![]() モンサンミッシェルからの脱出 第一日 約束 ところが心配をよそに渡仏直後から天気が非常に良く、モンサンミッシェルでも日中は暑いくらい。中をヘトヘトになるまでうろつきまわり、夕焼けに感動し、潮の満ちつつある干潟に群れる鳥を双眼鏡でながめ、みやげものやをひやかし、変なものを買い込み、写真を撮りまくり、夕食をたらふく食べた。 翌日は午前中にもう一度満潮を迎えるので、本当はそれを見てから離れれば良かったのだが、あいにくと私はパリで人と会う約束をしてしまっていた。なんて無計画なと思うだろうが、バカンス中はあまり考えもせず、すぐに思いつきで人と待ち合わせをしてしまうんである。普段手帳と首っ引きでスケジュールを決めている反動なのだが、とにかく翌日の昼すぎにはパリの待ち合わせの場所にいなければならなかった。しかも、相手はフランス人にしては珍しく時間は正確なほう、さらに「会えたら」会おうという妙にあいまいな約束をしてしまったんである。つまり遅れれば会えないのである。フランス映画のようである。 間に合わなければ仕方がないと思っていた。もともとダメならしょうがないということであったので、行かなくても別に失礼には当たらない。だが日中バスの時間を調べたところ(といってもバス停の時刻表を見ただけだが)、平日は早朝に出るバスがあった。次のバスだと待ち合わせに微妙に間に合わない。そんなにしてまで間に合わずとも良いのに、知ってしまうとそれに乗らずにはいられなくなった。朝食は食べられないことになるので、夕方ホテルにその旨を伝え、朝食抜きの素泊まりの値段に変更してもらった。フロントが開くのは出発よりもだいぶ遅い時間だというので、鍵はどうしたら良いのかきくと机の上に置いておいてくれればいいという。なんだ簡単なのねと笑い、料金を精算した。 第二日 鍵 私もその横に無造作に鍵を起き、下に向かった。日本でいうところの1階はレストランになっており、ここで夕食、朝食が食べられる。フロントはその上の階にある。もうじき朝食の時間だというのに人の姿はない。途中の通路は自分で明かりをつけることが出来たが、ここは暗闇。入って来る外灯のかすかな明かりを頼りに手探りで降りる。暗いレストランを通り抜け、外に出る扉に手をかけた。....開かなかった。 扉は開かなかった。どこかを押しながら、とか、ちょっとひねって?、とか考え得る限りいろいろやってみた。開かなかった。内側にも鍵穴があり、閉めてしまうと鍵がないと開かない扉(昔の建物でよくあるやつ)らしい。ガラスの向こうに、すぐそこに、道が見えるのに出られない。「閉じ込められた!」まるで映画のトワイライトゾーンのようだ。半分パニックになった頭の片隅でそんなことを考えていた。 レストランには他にもいくつか扉があった。が、急いで駆け寄り全ての扉を試してみたが同じだった。誰か人はいないのか!地下におりる階段にうすぼんやり明かりが見えた。行ってみれば誰かいるかも知れない。降りかけて、ふと考えた。誰かいたとしても、朝食の係か何かだろう。話してもそんなに迅速に動いてくれるとも限らない。バスの時間は迫っている。 私は真っ暗な階段を引き返した。フロントにはやはり誰もいない。机の上の鍵が再び目に入った。そうだ、私の前に誰か出ていったはずだ。出られるはずだ。その時やっと、前日部屋を案内された時に教えてもらった、もうひとつの入り口を思い出した。部屋へ向かう階段を上がりながら、ここは夜になって下の扉がしまったあとに入るための扉で、外から部屋の鍵で開くと説明してくれたのだ。レストランが閉まるのは12時過ぎと言うことだったので、そんなに遅くなることはないと思い、いい加減に聞いていたのだ。入るための扉であるがそこから出ればいいのだ!部屋に行く途中だったから上の方だ。私は階段を駆け上がった。 出られなければ....あきらめて部屋に戻り、午前中の満潮を楽しむことにしよう。そう考えながらも、必死で探す。が、慌てているためかなかなか見つからない。気づくと元の部屋の前まで行ってしまい、また引き返す。時間は刻々とたっていき、気持ちはあせる。中世を舞台にした映画で、主人公が入り組んだ城の中の細い通路や階段をかけめぐるシーンが出てきたりするが、まさにあんな感じであった。というより、迷路に入れられた実験用のネズミの方が近いかも知れないが。とにかくものすごい勢いで、階段を何度も昇り降りし、扉という扉をチェックしたがどれも部屋の扉であった。だが、ついにあきらめかけたその時、ふと脇を見ると他の扉とは明らかに違う大きな扉がそこにあった。それは鉄製のバーを押し下げてあけるようになっており、鍵はいらなかった。これだ!その扉を力一杯押して、私は勢いよく外に出た。そして、一瞬立ちすくんだ。そこは薄暗い、モンサンミッシェルを囲む城壁のようなところの上の、「どこか」、だった。 私はいったいどこにいるのか。物音ひとつしない静まり返ったそのうしろで、バタンと扉の閉まる大きな音がした。もう、引き返すことはできなかった。どっちへ行けばいい?私は生来方向音痴だ。加えてかなりあわてている。しかし戻ることが出来ない以上、進まなければならなかった。ホテルの位置からいって右の方に違いない。そう思い、たいした確信もないまま歩き出した。暗闇なので走るのは危険なのだ。少し進むと、すぐに右の方に小さな階段があるのに気づいた。一瞬迷った。だが、モンサンミッシェルは「山」だ。しかもかなり単純な地形の。ホテルは入り口からそう遠くないところにある。出たいなら低い方に向かえばいい、おそらく。 壁はその先も続いていたが、階段を選んだ。ここで迷ったらバスには間に合わないだろう。が、降りていくとありがたいことにその先は外灯で明くなっているようだった。モンサンミッシェルのメインストリート、グランリュであった。ダンジョンを抜け出たのだ。 ホッとするのと同時に暗がりに男が一人たっているのでギョッとしたが、気を取り直して島の入り口に向かう。ひとけはほとんどないが、それでもなんにんかとすれ違い、結局バス停には5分以上前についた。かなり長く感じられたあの時間はほんの2、3分だったのだ。 行ってみるとまだそこにバスはなく、代わりに他の車が停まっていた。近くに男が二人たっており、バスを待ってるのかい?ときく。そうだと答えると、ここだというので一緒に待つことにした。じきに7時になるというのに真夜中のようだ。空には星が輝いている。ライトアップしていた前日の夜とくらべると、こちらの方が本当の夜という感じだ。あの星座はなんという名前だったろう。星を眺めながら、見知らぬ男二人とバスを待つ。 落ち着いたところで、彼らの様子を何気なく観察する。暗闇で一緒に立っているのだから、いってみれば念のため必要な作業である。一人は老人で、やけに身なりの良い紳士。もう一人はわりとカジュアルな、しかし物静かな感じの青年であった。彼は前日、僧院で目を奪われた美しい若者とどこかしら似ていたのであるが、服装が違うし、いきなり「あなたはあの美しい若者ですか」ときくのも変なので確かめるすべもない。話している言葉はおそらくドイツ語だったが、ドイツ人という感じもしなかった。スイス、あるいはオーストリア、あたりだろうか(なんとなく)。この二人はいったいどういう関係なのだろう。おじいさんと孫にも見えない。なにか、こう、血縁者とは違う雰囲気が漂っているのだ。男二人にしては、やけに荷物が多い。1、2泊にしては多いのだ。女の私はリュック一つなのに、彼らは古びた黒い革の鞄をいくつかまとめて足もとにおいている。モンサンミッシェルに「連泊」していたのだろうか?観光客という風でもない。かといってビジネスマン風でもない。なにものか。こんなに暗いうちに旅立つところといい、老人と若者の組み合わせといい、実はこの二人は怪盗なのではないかという考えが頭に浮かんだ。そう考え始めると、あの不自然に多い荷物の中身は盗んだ宝(?)の数々で、若者は老人の弟子みたいなもので、一仕事を終えた彼らは素知らぬ顔でバスに乗り、人々が気づく頃には遠くに消えているという寸法なのではないかと思えてきた。その二人と私はバスを待っている。二人は静かな調子で言葉を交わしている。言葉はわからないが、年齢差や身なりにしては対等な感じで話しているようだ。ますます、疑わしい。 不思議な気分で待っていると、遠くの方からバスのヘッドライトが見えてきた。暗いせいか、昼のように島の入り口にあるバス停まではやって来ず、少し離れたところに停車。ドアを開けて待っている。男たちは両手にそれぞれ鞄をいくつかずつ持ち、それに向かってぬかるみを歩き出した。私も足をとられないように二人の歩いたあとをなぞるように進んだ。 バスは私たち三人を乗せてしまうと、予定の時刻をまたず出発。危ないところだった。例の二人は私がぐずぐずと料金を払っている間に一番前の両側の席を陣取り、ひとりずつ隣の席にかかえるように鞄を置いている。星空の下、バスは走り出した。振り向くと、わずかな明かりに暗く浮かび上がったモンサンミッシェルがどんどん遠ざかっていくのが見えた。特殊なロケーションと、建物からの脱出劇、そしてこの奇妙な二人の連れのせいで、本当に何かから逃げ出してきたような妙な感覚におそわれた。ようするに、ひどくワクワクして来たのである。まんまと抜け出せた達成感が私をつつむ。 早朝のこのバスはしばらくまっすぐ走ったあと、今度はぐねぐねと曲がりくねった林の中の道をあちこち寄り道しながら、途中どこからか現れる地元の人たちを次々に乗せて走った。混んできて運転手が席を開けてくれと頼み、私の隣にもおばさんが腰掛けたが、あの二人はそれでも大事そうに鞄を抱え、ついに席をあけることはしなかった。やはりあの中には財宝がたっぷりつまっているに違いない。 夜は途中ものすごい色に空を染めながら明けていった。行きに比べると倍近くの時間をかけ、人気のまばらな街の中を通り、バスがレンヌの駅につく頃にはすっかり朝になっていた。老人は先に降りた若者に荷物を渡していく。その合間をぬって降り、若者に短くあいさつした。「AU REVOIR(さようなら)」彼もやさしく笑って言葉を返した。AU REVOIR ! 一瞬、もっと話しかけてみたい衝動にかられたが、気持ちを抑え、彼等をあとに残し駅構内へと足早に向かった。謎は謎のまま残しておいたほうがいい。 昼過ぎ、約束の時間。何ごともなかったように、私はパリの待ち合わせの場所にいた。ちょうど同じタイミングで向こうから歩いて来る相手の姿をながめながら、なんだか長い夢を見ていたように思えるのだった。 |