ストレスは何故金魚の病気の元となるのか?
(1)ストレスが金魚を弱くする
人間の脳というのは、発生学的にいうと、大脳、大脳辺縁系、脳幹の3つ
から構成されています。このうち、脳幹は進化の過程で最初に発生した“も
っとも古い脳”といわれており、いわゆる生物のもっとも基本的な機能――
本能を司る神経器官です。魚類の脳を解剖写真で見ると一目瞭然ですが、下
等な脊椎動物はこの脳幹に相当する部分しか持たないことがわかります。
脳幹は、脊髄からおおむね鉛直に伸びた構造をしており、間脳、中脳、延
髄などの部分から構成されています。間脳は視床と視床下部といわれる2つ
のパーツに分かれていますが、このうち、視床下部(Hypothalamus)はその
個体の自律神経を調節する上でなくてはならない重要な働きをします。また、
金魚にストレスがかかると、体内でまっさきに反応するのがこの器官です。
金魚にかかるストレスは多種多様です。猫や鳥などの動物に捕食されそう
になったとき、小さい子供に網で追いかけられたとき、仲間の金魚から始終
いじめを受けたとき――あるいは、玄関のドアが閉まる音や水槽ガラスを叩
く音なども金魚にとっては「ストレッサー」(ストレスを与える原因)とな
ります。ですが、金魚の一生を通じて最も大きなストレッサーとなるのは、
“水質の悪化”です。具体的にいうと、アンモニアや亜硝酸は当然として、
硝酸塩や有害重金属の蓄積、あるいは飼育水のイオンバランスの歪みなどが
それに該当するでしょう。
哺乳類がストレスを感じると、前述の視床下部から副腎(adrenal glands)
へ化学的な信号が出され、副腎皮質ホルモン(コルチコステロイド)が放出
されます。哺乳類の副腎というのは腎臓の上に乗っかったクルミのような形
状をしていますが、魚類では、この副腎に相当する組織細胞は腎臓の組織と
混ざったような形で存在しています。
信号を受け取った副腎組織は2つのホルモンを分泌します。
ひとつはエピネフリンです。このホルモンは、金魚の脳や体躯の血流や呼
吸を高めたり、肝臓に貯蔵されたグリコーゲンを臨時のエネルギー源として
取り出す働きをします。つまり、闘ったり逃げたりするための臨戦体制をと
らせるわけです。別名、アドレナリンです。こちらのほうが通りはいいかも
しれませんね。このホルモンによる闘争・逃避行動によって問題が解決され
た場合は、ストレッサーが取り除かれるわけですが、これが長引いたり、あ
るいは、頻繁に同じ状態にさらされたりすると、生体を徐々に疲弊させ、エ
ピネフリン分泌自体が新たなストレッサーとなることが判っています。玄関
などのドア(特に開閉頻度が高くて、閉止音が大きいドア)の近くになるべ
くなら水槽を置かないほうがよいというのはこのためです。
副腎組織が分泌する、もうひとつのホルモンはコルチゾールといわれるも
のです。多くの研究によれば、過密飼育水槽においては、このコルチゾール
のレベルが著しく増加することがわかっています。コルチゾールは、エピネ
フリンと同様、金魚の体内で多くの生化学的変化を起こしますが、なかでも
最も注目すべき影響は、ある種の免疫細胞を役立たずにさせ、“免疫系”の
力を大幅に弱めてしまうということです。
(2)コルチゾールによる免疫機能の破壊
マクロファージという名前を聞いたことがあるでしょうか? 免疫細胞で
ある白血球の一種で、大食細胞なる異名をもった細胞で、生体を外敵から守
るための「第1防衛隊」の役割をしています。
マクロファージの祖先はアメーバではないかといわれているように、その
構造はアメーバと酷似しています。まず外敵(バクテリアなど)が体内に侵
入すると、そのくにゃくにゃした体でバクテリアをおし包みます。それだけ
ならバクテリアは何の損害も受けずに悪さを続けるわけですが、実はマクロ
ファージのなかにはリソソームという小胞が複数個存在していて、アメーバ
状の体が抱え込んだバクテリアに向かって突進してきます。
リソソームはいってみれば“分解酵素がたっぷり入ったヨーヨー袋”のよ
うなもので、バクテリアの体(細胞)に触れるとビチャッとつぶれ、バクテ
リアの体を溶かし、殺してしまいます。正確ではありませんが、これがマク
ロファージのおおまかな殺菌メカニズムです。ちなみに、マクロファージの
攻撃を逃れて、金魚の体細胞などに入り込んでしまったバクテリアについて
は、「第2防衛隊」であるリンパ球が控えており、これはバクテリアが入りこ
んだ体細胞ごと殺す作用を持っています。免疫機能というのは他にも色んな
働きをする細胞が存在していて、複雑な部隊行動を通して外敵を退治します
が、メインの主役は上の2つだと考えていいかと思います。
コルチゾールが魚の副腎組織から分泌されると、マクロファージが正常な
力を失ってしまうことが、いくつかの研究で明らかになっています。正確に
いうと、コルチゾールがリソソームの小胞膜の化学組成を変化させ、これら
がバクテリアに触れても、膜が破れなくなってしまうのです。これによって
リソソームは内部の分解酵素をバクテリアに“ふりかける”ことができなく
なり、バクテリアはマクロファージに包まれたまま平然と悪行を続けること
になります。この状態を喩えていうなら、第1防衛隊の小銃の撃鉄が固着し
てしまって弾を撃てない状態です。第2防衛隊(各種リンパ球)は当然孤軍
奮闘しますが、第1防衛ラインを次々と突破してくる無数の外敵の前には、
結局のところ白旗をあげることになるでしょう※。
※ ちなみに、最近の研究では、ビタミンCに、リソソーム膜の化
学変化を抑制する働きがあることが判っています。ですが、だ
からといって蜜柑の皮を水槽に浮かしたりするのはやめましょ
うネ(笑)。(アクアリスト=ケッコウカゲキデスカラ・・・)
ストレスによる免疫機能低下に関係するものとして、マクロファージのほ
かに、たとえば“抗体”があります。抗体というのはある種のたんぱく質で、
外敵(バクテリア)にへばり付き、活動しにくくさせたり、あるいは、その
働きをほとんど封じ込めたりすることで、金魚を外敵から守ってくれます。
この抗体は、通常はB細胞(またはプラズマ細胞)といわれるリンパ球に
よって生産されますが、ストレスを受けてマクロファージの免疫が弱くなっ
ている状態――つまり、金魚がもっとも抗体を必要とする時に限って、抗体
の体内生産量は低下してしまうことが判っています。人生――じゃなくて魚
生?なかなか上手くいかないものですね。
(3)病気には即、薬――これは正しいかどうか?
今でこそ金魚が病気になると、抗菌剤やら何やらすっかり整備されていま
す。グリーンFシリーズ、メチレンブルー、リフィッシュ、パラザン、トロ
ピカルゴールド等など――たくさん種類がありすぎて、初心者の方にはどれ
を選んでいいのかわからないくらいですよね。ですが、こうした専門薬のな
かった(私も知らない)昔では、金魚が病気になった場合、おそらく、水換
えをザバザバするか、あるいは、せいぜい塩や砂糖?を放り込むといった方
法で、もっぱら金魚自身の免疫力に頼って病気を治してきたのでしょう。
こんな昔に比べて、化学薬品がずらりと揃った現代社会――果たして金魚
の罹病や死亡数は減っているのでしょうか? 私の感覚ではあながちそうと
はいえないのではないかと思っています。
「ショップで売られた魚の3/4 が30日以内に死亡し、魚を飼い始めた人の
2/3 が1年以内に飼育を辞めてしまう」という冷や水をかけられたような統
計結果があります。これはおそらく、現代飼育の主流をなす“パイロットフ
ィッシュ法”による魚の死亡と無関係ではないでしょう。しかし、フィッシ
ュレス法が盛んな地域アメリカにおいても、1年間のあいだに趣味として金
魚飼育を始めた方の三割以上が、魚を死なせてしまい飼育をやめてしまうと
いうことです。上の統計よりはましですが、いずれにせよ、こうした状況が、
金魚飼育の偽わらざる現状です。
この原因のひとつとして私が個人的に感じているのは、情報や商品に溢れ
かえった現代社会において醸成される“ある種の幻想”です。
たとえば、アクアショップに行けば金魚だけでなく何でも揃うという思い
込みがありますから、「さあ、金魚が病気になった」というとき、ビギナー
がまず最初に起こす行動は、なんと“ショップの魚病薬コーナーへ足を運ぶ
こと”だという笑い話があります。そのあいだ、病気の金魚は、水換えもさ
れない病原菌たっぷりの飼育槽にほったらかしです。
また、「水換えは、こなれた水を台無しにしてしまうから、できるだけ避
けるべき」という一風革新的な情報を、ほとんど信仰レベルまで祭り上げて
いる方も時折目につきます。実際のところ、これは非常に頻繁な水換え(い
じりすぎ)に警告を発しただけの条件付見解にすぎないのですが、こうした
メッセージを間違って受け取り、金魚の調子が悪くなったときでさえも、水
換えを躊躇なさる方が多いと聞いています。本当にこなれた水は適切な施餌
と水換えの繰り返しのなかから長い時間かけて出来上がっていくものです。
世の中に流布する金魚の飼育情報は玉石混淆の世界で、誤解されやすいもの
もたくさん含まれていますので警戒が必要です。
しかし、こうした幻想に惑わされずに正しい飼育方法で飼育を始めた方で
も、知らず知らずのうちに金魚にストレスを与え、ついには病気にしてしま
うことはあり得ることです。こんなとき、皆さんならどうするでしょうか?
「本やネット、あるいはショップに人に聞いた方法を忠実に実行するだけ
だ」という方がほとんどかもしれません。このHPでも別コラムで魚病薬や
塩を使った治療方法について書いていますが、これも含めて人から聞いた治
療のやり方というは、いってみれば「家庭の医学」あるいは「取扱い説明書」
のようなもので、モデルケースとその対処の一例を紹介しているにすぎませ
ん。
現実に病気の金魚を前にしたときは、なかなか「取説」どおりの経緯をた
どらないケースが多いです。これは、金魚そのものの種類や個体差、症状の
曖昧さ、病気の進行具合、複合要因による病状等など――モデルケースと違
う条件が多すぎて、よほど病気治療に手馴れた飼育者でもあらゆる事態に正
確に対応することは困難だからです。
また、私のコラムも含めて大抵のノウハウ集には、魚病薬を使って治す方
法を中心に紹介されているかと思いますが、魚病薬というのは病原菌を退治
するための効果的なツールである一方、同時に、金魚にとっては、それ自体
が強力なストレッサーとなることはほとんど紹介されていません。魚病薬
による治療というのは、病原菌が死滅するのが早いか、あるいは、逆に金魚
の免疫がダウンするのが早いか、といった――スリリングな綱渡りのような
ものなのです。もちろん、魚病薬はダメなどといっているのではなくて、魚
病薬のデメリットも理解した上で上手に治療を進めることが大事であると申
し上げているわけですね。「病気、即、クスリ」というような短絡的な考え
方では、金魚の病気を治すことはできません。
では、どうすればいいかというと、私が別コラムに書いたような治療手順
や細かいテクニックを参考になさるのも一法です。ですが、丸暗記して手順
どおりに忠実に実行する必要はさらさらなく、むしろ、その底流に流れる考
え方を理解していただき、柔軟かつポイントを押さえた治療をされることが
重要です。そして、これこそが私Hinconが「病気を治そう」という一連のコ
ラムを公開した理由ともいえます。
(4)病気治療の基本的考え方
金魚の病気治療の基本プロセスを段階を追って紹介いたしますと、次のよ
うになります。
@金魚の調子があきらかにいつもと違うときは、なにはさておき、まず、
底砂の掃除や物理フィルタの清掃を実施する。
Aそして、部分換水を行う。1/3以上、2/3以下が目安。(なお、1/2以上の
換水は少なくとも2回にわけて実施。)
この2つの作業は一見なんの変哲もない行為ですので、軽視されがちです
が、下手なやり方で薬浴したりするより、圧倒的に素晴らしい効果が得られ
ます。病原菌などの数が換水等によって大幅に低減されるだけでなく、いま
まで悪い水質によって妨げられていた病魚の免疫機能が回復しますので、比
較的軽い症状であれば、金魚自身の力で病気を克服してしまうでしょう。魚
の免疫パワーというのはかくも強力で、私たちの想像をはるかに超えている
のです。
では、重い症状のときは?・・・・飼育者なら本来こうなる前に体調の変化に
気付かなくてはなりません(笑)。金魚の体調を崩す要因は、飼育者にとって
身に覚えのあることがほとんどだからです。ですが、あえてここに至るまで
気がつかなかったとします。
B金魚を隔離する。そして、飼育者自身の目で診断を下し、それに見合っ
た治療を施す。
なぁんだ、といわれてしまいそうですが、@⇒A⇒Bが実際の病気治療の
大きな流れとなります。これまで@やAを考えたこともなかった方も相当い
らっしゃるのではないでしょうか。なお、繰り返しになりますが、Bの具体
的方法は私の各論コラムを参考にされればいいと思いますが、別にそのとお
りなさる必要もないし、また、そうするべきでもありません。金魚の状態や
条件に応じて、多分に推測を交えながら柔軟に治療を進められればよろしい
かと思います。
次に、前述しましたが、私の各論コラムの底流に流れる考え方を思いつく
ままに列記してみます。
◎治療の途中、水換え、薬品投与、水合わせ、水温変更など――金魚の周
りの環境に変化を与えるすべての行為については、例外なく常に“緩慢
な変化の積み重ね”を心がけること。
◎治療は基本的に病魚を隔離して行う。分離したあとは、“病魚”と“本
水槽”の2つの「原状復帰」を並行して進めること。特殊な場合を除き、
本水槽に直接、魚病薬を入れることは避ける。
◎魚病薬はストレッサーであるため、常に規定量以下の濃度で使用するこ
とを徹底させること。また、薬浴濃度は金魚の様子に応じて、濃淡を柔
軟に変更させながら行うこと。
こんなところでしょうか。一言でいうと、「ただでさえストレスの溜まる
薬浴治療を、可能な限りストレスを排除しながら進めてやる」ことです。病
魚のために飼育者にできることは、クスリの殺菌力だけでなく、金魚本来の
免疫力が十分発揮できるような環境を整えてやること――これに尽きるとい
って過言ではありません。
(つづく)
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