イエメンとグリーンベレー
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3月9日午後8時

上の写真はイエメンの山岳。
古代(紀元前)イエメンに栄えた王朝(以下)。中でも有名なのはシバの女王国で、旧約聖書の列王紀第10章にソロモン王の宮廷を訪ね、難問で彼の智恵を試した話はよく知られている。シバの女王は贈り物に多額の黄金と貴重な香料、宝石を持参したが、女王がソロモンに贈ったような多くの香料は再びこなかったとある。シバの王国は、有名なマーリブの大ダムを完成させ王国を潤させたが,紀元前3世紀巨石を積んだダムが大地震で決壊し,王国の衰退と王朝の交代を招いた。
- Maeen - the capital Qarnawa
Maeen- 都 Qarnawa- Sheba (Saba) ? the capital Marib (1200BC ? 260AD)
シバ(サバ)? 都 Marib(1200BC?260AD)- Hadramout ? the capital Shabwa (400BC ? 220AD)
Hadramout? 都 Shabwa(400BC?220AD)- Qataban ? the capital Timna (400BC)
Qataban? 都 Timna(400BC)- Himyar ? the capital Dhafar (100BC ? 525 AD) & Ausan (until 450BC)
Himyar? 都 Dhafar(100BC?紀元525年)とAusan(450BCまで)
3月6日の新聞報道(朝日)によれば、来日中のカルビー・イエメン外相は記者会見でイエメンのテロ組織掃討作戦を支援する米軍特殊部隊が数日中にもイエメン入りする見通しを明らかにしたという。軍事顧問団の形をとった米軍のアフガニスタン以外での対『テロ』撲滅作戦は、フィリピンのバシラン島、グルジアのパンキシ渓谷に次ぐもの。アラビア半島で唯一、米軍駐留を認めてこなかったイエメンが米軍の対『テロ』撲滅作戦の受入国になるということは、米国の中東戦略にも変化が生じるであろう。イエメン派遣の米軍特殊部隊は、米紙によれば数百人。イエメン外相は、「山岳部の多いイエメンで、国際テロ組織アルカイダを掃討するには、米軍の情報収集技術と装備が必要だ。2千キロに及ぶ海岸線の防衛にも米軍の支援を期待している」と語った。
イエメンでは2000年の10月、アデン港に給油のため寄港していた米海軍のイージス艦コール号に爆弾を積んだ小型船が突入、米兵17名が死亡、35名が負傷するという事件があり、FBI長官もイエメンを訪問、これまで取調べを受けている6人の容疑者を米捜査当局が直接再尋問するという。ここでも、確証はないのだがアルカイダが逃げ込んでいるとか、オサマ・ビンラディンとの関係が噂されている。
オサマ・ビンラディンの父親は,イエメンの東部ハドラマウトの出身であることもあり,彼との関係も深いという。かつて南北イエメンに分裂していたとき,南イエメンは中東唯一のマルクス主義政権だった。1990年の南北統一後(1994年の内戦,短期間で北イエメンの勝利)南イエメンではイスラム原理主義過激派の勢力も強く,アデンにはテロリスト養成キャンプの存在も指摘されていた。9.11事件後、B7の決定で資産凍結された団体の中に,ソマリアの「AIAI」と並んで、イエメンの組織として「アデン・イスラム軍」の名前がある(財務省資料「タリバーン関係者等に対する資産凍結対象リストの追加処置について」平成13年10月11日の追加リスト「別表ーアル・カイーダのネットワークを構成する11のテロ組織」参照)。
もっともイエメンはアラブ諸国内でも最貧国の一つ。おそらくフィリピンやグルジアの場合と同様,米国からの何らかの資金援助,財政援助の裏取引があるのかもしれない。というのは,2000年の米イージス艦事件以後におけるイエメン政府の対応は必ずしも米国の意に沿うものではなかったからである。
イエメンのサレハ大統領府は昨年末から国軍によるアルカイダ掃討作戦を展開しているが,山間部にはコール号爆破テロに関与したとされる容疑者を含むアルカイダのメンバーらが潜伏、これを保護する「強力な」地方部族が激しく抵抗しているという。(「YEMEN TIMES」 2002.03.04−03.10. 11号)
アフガニスタンやフィリピンの場合と似ていて,イエメンもおそらく部族社会なのであろうか。
アラビア半島の西南t角に沿った国などというと,映画『アラビアのローレンス』に出てくる人間が通れないという死の砂漠地帯を横断して背後からアデンの砦を攻略した場面を想い起こして、さぞかし砂漠ばかりのちっぽけな国と思うと大間違い,砂漠よりも巨大な山岳ー3000メートル級,活火山もあるー,それに森林, 蘭の花も見つかるし ,古代から乳香・香油で知られ, 紀元前の古代にはヘロドトスやストラボンにでてくる「ARABIA FLEX」(幸福なアラビア)のシンボルであるシバの女王の王国が栄え、地中海から紅海,インド洋に至る貿易路の要衝にあたり, マーリブの巨石ダムを完成させ 農業生産を発展させたという光栄の歴史がある。
歴史上のいくつもの強大な王国はイエメンの山岳地帯に位置し,古代のイエメン人は山の斜面に巧みにテラスのような段段畑を作り,山すその肥沃な土地を耕した。そしてまた、,モカ・コーヒーは土地の名産であり、各地の都市のアールデコ風な多彩多様な高層建築は古代のマーリブ・ダムを築いた伝統を偲ばせ,神秘の世界へ旅人を誘う。古い町並みの残るイエメンでは,ジャンピーア(短剣)を腰に挿して歩いている男たち,顔をすっぽり被った黒装束の女たち,時の流れがとまっているか、タイムスリップした感覚を味わわせてくれる。
今日の国土面積は,米国ワイオミング州の二倍,日本全体に韓国を合わせたより大きい。
こういう国に,米軍のグリーンベレー部隊が乗り込んでいくのである。<オサマ・ビンラディンとアルカイダ>を掃討するという「対『テロ』撲滅世界戦争」は始まったばかりである。2001年10月から始まるアフガニスタン進入, 次いでフィリピンのバシラン、そしてグルジアのパンキシ, 四番目にイエメン いずれもイスラム世界の一つであることに共通性がある。米欧諸国内のムスリムや中東系やモロ系・チェチェン系移民に対する差別や人権問題が起こらないように祈るのみである。
3月19日午後3時半
いま, アフガニスタンに次いで(別にアフガンでの戦争が終わったわけでもないのに!),フィリピンのバシラン・ミンダナオ・マクタンなど中部・南部の島々, カフカスのグルジア・パンキシ渓谷, アラビア半島西南角のイエメンが,米軍グリーンベレーの進出で問題になっている。
その中のイエメンで、15日18時15分首都サヌアの米大使館に手りゅう弾のような爆発物を投げつけようとして未遂に終わった若いイエメン人が逮捕された。
この若者はサヌアのカウカバン出身の大学生で25歳、サメール・ヤフア・アワードといい、精神障害があるという。
爆発物は、米大使館のフェンスまで届かず,フェンスの手前の木にあたり爆発したので被害者は出なかった.自爆テロを意図していたらしいが,大使館の保安部隊がこの青年に気付き, 発砲しその弾にあたり傷ついたようだ。爆発直前, 猛スピードで走り去る車を見たという目撃者もいる。投げて失敗した爆弾以外に別の爆発物も持っていて撃たれる前にもう一発投げつけようとしたらしい。二発の爆発音を聞いたという地域住民の証言もある.。
対『テロ』撲滅作戦の指導と訓練のための米・イエメン共同作戦でイエメンに乗り込む米軍への抗議ではあるまいかという見方もあるが,当局筋によると,班人の動機は個人的なもので、いかなるグループとの関係もないという。イスラムのどの宗派、どの過激派に属するかはまだ不明である.。大使館地域は厳重警戒で立ち入り禁止になっている。
以上,イエメン唯一の英語の週刊オンラインであるYemen Times Onlineの3月11日ー3月17日号の「サヌア・3月15日発」の記事である。
日本政府のイエメンに対する健康管理(病院援助),基本的教育,公共福祉に対する開発途上国援助計画がいくつかあり、USドル52000, USドル29992,
USドル36339などプロジェクトも実行されており,別の援助もあると報道されている.。日本の政官財との縁で,イエメンは案外近くなっているのかもしれない。
Yemen Times (Weekly)Onlineに編集者という署名の興味あるコラムがあった.。見出しは『臆病者のアラブ』とある。
3月20日午後5時
(左の写真はイエメンの古い町並み)
まえに、イエメンはアフガンと同じく「部族社会」ではなかろうかと書いたが、どうも当たっていたらしい。ここのところ、イエメンについて頼りにしている資料源である『イエメン・タイムズのウィークリー版オンライン(イエメン唯一の英語紙という)』の最近号、3月12−18−24日号の編集者のコラム「わたしたちにはもっと沢山のことが必要だ」という文章がたいへん興味を引いた。 以下に紹介しよう。
<わたしたちは様様な治安作戦技術でイエメンの治安部隊を訓練してくれるという米国の支援を有難く思うべきだとしても、わが国の軍人の訓練を助けてもらうことだけに頼るのでは不十分だということを理解することも大事なことである。
イエメンの安全問題は、訓練不十分な軍隊や警察の結果ではない。問題はもっと構造的なものであり、その複合的な構造が克服されない限り、米国の(軍事的)援助ハ、単に時間と労力とお金の無駄遣いに過ぎないかもしれない。
今日のイエメンは、まじめに法や規則が守られていない場所である。人々は法に従う必要があるとは感じていない。 そういう状態の背後には腐敗、貧困、、そして無学文盲を含めた多くの要因がある。
最も位の高い武官や部族の首長達が決して法や規則を守らないから、人々は法や規則を敬おうとはしない。軍隊や部族の階層内でより高い地位にあるものは、多くの点で法に従わない。かれらの使者は、赤信号を無視する。かれらは、ほかのもののように列に並びはしない。そして、かれらはいつも役所などで書類仕事をちゃんと通り抜けなどしない。
つまり、かれらは、誰よりも先に法を犯している。こういう部族の長たちや軍隊の幹部たちは、自分達のくにで はとんどの6000万台の武器を持っている。
これこそ、わたしたちの国が安全と生活の安定を進めることができるためには、まず第一に片付けるべき問題であろう。
地方地方のこの信じがたい武器の数は、国境やその他何処でも賄賂で密輸が黙認されている結果である。このような恐るべき武器の数を考えれば、安全で安定したイエメンなど夢に過ぎない。
わたしは、米国に バラバラに捉えていることを総合し、イエメンになぜ安全がないかを、理解するように頼んでいるのだ。これは、わたしたちの国の内部問題に口出ししてもらうために米国を招待していると、取ってはいけない。また、米国のイエメン軍警訓練計画に水を誘うとしている手立てだととってはいけない。
ここでわたしが言いたいことの全ては、とくに安全の問題で、イエメンが自立するのを助ける方法が別にあるはずだということである。
都市の検問所で兵士が普通の非武装の市民を調べる、武器を運んでいないかどうか、軍人や部族の長が好きなだけのたくさんの武器を所持して都市を闊歩してはいないかどうかを。もし市民が同等に扱わられなければ、先週アメリカ大使館のそばで起こったような事件を防ぐことができるかどうか。
第一歩は、巨大な武装解除のキャンペーンを始めることだ。わたしたちは、部族や兵士たちがみな両肩にかけている数片の木と金属から成るぶらさがりにうんざりさせられている。こういうものと早く縁を切らなければならない。そして、そういう兵士たちに都市から出て行ってもらい、軍隊へちゃんと収まってもらう、世界のどの都市と同じように兵士に代わり警察が都市の安全を守る。現在のイエメンは、兵士と警官の区別がつかない世界の数少ない国である。
[傍線の個所「りょうかたにかけた数片の木と金属からなるぶらさがり pieces
of wood and metal that hang over the shoulders 」がどうしてもうまく訳せない。
インターネットでイエメンの兵士や部族の服装の写真でも見つけられたらと探してみたが、そういう写真は見当たらなかった。「アラビアのロレンス」でも探せば見つかるだろうか。どなたかどんな服装、飾りか武器カ、ご存知の方あればご教示願いたい。]
米国政府は、ほかのすべての政府がガイドラインを持っているように、この安全保障を理解すべきである。もし、このガイドラインが無視されれば、軍人がどんなによく訓練されようが、 この国でよりよい安全保障を成就させることは不可能であろう。
このように、問題はより複雑であり、説明により多くの時間と余裕が必要である。しかし、確実なことは、 アンクルサムが安全で安定したイエメンを創るためにはただのほんの少しの訓練期間ではなくもっと多くのことを理解する必要があるということだ。>
「イエメン・タイムズ・ウィークリー・オンライン」の同じ号の地方記事では、ちょうどソ連軍撤退後続いたアフガンの内戦に似たイエメン国内の水を巡る部族間の戦争を伝え、村が二つ焼き払われ 一週間にパレスチナやアフガンでの戦争以上の死者が出ているのに、イエメン政府は 無関心で何もしていないと報道している。
3月23日午後4時半

(左の写真はイエメンの段々畑と丘の上の高層建築の群ーアルハジャラア)
左二番目の漫画はRenan Laurie-2002年3月4日号よりForiegn Affaires Internet版から)
左下の写真の男性が腰にさしているのが「ジャンビーア」と呼ばれる短刀で独特なJ字型の鞘にいれて腰の正面に帯びるのが男性の誇りである。柄は木製でT字に似ており、刃は幅広で半月型である。
米軍グリーンベレーが対『テロリスト』掃討作戦の指導と訓練のためにやってくるというのでフィリピンのバシラン・ミンダナオ、そしてグルジアのパンキシ渓谷に次いで注目されているのがアラビア半島西南角のイエメンである。

イエメンというとだいぶ縁遠いと思うだろうが、近頃テレビでも放映しているアメリカ映画『英雄の条件』という映画はイエメンに駐在するアメリカ大使館が舞台になっているのだ。この映画のもともとの題はRULES OF ENGAGEMENTで、実際のロケはイエメンではなくモロッコで行われている。この映画の上映をめぐっては、在米イエメン人などの反対運動があった。
というのは、イエメンのアメリカ大使館が激しい反米デモに包囲され、危険な状態に陥る。大使救出の指令を受け、米軍のヘリが大使館に向かう。暴徒化した群衆にまぎれてイスラム原理主義過激派らしき組織がヘリから降下した米海兵隊との間で激しい銃撃戦となる。大使一家は銃撃戦が本格的に始まる前に救出される。この事件後、非武装のイエメン市民が海兵隊の射撃でまきぞえをくい殺されたという嫌疑がかかり、ことは外交問題から、この救出部隊を指揮していた米海兵隊の大佐は軍事裁判にかけられる。アメリカ映画得意の軍事法廷サスペンスである。
もうひとつ。わたしたちが親しんでいるコーヒー、その「モカ」は、実はイエメンの小さな港町の名前であり、モカ・コーヒーの母国はイエメンなのである(いまは南米でも東南アジアでも栽培されている)。
イエメンのモカ・コーヒーの栽培は、内陸の山岳地帯(標高1000−3000ッメートル)の段々畑で行われており、中でも有名な産地がバニー・マタル(雨の子孫たちの意味)地方とハイミ地域である。ハイミ地域では、ハイマー部族の人々が昔から素朴だが気品ある味わいをかもし出すモカの豆を大切に守り育て、手積みされたコーヒー豆をじっくり時間をかけて天日乾燥する。
イエメンでモカ・コーヒーを産する両地方はともに雨が多く、またしばしば霧がかかる。
イエメンのモカの港から40袋のモカ・コーヒー豆を積み込んだ最初のヨーロッパ人はオランダの商船で、これがヨーロッパ人が買った最初のコーヒーで1628年のことだった。ただ当時ヨーロッパではまだコーヒーを飲む習慣はなかったのでこのオランダ人が積み込んだコーヒー豆はペルシャ・インド方面に売られたようである。
ヨーロッパでもコーヒーが売り出された最初は、1661年アムステルダムで、イエメンのモカから積み出されたlコーヒーであった。やがてヨーロッパ人は安いコーヒーを大量に確保するために、それぞれの植民地にモカの豆を持っていってコーヒー栽培を始めた。
以前、イエメンの切手を見て、世界遺産に類する恐るべき高層建築の数々に驚いた。現代風のビルではなく、まさに旧約のシバの女王の国の建物のような、いわゆる古代のマーリブのダムのような奇怪な高層建築で、それが一様な形式ではなく、実に多様な建物であり、、まさにアラビアンナイトの世界を思わせたのである。今度あらためて、ネット上で丘の上に積み重なる高層建築の多様多彩なありさまをいろいろな写真で見つけてあらためてビックリしている。
これらは、600年前からある日干し煉瓦(60センチ四方)による伝統建築の高層建築であり、そういう伝統の高層の街「シバーム」は世界遺産になぅている。
もちろん、伝統的な日干し煉瓦を素材に使うと高くつくので、コンクリートで間に合わせることもあるが、そういうコンクリートの建築はエアコンがないと厚くて生活できない。日干し煉瓦だと、家の中は涼しくエアコンはいらないし、誰も住まなくなれば、元の砂に戻るので産業廃棄物の心配は要らないわけである。
イエメンの国土は日本の約1.4倍、人口は日本の約8分の1。砂漠と山岳の国だが 首都サナアは標高2200メートの高地の盆地に当たるので、日本人は寝覚めに息苦しさを感じる。イエメンはいわば山岳の国で、3000メートル級の山々の頂きに、村の家々が集まり、山々の急な斜面に段々畑が続いている風景は各地にみられる。アフガンと違い雨が多い国である。飾り窓のあるレンガの高層の建物が山の頂きや断崖の上にひしめくように立ち並ぶ様は、「天空の城」を想い起こさせる。「中世の城塞都市」という感じでもある。
冒頭左下の写真のように男性は、少年の頃から「ジャンビーア」という短刀を独特な J 字型の鞘に差し腰の正面に帯びるのを誇りとする。柄は木製で T
字に似ており、刃は幅広で半月型。実用としてよりも部族社会の遺制である成年男子のお飾りとして生きているようだ。アフガンと同じく男女の差は著しい。
イエメンに部族社会が農業民・遊牧民を問わず色濃く生き続けていることは前にも触れた。南北イエメンは統合され、一時南北内戦が起こったが、北イエメンが結局勝利を収めたが、北から出た大統領は, 旧南イエメンの首都アデン(ポール・ニザンの作品『アデン・アラビア』がある)を「冬の首都」と位置付け,冬季は政務の中心をサナアからアデンに移す、省庁の人事でも旧南出身者と旧北出身者のバランスを保ち、旧南イエメンの人々の旧北出身者主導に対する不満の慰撫に努めているものの、いまだに中央政府の力が及ばない地域が多く、様様な地方部族ごとの勢力が圧倒的であり、そこでは部族の掟が中央政府の法に代わって支配している。これは前回紹介したYEMEN TIMES WEEKLY の編集委員の論説にあるとおりである。
オサマ・ビンラディンの父は、イエメンのハドラマウト地方の出身である。名前にある「ビン」は「息子」の意味で、イエメン出身者に多い名前の一つであるという。
このように、イエメンは山国で地域ごとに部族社会が生き続けているという点は、アフガンと似ている。オサマ・ビンラディンは、「自分のいるべきところは、アフガニスタンかイエメンだ」といったという。
イエメンは、官民の隅々にまで銃器が行き渡っていること、繰り返される地方部族同士の抗争では氾濫しているカラシニコフ自動小銃や爆発物が使用されるからその都度死傷者も出るし、村々が焼き討ちされ、村人も巻き添えになる。しかし、中央政府は手を打てない。平常時でも地域では追いはぎとか拉致され人質交換のだしになる事件が頻発する。サアナから4キロほど離れると、政府の力の及ばない「シラフ」という武器マーケットがあり、カラシニコフ自動小銃一丁が約三万円ぐらいで手に入るという。
もっとも米国も、法が完備して公権の及ばないところはないような近代国家という外面をとっているが、たいへん野蛮な銃社会でもある。
建国以来の先住民(「インディアン」)そしてアフリカから拉致した「黒人奴隷」、さらに言語・風習・宗教・肌色を異にし苦難の世界からやってきた多様な移民というような膨大な異なれる人々の上に君臨した合州国という「ヒエラルヒー」、そういう歴史的構造がしからしめたものであろう。
けれども、皮肉なものでみずからの野蛮極まりない銃社会を棚に上げて、今日、アフガニスタンやイエメンなどを「近代以前の社会」とか「未開発の国」などと簡単に片付けられるものだろうか。
9.11の旅客機自爆突入テロを行ったテロリストのなかにイエメン人も一人いたといわれる。また、いまキューバのグアンタナモ基地に拘留されているアフガン侵攻で捕虜になった囚人のなかにも38人のイエメン人がいるという。
イエメン・タイムズ・ウィークリーにイエメン人が米軍グリーンベレーのイエメン乗り込みをどう思っているか、のインタビューのまとめが載っている。その賛否両論を次回紹介したい。
3月24日午後1時
アラビア半島西南角、紅海の入り口を抑えるイエメンがいま、ひとつの焦点になっている。
わたしは、ここのところフィリピンのバシラン・ミンダナオについてはフィリピンのINQUIRE7NETの、カフカスのグルジア北辺のパンキシ渓谷についてはグルジアのKVALI COMの”GEORGIA IN THE FOREIGN PRESSの、イエメンについてはYEMEN TIMES COMの、とそれぞれのサイトを開いて必要な資料を印刷して、ファイルに収め、ゆっくり読んで考えてみることにしている。いずれの地域も、いままではほとんど予備知識のないところである。また、その地域を専門に研究している研究者も少ないかほとんど皆無である地域であるから、まったく手探り状態であるから、素人の私の考察にもたいへんな誤認や欠落が多いと思う。
まだ新聞報道や雑誌記事もあまり見当たらない。わたしの観察もそれらの地域に目を向けるほんのひとつのきっかけととっておいてほしい。念のため。
YEMEN TIMESに”LETTERS TO EDITOR”というページがあり、まぁ読者の声欄であろうが、それぞれ短文でなかなか面白い。そのひとつに<アメリカ人がやってくる>というのがあった。
<過去30年間、ソ連崩壊以前は、アメリカ人や西側諸国はよく「ロシア人がやってくるぞ」といって、ほかの国には好ましくない攻撃的な共産主義を恐れたものだ。今日、わたしたちのアンクルサムの行動のため、世界最強の国が「テロに対する戦争」という口実で同じようなことをやっている。アメリカは、民主主義や人権、自らそう呼び信じているはずの自由な世界を忘れて、他国に自国の政策を押し付けている。・・・・
今日、ゲシュタポ(ナチスの凶悪な秘密軍警)はモスクワからワシントンに移転した。そして、アメリカ風なカウボーイの顔を露わにしている。>
イエメンのタイーズからのズヒアール・スリマンさんからの発信である。
前回予告した「イエメン・タイムズ」がイエメン各界各層の人にインタビューして編集した米軍到来をめぐる賛否両論を紹介したい。モハンマド・ビンサラームさんによる「Survey
says・・・US military presence will harm Yemen and USA アンケートは語る…米軍の存在はイエメンおよびアメリカ双方を傷つけるだろう」というまとめの論説である。
<米軍の到来と駐屯をめぐる意見は実に多岐にわたった。歓迎する意見もあれば、一方激しく反対する意見もあった。沈黙して成り行きを監視しようという意見もあった。平和と安全を守ろうという国益のためには当然だという意見もあった。それにもかかわらず、何人かのイエメン市民は、米軍の存在はイエメンの主権の侵害であり、アラブの民族的安全に大変な影響を及ぼしたと信じると応えた。イエメン・タイムズはこの調査を集計し、この問題に関する否定・肯定両面に焦点を当てた。
カセム・サラム氏、バース・アラブ社会党事務局長は言った。
アメリカ人は、彼らの計画を実現するために諸国民を恐喝して圧力をかけることを常としている。こういう政策は第三世界の国々すべてに適用されている。イエメンやアラブ諸国にだけではない、と。
アラブの大衆の気持ちがわからないという状態のまま、米国は9月11日の自爆機突入事件以降迷路に入ってしまった。しかし、米国はいくらかのドルと引き換えにイエメンの人民が自分達の主権に介入させる気はないということを理解すべきだ。イエメン人は米軍の存在に反対し、米部隊およびその駐留を支持する人々と戦うだろう、と。
アメリカ政府は、そういうドルは自分の方にとっておいて、わたしたちイエメン人が見苦しくなく誇り高く生きられるようにすべきである。けれども、アメリカは、イエメンがずっと占領者の墓場であったし今後もそうであり続けようとしていることを知るべきです、と。
アブドラーズイズ・アルマンスーブ氏, ナセル党機関紙Alwahdawi紙編集長は、コメントした。
米国政府は、テロリズムと戦うという口実でかねがねある地域の足がかりを探してきた。しかしながら、米軍進出の真の目的は、その地域の人民と資源の掌握にある。アメリカのアラブ諸国民に対する敵意は明白である、と。
モハメッド・アブドルマジッド・アルクバティ氏、PGC'の政治区分の長(head
of the PGC'political devision)、は答えた。
イエメンでの米軍存在について論じるのは単なるマスコミの大騒ぎである。イエメンの地雷除去を助けるためにちょっとした米軍のトレーナーや技術者がくるのは当然であり、なにも改めて騒ぎ立てることでもない。以前から1990年の国家再統合以前からイエメン軍の訓練にアメリカの専門家や技術者はきていたことだ。1994年の南の分離派による内戦と分離派の敗北の際埋められた地雷除去のためイエメン軍を訓練するため米軍のトレーナーと専門家が数10人、1996年の南北再統合後も駐留した。彼らは数十人の命に値する除去する方法を私達の軍隊に訓練してくれた。それでも、彼ら米軍の軍人は戦闘行為には何ら加わらなかったではないか。
イエメンと米国は、テロリズムと戦うという問題では異なる態度をとっているけれども、イエメンが9月11日の攻撃や1900年の米艦コール号爆沈テロ以前からテロリズムに反対してきたのは事実だ。
テロと戦う場合必要な洗練された装備や軍事上のハードウェアについてイエメンの特殊部隊を訓練してくれる米国軍人の存在を、誇張拡大して見るべきではなく二三の政党の政治宣伝に使われてはいけない。
結局、同じ目的のために、米国まで数百人の特殊部隊を送るよりも、イエメンに10名の米軍のトレーナーが来る方が、はるかに簡単だし費用効率も安くつく。
同じく、イエメンは米軍の存在がこの国に根をおろすことは認めないだろう。このことは皆に知られていることであり、政治交渉においてことさらもんだいにすべきことではなかろう、と。(次回に続く)
3月25日午前10時
左の写真はイエメンのTAIZで数千のイエメン市民が集会・デモを行った場面。イスラエルのパレスチナ占領と侵攻の暴挙に怒り抗議し、米国のイラク侵攻の脅迫にも抗議している。3月19日(火)のことである4月20日午後5時
まず、Gomaaさんのジェニンの「黙示録」の漫画を見てください。カイロのAlAhram Weekly Online4月18−24日582号に載っている。
前にもちょっと紹介したが、イエメンのYemen Times Onlineに載るEDITORのコラムが面白い。どのくらいイエメンの人々の考え方を反映しているのか、代表しているのかは分からないが、極東の島国に住む私たちにいろいろ考えさせることを含んでいて、分かりやすく勉強になる。
その3月11−17日号のEDITORのコラムは " COWARD ARABS ! " 「臆病者アラブ」と題して、アラブ人としての自己批判の文章であった。息子をイスラエル軍戦車のミサイルで殺されたパレスチナ人の母親がテレビカメラに向かって息子の亡骸を抱きながら「臆病者のアラブ」と叫ぶシーンに触発された文章である。イスラエル軍の侵攻、破壊と虐殺をなすこともなく沈黙して見送っている近隣アラブ諸国。数次の中東戦争をふりかえれば、中東アラブ諸国は牙を抜かれたのか、アメリカとイスラエルに対してそれほど臆病になったのか、と思わしめるありさまではあった。
YEMEN TIMES ONLIN に LETTERS TO EDITOR というページがある。ここで、「臆病者のアラブ」に読者の反響があった。この文章の題名は "
Coward Aeab Policians " 「臆病者のアラブの政治家」と変えるべきだ。22のアラブ諸国の人民ではなく政治家が臆病なのだ。たしかにその後イエメンを含めてアラブ諸国ではパレスチナ人の悲劇と抵抗に同情し、イスラエル政府の暴虐とこれを見送る自国政府に対する怒りのデモや集会・決議の嵐が吹きまくった.。アラブ諸国政府も人民の大衆行動の波に押されて重い腰をあげた。サウジアラビアのアブドゥラ皇太子のいまさらというような和平提案である。
YEMEN TIMES の3月25−31日号のEDITOR のコラムは、” Pathetic " 「悲劇的」という題である。編集委員がイタリア、オーストリア、ドイツ三国を旅行した所感である。そこで見つけたのはアラブ世界に対するヨーロッパ人識者の悲しむべき衝撃的な現実であった。西欧から見れば、アラブの指導者がアラブの悪い代表になっているということに気づいた.。そして、イスラムに対する無知と誤解。
<要するに、アラブ世界の現状は、悲劇的です。そして、私たちが私たちの沈滞から抜け出るために何らかの行動に出ない限り、私たち自身が人類の文明のゴミ捨て場に投げ込まれているのを発見することになるでしょう。>
YEMEN TIMES の4月8−14日号の EDITOR のコラムは、" Asking the Americans ; Is this supposed to be the American way ?
" 「アメリカ人に聞くーこれがアメリカ人の進む道なのですか?」という題である。
<親愛なるアメリカ人のみなさま、あなたの国は、占領から独立、liberty 、freedom 、正義に基づいて建てられた。あなたがたは尊敬すべき言論の自由、正義と透明性の維持、世界との信用の構築などの諸価値を育ててきた。アメリカ人の歩む道は、自由、正義、透明性、万人の反映と発展の道である。
現在のアメリカ政府は、あなたがたの元来の道からあなたがたをそらしているのではなかろうか、と私は心配する。非武装のパレスチナ人社会に対するシャロン政権の侵攻、そういう圧制的な政府を支援することで、かつて米国がたっていたもろもろの価値を傷つけるようなことをしているのではなかろうか。
今日のアメリカ合衆国は、女・子どもを含むパレスチナの罪なき人びとを殺し、彼らの住まいを砲撃し家に隠れている彼らの家族を包囲し罠にかけるためにアメリカの武器で家屋や農園を破壊している体制の主要で唯一の支持者である。米国は、この体制がキリスト教の聖堂やイスラムのモスクに避難した人々を攻撃することも許した。
アメリカ人のみなさま。あなたがたは、イスラエル軍がパレスチナ人の難民キャンプを襲う際に罪のないパレスチナ人の子ども達を盾として使ったのを知っているか。あなたがたは、パレスチナ人の家族が餓えるか死ぬかは頓着せず、水、食べ物、医薬品、電機供給を断ったことを知っているか。彼らが、街頭で出血している男たち、女・子どもを救うために駆けつけようとする救急車を妨げたことを知っているか。
あなたがたは、世界中で何百万もの人びとが米国に対して抗議していることを何故だと思わないのか。あなたがたは、なぜ、あなた方の政府以外の世界の政府によって非難されている政権を支持しているのか、を疑問に思ったことはないのか。それは、すべてのアメリカ人が謝っているということなのか。
このような体制を支援していることで、あなたがたの政府は、こういう操作の一部をなしていると見られている。あなたがたは、このような醜悪な侵攻の一部と
世界から数えられることを望んでいるのか。この侵攻作戦で犠牲になったパレスチナ人の子どもたちや孫たちは、これからずっと米国を自分たちの敵だと思うだろう。どのようにしてこの地球で、米国は自由を支援する国から包囲攻撃と破壊を助ける国に変わったのか。あなたがたは、自分たちが自由な世界を指導していると思っている間に、実は何が行われたかを、どう考えるのか。
この方程式には何か誤りがあります。そして、アメリカ人の皆様は、何が誤ったのかを知るべきです。
もしジェニンやサブラで犯されたようなことが別のサブラ、シャティーラ(1982年9月イスラエル軍のレバノン侵攻の際、ベイルートの二つのパレスチナ人難民キャンプでイスラエル軍に支援されたレバノン右派勢力が2千人を超える難民達を虐殺した、シャロンはこの虐殺の責任を問われ国際法廷に告訴されている)であるならば、それは恐らく米国とイスラエルが犯した大虐殺ではないかとして、永遠に米国史上に汚点を残すことであろう。
わたしは、こういうアメリカ政府の態度に反対するアメリカ人から私の見解に同情する意見とEメールを受け取ったが、それは無力だった。
イスラエルは、米国の最強の同盟国かもしれない。しかし、この同盟は、第三の民族を滅ぼすほうに働くべきではありません。
アメリカ国民は、まったく愛国心が強く、自分たちの政府を支持していることは知られています。しかし、あなたがたはそれらの政府の行動を見落としてはいけません。あなたがたは、自分たちの政府がしていることを絶対正しいと盲目的に信じてはいけません。
アメリカ人の自由を愛する精神は愛国心に打ち勝って、イスラエルで非武装の民族とその社会に対して犯されていることを認識し、この苦難にあっている民族とその社会にヴィジョンと理解を与えるように導くべきです。
このコラムを読むのを止めてもよいです。そして、何も起こらなかぅたように あなたがたの普通の日常生活に戻られてもかまいません。
しかし、私は、あなたがたが読んだことについて あなたがたに考え直してほしいのです。
わたしは、アメリカ人のみなさまに理解してほしいのです。奪われたあの人びとすべての生活を、破壊されたあの人びとすべての住まいや農園のことを、イスラエル軍の兵士たちの手で彼や彼女の母を失ったすべての子どもたちの悲しみを、イスラエルに対する米国の支援なしにはまず第一にそこに生じたことが起こりえなかったパレスチナ人が味わってきた悲惨を。
わたしが問おうと思うのは、アメリカ人のみなさまの良心です。あなたがたは、一体全体これがアメリカが歩むべき道だと信じるのですか? >
このコラムの文章に対する読者の反響とそれに応じて編集委員が考え、あらためて提起した問題については、次回に触れよう。
4月22日午後9時
アラブ諸国の中では小国でまた最貧国の一つでもあるイエメンのYemen Times Weekly
OnlineのEditor のコラムをいくつか読んできた。
4月15−21日号のコラムは、"When Arab leaders become a disgrace " 「アラブの指導者たちが恥じとなっているとき」という主題である。
その前回、先週のコラムの反響から文章が始まる。
<「アメリカが歩む道」がおかしくなっているという先週のわたしの社説に応えて読者の皆様、たいがいはアメリカ人の、から50以上のメッセージを受け取りました。アラブの読者のみなさまと同様にアメリカ人のみなさまの応答は、今なお続けられている大虐殺に対してアラブの指導者たちが沈黙し非難をためらっているといいいう共通の結論を下していると、確信をもって言えます。
不幸な現実は、もしパレスチナ人を守るために アラブの指導者たち自身がそうしていなければ アメリカ政府やヨーロッパの指導者やそのほかが行動しないということです。
だから、問題は、「アメリカ人の歩む道」にあるのではなく、むしろ私たち自身の指導者にあるのかもしれません。
読者の一人が言ったように、「わたしたちの母国のあなたがたの圧制的な体制が、直接には米国やイスラエルに石油を売りその製品を買う、間接には米国やイスラエルに抗議する世論には耳を貸さない、そういう姿勢で米国の態度を支えている限り、全ての責任を米国に負わせることは出来ません。」
別の読者は言いました。「あの怒れる人びとのデモが米国と西側の大使館へ向かうかわりに、あの恥ずかしいアラブの指導者たちの税他kな宮殿へ行進することこそを望みます。」
米国が、わたしたちが見、聞きしている大虐殺を犯すのを激励することでイスラエルを支援していることは真実です。しかし、別の読者が言うように、「外部の敵とたたかう前に、わたしたちは内部の敵であるあのアラブの指導者たちとたたかわねばなりません。たとえパレスチナ人の大義を犯すことになろうとも、アラブの指導者たちは人民を押さえつけ自分たちだけの利益を守るため最大の努力を払っています。
問題は複雑です。それにもかかわらず、解決策は簡単です。わたしたちは 外を変え始める前に、まず内を変える必要があるのです。
解決策は 米国にイスラエルに対する支援を止めるよう悟らせることにあるのではありません。そうではなくて、わたしたちの指導者たちにそれぞれの国民の要求を支持するよう圧力をかけることから始まります。わたしたちの指導者たちはいま決定的な状況に立っています。かれらは、イスラエルとその支持者とのすべての関係を断つことを含む人民の要求を実行するか、さもなければ占領地域で状況をいっそう悪化させる長期にわたる結果に直面するかの瀬戸際に立っています。アラブの指導者の多くは、権力喪失の可能性があるという危機を感じ始めています。あるアラブ指導者の独裁から第二の独立の可能性を封じることは出来ません。
アラブの指導者たちは、中東で起こっていることへの消極的な態度をとりつづけるかもしれません。かれらは、人民を圧迫しつづけ、変化を欲するあらゆる人びとを消そうとしつづけるかもしれません。
しかし、怒りは高まり、変化はちかづいています。指導者たちへの脅威は日ましに育ってきています。そして、もしかれらが人民を失望させつづけ、わたしたちの現代史における恥辱でありつづけるならば、かれらは最終的にはひっくりかえされるでしょう。
ここに、何かシャロンに感謝するものがあるとすれば、わたしたちを目覚めさせてくれ 私たちがかくも長きにわたって無知であった現実に目を開かせてくれたことでしょう。
わたしたちは、わたしたちの国々を預かるにはふさわしくない沢山のアラブの指導者たちの支配の下に暮らしてきました。
いま、わたしたちは かれらは わたしたちのおくれと弱さが生み出したひとつのものだということがわかりました。アラブの指導者のほとんどのものが、わたしたちアラブ諸国民の恥じとなっているという このとき 今です。
かれらが私たちの自尊心の源であると信じていた 幻想の年月は終わりました。今は、かれたはそういうものではない ということにわたしたちは気づいています。>