Canvas2 〜茜色のパレット〜
 Another Story featured Mami Takeuchi
   『Canvas2〜ラベンダー色のスケッチブック〜』


■ Sketch11. Party Night Snow

「あ、あの…先生、ちょっとお話良いですか?」
「ん…」
私の言葉に先生はちょっと考える仕草をしていた。
この後、鳳仙さんと一緒に理事長代理先生に呼ばれているらしい。
それまでの時間で良いなら、ということで先生が頷いてくれた。
「じゃあ、ここだと人がいますので外で」
何よりも鳳仙さんに聞かれたくなかった。
絵を純粋に好きで描いてる彼女に、もし私の想像しているようなことを聞かれたら…
(ギィ……)
暗幕に隠された扉を押し開けて、会場の外に出る。
校舎に続く渡り廊下はひんやりしていて寒かった。
撫子の制服って、スカート短いから結構冷えるんだよね。
「竹内、大丈夫か?」
ちょっと身震いする私を先生が気遣ってくれる。
私は首を横に振って、大丈夫だ、という意思表示をする。
そうか、と笑いながら先生は外に目を向けていた。
「雪だな…」
先生の声に誘われて空を見上げると、重そうな灰色の雲から白い結晶がチラチラと下りてくるのが見えた。
「竹内は雪景色描くの好きだったよな」
「はい…」
「いつだったかな…赤レンガの町で雪が降ってる絵、描いてたか」
「去年の今頃ですね」
「そうそう。黄色い長靴履いた女の子が道路の真ん中で踊ってるやつだ」
先生は、覚えていてくれた。
去年は雪の降り始めが遅くて、ちょっと気合を入れて描いた絵だった。
「『雪待ち月』…なんかお前さんらしい絵だったよ」
「あの女の子は本当に雪を楽しみにしていたんだな、ていう感じでさ」
「俺は結構好きだったな」
「先生、聞いてて恥ずかしいです…」
「そうか? たまには褒めても良いだろ」
どうしたんだろう。さっきもそうだけど、今日は上倉先生が妙に優しい。
自分から誰かの絵の話をすることなんて、滅多に無いのに。
不思議そうに見上げる私に先生が振り返った。

「さて、話ってのは、さっき竹内が変だったのと関係があるのか?」
もしかして、さっきの私の様子を覚えていて気を使ってくれてたの…?
…先生の優しさにさっきの決意が崩れそうになっていく。
柳画伯のことを持ち出したら、優しい先生は多分傷つく。
(…ゴクン)
一回だけ、私は唾を飲み込んだ。迷いを飲み込むように。
今言えなければ、多分卒業するまで言い出せない。
だから何だ、と言われてしまえばそれまでだけど…
今の上倉先生を放っておくなんて、私にはできなかった。
先生の目を見つめながら…私は切り出した。
「先生と…柳画伯の間に何があったんですか?」
「柳画伯が先生を裏切ったって、どういうことなんですか?」

■ Sketch12. 過去と今と

先生が立ち去った渡り廊下で、私は一人で立ち尽くしていた。
すぐそばの講堂から聞こえる音楽が、まるで別世界の音のように聞こえる。
『上倉…先生…っ』
思わず廊下についた膝。
コンクリートの床にポタポタと雫が落ちていた。
それが自分の涙だと気づくには、少し時間がかかった。

柳画伯の事を話したとき、先生は絶句してしばらく何も話してくれなかった。
ただ、私の顔を見るだけで…。
やがて、何でそんなことを知ってるんだ、という言葉が返ってきた。
私は、この間のことを先生に話していった。
私の絵を見て画伯が話してくれたこと…『裏切った』という言葉…最後に画伯が『懺悔』だと言ったこと…。
苦虫を噛み潰したような顔で、先生は聞いていた。
そして、私はさっきの質問を繰り返した。
裏切ったとは、どういうことなのかと。

『そんなことで、ずっと悩んでたって言うのか?』
『…はい』
『そうか……』
絶対に誰にも言うなよ、と前置きしてから先生は話し出した。
二人が親友になった子供の頃、画家を目指して絵ばかり描いていた学生時代の頃…
そして美大生の頃…
コンクールに出すために描いた先生の会心の傑作が賞を取った。
だけど受賞したのは先生じゃなくて、柳画伯だった。
先生の絵を自分の名前で出展してしまったらしい。
そして、柳画伯はその受賞で、世間に画家として認められ…
『あの時さ。あれだけ画家になりたいと思っていたはずなのに、すっかりやる気なくしちまったのは』
『俺もあいつも親友同士だと思ってたけど、盗作までしてなるほどのものか、って』
『先生は裏切られたのがつらかったんですね』
『多分な。そのあとは見ての通り、しがない美術教師になってしまったということだ』
『絵を描かないのは、まだ画伯のことを恨んでるからですか…?』
『いや…そうじゃない』
もう、そのことでどうこう言うつもりは無いさ、と先生は続けた。
特別授業の日、先生は本心から柳画伯のことを赦したらしい。桔梗先生の前で…。
画伯を赦したんだ…優しい先生らしいな…そう思えて私は少し嬉しかった。
『じゃあ、今はもう絵を描けるんですね』
画家を目指して…そう言う私の台詞を先生は余計に暗い顔で聞いていた。
『どうかな…絵筆を持つことはあるけど、描いてないよ』
それもそうかもしれない。
もし、先生が絵を描いていれば今頃、鳳仙さんが躍り上がって喜んでいるはずだ。
だけど、どうして…
私の表情からそんな思いを読み取ったかのように先生が口を開いた。
『何でなんだろうな。俺にもわからんさ』
『そ、それじゃあ、簡単な絵でも描いてみませんか? そうすれば何か…』
『だったら今までと変わらないんだよ。だからやる必要は無い』
『どうやら、俺は"絵を描く"っていう情熱を無くしちまったみたいだからな』
『そんなっ!?』
『これで、お前の疑問は解決したな? じゃあ、俺は理事長室に行くから』
驚く私をよそに、先生が背を向けて歩き出す。
その背中にすがるように私は声を上げた。
『先生っ!!』
『………………』
立ち止まった背中。でも…いつものように振り返ってくれなかった。
『やっぱり…私は先生に絵を描いてほしいですっ!』
『……うるさいな』
『…………っ!?』
『お前まで…描け描けって言うな』
鬱陶しいんだよ…そう言って先生の姿は校舎の中に消えていった。

降る雪は静かに…本当に静かに校庭に積もっていく。
『私は…ただ先生の絵が見たいだけなのに…』
残された私は音楽が鳴り止むまで、一人で泣いていた。

■ Sketch13. 告白

楽しくもない冬休みが終わって、学園がまた始まる。
いつも通り部活に出たり出なかったりする先生。
たまに出てきてくれても、私には目を合わせてくれなかった。
代替わりした部長職の引継ぎも終わって…私はそろそろ完全に部活を引退する時期になってきていた。

我慢が出来なくなった私は、珍しく最後まで残っていた先生を準備室に引っ張り込んだ。
「何の用だ、竹内。悪いけどお前に構ってる余裕は無いんだ」
あからさまに不機嫌そうな先生の声。
相変わらず私の目を見てくれない。
「いいえ、先生が絵を描いてくれればいいだけです」
「…前にも言ったはずだよな。必要無いって」
「竹内がそんなに頭の悪い学生だとは思ってなかったがな」
「私が聞きたいのはそんなことじゃありませんっ」

いくら言っても上倉先生は首を縦に振らない。
予想してはいたけど…悲しくなってきた。
「どうして描かないんですかっ? 鳳仙さんだって、柳画伯だって先生に絵を描いてほしいって思ってるのに」
「俺は…絵の描き方なんて、とっくの昔に忘れたんだよ。そんな奴の描いた絵であいつらが納得するはずがないだろ」 
「なんでそんな情けないこと言うんですか? 私に絵の本当の描き方を教えてくれたのは先生なんですよ?」
「先生が教えてくれなかったら…私、結局あのまま何も知らずに撫子にいるだけだったんですから」
初めて先生に絵の描き方を教えてもらった日のことは今でもはっきりと覚えてる。
私の震える手をとって、ゆっくりと一本一本画用紙に線をひいていってくれた。
先生が手を差し伸べてくれたから…
「俺が教えなくても、いつか誰かが教えたさ」
「だっ、だったら何であの時私に教えてくれたんですか?」
「先生にとって絵がどうでもいいなら、あの時教える必要なんてなかったはずですよね?」
あくまで食い下がる私に向かって、私の気持ちを裏切るような言葉が返ってきた。
たとえ、他の誰から言われても…上倉先生にだけは言われたくなかったのに。
「…気まぐれだよ」
「………っ!」
「あのときのお前が…すごく寂しそうに見えたんでな。だから気まぐれで適当なことを教えた。それだけだ」
「…先生は……」
「何だよ」
「先生は、私が今まで先生に教わって、それを信じて描いてきた絵も全部適当なものだって言うんですねっ!!」
「……好きに思うがいいさ」
「いいえ、ハッキリしてください。いつものらりくらりとかわされちゃいますけど、今日だけはそうさせませんからっ」
先生に向かって怒声を散らすのももう何回目なんだろう。
でも、この言葉を言っているのは元美術部長の私じゃなくて、先生の一人の教え子の私なんだと思う。
だってそうじゃなかったら、卒業したあと、私と先生の間に何の関係もなくなっちゃうから。
せめて絵のことで繋がっていたい…だから私は必死だった。
「全部、お前の言うとおりだ…って言ったらどうする?」
「本気ですか?」
「ああ」
一番聞きたくない答え。
でも…やっぱり信じられない。
上倉先生の言葉は苦し紛れにしか聞こえないんだもの。
先生の目が私の目を見てないんだから。
だったら、私のやることは一つしかない。
先生が私に嘘を言うのなら、嘘をつけないことをしてもらえば良い。

「分かりました。それならそれで、私にも考えがありますから」
きっぱりと告げた私の顔を先生が訝しげに見ている。
「何だよ、脅迫でもするのか?」
先生の頭には柳画伯のことがよぎったのかもしれない。
でも、上倉先生が脅迫されて絵を描くだなんて最初から思ってない。
先生自身、『誰かに強制された絵は意味無いよ』って言ってたんだから。
それに、無理やり描いた先生の絵なんて私が見たくない。
「先生がこれまで私に教えてくれたものが『適当』なんかじゃないって証明してあげます」
「私には鳳仙さんみたいな才能も腕も無いですけど、先生に教わったことは全部信じてますから」
「だから、先生が少なくとも納得できるような絵を描いてみせます」
「それを見てもまだ『適当なこと』しか教えてないって言うのなら諦めます。でも…」
「でも…なんだ?」
思わず切った言葉に先生が反応を示してくれる。
良かった、少なくとも先生は話を聞いてくれる。
「でも、もし…何か違うものを感じたのなら、もう一度だけ絵を描いてください」
「先生が本当に描きたい絵を一枚だけ、描いてください」
「なんだそりゃ」
呆れた顔で先生が私を見ていた。
「どうして描かなきゃならないんだ。それに、絵を見ると約束したわけじゃない」
「教え子の描いた絵を見て、評価するのは教師の責務ですよ」
先生のことだから素直に"分かった"、と言うはずが無いのは分かっていたこと。
だから私は先生に一番似合っていない『教師の責務』を引っ張り出した。
いつもぐーたらで、不良教師で、駄目人間な先生だけど…
私にとって絵の先生は上倉先生しかいないんだから。
「責務ね…そういや、竹内が撫子に入ってからあまり教師らしいことはしてなかったな」
そんなことは無いです…そう言おうとしたけど…私は先生の顔を見たままでいた。
何か昔のことを思い出すように…先生はじっと目を閉じていた。
どんなことを思い出しているのかな。
私にはいっぱい思い出ありますよ。
先生に怒鳴ったり呆れたり、たまーにちゃんと出てきてくれたり。
それに…三年間で教えてもらったこと、一つだって忘れてませんから。

「いいだろ。のってやるよ、その脅迫に」
「先生…」
目を開けた先生は、すごく優しい微笑を浮かべてくれた。
「ただし、お前の絵に納得したらだからな。ある程度技術があるのは分かってるけど、その程度だったら落第させてやるよ」
「どうやら、竹内は厳しくてマジメな師匠をお望みのようだしな」
「構いません。私には精一杯描くことしか出来ませんから」
「はは…妥協しないのはお前らしいけどな」
「で、いつまでに見せてくれる? 卒業式まで2ヶ月ってところだけど、それまでには見せてくれるんだろう」
「一週間後でいいです」
その代わり学園は休ませていただきますけど、と付け加えた。
実はこれも最初から考えていたことなのだ。
どのみち、三年生はもう自主登校なのだけれど。
それでも先生は目を丸くして驚いていた。
「一週間…って、バカ言うな。プロだってそんなに早く…そもそもお前、部の中じゃ一番時間かけて描くじゃないか」
「言いましたよね、先生。もし先生が納得したら一枚だけ絵を描いてもらいますって」
「ああ。描くとは限らないけどな」
「描いてもらいます。そして、その絵を桜花展に出展させてもらいます」
「はぁっ!?」
「桜花展って…何度もバカなこと言うな。今の俺の絵じゃ出しても恥かくだけだ」
「先生が本気になって描いた絵なら大丈夫ですよ」
「言い切るなよ」
「私はそう信じてますから」
ゲンナリして、呆れたような表情で私の顔を先生が見ている。
でも、これは私の本心。
鳳仙さんみたいな天才でも入選できるか分からない桜花展だけど…それでも私は信じていた。
きっと…賞を取れるって。
だって、先生と柳画伯の話が本当なら、先生の絵は一度世間に認められているってことなんだもの。

「呆れた奴だな。どうしてそこまで俺みたいなボンクラに構おうとするんだ?」
「竹内はもう卒業なんだし、俺の世話を焼く必要がなくなって楽になるだろ?」
そう、私はもう卒業する。この学園からも先生の下からも。
その前に…この想いだけでも伝えておきたかった。
ゆっくりと、私は今まで秘めてきた想いを口にしていく。
「先生は…好きな人がキャンバスの前に座っても無表情だったら放っておけますか?」
「真っ暗な中で一人きりで…他の誰も信じられなくなっていたらどうします?」
「悲しい出来事に押しつぶされそうになって、笑顔を忘れていたら…」
「竹内…?」
「私は好きな人がそんなことになっているのを放ってなんておけません」
「絶対にもう一度、目を覚まさせて立ち直ってもらいます」
「お、おい…お前…」
いつの間にか溢れ出した私の涙。
先生が驚いているのは私が泣いているからなのか。
それとも、私がこれから言おうとしていることが分かっているからなのか。
「先生…私は先生が大好きです。誰よりも先生を…」
あとは言葉が続かなかった。溢れる涙をぬぐうのがやっとで…
「竹内、俺は……」
「返事は今はいりません…ぐすっ…ただ…一週間したら私の絵を見てくれればいいんです」
戸惑う先生の言葉をさえぎって告白を終わりにしてしまう。
やだな…返事、たった今聞きたいってすごく思っているのに…。
「分かったよ…」
納得はしてないんだろうけど、先生は頷いてくれる。
だけど、そのおかげで…涙は止まってくれた。
「一週間か…。それは良いけどあまり無茶するなよ。いくら若いったって…女の子なんだから」
「あら、女子は結構持久力があるんですよ?」
「そうじゃないって…。寝不足で作業するのは良い絵の敵だし…その、なんだ…」
「何です。赤い顔して?」
先生がこんな顔するなんて珍しいな。別にからかったわけでもないのに。
「その…寝不足は美容の敵だから…な」
恥ずかしそうな顔をして、ボソッと先生が言っている。
「ぷっ…ふふっ…」
「笑うなよ…言ってて恥ずかしいんだから」
「くすくす…だってまさか先生がそんなこと言うなんて…思わなくて…ふふっ」
「あのな…俺はまじめに言ってるんだぞ?」
「了解です、上倉先生」
「それじゃあ早速帰って描き始めます。もちろん美容にも気をつけて…睡眠は削りますけどね」
「…俺の言ったこと聞いてないだろ?」
「今まで信用されること言う教師でしたか、か・み・く・ら先生?」
「あー、すまん、俺が悪かった…」
「大丈夫ですよっ! これでも体だけは丈夫なんですから」
「ではまた一週間後に、ここで。約束忘れちゃ駄目ですからね、先生」
「おー、気をつけて帰れよ。早速事故ったら洒落にならん」
「はいっ!!」
(ガチャっ!)
勢いよく扉を閉めて準備室を出た廊下を走る。
先生の照れた顔見てたら、泣いたことなんて忘れちゃうくらい。
エネルギー充填120パーセント、なんて本当にあるんだ。

目指すのは私の家の私の部屋。
実はもうイーゼルとか、道具は全部持っていってある。
あとは…何を描くか決めて描くだけ。
唯一つ、先生への想いを込めて…。

■ Sketch14. キャンバス

『………うーん』
家に帰って半日。私はずっとイーゼルの前で唸っていた。
目の前のキャンバスは真っ白なまま…。
さっき、学園を出るときまでは色々描きたい想いがあったのに…
白いキャンバスを目にした途端に、何もかもぼやけてしまった。
『私の先生への想いってこんなものだったの…?』
そう思うと少し悲しくなってきた。
想いはあるはずなのにイメージが全然浮かんでこなかった。

―――失敗するのを怖がってたら何も描けない

ふと、浮かんだ先生のいつもの言葉。
先生に気に入ってもらえるような絵を描こう、って思ってるから描けないのかな。
私は…先生にまた絵を描いてもらいたい…本当に描きたいと思った絵を先生に描いてほしい。
私の想いはただそれだけ。
じゃあ、先生の心は…?
先生と出会ってからの三年間。
そして、鳳仙さんが来てからの一年間…先生の表情が時々暗くなるのはこの一年だった。

―――できることなら俺の絵で、エリスの心を救ってやれたら…ずっとそう思ってた

あのときの先生の表情は今でもはっきりと覚えてる。
…先生はもう答えを私に教えてくれていたんだ。
絵を描くのはただ一人の少女に喜んでほしいから…。
だけど、今まで先生には絵筆をとるきっかけが無くて…
『よしっ』
絵筆をとって、水をつける。
最初に採る色はもう決まっていた。
…私はゆっくりと白いキャンバスに線を引いていく。
もしできるなら、私の絵で先生にもう一度絵筆をとる勇気をあげたい。
今、私の描ける最高の絵で…。

■ Sketch15. 卒業

『蛍の…光…窓の…雪……♪』
体育館の中を"蛍の光"が流れていた。
あっという間に日が過ぎて、いつの間にか私たち3年生の卒業式の日になっていた。

―――先生…どうして来ないのかな…

教員が座っている席を見ても、上倉先生は見当たらなかった。
私は溜息をつきながら、淡々と進んでいく卒業式を見ていた。

あれから一週間後、私は描きあげた絵を持って美術準備室に入った。
絶対に先生が納得してくれる、なんていう自信は無かったけど…精一杯やって駄目ならしょうがない。
思い切って開けた扉の向こうで、先生が待っていてくれた。
何時なんて決めてなかったから朝っぱらからずっと待たされたよ、って苦笑いしながら。
私は待たせてしまったことを詫びたあと、絵を画布に包んだまま先生に渡した。
ゆっくりと外されていく画布。
先生は驚きと…それからしばらくして、何か納得したような表情をしていた。
『分かったよ』
そう言って、先生はまた絵を画布で包みなおす。
『竹内の望み通り、描くよ。…いや、描かせてもらおう』
『先生…?』
『本当はお前が絵をもってきた時点で何か描くことにはしてたんだ』
『弟子にそこまでやらせといて、駄々こねるのは師匠としては良くないからな』
『でも…お前の絵を見て、そんなこと吹っ飛んじまったよ』
『竹内が何を言いたいのか、よく分かったからさ』
『だから、竹内の言うとおり、描かせてもらうよ。俺が本当に描きたい絵を』
『先生…』
『ただ、ちょっと時間かかりそうだな…。卒業式辺りまで待ってもらってもいいか?』
先生にはブランクもあるのだから時間がかかってもしょうがない。
何より、先生が"絵を描く"と言ってくれたことが嬉しかった。
『はいっ』

『卒業生一同、礼!』
教頭先生のアナウンスで、式次第がぜんぶ終わる。
先生は結局姿を現さなかった。
約束を破る人じゃないと思うけど…。
そんなことを思いながら、クラスメートと分かれて、美術室に向かう。
クラスの最後のHRはさっき終わった。
部の3年生たちとは校門の所で待ち合わせている。
私は三年間過ごした美術室と最後のお別れに向かっていた。
(ガラ…)
軽く扉の音を立てて、美術室に入る。
きれいに掃除したばかりの美術室。ほんの少し絵の具の匂いがする。
色々な思い出があったな…。
そして、その思い出のすべてに上倉先生がいた。
「まったく…最後まで不良教師なんだから」
誰もいない部屋で、本当に最後になってしまった愚痴を呟く。

―――悪かったな、不良教師で

「上倉先生っ!」
扉のほうから聞こえてきた声にあわてて振り返った。
そこには、ずっと探していた上倉先生の姿。
「悪い。夕べまで描いてたら完全に寝坊した」
さっき教頭に叱られたよ、と先生は苦笑いしている。
「ふふっ、慣れない真面目な教師を演じるからですよ♪」
そう、先生はあれからなぜかマジメな美術部顧問をしてくれるようになっていた。
新美術部長が嬉しさで泣きそうになりながら教えてくれたのがすごく印象的で…。
「まぁな…でも、その方がいいと思うだろ?」
「はいっ」
「…っと、忘れてた。竹内の期待してたものを持ってきたよ」
そう言って画布に包まれたキャンバスをいくつか引っ張り出す。
「まずは、これをお前さんに返しとくよ。ありがとな」
先生がそのうちの一つを私に手渡す。
画布をはずすと、先生に渡したあの絵だった。
「題名を付けるとすると『孤独な夕焼け』ってところか?」
私が描いたのは、夕焼けに染まる町で…誰もいない町で一人だけ女の子が淋しそうにこっちを見ている…
何かを求めているような、何かを失くしてしまったかのような…そんな少女の絵。
「まさかこういう絵を描いてくるとは思わなかったっていうのが本音だな」
多分お前の好きな雪景色だろ、って思ったんだけどな…そう呟いてからじっと私の目を見る。
「エリスのこと、なんだろ?」
「…はい」
「よく覚えてたもんだ。保健室でボソッと言っただけなのにな」
「先生に教えてもらったことはぜんぶ覚えてますから」
先生の絵に対する真摯な想い…あの時、絵を描くために一番必要なことを教えてもらったんだと思う。
「そうか…。それで、だ。お前の期待してる絵…になるかどうかは分からないが描いてきたよ」
そう言って、もう一つのキャンバスを私に渡してくれる。
するり、と画布をはずしたそこにあったのは…
「自分を好きだ、って言ってくれた奴に他の女を描いた絵を渡すのも変だけどな」
「いえ……すごく…綺麗で…すばらしいですっ」
「鳳仙さん…ですよね」
「ああ」
描かれていたのは赤いドレスを着た鳳仙さん。
絵を持ったまま私はじっとその絵を見つめていた。そして、不意に涙がこぼれた。

情熱的な赤に彩られた鳳仙さん…
その碧色の瞳はまるで未来を見つめているようで
生きていく意志のようなものが感じられた。

―――ああ、先生はこんなにも鳳仙さんのことが…

「少しは期待に沿えたか?」
「…はい」
しばらくして、先生が声をかけてくれる。
指で涙を拭ってから先生に大きく頷いた。
「そりゃ良かった」
私の返事に嬉しそうに笑ってくれる先生。
だけどその笑顔を見て、私の心はズキン、と痛んだ。
傍らにおいてあった私の鞄を取る。
「……先生」
「ん?」
「これを、お返しします」
「何だこりゃ…って、お前、これは…」
「もう随分借りたままになってましたけど、これで最後ですから」
「………」
渡したのは先生に初めて絵を教えてもらったときのスケッチブック。
…ラベンダー色の表紙をしたそれは、私にとっては一番大事なもの。
「これで、心置きなく、先生の許から卒業できます」
もし先生が私の絵から想いを汲み取ってくれて…鳳仙さんのために絵を描いてくれたら返そうと思っていた。
先生が好きなのは鳳仙さんで、私の三年間の恋もこれで終わり。
「……これで最後、なのか?」
「はい…」
もう先生とは会えないけど、先生の弟子であることには変わりない。
私が絵を描いていれば…またどこかで、先生の絵と出会うことが出来るはず。
それを信じられるから、私は笑って撫子学園を卒業できる。
「竹内は…俺の返事を聞く気は無いのか?」
「返事…?」
「お前の告白の、だよ」
「え…」
それがさっきの絵だったんじゃないの…?
「相変わらずせっかちな奴だよ、お前さんは」
やれやれ、と溜息をつきながら先生が背後に置いてあったキャンバスを引っ張り出す。
そういえば、もうひとつ残ってたんだ…。
「これがあったから時間かかったんだけどな…ほれ」
「……?」
「桜花展には出さない絵だよ」
手渡された物の画布を外す。
「え…っ」
そこに描かれていたのは、撫子の校門の前で卒業証書を持った女の子。
あの絵と同じように桜が舞っている中で、こちらに手を差し伸べるようにして、今にも笑いかけてきそうな…。
一つだけ違うのは、私にもその女の子が誰なのか分かること。
「……私、ですか…?」
「ああ」
そこに描かれていたのは、紛れもなく私だった。
「お前さんへの返事は『俺もだ』といったところかな」
「えと、あの、その…」
「お前が手を差し伸べてくれたから…引っ張ってくれたから、また絵を描こうって気になった。そして、納得する絵を描くことが出来た…」
「それに、お前さんがいなかったら、3年も教師やってたか微妙だったんだ」
「ちょいと皮肉屋だけど…どんなときでもめげないで、俺のそばにいてくれた」
「いつもドタバタしてて、騒がしくて元気で、でもどこか弱くてほっとけなくて…」
「気づいたのはついこの間なんだけどな。そんなお前が好きなんだってことに、さ」
ゆっくりと告げられる先生の私への想い。
早まる鼓動に、私はその言葉を受け止めるのが精一杯だった。
「俺は…これからも教師をやりながら、絵描きを目指してみようと思う」
「そして、出来ればプロの絵描きになったときに…」
「先生?」
不意に途切れた先生の言葉。
見上げた先生の顔は真剣そのもので…
「きゃっ!」
私は、突然先生に抱きしめられた。
全身を包み込むように優しく…だけど力強く…。
「そのとき、竹内にそばにいてほしい」
「先生…それって私への告白だと思っちゃっていいんですか…?」
「ああ」
「本当に?」
「本当だよ」
「嬉しい…です」
私は先生の顔を見上げて、目を閉じた。
重ねられる唇。
抱きしめられた先生の温もり。
いつまでも…こんな幸せな時間が続けばいいと私は心の底から願っていた。

■ Epiloge 陽だまり

あの日から街には二度目の春が訪れていた。
「先生っ」
「…なんだよ、麻巳。あんまりはしゃぐと転ぶぞ」
「おめでとうございますっ♪」
「ああ、ありがとう」
美術館からの帰り道。
組んだ腕の温もりを感じたまま、先生の顔を見上げた。
ぶっきらぼうな言葉とは反対に、先生は少しだけ恥ずかしそうだった。
「やっぱり私の言ったとおりでしたね。今年こそ金賞です、って」
「お前、去年も同じこと言ってたじゃないか」
「去年もそう思ったんです。でも、去年は審査員の人達の目が曇ってたんですよ」
「曇ってたって…桜花展の審査員だぞ?」
「桜花展でも菊花展でも曇ってるものは曇ってるんですっ」
「はぁ…そういう分からず屋な所、昔っから変わらないよ、お前は」
上倉先生は相変わらず撫子学園で美術教師をしている。
でも、私のいた頃と違って、ちゃんと部活も出ているし授業もしっかりしている。
何より…
「去年は佳作、今年は桜花展金賞…次は全日本絵画展ですねっ♪」
先生はついに念願の画家の道へ、第一歩を踏み出すことができた。
「それはどうなるかは知らないけど…」
「はい?」
「お前がそばにいてくれるなら、多分これからも大丈夫だと思うよ」
「…言ってて恥ずかしくないですか?」
「茶化すなって。ほんと、お前はそういう所も変わらないよ」
「うふふ…これが地ですから」
呆れた、とばかりの先生の言葉に私は笑顔で返した。
無理して性格を変えてもしょうがないし、先生の前で猫をかぶる必要なんて無い。
それができるなら撫子にいるときからやってるはずだし。
そんな私を見て、少し疲れたように先生は溜息をついていた。
「…そうか。それでさ、プレゼントがあるんだ」
「え? 今日は私がプレゼントする側のはずですよ?」
賞をとったのは先生なんだからお祝いするのは私のはず。
そんな私の疑問を、先生は軽く首を振って否定する。
「いや、俺がする側。手、出して」
「…はい?」
組んでない側の手を先生の前に出す。
「ほら、これだよ」
コートのポケットから何かを取り出して、私の手の上に乗せる。
乗せられたのは小さな箱。
「………?」
「開けていいよ」
「はい……」
組んでいた腕を一度ほどいて箱を開けてみる。
箱の中にあったのは指輪。
「先生…?」
恐る恐る先生の顔を見上げた。
「もし、桜花展で金賞を取れたら渡そうと思ってたんだ。まぁ…金賞でよかったよ。また一年待たせるのは面倒だしな」
「あの…その…」
「今行ってる大学を卒業したらでいいからさ」
「…………」
「俺と結婚してくれるか?」
「……はいっ!」
がばっと、思いっきり先生に抱きついた。
「大好きですっ!!」

    Fin...


【あとがき】

こんにちは、ブタベストです。
最後は『Canvas』シリーズっぽくベタなエンディングになりましたが、いかがでしたでしょうか。
今回はPS2版発売前、ということで思いっきり好き放題に書かせて頂きましたが、オフィシャルのシナリオがどうなるのか非常に楽しみですね。

さて、いくつかお詫びを。
このお話は本編の設定から若干逸脱したシナリオになっております。
若干というのは…
・本編で上倉浩樹が撫子学園に教師として赴任したのは去年から(このお話では一昨年です)。
・浩樹が額を怪我するのは(Sketch8)、柳の授業よりも後の日付なのですが、今回は順番を変えてます。エリスもかなり重態にしちゃってます。
・柳の授業の日の放課後の日程についてはお話の都合上変えてます。
他にも色々ありますが、ファンに叱られるとしたらこの辺かなぁ、と。
エリスルートをベースにしつつ、なるべく違和感の無いものにしたつもりですが、ご容赦を。

ちなみに、ブタベは基本的に絵描きなのですが、『絵を描くこと』に関しては技術的なことはさっぱり分からないまま書いてますので…その辺は非常に不安だったりします。あー、こんなことならもっと美術の授業マジメに受けておけばよかったなーと思うのですが、もう後の祭り。あの頃は絵を描いていたわけではないので仕方なかったのですが、人生って難しいですね〜。

それではこの辺で。
またどこかでお会いできることを願って、です。

   ブタベスト

追記
 桜の咲く時間は気象条件により、色々変わります。昔、一度だけ自宅の畑に植わっている山桜で確認したときは朝だったのでこんな感じになりました。経験ではソメイヨシノは日中のあったかい時間に花弁が開くことが多いような気がします。撫子学園の桜がソメイヨシノかどうかは分かりませんが。個人的には山桜が好きなのでした。