「国語」という名への疑問



  「国語」という名への疑問                        

  「国語」というなまえの教科が,日本ではじまったのは1900年のことだから,すでに100年をこす.いまでは,「国語」ということばは,@それぞれの国で多くの人に使われていることば,A日本で使われていることば(日本語),B学校の科目の一つ(国語科・国語国文学科)などの意味で使われているが,近年,反省の意味をこめて,この名称に疑問がなげかけられるようになってきた.

  田中克彦(言語学者)は,「国語」ということばが歴史的な条件のなかから生まれたことを指摘した(『ことばと国家』岩波新書,1981年).田中は「われわれの日常語で〃ことば〃を呼ぶ名が,いかに差別の色にぬりこまれているか」を具体例をあげて指弾する.たとえば,前掲の@では,ふつう「国語」とともに「母国語」ということばがつかわれがちだが,「母国のことば,すなわち国語に母のイメージを乗せた煽情的(せんじょうてき)でいかがわしい造語」であり,「政治以前の関係である母にではなく,(ことばを)国家にむすびつけている」点を問題にする.そして,田中は「生ま れてはじめて出会い,それなしには人となることができない,またひとたび身につけてしまえばそれから離れることのできない,そのような根源のことばは,ふつう母から受けとるのであるから,〃母のことば〃,短く言って〃母語〃と呼ぶ」 のがふさわしいという.

  田中の研究をうけつぐ韓国生まれの言語学者イ・ヨンスクは,日本での「〃国語〃の理念は,日清戦争を頂点とする明治20年代の精神状況を土壌にして生まれた」のであり,この時代は「官民一体による統一的〃国民〃の創出と〃国家〃意識の高揚の時代であった」と指摘する(『「国語」という思想』岩波書店・1996年). 
  〃国語〃という概念は,天皇を中心とした帝国主義国家=日本のアジア侵略に欠くことのできないものだったのである.

  1800年代の後半に全国に小学校がおかれたころは,もともとは「読書(よみかき)」「作文」「習字(てならい)」などとよばれていたいくつかの科目であった.それが1900年に「国語科」に統合されたのだが,この名づけは「国家」「国民」といったことばと一体のものでであり,戦争と深く結びついているのであった.
  第2次大戦の直前には,「国民精神を体認し,国体に対する確固とした信念をもち,皇国の使命に対する自覚を持たせる教科」として,「国民科国語」と名づけられ,修身や国史などとともに国家目的に完全に従属させられる.

  戦後,「国史」は「日本史」にあらためられたが,「国語」は,現在まで無自覚なまま使われつづけている.
  田中の提起以降,1980年代を通じて,国際化がすすみ,あちこちの学校で日本語を母語としないこどもたちの割合がふえてきた.また,日本の学校には在日朝鮮人をはじめ在日外国人のこどもたちが通うことを余儀なくされているという現実にも,目がむけられるようになってきた.こうしたなかで,日本語をもって「国語」とくくるには無理があるとしだいに意識されるようになってくる.


  「日本語教育」ではどうだろう

  このような現実をうけて,日教組は,1991年の第40次教育研究全国集会(日教組全国教研)で,それまでの「国語教育分科会」を「日本語教育分科会」にあらためた.これは「国語」教育の歴史のうえで,画期的なできごとであった.
 名称を意識するというのは,教科の目的や学習内容,さらにこどもたちの学習活動までとらえかえすことにつながるからである.

  この10年,具体的な個々の言語表現に即した教育研究活動が着実に進展した.
  旧来からの「国語」科が,国家目標でもある「国家規模のことばによる伝え合い」の完成をめざしてまっしぐらに進んできたのと対照的に,こどもの願いや,こどもの育ち,こどもの学びといった,こどもの立場によりそった教育実践がくりひろげられるようになった.
  全国的には学校の時間割表で「国語」をやめ「日本語」としたところが少なからずある.とくに解放教育運動の伝統のある地域では,この問題を敏感に意識して実践にうつした.
  ところが,広島では1998年,「日の丸・君が代」をめぐる文部省の介入が強力におこなわれた際,「〃日本語〃の名で授業を行うな」ということが同時に「是正指導」された.大阪では,一部の新聞が「偏向教育」キャンペーンの一環として,「〃国語〃の授業を〃日本語〃としている学校がある」と実名をあげ記事にまでした.
  文部省や一部の勢力の「国語」へのこだわりは,「日の丸・君が代」の強制や,歴史教科書問題などとともにきわめてイデオロギー的なものであることがわかる.だからといって,「国語教育」をやめて「日本語教育」とすれば,それですむのかということも,あわせて考えにいれておきたい.

  同じ日教組全国教研の「社会科教育分科会」では,「日本史」とか「日本人」という用語も,その歴史的意義を十分に考えなければいけない時期にきたという認識をしめしている.網野善彦『日本社会の歴史』(岩波新書,1997年)など近年の歴史研究の成果をふまえてのことだろう.
  ことば(母語−地域語−固有語−言語共同体)やことばの教育についても,多様性をもった人々が住む日本列島という視点から,国家や民族,単一文化のわくぐみにとらわれない意識をもってとらえかえす必要がある段階にきている.


  自分のことばをつくりだす

  では,ことばの教育の役割とは,いったい何なのだろう.
  府川源一郎は,それをつぎのように言う.「自分のことばでものをいい,自分のことばでものを書くことができる,主体的で民主的な人間の育成」だと(『自分のことばをつくり出す国語教育』東洋館出版社,2001年).
  ものごとを主体的にとらえ,考え,それをふかめていくためには,<ことばの力>が欠かせない.国家意志を体現した旧来からの「国語」教育から脱却して,個人の主体の形成の面からことばの教育に焦点をあててみようという提起である.この間の日教組全国教研では,ことばの体験をとおして自己を解放し,他の世界を認識し,さらには新しい自己を発見したという,生き生きとして充実した言語活動の場の体験が報告されている.とくに人権,平和など現代的な課題を対象に扱った実践に注目される.

  こどもたちが手にする検定教科書にも1970年代のはじめごろから反戦・平和の観点から戦争(日中・アジア・太平洋戦争)をあつかった文学作品がとりいれられてきている.1990年代になって少しずつ作品がへってはきているが,現在もなお,思想的にも,描き方の面でもしっかりしたものがかかげられている.


   『川とノリオ』によりそって

  いぬい・とみこ『川とノリオ』は,その代表的な作品である.来年(2002年)4月から使われる小学校6年の教科書では六社あるなかで3社がとりあげている(単行本では『川とノリオ』理論社,1982年があり,ロングセラーとなっている).
  1945年の8月6日,山口県の保育園に勤務していた作者は,広島に投下された原爆の閃光を見る.だが,原爆投下の真相は,GHQの統制が解除された1951年になってはじめて知る.そのときのおどろき,怒り,悲しみをバネに,みずからの体験をもとに書かれたのがこの作品である.

  8月6日を中心に,主人公ノリオが1歳から小学校2年までの成長にしたがって,川との組み合わせでストーリーが展開する.時の流れ(時代の状況)と,そこで生きて呼吸しているさまざまな人々との結びつきがここに描かれている.この時代,全国各地に「ノリオ」がおり,それとかかわる「川」(時代状況)があって,戦争の悲劇を体験したのである.さらには,日本の侵略により抑圧をうけたアジアにも,かずかぎりない「ノリオ」がいた.一人の少年の物語でありながら,普遍化して読みとれる作品である.
  しかもこの作品は,一語一句がたいせつなひびきをもっている.読みすすめるには,ときにはにおいや,音や,色や,あたたかさなど書かれている内容を,ていねいにおさえていくことが必要となる.ていねいに読みすすめることにより,こどもの読みが深まり,状況とのかかわりのなかで,人物の行為・行動を読むようになってくる.けっして単純でわかりやすいものでもないが,この作品にこめられている力が,こどもたちをつきうごかす.その結果,いまでも多くのこどもたちの支持をあつめるのである.

  祖父母の多くも戦後世代であり,こどもたちがじかに戦争体験を聞くという機会はたいへんすくない.こうした作品に出会うと,こどもたちは「配給」「防空ごう」などといったことばの意味にとまどい,つまずく.まず,こどもたちが戦争と当時のこどもたちのすがたについて知ることが,たいせつになる.最近では総合学習と関連させ,本やビデオ,インターネット,博物館・資料館の利用をはじめ,戦争体験のある人から直接聞きとることなど,多様な調べ学習をすすめる例がふえてきている.
  また,今なお世界各地でつづく戦争や内戦・難民問題・地雷問題などや,第2次大戦後の核開発や原子力問題などに発展させて考えるきっかけともなる.

  学習するこどもが自分自身で情報をあつめ,それを自分の問題意識とむすびつけて考え,行動するという点では,読書活動も重要である.教科書の作品をきっかけに,関連する図書をそれぞれの問題意識で読みすすめ,くらべたり,むすびつけたり,発展させたりすることは,自分のそれまでの認識を再構成することになる.文学作品にむきあい,教室でともにていねいに読みすすめることは,こどもにとってかけがいのない機会であり,学習体験である.
  自分のことばで,読んだり,書いたり,話し合ったりすることをとおして,あたらしい認識をひらき,新鮮な発見を生みだす,こうした過程をたいせつにしたい. 


                                                         (乗木養一)
                                                    2001年11月10日