21世紀のモロ戦争ーフィリピン南部/ミンダナオ・バシランとグリーン・ベレー
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後述されているようにミンダナオ・バシラン実情調査の国際調査団の一員ピエール・ルッセの報告(抄訳)を最初に掲載する
戦争の論理に反対する Contre
les logique de guerre」
ピエール・ルッセ(ATTACフランス・アジア地域活動グループ)
Le Courriel d'information (No.326 2002/04/26)より抄訳
<フィリピン・米国のアジアにおける第二の前線>
フィリピンに対する米国の介入については、パレスチナ、中東や、ラテンアメリカのコロンビア、ヴェネズエラとはちがって、大部分の人たちに見逃されているようだ。それでも、この3月末に米国特殊部隊が派遣されたバシランに赴いた「平和のための国際ミッション」について報告したい。このミッションは10カ国から参加した16人で構成され、筆者もその一人である(日本からは大橋成子さんが参加)。
<アブ・サヤフの向こう側>
もともとイスラム急進派であったアブ・サヤフは、しだいに方向が変わって、現在では山賊行為を働くようになり、とくに身代金めあての誘拐をするようになった。このアブ・サヤフ勢力の壊滅のため、フィリピン政府は米国と正式に連携することになった。フィリピン軍は米軍よりもずっとジャングルでの戦闘に慣れているのに、である。さらに、アブ・サヤフがアル・カイダと組織的になんの関係もないことは、すでに周知のことである。アブ・サヤフは非常にローカルな運動組織にすぎず、現在ではそのメンバーはもはや60人程度にまで減っていることも分かっている。にもかかわらず、対する政府軍(軍人および民兵)の規模は延べ一万八千人なのだ!
ここで提起されている問題が、昨年6月に(バシラン州)ラミタンで起こった事件ではないことは明らかだ。誘拐犯たちは町の病院で包囲されたが、残念ながら人質たちとともに逃走した。そこで多額の金銭のやりとりがあった。われわれを教会に迎えたラミタンの住人たちは(とくに誘拐事件の直接の被害者たちは)荒々しい怒りをぶちまけていた。軍隊が腐敗していなかったなら、アブ・サヤフの脅威も片付いていたはずなのだ。
ここに米国が介入することが、表向きの理由によるものでないのも、まったく明らかである。米国政府は、フィリピンというアジアのこの地域では珍しいカトリックの国と特権的な関係を築きたがっていた。かつて重要軍事基地が設置されていた(10年前に放棄せざるをえなかった)ことも親近感が生まれる土壌である。今、反テロリストという口実を用いて、ペンタゴンは、インドネシア諸島や中国の監視ができるかつての植民地に狙いをつけた。そうして数千もの米兵たちが、新たな国際的軍事「訓練」のためにフィリピン北部で待機することになった。
さらに、この国の南部に在住する多くのイスラム教徒たちを「安心させる」ことも重視されている。米国政府はモロ・イスラム解放戦線(現在もイスラム国家建設を目指しミンダナオ島の分離・独立を主張している)を標的にしているように思われる。もしそのような事態が生じたら、おそらくミンダナオ島は再び戦乱の炎に包まれることになる。長い時間をかけて辛抱強く作りあげられてきた、モロ(イスラム教徒になった土地の人々)・ルマド(土地の人々)・キリスト教徒のあいだの連帯は、崩壊するかもしれない危機に晒されている。
<戦争地帯>
われわれはバシランの戦争地帯を通過した。そこは、パレスチナのように誰もが弾丸や砲弾を入手できるような暴力的な戦闘の舞台が、つまり前線というものがなかった。さまざまな作戦は、町の中心から離れた狭い地域で展開されているのだが、それでも戦争の足音が近づいていることがはっきりと分かった。すなわち町のすみずみまで恐怖が支配しているのである。とりわけモロの後背地では、ムスリムたちは常に自分たちが脅かされ、侵害されていると感じている。恐怖はこの町だけでなく、さらに地方の中核都市イザベラまで及んでいる。
われわれも、軍隊に護衛された輸送車でしか移動することはできなかった。なにか危険なのか?誘拐がその答えである。それは必ずしもアブ・サヤフ(指導者たちはおそらく海外に脱出したと思われる)によるとは限らなかった。そうしてわれわれは、地方の監獄を訪れた。公にはわれわれが立ち入ることは禁じられていたが、拘束者たちと会話することができた。彼らによれば、彼らはタバコの火による拷問や恣意的な逮捕の犠牲になっていて、中には妊婦もいるという。統治者自身も、無実の者が投獄されていることを知っているという。
報復を受ける危険があるため、ムスリムの女性たちの多くはわれわれの質問に対して答えようとしなかった。しかし、彼女たちの中で何人かは勇気を出して証言してくれた。ここでの恐怖は明白で、日常的で、集団的である。モロ人権センターのメンバーでイザベラに住む若い女性によれば「私たちが一番怖いのは、密告者たちです。彼らは仮面をかぶり、町のいたるところにいて、警備兵を連れてきて、活動家を指さして逮捕するように言うのです」という。コロンビアからパレスチナ、そしてバシランまで、仮面をかぶった密告者たちは同じイメージで怖れられている。
<沈黙の壁を破る>
アブ・サヤフが多くの犠牲者を出していることは周知のとおりだ。しかしそれでも、それは軍隊や武装集団による犠牲者の比ではない。この土地に到着したわれわれは、状況を把握し、警鐘を鳴らしたいと思った。戦争地帯では人権にどれだけ敬意が払われているかを調べなくてはならない、と呼びかけたいと思った。軍事化の深刻な危機に対して注意を向けてもらい、沈黙の壁を破りたいと思った。
第一の目的はかなり達成された。フィリピンでは、われわれの行動は反響を呼び、メディア(新聞、テレビ、ラジオ)で取り上げられた。それに対するあからさまな公的な反撃も起こった。政府特別顧問は、扇動的な外国人がトラブルを起こさないように国境を閉鎖するように主張した。アロヨ大統領は、「軍隊によって名誉が傷つけられることはない」と確認するために壇上に上らざるをえなかった。そして、われわれは単に「アブ・サヤフの恋人」、テロリストたちの親友にすぎない、とされた。
「米国の介入を支持しない者は、テロリストのキャンプにいる者と同じである」「われわれの味方をしない者は、われわれの敵である」。フィリピン大統領は「『悪の枢軸』に対する戦争」というブッシュと同じ言葉を繰り返した。「悪の枢軸」という言葉は有名になったが、「イスラムのテロリズム」との戦いは、かつての反共産主義の戦いと同じ役割を果たしている。この言葉で最悪の抑圧を正当化しているのだ。そのイデオロギー的なベールが包んでいるのは、米国の軍事組織の帝国主義的・世界的な拡大なのである。
アフガニスタンの後、ワシントンはアジアの第二戦線で活動を開始した。バシランを入口に、アブ・サヤフを口実に。ミンダナオ島の他の地域に戦闘が拡大する危険が非常に高まっている。四月半ばに、アブ・サヤフに属していた者たちが別の地方を襲ったり、ジェネラル・サントスの人々を襲ったりしている。もしそれが事実なら、この集団はバシランからすでに脱出したと確認されるだろう。しかし、それはまた米国による介入と探索を正当化するための、血塗られた挑発かもしれない。
こうした状況でわれわれ平和ミッションのメンバーたちは、南フィリピンで起こっている非常に不安な状況を国際的機関(ヨーロッパ議会、国連、アムネスティ・インターナショナル、ATTACのネットワーク、軍事的グローバル化へ抵抗する運動組織など)に知ってもらえるよう、心から願っている。
[翻訳:村澤真保呂(ATTAC関西)]
1月28日 そのニ
米軍の指導部中枢(ペンタゴン)は「『テロ』撲滅作戦」は世界大で「あと少なくとも6年継続する」と考えている・という.ペンタゴンの高官たちは、アルカイダその他の国際テロリストグループを撲滅する戦いは、少なくとも2008年まで(多分それ以上になるだろうが)継続することを前提に新しい軍の装備を整えること、そして予算の見積もりを立てるようにいわれている、という.無人偵察戦闘機などには大変な金がかかる。こういう軍事費のとてつもない増額は、オサマ・ビンラディンが見つかるかどうかにかかわりなく要求されている。というより、彼をみつけられるかどうか、つかまえられるかどうか、は途中からあまり問題ではなくなったようだ.(以上は、デービッド・ワステール David
Wastell の「ペンタゴンは今回の戦争が少なくともあと6年続くと考えている」河内謙策訳。)
米軍の「『テロ』撲滅作戦」は、フィリピン南部で活動するイスラム過激派組織「アブサヤフに対して、「米比合同軍事演習」という形で始められた。
1月20日、米比合同軍事演習「バリカタン02―1」に参加するためというので、米軍のMC130輸送機3機が、迷彩服姿の米兵約30人と通信関係と見られる機材を、沖縄の米空軍・嘉手納基地からミンダナオ島サンボアンガのアンドルーズ空軍基地に運んだ(1月21日付『沖縄タイムス』)。
1月12日までに、米軍の特殊部隊約20人がサンボアンガに入った。米国はフィリピン南部に、1月中に100人規模の特殊部隊を投入し、最終的には約500人を展開するという。しかも派遣期間は年内いっぱいという報道さえある。
フィリピンの憲法は、国内での外国軍の活動を原則として禁じている。アロヨ比政権は、「軍事演習への参加」という名目で米軍を受け入れているが、これが憲法違反であるという批判や反対意見もでている。
フィリピンを代表する論客の一人である、フィリピン大学のロナルド・シンブランは「アメリカのフィリピンに対する軍事的介入の新段階」(河内謙策訳)で次のように述べている。
<バシランとザンボアンガで行われるこの米比合同軍事演習は、特殊部隊によって導かれた米軍の軍事作戦行動以外の何ものでもない。この作戦は、フィリピンの地に対してなされる軍事介入としては、米比戦争(1899−1901)以来、最大のものである。モロ戦争(1901−1911)以来、もっとも多数の米軍がバシラン・ザンボアンガ地域に展開することになる。それは、1899年に始まり、ゲリラによって実際は1913年までアメリカ遠征軍を悩ませた米比戦争を想起させるものである。
毎年恒例の軍事演習であることを口実に、1200名のフィリピン軍と660名の米軍が「6ヶ月から1年の間」、実際の生きた目標であるアブ・サヤフに対して軍事作戦を展開するのである。これまでは・・・・反乱の発生している地域や異議申し立てがなされている地域は避けられてきた.1960年代や70年代の米軍基地からの高レベルの軍事行動においても、米軍はルソン島周辺の反乱鎮圧攻撃には低姿勢をとってきた。
AP記者ポーリン・イェリネックは『UA海軍タイムズ』の今年の1月11日号で次のように書いている.「・・・・・・・米軍のフィリピンへの派遣は、米軍が世界のいたるところでテロと戦うという実例である。」
来る2004年の大統領選挙でアメリカの支持を得ようとしているマカパガル・アロヨ大統領は、乗員において同意された条約によらない限りフィリピンの国土に外国軍隊の存在を認めない憲法を完全に無視している.フィリピンとアメリカとの間のどの取り決め(相互援助協定、軍事援助協定、フィリピンを訪問する外国軍隊の地位に関する協定)においても、外国軍、軍事顧問、軍事トレーナーやコーディネーターの駐留を認めた協定はない。フィリピンの外務次官ローロ・バジャも、実際戦闘が行われている地域におけるこのような軍事行動は、二国間のいかなる覚書によっても基礎付けられないと述べている。マカバガル・アロヨ大統領と彼女の軍事問題についてのスポークスマンは、今回の軍事行動がフィリピンを訪問した外国軍の地位に関する協定で規定された”軍事演習”の範囲内であるという大きなごまかしをしている。
「6ヶ月から1年」という空前の長さは非現実的であるということは出来ないにしても、永久とか無限定というのと同じである。米軍と他国軍隊との合同演習を調べたものは誰でも、こんなに長い期間の演習を発見したことはないであろう。
エリート部隊を含むこんなに大量の遠征軍は、アメリカのフィリピンに対する軍事介入の新しいページを開くものである.1950年代においてでさえ、アメリカの軍事介入は、30名に満たない軍事顧問団と一握りの工作員によるCIAの心理作戦に限定されていたのである。
アブ・サヤフあるいはアメリカの国益に対する脅威に対してなされる戦闘に米軍が直接参加するということは、ミンダナオにおけるモロ・イスラム解放戦線とモロ民族解放戦線に対する大量の米軍投入の引き金になるかもしれない.これらの米軍はまた、米軍のリストに載っている他の”テロリスト”あるいは”共産主義的テロリスト”に向けられることになるであろう。現在、フィリピン共産党の軍事部門である新人民軍は、ルソン島、ビサヤ島、ミンダナオ島の50以上の地域において、100を超える解放区を作り上げている.米軍は”アメリカ帝国主義”と言われているようにアメリカの経済的利益を保護しているが、このアメリカ帝国主義がフィリピン共産党と新人民軍の敵なのである。
これは、全戦線における大きな、延長された戦争の引き金になるかもしれない。>
かつて米軍基地を追放したフィリピン民衆は、アロヨ政権が米軍を招いたことをどう受け止めるだろうか。
フィリピンのイボン財団が行なった昨年11月と12月行った世論調査では、52.73%が「無法者の集団」アブ・サヤフを撲滅するための戦いに米軍が参加することに反対で、40.32%が賛成だった。(しかし、マニラ圏に住む450人の回答では48.44%が賛成で、42.67%が反対であった。)この調査では、米軍などによるアフガニスタン攻撃についても、フィリピン民衆の53%が反対している。(アルカン・パパ&PDIビューロー「世論調査の結果によると、フィリピン人の大半がアブ・サヤフに対する戦いについてアメリカの援助を望んでいない」河内謙策訳)
ブッシュ政権のフィリピンへの軍事介入において、沖縄は「後方支援」の最前線である。在沖米軍基地を警護するために、昨年県外から派遣された大量の機動隊は、沖縄の人びとに撤収を要求されているのに(昨年12月13日に沖縄市議会が、同月21日に座間味村議会が、「本土」からの応援機動隊の引き揚げを要求する意見書を全会一致で採択した)、引き揚げようとしない。
しかも1月18日付の米紙『ウォールストリート・ジャーナル』は、「ブッシュ政権は19日までに、東チモールでの人権侵害を理由に1999年から停止しているインドネシア軍との軍事交流を再開する方針を固めた」と報じた。これは、フィリピンに続く対テロ掃討作戦の布石である。インドネシアのメガワティ政権は、国内の分離・独立運動を実力で制圧する方針だが、それへのテコ入れと、フィリピンでのアブ・サヤフ壊滅作戦への米軍の参加が、「イスラム世界」をにらんだ同質の介入であることに注目すべきである。インドネシアの民衆は9割近くがイスラム教徒なのだ。
ブッシュ政権の「『テロ』撲滅作戦」が、このように東アジアに広げられつつある。ブッシュ政権は東アジアにも〈敵〉を仮設して、戦火は拡大しようとしている。このいわば第三次世界大戦の恐れの下で、小泉政権は有事立法に手をつけ始めたのである。
(フィリピン学習ー21世紀の「モロ戦争」その一 おわり 21世紀の「モロ戦争」そのニ は次回 )
1月29日
フィリピン南部島嶼および海域の学習の再開を準備していたとき、フィリピンの左派系の記事も取り上げるというメディア INQUIRER & GMA NETWORK COMPANY の 「INQ7.net」というサイトを1月27日に見つけた。フィリピンにおける米比合同軍事演習「バリカタン02−1」への米軍参加に対する抗議行動が報道されていて、ショッキングな写真が載っていた。サンボアンガだったろうか、抗議運動を行う女性三人が上半身裸で背中にそれぞれ英語で「YANKEE GO
HOME」とボディペインティングして撮られているのである。米軍軍事基地におけるレイプ事件なども連想させ、ちょっとおぞましく感じたショットであった.一瞬、縮写コピーをためらってしまった。しかし、1月27日午後西エルサレムの中心部で起きたパレスチナ人女性(20代)のいわば「絶望と怒り」の自爆テロの報道で思い直し、翌日になって同じサイトを開けてみたが、もうその写真は消えていて、バックナンバーを見る手立てが残念ながらわからない。それで、そのショッキングな写真を紹介するのをあきらめた。
同サイトの記事を読むと、サンボアンガの市民が案外 米軍の到来を「解放者」として歓迎しているという記事がある。よく読んでみれば、もし米軍が撤退すれば、モロ(ムスリム=イスラム教徒)が戻ってくるという恐怖が語られている.何の事はない。ちょうど先住民であるインディアン(これを置き換えれば先住民のモロになる)を追い立て、虐殺し、圧迫してきた フィリピン北部からの侵入者であるカトリック教徒とその教会勢力の側の人々(これを置き換えれば東部から占領・支配領域を武力で拡大していったキリスト教徒の白人たちにあたる)が首都サンボアンガの代表市民になっているに違いないからである。
また、米比「合同演習」軍隊にハイテク兵器で攻撃され追い立てられているであろう「アブサヤフ」は「bandits」(追いはぎ・山賊か海賊)と蔑称されているようにライフル銃や迫撃砲そして海域では「比国軍のおんぼろ艇に対してbanditsの強力なスピードボート」などの武器しか持たない、フィリピン共産党の軍事部門の新人民軍などと比べれば、おそらく内部矛盾もかかえた五、六百名から千名内外のゲリラ部隊にすぎないようである。
「アブサヤフ」という名前は、「剣の使者」という意味である.創始者のアブドゥラジャク・ジャンジーラは、ミンダナオ西部のバシラン島出身で、サウジアラビア・リビアで学び、アフガニスタンでソ連軍と戦うムジャヒディーンに参加した.
その後、バシラン島に帰り、同島のイサベラのタブク村でイスラム原理主義の活動をひろめる.バシラン島では以前からウスタズ・ワハブ・アクバルが、パンを製造販売する協同組合運動を通じてイスラム原理主義を説き、アラビア語を教えながら理想のイスラム共同体を志していた.アフガニスタンの戦いから帰ったジャンジャラニは、このアクバルの開いた地盤のうえに「アブサヤフ」を作ったのであろう。
バシラン島のタブク村を始めて訪れたジャーナリスト、デラ・クルスは、「ホロ島やサンボアンガのイスラム社会とは全く違う 昔のイスラム世界を見た」という。
「アブサヤフ」の創設者ジャンジャラニは1998年12月バシラン島の戦闘で戦死し、弟のガタフィ・ジャンジャラニが跡を継いでいる。
16世紀、東南アジア海域に現れた西欧キリスト教(カトリック)勢力の尖兵を務めていたイスパニア(スペイン)の「十字軍艦隊」のフィリピン到来がもう半世紀遅れていたらルソン島などフィリピン北部も含めて南北フィリピンはイスラム世界になっていただろう、というフィリピン歴史家のことばがある。あとで触れる中比合作映画『スルタン(王)と皇帝』(スールーのスルタンと明の永楽帝のつきあい)が描いているのは、そういう南部からマニラにかけてイスラム化しつつあったフィリピンの時代の物語である。
西欧カトリック勢力の先陣をつとめたイスパニア(スペイン)は、16世紀から長い間の戦いでフィリピンを北部ルソン島から征服しカトリックを広げていった.「スペインは最初にカトリック布教師を送り、安全とわかれば商人を、その後には軍隊を繰り出して征服支配する」といわれた。昔からの「西洋史」で美化されたいわゆる「地理上の発見」とは、実はこういう構造の「西欧カトリック勢力の十字軍」の異文化・異教の世界への侵入であったのである。
フィリピン諸島ばかりではなく16世紀の東南アジア世界ではイスラムに根ざした文化・文明が花開いていたのだが、フィリピンではイスラム社会は北部から征服され、カトリックに改宗を余儀なくされ、数世紀の抵抗も空しくイスラム世界は米国史における先住民族インディアンのごとく、南部島嶼や南部海域に追いやられていったのである。彼らは征服者のイスパニア人がイベリア征服の際に「敵」イスラム勢力を「モーロ」と差別し蔑称したように、フィリピンの先住文明人イスラム教徒を「モロ」と名づけ差別し抑圧した。
この次の回で取り上げたいが、米比戦争とそれに続く「モロ戦争」でもミンダナオ・スールーに残るイスラム世界は完全には屈服することなく彼らの自治と独自性を守りつづけた.最後に残ったフィリピン諸島の南部は、イスパニア・カトリック勢力にも19−20世紀の米国キリスト教勢力にも、一時的な征服者日本軍国主義にも、屈服することなくイスラムのアイデンティティを守りつづけたのである。
フィリピン南部のミンダナオ・スールー島嶼や海域に残るイスラム共同体の自治・独立を求める武装組織には、20世紀の70年代以降 「モロ民族解放戦線」MNLF(Moro
National Liberation Front)[フィリピン国立大学のヌル・ミスアリ議長をいただく]の独立闘争が目立った。
(フィリピン学習入門ー21世紀の「モロ戦争」− そのニ)
1月30日
<21世紀の「モロ戦争」>というテーマで私のフィリピン学習を始めてみたが、アブサヤフの実態と目標はじめ判らないことだらけである.モロ民族解放戦線(MNLF)やそれから分離した モロ・イスラム解放戦線(MILF)やフィリピン共産党の新人民軍のようなやや大きな武装組織ではなくて、なぜ bandits (おいはぎ)と蔑視されるようなアブサヤフのような群小組織の撲滅のために、比国軍2名に米軍特殊部隊1名の割合で、助っ人・トレーナー兼軍事顧問として米軍が繰り出されているのか。1991年以来の度重なる「おいはぎ行為」、国軍施設への攻撃、都市における爆弾事件、人質拉致と多額の身代金の強奪、銀行襲撃とキリスト教市民の殺傷、病院・教会の占領、外国人とくに米国人の人質拉致等々、たしかに目に余る暴挙があったにせよ、なぜフィリピン軍警の力で取り締まり抑えることが出来なかったのか.オサマ・ビンラディンのアブサヤフに対する資金提供とか、1993年NY世界貿易センター爆破事件で1995年逮捕されたクウェート出身のラムジ・ユセフとアブサヤフとの関係を聞いても、まだ疑問が残る。
フィリピン国軍は、米国のFBIがアブサヤフの首領カダフィー・ジャンジャラニを最重要指名手配テロリストのリストに追加したことを昨年12月19日歓迎したというニュースがある。そこで、米国の軍事顧問団が比国軍がアブサヤフ撲滅作戦にてこずっているバシラン島・スールー諸島に近いサンボアンガ市にやってきて比国軍兵士の訓練にあたり、これから1年の予定で米比合同軍事演習を始めたというわけである。
2月1日
1月31日23:00配信のメルマガ、池澤夏樹さんの『新世紀へようこそ』069で「基地オキナワ」という題で、米軍基地オキナワとフィリピンへ出動するオキナワの部隊、目標であるアブサヤフの拠点バシラン島のことに触れている。
<・・・アロヨ大統領はアメリカ兵は実戦には参加しないと言っていますが、正当防衛という理由をつければいつでも戦端を開くことはできる。アメリカ兵が一人でも死んだら、テロ組織殲滅を理由にまた大規模な武力行使という可能性を指摘する声もあります。アメリカ軍がこれから長くフィリピンに駐留するかもしれない。
ちなみにフィリピンで1月下旬に行われた世論調査では53%が米軍の派遣に反対、40%が賛成でした。また、フィリピンの憲法は国内での外国軍の活動を禁止しています。
来る2月3日は名護市の市長選挙の投票日です.普天間飛行場移設問題を最大の争点にして、地方自治体の選挙球であるにもかかわらず国政レベルの判断を住民に問うという、ねじれた選挙。・・・・・
賛成派の候補が当選して市長になって4年.次の市長選の時期がきたということです.選挙は基地受け入れ派の現職と反対派の対決になっています。
有権者は、国からざぶざぶとつぎ込まれる基地関連事業費と公共事業の金か、平和で安全な基地なき生活か、という選択を迫られている。・・・・・・
(潤沢な国からのお金を取るかどうか)もう一つ争点があるはずです。
アフガニスタンであれだけ人を殺した、9月11日のテロ攻撃と結果的に同じ事をしたアメリカ軍という組織を、名護市民は受け入れるのか。
目の前のお金と 遠方の死者。
むずかしい選択だと思います.お金がなくては暮らせないのは明らかで、そういう時にアフガニスタンのような遠い国の死者は見えにくい。
しかし、戦場はフィリピンに移ろうとしています.フィリピンは近い.那覇から東京と 那覇からマニラは 同じ距離です。沖縄との間には昔から多くの人の行き来がありました。
フィリピン人の53%が反対しているアメリカ軍というものが恒久的な基地を造って入ってくることを、名護市民は受け入れるのでしょうか。>
ところが、こういう情報もある。モロ世界のスールー列島の中心をなすホロ島を検索していたら webshincho
com (新潮社)のサイトに「MIDDLE EAST 重病から復活 暗躍を開始したラディン」という いかにもホントらしいが随分いかがわしい記事をみつけた。出典も筆者名もない。
<・・・ビン・ラディンを巡っては、一時、病死説や暗殺説が飛び交ったが、アフガニスタンの消息筋によれば、同氏は今春、潜伏先の山岳地帯で重い腎臓病を患い、一時は生死の境をさまよったが、奇跡的に回復したという。
その後、中東経由でアルバニアに入り、数百人から成る新たな武装ゲリラグループを編成した。そこから彼らをユーゴスラビア・コソボ自治州に送り込み、同地にテロの拠点を築いた模様だ。この組織には、昨年解散したKLA(コソボ解放軍)の元メンバーも多数加わっているという。
また、複数の欧州の治安当局筋が最近、マニラから得た情報によれば、フィリピン南部のホロ島で外国人観光客を人質にとっているイスラム武装勢力「アブ・サヤフ」に対し、ビン・ラディンが密使を通じ書簡を届け、資金・武器の援助を申し出たという。ビン・ラディンは「必要とあれば、自分自身がフィリピンに潜入し、テロ活動を指導してもよい」と伝えたとも言われる。>
サンボアンガからバシラン島・ホロ島あたりスールー諸島を「米比合同軍事演習」の目標にしている米比軍が喜びそうな情報である。これだからイスラム原理主義者という狂信者の「おいはぎ」どもは撲滅・討伐せねばならないという根拠を与えるような情報である。
次回は 少し長い時代をさかのぼって、13世紀以来のフィリピンにおける「モロ」(イスラム教徒)の歴史を語ってみよう。
(21世紀の「モロ戦争」−その三)
2月6日
左の絵は、1913年6月11日から15日にかけてフィリピンのスールー諸島ホロ島で行われた「モロ戦争」を「モロ」の抵抗を鎮圧した米軍側から描いた絵であり、1963年米軍ポスターから複写したもの。
20世紀初期の最新兵器をそなえた米軍に対して、自分たちの聖域と自分たちの信仰を守ろうとする 住民「モロ」の戦士、抵抗者側はクリスという独特の短剣、barongs、槍、ほんの僅かな猟銃で戦い、4日間の激戦の後、殲滅された。ホロ島 Bud Bagsk の戦いと名づけられた戦争画である。米軍は当時としては最新兵器であったコルト0.45口径ピストルなどを実験し、効果を試している。
この米陸軍の戦争ポスターを史料として採用したPhillipine-American War Centennial Institute(P.A.W.C.I.)は、この戦争画について適切な絵画史料批判を試みている。
この絵には明らかに二つの誤り, ウソがある。
1.マキシム式連射機関砲やガットリング機関銃,大砲(それにコルト式ピストル)のような最新兵器で武装した米兵に対して この絵のような至近距離で接近して戦う機会を モロの戦士たちが現実にもてたというようなことは 疑わしい。
2. ポスターの絵は, 同朋と戦うという「汚い仕事」で 米軍士官に雇われ命令されている傭兵になった住民の姿を 誤り描いているに違いない。
しばらく中絶していた<フィリピンにおける21世紀の「モロ戦争」>の学習を再開したい。
私は、1986年4月から翌年にかけて一年間だけであったが、東洋大学文学部史学科の二年生十六名の学生達と「西洋史学演習」としてフィリピン史の講読を試みた。
講読したテキストは三冊だけNichoras Zafra "A Short History of the
Phillipines for Elementary Schools"
Alemar Phoenix.1966. これは意図して、フィリピン史学界の泰斗二コラス・ザフラの好著である「初級国史〈フィリピン国民にとっては)教科書」を選んで精読・分析しようとした。このテキストに付け加えたのは、やや膨大な文献ではあったが、やはりフィリピン人の国民意識高揚を目指したような フィリピン人の独立運動、民族-民主の運動の歴史物語の集大成のような本 Carlos
Quirino "Filipinos at War" Vera-Reyes.1981. であった。三冊目のテキストは、本格的な研究書でありDavid
R.Sturtevant "Popular Uprising in the Phillipines 1840-1940"
Cornell University Press.1976.である。
以上三冊のテキストを十六名の史学科二年生とともに一年間二十七回にわたって読みあった。この学習については拙論『フィリピンの自国史教科書に学ぶ』〈吉田悟郎『自立と共生の世界史学ー自国史と世界史ー』青木書店1990年に所収)に少しくまとめている。
拙著『自立と共生の世界史学ー自国史と世界史ー』に収めてあるのだが、「日本人、モウル人打まじり見せ出し居申候」−十六世紀後半〜十七世紀初期フィリピンの日本人ーという文章〈『歴史地理教育』412号、1987年6月号に最初発表)がある。すでにこの時代、フィリピン北部の日本人町・「南蛮町」で日本人商人はフィリピンの「モロ」商人と軒を並べて共存共生していた、このとき日本人はフィリピンでイスラム・ムスリムとすでに出会っていたという隠れた重要な史実の掘り出しである。
それから90年代にかけての私の世界史像の「ひっくり返し」と「試行錯誤」の経過の中で、90年代に入る頃には中間報告的な「世界史学講義」ができつつあった。日本女子大学文学部史学科での「世界史の方法」、中央大学法学部一般教としての「史学」、成蹊大学法学部での「世界史概論」、東洋大学での「外国史」、和光大学での「歴史」、などの諸講義を通じて、私のかりの『世界史学講義』は全二十三回ぐらいの形になってきていた。
1991年7月29日、韓国ソウル大学湖巌教授会館で開かれた韓日歴史教育セミナー<21世紀を志向する歴史教育>の基調講演を依頼された私は、「21世紀を臨む歴史教育における自国史と世界史ー学と知転換の場としての世界史学ー」という題で、1982年以来は比較史・比較歴史教育研究会とともに考究してきた「自国史と世界史」の考え方を述べ、そういう試行錯誤を続け検証してゆく場としてどうしても『世界史』あるいは『世界史学』といった場が必要になってくることを強調した。これは、1995年出版の拙著『世界史学講義ー上下ー』御茶の水書房という形で世に問うことになる(上巻は「西欧文明形成の闇黒」、下巻は「第三世界と世界史学」という副題である)。そういう上下二巻の形になる原論を1991年7月ソウル湖巌会館での基調講演では述べさせていただいた。
このとき、資料として付け足したプリントがある。「付表 1991年度 世界史学講義 各回項目」とあり、前期後期あわせて24回になっている(西川正雄編『自国史を超えた歴史教育』三省堂41992年、28−29ページ)。
その「第8回」に、「大航海」の蔭に/16−17世紀のフィリピンの日本人/モロ問題、という学習主題が記してある。やがて1995年に出た『世界史学講義』上巻第8章は、このとおりの題で書かれているが、つけたして「ブナ林便り」として二篇、<壬申倭乱四百年ー交感する陶芸家沈寿官と「沙也可」ー><スルタンと皇帝ースールー王国の世界史的意味ー>をおいている。以上が、かつて試みたフィリピン史学習、「モロ」学習である。
そして、いま米軍のスールー・ホロ島などへの介入(まだ戦闘には介入していないと言い、アロヨ政権は86%の国民が米軍の対「テロ」討伐支援に賛成していると言っているが)を機として再びフィリピン・モロとの再会というわけである。
この2月5日の「朝日」夕刊は、マニラ電として「フィリピン国軍は4日、南部ホロ島で1日から始まった空爆により、イスラム過激派組織アブサヤフとモロ民族解放戦線の創設者ミスアリ氏派のゲリラ計16人が死亡した、と発表した」とある。その横のニュースには、「アブサヤフ、2年で140人を人質に」という記事もある。「2000年から2001年の2年間にアブサヤフが攫った人質が140人に上るとレイエス国防相が3日テレビで発表した。そのうち、国軍が救出したのは53人、解放されたのは43人、自力脱出などが20人、殺害されたり救出作戦中に流れ弾で死亡したものが16人。現在も拘束されているのは米国人2人と比国人6人」という。
2000年9月の報道ではあるが,「比国軍の攻撃は結局のところ、すでにフィリピンの最貧地区の一つに数えられているスールー州を一層荒廃させるだけだろう。1970年代前半,風光明媚なこの島は,軍部と当時の主要イスラム組織「モロ民族解放戦線」MNFLの戦闘の最激戦地だった。戦闘でホロ島の大半は破壊し尽くされた。/・・・再建には長い年月が必要だ。カトリック教徒が多数を占めるフィリピンにあって例外的にイスラム教徒の多いスールー州は識字率が最も低い地域の一つだ。乳児,産婦の死亡率は高い。医療サービスや飲料水のような生活必需品も手に入りにくい。農場から市場に通じる道路は未舗装だ。/・・・スールー州はアブサヤフ誕生の地でゃないが,経済状態はアブサヤフが組織されたバシラン島と似通っている。イスラム教徒が多数派のバシラン島では住民の半数が貧困生活を送っている。」と報道されていた。
2月9日
フィリピンのアロヨ大統領政権は, モロの武装組織アブサヤフ(モロ地域の独立を求めてこの2年間に人質を140人も拉致,その他 bandits
まがいの行為を繰り返している)つぶしに手を焼いているフィリピン国軍を助けるという名目で 米軍をよび, 「米比合同軍事演習ーバリカタン02」を始めた。
この政策については, いちおう 84%もの国民が米軍の対テロ作戦を支持という世論調査(これについても国民の本当の気持ちではないという疑問も出ている)はあるものの、一方では「憲法違反」だとする野党一部からの反対も根強い。
アロヨ大統領は、この反対意見に とうとう業を煮やして, 米国のブッシュ政権の真似をしたかのように、「友人の支援(米軍の支援)に反対する人はフィリピン人ではない! テロの保護者,殺人者の仲間だ」と声明で言い放った。そこで、「アロに反すればフィリピン人でないのか」という疑問や、「テロリストから大統領へ。私は純粋のフィリピンです」というジョークが流れている。フィリピンは大半がカトリックのキリスト教国だが, プロテスタント系団体は9日,「国民であることをあざわらう言葉に抗議しよう」とする声明を出している。(プロテスタント系のグループは,米国政府はおせっかいな姿勢を改め,フィリピン人の主権に敬意を払うように」という声明を出している。 INQUIRER NEWS 2002年1月31日。)
米国現政権に発する<反『テロ』撲滅戦争は正義>というハリケーンはこのように世界中をかけまわり、世界中の人々を浮き足立たせている。まことに憂慮すべき風潮だと思う。(以上、主として、朝日新聞2月9日マニラ発・郷富佐子記者の記事による)。
まず、フィリピンの歴史を概観していく前に、基礎的な予備知識を二三確かめておきたい。
ひとつは、マルコスの独裁とかアキノ政権誕生の「緑の革命」、最近では三文映画の人気スター上がりの大統領の浮き沈みなどで有名になったこの国、フィリピンは、非常に豊かな数十の家族が、国土の半分以上の土地を所有しているという、支配構造のきつい国であること。以下、田中宇さんの国際ニュース解説の2001年7月9日「フィリピン民衆革命の裏側」によって説明していく。
< この構造は、19世紀フィリピンを植民地として支配していたスペインに利益をもたらすため、サトウキビ、タバコなどの商品作物を栽培する大農場が作られた時からのもので、大農場を所有する人々が、フィリピンの支配者となった。
この構造は、20世紀に入ってアメリカの植民地になってからも変わらず、24議席からなる上院議員や、歴代大統領の多くは、この特権支配層と何らかのつながりを持った人々である。
1946年の独立後、この支配構造を壊そうとしたのが、1965年に大統領となったマルコスだった。彼は69年に再選を果たした後、自己の権力を絶対化しようとしたが、そのときに特権支配層から強い反発があった。反対勢力を潰すため、マルコスは1972年に戒厳令を敷いて独裁体制を作り、支配層の介入を許さなかった。
ところが、1980年代に入って経済の停滞や政治腐敗が目立つようになり、1986年の大統領選挙で、国民は当選を宣言するマルコスを信用せず、対立候補だったアキノ夫人を支持すル運動が巻き起こり、マルコスは亡命に追い込まれた。
この事件は、表向きは「民衆革命」と呼ばれているが、実のところ、かつての特権支配層が再び権力を取り戻す政変でもあった。軍の中には、「民衆革命」の美名のもとに旧支配層が復活したことを嫌う軍人もおり、アキノ政権時代にはクーデターが絶えなかった。>(次回に続く)
2月18日


第1図 コインにも刻まれたラプラプ 第2図マイニラのラジャ〈王〉ソリマン 第3図ミンダナオのクダラトの妻、スペイン軍の虜よりも自決を選ぶ
第4図 モロの文化-Ani Sawt
フィリピン諸島南部ミンダナオの西南突端に近接するバシラン島に2月17日米陸軍特殊部隊(いわゆるグリーンベレー約30名が飛来した。最終的に660名になる米兵の先発隊である。
彼らは飛来直前に、バシラン島住民約33万人中60%以上を占めるヤーカン・ムスリムの慣習と伝統についての学習を一応経てきている。米兵はイスラム教徒の男女に銃を向けたり、身体検査などしないように注意されている。6ヶ月間の訓練期間比国軍のパトロールに参加するだけという.。比国憲法では外国軍の戦闘を禁じている。
だが、比国軍にはない改良型のM4ライフル銃や最新装備の戦闘ヘリなどで装備されたグリーンベレーが比国軍とともにアブサヤフという極め付きのモロのbandits(「おいはぎ」集団)を追い、人実奪還の巡察を継続する以上、どんな戦闘状態に陥るかもわからぬし、米軍の方は少数でもハイテク兵器を備えているし見えない敵であるアブサヤフ〔今までではモロ民族解放戦線やその分派から成長したモロ・イスラム解放戦線からの流れ者も混じっている場合が多い)あるいは反米的なモロ武装グループからの攻撃を受ければ応戦してよい、しかも戦闘の指揮権は米軍の方にもあると事前に約束されているのだ。
すでに16日の土曜日、バシランの西方のこれと並ぶ大きな島ホロ島とミンダナオのサンボアンガでアブサヤフの仕掛けかもしれない爆弾騒ぎが起きている。沖縄などからサンボアンガ経由で米陸軍特殊部隊の米兵はきている.日本の基地がモロ世界と直結しているのである。爆弾騒ぎや連続する人質拉致事件の犯人はアブサヤフで、彼らのモロ地域独立には大義名分なく「追いはぎ」「盗賊」の過激集団だというのが比国政府の見解であり、アブサヤフはオサマ・ビンラディンそしてアルカイダのネットワークと関連ありというのがワシントンの判断である。
何故、フィリピン諸島南部はこのように不安定で反政府の解放組織やその武装ゲリラが盛衰をくりかえし、比国軍や警察などでは治安が維持できないのだろうか。あのマゼラン(マガリャエンシス)の十字軍艦隊到達以来スペイン領になり、米西戦争以後は米国領となり、太平洋・東アジア戦争では一時日本グjんの占領下に置かれたフィリピン諸島。ここは西欧キリスト教でももっぱらカトリックが支配的な世界であるはずなのに、なぜイスラム教徒が南部ミンダナオやスールー諸島には多いのか? 何世紀にもわたる<モロ(=イスラム教徒・ムスリムのこと)戦争>とは何か? なぜ数世紀も続いたのか? 米国の支配はモロ世界を淘汰できなかったのか?
いまはイスラム教徒(ムスリム)=モロの土地、モロの世界といえば南部フィリピンであり、比国第二の島であるミンダナオにスールー諸島、パラワン、バシラン、それに近接する島々からなる地域を指している。こういうモロの土地、モロ地域世界は、比国全土の三分の一以上にあたり、116,895平方キロの広がりがある.。この地域世界の総人口2000万人以上、そのうちモロ=イスラム教徒は1200万人、残りは高地に住む先住民、それにルソン・ヴィサヤヤから来たキリスト教徒の移民である。
欧米人の到来と侵入、征服と植民地化以前のユーラフロアジアの歴史は、従来の西欧近代中心の歴史観・世界史観によってほとんど省みることのない野蛮の歴史、文明以前 あるいは民主主義・自由化以前の暗黒の歴史とされてきた。国史・東洋史・西洋史における朝鮮・台湾・「満州」の歴史、そして国内では沖縄〔琉球)やアイヌや東北・北海道の歴史がそうであったように。
フィリピン諸島は、1521年マゼラン(マガリャエンシス。スペインに仕えたポルトガル人)率いる十字軍艦隊の到来より三世紀以上前にイスラム教がイスラム商人やウラマーにより伝えられ、1210年いまのモロ地域にまず受容され、フィリピン北部にも広がっていった。スペイン人勢力のアメリカ大陸から西方海上征服の十字軍艦隊(レガスピ 1570年)の到来と侵略がもし半世紀遅れていたらフィリピン北部、つまりルソンやセブもイスラム化していただろうと、フィリピンの歴史家はいっている。
カリブ海でコロンブスたちが先住民の平和なインディオたちに対して最初の野蛮な暴力行為を示したのと同様に、乱暴・野蛮な荒掠行為をおこなぅたマゼランたちに抵抗して、マゼランを討ち取り、侵略者を撤退させたラプラプはCali
Pulacuといい、野蛮な西欧キリスト教徒の十字軍侵略を防いだ国民英雄として今は顕彰されている(第1図)。西欧側の記録では、ラプラプは異教徒だとしているが、イスラム教徒になっていたのかもしれない。とにかくマゼランら側、西欧キリスト教勢力側の記録で恐るべき偏狭さは、「イスラム教徒なら絞首台にかけるのがしかるべし」とあることでもわかる。征服と植民地化が進む中で、フィリピンの先住民は「インディオ」、絞首刑に処すべき邪悪なる敵=イスラム教徒は「モロ」として敵視し皆殺しにしようとする。
第2図のマイニラ(いまのマニラ)のラジャ(王)ソリマンはイスラムの王国を良く治めていたが、1570年レガスピ配下の司令官ゴイティ率いるルソン遠征隊との駆け引きに騙され裏切られ、マイニラの城砦を乗っ取られ、ソリマンは謀殺され、イスラム王国の都マイニラは荒掠された。スペイ人征服者は新たに1571年ルソン征服戦争の拠点としてマニラを再建し、イスラムの痕跡の全てを破壊・抹殺した。
これから三世紀にわたる北部から南部にかけてのモロ=イスラム教徒の従属化と征服、強制改宗か絶滅かという凄惨な「モロ戦争」が続いたわけである。
第3図は、モロ=イスラム教徒のさまざまなスルタン王国を攻撃し、ひとつひとつ支配・従属させていこうとする北部ールソンーマニラースペイン・カトリック側の動きと次第に南部に追いやられ、勢力を縮めていくモロがわの動きとかぶつかりつづける。第3図は、17世紀 南部ミンダナオを中心に栄えていたコタバトの支配者スルタン・クダラートもとうとう打ち負かされるというとき、留守を守る城砦がスペイン側の手に落ちる危機迫る中でクダラートの妻は敵のキリスト教徒側の虜となり陵辱の憂き目に遭うよりはと、愛児を抱いて城砦から身を投げ自決しようとした。ちょうど豊臣秀吉の朝鮮侵略戦争のとき晉州の芸妓が秀吉側の武将を抱いて激流に身を投じた話を思い起こす(<朝鮮五葉松への旅>参照)。
1898年のパリ条約でフィリピンの主権はスペインから米国に譲り渡されるが、三世紀以上のスペインの植民地支配の歴史を通じてスペインの支配下に入らなかった南部のモロ地域世界も米国の支配下に移されることになり、以後47年間スペインに代わって米国がモロ=ムスリムを従えるか滅ぼすかという難題吐露リ組むわけだが、これもスペインと同じく失敗に終わった。
三世紀以上にわたるスペインが行った「モロ戦争」、19世紀末ー20世紀初めからスペインに肩代わりした米国が47年間行った「モロ戦争」、これは南部に押し縮められたモロ=ムスリム側から見れば、受身・防衛の立場から人間の尊厳・信仰の自由を守る「ジハード Jihad
聖戦」ということになる。
モロ側から見れば、モロのジハードの歴史は三期からなる。第一期ースペインの侵略に抵抗するモロ・ジハード(1521−1898)337年間。 第二期ー米国の植民地支配に抵抗するモロ・ジハード(1898−1946)47年間。 第三期ーフィリピンの十字軍に抵抗するモロ・ジハード(1970−今日)。
1970年代からのフィリピンの北部からの「十字軍」殖民・移民・「開発」政策というのは、米国の支援を受けたイスラエルの戦争・拡大政策と占領地の拡大と
強引なパレスチナ人追い立てと土地家屋の取り上げ、入植地の不法な拡大の過程とそっくりである。そういう占領と占領下の先住民の生命・財産の侵害、先住民の尊厳性の剥奪という野蛮な仕打ちの積み重ねから、「モロ民族解放戦線」そして「モロ・イスラム解放戦線」が生まれ、<モロのジハード>がはじまり、その盛衰と苦闘と妥協、おそらくPLO幹部の腐敗と停滞に見られるような矛盾は、モロの解放組織内にも見られ、さらなる過激派アブサヤフのようなテロ行為の頻発に陥り、米軍の介入を招くという最悪の事態にまできているのではなかろうか。(続く)
(

第5図スペイン・米国との「モロ戦争」の弾痕を残すミンダナオのモスク (Magui Mosque) 第6図モロ民族解放戦線MNLFの旗 第7図2002.2.17米陸軍特殊部隊バシラン島入りーINQUIRE ONLINEからー
2月19日
<21世紀の「モロ戦争」>の学習をとぎれとぎれではあるが、ほそぼそと続けてきた。フィリピンのムスリム問題、’Moroland'問題、数世紀にまたがる「モロ戦争」問題、ムスリム側から見れば'Moro
Jihad'の歴史を調べている研究者は日本にはまだいないのだろうか。いろいろ基本的な問題でなかなか解けない疑問があきらかになってきた。まず、いくつか列挙してみよう。
まず第一の疑問。ームスリム側で言う<モロ聖戦 Moro Jihad>の第三段階「フィリピン政府の十字軍(1970−今日)に抵抗するモロ聖戦の段階」とは、なぜ始まったのか?
いかなる北方のフィリピン国家側のモロの土地、モロの世界に対する抑圧がかかってきたのだろうか?
第二の疑問。ー「モロ民族解放戦線」MNLFから 「モロ・イスラム解放戦線」MILFが 別れたのは どういう意味があるのか? 何故、「民族解放」ではなく 「イスラム共同体解放」に転換しなければならなかったのだろうか?
第三の疑問。−インドネシアにおける東ィモール(独立)問題、インドネシアにおけるアチェ分離問題、あるいはイスラエルーパレスチナ問題、米国内の「インディアン問題」などと、フィリピンの「モロ問題」は、いろいろと似ているところがある。どこが相似しており、何処が相違しているのだろうか?
第四の疑問。−「イスラム原理主義過激派ーアブサヤフ」というが、彼らの信仰教義がどこかで明らかにされているのだろうか?
第五の問題。−フィリピン社会・諸階層の「モロ・ランド観」「モロに対する十字軍政策」に対批判や反対はどういう形で現れているのだろうか?
第六の疑問。−20世紀初期米国において植民地フィリピンにおける「モロ戦争」の残虐行為に対する非難と反省があったことはジム・ツウィックとそのウェブサイトの存在によりわかるが(目良誠二郎さんの紹介)、そのような米国人の戦争責任・戦争犯罪への追求や反省は今日の米軍の「モロ戦争」介入にどう生かされ継承されてきているのだろうか?
第七の疑問。−日本・日本人の「モロ戦争」「モロ問題」に関する無関心・無知はどこからきているのだろうか? これは一朝一夕にはどうにも改まらないことだろうか?
以上のような疑問があり、容易には解けそうもない。(続く)
2月20日
「モロ戦争」、モロ側から言えば「、モロ・ジハード(聖戦)」は実に長く モロ=ムスリムの尊厳と自決を求めて 「人類史を通じて最も長期にわたる最も血にまみれた戦いを続けてきた」と、 モロ・イスラム解放戦線の指導者であるシェイク・サラマート・ハーシムは語っている。
事実、その戦いは16世紀以来、スペインを代表とする西欧キリスト教勢力の侵略との三世紀以上の戦い、そして米国の47年間の植民地支配への抵抗、僕率後の比国中央政権との今日まで続く戦いとやむことはなかった。
そういう長期にわたる「モロ戦争」=「モロ聖戦(ジハード)」の第三段階(1970年代ー今日)は、なぜ どのようにして 始められたのだろうか?
第一の疑問である。
モロランドで最大の島ミンダナオでは第二次世界大戦後独立したフィリピンの60年代から分離独立運動盛り上がり。70年代に入った1970年モロ民族解放戦線 Moro
National Liberation Front (MNLF)ガ結成され(議長ヌル・ミスワリ)、北の大統領府との間と内戦状態に入った。
60年代はルソン・マニラの中央政府は「国土開発政策」を進め、モロランドである南部への進出を強め、ルソンやヴィサャヤから多くのキリスト教徒(カトリック)
移民をミンダナオを中心に南部モロランドの島々に送り込み、これが昔から差別され敵視されていた先住民のモロ(ムスリム社会)との間に摩擦を起こし、モロの反発を招いたのである。
2月22日
モロ・ムジャヒディン(戦士)のAmir、シェイク・サラマート・ハーシムは、モロ・ジハード(聖戦)の第三段階<フィリピンの十字軍(1970−今日)に対するモロ聖戦>が、どのようにして始まったのか、を次のように語っている。 "Nida'ul Islam" 23号(19998年4−5月)に発票された『モロ聖戦ー南フィリピンのイスラム独立を求める絶えざる闘いー』という文章である。
<1946年フィリピン独立承認依頼、マニラ政府はルソンおよびヴィサヤからキリスト教徒をモロランドへ「移住させる計画」を着手した。これ以前は、モロ・ムスリムは、彼ら自身の中から選ばれた地方知事、都市の市長,
Barangayの首長らがとりしきる地方自治をながらく享受してきた。
マニラ政府の支援の元、キリスト教徒の移住者たちはモロランドへの流入後すぐ戦略的な政治的・社会経済的な地位を引き継ぎ始めた。
明らかに、モロランドへのキリスト教徒移住者の流入の背後にあったマニラ政府の動機は、単なる定住ではなく、ムスリムに対するジェノサイド(皆殺し)キャンペーンを実行することである。
とくに農村地帯では、この計画は、非武装のモロ民間人に対して恐慌状態を引き起こすために 「不法」として知られるキリスト教徒の武装民兵の組織によって遂行された。虐殺と放火が繰り返し繰り返し連続して実行された。モロの民間人はやむなく住まいの家や農地を捨ててムスリムの多い市街地区に避難することを余儀なくされた。このことが、キリスト教徒のテロリストたちがモロの難民が留守にした家屋や農地を占領する絶好のチャンスを与えた。
このようなマニラ政府の「モロ皆殺しキャンペーン」は、緊急のところまで達した。そこで、モロの青年・学生、国内・海外どちらにいるかを問わず、とくにアラブやイスラムの諸国で学んでいた人々が、サラマート・ハーシェムに率いられて、この挑戦に応えるため、『モロ民族解放戦線 Moro
National Liberation Front』を組織せざるを得なかったのである。この『解放戦線』がまだ組織中のこと, 戦線の議長職を巡り、ミサウリとカイロ卒業生(医者)の一人との間に衝突が起き
た。 シェイク・サラマート・ハーシムは全グループの指導者だったが,それ以上の論議といずれ起こる失敗を避けるため,議長職を主張しなかった。そこで,ミサウリ Misauri が戦線の議長になった。・・・・>
先に立てた 第一の疑問を少しく考えているわけだが、シェイク・サラマート・ハーシムのいう<マニラ政府のモロ皆殺し計画>とその実行の経過を知ると,今はかつてはモロランドの中心だったミンダナオなどではモロ=ムスリムが6割以上に減り,北方から移民したカトリック・キリスト教徒市民・農民が4割まで増えている現状の歴史的背景がわかる。同時に、これと同じ経過が, 北アイルランドで,南アフリカで,アメリカ大陸の南北を問わずいたるところで、そしてパレスチナで、いままでの世界史のいたるところで行われてきた,<欧米キリスト教徒勢力による「十字軍」>の武力と脅迫, 陰謀と欺瞞による「ジェノサイド」「武装入植」であった。
2002年1月30日という新しい史料を見てみようか。フィリピン下院の合同委員会公聴会に提出されたウィグベルト・E.・タナダ Wigberto E. Tanadaの<われわれが米軍の介入に反対する理由>というステートメントである。
<・・・・・・(フィリピン南部の)ローカルな社会経済の諸問題に目を向けなければなりません。この地域の貧乏と経済的機会の欠乏を軽減することを考えるのが先決です。
われわれは、反テロの努力という名目で ミンダナオで行われた人権に加えられた暴力のかずかず(zoning
地区囲い込ミ、軍管区制みたいなものか? 大量の自宅拘留、住まいの強制移動など)とムスリムへの敵意のレポートに驚きます。
われわれは、米国に対する9月11日のテロ事件がもたらした 米国がリードするキャンペーンと反イスラム感情が それ以上の暴力と不寛容を生み出し、ミンダナオでの武装闘争を解決するための努力を根こそぎ壊してしまわないかを 恐れているのです。
われわれは、テロリズムの増大する脅威を認める一方、 増大する貧乏と不平等がもたらす人間性(人間の尊厳)へのより強固な脅威を最重要視するというNGOsと市民の組織としての強い決意を続けます。>
2月23日
久しぶりに,15世紀モロランドのスールー王(スルタン)と明の永楽帝との交渉について研究している三王昌代さんからメールが届いた。モロランドについての英文サイトをいくつか三王さんには転送してある。
吉田悟郎さま
こんにちは
ご無沙汰しております。けれど先生には毎日お会いしているような・・・
フィリピン、スールー関係ののHP、ご紹介くだいさいましてありがとうございます。
ようやくはじめのバージョンを読み終え・・・
それでもフィリピンのイスラームについては分からないことばかり浮かんできます。
まだ、他文献にはあたっていませんので、ちょっとした感想のみ書かせていただきました。
しりきれとんぼの文章で申し訳ありませんが、丁度、今先生からのメールをいただきましたので返信します。
添付ファイルで送信します。
三王昌代 2002年2月23日
添付文書
<
2月になって急に中国北京に決まりまして、あたふたしておりました。ようやく決まり、3月5日から13日まで行ってきます。徳州に行って今度は蘇禄王墓のビデオでもとって来れたらと計画はしているものの、うまく連絡がとれなくて。でも、河西先生(社会系‐)が8日から15日に、北京におられるということで、お会いできそうです。北京で、何か吉田先生のご用事はありますか?もしなにかあればご連絡いただければと思います。
ということなどいろいろと重なり、2月あたまにお送りいただいた、HPサイトの英語の文献、ようやく読み終えました。「21世紀の「モロ戦争」」の学習、私にも分からないことばかりです。
私の疑問は次のようなところにあります。
例えば、スペイン支配からアメリカ支配へ、そしてアメリカからフィリピンへ、ホセ・リサールのような(鶴見良行さんの訳したものに『フィリピン民衆の歴史』がある)活動に、ムスリムはどのような関りをもっていたのだろうか。また、日本軍への抵抗運動、クラーク基地からのアメリカ軍の撤退、これにはどう関っていたのだろうか。ムスリムの姿が私の中にないのです。
私が考えるには、この点が私たちの“フィリピン”に対する認識が欠如しているところではなかと思います。フィリピン人民と主語にして使ってきた言葉に、ムスリムの視点がどれだけ入っていただろうか。私たちの想定するフィリピンの人とはいったい…そもそも、いっしょくたんに捉えてきたようなところが、今日のムスリムに対する無関心の原因の一つを生んでしまったような気がします。ちなみに、アラビア語やマレー語世界で書かれている上述したような出来事は、ムスリムの活動の視点で描いているのでしょうか?残念ながら私にはこれらの言葉の文献を読むことができません。
1970年代以降今日まで、フィリピン政府の「モロ戦争」に対する態度は、結局、ムスリムの各グループの活動の対立点を利用しながら、フィリピン政府のやり方に同意する条件を一方に出し、合意させていく。しかし、他方で常に「反乱」ムスリムという構図ができあがるようになるという手段をとっているように見えます。“フィリピン人”にとっての悪しき存在‐ムスリムを創出するねらいは何なのでしょうか。
徐徐に懐柔していけば、自然によりはっきりと政府に抵抗する人人がそこに残ることになります。仲間が削り取られていくこと、そして、白黒わけて囲い込んでいく政策の危なさが顕著になっているのが、今のスールー、ミンダナオにはあるのではないかと思います。
この方法はマゼラン以降のやり方とそう変わらない。それに加えて今日はこんなに国境、地域の線引きが行われてしまって、「違法」が増えて、武力もすさまじいものになってきている…。
英文HPを読んでいていると、アメリカが基地に執着してきた歴史がみえてきます。この度明らかなように、アメリカが「モロ」敵視することで、フィリピン政府と結び付いていこうとする行為、それに答える(ざるをえない?)アロヨ大統領。それは私たちの「モロ」へのまなざしがそれを支えている…。
残念ながら、アメリカはますますこの論理をもってアジアに乗りこんできてしまうのでしょう。>
2月26日
フィリピンのINQUIRE紙のオンラインネットでは2月24日の報道で,米軍のMH47ヘリコプターがボホール海に墜落し乗員の米兵10名の生死は絶望視されているニュースがくわしく載っていた。彼らの行っていた作戦は,「NIGHT STAKERS」 闇の忍者ともいうべき作戦で,10人中の8人は映画『ブラック・ホーク・ダウン』で描かれたエリートの特殊部隊 Special Forces regimentに属している。この連隊は,1981年イランの人質救出作戦(失敗),1981年再編成,1983年グレナダ作戦、そしてパナマ,イラク,ボスニア作戦に参加し,1993年のソマリア作戦では18人の米軍人の犠牲を出し撤退した(この負けいくさが映画『ブラック・ホーク・ダウン』の主題である)。
彼らは「アブサヤフ・バンヂッツ(おいはぎ)」討伐作戦の応援にフィリピン派遣されたわけで, ワシントンがアフガニスタンに次ぐ第二の戦線で出した最初の犠牲者だ。
INQUIRE紙にはフィリピンのグロリア・マカパガル・アロヨ大統領が, 米軍到来による軍の弊害と売春は非難されるが,アブサヤフが人質の首をはねたことや,レイプについてあまり言及されないのは ダブルスタンダード(二重基準)だと 訴えた とも報じている。
朝日新聞はこのところマニラ支局の郷富佐子特派員の発信をよく取り上げている。その2月26日発信の記事「記者は考えるーフィリピンで死んだ米兵」はこう語っている。
<アブサヤフ、外国人人質,身代金の要求。今回の事件は2年前とよく似ている。ただ,人質が米国人だった。そして人質拘束後,同時多発テロ事件が起きた。・・・・しかし,アブサヤフ自体は10年前から何も変わっていない。最貧困地域を本拠地とし,金になる外国人を人質にとり続ける。94年以降のアルカイダとの関係を示す明確な証拠も示されていない。
アブサヤフはやはり,比国内の問題だと思う。この東南アジアのカトリック小国へ、たった数百人の「悪党」をやっつけるために米軍兵士が大挙して乗り込むのは、どうみても不自然だ。
植民地, 基地時代を経た米比関係は,「大人の関係に入った」とアロヨ大統領は言う。しかし,ブッシュ大統領が日中韓を訪問したとき,比外務省職員が漏らした。「やはりフィリピンには寄らないのか。アブサヤフだけでは吸引力が足りないのだろう」
本当に「大人の外交」を求めるのならば,比政府は外国頼りの姿勢を変えるべきだ。根本の貧困を解決しない限り,問題は解決しない。たとえ米軍がゲリラ全員を抹殺しても, 第2, 第3のアブサヤフが必ず生まれてくる。>
田中宇さんの国際ニュース解説2001年7月9日号「フィリピン民衆革命の裏側」での分析にあるように、(フィリピンは,非常に豊かな数十の家族が,国土の半分以上の土地を所有しているという,支配構造のきつい国>である。この構造は19世紀,フィリピンを植民地として支配していたスペインに利益をもたらすため、サトウキビ、タバコなどの商品作物を栽培する大農場が作られた時からのもので、大農場を所有する人々が、フィリピンの支配者となった。この構造は20世紀に入ってアメリカの植民地になってからも変わらず、24議席から成る上院議員や、歴代大統領の多くは、この特権支配層と何らかのつながりを持った人々である。>
<アロヨの大統領就任は、元大統領であるアキノやラモスも積極的に支持したが、 エストラーダとマルコスが「反特権層」を掲げる勢力である半面、アキノ、ラモス、アロヨは「反腐敗」を旗印とした「特権層政治」の推進勢力であると見るならば、自然なことである。(特権層のほうがスマートな政治をするので腐敗が表面化しないということか)>
3月16日深夜
今朝の新聞を見て驚いた。 <比マクタン島駐屯の米軍/「肩並べぬ」影の部隊>という記事である。朝日の郷富佐子さんの取材でマクタン島(淡路島より少し小さい)でよく調べた割と詳しい良く出来た記事だと思う.。ヒット記事として賛辞を送りたい。
今度の対『テロ』撲滅作戦でミンダナオのサンボアンガを足場にバシランに送り込まれた米軍のグリーンベレー部隊のことは,知っていた。しかし,それ以外に今日のフィリピンには外国軍の基地はなくなっていると思っていた。ところが、いつのまにかバシランやミンダナオから遠く離れたフィリピン中部セブにくっついたマクタン島の比空軍基地に「影の部隊」のような米軍が駐留していて,米軍機がひんぱんに離着陸しているというのである。しかも,その「影の部隊」米軍が駐留し,米軍機が頻繁に離着陸している基地というのが、あのアジア・太平洋の世界史上有名なラプラプの名を残すラプラプ市の区域内であるのだ。
おそらくフィリピン国民は幼い頃から侵略者マゼランたちを討ち取り撃退したラプラプのことは教えられていることだろう。そのラプラプゆかりの島にいま外国軍の「影の部隊」が駐屯し、重要な軍事基地として利用しているわけだ。
フィリピンでは,冷戦後の1991年上院が米国との間の基地協定(1947年締結,米比相互防衛条約は1951年締結)の更新を否決し,1992年に米軍はフィリピンから完全撤退した.フィリピンは,米国の軍事力に助けられた近代化ではなく,自立で近代化する道を選んだのだ。
それが,イスラム過激派組織アブサヤフ掃討を目的とした米比合同軍事演習「バリカタン(肩を並べて,協力して,という意味)02−1」であらためて米軍のグリーンベレー,特殊部隊が比国軍の訓練・情報を含めた装備強化ということでフィリピンに乗り込む,米軍機の比領空の飛行や給油や輸送のための一部の空港使用が許されるということになったのである。
こういうアブサヤフ掃討作戦のために米陸軍グリーンベレーがその応援と指導に乗り込んでくるという米比合同軍事演習については,事前の世論調査では8割以上の国民の支持があった。しかし,野党は議会での審議不十分,として非難し,左派は憲法違反と主張している。
サンボアンガやバシラン島に米軍のグリーンベレーがトレーナー,助っ人としているのは知られていたが、そこから遠く離れたフィリピン中部の観光地セブ島に近接する(橋がかかっている)マクタン島の、しかも国民英雄であるラプラプの名前のついた都市の国際空港に隣接する比国空軍基地になぜ250人もの米兵が駐屯し,米軍機がひんぱんに離着陸しているのか。
サンボアンガを西南端とするミンダナオ島は、あの「モロ世界」に属し危険だが,セブ地域は治安が良いから、ここを中継基地として沖縄の嘉手納基地から米海軍P3哨戒機オライオンが迷彩服の米兵やサンボアンガ・バシランで使う通信機材や装備,燃料などすべてを輸送してくるらしい。沖縄、そして嘉手納基地はこうしてバシランでのモロ武装過激派アブサヤフ討伐戦と直接つながってしまっている。
13日の朝日コムのよれば,米軍側は米比2国間演習の「バリカタン」をアジア太平洋地域で行う多国間軍事演習「チームチャレンジ02の一環とする」ことを比国に要請,「日本(の自衛隊)のC130輸送機2機と韓国のC130機4機が米部隊と装備を空輸支援するのを許可してもらいたい」と求めたという。比国軍側は,日本の自衛隊機が比国内に入る場合は,比国外務・国防両省の承認が必要なので,演習は米比2国間のみに限定すべきだと意見もあるが,具体的な機数まで提示された以上,許可する方向で検討しているとも伝えられている。
日本の自衛隊機が実際に米兵あるいは米軍装備・燃料などを比国に輸送すれば,第三国で行う米軍の合同演習に日本が軍事的にも直接協力することになる.合同演習は4月22日から5月6日までルソン島内で行われ,米軍側からは陸海空軍から2665人が来比し,輸送機・戦闘攻撃機と佐世保配備のドック型揚陸艦フォート・マクヘンリーなどが参加する予定とのこと。いまのところ,防衛庁は自衛隊参加の報道を否定している。
郷富佐子さんの取材に寄れば,フィリピン大のマリア・ジョクノ教授(歴史)は、演習(バリカタン)については、「アブサヤフは国際テロリストではない。.基地時代への逆行につながりかねない」と懸念を示したとある.私もフィリピンのInquire Onlineを読んでいる限り,アブサヤフがそれほどの国際テロリストだとは思えない。
Inquire紙には逮捕されたアブサヤフにほかに職がなくてひっぱられたような少年で使い走りからやや重要な任務も与えられるが,命令によっては人質の首切りもやってのける告白が載っていた。何か政治的信条や信仰があって転々と移動する小数のゲリラ部隊のようなアブサヤフに加わったとはとても思えない,現代風な貧しい地域ならどこにでもいそうな少年と想像した。
Inquire紙の別の報道に寄れば,「バリカタン作戦」発動以来,アブサヤフの移動・逃走ぶりは大変で,1時間と同じ場所にはとどまらず、その多くはバシラン島から
ずっと広大なミンダナオに移動し,サンボアンガ付近に逃げ込み、そこで逮捕されるものも続出していることが報道されている。
アブサヤフ討伐作戦がはみ出して,摩擦・衝突が案じられていた,モロの武装抵抗組織MILF(モロ・イスラム解放組織)と比政権との和平交渉も継続され、停戦の約束も守られているという報道もあった。
同じく郷さんの取材に応じた元駐米比大使でミンダナオ出身のラウル・ラぺ氏は、「マニラの人々は南部の悲惨な現状を知らない。.世界中のテロと戦うとする米国と,国家経済全体を沈下させているアブサヤフを掃討したいわが国の利害関係が一致した.必要な援助は受けるべきだ」と語り,米軍の存在が,最貧困地域の底上げにつながるという期待を示したという。比国南部の「コロン」上層部に属する人物だと思われるが, 間違いだろうか。
比国南部の最貧困状況、北の「マニラ」はその「悲惨」を知らない、という問題状況を認識しての<「米国」に助けられての「脱貧困」=「近代化」というありふれた考え方としてうなずけよう。
フィリピンの低額コインに刻まれていた民族英雄ラプラプがあの世から眺めていて 今日の比国民の苦悩を どう思っていることだろうか。
3月31日午後4時
左の漫画はカイロのALAHRAM WEEKLY ONLINEの21−27FEB.(NO574)掲載のGOMAAさんの作品。
以前は地球は太陽の周りをまわっていたが、いまは地球は米国の周りをまわっていると幻想している棍棒を持った男。
少し古い情報になったが、これからも米軍のグリーンベレーが出没しそうな地域では世界の何処でも同じことが起こる可能性があるので、その意味でこの際取り上げておきたい。
しばらくぶりのフィリピンは南部島嶼モロの世界にかかわることである。
ひとつは、マニラ首都圏と南部ミンダナオ島のコタバト、ジェネラルサントスの二つの都市、それに中部セブ島で、
3月18日から21日にかけての4日間に計11個の爆発物が見つかったという事件である。
いずれも起爆装置がなかったり、爆発物の模倣したものであったりして、人通りの多いところに置かれてはあってもけが人などは出ていない。発見された爆発物全て不発弾だった。
奇怪なことは、そのいずれにも「先住民族(インディへニスモ)連邦軍」と名乗る組織の声明文が添付されており、先住民族とイスラム教徒(モロ)、キリスト教徒がそれぞれ独立した権限を持つ連邦制の国家成立を求める内容が記されていた。
以上は、ASAHI COM 3月22日の報道だが、ゴレス国家安全保障顧問は21日、「事件はテロとは無関係であり、政治的な犯行だ」と述べ、警察内では巨額のオ横領罪などに問われているエストラダ前大統領派がアロヨ政権にゆさぶりをかけているとの見方が強い、しかし前大統領夫人のルイサ上院議員は『アロヨ政権の自作自演だ」と話し、強く否定した、と付け加えている。
INQUIRE NET 3月23日は”Malacanang eyes'sicret/marshals' vs terrorists"派フィリピン政界要人の この爆発物事件の裏に何があるだろうか についての意見を集めている。
爆発物に添付された声明書はthe Indigenious People's Federal Army(先住民連邦軍、コタバトで見つかったものにはthe Christian Lumad Nationalist Army
(CLNA)とLumad Liberation Armyの犯行声明書があった。
政界要人の意見はいろいろある。単なる愉快犯であろうという説からかねがね分離主義勢力と見なされてきた南部モロのMILFやMNLF、そしてコミュニストの
New People's Army(NPA)犯行説まで。しかし、MILFやMNLF,そしてNPAそれぞれは一定の合法路線をとりマニラ政府との間の和平交渉を継続している関係にあり、この事件への関与をそれぞれ否定している。逆に、NPAのスポークスマンは「米軍の存在の継続化を意図して国軍が仕組んだのではないか』と反論している。
上院の有力者は、米比合同軍事演習バリカタン計画での米軍の存在を正当化するために政府のなんらかの部門が計画したことではないかと憶測し、大統領府は実は米軍と共同する対『テロ』撲滅作戦のためには「マーシャル・ロー』(戒厳令)を望んでいるのだと警告した。このような爆発物がいたるところに設置されるようではより多くの米軍の存在が必要だと民衆に納得させるための策略ではないか、と。
事実、爆発物連続発見事件の直後、3月23日アロヨ大統領は陸軍記念式典で米比合同軍事演習「バリカタン02−1」に参加する米兵の増加を認める発言をした。比国国軍筋によると、増加する米兵は300人前後になるとみられる。現在は実施要綱に基づき660人の米兵が参加しているが、増員により約1千人になる可能性が高い。比国軍筋によると、増員については米側から提案があったという。
以上は、米軍グリーンベレーが繰り出される地域ならば、世界の何処でも起こりうる。起こされうる爆発物事件であろう。
なお、このときINQUIER NETの3月22日号には「先住民連邦軍」なる組織の声明書が出て先住民の連邦主義がうたわれたこともあってか、興味ある写真を載せていた。
ミンダナオのサンボアンガ・デルノルテ地域のバランガイ・リンパサに祖先代代暮らしてきたスバノン族の65歳の女性ジャヒーラ・ハミッドさんは
岸壁の下の川床に腰を下ろし、「この祖先代代の処女地を犯す心なき開発の侵略に対しては体を張ってこのふるさとを守る」と記者に語ったと。
もう一つの話は、こういう場合どうしても必要になってくる被害実情の客観的な調査である。
長くなるので次回回しにしよう。
4月2日午後10時
Delegates from the International
Peace mission at a public hearing in Basilan
(左の写真は、バシランにおける聴聞会での国際平和調査団ーFOCUSWEBから)
対『テロ(オサマ・ビンラディン+アルカイダたち)』撲滅作戦という名目で米軍のグリーンベレー部隊が世界の様様な地域にこれからも繰り出される可能性がある。そういう場合に、対象になった地域の何処でも同様に起こりそうな事態というので、前回フィリピンで起きた不発弾連続発見事件とその結果を見てみた。
もう一つ、何処でもありうることとして、事実究明の調査作業である。以下INQUIRY7NET3月23日号掲載のBREAKING NEWS ”International peacemission probes Basilan war”による。
先月3月23日、 14名から成る「真実究明」のための国際調査団が 4日間にわたり中部ミンダナオ、サンボアンガ、バシラン島の実情調査を試みようと現地に入った。これらの地域は、比国南部における米軍の存在が アブサヤフの「盗賊団」bandit
group および分離派のモロ・イスラム解放戦線MILFの作戦地域として監視下においている地域である。
国際調査団は、人権問題活動家、政治家、議会人、学者を含み、テロリストに対する米国主導の作戦の結果が多数の市民を殺したアフガニスタンでの事態がフィリピンでも起こるのではないかと、憂慮している。
アブサヤフの拠点隣、米軍が比国軍との合同作戦を指導している「バシラン島の戦争」は、「批判的な国際問題」であると、国際調査団の声明にはある。
その声明は、「第一に、この(バシラン戦争=「21世紀のモロ戦争」)全ての犠牲者の権利と福祉のために」といい、「第二には、バシランは米国が行おうとする<対『テロ』世界戦争>の原型(プロトタイプ)であり、それゆえ国際社会による注意深い精査が必要とされているのだ」と。
フィリピン大学教授ウォルデン・ベローWalden Belloによれば、調査団の各員は、「ミンダナオにおける米軍の展開にきわめて心配している」と。
ベローは続けて言う。「これは、テロリズムに対するいわゆる戦争の第二戦線形成の第一歩に過ぎないことがいまや明らかになった。こういう成り行きについて恐ろしいことばがある、<エスカレーション(段階的拡大>だ。」
調査団は米比合同軍事演習のトレーニング・キャンプを訪問し、そしてその影響を受けたグループや住民との対話も試みる。また、関心のあるグループの指導者達や合同軍事演習に反対している活動家との話し合いをする。そして、できればミンダナオにおける米比両軍の代表とも話し合う。
14名の調査団の中で3名がフィリピン人、ベロー、アクバヤン党代表ロレッタ・アン・ロザレス、非核フィリピン連合議長ロランド・シンブランである。
ロザレスが言うのには、下院の市民・政治・人権委員会もバシランに行き、住民・地元・軍高官の証言を聞くであろうとのこと。令状なしの住民逮捕についての告訴を調べるために。
調査団には、タイの上院議員で外交委員会の議長クライサク・チョーナバン、欧州議会で外交・法律事件の常設委員会のマッティ・ウォーリイ、ニューサウスウェールスの立法府のリー・リアノンが参加している。
当初の計画では、アフガニスタンにおける米軍主導の爆撃の結果を調査記録するために無党派の調査団を派遣する予定だった。
しかし、アフガニスタンでの目標であるオサマ・ビンラディンとアルカイダのトップの逮捕がまだ成就されないうちに、米国は対『テロ』世界戦争の第二戦線としてフィリピンを目標にしてしまった。こういう進展が、フィリピンの状況の調査へと国際社会運動と平和組織の決意に踏み切らせた。調査団の使命は、バシランでの戦いの社会的/政治的/経済的結果についての公正な独立した精査を行うことだ。
ベロー教授は語った。「アフガニスタンに侵入していくとき、ワシントンはオサマ・ビンラディンを逮捕するか殺すか、アルカイダのテロリスト/ネットワークを排除するころを約束した。アフガニスタン爆撃開始以来5ヶ月以上になるが、オサマ/ビンラディンはつかまらないし、アルカイダもたいした傷も負っていないのに、当のアフガニスタンは爆撃前より無政府的で犯罪の多いより悪い状態になっている。」
ベローは、誤爆で殺された同盟軍兵士、不正確な爆撃で殺された市民たち、部族部族の将軍の抑える土地、他部族に対する民族浄化の土地と分裂したアフガニスタン諸地域と、膨れ上がる死傷者の人数を引用した。「われわれがいま行動することなしには、軍の解決策に対する(アフガンと)同様な信頼感(の無いこと)が、ミンダナオとバシランで(アフガンと)同じ結果をもたらしそうである、と確信する。}と。
平和の集いのコーラ・ファブロスは、米軍のサンボアンガ・キャンプのおける「慰安所」設置の報告を確かめるために参加している。ベローはこの調査はきわめて重要だといい、「かれらは、極めて性的興味が強すぎる社会からやってきた軍隊である」と。
国際調査団の目的は四つである。
1、市民の死傷者、不法な逮捕、バシラン・サンボアンガ・中部ミンダナオにおける影響を受けた部落の強制移住の報告を調べること。
2.米比合同軍事行動の行為とクリスチャン/ムスリムの衝突およびイスラム教徒の分離闘争に対する米比両軍のインパクトを調べること。
3.世界の様様な地域における安全傾向と紛争状況に関しの地元市民社会組織と情報/意見交換を行うこと。
4.地域紛争の平和的解決に向けての国際的なイニシァティブを伝達しうるすぐれた意見を集めること。
調査団には、その他、ピエール・ルッセ(欧州連合左派と北欧緑左派の調整者)、ニコラ・ブラール(Focus
on the Global South局次長〕、アイジャズ・アーマッド(ムスリムのインド人作家、南アジア・東南アジアのイスラムの文化・政治のエキスパート)、アール・マーティン〔ヴァージニア・ハリソンブルグの東メノー派大学の教師で東アジアの専門家〕も参加している。
ほかに、マルコ・メッゼーラ(Focus on the Global Southの上級職で東南アジアのイスラムの専門家,
Seiko Ohashi ( Asian Rulal Alternatives国際的なコーディネーター)、ビル・ロルストン(アルスター大学社会学教授)、ヴィクトリア・ブリテイン(ガーディアン紙外国編集委員の前代表、Transnational
Institute代表)も参加した。
(ベロー教授の調査報告については次回に)
4月3日午後9時半
(左の写真はバシランのヤーカン族の子ども達)
Focusweb(Focus on the Global South)にバシラン・ミンダナオ国際平和調査団の最初の調査報告を3月27日の記者会見でウォルデン・ベロー博士が行った記録が載っている。International Peace Mission Visit to Basilan and ZamboangaのPress Conference(3.27)でのOpening Statementである。
<話の始めにぜひ繰り返したいのは、バシランのラミタンでFr.キリロ・ナコルダ氏が私達国際平和調査団が真実探求のためバシラン行きを決行することに感謝して二日前に言われたことです。あなた方は「命を賭して」おられると。
世界の様様な地域からこられた私の同僚は、フィリピン今日の主要な戦闘地帯デ3日2晩過ごしました。一日は、サンボアンガ北地区とサンボアンガ南地区の境にある特殊部隊のジャングル訓練地帯で。
私達の使命は、ジョージ・W・ブッシュ大統領により対『テロ』戦争の第二戦線として特にバシランを選んだことで企てられました。私達、ベトナムやアフガニスタンのように軍事的解決策が状況を一層悪化させるし、紛争下の異社会間の対話によってのみ平和達成の条件が作れるのだという、明確な考え方をもって行きました。私達は、バシランの戦争の真実を調べるために行きました。
私達は、バシランに入ったときよりも、もっと憂慮している状態で帰ってきました。
私達が見聞してきたことは最終報告にまとめなけらばなりませんが、ここではいくつかの例をお話しましょう。
第一に、アブサヤフに対する戦争で軍隊が人権侵害を犯しているという強固な証拠があります。私達は、未成年者や妊婦の令状なしの逮捕・拘束、法廷を通さない処刑、電気ショックによる拷問についての申し立てに出会いました。これらの事件は、十分に精査され、犯人が罰せられなければなりません・
間違えないで下さい。私達調査団の誰もがアブサヤフが行った残虐行為を強く非難します。事実、私達はラミタンでアブサヤフによる犠牲者の証言を聞くことにバシランでの最後の日を使いました。しかし、軍隊がアブサヤフを掃討するためにアブサヤフのやり口を真似することは出来ません。
それは不道徳であるばかりでなく、無実のものを令状なしに逮捕したり拷問したり殺したりすることで、アブサヤフのより多くの予備軍か新兵を作る一番確実な方法であるからです。
第二に、アブサヤフ問題というのは、軍事的解決策に抵抗する複雑な政治現象として現れているということです。バシラン訪問を通じて、私達はこの疑問を解くために答えてくれそうな島民たちに会いました。 なぜ、 6000人もの兵士が たった40人か60人ばかりの追いはぎにすぎない一団を 退治できないのか?
多くのバシリン人、ムスリムもクリスチャンも一様に答えることは、地方政府の上層部で、地域・地方の軍司令官の様様なレベルで、アブサヤフを甘やかして育てるような影響力ある要素がある、彼らの何人かは金銭の利益と交換でその地位についている、ということであります。これは、まじめな申し立てです。しかし、彼らを調べるというようなことが知られるだけで、告発者達の命は保障されません。もしアブサヤフが主に政治的な問題ならば、軍事的解決策に頼ることはよい成果を生みだすはずはありません。 共謀と汚職の構造を廃絶することこそ、より多くの兵力や火力を増やすことよりも主要な焦点にすべきことです。
第三に、私達の調査の旅は、バシランとサンボアンガの米軍配備について答よりもより多くの疑問を提起しました。私達が話をした多くは、悪名高いアルカイダと
アブサヤフの間に進行中の関係があるという主張を否定しました。実際、フィリピン政府は11995年以降は両者の協力関係のいかなる証拠も存在しないことを認めています。その上、アメリカの特殊部隊は、アブサヤフとの戦いになんら「付け加えられるような価値」はないと思っているようです。・・・・・・
それでは、なぜ米軍がバシランに繰り出されてきているのか? なぜバシランに160名の特殊部隊に加えてさらに300名の米軍増派が要請されているのか? 私達は、これらの行動には戦略的な意図があることを次第に憂慮しています。 それはフィリピン南部および東南アジアにおけるイスラム再生運動に対する米軍の存在を確立し拡大させるという戦略であります。もしこれがそういうケースならば、フィリピンは、叛徒や再生運動に対するアメリカの長期の戦争の基地である状態に陥り、そのような終わりなき戦争の全地域におけるすべての不安定な結果を味わうことになるでしょう。
このことは、よりよく知っているべき地方高官が米軍の存在をアブサヤフ問題ではなく全てを解いてくれる魔法の弾丸として描いていることで、重要なことです。
バシラン知事のワハブ・アクバルもイサベラ・シティ市長のルイス・ビールも、いまや米国の次の州にバシランが」併合されることに賛成すると、私達に語りました。ビール氏は、フィリピン憲法で明確に禁じている核兵器を米国がイサベル・シティ(バシラン島の主都)に持ち込むことにも賛成だといいました。
このような発言と思想の中にある幻想は、戦争と紛争で荒廃したこの地域に戦争の深化をもたらすだけです。
すでに、増大されている米軍の配備は、トレーニングという隠れ蓑で主権侵害という ただならぬ政治問題を作り出しています。サンボアンガ市から約50キロ離れたスバノン族の土地(バランガイのリンパパにある)のリーダーが語りました。彼らの祖先代代の土地が、ジャングルの戦争での米比両軍の合同演習場としてサンボアンガ・フリーポート、経済水域当局により比国国軍に不当にリースされとりあげられてしまいました。そのため、17家族が追い立てを食っています。・・・・・・>
6月10日
5)フィリピンのINQUIRE 7 サイト、米比合同作戦アブサヤフ討伐戦でアメリカ宣教師・フィリピン人看護婦の二人の人質を殺してしまった。分析記事で「アブサヤフ追討戦における人質救出作戦の転機Rescue mission turning point in drive Abu Sayyaf。インクワイアー紙はフィリッピンの有力紙でいくらか批判的な新聞。(英文) http://www.inq7.net/nat/2002/jun/10/nat_5-1.htm ぜひ HOMEの表紙左フレームにある目次で、「21世紀の「モロ戦争」」をクリックされ
フィリピン南部のモロ世界の「文化」ともいわれるアブサヤフの歴史的背景を振り返ってください。
6月13日
2)米軍グリーンベレーによる「対『テロ』抑止世界戦争」の アフガニスタンに次ぐ第二戦線に選ばれたのはフィリピン南部のミンダナオ・バシランの「モロ世界」でした.「世界史瞥見」コーナーに収めた「21世紀のモロ戦争」の冒頭に最近行われたミンダナオ・バシラン国際平和調査団の一員ピエール・ルッセの調査報告の抄訳を載せました。ATTAC日本版02.05.22(129号)の付録 ピエール・ルッセ 「戦争の論理に反対する」 です。アブ・サヤフ討伐を名目としたバシランにおける米比共同作戦はどういう意味をもっているのか。
6月19日
3)6月18日フィリピン南部、モロ世界のバシラン島においての「米比合同軍事演習」で道路を建設中の沖縄の米海軍工兵隊が「イスラム過激派」でもロ世界の独立を唱えるアブサヤフとみられる一団に銃撃され、米兵は反撃し戦闘を行った。米軍の自衛のための反撃は認められているが、戦闘との境界は不明確、この反撃は「外国軍のフィリピン国内での戦闘を禁じた憲法に反する」として違憲論争の焦点になっている。東南アジアの不安定化に油を注ぐ氷山の一角
http://www.usfl.com/Daily/News/02/06/0618_002.asp
6月22日
2)フィリッピン南部ミンダナオ島北サンボアンガ州沖の海上でフィリピン国軍はアブサヤフと交戦、アブサヤフ最高幹部アブ・サバヤ容疑者を含む3人を殺し、4人を逮捕した。毎日マニラ特派員発。http://www.mainichi.co.jp/news/selection/20020622k0000m030051000c.html
BBC NEWS オンラインにはこれについてのより詳細の記事。http://news.bbc.co.uk/hi/english/world/asia-pacific/newsid_2056000/2056941.stmBBC NEWS のほうにはアブサヤフの写真がある。アブサヤフおよび「米比合同軍事演習」という「21世紀のモロ戦争」については、ぜひそのページを参照されたい。
06.23
10)フィリピン南部ミンダナオの北サンボアンガ州沖合いでアブサヤフの要員を載せたボートを追撃、捕捉、重要幹部のアブ・サバヤを含む4人を殺したと報道されたが、どうもアブ・サバヤの死体は見つかっていないようだ。懸賞金つきで死体捜索が続いている。当局は死んだに間違いないと発表しているが・・・。
INQUIER紙オンライン6月23日。http://www.inq7.net/ 参考に「21世紀のモロ戦争」をぜひ読んでください
06.27
10) フィリピン・ミンダナオ沖の海上の銃撃戦で倒したというアブサヤフの最高幹部アブ・サバヤの遺体、捜索したが見つからず、捜索打ち切り(ロイター電)
http://www.reuters.co.jp/news_article.jhtml?type=worldnews&StoryID=1134364
06.30
5) フィリピンのアロヨ大統領が南部ホロ島のアブサヤフ討伐戦で「大本営発表」、米軍の支援で元気100倍か?http://news.msn.co.jp/articles/snews.asp?w=179213
参考:「21世紀のモロ戦争」を読まれたい。
7月1日
3) 日本ジャーナリスト会議のサイト、「アジアの視点」高校生のフィリピン学習ツアー 「信じられぬ現実」と出会って。http://www.jcj.gr.jp/asia.html
ついでに 「21世紀のモロ戦争」もフィリピンの「隠された現実」として覗いて見て下さい。
7月3日
3)米軍フィリピン駐留に積極賛成派アロヨ大統領が米軍を呼ぶことに反対の副大統領ギンゴナの外相兼任をとうとうやめさせることに成功。 6月29日の7)を参照のこと。(BBC NEWS) http://news.bbc.co.uk/hi/english/world/asia-pacific/newsid_2081000/2081341.stm 「21世紀のモロ戦争」を参考にされたい。
7月6日
4) <フィリピン軍のシマツ参謀総長は5日、同国南部バシラン島で行われているイスラム過激派アブサヤフ掃討を視野に入れた米比合同軍事演習が7月末で終了するのにともない、10月からルソン島、セブ島、ミンダナオ島などフィリピン全域で第二弾の米比合同演習を行うと発表した。>
詳報:アブサヤフから対象拡大、MIJFや新人民軍も対象卦.米軍長期駐留化への道..これに反対する副大統領の兼務外相辞任など波紋は広がりそう(読売オンライン)
参考: 「21世紀のモロ戦争」
7月13日
3) フィリピンのギンゴーナ副大統領、アロヨ大統領に対し反骨示す。<イスラム過激派掃討の名の下に、米軍がフィリピン南部バシラン島に展開、1991年に国内の米軍基地を全面撤去させたはずのフィリピンが、米国との軍事的同盟関係を再び強めている中で、ギンゴーナ同国副大統領が「反米軍」へのこだわりを見せ続けている。米軍の展開に異議を唱える形で同副大統領は兼任していた外相辞任を12日付で正式発表、米軍を「手放し」で歓迎するかのような発言が目立つアロヨ大統領との確執をあえて国民の目にさらした。(日刊べりタ) 参考: 「21世紀のモロ戦争」
7月19日
7) 「アメリカのフィリピンへの軍事介入に反対! 沖縄(とくに名護の海兵隊新航空基地)をフィリピン軍事介入の出撃基地にするな!」
(02.01.24) 参考:「21世紀のモロ戦争」
7月21日
7) 10月からの米比合同軍事演習でホロ島を含むスールーでの演習は中止と、比国防相発言。<米国はイラクに対する攻撃を準備しており、対テロ戦でフィリピンなど世界各地に派遣している米軍特殊部隊の再配置を検討しているといわれ、国防相の発言はこうした米国側の意向を反映したものとみられる。> 参考:「21世紀のモロ戦争」
訴えます!愛媛県で「つくる会」教科書採択の重大な危機!! 」
7月23日
特3) 22日マニラでアメリカべったりのアロヨ大統領に抗議する1万人のデモ、警官隊と衝突も。(cnn.com.asia、CNNは5000人、朝日・秦忠弘記者の1万人に訂正) アロヨ政権の米軍招聘・アブサヤフ討伐を名目とする米比合同軍事演習の南部における継続に抗議し、前の大統領エストラダが試みていた
貧困・失業対策の無策に反対する左派系市民グループ、エストラダ支持派グループのデモである。
デモおよび警官隊との衝突のビデオ (INQUIRER 7 NET) このビデオを見るのには、まずINQUIRER7NETのトップページに入り、右側に縦にある黄色壁紙の欄を見つける。その右側縦の欄を見ていくと、GMA−7AUDIO−VIDEOというところの最初の項目Protesters…で始まる四行に第一・第二の行にcome to blow という色変わりの文字がある。これをクリックすればビデオが見られる。
参考: 「21世紀のモロ戦争」