東京教育大学新聞会OB会

家永訴訟(第一次)訴状全文
The full text of the bill about the official sanction on the textbook of Japanese History by Professor Saburô Ienaga(The 1st,1965)

[解題]

 これは「教育大学新聞」昭和40(1965)年7月25日号(第437号)に掲載された家永訴訟(第一次)の訴状全文を転載したものである。

 第一次訴訟は国家賠償請求の民事訴訟であるが、一審判決は昭和49(1974)年に出され、検定制度を合憲とした上で、一部違法な検定があったとして国に10万円の損害賠償を命じた。

 しかし、昭和61(1986)年の高裁判決、平成5(1993)年の最高裁判決は検定は検閲ではなく合憲として、原告の控訴、上告を棄却した。

 いわゆる家永訴訟には、この他に第二次訴訟、第三次訴訟と呼ばれるものがある。

 昭和42(1967)年に起こされた第二次訴訟は、教科書不合格処分の取消しを要求した行政訴訟であるが、昭和45(1970)年の一審判決(杉本判決)が検定制度を違憲、教育基本法第10条違反、原告勝訴としたため文部省が控訴した。昭和50(1975)年の高裁判決(畔上判決)は一審判決を支持し、文部省の検定は一貫性、安定性を欠く違法処分として控訴を棄却した。しかし、文部省が上告し、昭和57(1982)年、最高裁は二審判決を破棄し、原告側の「訴えの利益」の有無を審査するよう高裁に差し戻す判決をし、平成元(1989)年の高裁差し戻し判決は、学習指導要領の改訂により「訴えの利益」がなくなったとして請求を棄却し、訴訟は終結した。

 第三次訴訟は、昭和57(1982)年度の検定意見を不服として昭和59(1984)年に起こされた国家賠償請求の民事訴訟であるが、平成元(1989)年の一審判決、平成5(1993)年の高裁判決、平成9(1997)年の最高裁判決は、検定制度自体は合憲としたが、いずれも一部検定の行き過ぎ(裁量権の逸脱)を認め、一審は10万円、二審は30万円、最終審は40万円の損害賠償を国に命じた。

 裁判所は検定を違憲と判断するには至らなかったが、この訴訟を通じて検定のでたらめさが暴露され、文部省も検定結果の一部公開、検定手続きの簡略化などの対応策をとらざるをえなくなったという意味で、決して無駄ではなかったと言えるだろう。実に華奢な身体の家永氏が老骨にむち打ってこのような努力をされたことに、敬意をはらわずにはいられない。

 しかしながら、現在でも政府・自民党あるいは各自治体の教育行政当局による教育に対する「不当な支配」は依然としてつづいている。否それどころか、石原都政下の東京都のように学校内の組織形態や、入学式や卒業式のやり方まで細部にわたって一方的に指定してくるほど、一層苛烈かつ愚劣、悪質なものとなってきている。一例をあげれば、長年にわたり学校運営の中枢を担ってきた職員会議の役割を否定し、学校長に全権を掌握させたりしているわけだが、それも建前であって、実際には学校長にすら何の権限も与えず、単なる行政の末端にしてしまっているわけである。つまり、一般の教員に対しては、お前達には何の権限もない、権限があるのは校長である、と言いつつ、校長に対しては、お前にも何の権限もない、権限があるのは我々である、と行政当局は言っているわけで、完全なダブルスタンダードである。聞くところによれば、驚くべきことに、卒業式、入学式のやり方について、教委の指示に従わなかったとして、「辞表を用意しているだろうな」などと学校長を脅迫している例もあるという。このようなことで学校が成り立つとも思えないが、まさに学校教育そのものの根底からの破壊、否定ともいうべき事態が進行しているわけである。そのような現在においてこそ、教育に対する「不当な支配」の排除を訴えるこの家永氏の訴状は、大いに熟読する価値があるであろう。

 近頃、政府・自民党はしきりに「教育基本法」の見直しを叫んでいるが、これは単に法律が古くなった、新しい時代に適合しない、というようなところから来ているものではなく、最近著しくなっている教育に対する「不当な支配」の合理化、徹底をはかるという政治目的が隠されていると考えられる。要するに裁判所によって違法とされかねない自分たちの行為を、そうなる前に合法化しておきたいのであろう。行政が自分の都合で立法を左右するようでは民主主義もなにもあったものではないわけだが、一番の狙いはつぎの第10条を改廃することにあるのであろう。困ったことである。

「教育基本法 第10条(教育行政)(1)教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。
(2)教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。」

(追記)2006年12月15日、臨時国会において改正(=改悪)教育基本法が成立し、これにより学校教育に対する行政の「不当な支配」が合法化された。

訃報・家永三郎氏は2002年11月29日89歳で永眠されました。謹んで哀悼の意を表します。




[本文]

訴状

 

東京都練馬区東大泉九〇三       
            原告  家永 三郎
同都千代田区麹町一の四竹工堂ビル内  
     右訴訟代理人 弁護士 森川 金寿
同都新宿区柏木一の三三四新銘ビル内  
            同   戸田  謙
同都港区芝西久保桜川町二二白鳥ビル内 
            同   芦田 浩志
同所                 
            同   岩村 滝夫
同都文京区向丘弥生町三〇の二九    
            同   鹿野 琢見
同都練馬区中村北町三の七七五     
            同   重松  蕃
同都港区芝琴平町三〇土橋ビル内    
            同   柳沼 八郎
同都世田谷区世田谷四の六四三     
            同   尾山  宏
同都港区芝西久保桜川町二二白鳥ビル内 
            同   新井  章
同都千代田区麹町一の四竹工堂ビル   
    海野法律事務所内       
            同   今永 傳彬
同都同区霞ヶ関一の一         
   被告    国         
   右代表者 法務大臣 石井光次郎



損害賠償請求事件

      訴訟物の価格 金一〇〇万円

      貼用印紙額 金六、三〇〇円



請求の趣旨

被告は、原告に対し金百万円及び本訴状送達の翌日から右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払えとの判決及び仮執行の宣言を求める。

 

請求の原因

第一 当事者の地位

 原告は昭和一二年東京帝国大学文学部を卒業し、爾来、日本史の研究に従事し、昭和一六年以降新潟高等学校教授、昭和一九年以降東京高等師範学校教授を歴任し、昭和二四年学制改革に伴い、以後今日まで東京教育大学教授として将来教員となるべき人々の歴史教育に当ってきたものである。その間昭和二三年には上代倭絵全史の著述により日本学士院恩賜賞を受賞し、昭和二五年には論文「主として文献資料による上代倭絵の文化史的研究」により文学博士の学位を得た。著書には、日本近代思想史、植木枝盛研究、司法権独立の歴史的考察、歴史と教育、歴史と現代など日本史及び歴史教育に関するもの約三〇冊がある。また原告は昭和二一年に戦後最初の国定の日本史教科書が編纂されるに当って文部省の編纂委員に任命され、「くにのあゆみ」の編纂に従事し、昭和二七年以降は、三省堂発行の高等学校用検定教科書新日本史を執筆・改訂を行い、高等学校における歴史教育にも尽力してきたものである。

 被告国は、教育行政を所管する行政機関として文部大臣を置き、文部大臣は、国の教育行政を分担管理する主任の大臣として(国家行政組織法第五条)文部省の所管事務(文部省設置法第五条参照)を統括し、職員の服務についてこれを統督する地位にあり(国家行政組織法第一〇条)主任の行政事務について、法律若しくは政令を施行するため、又は法律若しくは政令の特別の委任に基いて、文部省令を発する権限を有し(同法第一二条第一項及び第四項)、右の一般的権限のほか、学校教育法その他により、教科用図書の検定等の権限を有するものである(学校教育法第二一条、第四〇条、第五一条等)。

  第二 本件の概要

 昭和三五年、高等学校学習指導要領が全面的に改訂となり、教科書改訂の必要が生じたので、原告はその執筆にかかる高等学校第三学年用日本史教科書「新日本史」五訂版原稿につき、昭和三七年八月一三日出版者たる三省堂を通して検定申請を行ったところ、文部大臣は、翌三八年四月にいたり不合格処分を決定し、同月一二日文部省に出頭した原告および三省堂担当社員等に対し、初等中等教育局教科書課教科書調査官渡辺実、同村尾次郎、同貫達人の三名を介して、初等中等教育局長福田繁作成名義の同月一一日付不合格決定通知書を交付し、不合格の理由を告知した。不合格の実質的な理由は、後に詳述するように憲法、教育基本法はもとより右文部大臣自身が定めた学習指導要領にすら反するものであったが、このため、右「新日本史」の昭和三九年度の出版は不可能となった。

 その後原告は、前記原稿に若干の修正を加えて、同三八年九月三〇日再び検定申請の手続をとったところ、文部大臣は、同三九年三月にいたってようやく条件付合格の決定をなし、同月一九日文部省に出頭した原告および三省堂担当社員等に対して、初等中等教育局審議官妹尾茂喜等同席の上、前記教科書調査官渡辺実を介して、条件付合格となった旨を伝達し、本文二八〇頁、史料二二頁の白表紙本につき約三百項目に及ぶ合格条件を示して修正を要求せしめ、さらに三省堂担当社員に対しては同年三月三一日および同年四月二〇日の二回にわたり重ねて修正要求をなさしめた。

 しかし、右修正要求に応じなければ、不合格となることが明白であり、このため「新日本史」の出版が不可能となって、同書が全く姿を消してしまうことは原告としても忍びがたいところであり、企業体としての三省堂も多大の損失を蒙ることが明白であるので、三省堂及び原告は、不本意ながらも若干の修正を余儀なくされた。しかしながらこの修正要求は、後述の如く、いづれも違法なものであってこれにより原告は記述の自由を著しく制約されたものである。

  第三 被告の不法行為とその違憲・違法性(本件検定の違法性)

一、本件をめぐる全般的事情(教科書検定制度の実態とその問題性)

(一)教科書検定制度の問題性

 学校教育法第二一条、第四〇条、第五一条が定める教科書検定制度は、義務教育、普通教育において使用される教科書の適正化を図るという、一見もっともな趣旨のもとに行われているが、しかし歴史的にみるならば、この制度は必らずしも、純粋に教育的目的のために運用されたものではない。却ってそれは、実際には、教育内容を権力的に統制するというきわめて危険な目的のためにしばしば利用されてきた。また諸外国では、わが国のような、教科書に対する中央官庁の事前審査の制度は必らずしも採用されていない。したがって教科書が義務教育乃至普通教育で使用される主たる教材という性格をもつからといって、それだけで直ちにこれに対する国家の関与、とくに中央官庁の事前審査を当然視しあるいは必要視することは誤まりであり、危険なことでもある。

(二)歴史的にみたわが国教育行政の問題性

 戦前のわが国教育政策は、基本的には学校教育による国民の思想統制を目ざすものであり、教科書制度もまたこの目的のための最も有効な手段として利用されてきた。

 このことは、わが国における教科書検定制度あるいは教科書国定制度の発足の由来をみれば、きわめて明瞭である。

 すなわち、明治の初頭においては、政府は、国民に海外の新知識新思想を吸収させることに熱心で国民の思想を統制すべき政治的必要性を意識していなかった。このため、教科書も、自由に発行し、自由に使用することが認められていた。このため、諸外国の近代民主主義思想が、きわめて自由にわが国学校教育の内容にとり入れられることとなった。

 このような事情が急変したのは明治一〇年代に入って、自由民権運動が全国的に展開されるに至ってからのことである。すなわち、自由民権運動の全国的な高揚におどろいた政府は、これにきびしい弾圧を加えるとともに、明治一三年、通牒によって箕作麟祥訳「勧善訓蒙」、福沢諭吉著「通俗国家論」、「通俗民権論」、加藤弘之著「国体新論」等、近代民主主義思想を紹介した書物の大部分を、小学校教科書として妥当でない、小学校で教えるべき性質のものではない、という理由で使用禁止とし、自由民権思想の抑圧に努めた。翌一四年には、小学校教則綱領が定められ、そこに示された各教科の教授要旨によって、各教科の教育内容が規制されることとなった。同時に、教科書についても認可制がとられ、教科書の内容が右の教授要旨に適合するよう要求されるようになった。教科書検定の制度は、こうした経緯を経て、明治一九年の小学校令の制定によって確立されたものである。

 当時の政府は、右のように自由民権運動を弾圧するばかりでなくさらに絶対主義的天皇制の確立を図る必要に迫られていたので、この目的のために、政府は、旧来の儒教思想を復活強化し、儒教道徳を利用しながら、天皇中心の国民意識を形成することを図った。明治二三年には、この目的のために教育勅語が発布され、以後これがわが国教育の至上の原理とされるに至った。

 こうして、教科書もまた、当然に天皇制イデオロギーを国民に徹底させるための手段と目されるようになり、明治二〇年代の終り頃から三〇年代にかけて、右のような観点から検定教科書の不充分さが指摘され、教科書の国定化を要望する声が支配層のなかから強く打出されるようになった。たとえば、日清戦争直後である明治二九年には、貴族院が、「小学校修身科ノ教育タルヤ国家ニ至大ノ関係ヲ有スルモノナルニ因リ、其ノ教育ヲ施スニ必要ナル教科用図書ハ国費ヲ以テ完全ナルモノヲ編纂シ、其ノ教育ニ欠点ナキヲ期セザルベカラズ」という建議を行い、明治三二年の衆議院における建議案においても、「徳育ノ要ハ善良ナル修身教科書ヲ編纂シ全国ノ就学児童ノ徳行ヲ同撥ノ下ニ教養シ忠君愛国ノ精神ヲ啓発シ以テ国家ノ文明ヲ進メ富強ヲ致スニ在リ。現今各小学校往々修身教科書ヲ異ニシ授業ノ方針亦区々ニ渉ルノ弊アリ。是レ実ニ徳育帰一ノ本旨ニ非ズ」と主張された。

 このような動きにのって、政府は、明治三六年、修身・国史・地理・国語の教科書を国定とした。国定化された教科が、修身・国史・地理・国語であったこと、とりわけ修身教科書の国定化が早くから強く主張されてきたことは、国定制度の意図がどのようなものであるかを如実に物語っている。そして、国定制度が、その後の教育内容の極端な国家主義化・軍国主義化に役立ったことは周知のとおりである。また、それによって、歴史的真実がいかにいんぺいされ歪曲されたかも、われわれの記憶に新らしいところである。

 戦後になって、戦前の教育制度に対する反省にもとづいて、教育制度の民主化が図られ、教科書についても国定制度が廃止されたが、検定制度が排除されるまでには至らなかった。しかし戦後の検定制度は、戦前のそれと異なり、ある程度民主化されたものとなった。たとえば、教科書に対する中央政府の統制を廃除する趣旨で、検定権限は都道府県教育委員会におかれることとなった(旧教育委員会法五〇条。但し、戦後の物資不足という特殊事情に対処するために、用紙割当制が廃止されるまでは、暫定的に文部大臣が検定を行うこととされた。同法八六条)。また戦後の学習指導要領は、戦前の教授要目のように、教育内容を画一的に拘束するものではなく、むしろ教師によい示唆を与えて、その創意工夫を助長する性格のものにかわった。したがって、検定においても、教科書編著者の創意工夫が尊重され、教科書の内容に詳細に立入ってこれを規制することはなかった。

 ところが、その後、極東のスイスから反共防波堤への占領政策の転換や、このためのわが国の再軍備政策その他の違憲政策の推進に伴い、教科書に対する中央官庁の介入は再び強められ、検定制度は再び右のような政治的観点からする思想検閲としての色彩を強くもつようになった。

 昭和二八年には、学校教育法・教育委員会法の一部が改正され、用紙割当制廃止後も教科書検定は恒久的に文部大臣が行うものとされた。

 昭和三〇年八月には、日本民主党が、「うれうべき教科書」と題するパンフレットを公刊して、宮原誠一(東京大学教育学部教授)、宗像誠也(東大教育学部教授)、周郷博(お茶の水女子大学教育学部教授)、日高六郎(東京大学文学部教授)、長田新(広島大学教育学部教授)などわが国有数の学者の定評のある社会科教科書を「偏向」した「赤い教科書」であると非難し、その直後の同年九月には、文部省は検定を「厳重にする」ことを理由に、検定審議会委員のいれかえを行った。そして、実際にも、この時以降、「偏向」というレッテルをはられて不合格になる教科書が多くなった。

 昭和三一年には、文部大臣の検定権・検定基準立法権を恒久化するとともに「検定に合格する見込みがないと認められる図書」に対する検定の門前払い、教科書出版業者の登録拒否、その事業場への立入検査などの権限を文部大臣に与えること等を内容とする教科書法案が国会に提出された。同法案は、教育の国家統制を図るものとして、学者・教員その他の世論の強い批判を浴びて、廃案となったが、文部省はそれにもかかわらず、同法案の重要な内容をなしていた教科書調査官制度を同年秋から発足させ、従来からあった教科書調査員(非常勤)に加えて、常勤の文部省職員を調査官として、教科書の内容審査に当らせることとし、検定強化の態勢をととのえた。

 次で、昭和三三年には学校教育法一部改正によって学習指導要領に法的拘束力が賦与され、同年の小・中学校学習指導要領の改訂、昭和三五年の高等学校学習指導要領の改訂などの事情と相まって、検定は年を逐うごとに強化され、歴史、政治、経済、社会機構に関する記述は、いちじるしく制約されるようになった。このため上原専禄、宗像誠也、長洲一二、日高六郎などのわが国有数の専門学者が教科書の執筆を断念し、あるいは編著者からパージされるという事態まで生じている。

 以上によって、教科書検定制度は、教育内容の統制、ひいては国民の思想統制という政治的意図に実際に利用されてきたし、あるいは、教科書の内容に対する思想審査にわたる危険性を常に内包する制度であることが明白である。

(三)「新日本史」に対する従来の検定の経緯とその実態

 原告は、昭和二二年四月に一般市販図書として「新日本史」を公刊し、同二四年三月には改訂版を発行していたが、訴外株式会社三省堂(以下三省堂という)から高等学校用日本史教科書の執筆を依頼され、右「新日本史」を台本にして、戦後の歴史学界における研究の成果と原告自身の研究の結果とに基き全面的に改訂増補を加えて右教科書の原稿を完成し、同二七年春検定の申請手続をとったところ、一旦は不合格となった。その理由としては、大逆事件の記述のあることが好ましくないこと、日露戦争が国民によって支持された戦争であることを明らかにしていないことなどが示されていたが、原告が右不合格原稿に何らの訂正を加えずに再申請したところ合格し、「新日本史」として昭和二八年度から教科書として用いられた。

 その後、三省堂の依頼により右「新日本史」初版に全面的な添削を加え、同三〇年あらためて改訂原稿の検定申請をしたところ、二一六項にわたって修正することを条件として合格となり、その後二回にわたって修正を要求されたが、修正に応じうる点は修正し、承服できない点については修正を拒否した。その例をあげると次のとおりである。

(1)「この二院(貴族院と枢密院)は後々まで貴族・官僚の根城として民主主義の発達をくい止める役目をつとめたのである」という記述について、「妥当でない。これがあったために政府の横暴を防いだのではないか」という削除要求を受けたが拒否した。

(2)「しかし、こうした一連の政策(アメリカへの全面協力、破防法制定、再軍備促進、アメリカとの軍事協力)は必ずしも国民のすべてによって支持されてきたのではない」という記述について、全面的な削除を求められたが、拒否した。

(3)「日本軍は北京・南京・漢口・広東などを次々と占領し、中国全土に戦線を広げた」という記述について、『中国全土に戦線が広がった』と訂正せよ」と要求されたが、これを拒否した。

 このように、抵抗してようやく検定に合格し、昭和三一年から「新日本史」再訂版が発行された。

 昭和三〇年の高等学校社会科学習指導要領の改訂にともなって、「新日本史」三訂版の検定申請を、同三一年一一月、同三二年五月の再度にわたって行い、同三〇年度と同様の過程を経てようやく合格し、同三四年から三訂版が、また同三七年から四訂版が発行された。

(四)諸外国の教科書制度

 わが国のように検定制度をとっている国はアメリカの一部の州、スエーデン、西ドイツ、タイ、台湾などであまり多くはない。しかもたとえば西ドイツでは、検定はすべて州の文部省が行ない、連邦国家はなんら関与していないといった風に、必ずしも中央官庁の検定ではないのである。

 ノールウエー、ベルギー、アメリカの一部では、認定制度をとっている。認定制度は、わが国の明治の検定以前の状態で、民間で自由に著作し発行したものを公共機関で審査し認可するというものである。

 また、イギリス、フランス、イタリア、オランダ、デンマーク、アメリカの一部では、ほとんど自由発行、自由採択にまかされている。フランスの場合は、認定制度がとられているが、しかし、認定には、各県の大学区視学官を議長として、じっさいの教育者が当っており、国家の支配は全くうけていない。とくにイギリス、オランダ、イタリアは、完全な自由発行、自由採択の制度がとられている。

 以上の諸外国の教科諸政策を通じてみても普通教育で使用されるものだというだけで、教科書に対する中央官庁の事前審査が自明のこととされているわけではけっしてないのである。

 
二、教科書検定制度のしくみ


 本件昭和三八年以降の教科書検定については、概ね次のごとき法的しくみとなっている。すなわち、

(一)検定制度の大綱について

 「高等学校においては、文部大臣の検定を経た教科用図書・・・を使用しなければならない」(学校教育法第五一条、第二一条第一項)とあるのをうけて、文部省令で「教科用図書検定規則」(昭和二三年四月三〇日同省令第四号)が定められ、「(教科用)図書の著作者又は発行者は、その図書の検定を文部大臣に申請することができる」(同規則第三条)、「図書の検定は、原稿審査、校正刷審査及び見本審査の三段階を経て完了する」(第四条)こととされている。

 因に制定当初の学校教育法第二一条第一項、第一〇六条、旧教育委員会法五〇条等では公立学校における教科書の検定権を都道府県教委におくことを建前とし、当時の物資不足の状況下で用紙割当制が存在する「当分の間」だけ検定権をもつ「監督庁」を文部大臣としていたが(旧教育委員会法)、昭和二八年八月の同法改正により右記のごとく文部大臣の検定権が恒久化されたものである。

(二)検定の基準について

 検定の基準については、右検定規則第一条第二項が、「教科用図書の検定は、その図書が教育基本法及び学校教育法の趣旨に合し、教科用に適することを認めるものとする」とあるのをうけて、文部省初等中等教育局が文部省設置法第八条第一三号の二に基き定めた「教科用図書検定基準」(昭和三三年十二月十二日文部大臣告示第八六号)が、各教科に共通する検定合格の「絶対条件」と各科ごとの「必要条件」について詳細な定めを設けている。

 因に、昭和二四年当時の「検定基準」では絶対条件として

1 わが国の教育の目的と一致しているか。

 教育基本法及び学校教育法の目的と一致し、これに反するものはないか。たとえば、平和の精神、真理と正義の尊重、個人の価値の尊重、勤労と責任の重視、自主的精神の養成などの教育目的と一致し、これに反するものはないか。

2 立場は公正であるか。

 政治や宗教について、特定の政党や特定の宗派にかたよった思想、題材をとり、又これによって、その主義や信条を宣伝したり、あるいは非難しているところはないか。

3 それぞれの教科の指導目標と一致しているか。

という三項目が挙げられていたが、その後数次の改訂をへて昭和三三年の前記「検定基準」では、

1 (教育の目的との一致)教育基本法に定める教育の目的および方針などに一致しており、これらに反するものはないか。また、学校教育法に定める当該学校の目的と一致しており、これに反するものはないか。

2 (教科の目標との一致)学習指導要領に定める当該教科の目標と一致しており、これに反するものはないか。

3 (立場の公正)・・・前掲に同じ・・・

と改められており、各第一項を比較すれば改訂の意図するところが自から明らかである。

(三)検定の手続について

 本件当時の検定の手続については、まず著作者又は発行者から教科用図書の原稿が提出されると、文部大臣はこれを前記審議会に諮問し、文部省教科書調査官の調査に付するとともに、審議会の調査員に送付してその調査に当らせる(審議会は文部省設置法第二七条及びこれをうけて昭和二五年五月に制定された教科用図書検定調査審議会令にもとづき設置されたもので、その委員八〇名は「教育職員及び政治、教育、学術、文化、経済、労働等の各界における学識経験のある者のうちから、文部大臣が任命」したものであるが、その実際の顔ぶれをみるとその人選が果して公正に行なわれたかについては問題が多いといわれている。調査官は、右設置法施行規則第五条の二にもとづき、「上司の命を受け、検定申請のあった教科用図書・・・の調査に当る」(第二項)ことを職責として、初等中等局教科書課に置かれたもので(第一項)、その数は四〇名であり各教科を分担している。調査員は、「学識経験のある者のうちから審議会の意見を聞いて、文部大臣が任命」した者で(審議会令)、実際には学識経験者及び全国の小・中・高校教員から選ばれた者よりなり総数約六〇〇名に上る)。三者は並行して原稿審査にあたり、調査官は原稿ごとに二名以上、調査員は三名で調査を行なうが、調査が一応終ると(もっとも調査員の調査にはふつう三週間程度の余裕しか与えられていない)、審議会は教科別の部会を開き、調査官と三名の調査員がそれぞれ作成した計四通の調査意見書及び評定を参考として審議を行ない、合否を決定する。

 その結果、不合格と決定したものについてはその理由を、合格と決定したものについては、修正の条件があれば、それに関する意見(A意見とB意見とがあり、文部当局の説明によれば、前者はそれに応じなければ検定に合格しないという強い性格のものであり、後者は単なる希望意見であるとされている。実際には、必らずしもそのように運用されていない)を付して、審議会は文部大臣に答申を行い、これをうけて文部大臣(文部省初等中等局教科書課)はほとんどそのまま合否を決定し、申請者に決定の内容及びA・B意見を通知する。不合格処分を行なうに当って出版者・編集者の意見を事前に聴取する等の手続は全く設けられていない。

 以上が原稿審査の段階であって、これに合格した申請者は、示された修正意見にもとづいて原稿に修正を加え、右教科書課における修正の可否の検査を受け(校正刷審査)これをパスすると表紙奥付等をつけて完全な体裁をととのえた見本本につき造本技術的な審査を受け(見本本審査)、これを通って、はじめて検定合格を与えられることとなるわけである。

 因に教科書調査官は昭和三一年一一月文部省設置法施行規則(同省令)の一部改正により新設されたもので、同年の第二四国会にこの制度をもりこんで提案された教科書法案が地方教育行政組織法案の強行可決をめぐる混乱で廃案となったため、不当にも省令改正という行政措置によって実現されたものである。この時以降、それまで教育専門家や現場教員によって行われてきた教科書検定に、行政官僚が、直接関与することになった。

三、教科書検定制度の違法性


 教科書の著述・編集・刊行は、いうまでもなく憲法上の言論・出版の自由の保障をうけるべきものであるが、現在実施されている教科書検定制度は、前述の如き検定基準及びその運営の実態から伺えるように、教科書の内容に対する思想審査を行い、その如何によって教科書としての発行と学校における使用とを禁止するもの(学校教育法第二一条、第四〇条、第五一条)であって、明らかに、憲法第二一条第二項の禁止する検閲に該当するものである。

 言論・出版の自由を始めとしてすべて国民の基本的人権は公共の福祉による制約をまぬがれないものと一般に考えられているが、憲法第二一条第二項が、同条第一項の言論、表現の自由の保障に加えて、とくに検閲禁止を定めたのは、言論・表現の自由にあっては、国家権力による事前抑制から自由であることが、その性質上とくに強く、要請させるからにほかならない。したがって、言論・表現の自由に対する事前抑制は、公共の福祉を理由としても原則として許されないものといわなければならない。のみならず検定制度の必要な所以としてあげられている、普通教育の特質にもとづく小・中・高校教育の画一化の要請なるものはむしろ憲法、教育基本法が定める教育の民主的諸原則に反するものである。 すなわち、現行憲法は、国民に思想・信条・言論・表現・学問等の諸自由を保障し、これによって国民は、国家権力によって介入や制約をうけることなく、自由に学問研究の成果を享受し、さまざまな思想や意見にふれ、政治的・社会的現実や歴史的真実を出版物・新聞・ラジオ・テレビその他を通じて、知り、聞き、読む機会を保障されているのである。それがわが国の憲法秩序である。

 したがって、わが国の教育制度は基本的にこの憲法秩序に適合するものでなければならないし、現に、教育基本法、とくにその前文、第一条、第二条及び第一〇条は憲法の右の要請に応えて教育法制の基本原理を定めている。ことに教育基本法第一〇条は、戦前のわが国教育制度が、教育を通じて国民の思想統制を図りこの目的のために教育を画一化し、教育を歪曲したことに対する反省にもとづいて教育を権力的に統制し画一化することを教育に対する、「不当な支配」として禁止し(第一項)、教育行政が教育の内容に権力的に介入することなく、その外的諸条件の整備に当るよう、その任務と限界とを定めている。もっとも、今日の小・中学校教育は義務教育として行われるものであり、高等学校も普通教育の一環として行われるものである以上、その教育内容について国や地方公共団体が何等の関与をなしえないということはできないであろう。しかし国や地方公共団体の教育内容に対する関与は、憲法・教育基本法の右の如き要請からして、真に必要とされるごく大綱的な基準の設定に止まるべきで(兼子仁・教育法一五一~二頁、昭39・3・16福岡地裁小倉支部判決、昭39・4・27福岡高裁判決同旨)、それ以外は、非権力的な指導助言の作用によるべきである。現在のわが国教育法規が、指導助言という非権力的作用をふんだんにとり入れているのも(文部省設置法第五条一八、一九、二〇、二二号、地方教育行政の組織及び運営に関する法律第一九条第三、第四項等参照)、この趣旨にもとづくものにほかならず、この作用こそは、人間の内面的人格思想、形成を目的とし、高度の専門性を有する教育という作用にもっとも、ふさわしい方法なのである。

 以上の如き戦後のわが国の民主的な教育思想及び教育法制の基本原則からすれば、教育内容の非画一化(権力による画一化の排斥)こそは、教育的価値として積極的に擁護され、尊重されなければならないものである。このような観点からいえば、教科書の内容について事前審査を行い、あるいはごく大綱的な基準の範囲をこえて教育内容の画一化を図るために検定を行うことは、教育法制を貫く基本原理に反するものであり、教科書の自由発行制度こそが、もっともよくこれに適合した制度であるということができるのである。

 現在のわが国検定制度及びその実際の運用は、前述したところで明らかなように、一定の政治的イデオロギーにもとづいて、今日のわが国における各分野の学問研究の成果を自由に教科書にもりこむことを妨げ、学問上の真理や定説をゆがめ、歴史的・政治的・社会的現実を隠ぺいし、子ども(国民)が学校教育を通じて、これらのものを学びとる機会を奪おうとしている。

 あるいは、子どもの思想と知識とは、調査官等のきわめて恣意的な判断によって枠がはめられ、歪められている。

 また、調査官等のきわめて恣意的な判断による教科書内容の歪曲の弊害も無視しえないものであり、しかもそれは社会科だけではなく、数学、物理、英語などの学習の全領域にわたってあらわれている。このような検定制度は到底是認することができない。

 また、調査官等のきわめて恣意的な判断によって、教科書執筆者の記述の自由や創意、工夫が制約され、教科書の内容が歪められ、正しい知識を学びとるべき子どもの学習の権利が損われている。しかもこの弊害は社会科だけではなく、数学、物理、英語などの学習の全領域にわたって現われている。

 このような検定制度は、憲法第二一条、教育基本法第一〇条に違反するばかりでなく、わが国憲法の基本的な精神、憲法秩序の全体に反するものといわなければならない。

四、検定の基準及び手続の違法性


 仮に、何等かの形態の検定制度が必要であるとしても、乱用されることのないように、明確な限界が付され、このための制度的、手続的保障が設けられていなければならない。検定制度が前述の如き危険性を内包し、現に弊害を生みだしていることに鑑みれば、このことは当然であろう。

 このような検定制度に対する限界づけの要請は、第一に検定制度が言論、出版の自由にかかわりをもつことにもとづくものである。すなわち、検定制度は、検定が表現の自由をいたずらに侵すことのないように、確実な制度的、手続的保障を備えていなければならない。そうでなければ、その検定制度は憲法第二一条のみならず憲法第一三条第三一条にも反することになろう。蓋し、憲法第一三条、第三一条の規定は、憲法第二一条等の権利自由の保障条項と相俟って言論、出版の自由を始めとする国民の権利、自由が実体的にも、手続的にも保障されるべきことを要請する趣旨のものであるからである(昭38・9・18東京地裁判決タクシー業免許申請却下事件昭38・12・25東京地裁判決乗合バス事業免許申請事件同旨)。第二に検定制度は、教育行政が教育内容を権力的に統制し画一化してはならないとする教育基本法第一〇条の観点から、明確な限界を画せられなければならない。この意味で検定制度は、大綱的基準の設定という、教育行政の基本的限界内にとどまるものでなければならずそのための制度的、手続的保障を具備していなければならない。

 以下、右の二つの観点から、現行検定制度の違法性を指摘したい。

(1)検定基準は、一面ではきわめて包括的な基準を含むと同時に、他面ではきわめて詳細な基準を含んでおり、且つ例えば「特定の政党や特定の宗派にかたよった題材をとり、またこれによってその主義や信条を宣伝したり、あるいは非難したりしているようなところはないか」(絶対条件3)というように、その文言はきわめて抽象的、曖昧で、みる人の主観(世界観・主義・信条・教育観)によってどのようにもかわりうるようなものとなっている。このため現行基準によれば、教科書の内容に全面的に且つ詳細に立入って審査することができ、しかも調査官等の恣意的判断を防止することはきわめて困難である。

(2)検定基準の一つとして、学習指導要領があげられているが、学習指導要領は、教育内容につき相当詳細に規制したものであって、明らかに大綱的基準の範囲を逸脱しているので、これに法的拘束力を認めることはできない(兼子仁・教育法一七七~八頁、昭39・3・16福岡地裁小倉支部判決、昭39・4・29福岡高裁判決同旨)。それは指導助言以上の性格をもちうるものではない。そうだとすれば、学習指導要領を検定基準の一つとして、教科書の内容がこれに適合するように要求し、これに反すると認める場合には修正削除を指示し、あるいは不合格処分を行うことは、許されないものといわねばならない。

(3)また、教育基本法に適合しているか、内容の選択程度が適正であるか、内容が正確であるか等の基準についていえば、これらの事項は、いわば教育的・学問的な判断乃至裁量にまつべきものであり、また、教科書執筆者の歴史観・学説・見解・教育観などによって判断がわかれることがありうるものであるから、行政権が、その判断をいわば一義的に行うことは適当ではない。たとえばいくつかの学説がある場合に、文部大臣・検定審議会・調査官が、適正・正確と判断するもの以外を排除し、あるいは、学問上真理とされている説や事実を文部大臣等がそれとは別の判断見解にもとづいて、排斥することは妥当でない。少くとも、これらの事項について、行政機関の自由な裁量を認めるべきではない。行政機関による審査はむしろ、明白な誤記・誤植・色刷の不鮮明、学問的にも確定されている事実や法則に明白に反する記述等、明白で異論の余地ない欠陥の是正のみを目的とすべきで、たとえばいくつかの学説・史観等のいずれが正しいか、どのような内容の選択や事実の評価がもっともよく憲法の平和主義・民主主義の精神に適合するか、どの程度のものが、もっともよく当該年度の生徒の発達段階に適合するか等の事項は、学問的討議、学問研究自体の発展、執筆者の創意や、配慮、教科書採択(選択)の際の教師の教育的配慮(裁量)にもとづく判断、さらには教師の教育研究などにまつべきものである。

(4)教科書検定は、検定審議会の答申にもとづいて行われることとなっているが、その委員は文部大臣が自由に任命することができ、その人選が公正に行われるべき保障は存しない。また、右審議会の審議・合否の決定に先立って調査員・調査官の審査が行われるが、調査員に至っては、その氏名さえも秘匿され、これらの者の調査意見書、評定結果や右審議会の審査は、すべて非公開であって、すべてが秘密裡に行われる建前となっている。不合格とされた場合も、その理由は、二行程度のきわめて簡単で抽象的なものしか示されない。修正削除の個所やその理由(条件付合格処分の場合の条件)も調査官が口頭で伝えるのみで、文書によってはいない。合否が決定される前に、出版者や編集者の意見を述べる機会は保障されておらず、不当な修正削除の指示・要求に対し不服を申立てるための救済制度が保障されていない。検定が公正に行われるための制度的・手続保障は皆無といってよい。

 
五、検定基準違反


 本件における不合格決定の理由および条件付合格の修正要求の内容は、憲法・教育基本法はもとより文部省自身の定めた検定基準にすら反している。すなわち、文部省の定めた教科用図書検定基準(昭和三三年一二月一二日文部省告示第八六号)には、絶対条件として教育基本法・学校教育法および学習指導要領等をあげているが、次に例示するとおり、本件における不合格の理由および条件付合格の修正要求の内容は、文部省の作成した学習指導要領にすら相反するものである。

(1)白表紙本三二頁脚注に、「『古事記』も『日本書紀』も『神代』の物語から始まっている。『神代』の物語はもちろんのこと、神武天皇以後数世代の間の記事に至るまで、すべて皇室が日本を統治するいわれを正当化するために構想された物語であるが、その中には民間で語り伝えられた神話・伝説なども織りこまれており、古代の思想・芸術などを今日に伝える貴重な史料である」という記述があるに対し、右傍線部分につき、強要されて削除を余儀なくされた。この命題は、津田左右吉博士の著名な研究によって明確に立証されており、今日日本史を専攻するほとんどすべての学者が肯定しているところであり、かつ、右脚注の本文は、「七一二年(和銅五年)には『古事記』が、七二〇年(養老四年)には『日本書紀』が完成した。このような歴史書の編纂が行われたのも、律令政府の政治的自覚の高まりを示すものであろう。また、このころ、諸国に命じて地誌・伝説を集めた『風土記』をも作らせている。『古事記』は天武天皇が稗田阿礼に命じて誦み習わせた皇室の系譜と物語を太安万侶が書きしるしたものである。『日本書紀』もまた天武天皇のとき着手され、舎人親王を総裁とする編纂者によって完成された」という記述であるから、右脚注、とくに傍線部分を除くと、古事記、日本書紀についての記述が不正確になるだけでなく、古事記、日本書紀の記述をそのまま史実と誤解せしめる記述になり、右削除要求は、史実に基かない非科学的な歴史の学習を期待しているものというほかはない。これは、学習指導要領の「史実を実証的、科学的に理解する能力を育て、史実をもとにして歴史の動向を考察する態度を養う」目標に著しく反するものである。

(2)白表紙本一九六頁挿図「大日本帝国憲法」の説明の「官報号外の表紙、金色の菊の紋章に欽定憲法の威厳を示している」という記述のうち傍線部分の削除を余儀なくされ、さらに、白表紙本一九七頁の「これが大日本帝国憲法であるが、憲法は公布の日まで秘密にされ」という記述について、「秘密にするのがふつうで特別のことではない」として削除を求められたため、「これが大日本帝国憲法であった」とし、脚注に「起草審議の過程においては、草案が公表されなかったので国民は公布の日まで憲法の内容を知ることができなかった」と加えて修正せざるをえなかった。これらの修正、削除要求は、学習指導要領の「時代の性格を明らかにし、その歴史的意義を考察させる」「現代社会の歴史的背景をはあくさせ、民主的な社会の発展に寄与する態度とそれに必要な能力を養う」という目的に著しく反するものである。

(3)白表紙本二三八頁人文科学の発達の項の「しかしながら、明治憲法のもとでは学問の自由が保障されておらず、人文科学に対しては強い政治的制約が加えられ、研究の妨げられることが少なくなく、学問上の著述のために災いにあった学者も一、二にとどまらなかった」という記述に対し、「研究を妨げられなかった学者もいる。審議会(教科用図書検定調査審議会)の人々は、戦争中でも研究の不自由はなかったという人もいる」ということを理由に修正を求められ、結局傍線部分を削除し、傍点部分を(「自由が」編集部注)「大幅な自由は」と改めざるをえなかった。この修正要求は、明治憲法体制の下では人文科学とくに社会科学の研究について学問の自由が極度に制限されていたという重要な史実の学習を妨げるものであり、学習指導要領の「日本の文化が、政治や社会の経済の動きとどのような関連をもちながら形成され、発展してきたかについて考察させる」という目標に反するものである。

(4)白表紙本二五八頁戦争体制の強化の項の「・・・国民は戦争について真相を十分に知ることができず、無謀な戦争に協力するよりほかない状態に置かれた」という記述のうち、「無謀な」を削除するよう強要されて削除した。

 また、昭和三七年八月一三日に検定申請をした原稿の不合格理由として、「二四二頁に『本土空襲』『原子爆弾とそのために焼野原となった広島』という戦争の暗い写真が掲げられ、二四四頁では『出陣する学徒』『工場で働く女子生徒』のように戦争に一生懸命協力している明るい面が出ているが、二四五頁ではまた『戦争の惨禍』のような写真(街頭で募金する義手の白衣の勇士)があって全体として暗すぎる」という点があげられており、昭和三八年九月三〇日再申請した白表紙本には『戦争の惨禍』の写真は挿図として掲げなかった。これらは、学習指導要領に「戦争のもたらす人類の不幸や損失について深く考えさせる」とあるのと全く相反する。

(5)白表紙本二七四頁の「安全保障条約によって、アメリカ軍は日本に駐留を続け、全国各地に多くの基地を保有した」という記述の「基地」について、「条約では『施設』と言っている」として修正を求められ、やむなく「施設(一般には基地と言っている)」と改めたが、条約にいう合衆国軍隊の使用する施設および区域を一般に米軍基地というのであって、右修正要求は、憲法の平和主義の原則に反する日本の現状を明確にすることを妨げるもので、ことさらに不正確な表現を用いることを強いた点は、文部省自らの定めた前記教科用図書検定基準にも反するものである。

第四 損害の発生

 文部大臣の前記昭和三八年四月一一日の違法な不合格処分及び昭和三九年三月一八日の違法な条件付合格処分並びにこれにもとづいて同月一九日以降同年四月二〇日までの間に前後三回にわたって行われた違法な条件(修正削除)の指示により、原告は、表現の自由を侵害され、あるいはいちじるしく制約され、多大の精神的苦痛を蒙った。昭和三九年度の場合、結果的には、原告は修正削除に応じ、検定合格となったが、しかしなお次の理由により、原告はその表現の自由を侵害され損害をうけたものといわなければならない。

 すなわち、原告は、わが国の民主教育の発展をねがって、日本史の専門的研究者としての立場から昭和二七年以来、高校用歴史教科書の執筆、改訂に従事してきたものであって、検定制度が反動化し、記述の自由がいちじるしく制約されるという困難な条件のもとで、執筆を断念することなく、可能な限り憲法と教育基本法の精神に適合した歴史教科書の出版を継続させるために尽力してきたものである。

 原告が、昭和三八年度及び三九年度の検定の際に筆を折るという態度をとらなかったのは、このような原告の立場にもとづくものである。けだし原告が執筆を断念し、将来にわたって歴史教科書の著作の自由を放棄することは、文部省の望むところであったろう。

 もともと国民は、教科書の執筆、出版の場合にも憲法の表現の自由の保障をうけ、行政官庁の不当違法な制約をうけることなく、自由に教科書の執筆、出版をなしうる地位にあるのであって結果的に検定に合格したか否かにかかわらず、文部大臣乃至調査官の修正削除の指示という制約をうけ、これに応じない限り、検定不合格処分をうけ、あるいは筆を折るほかないという状態に執筆者がおかれていること自体、表現の自由に対する侵害であるといわなければならない。

 かくして、原告は、右の精神的苦痛に対する損害賠償として、被告に対し少くとも金百万円を請求する権利を有するものである。(尚、昭和三八年度の不合格処分により、「新日本史」の昭和三九年度の発行は不可能となったため、原告は、同年度分の印税を喪失するという経済的損失を蒙っているので、この点に関する賠償を追って訴求する予定である。)

第五 国家賠償法の適用

 文部大臣、初等中等教育局長福田繁、同局教科書課長諸沢正道、同局審議官妹尾茂喜および同課教科書調査官渡辺実等は、いずれも国から給与を受け、かつ、国の選任、監督する公務員であるが、教科用図書検定に関する権限を行使するに際し、原告に対し、前述のような違法な不合格処分および前記白表紙本に対する修正、削除の要求をなし、よって前述の損害を与えたものであるから、国は、国家賠償法第一条により右損害の賠償をなす責を負うものである。

 よって原告は、被告国に対し、請求の趣旨欄記載の請求を行うため本訴に及んだ次第である。

 

   証拠方法

 口頭弁論において随時提出する。

   添付書類

 一、訴訟委任状   一通

右提訴する。

    昭和四〇年六月  日

右原告訴訟代理人  
  森川 金寿
  戸田  謙
  芦田 浩志
  鹿野 琢見
  重松  蕃
  柳沼 八郎
  岩村 滝夫
  尾山  宏
  新井  章
  今永 傳彬

 

  東京地方裁判所御中


(管理人注)この訴状全文は裁判所提出前のものであるため日付が空欄となっているが、提出されたのは6月12日である。


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