グルジア・パンキシ渓谷ーチェチェン人の避難所ー
2月28日午後3時15分
[左の写真は「国境なきアーティストたち ARTISTS WITHOUT BORDERS」のサイトからの転載。カフカス(コーカサス)における支援活動でグルジア北部のパンキシ渓谷の村々での難民の子どもたちをまわり支援活動を行ったときのスナップ。グルジア系チェチェン人であるキスティン人のレヴァン君(7歳)が描いてくれた「和」である。」
ここ<ブナ林便り>で、1月18日から21日にかけて、カフカス(コーカサス)の入り口にある「チェチェン共和国」の悲惨をとりあげた。
その学習の際、日本カフカス協会の常岡浩介さんが小学館の『SAPIO』2000年11月8日号に載せた「チェチェン取材レポ」として「殉教を求めて今日も戦士たちが国境を越えてチェチェンへと向かう」という報告を読んだ。そのルポは次の数行で始まっていた。
<「お前、死ぬのは嫌か?」
一人のチェチェン戦士が話し掛けてきた。2000年5月末、場所はグルジアのカフカス山麓の麓、パンキシ渓谷の村だ。私はチェチェン人たちと彼らの祖国内の戦闘がいかに危険であるかについて話し合っているところだった。
「当たり前だ。死にたい奴なんかいるわけがない」
「そうか? おれは死にたい。 ジャヒード(殉教者)になりたい。・・・・まあ、見ていろ。 あと2ヶ月もすれば・・・・」>
この若者のチェチェン戦士はモスクワ出身。かのチェチェン・マフィアの一員だったのが、第一次チェチェン侵攻(1994−96)中、コーランに触れて懺悔し、マフィアを脱退、1999年ロシア軍の第二次チェチェン侵攻が再開されると、これへの抵抗戦争をジハード(聖戦)と信じ、ムジャヒディン(イスラム聖戦士)を志願した。彼が作戦への出撃指令を待つ村のあるパンキシ渓谷はチェチェン勢力の軍事拠点になっていた。日本からきたルポライターの常岡さんは、2ヶ月間、村の民家でチェチェンのムジャヒディンたちと共同生活を送り、ムスリムになったばかりの常岡さんは、この若者からコーランとロシア語を教えてもらったという。
当時は、西欧の人権擁護と弱小民族の自治権獲得支持の世論の高まりもあり、国際的には「マフィア・テロリストの巣窟」チェチェン侵攻を是とするロシア当局より抵抗しゲリラ戦を続けるチェチェン・ムジャヒディン側を応援する世論も相当あった。 親西欧的だったグルジア政府はその当時、公式にはチェチェン紛争に中立を宣言し、グルジア国内にいるチェチェン人は、以前からの居住者と紛争による難民だけとしていた。実際は、日本人のルポライター常岡さんが確認しているように、パンキシの村々から、その居住者や難民の間から訓練を受け出撃指令を待つチェチェン人イスラム戦士(ムジャヒディン)が随時国境を越えて故郷のチェチェンへ潜行し、殉教者として倒れる、というのであった。
ところが、欧米世論とロシア当局と抵抗するチェチェン人勢力との三角関係は、2001年の9.11テロ事件で大きく様変わりした。米国の「対『テロ』撲滅・世界戦争」の推進・拡大の強大な潮になびき押されてイギリス政府を先頭に西欧世論もチェチェンよりの姿勢を変える、一方チェチェン潰しを成就しようとするロシア政府は米国に同調接近する、当然ロシアの圧力に抵抗し、チェチェン戦争には中立的であり パンキー渓谷の状態に触れるのには消極的であったグルジア当局、あのシェワルナゼ大統領も 対チェチェン人政策の転換を迫られたのではあるまいか。もともと、多民族・多言語の矛盾と難問を抱えてきているグルジアの支配層がとってきた外から入り込んできたチェチェン人の武装勢力にそれほどの肩入れをする道理もないわけである。独立10年にして西側よりで生き残ってきたシェワルナゼ外交も9.11以降の米ロ急接近のプレッシャーで対『テロ』政策においても、米ロに同調する方向に転換せざるを得ないのではあるまいか。
かくして、2000年現在では存在したカフカス山麓の麓パンキシ渓谷のチェチェン人ムジャヒディンが隠れ住む村々も見捨てられていくのであろうか。
2月27日の『ワシントン・ポスト』紙オンラインは、<米国政府はグルジアにおける対テ政策を支援し始めたーアルカイダにつながりのある叛徒どもは山岳地帯に隠れ家を見つけている>という見出しで、米国軍のグリーンベレー(特殊部隊)と戦闘ヘリのグルジア派遣が検討されていること、フィリピンへの場合と似ていて直接戦闘には加わらない、グルジア軍の対テロ作戦の訓練指導と支援に当たるだけとしている。そして、ねらいはパンキシ PANKISI 渓谷だという.。
9.11以降、アルカイダについての米側報道が広がる中で、アルカイダとつながりのあるアラブ戦士がロシアと戦うチェチェン武装勢力に加わっているという情報はあった。米国防当局は、アルカイダとチェチェンの間にははっきりしたつながりがある。これは、対『テロ』地球大戦争の可能目標に明らかにおかれる」と言っている。
ペンタゴンは、すでに10UH−1Hヒューイ型ヘリをグルジア政府に提供している。グルジアはカスピ海油田のトランジットであり、NATOが熱望しているメンバーであリ、1991年ソ連からの離脱以来米国のよき同盟国とみなされてきた。昨年10月のワシントン訪問の際、シェワルナゼは米国の支援をとりつけた。
フィリピンとグルジアとの間には似たところもないわけではないが、地政治学上の状況から見れば非常な違いがある。
ブッシュ政権は、アフガニスタンのアルカイダ・キャンプで訓練されたアラブの戦士たちがグルジアのパンキシに安全な避難場所を見つけたのだと信じている。
彼らは、オサマ・ビンラディンの連中とコンタクトをとっているのだ、パンキシ地域の推定5000人から7000人のチェチェン難民の間にいるチェチェン叛徒は、そういう危ないつながりの中にあるのだ、と信じている。
しかし、ロシアのプーチン政権は、米国から対チェチェン侵攻作戦を対テロ戦争として追認を受けたい、チェチェン潰しの「大義」のお墨付きをもらいたい反面、米国軍のグルジアにおけるプレゼンスが固定化することを警戒している。また、ロシア軍から避難してきた数千人のチェチェン人難民を再び国境を越えてチェチェンへ追い返すということは、もとより国際人権擁護団体の監視の目もあり、可能ではない。グルジアは、米国から毎年何百万ものドル援助を受けている。
チェチェン人という少数民族の苦難の歴史の前史としては、田中宇さんの「チェチェンをめぐる絶望の三角関係」をぜひ読まれたい。
以上のようなグルジアの主権を守ろうとするシェワルナゼ政権の苦悩をワシントン・ポストは報じていた。同日の朝日夕刊は「米軍、グルジアへー特殊部隊、対テロ戦で訓練目的」という簡単な記事を載せ、翌28日朝刊ではややくわしく前日夕刊の記事を補足している。
そこでは、「グルジアがパンキシ渓谷でのチェチェン武装勢力対策の必要性に言及するようになったのは米同時多発テロ後のことだ。パンキシ渓谷を「チェチェン武装勢力の出撃基地」と主張するロシアに対して慎重な姿勢を崩してこなかったが、西側の関心が高まり、姿勢の変更を余儀なくされた。しかし、実際の作戦となれば、グルジアの軍、治安機関の力に不安があることは大統領自身が認めている。ロシアはグルジアに軍事協力の用意を表明したが、民族紛争など出ああ軋轢が続いてきた同国に全面的に頼ることはできない」と報じている。
グルジアのパンキシ渓谷問題ということには殆ど無知であったが、GOOGLEの検索エンジンで”PANKISI"を当たってみたら驚いたことには約3710件という項目が出てきた。なかには、イタリア・サッカー、ACミランのFWカハ・カラーゼ選手(グルジア出身)の弟レバンさん(20才・大学生)がトビリシで大学病院を出たところを、武装集団に拉致され、60万ドルの身代金が要求された。レバンさんは心臓病で心配されたが、どうもパンキシ渓谷に連れ去られたらしい。
こういうニュースがCNN2001年5月29日のトビリシ電の記事として出てきた。アレアレ、フィリピンのアブサヤフのやりくちとそっくりではないか。
この始末、どうなったのか。このサイトでは分からなかったが、どなたかサッカーファンの方、ご存知ないでしょうか。お教えください。(次回に続く)
6月19日
1)米国ブッシュ政権の世界大の「テロ抑止」作戦でアフガン・フィリピン・イエメンと並んでグリーンベレー部隊が、「テロリスト」アルカイダ掃討戦訓練のためということで送り込まれたのがカフカスの国グルジアのパンキシ渓谷である。最近, 写真家のアルド・カステラーニ Aldo Castellaniさんがパンキシ渓谷に入り、村々に暮らしている難民のチェチェン人の生活やパンキシ渓谷の自然を撮影してきた。「アルカイダやかテロリストの巣窟とか麻薬取引の場所とか人質融解犯の基地といった不穏な空気は何も感じられなかった、グルジア警察や軍隊が陰に隠れてそう見えるのかもしれないが…封鎖されている道路はいくらかあったけれど・・・私は自由にフォトエッセェを採集できた」とアルド・カステラーニさんは書いている。彼の撮った美しく平穏なパンキシ渓谷の風景と人びとが、次のサイトで見られるのは、ほんとにインターネットのおかげだと思う。 http://www.eurasianet.org/departments/culture/articles/eav061502.shtml#
少年の写真の下の文字をクリックされると、フォトエッセエのページへ行き着く。
7月9日午後3時半
1) 田中宇さん「国際ニュース解説」7月8日「米軍に揺さぶられる中央アジア」。トルコメニスタン・キルギス・ウズベキスタンと米軍。 参照: 「グルジア・パンキシ渓谷とグリーン・ベレー」
7月16日
15) ヴァガボンド・ジャーナリスト常岡浩介さんのサイト発見。ムスリム名シャミル、クルド名シェルコをもつ。知らずしてグルジア・パンキシ渓谷やチェチェンのことでは彼の見聞のおかげをだいぶ蒙った。このサイトの REPORTAGE ページに 「それ行け」テロリスト!」「テロリストの正体」「戦場ジャーナリストたちのグルジア観光」の写真は面白い。多分、この写真に写っている戦士たちは 米軍特殊部隊の訓練を受けるグルジア治安部隊が到来する前に パンキシ渓谷からは立ち退いていることだろう。 ではどこへ? 参考::「グルジア・パンキシ渓谷とグリーンベレー」 「チェチェン人のたたかい」