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写真1:シカチ・アリャン村とアムール川
はじめに
1.シカチ・アリャン村の概観
2.幼稚園、小学校
3.民族博物館(小学校内)
(1)ナナイの由来とシャーマン
(2)花嫁衣裳と道具
(3)民具など
(4)ナナイの音楽
おわりに
写真@:「シカチ・アリャン村とアムール川」
写真A:1万2000年前に描かれたといわれる石岩絵
写真B:「石岩絵」
写真C:「石岩絵」
写真D:「アムール川ほとりで魚をとる若者」
写真E:「アムール川ほとりで絵をかく少女」
写真F:「村の様子」
写真G:「幼稚園」
写真H:「幼稚園教室内」
写真I:「アムールで生活するナナイの絵」
写真J:「民芸品」(幼稚園内)
写真K:「集会所前で遊ぶ子どもたち」
写真L:「火と水に対する儀礼を行うシャーマン」
写真M:「火と水に対する儀礼を行うシャーマン」
写真N:「花嫁衣裳」
写真O:「道具」
写真P:「上位のシャーマン」
写真Q:「ナナイの船」(模型)
写真R:「家々の造り、臼、機織り、石」(模型など)
写真S:「かわなめし」の道具
写真21:「太鼓、人形、鏡」など
写真22:「民芸品」
写真23:「子どもたちが演じるナナイの音楽」
写真24:「子どもたちが演じるナナイの音楽」
(以上、石田さん及び筆者、シカチアリャン村にて撮影 2001年8月23日)
ナナイ人が住む村、シカチ・アリャンは、ハバロフスクからアムール川沿い北東に84キロ、車でおよそ1時間半に下った川沿いに位置しています。今日のロシアに住むナナイ人は1万5000人から2万人、中国には1500人ほどいるといわれていています。近年では、ナナイ人の村へのツアーがあるなどで、観光地化してしまってはいるのですが、そうはいってもわたしたちに人々の生活の様子を伝えてくれるところです。
今回の旅では、ロシア側のナナイ村を訪問したので、ここにその報告をしてみたいと思います。
現在、村からハバロフスクまでは整備された道路で結ばれています。村の周囲はおもに白樺が立ち並ぶ林があり、そこには、さまざまな鳥、木々をみることができます。(観光パンフレットを参照してください)。ここ、シカチ・アリャン村のアムール川のほとりには、およそ1万2000‐1万3000年前のものといわれる岩石絵が残されています。ナナイの人々はシラカバで家や船を作り生活していたという説明を受けました。(古くは朝鮮五葉松か)。
写真A:「約1万2000年前に描かれたといわれる石岩絵」
写真B:「石岩絵」
写真C:「石岩絵」
村に工場はなく、村人の生活は、基本的には、アムール川や森林からの恵み、すなわち漁などで営まれているようです(観光客が土産のために落とすドルなどもありますが)。村にはブタが放し飼いにされ、それを食料などにしています。家々は、木造1階建てに近く、煙突があります。電気は通っていますが、水汲みをしてバケツで運ぶ姿がみられました。わたしたちが訪れたところは、まさに川岸沿いに生活の場があるので、増水するとすぐに流されてしまいそうです。そんな川岸には、子どもたちがゆったりとした表情で絵を書き、ゆうゆうと魚をとる若者がいました。
写真D:「アムール川ほとりで魚をとる若者」
写真E:「アムール河ほとりで絵を書く少女」
写真F:「村の様子」
写真G:「幼稚園」
シカチ・アリャン村には、1歳から7歳までの子どもたちが通う幼稚園と小学校(兼ナナイ族の博物館)、集会所があります。現在、幼稚園は30人、小学生は13人だそうです。例えば、幼稚園には教室のほかに、調理場、洗濯場、ベットがおかれている部屋があり、パイプ暖房が通っています。
壁にはナナイの人々のアムール川での生活を描いた絵や、民芸品を展示していたりします。教室には、日本から贈られたという物も置かれており、ドラえもんのピアノ、塗り絵などミスマッチな光景もみられましたが…。
小学校にはナナイの民族博物館が設置されていました。年配の方はナナイ語を話されるのですが、学校では多くはロシア語を勉強することになるので、ナナイ語を話すことのできる村人は減少しているとこのことでした。
写真I:「アムールで生活するナナイの絵」(幼稚園内)
以下は、おもにこの度の訪問で説明を受けた内容で、ナナイの人(通訳のオリガさん)の解説に基づくものです。
ナナイとは、魚の人という由来をもつそうで、シャーマニズムを信仰しています。シャーマンは主神で、特に病気を治す役割も担っていました。天と地(死んでからの世界)に分けて考えられ、シャーマンはシャーマン自身や他人の病気の治療、狩や漁の占い、死者を下の世界に連れていき、そこでのよい生活をするようにしたり、悪魔を払ったりする役割をもっていました。
特に火と水に対する儀礼が重要という説明を受けました。ナナイのおばあさん、シャーマンが、その儀式を再現してくれました。
火と水の霊魂に_?_健康を祈り、あめ(砂糖や砂糖菓子)、まめ、ぱんなどのを火にいれます。そして酒を火にいれます。
水の霊魂には、箱に食事を入れて水をいれます。食べ物が早く沈むと、水の霊魂が穏やかなことを意味するといいます。
頭に金属をつけているシャーマンは上位のシャーマンだそうで、他に、木で作られたものをみにつけるシャーマンもいます。死者の追善は死後、程なく行われものと、死後一年後ほどたってからものもがあるとのことで、これらはシャーマンによって執り行われます。後者の最後の追善儀礼によって霊魂を下の世界に連れていくといわれていました。
(2)花嫁衣裳と道具
ナナイの花嫁衣裳の背面には、上部に満州の名残があり、鱗のデザインは徐魔力をもつ竜ともいわれています。下部分には、氏族の繁栄の願を込めて、彼らの世界観を示す世界樹が刺繍されていることが多く、この木に付随する花びらはこれから生まれてくる子どもを著し、その命は木にとまっている鳥によって運ばれるといいます。また生まれてこない子の精神や家族の紋章、下の世界が描かれているそうです。これら衣装に描かれているものは、信仰の対象としての意味をもっているといえます。
結婚するときにやりとりするという長さ1,5メートル、幅5センチくらいで先に刃がついているものには、ヘビ、カエル、カメが描かれています。ヘビは力を象徴し、カエルはす速さ、カメは生活の成功を意味するもので、刃の両側のカーブをみることで、夫婦のどちらが裕福だったのかということがわかるそうです。
その他に、水がめ、料理するためのもの、魚皮なめし具、臼、織物をする道具、糸まき、肉や魚を料理する時に使う道具、はし、食べ物を保存するためにつくられた高床式の倉庫の模型、木の枝と泥でつくられる家の模型、漁や交易に使う船(実物ならば700キロも載せられる)の模型、鹿や魚を捕る為の道具などがありました。
また、昔の人々が描いた石岩絵や刺繍、靴、腕につける飾り物、むねあて、お金として用いていた貝、ナナイの人々の主をかたちどった木彫りの人形、狩猟などの際に身につけるお守り、病気を直すためのもの;ナナイの人の間では、人は病気になったら悪いところをその物に移すという考えられているので、例えば足が痛い時には、ブロンズ(?)で足を形どったものをつくるなど)などがありました。また、鏡はシャーマンを守るものと考えられているそうです。ゆりかごもありました。
シカチ・アリャン村のナナイの伝統的な楽器としては、魚皮製太鼓が展示されており、楕円形でした。

写真R左上:「家々の造り、臼、機織り、石」(模型など)
写真S右上:「かわなめしの道具」(模型)
写真21上:「太鼓、人形、鏡」など
写真22下:「民芸品」
写真23上、24下:「子どもたちが演じるナナイの音楽」
この度のハバロフスク・ユジノサハリンスクへの旅では、市中心地をはじめとするところにみられるレーニン像、ハバロフの像、日露戦争などの功績者他、多数のロシアを代表する人物とされる人々のモニュメントやロシア風といわれる建物をみる一方で、シカチ・アリャン村のように形成された村行き、今日では少数民族とよばれるようになったナナイの人々の歴史に出会ってきました。もちろん、ナナイもまた観光地化ということで、ナナイが浮き彫りにされてはいるのですが、ナナイの人たち、その生活やシャーマニズム信仰、音楽などをに触れていると、どこか親近感を覚えるような、文化のつながりを感じるような、ふと思いをよせてしまいます。
アムール川に生きるナナイの人たちの暮らしは、ソビエト時代に変化させられてはいるとはいえ、今でも川や森林、畑などからの恵みによって生計を立て、以前ほどの儀礼をもたなくなったといえども、シャーマニズムの儀礼が生き続けていますし、そこで生活する人々の姿がとても印象的です。今では現金収入を必要とするようになり、困窮しているという話もありましたが…。
(ごく一部にすぎませんが)ナナイの村に行ったことで、ナナイの人々が生きてきた長い歴史から現在の生活に触れることができたことで、国家権力を背景とした歴史の表象のされ方とのギャップをひしひしを感じました。
ややもすると、国家形成史の中で埋没させられてしまうナナイのような人々の歴史、それを朝鮮五葉松やナナイを軸に丁寧にあたられている吉田悟郎先生の作業に、あらためて学ぶべきことがたくさんあることに気がつきました。
これからも一つ一つの経験を大事にしていきたいと思います。
三 王 昌 代
2001年9月10日
三王昌代さんガ持ち帰った シカチ・アリャン村の案内を裏表4ページ 次に紹介しておきます。



ナナイの村 終り