身体髪膚これ親に受る
                   2006年12月  片芝 年信

眼に敵の矢を受けて、これを引き抜いたら矢に目玉がくっついてきた。身体髪膚これ親に受く、身体のどんな部分、髪の毛一本、皮膚の一片たりとも親から授かったものをおろそかにしてはならないと、これを飲みこんだ豪傑の話が三国志に出てきます。

昔、海外勤務で自殺未遂者が出て母親を同伴して引き取りに行ったとき、勤務地のビルマ(現ミャンマー)で裁判に出席したことがあります。この国では刃物の切っ先が相手に向おうが自分を傷つけようが、身体を傷つけることは全て犯罪として裁かれるのです。

 親にもらった生命、身体を愛しんで大切にすることが全ての生きものに与えられた責務であり、これをいたわり、壮健に保つよう心がけることがランナーの原点だと思います。

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あなたはハッピー・ランナーか
                  2006年11月    小坂井 章

 「幸福度マップ」というものがイギリスで作られている。ハッピーであることと最も相関度が高い要因は「健康」(以下、「富」と「教育」が続く)で、最も幸せ度が高い国は一位デンマーク、続いてスイス、オーストリア。人間関係が濃いほど幸福度は高いとされるのに、共同体意識が強いといわれる中国、日本、インドは意外にランクが低くてそれぞれ、8290125位。「国民総幸福」を国是としているブータンは8位に健闘している。かくして「健康」はハッピーであるための最優先事項であります。だから、一般市民が享受するランナー的生活の目標は栄光でも表彰でもなく、健康だということに異存はないでしょう。

 ところが、健康という目標に向けて一生懸命になれる人に限って、走る事がその人にとって生活の中での一過性の道草であろうと気まぐれな迂回路であろうと、怪我だの不都合などさまざまな障害に出くわすことも事実。そして満足に走れないと、かえってランニングの奥深さに目覚めてだんだん前向きになる人もいれば、なんで自分だけがハンデを負うのかと後ろ向きになる人も出てきて、自分の人間力が試されることになります。人間力というものは成果を上げることよりも精一杯やるということの方がより基本にありますから、そこには他人との比較はなく生まれつきの格差というものは本来ないはずです。精一杯走るというのは、できるだけ速く走るとか上位でゴールするというのとは質が違います。今はやりの、オシム監督がいう「走りながら考える」ということがそれかもしれないし、走友たちを一時の流れ星と考えず、いつまでも変わらない遠い背景と考えて接する気持のことかもしれない、とおもうのです。

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ああ、マラソンというモノは
                2006年10月     
片芝 年信

1988年の初マラソン(つくば)では、マラソンは別物とおどかされて40kmを過ぎてもまだ何が起こるかわからないと不安だったことを覚えている。

サブスリー達成時(1989年、つくば)はあらゆる好条件が重なって、「踏み切り板にポンと足が合うこともあるのですね」とタマランだよりに書いた。

あれから約20年もの間1〜2回/年のマラソンを続けて、今年は9月24日の第33回ベルリンマラソンを走って今日帰国した。

ストレッチを兼ねた朝のウォーキングでは毎日、氏神さまに「祓いたまえ、清めたまえ、守りたまえ」ととなえ、300キロ/月の距離を踏んでレースに臨んだのだが、結果は35キロで失速というマラソンの典型ケースとなり3時間24分という平凡な?記録に終った。

世界の高速コース、ベルリンであわよくば冥土の土産になるような好記録を狙ってやろうと意気ごんでいたので少し残念である。ヨー ロッパも異常気象で暑かったせいもあるがマラソンに言い訳はない。

それにしてもマラソンとはいったい何なんだろう?

このずっしりとした重み、奥の深さ、マラソンの魔力につかまってしまった老ランナーのつぶやき、「ああ、マラソンというモノは・・・」

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秋来ぬと眼にはさやかに見えねども...

2006年9月 小坂井 章 

 練習というものは自分に合っていなければ効果が上がりにくいばかりか怪我の元になる。だから私は最初から、他人のコーチは受けたこともなく、自分でプログラムを考えることにしている。基本の第一はゆっくり長い距離をこなすLSD。土台は強い心肺機能、効率的な新陳代謝、高い免疫力、日常生活に十分な筋力にあるからだ。これなら気持ちと時間さえあればいつでもどこでも出来る。その上で自分の特定の目的に沿ってなにをするかを追加する。フルマラソンなら5000の持久的スピードや2−3時間の持続走が基本になるし、10キロまでのレースなら1000や2000のスピードプレイも有効と考えている。ただし、どんな場合も疲れは次の日に残らない程度に。とはいってもこれがなかなか難しいので、生身の体が悲鳴をあげる前に休ませる。自分の体は自分が最もよく知っているということを忘れないようにして、どこに限界があるか、どこが弱いか、いつどの程度の練習をすれば目標に達するのかを自分の体と相談し、自分が責任を持つことにしている。

レースは集中力とリズムで走るものだ。集中力は自信からも生まれる。走りきるぞ、と強く心に思えば、身体は走る前から準備態勢にはいるそうだ。当然スタート後の立ち上がりが早くなる。その意味での根性なら、確かに根性でマラソンが走れるという部分はあるといえるだろう。「リズム」はすでに身体が覚えている動きで走るということだから、マイペース、イーブン・ペース、冷静沈着を心掛け、ガス欠やまめや脱水など、リズムが狂う可能性があるものは一切避けておくことが大切だ。ゴールに入ったとき、最低、3分の1の気力は残しておく。精も魂も尽き果てるようでは、まだ修行が足りない。

すでに初秋がすぎた。「秋来ぬと眼にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」は古今集藤原敏行の歌。人生にはもちろん練習にだっていろんな風が吹く。修羅場、土壇場、正念場の「サンバ」をリズムカルに走りこなすためにも、練習の基本はいつまでも忘れないようにしたいと思っている。

       友ありと目にはさやかに見えねども確かな走姿にわが身押される
 

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輩は猫である      2006年8月 片芝 年信

4年に一度のサッカーの祭典が終わった。中田(英)選手の引退が朝日新聞の一面トップを飾り、「個」を貫いた時代の先駆者、サッカー界の枠に収まらない「孤高」の選手と報じられた。

そこで、ふと考えた。サッカー選手にとってはチームのメンバーと上手にコミュニケート出来る資質が何よりも大切で、そんな中で「個」を貫くのはさぞ難しかったろうと。

いきなり何のことかと思われるかもしれないが、サッカー選手は「犬」、ランナーは「猫」である。犬は飼い主の生活に合わせて寝る時間を決めるが、猫は本能にまかせて寝たいときに寝る。犬は賢くて、協力して相手を追い詰めたり先回りしてパスを待ったりできるが、猫は共同作業には不向きで不器用である。サッカー選手には高度な社会性が要求されるのに反して、ランナーは自分ひとりの世界をつくってその中に閉じこもることができる。

 不幸か、我輩は猫である。私は誰にも気兼ねなく「個」を貫いて「孤高」を保つことができる猫であることを嬉しく思う。


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W杯にはおもいしらされたけれども    2006年7月 小坂井 章 
 
 視聴率を上げるために日本時間の夜10時(現地ではもっとも暑い昼日中の時間帯)に試合したことで(日本サッカー協会がFIFAに依頼したとも言われている)、サムライ・ブルーの唯一といえる武器である俊敏性が殺がれ、なすところなく負けてしまいました。体力、技術、ガッツ、走力に劣る日本は、俊敏に展開してスペースへの突破を図るサッカー以外、いまのところ世界に勝つ方法がありません。以上は優れたコメンテーターからの受け売りですが、これは固有の「らしさ」を最重視するという意味で納得できる薀蓄です。 

 今回のW杯は日本がとてつもなく下手であったこと、メディアや多くの解説者がまったく真実とかけ離れた報道や解説をしていたことを、実にわかりやすいかたちで見せてくれました。おかげで、とても多くの日本人は、サッカーに関係なくいろんな局面でも、マスメディアとの接し方を学ぶことが出来たし、遠い道のりをいかなければならない場合の心の持ち方なんかも学習したものと思われますね。いよいよ決勝も近い。羨望の気持ちをこめて上質の技をじっくり見ながら、客観的にものを見る眼を養っています。

 この機会に巷のランナーが学べることは、自分らしいランナー的生活を熟知して、こだわりを持ってそれを実行していけるかどうかを吟味することでしょう(たとえ夜中のテレビ観戦をしながらでも、、、)。

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梅雨でも練習の質は高めたい             2006年6月 小坂井 章 

 はや、梅雨のはしりの皐月梅雨。これくらい気温の季節になると、私は時に土砂降りの中で走るのも楽しみにしてしまうことにしている。そうと決めれば、練習スケジュールが狂うこともあまりない。練習が狂うのは、天候より深酒の翌日だろう。好きなほうなので、こっちのコントロールは楽しいがなかなか手ごわい。走友にはいろいろ教えてもらっているが、酒はちびりちびりと呑むのがいい、という啓示もその一つだ。つまり飲酒のLSDというわけです。ようやく怪我から立ち直って少し質の高い練習もしたいと考えている私のようなランナーがいれば、一気の大酒よりもちびりちびりの質の高い飲酒のほうをお勧めしたい。
 ちなみに、齢65になる私にとっての質の高い練習とは、走行距離の5%から一割をスピード走とすること(これは玉川上水沿いなどロードでも出来る)、ビルドアップと5キロ程度の持久走(これは距離がはっきりしていて走りやすい平地を使う)、10キロ以上の山岳走(これは高尾-陣馬のコースを使う)やながいジョグの間に入れる数百メートル程度のスピードプレイなどである。

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フルマラソナーに情熱と体力と想像力を!           2006年5月 小坂井 章 

 連休が九日続く人もあるという。蓄えられたエネルギーはこんなところでも噴出すのだろうが、ランナーやレーサーの皆さんは走りすぎにご注意ください。非日常のこのような機会を利用して練習方法の基本を変えたりする作戦もよいかもしれません。例えば山岳走を取り入れるとか、筋トレを強化するとか、基本のLSDを徹底的に確認するとか、、、。いずれにせよマラソンは、根性だけでは走れない。情熱と体力と想像力が、練習の前提としてなければ、長い間フルマラソナーとして生きていくことは適わないのではないか。そんなことを考えながら、私は週末の好天を利用して高尾から陣場などゆっくり走ってきました。

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書道とマラソン                   2006年3月  片芝 年信

 春がくると、長い冬の間に蓄えられたエネルギーを一気に噴きだすように桜が開花します。そして、今年のように寒い厳しい冬ほど桜の開花時期は早まるそうです。

中国の書道芸術では、墨で表現される文字を「有字の字」(黒、実、有の字)、文字の書かれていない余白を「無字の字」(白、虚、無の字)として黒と白が互いに依存・作用し、生かしあって独特の美しさを醸し出しています。文字のない部分に配慮した黒白の配置・構成の妙が作品を引き立てているのです。

マラソンの練習でも、厳しいトレーニング(実)とその陰で心身を根底から癒す休息(虚)が互いにうまくバランスを取りあってはじめて大きな成果を生むのです。

春爛漫。この世の春を謳歌する万朶の桜は1年間の長い眠りの成果なのです。

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自分らしい走りで金をとろう           2006年3月 小坂井 章

 ひとつ取れてほっとしたのは僕だけではないでしょうね。トリノの金のことです。イタリアオペラ トゥーランドットをバックに大舞台で演じた荒川は、だれよりも円熟していたことを証明したのだと思います。得点にならないイナバウアーを取り入れたというところに、自分らしく滑りたいという大人のパッションが感じられますね。

 私たちタマランでも、多くのメンバーが今月はいよいよ荒川でフルを走ります。「自分だけの金」を取れるかどうか。それは「自分らしい走り」ができるかどうかの勝負ではないかなと思います。その意味では、もう始まっています。上手に仕上げてピークに持っていってスタートラインに立つ。あとは心をこめて丁寧に走りきるだけでよいでしょう。鉄砲玉のように行けるところまで行ってしまうというのもあるでしょうが、まさかのための余裕はほしいものです。仙人や菩薩の位に到達していないランナーはフルを甘く見てはいけません。ましてや駄馬ならなおさらです。


走者の位                      2006年2月 片芝 年信

 ニューヨークマラソンの記録証には完走タイムのほかに年齢によるハンディを勘案した「年齢換算タイム」が記載されています。これを見れば自分の年齢に相応の国際ランクがわかります。
しかし、ランナーの評価はタイムだけによるものではではありません。私は、数値で測ることの出来ないランナーのランクを次の3つに分類しています。

@阿修羅の位
 闘争的な守護神である阿修羅に似て「走った距離は裏切らない」と、月間1,200kmもがむしゃらに走って心身の極限に挑むランナー。無理がたたって故障やケガに泣くこともあります。

A仙人の位
 力だけでは勝てないことを知り、人界から離れた山中を飛ぶように駈けまわるゆとりのランナー。川で裾をからげて洗濯をしている娘のふくらはぎを見て神通力が破れて落ちてしまったという「久米の仙人」のような仙人が居るのも愛嬌です。

B菩薩の位
 色即是空、空即是色、人の世のわずらわしさも心にかかる何事もない「空」の境地で走りつづけ、大宇宙の波動に同調して時には自分が走っていることにさえも気づかないという最高位のランナー。


粛々と過ごす2006年              2006年2月  小坂井 章
 
 頻発する不正、違法、増幅する日常生活での違和感に囲まれて新しい年が始まっていますが、ランナーはそんなことにはお構いなしに我が道を走ればよいと思います。ここ玉川上水では、先日のかなりの雪の後遺症で霜が立ち、荒れていない車道を走る羽目になりました。行き交うランナーたちも防寒の為に厚着のようで、お互いの顔もよくわからず挨拶抜きです。立春の次は青梅さえ越えれば春が近いと考えて、心静かに日々をやり過ごしながら日課をこなすという毎日です。他人のレース・シーズンを横目に見ながら、完治しきれない膝をケアしながら少しずつのランをいとおしんでいます。


持続に価値がある2006年へ           2006年1月  小坂井 章
 
 明けましておめでとうございます。

 人を介抱する際には安定した立ち位置が大事といいます。日本経済も、現在の立ち位置を慎重に見極めないと、踊り場を脱却したと浮かれていては、手痛いしっぺがいしを食らいそうです。同様に、家庭でも職場でも、人との接触があるところでは、自分の立ち位置をよくわきまえたいものです。そうすればやるべきこと、やってはならないことが理解できるでしょう。

 ランナーとして、自分の目標がなにで、そのために何ができるのかが問われている気もします。多分まだ先の長い自分のランナー的生活が破綻しないために、新年は自分の立ち位置を見極めることから始めるとよいのではないかと思います。身体に対するケア、時間に対するけじめ、環境(周りの人、物、社会)に対する気配りなどが、そこから見えてくるとよいでしょう。

 一介のランナーにすぎない自分にたいしたことはできなくとも、今もっている状況の中で最善の練習、走り方ができていれば、満足できる結果はついてくる。そういうランナー的生活なら余裕を持って持続できるはずだ。そう思いたい2006年が始まります。

 まずは正月らしい元旦を迎えたことであろう皆さんにとり、過剰も過少もない、平穏で幸多き2006年でありますことをお祈り申し上げます。


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