる次第です。村長さんに見習って来年は少しでも前向きに行動したいと思っています。
後に世の騒々しさを少し和らげる芭蕉の句を「木枯しや竹に隠れてしづまりぬ」
では採録三編をお届けします。
第百四十八話
★肥前甘笠郡の久玉と言う所にも馬を海中に引き込もうとして逆に人に捕まえられた河童の話がある。この河童を厩につないでおいたところ、馬にゾーズをやりに行ったその家の媼(おうな)を見て、この糞婆め、と悪口を言った。媼が怒ってゾーズを引っかけたからたまらない、急に力を得て遁走してしまったと言う。
(熊本県民俗辞典より)
第百四十九話
★また、大江の農夫は田園の泥で汚れた馬を川で洗い流してやって岸の木につないでおいた。そこに現れた河童が手綱を持って水中へ引っ張ろうとしたから、馬は一目散に厩へ逃げ帰った。農夫が追いかけて行ってみると、手綱の先に河童が巻きついているので、捕えて厩の天井に吊るした。あくる日下男が馬にやる水を持って行くと萎びているので水をかけたら、たちまち勢いづいて綱を切って逃げてしまったという。 (天草島民俗誌より)
第百五十話
河童の詫証文
★脱走する河童の伝承は、その力の根源が水にあることを強調したものである。荒ブル精霊もやがては人間に屈服し、人間に危害を加えぬことを約束して、放免されるのである。その誓約にも色々な方法はあるけれども、ほぼ型が決まっている。
石の腐れてなくなるまで悪戯をしないと言うのもその一つである。肥前三養基(みたき)郡安楽寺村に一人の若者があって、夏の夕暮れどきか野良からの帰りがけに馬を川に連れて行った。洗い終わって帰ろうとすると馬がきっとなって動かない。見ると馬の後脚に河童がしがみついている。さて、どうした弾みか河童は陸に引き上げられてしまった。通りがかりの者が二、三人寄ってこれにかかろうとすると、河童は傍らの石を指さして、これの腐れなくなるまでは人馬を引かぬ、と約束した。それからは河童にひかれることが無くなったと言う。(筑紫野民潭集より)
ではまた次回に
2007.12.7 ミタニ様深秋は一枚一枚枯れ葉が落ちて、街路樹が寂しくなる季節。我が家のガレージは落ち葉の吹きだまり、夜更けに風に舞いカサカサ鳴いている。私も濡れ落ち葉とか、ワシも族と言われないように、ウォーキングに精を出しています。先週は奥多摩の御嶽神社や七代の滝まで足を伸ばしました。残念ながら天狗の岩とか天狗の腰掛などはありましたが、河童は出没せず、此の度も空振りでした。少なくとも七代の滝・綾広の滝には住んでいても良さそうなものですが、もう冬籠りしたのでしょうか。頭の皿も凍る冷え込みが続き紅葉も色鮮やかに、晩秋の陽ざしに映えていました。さて、村長さんのゴルフも来月は打ち納、作陶も窯の火を落とすのでしょうか、慌ただしい師走を迎えます。インフルエンザの流行には予防注射と帰宅時のうがいが効果的です。くれぐれも風邪にはご留意して下さい。では11月最後の採録をお届します。
第百四十五話
★土佐高岡郡は永野石田の下に有為ゲ渕と言う所があって、ここは昔から河童が住むと言われていた。昼は上の山に出て遊び、夜は在所に出て若い娘に悪戯をしてならなかった。ところで、ある時、村の農夫がこの淵に馬を入れて洗っていたところこの河童が馬の尻尾に取り付いて深みに引き込もうとした。馬が一蹴りしてそこから跳ね上がると、その勢いに負けて河童も陸へ打ち上げられ、ウイゾノーウイゾノーと呼ぶところを村人が集まって来て撃ち殺してしまった。有為ケ渕、上の山の遊田(あそうだ)という地名はこれによって起こったと言う。
(土佐の田節二巻より)
第百四十六話
厩からの脱走
★三河北設楽郡は本郷のある農家で大鹿毛といった力の強い馬を飼っていた。ある日代掻きに連れて行き、その日の夕方柳瀬の渕で体の泥を洗い流していた。その渕はなかなか深くて河童が住むと言われていた所である。大鹿毛を家へ連れて帰ってから、その尻尾にぶら下がっている河童に気づいたので、早速捕えて厩の入り口の柱に縛りつけておいた。河童は大鹿毛を渕へ引き込もうとして逆に水の中から引き上げられて、その時皿の水をこぼしたために、ぐったりとなって連れてこられてしまったのである。ところで、この家の女は何を思ったのか、河童の頭からザンブリと水をぶっかけてしまったからたまらない。河童は急に大力を出して綱をぶっ切り、柳瀬の渕に逃げてしまったという。(虹と黒潮より)
2007.11.15今井村長 様
菊の香や 奈良には古き 仏達(芭蕉)
あちらこちらで菊花展が見られる季節、紅葉も今からが見頃となりました。
村長さんも創作の秋に静かなる意欲を燃やされていることでしょう。「焼物は不変の良さがあり、人の面白さは歳月にある」と言う。物が沈黙の中で創られる以上、創られた河童もひたすらに、見すえられることに堪え、平然と無視される勇気を本来内臓しているのではないだろうか。と理屈にならない妄想を抱いたのは、人も物も輪廻の世界に転生していて、この世ではたまたま人間であるが、来世は河童の像に生まれ変わるかも知れない。という夢を秋の夜長に見たためである。私は秋になると、唯茫々として佇んでいるでなく、その脳裏に絶えず妄想や詩にもならないイメージを明滅して時を過ごしています。まさに物想う秋となりました。村長さんゴルフに創作にそして食欲の秋を満喫してください。ではあきもせず採録の続きを
第百四十二話
★また、大日向の南平に生坂を渡る渡し場があって、ここから二、三百m離れた丸岩、獅子岩の二つの岩がある。あるとき、南平の遠藤と言う者が夏の日の夕方、川で馬を洗って厩に入れると、尻尾に河童がついていた。怒って捕まえると、河童がしきりに詫びる。しかし、懲らしめるために土臼の下へ二、三日の間入れておいた。それからまた、あの丸岩と獅子岩の間では人馬を取らぬから、と云うので放してやった。その後はこの岩の間で溺れる者が無くなったと云う。
第百四十三話
★また、舟場に坂井という家があって、昔この家の若者がわごの田へ代掻きに行き、昼休みの間側の藤塚に馬をつないで休んでいると、手綱を解いて犀川に行くものがある。馬は川の中へ引き込まれるので家へ駆け戻った。若者が追ってきてみると、河童が馬の手綱にからまって引きずられている。そして、厩に駆け込む拍子にその姿が見えなくなったので、探してみると、飼葉桶の中に隠れていた。捕まえてると、河童は悪さを詫び、何でも不足な品物があったら紙に書いて川に投げ入れてくれ、そうすれば取り揃えてあげよう、と言って元の川に放された。河童の教えた通りやって見ると、果たしてその品物が揃えて出してあった。そしてある時、借りた椀の花笠を一つ足りないのをそのままに反したことがあってからは全く何も貸してくれなくなったと云う。
(以上三話「北安曇郡郷土誌稿」第一・第七輯より)
第百四十四話
★石見邇摩郡は静間川の河口近くに釜屋という家があって、馬を引き込むつもりが、かえって厩に引かれて来た河童を主が生捕りにした。二日の間、柱に縛り付けておくと、毎夜主の夢枕に立って、この地を去るから許してくれ、と言うので放してやった。この家の少し上に釜ケ渕という所があって、それまでは度々溺れて死ぬ者があったけれども、それからというものは明治初年この方全く事故が起こらぬと云う。(「民族」三-五より )
ではまた月末に
2007.11.15 ミタニ様
秋色こまやかに、いや、猛暑の上にいつまでも嬉しい暖かな日が続くためか野山の紅葉が進みません。
ゴルフの調子が悪けりゃせめて紅葉でも愉しみたいとあわてて周囲の景色に目を移す日が続いております。
今日はお日様に釣られて、自転車で西堀から公園を巡り、ギャラリ−「櫻守」で重村三雄氏の版画を見てきました。自宅に誘われビールもいただき
酔っぱらい運転で帰って来る途中に、また公園の中をとおり、公園事務所に寄ったら素敵な絵文字展をやっていました。
つい真似をして家で描いてみたけどやはり駄目でした。明日は久しぶりに練習でも出掛けようと思っています。 村長
2007.11.5 今井 村長様
霜月の声を聞くと急に秋が深まりました。秋憂の沈んだ気分に居る時、かっぱ新聞12号が届きました。今回も楽しい写真満載、精力的に活動されている様子が紙面に溢れています。私も伊勢神宮を二年前訪れ古神道の質朴さと、古寂びた社殿の神域に心が洗われる思いがありました。また京都には毎年兄弟会で訪れますが、あいにく河童の噺は取材出来ませんでした。伏見の酒と南禅寺の湯豆腐が名物で、土産はいつも生八橋と芸のない旅です。村長さんのように多くの見聞を得るという記事には敬服しています。更に慶福寺のれんげ苑陶芸展示会での「相撲河童」第一位当選、誠におめでとうございます。私は玄関前で出迎えてくれた「嬉し女房」が傑作だと思っています。もし酒が飲めたらこんな姿で女房と杯を交し膝枕で寝たい、と言う夢を掻き立ててくれます。今年はこれで最終号とは名残惜しいことですが、来年は更なる愉快な河童探訪とか河童連の集いなど楽しみに待っています。11月2〜4日「日本スリーデーマーチ」に参加し、三日間で85km歩きいささか疲れ果てています。思考が定まらず駄文に流れ恐縮しています。では私の「壺中に天」を仰ぐような採録を届けます。
第百三十九話
★信濃上伊那郡美和溝口を流れる三峰川の河原で、農夫が馬に青草を食ませていると、この川に住む河童が出てきて、その馬の尻尾につかみかかり、それを腕にグルグル巻きつけて引っ張り始めた。すると、不意をくらった馬が驚いて跳びはねた。そのあおりで河童は皿の水をこぼしてしまったからたまらない。すっかり力を失い、馬に振り回されるような有様で、仕方なく尻尾をほどいて傍らにある舟の下に逃げ込んだ。そこを農夫が見つけて引きずり出すと、あまり詫びるので、以後悪戯はしまいと誓わせて放してやったと言う。
第百四十話
★これも美和村の農夫が三峰の河原に馬を引いて行った時のこと、この辺で見かけぬ小僧がとんで来て、馬に乗せてくれ、とせがんだ。農夫には一目で河童と知れたが、気づかぬ振りをして馬に乗せ、元来た方へ引き返し始めた。降ろしてくれ、と言う河童の声に耳を貸さず、我が家へ帰って河童を生け捕りにした。すると河童は詫びて、孫子の代まで水難を免れさせてやるから許してくれ、と言うので許してやった。その時の約束で、農夫の子孫の尻に小さなフスペの目印がつけられ、河童どもはそれを避けると言う。(以上二話「山国の動物達」より)
第百四十一話
★信濃東筑摩郡の塩河原のある人が犀川端に馬をつないで草を刈っていると、河童が出てきてその馬を引き込もうとして尻尾に食らいついた。吃驚して厩に駆け戻る馬に引きずられて、河童も一緒に来てしまった。これに困った河童が、どうか元の川に戻してくれ、その代り塩河原の人に悪戯をしないことにするから、と言って詫びるので放してやった。それで今でも塩河原の人は河童の難を免れているという。
ではまた次回に
2007.11.05 ミタニ様
秋深し隣は何をするひとぞ、隣の人どころか近所の人たちと交流もないままもう6年が過ぎようとしています。風邪を引きながら昨日は結婚式、今日は恩師の葬式、明日は雨降りの上に下手なゴルフと風邪が治まる訳がない。という日々の生活です。
85kmはゴルフ10回分それもカートに乗らず、ジグザグに打っての話で、いつもながら脱帽の至りです。
我が身とは違うと思いながら、向寒の折、ご自愛のほどを 村長
2007.10.23今井村長様
神無月もあと一週間ばかりで終わりです。出雲に集まって自国を留守にしていた神々
も来月には帰ってきます。秋もたけなわ食欲の秋、ゴルフの秋、酒のうま〜い季節!
村長さんの季節です。京都河童探訪はいかがでしたか。昔から京都は妖怪の多い
都ゆえ、河童も恐れをなして隅っこに潜んでいるのでは。さて、村民も年ごとに増え仲間
の拠り代は河童新聞にあるようです。形而下的に言えば、同円の芯に新聞という
具象があって、円周が詩情の振幅と共に、波動を広げるにつれ、かすかに半抽象に
なって行く動きは、精神の活性そのものを立体化していくように思える。私は秋になる
と鬱懐性が強く、妄念が混乱を引き起こす。村長さんとは互いに価値感を異にして、
限られた書物の中から興味ある形象のみを拾い出し書き写すという、気長で馬鹿げ
た作業を続けている。未だゴールがどこか着地点すら見えない。
では改めて採録を
第百三十五話
★陸中上閉伊郡の遠野盆地を流れる小鳥瀬川の姥子(おばこ)渕のほとりに新屋という家があって、ある日その渕へ馬を冷やしに行き、馬曳きの子が遊びに行った隙に、河童が出てきて馬を引き込もうとした。しかし、あべこべに厩に引きずり込まれ、馬槽を被っていた。家人が伏せてあるのを怪しんで馬槽を少し開けてみると、河童の手が出た。村中の者が集まって、どう処置するか話し合ったが、今後は村の馬に悪戯をせぬという約束をして放した。その河童はこの村を去って相沢の原に住んだと言う。(遠野物語)
第百三十六話
★羽後仙北郡の田沢のあたりにメンゴ渕というのがあって、ある時、田中与治衛門の馬を近くの河原に置いたら、河童が現れて、手綱を取って渕へ引き込もうとした。そしたら反対に馬にひかれて厩に来てしまった。あわてて馬槽を被ったところを人が見て打ち殺すところであった。ところが河童は、決して人馬に害しない、と言うので放してやった。以来、河童の悪戯が止んだと言う。子供が泳ぎに行くときは麻幹(おがら)を持っていると河童は怖れて近寄らないそうである。
第百三十七話
★仙北郡峯吉川の河原で、ある日河童が昼寝をしていたらその間に夏の強い陽射を受けて皿の水は干上がってしまった。目を覚ましてみると、近くで二、三頭の馬が草を食んでいる。河童は牝馬に目を付けるや、うかつにもその尾をとらえて渕へ引き込もうとしたが、力がないから逆に引っ張られて厩に入ってしまった。河童は飼葉桶を被って隠れたけれども、時でもないのに帰って来た馬の様子を見にやって来た下男たちが、うごめいている河童を発見して押さえ込んでしまった。結局人馬を取らないと約束をして放してやったと言う。‘(以上二話秋田の伝承・長山より)
第百三十八話
★下野塩谷郡栗山で村の炭焼きが炭をつけた馬を引いて、とある川にさしかかると、一匹の河童が現れて馬の尻尾に取り付いて引っ張る。一鞭くれると、馬は驚いて駆け出し、さすがの河童もこれにはたまらずに厩に引きずり込まれてしまった。厩の隅で小さくなっている河童を捕まえて殺そうとすると、もう絶対に悪さはしないから助けてくれ、と謝るので放してやることにした。河童はこのお礼に十月十日地鎮祭までにあの川に橋をかけてやろう、と言って帰っていった。果たしてその祭りまでに橋を架けて恩返しをしたと言う。(栗山の民俗より)
ではまた次回に
2007.10.23 ミタニ様
2007.10.12 今井 村長 様
天高く秋澄む季節、松茸の香り芳しき旬、市場での高値に吃驚、香りだけで我慢する。さて、「れんげ苑」での陶芸展も無事成功理に終わり、先ずはおめでとうございます。さいたまカッパ村の河童連が大勢打ち揃い、会場の雰囲気を柔らげユーモアで包んでいました。鑑賞するギャラリーの顔が河童像の前で、自然とほころんでいる様子が窺われました。村長の「粘土あそび」もそろそろ年季が入り、河童塑造の先蹤(せんしょう)的な存在として燦然と先達と同じ位置を占められています。村民として誇らしく感じています。優れた感受性や創造性は、私のようなまるで写経のような人真似のみで生きている俗世観と異なり、村長その人の人格の中にアダルトの部分が受け持つのでなく、
チャイルドの部分が受け持つものだと俄然閃き、わが妄念を牢固とした次第です。この遊び心を益々高めて戴きたいと期待致します。
神無月の第二回採録を送信致します。
百三十二話
★三戸を流れる熊原川に河童がいて、馬を引き込もうとして、かえって厩に引きずり込まれ、飼葉桶を被って隠れているところを、家人が押さえようとすると大暴れするので、紫麻幹で叩いたらにわかに静まり、二度と悪戯はせぬ。と詫びる。許してやったら悪戯はしなくなったと言う (三戸町郷土誌稿より)
百三十三話
★昔の十和田村を流れる中里川の渕の側の河原に種馬をつないでおくと、その渕から上がってきた河童が馬を引き込もうとした。すると馬が一散に駆けだしたので、手綱を体に巻きつけていた河童は引ずられて厩に入った。厩が騒々しくなったのをいぶかって主が来てみると、河童はいきなり馬槽をひっくり返してその中に隠れる。捕まえて叩き殺そうとすると、河童が声を出して、二度とこの村へは来ぬから、と約束するので放してやった。それ以来河童の悪戯が無くなったと言う。 (十和田村の民俗より)
百三十四話
★陸中岩手郡の北ノ浦に大鷲惣左衛門という家がある。
雫石川の流域において昔から半漁半農の生活をしていたような次第であるが、ある日、この惣左衛門家の馬を川辺につないでおいたところ、赤い幼童のような物を厩に引きずり込んで来た。
早速、主は馬槽の中に隠れている河童を生け捕りにしたが、これから後この部落に、禍を決してしないという約束で放してやったと言う。 (郷土研究5−4−御所村繋より)
では良い週末をお過ごしください。
2007.10.12 ミタニ様
はやばやと採録をありがとうございます。明日までの開催ですが私は本日にて終了となりました。毎年、最終日すなはち打ち上げ搬出日とある会合が毎年重なり、いつも誰かに隅に片づけて貰い、後日引き取りに行くのです。今日も当番をしていたらトルコからのお客様が見えて、河童を購入していきました。ついに「ま河童」も世界進出しました。!?
今、日曜日に開催する親河童の「白寿祝の辞」を考えているところ、月曜からはお伊勢参りと京都河童探訪に行ってきます。
11月号も近くなり取材探訪も忙しくなってまいりました。村長
2007.10.4今井 村長 様
早や神無月となり、秋の夕日は釣瓶落としの如く夕闇が迫ります。昔の人は「春蘭秋菊倶に廃すべからず」と言い、春に劣らず秋の風情を愛でます。ともすれば人生の黄昏を鬱然と感じるのも自然の移ろいを観るからでしょうか。自身の鬼面を被らず、奇矯を笑わず狂躁せず、これだけが自分だという世界を夢見た挙句、未だ闇に光明を求め虚喝漢になり果てて、秋の夜空に乱離骨灰とならん。さて、孫長さん「れんげ陶芸展」のご案内を拝受、ありがとうございました。時間を作り是非鑑賞に伺いたいと思います。今回も不思議な河童達に会えることを楽しみにしています。今回も相変わらずの採録をご紹介します。
駒を引く河童
1.河童駒引
第百三十話
★河童駒引は数多い河童伝承の中でも、ことに広い分布を占めている。駒を水中に引き込もうとして失敗し、逆に捕らわれの身となって詫びをする。この伝承には、人の尻子玉を抜くなどとは異なった信仰的背景があるようであるが、この場はとにかく詫びを入れて許される。その際の約束とか礼というものに色々変化があって面白い。人畜への悪戯こそ心配の種であるから、向後一切手出しをさせぬというのであれば、これほどに結構な話はない。
第百三十一話
★陸奥南津軽郡増舘に文次郎という分限者があって、そこの馬が斗川の岸で草をはんでいると、傍らの柳の木の根に十歳ぐらいの子供が現れた。それは赤毛の髪を被った赤面の河童であって、両手に馬の手綱を巻きつけ、斗川へ馬を引き込もうとした。すると、これに驚いた馬のために引きずられ、あべこべに厩に引っ張り込まれてしまったので、やむなく飼葉桶を被って隠れていた。家人が物音を聞きつけて厩に来てみると、飼葉桶が、ひっくり返っている。起してみたら河童が隠れているので打ち殺そうとしたけれども、皿の水を失った河童は逃げ出す力もなく、今後増岡のひとは取って食わぬから許してくれ、と頼むばかりなので許してやった。それから増岡の者は河童に取られなくなったという。
(女鹿沢村史より)
百三十二話
★三田郡の上田代と下田代の間に堤坂という所があって、ここにも河童が住んでいた。下田代の馬子がその場の側に馬をつないでおいて上田代へ用足しに行ってくる暇に、河童が出てきて馬の手綱を取り、わが身に巻きつけて引き込もうとした。馬は跳ね上がって道に走り出、河童を厩に引きずっていった。河童は頭に三枚の皿を持ち、これに水があると千人力を出すが、こぼれてしまえば意気地がない。飼葉桶を被って隠れていると馬子が帰って来て、秣(まぐさ)をやるつもりで桶をおこした。飛び出た河童に驚いたが、捕まえて叩き殺そうとすると、これから決して悪戯をしないから助けてくれ、と謝るので放してやったと言う。(はしかみより)
2007.10.04ミタニ様
夏の疲れもなんのその、秋も深まり行く中、少々の雨など屁の河童で、街から村へ、野を越え山越え、歩き続けるミタニ河童の勇姿が
目に浮かびます。それに比べて小生は、快調に週一回のゴルフには出掛けているが、車で出掛けてカートに乗り、ビールを呑んでは、山奥か谷底に打ち込み、クラブが悪い!ボールが悪い!と戯言いいながらスポーツとはほど遠い遊技に明け暮れ、家にあっては、シコシコと粘土遊び、出掛けては河童の尻を追いかけて暮らしております。その結果、明日は上から下からカメラを呑む羽目になってしまいました。
健康な身体、明晰な頭脳、頑丈な脚腰、少し分けてくだされ〜。村長
2007.9.21 今井 村長 様
村長さんには十日ばかりのご無沙汰ですが、暑さ寒さも彼岸までと昔から申しますが、この暑いさなか、窯作業に明け暮れご多忙な時を過ごされていることと存じます。前回愚生の不遜なる拙文は不徳の致すところ、御疑念ご尤も平にご容赦ください。習癖として未熟さを修辞・麗句で糊塗し不可解を増すところに稚拙さがあります。本当に良い文章は、誰が読んでも分かる平易で簡明であることが、古今より定まっています。しかし悪文は悪声と同じで持って生まれた体質、根治しがたいものです。ではまた狂愚の一節を。古代虚構の河童を新たな目で再編成し、実作と美学を以て次の世に相続させてゆこうとする作業は、まさに限りなく興趣を感じるものです。同様、河童像造りの精力的な活動は、村長の稀有なる個性が河童の世界に生きる、人間の見つめ尽くしたいという強い欲求と凝視の持続による結晶であり、驚嘆せざるを得ない。では次なる採録を気ままに送らせて頂きます。
第百二十七話
3.ミンツチの由来
★ どうやら魔除けの呪力はタバコの煙にあるらしい。煙によって撃退される災いの主は、疱瘡神である。昔穂別町の山の麓に弁財船がやって来て、その船でもって運ばれた疱瘡神がカイクマのコタンを襲って全滅させようとした。時にコタンのある姉妹はボロボロのなりをし、ぼろ切れをタバコ代わりに吸っていると、さしもの疱瘡神も臭いので顔をそむけたと言う(アイヌ伝説集―種別町)
弁財船が疱瘡神を運んだとあるように、コタンへの疫病侵入は常に海の彼方の日本からもたらされるものであった。これを避ける呪法としてアイヌは蓬の草人形――――チシナプカムイを用いた。チシナプカムイは蓬の束を十字に結んで胴と腕とに見立てて人の形とし、これに消炭とか川石をもって魂を込めたものであり、普通これに木幣の衣を着せている。ところで、この蓬のチシナプカムイこそミンツチのご本尊であったという。
第百二十八話
★ 昔、オキクルミ神が天降って「アイヌ世界を治めていた時代に、沖から疱瘡神がこの国に渡ってきて、たくさんのアイヌを死に追いやった。オキクルミ神は六十一個のチシナプカムイ神が天降ってアイヌ世界を治めていた時代に、神から疱瘡神がこの国に渡ってきて、たくさんのアイヌを死に追いやった。オキクルミ神は六十一個のチシナポカイを作って、沖からドンドンやって来る疱瘡神と戦わせた。六十のチシナプカムイは戦死してしまったが、あとに残った大将は孤軍奮闘して、とうとう疱瘡神をことごとく打ち払ってしまった。そこで、疱瘡神との奮戦のうちに水死したチシナプカムイが化してミンツチとなったと言う。(郷土研究1-12より)
註:この伝承は日本の河童の起源を解明する上でも重要な資料であり、河童原初の姿を示唆しているように思われる。
第百二十九話
★ 人形の材料として蓬(よもぎ)を何故用いるか?
アイヌの世界によれば蓬と笹こそ天上から降ろされた植物であり、人の国土に最初に育ったもので、蓬の槍で突いたら蘇生は不可能であるといわれ、その呪力の発動を信じたからにほかならない。
更に民間医療の面でも、色々と利用されている。(歴史と民俗・アイヌより)
ではまた来月に。
2007.9.21ミタニ様2007.9.11今井村長 様
未だ猛暑の名残が続く昨今ですが、既に秋の出展に向けて始動された由、この暑さでは想像しただけでも汗が滴りおちます。口幅ったい事を申しますが、芸術は心があれば、技術は後からついて来るものだなどと言います。その作風に於いても時に美的な、常に思想的な、しばしば現象的な更には歴史的(伝承的な)である必要も得に感じません、河童社会への思考が、密度高く詰まっていればよい。何事かに触発されたとき、それらは多量の作陶や作品の諸要素が緻密に作動しあい、作陶などに向かって動き出せば良い。その結実した作品には、したたかな村長さんの発汗の塩味とぬめりを感ずることによって観る人に十分察することができる。
河童の世界には、激しく、かつこまやかな想像力を掻き立てて行かねばならない。
狭隘な世俗概念で拘束されれば、村長さんの心も風船が萎むように想像力が萎えてしまうのではと、余計な心配をしています。私自身は「一日暖め十日寒す」如く変わり映えしない奇事異聞を追いかけています。では9月2回目三話を採録。
第百二十四話
★
ミンツチは人を取ったり女に憑くとか男を籠絡させたりするが、逆に守護することもあると言われている。旭川郊外にある近文部落の若者が、祖父の宝物を取りに腹黒い湧別の男のもとに使いする際に、山中でミンツチに小袋を貰う。そのお守りのお陰でフリー(巨鳥)の攻撃を避けられたばかりか、かえって欲張りな男をその餌食にしてしまい、
無事に帰って豊かに暮らしたという。(アイヌ伝説集・旭川市)
第百二十五話
★ 沙流川の伝承では河童の親分をミンツチトノといい、人の難を見れば助けたり、携えている弓矢を与えて急を救うという。ところで、あるコタンの酋長はあるときに出猟に備えて、常の如く妻と妾にあてがうための薪を樵に榛の林へ行った。さて、薪を背負う段になって、荷縄を額に当てて起き上がろうとするが重くて起き上がれない。こんな時ミンツチに頼むとよいと聞いていたので、出て来て手を引いてくれ、と言ってみた。すると、異形の物が現れて酋長を起き上がらせてくれたので、彼を我が家へ誘った。
第百二十六話
酋長の妻は草むしろを敷いてミンツチを迎え、主客を饗応した。夜になって酋長夫妻がタバコを喫って居ると、睡魔に襲われる。すると早くコタンの人々をこの家に呼び集めろ、と言ってミンツチが起した。酋長は早速命令を」下して村人を招集する。何事かと馳せ参じた村人達は、この異形を見るなり、みな眠気を催して寝てしまう。それから、酋長が戸を閉めようとするとき、雷鳴のような音が轟き、地面が揺れ動いて、遠く近く老人や女子供の悲鳴がいっとき戸外に聞こえ、間もなく全てがやんだ。村人たちは等しくこの有様を夢に見たけれども、悪夢を振り切って起き上がることは出来なかった。例の異形が、俺はこのコタンの榛(はり)林を領するために天から遣わされてミンツチカムイである。今夜他のコタンから夜襲を仕掛けられる事を知っていたので、こうして難を逃れさせたのだ、以後どんな異変があるかもわからぬから魔除けのお守りとしてこれを授けておこう、と言って自分が喫っていたタバコ入れを示した。そこで一同目を見開いたが、異形の姿はいつの間にか消えていた。避難し遅れた者は敵に討たれてしまったが、その後はミンツチカムイから授かったタバコ入れのお陰で平安であったという。(人類学雑誌・日高町より)
2007.9.11ミタニ様
雨が来て、ますますお元気に、脚も頭も良く動き良く回るこれぞほんま者の河童でしょう!単純な頭では読んでいても、何処かに皮肉がどこかに蔑みの言葉があるはずだ!?と思いながら、やっぱり煙に巻かれてしまう名調子ですね。
今朝は最終の窯入れ、今週に素焼きして、来週に本焼きです。何とか10月初旬の苑展に間に合いそうです。 村長
今井 村長 様
さいたまかっぱ新聞第11号の配信有難うございました。今回も多彩な紀行文が紙面に溢れ、特に愛すべき河童とのスナップ写真満載は、大いに眼養となり楽しませて頂きました。世の中は広く河童がこんなにたくさん共存しているとは、井底の蛙ながら改めて驚き嬉しくなりました。村長さんのたくましい健啖ぶりと、行く先々でのビール愛飲記事には、河童探訪もさることながら、こよなく人生の喜びと楽しみを昇華させた、粋人の域が感じ取れます。更に河童達も不思議に世で騒がれる河童と、無名のまま山村の闇に溶けている河童がいる。無名の中で聖霊と美を秘めている佇まいを村長は山坂を越えて訪ね、朽ちた湖沼の中でうずくまっている河童達が虚空の絶対の化身として動くのを待っているように歩々念々感ずるのは、幻想であろうか?妄想はさておき、読んでいて大変楽しかったです。
では長月に入り一回目の採録を送信致します。
アイヌの河童
第百二十一話
★理屈はどうでも水の物の本性はやはり人を取ることである。ミンツチは水の神と一緒に地小勝川へと降ろされたといわれ、十勝川には多かったそうである。それが、日高へも来るようになった。或る時、鵡川(むぶかわ)のエキサラという沼の縁を子供を連れた婦人が通っていると、にわかにミンツチが現れ、その手から子供を奪って逃げ出した。すると神様が前に立ちはだかってミンツチを叱りつけたので、ミンツチは吃驚仰天、子供を離して沼に飛び込んでしまった。この神様はニラシキウシにいる狐神であったという。この狐神は部落の守護神として崇敬され、部落に異変がある場合には大声で知らせてくれると信じられている。(アイヌ伝説集・鵡川町より引用)
第百二十二話
★ 釧路市の頓化(とんげし)のベットアウヌという所を濃霧の晩などに独り歩きしていると、ふと人の影が現れて歩いて行くという。呼びかけにも答えないでさっさと歩き、足跡が鳥のようなもので奇態だなと思っているうちに人影は消えてしまう。そうして、何時の間のか後へ回り、ぼんやりしているようものなら水中に引きずり込まれてしまうという。(アイヌ伝説集・釧路市)
第百二十三話
★ 日高静内にある染退川の合流点ウオルニは、昔から河童がいるといわれている所でである。ミンツチが石ノ上に乗っかっているのを見たという人があったそうだが、姿は十二歳ばかりの子供のようで、緑色の海亀のような肌をしていて、平たい顔には髪がはえていて水は溜っていなかった。
紫尻の人を狙い、すぐくすぐるのでミンツチに取られる者は笑いながら水に沈む。毎年犠牲者が出るので、古老たちが酒をあげて頼んだところ、山を越えて新冠(にいかっぷ)川のエウコッニセイに移って行ったという。
(アイヌ伝説集・静内郡静内町農屋より)
2007.9.3 ミタニ様今井 村長 様
多事多彩な日々を送られ、壮年のようなスケジュールで意気軒昂なご夫妻からは、童・乙女のような、童心の面ざしが光芒を放ち、四囲を明るく好奇心に満ちた世界を広げている。私にとっては羨望の限りです。さて、あの煎り豆の上を飛び跳ねるような熱さが、渚の汐が引くように淡く感じられ、秋の気配を感じる晩夏は、風の音に、虫の息使いに、四季のうつろいを増してくるようだ。人生も四季になぞらえば晩秋ともいうべきか、秋の夕暮れを感ずる昨今です。。先日目にした、老醜について書かれた山内恭彦氏の「逸遊雑記」には、老人病という章に、「徒然草」の一くだりが引かれていた。「そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出で交らはん事を思ひ、・・・・ひたすら世をむさぼる心のみふかく、もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき」と言うように、ただ俗の教訓を垂れ給うあたり、身に覚えを痛く感ずる。されど今さら吾身の処し方を変えられず、いたずらに馬齢を重ね老醜を晒している次第である。
葉月最後の採録から、北の河童に移りたい。
第百十八話
★
ミンツチは魚を支配する神であると言われる。ところで、ミンツチが旭川在にある近文部落のある娘の家に婿入りした。するとその年から石狩川の漁がにわかに豊漁となったが、川で死ぬ者も出た。それがミンツチの仕業であると知れたために近文部落を追われ、シビチャリ川に移った。このためシビチャリ川は豊漁とまでには至らなかったけれども、年に一、二人の犠牲者が出たという。
(アイヌ伝説集より)
第百十九話
★ この話は石狩の方にもあって、魚を沢山捕らせるけれども、漁場の雇人たちをとるので、石狩の老人たちが、日高の静内へ移るようにミンツチに頼んだ。すると水使者がなくいなった代わりに魚はあまり捕れなくなったという。(アイヌ伝説集より)
第百二十話
★ ミンツチの婿入譚はアイヌにおける代表的な河童伝承で、ヘムーノェという囃詞(はやしことば)を句ごとに打ち込むカムイカラにも謡われている。すなわち、十津川の川上に狩の名手と評判の高い老酋長があった。さしもの老酋長も寄る年波とともに獲物が少なくなり、食事にも事欠くありさまであった。一人娘ばかりで、頼む働き手もなかったのである。ところが、ある日、どこからともなく若者がやって来て、老酋長に仕えることになった。すこぶる猟運に恵まれている若者は、海に漁り、川に漁り、山に獣を狩しては、どしどし獲物を老酋長の家へ運び込むのであった。こうして暫く日を経てから、娘を私の妻にいただきたいと若者は願い出る。老酋長は老後のめんどうを見て貰えるなら願ってもないことだ、と思案して若者を娘の婿にする。さて、或る夜のこと、家の神が酋長の夢枕に立って告げることには、汝の娘婿をこのまま家におくならば遠からず家も村も無事では済まされないから早く追い出してあいまえ、という。老酋長はうまい口実もないままに、神託をうやむやにしておいた。すると再び同じ夢を見ることとなったので、老酋長もさすがに気になって婿を追い出さそうとする。若者は恨み憤って、われrはミンツチの首領であり、娘の美しさに魅かれてやって来た、去れというなら去るが、ここを出てゆくについては、十勝川一帯の食料の霊も一緒にさらって行く、そうすれば山の獣も、川の鱒や鮭も捕れなくなるかあらそう思えよ、と宣言し、染退川へと住みかを変えたために十勝川は漁が少なくなり、染退川は魚に恵まれるようになった。しかし、幸いと引替えに犠牲を強いるので、毎年水死者が出るようになったという。(民族学五ノ10・郷土研究一ノ二より引用)
では次月またお目にかかりましょう。
2007.8.22ミタニ様今井 村長 様
明日は62年目の終戦記念日を迎えます。思い起こせば、明治維新の1868年までは約270年の太平の世を送った我が国が、明治維新を迎えると、1894年の日清戦争、続いて1904年の日露戦争、更に昭和に入り1931年には満州事変から端を発した1941年の太平戦争まで、凡そ30年間隔で戦争に巻き込まれてきた。
わが祖父は日清戦争に、父は太平戦争にそれぞれし従軍した。武家時代より「武士とは死ぬことと見つけたり」という死生観がその後も庶民、とりわけ軍人精神として引き継がれた。国家のために黙々と屍をさらした国民のいじらしくも、やるかたもない胸の内を、毎年終戦日に痛く感じる。幸い、戦後62年われわれ世代以降は戦争の体験を持たない。その間も世界各地では局地紛争が続いているが、少なくとも加害者にはならずに済んだ。子、孫の時代それ以後も戦争だけは永久に起こして欲しくないと心から祈る。
愚かな繰り返しを危惧するのは、軍隊を持っている国はいつか武力を行使したがる習癖がある。人間の英知で是非行使しないで専守防衛にのみ活用して頂きたい。送り火にあたり先人の尊い犠牲のもとに、平和で暮らせる幸せを感謝したい。
では採録の続きを、今回で南の国の河童を終わり、北方採録をします。
採録第百十五話
★ガジョマルなどの木が年を経るとキジムンが住むといわれるように、その妖怪は古木の精でもあり、そうした古木のうつろに宿る精霊であるという。だから、キジムン木をうっかり伐ろうものなら、いつまでもつきまとって離れず、ひどい目に合わされるという。それが出る木の岐などにキジムンのチンペイ(涎)といわれる白い泡のようなものがついている。
その性、魚や蟹を好み、海で魚を取るのが実に旨いから、瞬く間に籠を一杯にしてしまうという。そして取った魚は片目だけ食べてあとは呉れるので、これと同志になれば魚がたくさん取れ、金持ちにもなれるという。また、渓谷などで石だけが独りでに動いているのは、キジムンが蟹を漁っているためであり、これを見ていたり、声をあげたりすると魂を取られるという。闇夜に漁をするような場合にキジムンはよく火を出す。その火は色が変わっていて、海上などを渡る際はすこぶる速いと言う。(山原の土俗より)
採録第百十六話
★キジムンは気性が激しいとも、反対に茶目ふうだとも言われている。源河に老婆があって、ある日川辺を通ると、老木の上で子供が枝を枕にいるのを見て、その大きな睾丸を竹竿でもって突いた。すると、その子供は飛び上がったと思ったら消えてしまった。驚いて家に帰った老婆は、夜床の中で、かの子供に襲われて身動きもならず、大変苦しめられたという。(山原の土俗より)
採録第百十七話
★陸中のザシキワラシと同様にキジムンが家に居る間は富み、主が面白くなくなってよそへ越せばその家は衰えるという。キジムンの出る所は古い家の広間で、祝い事に呼ばれて行った所に、そこへ寝て枕返しにあった。押さえつけられた、というような話はよくあったという。(沖縄探訪手帖より)
以上南の国の河童終り
ミタニ様
難しいことは分からないけど、わたしの思いは日本の国(何処の国も同じ)のお馬鹿さん達(一部の高級軍人と軍需企業)が、
個人的な利益を追求し、戦争に突入し、国民(兵隊さん)は巻き込まれたのだと思っています。
その戦争で19年間も戦って、それでも生き延びてきた父は、現在99歳。でも今年からついに病院付きの養老院のお世話になり、
終戦記念日の今日、子どもと孫と一緒に面会に行ったら、孫達に「ありがとう!」とにこやかに一言呟いたら眠ってしまった。
大爺さんは分かったね!よかったね!で帰ってきました。田舎の高原も熱い、温泉町も町中も途中のサービスエリアも
戻ってきた我が家も暑い!暑い!何処もみんな暑い!一日休んで、九州サミットに出掛けます。
北の国からに期待します〜。村長
先日の河童村村民の暑気払いは盛況でしたでしょうか?
今回もウォークを優先させて勝手ながら欠席させて頂きました。歩こう会は小平の野火止め用水・玉川上水沿いの緑陰道を遊歩し、小金井公園の「江戸東京建物園」で昔ゆかしい建物と古民家を巡り歩きました。葉月に入るや猛暑に見舞われ岡の河童達もお皿が干上がり、もうたまらんとプールに海に、にわか河童が群がって水浴びに興じています。
今日6日は広島の原爆記念日、盛大な式典が報じられていますが、核廃絶のお題目だけでは平和も核廃絶も訪れない。現実は核拡散と保有を競い合っている。唯一の被爆国として虚しさと憂慮に堪えない。お盆には犠牲となった英霊たちが戻ってくる。深く哀悼の意を表したい。河童の世界には近代兵器などない、せいぜい素手の殴り合いか相撲で勝負。
こんな世界が平和というもの、無明長夜という山坂を懸命に駆け続ける様な虚空の中の絶対光明の世界を求めて・・・
では八朔月の採録を二話ばかり
採録第百十三話
★
大宣味辺では山仕事をしていると側へ来るそうで、謝名城にキムジンを嫁がせて成り上がった者があるという。山に居てそれが来ると食い物をやって手な付けておいて材木を運ばせた。大力で走ることも早いが、人にはその姿が見えなかった。しまいにはキムジンの離れることを望んで、柱にチャサッア(蛸)を掛けておいたので、それを嫌って寄り付かなくなったという。
(沖縄採訪手帖より)
採録第百十四話
★ キムジンは矢張りタコを嫌う。キジムンを退ける方法も大体決まっている。♪テイヤァチャーたっくわされみ(手八ツ、すなわちタコをなげつけてやるぞ)♪熱い鍋蓋たっくわされめ(熱い鍋蓋を引被せてやるぞ)
このような唱え言をすればキジムンが退くという。また、キムジンはすぐに火の側に寄ってくるから、焚き火の中に竹を入れておくと、そのはぜる音に驚いて逃げてしまうともいい、また、よくキジムンに襲われる人があって、寝ている間に節穴などから背負っていくが、放屁すれば落ちて逃げる、キジムンの出る古木の岐(また)に釘を打ち込めば化けてこない、葉月(八月)十月の妖怪日には魑魅魍魎(ちみもうりょう)が一斉に跳梁するので、尾花を刈り取って来て屋敷内の古木に結び、かつ木の下に立てると退けることが出来るともいう。
では次回お盆にまた。
ミタニ様今井村長 様
文月も明日で終わります。葉月にふさわしい深緑豊かな森林ウォークに、緑陰を求めて歩くのも楽しみな季節です。PC不調でゲートウェイに買い換えました。今までのレイアウトがお釈迦になり残念ですが、動作は格段に早くなりました。HDは150GB・メモリーも1GBですからガリバーの服を着ている小人のようなものです。
ところで、その後村長さんにはお変わりありませんか。牛久かっぱ祭りと小川芋銭を訪ねる旅の紀行文が次回かっぱ新聞に掲載されるのを楽しみに待っています。
話題に窮して愚問を呈しますが、本来美術における美とは何かというのは、共有の概念に過ぎないと言う人がいます。それを美だと思えと教育で教へられて人々が合唱しているに過ぎないとのでは?と、教育者の先達に対して、おこがましい言い方ですが・・・
しかし、画家や彫刻家あるいは陶芸家、批評家はそういう根源的なことを考えない。日常的に物を作れないし、物を造らない造形家など世を渡って行くことができないと感ずる。村長さんもそういう意味で立派な美の造形家として、生業を成り立たせていると存じますが。
では文月最後の採録をお届けイいたします。
採録第百十一話
★ 時にケンムンは子供などをかどわかすことがある。住用の市という部落で、四歳位の子供が山へ迷い込んでしまった事があった。村人による捜索が始まって一週間目にようやくその子供がガジュマルの木に載っているところを発見した。捕まえて連れて帰ろうとすると、子供はさながら鳥のようにあの木この木を飛び回ってなかなか捕まえられない。ケンミンに魂を抜かれた子供は、ケンムンになっていたのである。
ようやく捕まえて帰り、占者に見せ、その指示に従って、その子供に藁で作った鍋の蓋を被せて棒で叩くと、正気に戻ったという。かどわかされているときは土やカタツムリを食わされるし、探している者の目には見えぬものであるという。その時は人さし指を口にくわえるとよいそうである。
(奄美大島昔話集より)
採録第百十二話
沖縄のキジムン
ケンムンはガジュマルの大木人に宿る、ケンムンと出会った際は腐れ木で打つとよい、ケンムンが牛馬に悪戯をした場合にはケンムン木をしばるとよい、などの伝承から推し測られるように、ケンムンには大木の精らしい性格が付与されている。沖縄にはキジムンという妖怪伝承があって、古木の精であることがはっきりしている。性格的にも一致点が多いので、ケンムンとキジムンとは同じ妖怪であることが知られる。キジムンはまたの名をキジムナー、セイマ(精魔)、セーマグ、ブナガ、ブナガヤー、ブナンガヤー、ミチバタ、ハンダンミー、アカガンターなどと称されている。キジムンはガジュマルやアコウの古木の精で、子供の形として現れるといい、髪が肩から垂れ下がるぐらい長く、全身毛で覆われているという。また、所によっては赤子のようなもので髪が赤いとも、大変大きくて真黒なもので、睾丸が大きいとも言われている。(山原の土俗・沖縄採訪手帖より採録)
では次回は来月に
採録第百九話
★参考にこれらケンムンとの掛り合いを「奄美に生きる日本古代文化」から引用すると、次ぎの通りである。
ケンムンはヒジャ地帯を中心に海浜にも出没する。ヒジャ(Hizta)はヒダ(Hida)と関連する語で、辺鄙・渚などの意があり、奄美では人里はなれた海浜の山の平坦部をいう。ここは村落の前哨地で、唐芋などを耕作したり焚物を取ったりする。ここへ通うのは山路か海辺の路をたどるが、山襞のサク(狭間・迫) に砂糖黍を作る耕地が拓かれ、砂糖製造小屋や炭焼小屋があるし、一方、荒磯の白浜には塩焼小屋がある。これらはオギ(砂糖黍)幹で葺いたり囲ったりしただけの掘立小屋である。これもサクヤドリ(砂糖宿)ならびにマシュヤドリ(真塩宿)と言い,留まって作業する機会が多く、そのような際にケンムンと接するのである。オギ圧搾機は初め水車をもって回したが、次には牛馬をもって曳かせた。そのようなことから、ケンムンと牛馬との間には浅からぬ因縁がある。従ってケンムンは牛馬にかかったり、仔馬に化けて人を欺くことすらあったのである。
採録第百拾話
★ 海を嫌って陸へ上がったケンムンは、ガジュマルやアコウの木に宿るようになった。しかし、魚や貝を食することは昔のままで、ケンムン木の側には、その貝殻やカタツムリの殻が溜っている。また、ケンムンが作るのはホウギやガジュマルのように枝の下が下がった木か、樫の大木、石の上に生えた大木であるという。
このケンムン木を倒しかかっている際、通りがかりにうっかり声をかけたりすると、その者は伐ることを知っていて教えなかったというもんで祟られる。伐っている人には黙っていれば咎めはないし、一、二本の枝を残して伐れば、その枝にかかるので咎められない。ケンムンの祟りにあうと一方の目を突かれて腫れ上がる。また、馬の目を突かれることもあるという。その場合は風法(かざほう)を行えば治る。(奄美に生きる日本古代文化より)
ではまた月末に続きを。
採録第百七話
★ 嘉入の塩炊きが、塩を炊いていると、裸のケンムンが二、三匹やって来て、窯の前に膝を立てて当たっている。そして、邪魔をするので、どけどけ、と言ったがどかないにで、火の付いた煙草を投げつけた。しかし、一時退いたがすぐまた来るので、今度は石ころを投げて脅した。塩炊きは怖くなって部落へ帰ったところ、その後からケンムンが姿を消して追いついて来て、首を絞めた。その塩炊きは口から涎を垂らしながら、ケンムンだケンムンだ、と叫んで事切れた。人々が亡骸を墓地に埋めて帰ってみると、塩炊きの娘も同じ症状にかかっていた。ケンムンの祟りと分かって、祓いをやり、ようやく命を取り留めたと言う。
採録第百八話
★ また田原元積という者が、かってカセバルに水車を持っていたが、その樋をケンムン木の所にかけておいたものだから、ケンムンのために壊されてしまった。そのころ隣部落の者が魚をたくさん取って来て、その水車のある砂糖小屋に行って川の水を飲んだところ、急に発熱してしまい、大変な目にあったという。そのとき、須古茂の鍛治屋が夫婦して看病して治してくれたそうである。その後、水車はケンムンが来るので焼き捨ててしまい、代わりに砂糖の搾り機を馬で回したところ、夜になると今度は馬にかかってしょうがなかった。悪戯されたときの馬はムチムチした粘液がつき、人を寄せ付けなかった。このような場合、ケンムン木を綱で縛ると、わしは手足をくびられている、早く馬の機嫌を直してけれ、とケンムン同士で話し合うという。
(以上二話、加計呂麻島の民俗)
採録第百五話
★ また、阿室と屋鈍との間にあるサイギョという砂浜に塩焚き小屋があって、あるとき二人の男がそこで塩を焚きていると、焚き口の前にたくさんのケンムンが集まってきた。あまり邪魔なので、「行け」と追い立てるが、すぐまた来てしょうがないので、ゴッゴッとたぎっている塩水を引っ掛けた。するとキャッキヤッと皆悲鳴を上げて山へ駆け登って行った。それから暫くすると、今度大きいのや小さいのがゾロゾロと、仇討ちのために降りてきた。塩焚きは驚いて、一人は屋根にあがり、一人は浜に走って伏せた舟の中に隠れていた。すると、屋根に忍んでいた塩焚きは見つかってしまって、たぎっているその釜にぶち込まれた上、小さく刻まれてしまった。舟にいる塩たきはとうとう見つけられずすんだと言う。いまでもその辺には沢山居ると言う。セイロとか舟とか、中空な物の中に潜めば、ケンムンの難を避けえるらしい。
(奄美大島昔話集より)
採録第百六話
★ 昔ある所に三人の塩炊きがあって、ある夜の事荒磯の塩焼小屋で塩を炊いていると、いつの間にか一つのケンムンが来て窯の火に当たっている。それは脚がいやに細長く立てている両膝が頭より高く、猿のように赤い顔をその間に挟みこむような格好で座っている。塩炊きは脅かすつもりで、たぎった塩水をいきなり引っ掛けた。すると、キャッと叫んで逃げ出したが、あくる朝見ると、それはマツタビ(蛇)となって岩の間に死んでいたという。
さて、その日の晩のことだが、後ろの山で木をゆすったり岩石を転がしたりして凄い音を立て始めた。この塩炊きはとっさに塩桶を伏せてその中に隠れていた。やがて、あまたのケンムンが襲って来て小屋の中をさんざん荒し回ったが、見つからずに済んだという。(奄美に生きる日本古代文化より)
では次回は7月に
採録第百一話
★ ケンムンは魚の目をむやみに欲しがり、よく目玉を抜いたりなどの悪戯をすると言われる。夜ながりといって夜釣りをして戻って来ると、魚の目玉だけ抜き取られていることがあるのはケンムンの仕業であり、それへ塩をつけておくと、どうもしないという。(奄美大島郡昔話集)
採録第百二話
★ 嘉入のある漁師が魚取りに行った折に、不思議なほどよく取れたが、取れた魚はみな片目がなかったという。それはケンムンが抜いて食ったのである。そればかりか貝も食う。だから、ケンムンの木の側には貝殻が沢山あるのだと言われている。(加計呂麻島の民俗)
採録第百三話
★ ケンムンは漁が好きで闇の夜などは指先に灯をともすとか、頭に上に油のようなものがあって青い灯をともすとかして磯にいる。奇態に大漁のときはこのケンムンがついているのである。魚と貝を常食とし、これを早くはざさぬと、魚の目玉を抜いたりする。そればかりか人を咎めたり、ひどい悪戯をすることがよくある。
採録第百四話
昔三方村のある所に寄合があって、これに出席せずに独り釣りに行ったある漁師が、取れた魚をイビクラ(腰籠)に入れておくと、魚の目玉がみななくなっているので、ケンムンの仕業だろうと悪口を言った。するとケンムンが大勢出てきたのであわてて集合所に逃げ込んだ。そのときに寄合は終っていて、只一人だけ酒に酔いつぶれて敷居を枕に寝ている者があった。当の漁師は部屋の隅にあるセイロ(蒸籠)の中に入り、蓋をして隠れていると、間もなくケンムンどもがやって来て、その辺にあるものを手当たり次第に壊した挙句、敷居を枕に寝ている者を殺めて行ってしまったと言う。
(以上二話 奄美大島昔話集より)
さて、来週は愈々関東も入梅との予報、カビの入らない内に次回もお届けします。
ミタニ河童殿
採録第九十八話
★ 河童が人に子を生ませるように、ケンムンも女に魅入ることがある。そして家を富ます福の神の働きをすることもあるらしい。
嘉入の奥にある一軒の農家があって、野菜などは良く出来る場所であるけれども、そこへ行く道が悪いので訪れる人もあまりなかった。その家に娘があって、暑い時にはよく裏の水溜りに入って浴びていた。ところで、その娘はまだ十歳にもならぬのに腹が大きくなり、みな不思議がっているうちにお産をした。生まれた子はケンムンによく似ていて、大切に育ててみると、猫か何かみたいに家の周囲を回るのであった。すると、これまで不便なために野菜を買いに来る者も居なかったのに、その子見たさのあまり、わざわざ買いに来る者が増えていった。お陰でその農家は富み栄えたという。
(加計呂麻島の民俗より)
採録第九十九話
木に宿るケンムン
初め海に住んだケンムンは、蛸を嫌って陸にあがったといわれているように、蛸を忌避することは大変なもので、海のタコをとって来て投げるぞ、と言えば、たちまち逃げてしまうと言う。
★ 阿鉄では漁をしているケンムンが来たら、ヤツデウマル(タコのこと)をたくさん取っている、と言えば逃げると言い。
(薩南諸島の総合的研究より)
嘉入では旧暦の十、十一月ごろ、晩になって潮が干いたとき漁に行くが、ケンムンと行ったら大漁であるという。その際漁師同士は、相棒(おおい)と呼び合い、決して名を言ってはならないし、返事をしてはならない。魚でも貝でもいっぱい取れたら、タコを取っていなくても、ミツタコじゃが、と叫んで後ろに何か投げるとケンムンは離れるから後ろを見ずに帰ることだと言っている。 (加計呂麻島の民俗より)
採録第百話
★ 東天城村山に漁師があって、ある夜のこと松明をつけて海へ漁に行った。すると不思議なほどタコが沢山取れて、瞬く間に籠一杯になった。それを家に背負って来ておいて、翌朝汁にいれようとしたら、ケンムンに騙されたかして籠の中のタコはみな目がなかったと言う。 (奄美大島昔話集より)
ではまた入梅にお届けします。

★ また、小宿の砂糖小屋に豪気な人があって、相撲を取る、といったらケンムンが次々に出てきた。初めの内はいい気になって取っていたけれども、入れ替わり立ち代わりきりがないので、だんだん怖くなってついに逃げ出した。ケンムン共が執拗に追いかけて来て、つかみかかろうとするので、その人は屋内に逃げ込んで台所のカシキュ(麹蒸器)に入って隠れた。ケンムンは随分喚きながら当たりを探し回っていたが、とうとう見つけかねて帰ってしまったと言う。ケンムンは相撲に負けると何百何千と出てくるのだそうである。
さて、ケンムンと出会った際には、すぐ礼をしてから相撲を取ればよい、なぜならばケンムンは頭頂に皿を乗せており、それが生命のようなものだから、礼をさせてその皿を落せば死ぬからである。
採録第九十六話
★ そこで、もう一つの話は、伊目の人が漁り(すなどり)に行こうとしているとき、海岸の波打ち際で赤ん坊をおぶったような子供が貝拾いをしていたので、村の子供だと思って疑いもせず、今頃そんな所で貝拾いをしているのは誰だ、早く家に帰れ、と言ってそのまま舟を出したと言う。ところで、その漁師の家では母親が一人で留守番をしていたのであるが、あまりドンドン音がするので隣の嫁が驚いて行って見ると、母親と赤い着物を着た小さな子供が叩き合いをしていた。嫁はケンムンと知って竿を持って来、子供の頭にある水を落そうと懸命に叩いた。火のようなものが頭から落ちたと思ったら、その姿は消えてしまっていた。ところで、あくる朝漁夫が帰ってみると、母親と隣の嫁が死ぬほどの重病になっていたと言う。
(以上二話奄美大島昔話集より採録)
採録第九十七話
★ 嘉入の村長までしたことのある実久という人が、嘉入から武名へ馬に跨って帰ったときのこと、途中のディクーと言う所にさしかかると、右側の石ノ上に髪の垂れ下がったケンムンが座っていたという。飲んだ酒の勢いでケンムンを呼び出し、その場で相撲を取った。その人はこんな場合、頭の上にある皿を割ればよいということを聞いていたので、皿を打ち割ってケンムンに勝つことが出来た。ところで、ケンムンをワッと泣かせようものなら何千何万の仲間が集まるといわれているから、手加減して泣くまでは痛めずに、また馬に跨って帰ったが、その晩から高熱が出て何日も寝込んでしまったという。ケンムンをやっつけるのには朽ちかかった木で殴るとよいと言われる。(加計呂麻島の民俗より)
では雨月に怪奇談の続きを。
採録第九十話
1. ケンムンの起源
★由来譚の一つは、ケンムンの起源が藁人形であるという伝承である。昔あるところに大工の棟梁があって、我には嫁の来ても無いだろうと思いつつ、独り身で暮らしていた。ところが、同じ村に美しい女があって、これもやはり、我が夫になる人はないであろう、と思い込んでいた。そしてある日のこと、棟梁がその女を見染めて求婚することになった。女はそれを受けて一つの条件を出し、それを果たすことが出来たらいつでもそなたの妻になろう、と言った。その条件とは、六十枚の疊を敷ける家を、造作を含めて一日で作ることであった。むろん棟梁はそれをのんだが、そうは言っても尋常な手段では一日や二日でそんな大きな家を作れるわはない。そこで、困った挙句、二千の藁人形を作って息を吹きかけてみたら人間になったので、それぞれに役割を与え、条件にかなった家を一日で作らせてしまった。
それから二人は夫婦となって暮らしていたが、ある日妻は棟梁に向かって、私はこの世の者ではない、天人であるからそなたとこれ以上一緒に住む事は出来ない、と言った。すると、棟梁も、われも人間ではない、テンゴの神である、いま二千人の人間を元に戻して見せよう、と言って息を吹きかけると、またケンムンと化してしまった。そこで、海に千匹、山に千匹を放してやったという。なお、奄美のテンゴは器用な神、大工の神とされている。(奄美大島昔話集)
採録第九十一話
★もう一つはケンムンが木に宿るようになった由来を説く伝承である。それによれば、ケンムンは南洋のジャワ島に始まったそうである。ジャワ島はケンムンの原産地で、これは一億六千万年の歴史があり、その間に奄美までやって来た。
ここではケンムンの上陸を許さず、初めは海の瀬に住まわせた。しかし、海の瀬はタコに巻きつかれるから、ケンムンにとっては難儀な所である。それで、山の木で人のいらない木があったら宿らせてくれ、と願った。ガジュマルの木ならあまり用がないからいいだろう、とある人が言ったので、それ以来ガジュマルの木に宿るようになったと言う。島の人々は、ケンムンがついている、と言ってガジュマルには手をつけないことにしているそうである。
採録第九十二話
★またこのようにも伝えている。
ある所に何人かの兄弟があって、親がまず一人には、お前は水神になれ、もう一人には、鍛治屋の神になれ、残りの一人には、お前は言うことを聞かんから海の神になれ、と言った。そこで、海の神になって海に出たが、どうにも気にいらないので、親に願って岩の上に置いてもらった。しかし、そこも波が打って来るのでどうにもいけない。そこで再度親に願ったところ、それなら人の使わぬ木にかかるように、とのことであった。
それからガジュマルに宿るようになったという。それから川に七日、木に七日と居場所を交替するという。だから、ガジュマルの木を伐る時は、正月七日のうちに伐れば咎めないと言われている。(以上二話加計呂麻島の民族より)
でゃまた次回に。
2007.5.1 ミタニ様
こんにちは!そうですか..脚はお借りできない〜残念です!それにしても「腕が鳴る」「鐘が鳴る」という言葉は聞いたことはあるのですが、なるほどミタニ氏は「脚が鳴る」かと思えば「靴が鳴る」のですね!さもあらん分かる気がします。カルフォルニアレーズンウオークというからロス郊外を歩くなら、私もマネージャー役で同行しようかと調べたら旧大宮区域をレーズン大使と歩くイベントなんですね。でも6/2でなく6/5とHPにありましたけど、違うコースですか?同じ日に盛りだくさんのコースがあるようですけど、脚も頭も冴えているミタニ氏のこと大丈夫ですよね。昨日、新聞発行が終わったので、自由が丘まで「河童図柄手拭い」の展示を見に行ってきました。安い河童手拭いを3枚購入し、ついでに自由が丘の街並を3時間程度歩き回ろうと出発したものの、30分ほど駅周辺を一回りしただけで電車に乗り、意気揚々と大宮まで帰り、駅内蕎麦屋でビールを呑んだら旨いこと!やっぱり、いっぱい?歩くとビールが旨い!!
採録第九十二話
藁人形の子孫
★家屋造営の労役を果たして精霊と化した藁人形が水界に放たれるというのは、ほかならぬ奄美のケンムンの起源説話である。これはもともと河童の起源説話であるから、系統をただせばケンミン族の中に藁人形のためには子孫に当たる種族がおると言う事になる。血統は争われぬもので、ここの子孫共は人とみれば、むやみと相撲を挑むのである。ケンムンは大変相撲が好きである。
採録第九十三話
★ 名瀬の者が塩炊きをしていると、ケンムンがやって来て、相撲を取ろう、とうるさく言うので外へ出て相手をした。それを側から見ている雌のケンムンが、左耳よ、金玉よ、と言う。この者がこれを聞いて、すぐに左耳を引っ張ったところ、ケンンムンはキャッキャッと鳴いて逃げてしまったと言う。
採録第九十四話
★ また、須野に一人の爺があって、ある夜のこと塩炊きを済ませてからアヤマルの白浜まで帰ってくると、二つ三つばかりの子供に、相撲を取ろう、と言って呼び止められた。耳が痛いほど言うのでやむなく相手に