宣揚歌は1918(大正7)年の大学令公布にともなって起こった高等師範の大学昇格運動のなかで、1919年、当時文科第一部乙組の2年生であった大和資雄氏(のちに高名な英文学者となる)が、この運動の応援歌として作詞したもの。曲はもともと慶応で応援歌として使われていたものを流用したものであるという。(この件については、筑波大学学生部発行の
「つくばスチューデンツ」2005年10月号7ページに詳細な記述がある。)一般に寮歌とされることが多いが、本来の意味の寮歌ではない。もとより校歌でもないわけだが、長く事実上の校歌のようなものとして歌い継がれることとなった。
なお、現在の筑波大学は、大学開設当初この宣揚歌に大山信郎(教育大最後の学長)作詞の3番を付加し、さらに開学30周年を記念して北原保雄(筑波大学第6代学長)作詞の4番を付加したというが、元来それ自体が歴史的な歌であることを考えれば蛇足であろう。さらに、学生の作詞による学生の歌であるというのに、学長が歌詞を追加をするというのがおかしい。いかにも学生の自治を認めず、単なる管理の対象としか考えない筑波大学らしい話だ。管理人の立場としては、これらの歌詞を正規のものと認めることは出来ず、従ってこのページにも掲載しない。(この件については他サイト
「筑波大学応援部WINS」を参照のこと。)
一方、学生歌は、少々古い印象のある宣揚歌とは別に、教育大にも新しい校歌のようなものを作ろうという気運のなかで、当新聞会内に設けられた学生歌作成委員会が、1955年3月、学内からの公募によって選考・制定したものである。歌詞は応募28編のなかから、国文2年松淵君と農学2年木下君の2編が佳作上位に選出された。歌詞決定により曲も公募が行われ、健康2年伊藤君と地理3年原君のものが採用された。その後、自治会主催の新入生歓迎会ではハトの会コーラス(教育大・お茶大の合同サークル、現在の芸能山城組の源流)の合唱で毎年紹介されていたが、あまり広く歌われたとは言えず、学生が集まれば歌われるのはいつも宣揚歌であった。