詩という形を借りた感想のメモがある。学生時代からB29の空襲の明け暮れを通じて,ある時は兵隊の
図嚢の中に守り続けられた数冊のノートがある。兵隊になってからすぐの父の死,弟の自殺,軍隊での
感慨ーこれはみな敗戦以前の若者の心を支えてきたメモである。その中の現存するいくつかを紹介する。
1943年5月29日,世田谷区下北沢の家の離れの二階で自殺した弟,吉田鉄男は東京府立六中(のち
の都立新宿高校)の一年生,この旧制中学,いまの都立高校の学校史によれば、もともと軍人の学校へ
上がる生徒が多かったこの学校は軍国主義の教育を強めつつあったという。
1
十四の年 死んだ弟を悼む詩 数編 (昭和18年作)
お前が遺していった
お清書の二、三枚
「揚柳暗
桃李飛」
お前の春も
雲低い五月二十九日の朝
庭の牡丹が落ちるやうに
二階の兄の部屋で飛んでいった
悪霊に魅入られたのか
トレパクの舞にひきこまれてか
お前は あまりにも さかしくも
十四の春を見捨てていった
2
死んだ弟が
いっとき使った俺の空き部屋
俺の大きな本棚と並んだ
弟の小さな本棚
『子供の科学』の三冊が
少し離れて横にしてある
頁をめくる僕の眼に
「若者の敵 結核」の連載もの
.「君たちは 国 家 の子供であり
第二の 国 民 としての大事な体っである
ことは 片時も忘れてはなりません。
極端にいふならば たとへ その病人が
君たちの大事な御両親であっても
なるべく遠ざけなくてはいけないのです。」
自分のほんの軽い「肺門淋巴腺」を
それもへぼ医者の誤診かも知れぬのに
弟はこんなことを気に病んだのだ
弟の息吹にみちた俺の空き部屋
うつろに走る俺の眼を
もっともっと傷つけたもの
壁に貼られた乃木大将の訓言
何時か弟が書き写した
「国のために役に立たぬ者
国に害になるやうな者は
死んでしまった方がよいのである。」
おお
「国のため」
「家」のため
可愛そうな日本の中学校の
一年生の俺の弟よ
お前は 「国」を誤り知り
「家」に押し倒されてしまったのか
3
俺が多くの望みをかけた たったひとりの弟が死んだ
俺たちの新しい世界の中で肩を並べて働くはずの弟よ
お前を死に追いやったものーそれは何だったろう
一ヶ月俺がお前と会へなかった その留守に
お前は幾片かの骨になってしまった
俺が一緒に暮らしてゐたらー
こんなことにはならなかったらうに
いま 次々に思い出されてくるものは
離れの俺の机にひとり淋しく座る小さな姿
すぐ涙ぐみ 唇をひくひくさせる あの顔つき
悲しみを秘め ふざける ませた身振り
みんな俺の待ち望む新しい時代の子供には
あってはならぬ弱い面影だった
俺と同じ考へ方を 弟のお前がくみとっていったら
こんなことにはならなかったらうに
ああ弟よ 俺の思い出の中で
お前は淋しく泣き笑うのか
お前が 苦しみ耐え切れなかった その悲しみ
ーそれは また 幾万の地球の子供たちが
悲しみ 嘆く 世界なのだ
お前が 晴れやかに頬笑む時は
俺が心から高笑う時だ
お前のような世界の子供が
生きる愉しみに笑ひさざめく時代
それがこの鳴りひびく嵐の中に
戦ひとられたその時に
俺の思い出の中のお前は
本当の笑ひ顔を見せてくれよう
4
兵隊の俺は
臆面もなくぽろぽろ涙を流し続けた
隊長殿は 女々しいと叱らう
戦友たちは あざけらう
だが そんなことなぞ何でもない
俺の大切な弟が死んだのだ
そこらにごろごろしている俗物どもとは違ふんだ
俺の可愛い弟が 飛びぬけて頭のよい弟がー
大きくなったその時に
俗物や馬鹿どもをあきれさす
どえらい仕事をやってのける
天分豊かな弟が
あんなに ぽっくり死んでいったのだから
いくら俺が兵隊だって
ぽろぽろ涙を流すのが
隊長殿にも戦友にだって
何のはづかしいことがあらう
自分史略年譜