「いろは と アイウエオ」


 いつも朗らかな主婦C子さんから、「いろは」と「アイウエオ」はどちらが先にできたのだろうという、猫目のド胆を抜くような質問をいただいた。今回はマジメに解説しよう。

 「いろはうた」は平安中期から後期にかけて成立したと言われている。ひらがな47文字を重複させずに作られた七・五調の歌である。

 色は匂へど 散りぬるを わが世誰そ 常ならむ
 有為の奥山 今日越えて 浅き夢みじ 酔ひもせず
〈歌意〉 花の色はあでやかに咲くけれども、間もなく散りはててしまう。人間の命も花と同じであって、永久に生き続けることはできない。それだから、空しい夢を見たり、人情におぼれたりする浮世の煩悩の境地から逃れて、ひたすら仏様にすがって往生を祈ろう。

 “ひたすら〜"以下はこの歌のオチにあたるのだが、「いろはうた」は仏教の根本思想である「諸行無常」の精神を歌いこんだものなのだということがわかる。残念ながら、この歌の作者は定かではないのだが、47字のみを組み合わせて意味を成す文を作るという技に感心せずにはいられない。しかも、「あめつち」とか「たゐに」など同様に47字で作られた歌が他にも存在しているのだ。おそるべし平安人。だが、やはり「いろはうた」の出来に勝るものはないようだ。「いろは」は習字の手習いなどに使われていたらしい。

 「アイウエオ」、つまり「五十音図」が現在のような形で成立したのも、やはり平安中期から後期とみるべきであろう。
 6世紀ごろ百済から漢字が伝来して以来、我々の先祖たちはこの舶来文字の読み方に苦心していた。日本人は「strike」という英語を「ストライク〈su-to-ra-i-ku〉」 と表記・発音しているように、子音と母音を分けるという概念がない。中国には一つの音を子音と母音に分ける「反切法」を用いて漢字の正しい発音を示す方法があるのだが、我々の先祖たちは、その発音表示にふりがなを振るという極めて日本人らしい作業を行って漢字を読んでいたのだ。
 

 一方、仏教(特に密教)の伝来に伴って、梵字(古代インドのサンスクリット文字)の学習が僧たちの間で盛んに行われるようになっていた。梵字は12段×34列=408字で構成されている。1095年に、明覚という僧は、梵字の配列から日本語にあるものを拾って、カ=クァ/キ=クィ/ク=クゥ/ケ=クェ/コ=クォというように「反切法」を用いた『反音作法』という日本語の音図を初めて完成させた。それから15年後に、兼明という僧が『反音作法』を手直した音図が、表@の『悉曇反音略釈』である。現代のものとほとんど変わりがない。

 実際には「五十音図」は、ヤ行は三文字、ワ行は四文字と、「ん」も含めて48文字しかない。「いろは」は文字の列、「五十音図」は音の図であり、もともと役割を異にするものなのである。


表@ 『悉曇反音略釈』の「五十音図」
表A 明治6年5月 文部省編纂小学教授書 師範学校彫刻の「五十音の図」
 明治初期の国語教育では「五十音図」優位の見地から、表Aのように「」「」「」という文字を無理やり当てた教科書が出されたこともあったようだ。

 「いろは」と「アイウエオ」のどちらが先にできたのかを定めるのは困難であり、結局、冒頭の質問に答えることはできなかったが、 日本語の奥の深さを味わっていただければと思うのである。
                 (参考文献『五十音図の話』馬渕和夫 1993年 大修館書店) 
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