一九九七年から使用された中学社会科教科書には、アイヌ民族がはじめて先住民族として位置付けられ、その記述が拡充されたり、山丹交易の歴史がいわゆる鎖国を破る外の世界との交流としてはじめてとりあげられたり、見るべき改善があった。
山丹交易の主人公のサンタン人の隣人あるいはサンタン人の一種であるといってもいいナナイとの出会いは、一九七九年初夏、新潟−ハバロフスク経由でモスクワの第四回日ソ歴史学会議に参加するためにアム―ル河とウスリ―河の分岐点ハバロフスクに立ち寄ったとき、ハバロフスクのホテルのキヨスクで売れ残っていた二冊の絵本を購入したことであった。一冊は内戦期のシベリアの物語「マキシム」、もう一冊がナナイの民話「メルゲンとその友達」であった。どちらも英語版だった。その後、「メルゲンと友達」の絵本は、上越の二谷貞夫さん、北海道滝川の佐藤明彦さんがそれぞれOHP化されて授業に使ってみたいということになった。


左はソ連の絵本〔英語版)『メルゲンとその友達』表紙・裏表紙 右は絵本の第一場面
「メルゲンとかれの友達」とは、次のような物語である。
[絵 その1]
昔むかし遠い昔、はるか遠くの北の土地、雪におおわれたシベリアの渓谷にメルゲンという勇気があり 腕のよい狩人が住んでいた。彼の食卓には魚や肉が欠けることはなかったが、彼は自分の必要以上は獲物 を獲ろうとはしなかった。
ある日、彼は狩りにでかけ、偉大なアム―ル河にまで出た。だが、獲物はみつからず、シベリアの密林 (タイガ)の奥深く、年老いたおそろしい虎の住む領分にまでふみこんでいった。
モミや松の森をぬけていくと、黒ずんだ沼に一頭の鹿がはまりこんでいるのに突然でくわした。メルゲンは矢をつがえて放とうとしたとき、その鹿があわれな声で叫んだ。
「射ないで、メルゲン。どうかこの沼から引き出してくれ。」
メルゲンは鹿がかわいそうだと思い、沼から引き出してやった。助けられた鹿は、泥をふるいながらいった。
「メルゲン、何か必要なときは、呼んでくれ。」
[絵 その2]


そういって、鹿は森のなかへ姿を消した。メルゲンは密林のなかを獲物を注意深く探して進み続けた。 すると、大きなブナの樹の折れた枝の下敷きになってつぶされそうになっている一匹のアリをみつけた。 そのアリがたのんだ。
「メルゲン、どうか私を助けてくれ。」
アリがかわいそうで、メルゲンは折れた枝をもちあげて、アリを助けてやった。
「ありがとう、メルゲン。用があれば、すぐ私を呼んでくれ。」
アリとわかれて、メルゲンはアム―ル河の岸辺までたどりつき、青い色をした浅瀬の水たまりに出会った。そこで一休みしようと、矢づつをおろそうとすると、息もたえだえであえぐ声を耳にした。
「メルゲン、助けてくれ。死にそうだ。もう三日間もここでバタバタしてるんだ。」
[絵 その3]
よく見ると、巨大なチョウザメが一匹、浅瀬に乗り上げているのだ。かれはチョウザメの脇腹に自分の 肩をあて押し続けて、河までもどしてやった。チョウザメは、尾ひれをひとふりして、アム―ル河の冷たい淵にもぐっていった。
メルゲンが岩に座って、一休みしようとしたとき、チョウザメは河面に顔を出していった。
「ありがとう、メルゲン。なにか用があるときは、必ず私を呼んでくれ。」
一休みしてから、狩人は歩き続けると、見知らぬ村があらわれた。がっしりしてちょっとずる賢い目をした老人が、一番大きな立派な小屋のまえに立っていた。
「あんたは誰? 」老人はしたしげにたずねた。
「狩人です。密林(タイガ)を狩りしていましたら、あなたの村をみつけたのです。ちょっと休ませて いただけませんでしょうか。」
「どうぞどうぞ、客人よ。おはいりなさい。」老人はメルゲンを家にまねきいれた。
[絵 その4]


メルゲンが家のなかのすばらしさに見とれているとき、ブロンズのイアリングをリンリンと鳴らせてき れいな乙女がしきいのところにあらわれた。乙女は浅黒い顔を輝かせ、両眼はきらきら光り、編んだ漆黒の髪はつやつや光り足までとどく長さであった。
「どうだろう。私の娘をどう思う? 」老人はたずねた。
「アム―ル河の岸辺には美人がたくさんいますが、こんな美人は見たことがありません。」とメルゲン は白状した。「私の妻にくださるならば、私の立派な若者ぶりをお見せしましょう。」
「メルゲンよ、そんな簡単なことではないぞ。」ずる賢そうな老人はいった。「百人もの勇ましい若者 がこの娘を嫁にほしがったが、みんないまはわしのドレイになっている。おまえに三つの宿題を出そう。 それをやりとげられたら、結婚を許してやろう。しかし、できなければ、ドレイになるまでだ。よいか、 よくて考えて返事しろ。」
「いいとも! 」メルゲンはよく考えもせず、さけんだ。
「召使ども、わしの鉄の長靴をもって参れ! 」
[絵 その5]
召使たちはすぐあらわれ、重い鉄の長靴をえっさえっさ運んできた。
「この長靴をはいてみろ。一晩中この長靴をはいて歩いて履きつぶしてこい。そしたら、二番目の宿題を出してやろう。」老人はいった。
メルゲンはその長靴をはいて、タイガ(密林)にふみこんでいった。「こんな鉄の長靴をはきつぶすなんて、いくら命があってもたりゃしないぜ。」かれはしょげきってこぼした。そのとき、突然あの鹿のことを思い出した。
「わたしの友達の鹿さん。どうか助けにきてくれ!」かれは森の奥に向かってさけんだ。
叫び声が終るか終らないうちに、狩人の前にあの鹿があらわれた。メルゲンが不幸な運命を語ると、鹿は一言も言わずに、鉄の長靴を前足にはいて丘のほうへかけこんでいった、夜空にきらめく星のような電光のひらめきを残して。いっとき、メルゲンは草原に横になり眠りに落ちた。かれが明け方目を覚ましたとき、鹿はもう眼のまえにいた。あの新品の鉄の長靴は、はきへらされて、ボロボロにすりへって靴の先を残すだけのボロくずになっていた。
メルゲンは大喜びで、鹿の暖かい鼻にキスをし、ボロになった靴を下げて村へ帰っていった。首長の家に帰り着くと、ドンドン壁をたたくと老人が飛び出してきた。
老人の足下にボロくずになった長靴をほうりだして、メルゲンは叫んだ。
「さあ、二番目の宿題の番ですよ。」
[絵 その6]


しばらくの間、老人は黙ったままだった。気を取り直してから、老人は叫んだ。
「召使たち、アワの入った大袋を五袋運んでこい! 」
老人は運ばせた大袋からアワをまきちらしはじめて、とうとう村中のそれこそ隅から隅までにアワをまきちらした。それから、老人は含み笑いを浮かべていった。
「どうだ、一粒残さずアワを全部袋に拾い集めてみよ。一日以内にだ。」
メルゲンは草地にいって、地面に横になり叫んだ。
「わたしの友達、アリ君よ。助けにきてくれ。」
すぐ、あのアリが姿を見せ、狩人の話に耳を傾けてくれた。それから、アリは仲間たちを呼び集めると 、たちまち大地は、それこそ村中の隅から隅までビッシリ埋めつくすほど、アリたちでいっぱいになった。メルゲンがタバコを一服するまもなく、一瞬のうちにアワは一粒残さずもとの袋に納まってしまった。メルゲンはアリたちにお礼をいい、老人のところへゆくと、かれはまえよりももっと驚いて、頭をかきながら、こういった。
「では最後の宿題だ。もしこれに成功したら娘をお前にあげよう。ずっと昔のことだが、わしが若かった頃、わしのおやじがアム―ル河に金の指輪を落してしまった。夜までにあの指輪を見つけてほしい。」 [絵 その7]
また、メルゲンはガックリして、家を出た。しかし、あの娘が窓から白いハンカチをふり、メルゲンに胸のうちを示すの気づくと、元気づき大股でアム―ル河の岸辺へと向かった。
「チョウザメさんよ、魚の女王様よ。出てきてわたしを助けておくれ! 」
三度、アム―ル河の深い淵に向かって呼びかけると、河面がザワザワと波立ち、チョウザメの大きな頭が水面に飛び出した。メルゲンが例の難題をうちあけると、一言もいわず、チョウザメは河底にもぐっていき、アム―ルの河底に住む魚族たち全部を呼び集めた。大きな魚も小さな魚も河底をくまなく探しまわり、指輪を見つけてくれた。
[絵 その8]


狩人はうれしさいっぱいで、金の指輪をもって老人のところへ戻った。老人は指輪を受け取ると、家の奥へ姿を消した。まもなく、老人は微笑む娘をつれてメルゲンの前にあらわれた。
「さあ、いらっしゃい。わしの勇敢な元気のいい狩人よ。わしの娘をお前の嫁にあげよう。そしてよければ、わしも、わしのドレイたち、わしの召使たち、そしてこの村全部、お前にゆずってやろう。」
[絵 その9]
[ありがとうございます。今日から以後この地ではドレイもなければ召使もいりません。わたしたちみんなが友達として平和に暮しましょう。」
このときから、村人みんなが幸福に暮すことになった。そうして、アム―ル河の岸辺のナナイ族の村の狩人たちの幸福な暮しは永遠に続いた。
[註 Progress Publishers
Moscow 1973 "MERGEN AND HIS FRIENDS / A NANAI FOLK TALE " の英語版を私訳してみた。その際、二谷ゼミの三王昌代さんの訳、ヴィクトル・ガウァ―ク編渡辺節子さん訳『ロシアの民話 U』恒文社 一九七九年 p
281-288 「メルゲンとその仲間たち」のドイツ語訳からの和訳の二つの訳文も参照させていただいた。]
絵本のそれぞれの頁を占める絵の額縁にあたる部分には、シカ、トナカイ、ミンク、キツネ、クロテン、イノシシ、クマ、トラ、イヌからカメ、カエル、ヘビ、トカゲ、そしてコウモリ、さまざまな鳥、チョウなど、それに龍と、実に多様な面白い獣・昆虫類のシンボルが並べられている。また特徴的なものは、人物の背景の森林部分にまた奇妙に造形化された「生命の木」が描かれていることである。このことに関わって、北海道開拓記念館が一九九五年に出した『「北の歴史・文化交流研究事業」研究報告』には、手塚薫さんの「アム―ル川流域におけるナナイとウリチの象徴表現―世界樹と動物をめぐる信仰―」という報告がある。
ナナイとウリチ両民族はウスリ―・アム―ル河流域に住むトゥング―ス・満州語族に属するが、現在もその伝統的な民族衣裳である花嫁衣装の背面には、ユ―ラシア世界に普遍的な世界樹信仰を具象化した「生命の木」が刺繍され、かれらに固有な世界観を刻み続けている。
ユ―ラフロアジア世界の世界樹信仰のひとつであるナナイの「生命の木」は天と地と地下界の三界を結び、狩猟動物の「再生」という信仰を深くかかわっている。この「生命の木」は氏族の繁栄を願い、かれらの独自な世界観の中心をなしている。
「生命の木」にかけて、食ベたあとの動物の骨が描かれているのは(絵その3)、動物が骨から再生される「骨儀礼」の表現であり、やはり大事な信仰を示している。
サンタン人とされたウスリ―河流域に暮すナナイの場合にも、アイヌに似て、天・大気と大地そして大河と密林(タイガ)に抱かれ、植物や動物と共生し、ともに生と死と再生のサイクルを送る、命ある万物という世界観が生きていた。
絵というと、二谷貞夫さんのウラディオスト―クのお土産に、ロシア科学アカデミ―極東支部極東諸民族歴史・考古・民族学研究所博物館発行の『ロシア極東先住民』という二四葉から成る絵図版集がある。これは『メルゲンと友達』という絵本と並んで、子供たちに早い時期から北方世界史のなかで自国・自民族の歴史に目を開かせていくためには好適のすばらしい教材になると思う。二四葉の絵図版は、ナナイが三枚、ウリチ三枚、チュクチ二枚、ウデヘ二枚、ニブヒ二枚、エベヌ、オロキ、アイヌ、ニギダリン、エベンキ、エスキモス、アリユト、イテルメヌ、ユカギル、チュバンシ、コリャキ各一枚の以上である。カラ―で自然環境・服装・狩猟漁撈・その道具・住居・家具調度・工芸品・家畜家禽・鍛冶・育児・老人と女子供たち・子供のおもちゃ・シャ―マンとその儀礼・交易の模様・そり・くつ・舟・雪原など、きわめて生き生きと具体的に北方の民族の営みが描かれている。
ウスリ―河流域の探検調査の記録であるアルセ―ニェフの『ウスリ―紀行』は、黒沢明の映画『デルス―・ウザ―ラ』で有名だが、残念ながら映画はその自然と民族をとても満足には描いてくれなかった。
ナナイ族は、アム―ル河中流からウスリ―河、松花江流域にかけて住むトゥング―ス・満州語族系の民族である。その住む領域は、今日のハバロフスク州、プルモリスキ―地方(沿海州)、中国領黒龍江省にまたがっている。ナナイは自称の一つで、「土地の人」を意味する。ナナイはサケ類、マス類、各種淡水魚、チョウザメなどを漁し、シカ類、クマ、キツネ、テン類、リスなどを狩る。
一八世紀から一九世紀にかけて、アム―ル河下流域とサハリンを舞台に「絹」と「毛皮」という二大商品が盛んに交易された。中国東北地方からアム―ル河・沿海州・サハリンを抜けて北海道に達する北方のシルクロ―ド兼ファ―ロ―ドである。南方の諸帝国の富貴の人々は、美しい光沢と柔らかい肌触りのクロテンやミンクの毛皮を喉から手が出るほど欲しい高級品として、そういう毛皮の産地であるシベリアや北米北部を窺い狙いつづけた。本田実信さんの『モンゴル時代史研究』東大出版会は重要な名著であるが、その貴重な付図のひとつに、「モンゴル時代後半のユ―ラシア」がある。そこにある北京から発して遼陽を経、ヌルガンそしてカラフトに至る道は「朝貢路」であり、毛皮の道であったに違いない。いわゆる元軍と骨嵬との関係も、モンゴル帝国のアム―ル・カラフト地域の人々が獲る毛皮を欲する「収貢頒賞」政策[佐々木史郎さんの好著『北方から来た交易民/絹と毛皮とサンタン人』NHKブックス六九、七三頁を見よ]が結論であった。この北方交易活動の主役が、「サンタン人」とよばれ、この交易が「サンタン交易」といわれたのである。それが山丹人、山丹交易である。サンタン人を含むアム―ル河下流域とサハリンの住民が、中国(清朝)や日本(松前藩)を相手に絹と毛皮の二大商品を中心に取引したのが山丹交易なのである。
サハリンと大陸との間を陸続きではなく海峡として確認した最初の日本人は松田伝十郎のほうであるが、かれがともに調査に従事した間宮林蔵が、一八〇九年と一〇年(文久六年と七年)に行なったアム―ル河探検は大変重要である。かれの調査と記録は、アム―ル河下流域の民族の姿を的確に伝えており、加藤九祚さんが『北東アジア民族学史の研究』で近代の民族誌と比較してその内容の正確さを立証しているように、今日の民族研究においても大きな意味をもっている。間宮林蔵の口述書『北夷分界余話』と『東韃地方紀行』とそれぞれの豊富な図版である。
サンタン交易にはサンタン人以外にもさまざまな人々が参加していた。たとえば、サンタン人[アム―ル下流域およびサハリンのウリチ]の川下の隣人であり、サハリンの中部・北部にも住んでいた「スメレンクル」と呼ばれたニブフ(ギリヤ―ク)、やはりサンタン人の川上の隣人であった「コルデッケ」[正確にはゴルドック、ゴルドまたはゴリドと呼ばれるナナイ]、サハリン中部山岳地帯のトナカイ飼育民「ヲロッコ」(オロッコ)、そしてサハリン南部のアイヌなどである。
『東韃地方紀行』巻の上で間宮林蔵が、コルデッケの最も下流の集落であるウルゲ―に達し、そこでのわずか一日の滞在で、面白い見聞・情報を記録している。ここで、おそらく最初の日本人として間宮林蔵は、今日のナナイの祖先コルデッケ族に出会っているのであり、このナナイの祖先たちも絹と毛皮の道を通って日本と中国の間の交易に従事していたわけである。
間宮林蔵の一行がアム―ル河流域の探検に河を遡行するため、コルデッケすなわちナナイの祖先のもとで船を購入している。船はどんな船で、何で作られていたのだろうか。それが次の謎である。