1999年までに考えていたこと
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A.1996−99年の投稿文 |
B.1995年以前の投稿文 (以下の目次から読みたい記事をクリックしてください)
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1996年4月 吉田 善穂
楽しい酒、悲しい酒、苦い酒...と同じ酒でも日によって相手によって様々な感興を催すが、つい先日、実に惨めな酒を味わった。
会場が賑やかに盛り上がっているというのに、こちらは仲間たちともあまり口をききたくなく、ずっとうつむき気味で仲間が注いでくれるビールにもちょっと口をつける程度...。それより何より昼間だというのに穴があれば入りたい心境なのだ。
去る1月21日、「東京シティマラソン」打ち上げの席でのことである。
当日は、よくはれて風もなく、沿道は大勢の見物客で溢れ、黄色い声援も飛び交い、そんなムードに乗せられたか出足は快調。九段下を抜け、お堀端を通過するあたりではペースも上がり、練習不足にもかかわらずこの分なら前回並みのタイムが出せるかも...とその気になったときだった。気になっていた1週間前にスキーで痛めた脚と反対の右脚のふくらはぎにピクピク痛みが走った。そして日比谷公園の近くにきたとき、その痛みは本物になり、品川駅を過ぎたあたりで脚が上がらなくなってしまった。
歩いては走り、走ってはあるき、そんなことを1キロばかり繰り返したが痛みは増すばかり...。
口惜しかったが16キロ地点で断念! 潔くゼッケンを外し、収容バスへ。係員が毛布を貸してくれたが、「そんなもの要りません!」とふてくされて拒否。
仲間たちは、そんなこととはつい知らず、なかなかゴールしない僕を着替えて待ってくれていたが、その情けなかったこと。そして予約してくれてあった近くの打ち上げ会場へ。
ビール片手に楽しそうにレースを振り返っている仲間たちを横目に、僕は独り惨めな思いでビールを飲んだが、そのビールのなんて味気なかったこと...。
しかし、そんな結果に終わったレースだったが、ただ一つ、得たものがあった。脚を引きずりながら走る僕に、いつも聞こえなかった沿道の人たちの声援が聞こえたことである。
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1996年6月 唐沢正三郎
−第25回記念バンクーバーマラソンツアー参加記−
5/3(金)晴 午後2時55分成田発カナディアン航空で、5/3(金)午前7時30分(時差マ イナス17時間)バンクーバーに無事着く。専用バスにて市内観光、エリザベス公園、 スタンレー公園等を見学。スタート地点近くの会場で記念のTシャツ、ナンバーカード を受け取り、ホテルにCheck
In。<バンクーバー泊>
5/4(土)晴 7時起床。午前中フリー。市内観光、ショッピング。午後、グラスノマウ ンテングとキャピラノ峡谷(OP)見学。夕食後、タマランのランニングシャツに「H3 722」のオレンジのナンバーカードを付け、いよいよ走りに来たことを実感。明朝7 時スタート。完走めざしガンバルぞ!!<バンクーバー泊>
5/5(日)曇 起床3時45分。部屋に差し入れのおにぎり、バナナで朝食。時間がかなり あるので、ホテル前でストレッチング、軽いランニング。専用バスにて5時20分スター ト地点に向かう。6時頃着いたので、スタート時間に余裕があり、スタート地点の確認、 記念写真を撮る。早朝にも係わらず沿道には幾重もの人垣、顔、顔、顔。寒さも厳しく なく、絶好のマラソン日和である。興奮と緊張が高まる中、いよいよスタート(B.C. プレイス・スタジアム)。ランナー4,200人(フル、ハーフ同時、日本人800人)、の大 移動だ。スタート付近は道幅も広く走りやすい。市内を走り抜け、10K過ぎ地点より、 スタンレー公園内に入る。原生林のような園内、起伏も少なくほぼ平坦で“快適”ラン。 公園を抜け出た15K地点、フルは直進、ハーフは折り返し。残り市内
6K強、体調も良 くキロ5分20秒位のペース。日本人ランナー<HONDAの方>と励まし合い、右側に海を眺 め、沿道の声援、応援の中力走。ゴール付近、「妻」からの一段と大きな声援を受け、
無事感動のゴール。完走でき大満足。
アフターケア後、国分寺の山田御夫妻(編者注:中央公園で専門的に400の練習を している人です。)と記念写真を撮る。夕方より完走パーティ、全員の完走を祝し乾杯、 改めて、スポーツの持つ素晴らしさを実感した。
海外初マラソンも感動を体験させてくれた「タマラン」の皆さんに感謝し、そして定年、還暦の記念としたい。今後もムリせず、「LSD」を基本として長く走り続け、そして次の目標に挑戦したい。<バンクーバー泊>
5/6(月)曇、小雨 起床6時15分。ビクトリア1日観光(OP)。バンクーバー最後の夜
5/7(火)曇 起床6時25分。専用バスにてバンクーバー空港、国内線乗り継ぎカルガリー空港着。雪の歓迎を受ける。専用バスにて、ロッキー観光の拠点、バンフに向かう。 <バンフ泊>
5/8(水)雪 起床6時。カナディアン・ロッキー観光。車窓より雄大なロッキー山脈を 眺めながら、レイク・ルィーズに立ち寄り、コロンビア大氷原観光を楽しむ。いよいよツアー最後の夜、楽しかった想いでづくり。<バンフ泊>
5/9(木)雪 起床6時15分。専用バスにてカルガリー空港、バンクーバー経由にて帰国 の途へ。無事5/10(金)成田に着き、ホッとした
(ツアー:近畿日本ツーリスト・地球を走る会 参加者84名 8日間コース)◇
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1997年1月 小坂井 章
歳は忘れても、忘れてならないものは初心と基本と家族です。人生にはときに立ち往生もありますが、マラソンにそれは禁物です。ゴールとそこまでの道筋をいつも視野に入れながら、前進あるのみ。
話が飛びますが、アフリカにいるルオー族なる人種の平均身長は2メートル以上とのことです。ある専門家の推計では、彼らが100メートルの選手になれば、7秒台がでることになります。記録のことだけを言えば、生まれながらの資質にはとうていかないっこありません。所詮他者との競争は、捨てがたい楽しさもあるけれど、むなしさが残ります。では、生来持っている競争心をどう処理すればよいのだろうかと思いますが、多分、他者を目安にはしてもターゲットにはせず、相手はあくまで内なる自分と考えることでしょう。「己に克つ者が最大の勝者なり」と多くの賢人が言っています。
タマランのみんなぁ... その昔、カモメのジョナサンにもできたように、練習と修養を積み重ねて、風のような走人になって、すばらしい夢の世界へと、ワープしてしまいましょう。
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1997年3月 小坂井 章
来週、立川ハーフが終われば、もう春。その後、いくつかの駅伝が続き、すぐに夏がきてしまう。長距離シーズンの冬は、仮装大会の本番みたいなもの。練習をすればするほど、結果の善し悪しで感動と落胆の落差は大きく、また、きつい練習とは無縁に過ごして気楽にレースに臨めば、大きな感動はないかわり、安定した充実感と程良い楽しさが続きます。あなたはこのシーズン、どちらの方向で舞台に立っているのでしょうか? どちらがよいとか、単純な比較は出来ないし、もって生まれたものでやり方も決まってくるのでしょうが、「人生の30キロ地点」あたりを通過した人は、だんだん安全運転になることは確か。
青梅では、心配された天候も見事に立ち直りました。我が走友たちも、一時は生死不明の者もいたようですが、過去最多の20名以上のメンバーがゴールへ帰ってきました。3時間足らずの間に悲喜こもごものドラマを繰り広げたようで、例会ではいい加減に走っている走友も、この時ばかりは容赦をしない風でありました。
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1997年4月 小坂井 章
形あるもの、皆変わる。では、形のないものはどうなるのか。さらに変わりやすいということでしょうか......というわけで、植えられて13年目になる中央公園グランドの桜が満開となり、かつてタマランのファミリー・チームが大活躍したくにたちさくら駅伝は、第16回の今回をもって(交通規制強化で)最後になるそうです。
タマランの第14回総会は、これまでで最も少人数にちかい14名で開催されました。会員が最も増えている時期に、この状況は興味ある現象だと思います。先月号でお知らせしたとおりの議題について、いろいろなことが話し合われ、次のようなことが大筋で決まりました。いずれも総会の過半数以上で決定しました。以下にご報告しますので、質問・異論反論のある方は、4月中に事務局までご意見を届けて下さい。その場合、ご意見は他者を介さずに、直接本人から事務局へお聞かせいただいた方が間違いがなく、しっかりした意志疎通が出来ると思います。あるいは会報に意見・感想を投稿して頂くのも一つの方法です。蛇足ですが、タマランのもうひとつのコミュニケーションの方法は、朝練の集いを利用することです。
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1997年5月 荒木宣夫
今、片づけをしながら、道中受けた好意や、中部山岳の大きな景観を思い浮かべています。岐路は片隅でくすぶっていたリタイアの悔しさも、今は大きな満足感と来年への期待に変わってきました。
‘97さくら道270キロウルトラ・マラソン(名古屋から金沢まで、標高1000メートルを上り下りする)は48時間の制限時間で147名が参加。42.2%の完走率でした。
私の記録は、190キロまで、キロ9分のペース。230キロまでは、このペースが維持できなくなり、完走を諦めて、(一見普通の)これまで三度完走しているおばさんと混走歩となりました。
計230キロ、45時間でリタイアしました。
完走できなかった原因は、「走力の不足」ということです。キロ8分で10時間走りきればクリアできると思います。
下島さんは見事に、それも1時間ほどの余裕を持って完走しました。若い女性をずっと引っ張って一緒にゴールし、泣かせました。それぞれのメーク・ドラマ、人のふれあい、大きな自然。
3回目の挑戦へ、いざ...
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1997年5月 渥美 真由美
走り始めるきっかけは特別にはなにもなかったような気がします。もしあるとするなら昨年のG.Week前に、たまたま入ったレストランの壁にオーナーの「サロマ100Kmウルトラマラソン」出場の写真が貼ってあった事、そしてたまたま客が少なくオーナーと話が出来た事だったように思います。走る事自体は嫌いではなかったので、その時は興味深く話を聞く事が出来ました。それまではマラソンの中継もほとんど見た事がなかったし、まして自分が走るなどとは考えてもいませんでしたが、話を聞いているうちに私も走ってみようかな?と思いはじめていました。翌朝5時に起きて国立の駅回りを走り、大変だったけれど気持ちが良かった事をつい昨日のように思い出します。GWあけにレストランに出向きオーナーに走り始めた事、毎日走っている事を伝えるとひどくびっくりされたのには、逆にこちらが驚いたくらいです。何故って私はただ走っているだけなのですから。ただ家人は三日坊主と最初から決め込んでいたのに1週間、1ケ月と毎日走っている事には驚いていたようであり、子供は母親を少しは見直したようです。6月の中旬に5Kmの初レースに出場し26分でゴールした時は自分も友人もぴっくり、その後8Kmのレースや10Kmのレースを経験し少しずつ記録を延ばしながら、9月にタマランに入れていただいた頃には走ることが楽しくてしかたがない状態(中毒状態)になっており、おまけに注意をうけていたコレステロールの問題も走る事でクリアー出来ました。タマランの方々が出場した秋の河口湖フルマラソンの観戦は夢の又夢のフルマラソンの世界を身近で見る事が出来、フルマラソンの大変さを感じながらも来年は私もゴール出来るよう頑張ろうと思いました
1月末の大変な思いをした初フルマラソン、2月の憧れの青梅マラソンの完走、そして気合を入れて出場した4月の「かすみがうらマラソン」では菊田さんの強力なサポートのお陰でフルマラソンを充分な時間内にゴールが出来た事は、タマランの皆様の協力を頃かなければ出来ない事であり本当に感謝をしています。走歴1年を記念して4月の終りに墓参を兼ねて出場した山形での30Kmマラソンでは、前週にフルマラソンを走っていたこともあり、完走だけを目的で軽い気持ちで走ったのにゴールしてみると自己ベスト(3時間42分)が出ていた事は、1年目のとてもよい想い出となりました。あの時、本間さんが声をかけてくださらなければ、タマランに入会していなければ、私は未だ一人で何もわからずに走っていたでしょう。42.195Kmを走るなんて夢だった事でしょう。出会いの素晴らしさを本当に感じます。走る事の楽しさ、心を許した仲間と走る心地よさ、アドバイスをしてくださる優しさ、怒ってくださる心暖かさ、1年走ってこられたのは私の力ではなく会員の皆様のおかげです。「たまには休む勇気も必要」との暖かいアドバイスを頂き、この夏はレースを少し休み1年前の初心に戻って走る楽しみを体感しながら練習に励みたいと思っています。走り始めてよかった・走っていてよかった…走歴1年の心から言える言葉です。
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1997年6月 小坂井 章
「自分のエンジン」で走ろう。「自分のエンジン」を強くしよう。そのためにはゆっくり、時間をかけて走ることがとても大切です。走れないときは歩こう、泳ごう、自転車に乗って効果を持続させよう。頑張るレースに出れば体力の在庫は払拭します。体力の在庫を増やすには、練習の積み上げが大事です。レースや強い練習の後は必ずリフレッシュする期間をおくか、あるいは「頑張らないレース」もできるようになりましょう。
人間の表皮は、毎月1ミリ程度代謝するらしい。私の足の爪に出来たかなり深い切り傷も、半年もするとだいぶん爪先へ移動しており、まもなく消えてしまいます。でも、3カ月くらい筋トレやっても、皮一枚増えるほどのものと言います。代謝のパワーが体の自然治癒力の源泉であり、より強い練習をするときにも土台となります。
夏の練習の成果は、秋に現れます。基礎体力をつけるために筋トレをするにも、山岳走をとりいれるにも、またタイムアップを図るために少し専門的な練習をするにも、あるいは完全休養してリフレッシュするためにジョグ中心で過ごすにも、練習スケジュールはシーズン単位(3ヶ月)で考えないと効果的とは言えません。時に他のメンバーの練習に便乗したり、誘い合ったりしながら夏を過ごし、秋には全員元気に復活することが出来ればよいと思います。
夏から秋にかけて、マラニック、合宿、バーベキュー・ランと続きます。積極的に参加して、リフレッシュ効果を上げたいものです。出来ればご家族共々に。
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1997年6月 小坂井
ヒット商品というものは、必需品であろうとなかろうと、大半の人が知ろうが知るまいが、当時者はハマリ、ノリに乗って、ブレークしてしまうものなのです。ここではブレークとは、ある一線を越えて急激に加速ないしは膨張することです。
今日はいまやブームの感があるウルトラについて考えを述べてみます。「個人的主義」(個人主義ほど他人を意識していなくて、もっと個人的という今風の態度のこと)の運動で、スポーツとして確立しているマラソンに比べるとずっと自分との対話が多くて、競争意識も少なく、スポーツから修行への境界近くまで行っているのがウルトラ。だからこれはスポーツからは、はみ出しつつあるようにみえるのだが、それを現代的に遊び感覚でやろうとしている人にとっては、壮大なロマンと引換えに「体を鍛えてくれない危険」、もっと言えば壊してしまう危うさを持ち帰ることになるでしょう。天に星、地に花、人に愛と好奇心がなければ世界は成り立たないのだから、一度はウルトラの世界を垣間見るのも良しとしなければならないだろう。でも、ブレークすれば、もうマラソンのスピードは戻ってこない例を数多く知っています。スポーツとして走るのであれば、程々のところで引き返さないと、肉体と精神の狭間で「二兎を得ず」で終わってしまう。個体差もあるから、どこからが自分にとってのウルトラか、という問題もあるでしょうが、一日に70キロずつ走るというのが肉体をもつ人間の限界点のようだから、恐らく21世紀に開催される、「毎日70キロのペースで何日保つか」というウルトラ大会が、最後のレースになるでしょう。私のように1日10キロの凡人からみれば、その先は自己破壊的移動ではあって運動ではなくなってしまう。
この間、片足立ちの世界新がインドで樹立されました(3日半)。これが点で止まって位置を極める術とすれば、ウルトラは「移動を極める術」かもしれません。だからレースと言っても先についた方がよいということもなく、ゴールと言っても通過点にすぎなくなるはずです。
これが確固たるロングセラーと認められるためには、さらに裾野を広げるだけの説得力があること、なぜやるのかについて現実的な論理性があること、(オリンピックの歴史ほどとはいわないまでも)相当の長期間にわたり現実に存続することが求められるでしょう。
以上のことを考える発端となった、朝日新聞の「ひと」コラムが紹介したウルトラマラソン選手海宝道義氏(我らが下島さんのお師匠さんで、アメリカ横断を二回やった人)の驚くことばかりの記事を、参考までに掲載しましたので、興味があれば一読下さい。みなさんのご意見を、どしどしお寄せ下さい。お待ちしています。
「体に負担が過ぎたんでしょう。この前走ろうとしたら、バランスが取れなくて、よろけちゃってダメてした。走りはしぱらく休みですね」 北米大陸を六十四日間かけて横断するウルトラマラソン(トランス・アメリカフットレース」に三位てゴールイン。帰国後、こう話した。ロサンゼルスからニューヨークへ四千七百キロ。履きつぶしたジョギングシューズが四十六足というのだから、レースの過酷さがうかがえる。完走できたのは、七カ国十四人のうちわずか五人だ。ウルトラマラソンとは、超長距離走のこと。走りきったときはさぞかし感動を、と尋ねたら、「ゴールに近づくと、もう終わりかとさみしさばかり。自分の力をいかに長く出せるか、どこまでも走り統けたい気持ちでしたから」。神奈川県座間市に在住。この6月、21年間勤めてきた機械加工の事業所がリストラで閉鎖され失業した。でも、これで自由な時間ができたと思えばいい。そうふんぎった末の渡米だった。
妻静恵さん(四六)は「アメリカ横断なんて、なんだかワクワクしちやう」と言ってくれた。ネバダ州の砂漠では路上気温がときに五○度を超えた。ロッキー山脈越えもあった。「気持ちがコントロールできないと、すぐに走りが崩れる。だから、年齢の高い人ほど完走率も高かった。むだに生きてはいないんだと、自分に対しても思いましたね」
静恵さんと浪人中の長男裕太さん(十八)がレンタカーで付き添ってくれたのが、大きな支えだった。ジョギングを始めたのは三十二歳から。仕事などのストレスでめまいに襲われることが多く、医師に勧められた。職探しもうまくいきそうないま、「次の目標はシルクロードを走ることです」。/「仕事は一から出直しです。でも、人生まだ折り返したばかり。」 51歳。文・岡本進
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1997年7月
片芝 年信
(以下は片芝さんが勤務する日本工営の健康保険組合の機関誌からの抜粋)
ただ走るだけの感動
「手のひらを上に向けて両手を大きく広げ、天を仰ぐ有森選手と同しポーズのゴール。完走したんだという感激、走り終わった安堵感、暑かった夏のトレーニング、朝もやの中の牛久沼等々がいっしょくたになって、ドッと全身を包み込んだとき…。そうか、なにもかもこの一瞬のためだったのだと納得しました」これは、私の100キロマラソン完走記のゴール場面です。昨年は、このような感動的シーンを自ら演じることができて、私にとってアトランタで暑い夏を闘った日本代表選手にも匹敵する十充実した年となりました。
健康のバロメーター
「ランナーとして長年親しんできた皇居と別れることに一抹の寂しさを禁しえませんが、新しい任地でも生涯の趣味として走り続けていくつもりです」という挨拶状を出して、半蔵門ビルから茨城の中央研究所に赴任して三年になります。毎年五月になると、健康保険組合主催の皇居周回駅伝大会が開催される皇居にでかけて走ります。この駅伝は一年毎に年齢相応の体力と体調を確認して記録(タイム)で示してくれるので私の健康のバロメーターになってます。
牛久沼周回ランの日
フルマラソナー(42キロのフルマラソンを走る人)は全国に七万人いるいわれていますが、中央研究所ではここ数年、新入社員は必ず「つくば」か「かすみがうら」のフルを走るというのが定着し、総勢十数名のフルマラソナ−が生まれています。仕事や家庭、あるいはデートなどそれぞれ都合があるので参加者は多くありませんが、これらのマラソン大会に備えて毎月第2土曜日は牛久沼周回ランの日として20キロ走をみんなで続けています。
走り続けて10年
48歳から始めて来年は還暦という歳まで10年間走り続けて来ました。「もし私が60歳の誕生日に生きていて、走ることが好きであり続けていなら、6X3パフォーマンス(60歳で60キロを、6時間で走る)を実行したい」と、所属するランナーズ・クラブの結成10周年記念誌で5年前に公表していますが、その実行日も来年に迫まりました。これからも、来年の誕生日、12月19日(土)の還暦ラン(6X3パフォーマンス)を手始めに世紀を跨いで走り続けていくつもりです。私の場合ランニングが対象ですが何をやるにしても感動する心を失わず、常に健康の有難さを忘れず、そして地道に継続していくことが大切なんだと最近つくづく思うようになりました。
(省略−秋田内陸100キロ・チャレンジ・マラソン感動のゴールの瞬間)
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1997年7月 渥美 真由美
フィジィの景色は大きな太陽や青い海など映像とまったく同じです。時差も3時間、8時間の飛行時間で着き、治安も比較的よく、物乞いをされるようなこともありません。国民の人種比はフィジィ人50%、インド人50%の割合となっています。フィジィ人は目鼻立ちがハッキリしていて体も大きく褐色の肌をしており、第一印象は圧倒されるようで怖いと感じてしまうほどです。今の時期は冬に当り乾季となっている事もあり、朝夕は12度位まで下がり涼しく上着が1枚必要な位です,日中は30度位まで上がりますが乾燥をしているのでぺタつくことはなく、海辺にいてもさらりとしています。この時期にレジャーとして行くにはとても良い所です。
私がフィジィマラソンを選んだ理由は、第1回の記念大会であったこと、マラソンを始めてから海外を走ったことがなかった事、そしてフィシィという南国に興味があり、遊び気分半分でゆっくり走ろうと考えたからです。高温と遊びを考えて設定時間を4時間とし、無理のないぺ一スでいい顔でゴールしようと考えエントリーしました。
6月21日土曜日午前7時スタート前日のコース説明会の発表では135名のフルマラソンランナーとの事、コース説明では10Kmでアップダウンがあるが残りはフラットとのことでしたが海外マラソンの経験がない私は余り状況をわかっていなかったようで、スタートをしてみると少ないメンバーだった為か、町をでる頃には前後にランナーがいない状況になってしまいました。この時点から私の走る意欲が低下、l0kを48分と自分としては早いぺ一スで入りペースがつかめなかったこともあり、また、10Kmのアップダウンの他にも上り下りがあったり、ランナーの脇を車がランナーすれすれに通ったり、向かい風が強かったり、景色が単調だったりして自分でも珍しいと思うくらい走りたくない気持ちになっていました。追い討ちをかけるように20kで右脚がつり、それをかばって走った為か今度は左足の膝が痛くなり、30kを過ぎる頃には走ったり歩いたりの状況となり、やっとゴ一ルをしました。4時間はなんとか切りましたか自分のカはこの程度だったのかと情けない気持ちになりました。しかし、フィジィの人々や景色は限りなく優しくそんな私をすっぽりと包んでくれて、帰国をする頃には来年は絶対入賞をしよう...などと一緒にいった主人からすると不届きな考えを持つようになっていました。翌日に前日歩いてしまった所を走ってみましたが、なんだこんな距離を歩いたのか、と自分のカのなさを再確認し、練習の大切さを痛感しました。
1997年7月 小坂井 章
(1996年1−2月掲載北海タイムスなど「健康手帳」から)
日本のランニング愛好者は推定600万人、20人に一人は走っている計算だ。毎年、全国で約千二百ものランニング大会が開催され、市民ランナーが毎週あちこちで汗を流している。一人でも手軽に出来るランニングは1970年代からブームになり、すっかり定着した。適度な運動が健康によいのは当たり前だが、中でもランニングによる成人病の予防、特にがんの予防効果に注目が集まり、本格的な研究が始まっている。
五万人を継続調査へ
五万人以上のランニング愛好者を10年以上継続調査し、運動とがんの関係を解明しようという研究が、井上真奈美愛知がんセンター研究員と田中宏暁福岡大教授(運動生理学)が中心となり進めている。現在運動習慣をもつ調査協力者を募集中だ。(タマランでは9名が協力してくれています。)....
米国ハーバード大卒業生の調査などでは、日常的に運動している人はがんが少ない。ただ調査対象が限られている上、運動の種類、強度や時間と癌の関係は分かっていない。このため日本の研究に国際的な関心が寄せられている。運動が癌を予防するメカニズムを井上教授は「免疫機能の強化、肥満の解消、消化機能の促進などが考えられる」と分析する。
大きい心理釣効果
長距離ランニングや水泳のようにゆっくりと長時間、体を動かす「有酸素運動」は、
がん細胞の生成を抑えるリンパ球の活性を高めることが実験で確かめられている。やせて余計な脂肪がなくなると、特に女性のホルモン分泌のバランスを正常に戻し、性ホルモンに関係する乳がんなどを防ぐ。
消化機能は男性に増えている大腸癌との関係が深い。....
心理的要因もある。免疫機能を低下させるストレスを解消させるのだ。...
血管の若さを保つ
...成人病予防に効果があることは従来から知られていた。心肺機能を高めるだけでなく、動脈硬化の原因となる血液中のコレステロールを減らし、善玉コレステロールを増やすためだ。ランニング愛好者の動脈は、運動をしない人に比べて平均で10歳分も柔らかく、若さを保っている。さらにがんも予防するなら一石何鳥となるわけだが、やり過ぎは逆効果。激しい運助は強いストレスとなって免疫に悪影響を与え、長時間、無理を続けると膝や脚を痛める原因になる。
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いろんなことが楽しかったね
1997年9月
いろんなことが楽しかったね、と言いながら21世紀を迎えられるように、走り暮らしておられますか?
9月。上水の土手に、曼珠沙華が咲きました。一気にレース・シーズンがやってきます。ペースと日程に気をつけながら、練習時間もケアもしっかり順序を踏んでやりましょう。継続こそ、健康ランニングの王道です。そのためには、時にジョガー、時にランナー、たまにはレーサー気分も良いと思います。速い遅いに関係なく、自分本位に「レーサー・ジョガー・ランナー(アンド・ドクター)」を楽しめると、この秋は最高です。そして、時には「走れメロス」(太宰治)のように、「私はなんだか恐ろしく大きいもののために走っているのだ」と感じられるようになれば、たった一人の長距離走も寂しくはない。
政治も、会社も役所も、広告も、年金も、病院も、自分を完璧に守ってくれるものがなくなってしまったようなこのごろです。21世紀の空は曇り色に見えてきました。
こうなったら、自分で鍛え上げる強力な新陳代謝だけが頼りになる。絶対の健康など保証できるものではないけれども、普通よりは強い気力と、通常よりは病気をしないで済む体力があれば、あなたの21世紀だけは快晴だ!
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1997年11月 小坂井 章
ぐんと空気が引き締まってきました。50名になろうとしている「タマランナー」の皆さんは概ね同じ身体の仕組みをもち、同じ空気を吸って走生活を送っています。でも、独立した個体である以上、考えも行動もまちまちであっていい。例えば勝沼へ行ってもよし、行かなくても悪くなくて、行ったとしても、様々な楽しみ方があっていいのは当たり前。元気があるとはそのことだと思います。「元気な果実たち」で成り立っているタマランは、いわば50種の宝物が詰まっている宝石箱のようなものだとも思っています。しかし、この中には輝かしい石だけでなく、研磨中の原石もあるし、色も形状も様々。そして、どう磨き、どう輝くかはあなた次第というわけだ。
みんなの「宝石箱」に、今日も乾杯!
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1997年12月 小坂井 章
日本には300種の蝶がいるそうです。個体差があるということです。タマランのランナー達は、11月に河口湖と筑波でフルマラソンの洗礼を浴びました。その数、筑波と河口湖で19名です。桜井、菊田の両ベテランに刺激され、このところ年に2回以上フルに出る人が増えています。今頃、両大会の結果に反省しきりのメンバー達は、次に向けて秘策を練っていることでしょう。その意味では、だれも似たようなものと思いますが、同じコースを走った一人一人は、すべて内容の異なるマラソンを走ったはずです。ただでさえ個体差がある上に、42キロの間背負って走ったそれぞれの想いは、状況で様々に変わっています。小生は練習と気合が足りなかったばかりに25キロで棄権することになり「観走」しかできなかったのですが、そのお陰でメンバーの様々な想いと走りを身近に見ることが出来ました。例えば、最近あれだけ弱気の言葉が多い猪木さんが、「愛妻の援護射撃」を胸に秘めてついに2周を走り抜き、5時間でも「大成功」でゴール。愛情をエネルギーに替えることに成功したわけです。岩永さんの場合、ATSという標語を掲げ、その旗印に従って理知的に走ることに成功しています。では若い今井さんの場合はどうか。つぶれる恐怖心なんか何のその、とんでもない速い飛び出しで30キロまで突っ走り、結局‘平凡な’3時間15分台に落ちていますが、それなりに満足しています。この若き「タマランの核弾頭」は独特の美学で走っていたように見受けられます。つまり、フルマラソンは走破したタイムではなく、走りの中身で、自分自身が評価するものだということがわかります。さて、次のフルで、皆さんはどんな美学を見せてくれるのでしょうか。
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1998年1月 小坂井 章
夢と希望とちょっとのマネー(一説には、ちょっとの勇気)、とチャップリンは成功の秘訣を言ったと思いますが、35キロ付近にいる魔物と会うのがいやなら、そのマネーをエネルギーに替えて挑戦するのは走るための基本的な作法です。そしてもうひとつの方法は、夢の方をエネルギーに替えるという夢のような方法です。これについては、吉田善穂さんから原稿を頂きましたので、お読みください(スポーツは前夜が勝負)。
ジョガー、ランナー、レーサーにとっての成功のかたちは様々でしょうが、ハッピー・エンドで幸せになりたいのであれば、その方法が二つあって、努力を積み上げて夢をつかむことがひとつ。もう一つはその夢を捨てることです。つかめない夢を夢見ることには、生身のからだを使う作業には無理があります。
最近、Go the Distanceという歌があります(藤井フミヤ)。「ずっと走っていく」ということでしょうが、それが愛のためであろうが、「魔物」のためであろうが、永い時を超えて走っていくランナーであるならば、distance(距離)を踏まない限り、ゴールへたどり着けません。あなたは夢と現実をどうかみ合わせて、どんな風に距離を踏み、21世紀を迎えようとしているのでしょうか?
タマランのLSDは、Go the Distanceのための手法です。年の始めにあたって、時間をかけて(Long)、ゆったりと(Slow)、距離を踏む(Distance)ということがどういうことか考えなおして見てください。
右肩下がりのこれからの時代は、金持ちが勝者という時代が終わって、「時持ち」が幸せな時代になるでしょう。LSDが出来る環境づくりは、タマランの願いでもあります。
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1998年1月 吉田 善穂
新聞の切り抜きをしていたら「ミドルの余暇学」という日本経済新聞のコラムで「スポーツは前夜が勝負」と題する文章が目にとまった。そこでゴルフ、草野球...という箇所をマラソン・レースという文字に置き換えて自分なりに勝手に読んでみた。以下、ご紹介する。
「ゴルフ、草野球、あるいはサッカー、ラグビーでも試合を明日に控えた前の晩の過ごし方が大事だと、アメリカのスポーツ心理学者スティーブン・アンガーライダー博士が説いている。博士によると、寝る前に次のような順序でイメージ・トレーニングをすると翌日の楽しみが倍増するという。
まず、ゆったりした椅子に腰を下ろし、ゆっくり深呼吸する。
いま、自分がグリーンやグランドにいるとイメージしながら、周囲の景色、天候、対戦相手などを事細かに、出来るだけ鮮明に思い描く。
次に、堂々と完璧なプレーをしている、ほれぼれするような自分の姿を目の前に思い浮かべる。万一、冷静さを失ったり、ヘマをしている自分が浮かんでくるようなら、すぐにプラスのイメージに置き換える。そうして眠りにつけば、一夜明けると自信満々、元気いっぱいで出かけられる、というわけである。
技術や道具、あるいはガッツだけではスポーツは面白くない。自分は最高なんだ、どんなピンチにも動じない沈着冷静なプレーヤー(ランナー)なんだ、と思い込んでプレーが出来たら、こんなに幸せなことはない。」
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1998年2月 小坂井 章
冬本番。レース・イベントが続きます。メンバーそれぞれが設定した本番に向けて、雪も寒さも吹っ飛ばしましょう。 、とはいうものの、タマランの本番は、実は日常にこそあります。走りは日常を引き立てるためのものと心得、本末転倒 にならないよう、ご用心。この転倒 は、骨折り損となりかねません。
日常というものは、いうまでもなく連続です。斬った張ったの連続、飲んだ食ったの連続、走った転んだの連続です。明日は今日の続き、来月は今月の続きでしかないのですから、そうやって21世紀まで行くのであれば、螺旋状であれジグザグであれ、とにかく「今日の最善」を積み上げていくことが明日の最善になるということです。なにごとも、中断はそういう集中力を低下させる遠因となります。
もう少しして長野五輪が終わり、中央公園グランドに造成中のサッカー・グランドが完成し、春が来て、フランスW杯が過ぎると、また暑い夏がやってきます。冬にはなにもなかったかのように、たいていのことは忘れてしまうわけですが、そのころの自分の日常は、冬あってこそのもの。転んでこそ、起きあがれるということです。映画の新藤兼人監督が言っています。「挫折は老人の武器です」と。皆さん、若い間に大いに転倒 しておきましょう。
1998年3月 小坂井 章
早く走ることを目指すより、楽しく走ることの方が健康的であるということは、ランナーならみんな身にしみて知っていることでしょう。15周年を記念して、少しはロマンを感じさせるアイデアを、特にゴールが時計にみえてしまうランナーたちに贈りましょう。私が身をもって確かめた「門外不出の高度のわざ」ではありますが、少しデリケートで訓練を要する走法であるため、向き不向きはあると思います。
ベルカント走法とピーターパン効果。これは私の造語です。ベルカント(美しい声)唱法は古典的な歌唱法のひとつですが、その教え方のなかに微笑むような口元で唱えば明るい声が出せ、声が前に出るというものがあります。また、花の香りをかぐように歌え、とも言います。このような楽しさ、喜びの‘暗示’は走るときにもとても効果的に使えます。たとえ顔は苦痛にゆがんでいても、心に微笑みを、出来れば表情も花の香りをかぐがごとくに走ってみてはどうでしょうか。声ではなく、脚が前へ出ることが実感できます。
ピーターパン効果は、ピーターパン症候群と絶対に間違えないでください。映画「フック」を見た人なら思い当たるでしょうが、ティンカーベルは飛べなくなったピーターパンに向かって、一番好きなことを心に想えば飛べる、と励ましました。中年のピーターパンはこの時、家族の顔を思い浮かべながら見事にとんで見せます。これがピーターパン効果です。特に長距離レースの終盤に差し掛かって限界が近づいているなと思ったとき、本当に大事なもの(自分自身でもよいのかもしれない)を慈しむ気持ちを強く思えばあなたは必ず追い風を感じることができるはずです。
タマランの走り方は、ベルカント走法とピーターパン効果で格段にレベルアップできるものと考えます。楽しい、終盤に強いランニングに乾杯!
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1998年4月 小坂井 章
世の中には上り坂あり、下り坂あり、もう一つ「まさか」という坂もあるのは、どこぞの業界ばかりではないでしょう。そんな坂をいくつもやり過ごしながら、タマランとも15年のつき合い。今年も中央公園には、同じ桜が咲き誇っていますが、あの中にも80年代に植えた最初っからの樹と、割に新しい樹が混在しながら、全体を美しくしています。たいていの物事はそうやってバランスをとっていくのでしょうが、桜にも虫がついてしまう樹があるように、「坂」だってバランスよく対処しないと「まさか」になってしまうことがあります。
まさか、日本は大丈夫だろう。まさか、うちの子に限って...、まさか、自分は花粉症にならないだろう、まさか、自分は故障しないだろう、などなど。
今売れ筋の中田君(Jリーグ)みたいに、バランスよく背筋を立てて、周囲がよく見える姿勢でプレイすることが、極めつけのラスト・パスを出すためには必要なのでしょう。先般まさか、を演じてしまった有森さんだって、これからちゃんとバランスが取れるかどうかが勝負の分かれ目になるはずです。バランスの良い走生活を基本にして21世紀へ。そして、自分らしいラスト・パスを、何本も出してみる。そんなランナーたちがタマランにいて欲しい。
1998年5月 小坂井 章
新しいシーズンが開幕して、会員の皆さんは、レースにも出たい、レースばかりにも出てはおれない、練習が楽しいが時間がないなどと、怠惰に流れることを恐れながら、スケジュール作りに頭を悩ましている頃でしょう。ランナーにとって、1年の計は初夏にあります。まずはしっかり疲れを取りのぞき、自分のからだと心をどうしたいのかをしっかりと言い聞かせてから(できれば計画的に)ゼロ発進です。風薫る5月はゆっくりとからだを休ませる。梅雨の6月からは基礎体力作りをスタートさせて秋以降の強化練習やレースにも耐えるようにしておく。レースが多い人はこのような数ヶ月があとで必ず報われます。レースには関心がないジョガーも、盛夏には疲れが溜まらないように気を付けながら、涼しい時間や場所を選んでぴりっとしたトレーニングを心がける。
増田明美さんが書くまでもなく、‘一休み’も練習のうちです。時間がない、という焦りは結局怪我とストレスのもとになります。人は時間と道具を使います。道具のための道具も作りますし、時間を利用するために時間を割いて考えます。そのうち、どれが道具で、何のための時間かわからなくなってしまうのです。こんなところで「転倒」しないよう、お願いします。ゴールはまだずっと先なのですから...
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1998年5月 菊田 輝男
桜が満開の4月5日、タマラン15周年を記念して、千駄ヶ谷の国立霞ヶ丘競技場(正式名称)にて総勢12.5人が参加して行われました。
AM11.30分本間さんの合図で一斉スタート。この中には岸きよみさんの愛娘ちゃん(0.5人)も参加、元気よく大人に混じって走りました。オリンピック、世界陸上等々いろいろなドラマを生んだ400Mとラックを25周、片芝さんを先頭に、林さん、小坂井さんたちが自分のペースでぐるぐる! トラックが殆ど玉川上水のユニフォームで占拠。終始片芝さんが先頭で無事全員が走り終えました。結果は古舘さんのなんと+11秒差で1位、桜井さん+13秒、小坂井さん−19秒と、このご三方、10000メートルで20秒以内と神業的なタイムでした。この後自由参加で100M、400Mと楽しみ、記念撮影して競技は終わりました。
このあと競技場内のレストランで表彰式打ち上げを行い、和気あいあいでAM4.00解散しました。なお後から小今井さん、渥美さんも参加。打ち上げには17名が参加しました。
今後また、機会を作ってだれでも参加でき、マイペースで走れる、このような催しを行いたいと思います。この際使用した特殊タイムウォッチを斉藤二三夫さんがタマランに寄贈されました。ありがとうございました。
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1998年6月 小坂井 章
シーズンオフは、健康づくりをワンランク・アップしよう。食事のメニューは多様な方がよいと言われるのと同様、健康作りだって多様なメニューで実行する方がよいに決まっている。特定種目の専門家を目指すものではないのだから、総合的な健康のためのランニングは、偏った練習や同じパーターンの日課はできるだけ避けて楽しいものにすることがお勧めだ。ちなみに、私のランニング日誌では、日常的に次のような走りの種類が使われていて、ほヾ1ヶ月とか1シーズン(3ヶ月)で、大きな目標を意識しながら回転させている。量をこなすものと質を求めるものが混在しているが、大まかに理解して参考にしてほしい。
まず、基本的な枠組みとして、原則毎日、1ヶ月300以上の距離をこなすこと、及び前後には大事な部所のストレッチ、ウォームアップとクールダウンを必ず意識する。練習の基本メニューは、ベースがLSD(2時間または20k以上)で週に1回。他の日の7−8割がjog、Jog、及びJOG(これは早さの順で区別している)。時々は、体調も時間も余裕があるとか、少しレースを意識し出すときに、少し強めのメニューが加わる。それが距離走とスピードプレイ、快調走や自由走(この二つはとても感覚的なもので、気分を表しているだけのもの)。さらにレース指向のときの練習メニューには、ペース走(フルに出る時の仕上げ用に)や持久走(70−80%程度でかなり長い距離を走る)とインターバル(スパイスの刺激が効果的だが劇薬にもなり得るので、あまりやらない。近年は、300+100や1000+200が好き)。強い練習は3−4日に1回が限度で、特に念入りに体調に気を付け、アップとクールダウンを励行する(これは習慣づけておかないと、そのうち手痛い目に合う)。ジョグの日にも、時々ナガシ(100程度気分良くスピード走をして、身体を整える)をしておくと、結構しゃんとする。
これらの要素を組み合わせた「合わせ技」や折りを見ての完全休養や小道具(シューズやテープ)や大道具(コース)の工夫をする「裏技」で、集中力を切らさないようにして、‘忙しげに’ランを楽しみ、合間には時々30−40kをものにし、さらに贅を極めるために、全ての要素を満たしてくれるかもしれないような山岳走をすれば、即、ワンランク・アップで未来が見えてくることになる。
いろんな時に、いろんな所で、多くの種類の筋肉を動かしてやることで、バランスのとれた健康作りができるはずです。これで来年も、花粉やシックハウスとはさようならだ。
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1998年7月 小坂井 章
走って健康になるための「基本のき」はシンパイです。健康ランナーにとって、成功のキーワードは、ひとつが心肺機能。もうひとつが心配、といっても不安とは違う、心配り。つまりケアのことです。
ご存知のとおり、LSDは最大酸素摂取量を高めてくれることがわかっていますが、実は健康ランナーには最大酸素水準(VO2MAX)は宝の持ち腐れになってしまいます。なぜなら、そんなに目いっぱい走ることはなかなか必要ないからです。速くではなく長く走る(必然的にゆっくりになる)LSDは、摂取した酸素をどれだけ上手に働かせるかという酸素摂取効率も大いに高めてくれます。こちらの方は、健康ランナーにとって強い味方となります。長距離を楽に走れることはもちろん、日常生活でも、心肺の強さとして実感でき、抵抗力のあるからだの源泉となります。酸素をたくさん吸収でき、それを60兆の体細胞に力強く供給してあげられるということが、新陳代謝を高め、‘美容と健康に’願ってもない好影響を与えることは自明の理です。だから、LSDは正しい方向だと考えています。以前、酸素ボンベを背負って走ることが話題になったことがあります。逆に高地など酸素の薄い所での練習と、どちらが健康によいと思いますか?要は、パワーを効率よく作れる仕組みを取り込めるかどうかです。
60兆の細胞を意識しながら走ったことはありますか? その一つひとつが微少なエネルギーを作り出す原子力工場みたいなものであるとすれば、どれ一つもないがしろにはできない気になります。他方、運動がハードにすぎると‘工場’が破損します。ですから、ケアも必要となります。私の忌まわしいアキレス腱炎は、ほんのわずかな(と本人はおもっている)無理が原因で、この冬に発症しました。なかなか治りきらないのですが、この部分の’原子力工場’は相当破壊されていて、再生に時間が掛かっています。こんなときも、周辺の元気な細胞にどんどん酸素を送り込んでやる、つまり運動をした方が、治りが早いはずです。(私の場合、週一で20kを走ったりするので、また壊れるみたいですが)
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1998年8月 小坂井 章
アトランタ五輪のマラソンで12位に入ったワコールの真木和(いずみ)選手が藤田監督解任にともない退社して現役を退く、と報道された。会社の理由は、「指導方針が社の企業理念と合わなくなった」というもの。そして、「記録や勝利にこだわる部から、選手の自主性や自由をもっと尊重した部に変えていくために、決断した」とコメントされていました。
説明は要らない。少なくともこの企業において、時代が変わっただけのことです。そして「自主性と自由」が記録や勝利よりも尊重されるべきものだと思い至った組織人たちには、エールを贈りましょう。ただ、退社した選手たちにとっては、状況が変わったのです。
状況変更の法則、というのがあります。あります、と言っても私がずっと温めていただけのことですが。これは、原則や規則や習慣は、状況が変われば見直すことを躊躇しないという、都合の良い、生きていくには必要な法則です。ただ、この法則の運用にあたっては、心身を前向きにしていることが、前提として必要かもしれません。
人の目が前に付いているのも足先が前を向いているのも、前へ進みやすくするためです。そもそも人間の骨格は少し前傾する形になっているとも聞いています。身体ばかりではないらしい。厳しいレースを完走すれば達成感が心地よく、練習計画が確定して先の見通しが立つと気持がよいのは、心も前傾していて前向きが本来の姿であるからと思われます。
長い人生、心身ともに軽く前傾をかけて前向きに。そして、状況が変われば、こだわりを捨てて軽々と変身したいものだ。それが底力かもしれない。
1998年9月 小坂井 章
不揃いが集まってできているタマランだ。夏の暑いシーズンオフは集まり具合が少ない。それにご時勢で、本業の仕事はもとより、選択が広がって他の種目などにも忙しそう。朝錬も、レースも、取りたてて出なければならないわけでなし。どこかで元気にからだを動かしていてくれれば、それでよい。ただ、怪我や病気だけは願い下げだ。ちょっと運動離れの傾向がある人は、たまには日曜の長いジョグに参加したり、レースに出てみるのが気分転換によいだろう。
下り本線に乗っているランナーなら、以前、田中利一さんが、五十過ぎたら
1年で10キロが1分ずつ落ちてくると言っていたことを肝に銘じておこう。
ランニングは対話だ。耳をすまして、パワーダウンしていないかどうか、体に聞きながら走ってみよう。ことしも、上水近辺の百日紅の花は、また新しい。ランナーも、秋ごとに新しいはずだ。
1998年10月 桜井 茂雄
今年も奥多摩山岳耐久レースに参加しました。当日、五日市線の車中で丸林さんのご家族に会いました。主人が薪を待って河原でバーベキュー川遊びと家族サービスデーとのこと、美しい。
自分も何十年も前、弁当を持って家族とハイキングなど思い出します。
さて、レースの方ですが、天候もよく、毎回で慣れた道のり、3ヶ所の関門を2-3時間の余裕を持って通過する予定で行動。山坂の連続、睡魔との闘いで苦労でしたが、予定より早くゴールできました。タイム21時間57分28秒(第1回と同記録)。消耗した行動食、おにぎり2個、うなぎ蒲焼き一切れ、みかん3個、栄養剤3本、水は1リットルくらいで、食料半分以上は持ち帰りました。(体脂肪は2K減)このレースに備えて、真夏の奥武蔵ウルトラ75K、浦佐山岳耐久(20K×2周)や秋田100K(61Kでリタイヤ)などの成果が出たものと思います。
しかし、まだまだやれると思っていても、歳は70。去年よ徐々に老化を自覚しております。
このレースも全国的に広がってか、今回、兵庫から73歳男性が参加し見事完走(自分より早く)しています。まだまだ先輩に見習う点があります。富士登山競争や耐久レースの連続にコダワル自分ですがもこれからも、自分の体と相談しながら続けていきたいです。
11月の太田原、12月の袋井でフルマラソンを楽しみたいと思っています。
1998年11月 小坂井 章
気候が徐々に冬型になると、もっと長い距離を走り出す。例えばこの時期、グランドから羽村の取水口まで往復して36キロのコースがすばらしい。しかし、前後に走友がいる朝練とは違い、なにしろ銀河系の星の数ほどの脳細胞を携帯しているのでいろいろのことを考えだすし、度が過ぎればいやというほど切ないランニングにもなってしまう。
たいてい、はじめの内は「今日の距離走の目的」を確認したり、最近の「傾向と対策」を反復したりの、儀礼的なジョギングから始まる。次に、習慣となっているフォームのチェック。無理なく柔らかく走れているだろうか。睡眠・食事も十分だから、特別異常がなければ、今日は案外簡単に距離を消化できるはずだなどと、心の中に書いてある「からだの取扱説明書」をめくりながら、’練習’は始まる。ひととおり心構えもでき、あとは走るばかりになってくると、「銀河系」が活動をはじめる。
初めて見るメンソーラ オキナワという歓迎の文字。なんとなく にこにこしてきちゃうねとかいいながら、期待通りに暖かな那覇に降り立ったのはつい先日。台風十号と刺し違えるようにして現地入りしてからの四日間は、見果てぬ夢でも見ているように過ぎていったっけ。
宿泊した宜野湾市のラグナ・ガーデン・ホテルの十階からは東シナ海を背景に大きな公園が見下ろせて、遠い端に野外劇場がある。最初の夜には、たまたまウルフルズという人気ロックグループが来ていて、ベランダの外の真っ暗闇の世界の中にぽっかりと浮いてみえた明るい劇場からロックのリズムが聞こえ、満員の若者の熱気で沸き返っているのが見えた。次の夜、全国を廻った琉球祭りの最終日がそこであるというので、我がランナーたちもそこへ行ってカチャーシすることになったのだが、お目宛てのオキナワ出身の女性グループ、ネーネーズが、素朴でエキゾチックなメロディーをオキナワ民謡の繊細なこぶしで飾りながら、「黄金で心を捨てないで」「黄金の花はいつか散る」などとと切々と唄ってくれたりもして、それはもうこの世のモノとは思えない感動だった、、、
距離走の方はというと、上水沿いに拝島へ、そして多摩川沿いに羽村まで行き折り返す。すこしチバラナイト5分半のスピードが保てなくなってくる。私の「銀河系」が揺れはじめ、風景と回想がチャンプルーになってくる。
走るということはからだの物理的なエネルギーと精神力、それに価値観みたいなモノを資源にして「燃やしている」のだから、どれかが消耗してくれば、他方を意識的に強めながらバランスを取らなければならなくなるわけで、30キロ地点の立川市営グランドあたりまでくれば、「燃えカス」みたいなものもよぎる。
このあいだ近所のジョガーと中央公園を六周したときに、その人は半導体に詳しかったことから、話しがミクロ世界から始まり、人の考えられる世界はすでに十二次元まであるのだという説まで飛び出してしまったのだが、相当に疲れてきて、なおかつある程度スピードを維持しようとすると、苦しさと楽しさと切なさとハイな気分をチャンプルーで感じて十三次元もあるのではないかとさえ思えてくる。
沖縄ではショッピングには時間をのんびり使って、国際通り近辺を、「カイスギナイ」とマジナイをかけながら店をのぞいてまわるばかりだった。初めて見る真っ青な魚アオブダイ、県魚のグルクンの料理、豚の大きな顔の皮、シークワサー、カーブチーなど聞いたこともないフルーツ、ここならではの染物と泡盛。酒問屋を探し当てて久米仙と残波を買った後は、公設市場という最善の食事処へ行って買ったばかりの海産物を階上のフードコート(エスニック屋台村といったところ)で調理してもらい、地ビールのオリオンで会食....
現実の長距離走のおしまいは、空腹や渇きでつらいものです。どうにか走っているのは、帰りたいという気持と補給した若干の水、それからこれが終わればなにかが残るという期待観のおかげなのだが、こうなると「燃えカス」が燃え盛るように出てくる。屋外劇場の唄と踊りと冷たかった夜の風が、真夏の明るさのトロピカル・ビーチの白い砂と静かな波、なにもないようなところから修復された首里城の丁寧に造られた石垣や中国の王朝に遠慮して爪が3本しかないという龍、立ち寄った酒屋でのやり取り、果ては夜中にコンビニを探しに行ったときに道を聞いたお兄さんなど、もう、取り止めもなく、想いだされてくるのです。
コウモリが逆さにぶら下がってばかりいるワケ(骨が細すぎて立ってられないらしい)とか、自動車保険は外資系に乗り換えようとか、ひめゆりの塔には人がいっぱいいたのに健児の塔のほうは人気がなかったとか、距離走は支離滅裂で、つらいときもあります。バイバイオキナワ。チャンプルーな距離走ももう少しでホームグランドへ戻ってくる。
1998年12月 小坂井 章
建築士資格、英会話、ジャズピアノ、CAD、ホームページ作り、手品、編み細工、俳句、環境ボランティア。これらは、タマラン・メンバーたちがこれからの人生を彩るために継続的に、ゆとりの精神でやっている、またはやりたいと考えていることの数々である。この他にもいっぱい考えておられると思うし、ガーデニングや犬の散歩まで入れれば、タマランの人たちは、生活の質には気を使っているらしいことが見えてくる。
時代はとうに、量から質へ、目指すところを変えている。早く気がつき、しっかり備える。未踏の21世紀の展望はそこから開けてくると信じたい。少し極論をすれば、売上額よりも大事な満足してくれる顧客。視聴率よりも大事な一生懸命みてくれる視聴者。緊急経済対策は24兆という額よりその中身。収入の多さよりもやり甲斐のある仕事。そして、その延長線上に、練習量よりも練習の質、というものがくるはずだ。
時間だけはみんな平等にすぎていってしまう多忙な生活の中で展望を開くには、前向きとプラス思考の生活の上での「考えた練習」が欠かせない。
どれだけ長くやったか、何回やったか、よりも、まず、なぜそれをやっているのかが分かっている練習、がほしい。入賞も、自己新も、記録的な走距離も、結果としてはそれなりに楽しくすばらしいが、それだけでは「長期楽観」の展望は開けない。なぜならそれは一過性の価値でしかないし、「黄金の花」ようにすぐに散ってしまうからだ。「本当の花」を咲かせましょう。他と比べなくてよい、自分だけにしかわからないかもしれないが、自分が本当に輝いていられるような誇らしい走りをこれからは目指したいものです。
1999年1月 小坂井 章
混迷とねじれ現象と幻聴と幻覚と胸騒ぎの1998年よ、さようなら。
そして、ようこそ、夢と希望とほんのちょっとの余裕の21世紀。
1999年は、21世紀を迎えるための、助走期間です。慌ただしかったこの1年、新たなスタートラインにつけるときを待っていたようにも思えます。素直な気持ちで、この節目をうまく使ってペースチェンジと目標の作り直しをしていきましょう。
私は一に健康、二に楽しさ、三、四なくて五に記録、の方向へゆっくりと変わります。もっとも,苦即楽のマゾっ気はなかなか抜けないのですが、多少のことは鷹揚に構えましょう。今必要なちょっとの余裕は、ときのゆとりと遊び心です。
昨年、高橋尚子選手が2時間21分を出し、何人かの競争相手は精神的に脱落したと思われるほどのショックとなりました。でも、タマランにこんなものはない。自分の走りを他人に左右されてたまるものか。軸足は自分の心に残しておきましょう。そして、時間と心にゆとりを持って走る。これがLSDです。
1999年1月 片芝 年信
1998年12月19日(土)、神さまが与えてくれた好天と、走友たちの
暖かい声援に励まされて私の「60キロ還暦走」は5時間45分で達成でき
ました。
ゴール後、贈られた美しい花束を胸にして思わずほっぺたがゆるみました。
併走して私を見守って下さった公認監察員?(小坂井、渋谷、渥美、山下)
の皆さん、乾いた喉に甘露を用意してくださった吉田さんご夫妻、全コース
を自転車で追いかけて写真を撮って下さった島田さん、朝早くからスタート
を見送って頂いた荒木さん、苦しかった最後の20キロを伴走してくださっ
た山下(宗)、古館さん。
ミセス小坂井はじめ沿道で応援して頂いた桜井さん、勝本さん、今関さん、
古里さん。
三鷹駅では、自宅の庭で採れたというキューイを食べやすいように剥いて
手渡してくださった下島さん。甘い果実といっしょに残り10キロを走り
抜くパワーを頂きました。
ゴールに駆けつけて下さった小林議員、雪印乳業の早川さん、どうも有難う
ございました。
そのほか、いろいろ準備をしてくれたわが最愛の妻と子供たちにも…
皆さん、ありがとう!ありがとう!ありがとう!
1999年2月 小坂井 章
武蔵野の林野を想い、山林に自由存す、我この句を吟じて血のわくを覚ゆ..と、国木田独歩さんが詠っている。
上水沿いは、このところ、垣根、信号、新しい植え込み作りでちょっといそがしげである。ごく最近、史跡地域に指定されて予算がついたのだろうか、それとも景気浮揚策の一環だろうか。
日本でも有数の、生活圏のど真ん中にある自然道を、タマランのランナーたちはいつでも脚で確かめることができるのだが、行く方向を限定してしまう垣根、動きを止めてしまう信号、向こう側を目隠ししてしまう植え込みは、ランナーの自由をいろいろな意味で制約する。
たとえ跨いで越えられるフェンスでも、それがあれば物理的に上水沿いでの回り道、寄り道、コース変更ができにくくなるばかりでなく、ランナーは「いつもの、その道」しかないと思う習性を身につけてしまうからだ。週末にしか上水を走ってないランナーは関係ない、とは思わないでもらいたい。なぜなら、これは心の情景をいっているのだからだ。迷うこともなく、予定通りに行ける道。そこには安全と効率がある代わりに、新たな発見や豊かな感動はない。
どこまでも、道に沿って走る。それもよいかもしれない。しかし、好きな所でフイと横に入る。これも楽しい。気の変わったときに、スッと立ち止まったり、また猛然と走り出したりする。これもうれしい。脇のベンチで腹筋をやってみる。これまた、きついがリフレッシュできる。羽村まで行けば(グランドから19キロ)、帰りはなぜか嘉泉の醸造所のある道へ迷い込む。多摩湖へ行けば、改築したドームを見に寄り道する。小金井公園では梅園に入って膨らみかけたつぼみを確かめる。朝練の終わりには、自販機に立ち寄ってビールを買う。上水沿いの朝のジョグのついでに大けやきを見に回り道をする。いろいろな動きをする習性は、日常活動にまで持ち込まれて、多彩な趣味と仕事、はしご酒やつまみ食い、旅先や運動中の気ままなコース変更などと形を変えて登場する。
このような自由な道行きがあってこそ、自分の中の「青年」を実感することができるというものだ。あまりにも日常的なものの中に埋もれないで、心の中にも「山林に自由存す」でなければならないだろう。あの、ウルマンの詩が聞こえてくる。
「青春」とは人生のある期間ではなく、心の持ち方をいう。バラの面差し、紅の唇、しなやかな肢体ではなく、たくましい意志、豊かな想像力、燃える情熱をさす...
年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる...こうべを高く上げ希望の波をとらえる限り、八十歳であろうと人は青春にして巳(や)む。
感動は、「青年」の特権だ。まもなく、フルや30キロの本番レースを迎えるランナーは多い。感動あるレースをしたいものだ。そして、感動ある人生も。
阿久 悠さんの「走る詩人に拍手を!」を添えて、心からの激励といたします。(小坂井)
拍手を
風の姿をした勝者のために拍手を
賞賛と羨望を半分ずつ
風になれないロマンチストから
拍手を
なぜ走るのかという偉大な不可解を
不可解のまま納得させてしまう
すばらしい勝者に
地球の残り少ないロマンチストとして
これは
永遠の不可解にしておこう
なぜなら
また走る姿を見たいから
42キロ195メートル
あなたは
その足裏で地球の言葉を聴き
それをぼくらに伝えてくれたのだ
拍手を 走る詩人に拍手を
1999年3月 島田 善男
2月下旬、白梅学園の紅梅満開。我がサイフは満開でピンチ。中華人民共和国からの春便り「黄砂」は昔から比べると少ないと気象庁は言うがその分、都心は公害が深刻化している。21世紀は20世紀が生んだ科学文明の後始末に振回される世紀にもなるだろ
う (オゾン層・核・CO2・人口・食物・熱帯雨林等)。 ともあれ、花見月、タマランにも、16回目の春が来た。
青梅・それぞれの美学・独学で全員完走。晴れ女・男のお陰で記録尽くめ。早朝より
場所取りに協力いただき感謝・感激・
お疲れ様でした。
走後の打上会に次ぐ2次会は、最近ハマリ気味のカラオケ。消化剤か? 良薬か?
「さゆり節」から「あきら節」etc。
こちらも快調・爽快で私を含め中年パワー炸裂。
見て・聴いて・歌つて・飲んで、是非あなたの十八番を聞かせてください。
〔安里さん、講演後、青梅・国分寺と遅くまでありがとうございました。〕
翌日、ポップス界『山下敬二郎』の還暦を祝う会に出席した。(事務局:島田さんは元バンドで山下氏とは懇意)
1960年代、ロカビリーの先駆者である「山敬」氏をホストに、平尾昌晃らを中心
に懐かしのアイドル多数が憧れのサウンドとビートで美声も若い時代そのまま。リピート感もあり30年前にタイムスリップした感じ。ダイアナでヒツトの「山敬」も60歳とは想えぬ程の若さ。人間味あふれる人柄ゆえ多くの心暖かいファンに支えられ同時にファンを暖めている様子が覗えた。
ステージ前では、オジサン・オバサンパワー全開。今の日本社会を支えているのはまさしくこの年齢層なんだナァーとつくづくその勢いを感じた。
20・30歳は「鼻ったれ小僧」、40・50歳は、「花なら薫れ」、60・70歳は、「働き盛り」。人生は一度・二度とない、やり直しの利かない人生だから身近な仲間達と出来るだけのことをしたい。心豊かに接してゆこう。このめぐり合いを大事に、そして走る喜びや感動を共に共有・共生したい。
自転車や自動車もタイヤの幅は狭いがその幅を支えてくれる『ゆとりの道』があるから安心して走れる。人間は、身勝手で、その支えてくれる『ゆとりの道』のことをつい忘れがちになる。目に見えるもの、見えないいろいろの事柄や多くの仲間の支えによって生かされてきている。一人の力だけではない、支えあって生きる人生こそ大切。
創立20周年に向け、タマランの輪を共に大きく広げよう。継続は、‘力’なり。
1999年3月 小坂井 章
いよいよ、春。
春は夢や希望をいっぱいに膨らませて自然の中を走って行こう。そうすると、帰り道には、その夢と希望がもっと現実に近いかたちに成長して待っていてくれそうな気がしませんか?
1998年1−12月で見ると、朝練の平均参加者は14.68人。現在42名の会員だから参加率は34%。地理的に朝練には出られない会員もいることだし、これでよし。朝練コースは、多摩湖17回、拝島10回(一心亭は5回)、小金井3回、野川3回、井の頭1回、市の周回1回。以上が平均年齢54歳(勝本、今関さんがここ)、トータルで818歳(強力な60歳以上は13名)の表向きの活動です。
この号は、おさらいと今回が第2回になる担当者ミーティングの材料とするために、見慣れているかもしれませんが、もしかすると忘れているかもしれない資料をつけておきます。確認の上、お気づきの点はミーティングに持ちよって解決しましょう。
ついでに、私自身の基本を確認する上で、昨年6月号に掲載した小生の練習メニューを改めて再掲載します。少し全体の流れが緩慢になってきたかなと思う以外、大体変わっていません。それぞれの生活に合った練習メニューをしっかりキープする上で、参考にしてほしいと思います。ただ、こんなにやったって、タイムが必ずしも上がるわけではないし、今年のように3回も風邪に悩まされる脆さもあるという所がなかなか味があるともいえます。問題は継続です。継続が力になります。
「基本的な枠組みとして、原則毎日、1ヶ月300以上の距離をこなすこと、及び前後には大事な部所のストレッチ、ウォームアップとクールダウンを必ず意識する。練習の基本メニューは、ベースがLSD(2時間または20k以上)で週に1回。他の日の7−8割がjog、Jog、及びJOG(これは早さの順で区別している)。時々は、体調も時間も余裕があるとか、少しレースを意識し出すときに、少し強めのメニューが加わる。それが距離走とスピードプレイ、快調走や自由走(この二つはとても感覚的なもので、気分を表しているだけのもの)。さらにレース指向のときの練習メニューには、ペース走(フルに出る時の仕上げ用に)や持久走(70−80%程度でかなり長い距離を走る)とインターバル(スパイスの刺激が効果的だが劇薬にもなり得るので、あまりやらない。近年は、300+100や1000+200が好き)。強い練習は3−4日に1回が限度で、特に念入りに体調に気を付け、アップとクールダウンを励行する(これは習慣づけておかないと、そのうち手痛い目に合う)。ジョグの日にも、時々ナガシ(100程度気分良くスピード走をして、身体を整える)をしておくと、結構しゃんとする。」
1999年4月 小坂井 章
島根県の津和野はいまでこそ小京都とはやされているが、維新前の津和野藩はわずか6000人の、京阪から遠く離れた辺鄙な盆地。なんでこんな辺境の、今でいえばノリの小さな場所に、西周のような思想家や森鴎外のような人物が続々と輩出したのか、というようなことに興味を持った人がいるようだ。私が聞き知った限りでは、多摩大の望月教授(大学で実践的な経営を教えたりしている望月ゼミで有名な都市設計の先生)と、なぜか日本に興味を持っていた経営学者のピーター・ドラッカーのふたり。
たしかに、あの騒然としていたであろうころ、偏狭の地からたくさんの偉い人たちが生まれている。萩の吉田松陰や伊藤博文、薩摩の西郷や桂小五郎(木戸)、土佐の坂本竜馬......変わったところでは、淡路島出身の海運業者で大活躍した高田屋嘉平......
ドラッカーは書いているそうだ。情報もない、権威もない、教えてくれるものもいない取り残された地域で閉塞状態にあった人たちに共通していたことは、「志」(こころざし)であったと。自分の心の中で、徹底的に考え抜いて、独自の道を開いていった人たちなのだと。
タマランには関係ない? 都大路から遠いところではあるが、何とか走っていこうとする気持ち。表舞台には立てないだろうし、銭にもならないが、どこまでも行ってみようじゃないかという姿勢。そのムコウに何かあるかもしれないという漠とした希望。小グループではあるが、みんながひとつの方向を見ているというのは、志を同じうするということなんだろうな。
そんなことを考えながら、17年目に入るタマランは、二回目の世話人会を開くことができました。それも、これも、皆さんの情熱のおかげです。
1999年5月 小坂井 章
春でぇーす。でも、すぐ、夏になりまぁーす。 そのつぎに、秋ぃー。
浮かれている場合ではありません。鬼もいた地獄もあった長野のフルマラソンも終わり、長距離ランナーたちのオフシーズンが始まりました。恒例のマラニックなどにも気軽く参加しながら、希望があればお世話役のお兄様・おねえさまに遠慮なく申し上げながら、上手に休養と基礎練習に励むことといたしましょう。
そんなわけで、本稿も休み感覚で書いてます。
中央体育館脇の見事なピンクのはなみずきも、一気に花を開いています。この花が咲くころには、毎年、忙しいシーズンから開放されて、少しゆっくりと次のことが考えられる季節に入ります。昨シーズンの不甲斐なさを(野村監督ではないけれど)自分に対して「憤」の思いで激励しつづけるか、色々ある中でなんとかよくやってきたじゃないかとほめてやって身を流れに任せるか、レース鳩も混じっているであろう公園のハトたち(玉川上水ハトクラブ)を眺めながら一緒に飛んでいく日を想像するのも楽しいものです。
ひたむきな走りも、ハッピーばかりの走りも、前に行くことに変わりなし。どちらにも、それぞれの感動があるのだろう。
1999年5月 渥美 真由美
雨と予想されていた天気が、嘘のように、京都にはまるで春ていました。17℃から19℃です。寒いと考えて、長袖しか用意しておらず、後悔が残るスタートとなりました。それでも、平安神宮から待ちにまったスタート。三条大橋から烏丸通り、京都御所を回り、国際会議場で折り返し白川通りをゴールの平安神宮に向かい、いつものように自爆走のためのコース。途中賀茂川縁と折り返し手前が少しアップ、そして白川通りに入るところで急なアップ。この他にはほとんど平坦なコース。何よりもうれしい応援が何処までも、どこでもいっぱいで、これはうれしいし、気が抜けない。大会の運営もパーフェクトに近く、給水も最初はスポーツドリンク、次に水で永ーいスペースを確保されており、給水場所で混み合う(私の時は)ことはありませんでした。コースは1キロごとに表示されており、チェックポイントへはあと何百メートルとの表示もあり、とても走りやすい。
さて、私の記録ですが、最初の5キロは22分39秒、次の10キロが46分13秒。15キロで1時間10分04秒、ゴールで何とか1時間39分57秒で、ほヾ目標の40分は切れました。
当日はアップの時から脚の重さがとれず(前日友人とだいぶ歩いた事が原因と思われます。前日の夜は足が痛く思わす夜中の起きてしまいました。よくあることではありますが、)、走りだしても重さが抜けず、5キロ22分39秒は出来すぎの状態、10キロまではいけるかなと思いながら走れましたが、10キロ過ぎから腰や背中に痛みを感じ、この時点でイーブンペースに(5キロペース)考えを切り替え、1時間40分でゴールする方向になりました。このペースだと結構抜かれてしまうのですよね。つらいところですが足も腰も痛く、ひたすらゴールすることを考えてお守り(?)にお願いしながら走りました。
何とか39分台で飛び込めたので自分ではホットしています。一緒に行った友人は前日が前日だったので、私が途中で棄権をしたのではないかと気が気ではなかったとのこと、とりあえずゴールしてきたのでホットしたようでした。
春、賀茂川の水鳥達もゆっくり楽しそうに水浴びをし、梅も満開の京都、決して満足ではなかったけれど、取り敢えず40分の壁は切ったと思うことで良しとしよう・・・
でも、もっと早く走れたら、もっと気持ち良くゴールできたら・・・今後の努力と調整に課題が残りました。
1999年6月 小坂井 章
タマランの事務局が移転しました。モノ、みな変わります。しかも、だんだん早く変わるようになっています。この移転も、その一環です。
筋トレをすれば、皮一枚程度ですが、体が変わります。練習を重ねれば、心肺機能や新陳代謝効率が向上します。しかし、こちらの方はだんだん変わり方が遅くなります。
このようなモノを早く変えてやりたい場合は、枠組みを変える必要があります。
人の心もゆっくり変わることがあります。これは見えにくいので、行動という形で表面に出るときには急に変わったように思うこともあります。
例えば強いランナーになりたいとか、速く走りたいとか思う気持ちは、誰にもあるでしょう。毎日思いつづけていると、情熱が蓄積されて、何らかの行動に結びつくことになります。練習メニューを変えて、強度や走りの種類、回数を増減させたり、月間の走行距離を調節したり、一週間の中での強弱を工夫したりして、自分が考えている姿に近づこうとします。その結果、フォームが変わったり、記録が伸びたりして初めて、変化が目に見えてきます。
生活の枠組みはかなり丈夫にできていて、習慣と惰性で固められているため、相当の覚悟で臨まないと変えにくいものです。でも、自分の描いている姿が大切であれば、日常を断ち切る非連続な発想で 挑戦しなければならないと思います。
今シーズンも、快適な健康体と楽しいスケジュールを組み合わせて、夏の基礎練習からはじめて、山へ、一心亭へ、冬のレース・シーズンへと向かいましょう。
1999年7月 小坂井 章
先ごろは渋谷さんの「スミス婦人のハンカチ」や禁酒実行日のことを読んで物事にはマナーというものが大事と触発され、6月には木曜会で山下さんからストレッチに時間をかけている話しを聞いて基本の励行に感心し、桜井さんからは6月18日の日誌風独り言を本号に掲載してもらい、なんと変化に富んだ毎日、楽しさいっぱいのやわらかな生活なのだろうと心動かされ、例会後の体育館の食堂では若林さんから若いころの気ままな欧州自転車旅行の体験を聞いて若いということの貴重さをもう一度思い知らされています。
一生懸命に自分にかなった生活ができるようにすること。そこからしか自分らしい走生活は出てこないかもしれない。心やわらかに構えて、感受性を開放してあげないと、無理・無駄・斑が日常のいろんなところに蔓延ってしまうかもしれない。考えが固まる。そんな生活の中では、臨機応変な練習はできないかもしれない。さらに、土台骨には確かな健康体が必要だ。
いろいろなことを教えてくれるタマランは、私にとってジャパンより大事になってきた。
タマラン・アズ・ナンバーワン。今後も練習後のビールが一段と楽しいだろう。元気印の皆さん、冒頭のながーい文章のように、切れ目のないお付き合いを致しましょう。
1999年8月 小坂井 章
今年も合宿へ行ってきました。茅野の奥座敷にある三井の森と常宿の横田邸は、夢にも出てこないような非日常の世界を味あわせてくれます。脚の具合がまだ治りきらないため、私は調整ランに終始しましたが、他の延べ6人の参加者は連日元気に山坂を堪能して相当の脚力をつけた模様です。その上、朝晩は「スナック渥美」の豪華メニューに酔い、3日目の女神湖では途中でのアイスクリームとレストラン女神湖駅テラスでのバーベキュー、すずらんの湯でも屋外でのタマラン・ビール、最終日には地元に定住している安里さん宅で打ちたて蕎麦をいただけるなど、どれもこれもあってはならないようなうれしいことばかりでした。
帰宅すると、冷蔵庫にただ一つ残されていたピーマンがほとんど痛んでいました。ちょっと家を空けていれば、生ま物はこうなるわけですが、私の脚も同じこと。1週間前にスポーツ・マッサージの先生が言っていましたっけ。「完治した後の練習再開は、1/3が原則である。走っていない間に生ま物同様の筋力がどんどん衰えており、故障直前と同じ練習の強度で始めればまた故障するのは必定」というわけです。
たまたまディーン・マーチンが悩ましく歌っている 「酒とバラの日々」なんか聞こえてくれば、「ビールとピーマンの日々」を送っているわたしにはとても恨めしくおもえるのです。皆さん生ま物には注意しましょう。
合宿で竹崎さんが大きな声でつぶやいていました。「これからはなんといってもケアが大事です。」
1999年9月 小坂井 章
ついに発見しました。一気に会員が倍増するはずの妙案です。タマラン・DEBU・クラブの発足です!
DEBUはデブと読みます。英語のDebut(デビュー)とは少し違いますが、自己主張の強い人とちょっとの違いは気にかけない大らかなDEBUなら、そう考えてもいいと思います。
天高く馬...ではなく、ランナー皆肥える夏が過ぎようとしています。暑いシーズンオフの夏は距離が伸びないし、ランナーの基本は元気なのだからよく飲み食いするのは相変わらずで、太る人が多いのもうなづけます。私も複数の人から、「後ろから見ているとからだが丸くなったようですね」と、(内心勝ち誇ったように)声を掛けられました。
Hさんなんか自己最高体重の水準だし、もうひとりのHさんも腹が出てきて、併走していてもハラハラします。もともと太めの別のHさんなんか、もう見るのも痛々しい感じで、並んで走っているひとは大助かりです。また、4人目のHさんと言えば、とてもランナーには見えないほどのがんばりようで、「そこまで行くか」と他人事ながら腹が立ってくるほどです。
そういう私も、故障が幸いして大分怪しい体つきになっていて、この間、片芝さんの「666」に習って「新666」が達成できるかもしれないと気がつきました。「60歳で60キロ、フルも6分ペース」というのが、「新666」です。木曜会のビルドアップでも、大体は初めから重くて動けず、おおむね、ダントツの独走で最後尾を行きます。
本題です。タマラン・DEBU・クラブを作りましょう。DEBUでもこんなに走れることをPRすれば、陰で静かに生活していた付近のDEBUたちが元気になってみんなタマランに入ってきますから、会員倍増間違いなしです。会長にはいつまでも安泰のHさんを推薦します。そして、メンバーを大DEBU、中DEBU、小DEBUにクラス分けして競走すると面白いでしょう。何しても太らない人は、失格です。
でも、私はこのクラブには入りません。なぜなら、目下、大減量作戦展開中で、朝な夕なに、走るともなく歩くともなく、とにかく動いているからです。11月には入会の資格がなくなるはずです。
1999年10月 小坂井 章
このごろはどちらを見ても「なんでもあり」になってきたなぁと思います。別にベルリンとか永田町とか言わなくても、食べ物、着るもの、遊び方まで身辺すべて、これまでの「...にふさわしい」や「...に習って」は大事でなくなり、順番や枠組みや規則の世界が霞んでいくようです。一言でいえば、「なんでもあり」が時代の流れということでしょう。
これは競争の社会では、実力がものをいうことと同時に、実力の尺度もいろいろあってよいという、二つのことを考えさせてくれました。政治ならさしづめ、下克上あり、価値観の違いありということでしょう。
では、タマランの世界ではどうか? いろんなことあり、いろんな人がいて、いろんな走り方もあり、いろんな楽しみ方もあり、いろんな練習をしているタマランについて、「なんでもあり」の10年前からのことを想起してみるのも、私にとっては結構楽しいものです。でもここでは設問だけにします。
ひとつだけつけ加えるなら、「なんでもあり」が「なんにもなし」にはなってほしくない、ということ。その分かれ目は「自分が創意工夫」し、「自分が責任を負う」という姿勢かなぁ、と思います。だから、今度バーベキュー・ランに行ったら、やっぱりビールをいっぱい飲むつもりです。
B.1995年以前の投稿文
(以下の目次から読みたい記事をクリックしてください)
小坂井 章
見ましたか? テレビでの彼一流の「一流選手論」は相変わらず元気でしたね。で、思ったんですが、私たち一般のランナーは、やりくりして走る時間を見つけ、いろいろつじつまを合わせながら自分のプログラムを最低限必要な部分だけでも消化して頑張っている。人それぞれ事情と都合があるのだけれど、いろんなことの中で工夫していることでは同じだと思う。どうしてそこまでやるのかを考えてみると、結局、それは生きていくことへの情熱なんだ。一生懸命生活して行こうとしている気持ちが暗黙のうちにみんなで感じあっている。だから、走りが三流でも、タイムやフォームや練習量にかなり問題があったとしても、大丈夫なのではないか。
第一、かなり一生懸命に取り組んで行かなければ三流のランナーにもなれはしないのだから。竹通君の言うように、「三流だから練習の手は抜くこともある」。だが、人生の過ごし方は、竹通君なんかに負けない一流だ。だから、そこでは手は抜いていない、「抜こうと思っても抜けない」、はずなのです。
そんなわけで、だれも彼も、みんな頑張って欲しい。その情熱の中からはじけるように、走りたい意欲が出てくれば、自然に素晴らしい三流なりの走りができるはずだ、と思うのです。
小坂井 章
ゆっくり長く走って、新陳代謝、酸素摂取効率をよくし、心肺機能を向上させることで、極めて丈夫なからだに変身することを目的とします。
執拗に、時間をつくりだして、自分が楽な早さで、とにかく距離を走ることです。これには生活全体に対する見通し、時間配分や優先順位を、変える必要もあるでしょう。「ランナー的生活」という言い方もありますが、その報酬はとても大きなモノであることは、実践している人ならだれでも知っています。
LSDの‘技術’は、専門家的技術ではなく、自分を向上させようとする生活態度のことだとおもいます。(小坂井)
小坂井 章
一昨年、河口湖マラソン30キロ付近で左脚膝外側に痛みを生じて、4時間以上掛かってゴールにたどりついた。腸系靭帯炎という名前は後で分かったことだが、当時は知らずにレース後にこじらせ、もうフルは絶望的とも想ったりしていました。その後、慎重に距離を伸ばして、この4月19日に再度掛川(静岡県)でフルに挑戦することとなった。目標は完全に走りきれることを実証すること。走り込みは青梅の前から始めました。30キロまでは大丈夫という目算は付いていたが、後は本番でした分からない。ところが無理のないスケジュールでこなし、行けそうな雰囲気になっていた2週間前のこと、3回目の40キロを5分ペースで終わり掛けていた38キロで「そこ」にいやな感じが出てきたのです。なんとかスタートラインにつきたい。その後は関東労災でスポーツドクターにみてもらう、アイシングとストレッチをしょっちゅうやる、マッサージで筋疲労を取るなど、忙しい調整期となりました。
一抹の不安を抱えて、雨のスタートラインにたったとき、これで失敗したら今度こそフルは無理ということだ、と自分に言い聞かせていた。靭帯炎は加齢によるのか、ケアで克服できるのか、そんなことが分かる者はいない。だから自分で答を出す必要があります。体調は万全。2時間前の朝食は十二分だ。雨でアップはしなかったが、ゆっくり出れば好い。腕時計のセットは5キロ21分20秒、そのまま20キロまで行き、少し落として30キロが2時間11分。後はからだに聴きながら行く。
スタートして5キロは、やゝゆっくり。横腹が痛いのはいつものことだ。しかし、10キロで1分ほど遅れていることに気がついた頃、時計のことどころではないことが起きた。左の膝にほんのわずかだが普通でないものを感じる。あいつが、もう現れたのか? あと30キロもあるというのに、どうやって乗り越えて行こう...。
それからの長い長い道のりと行ったらなかった。給水はすべて取り、膝と脚にはばしゃばしゃ掛けて冷やし、いつ本格的に出てくるかも知れない痛みを牽制した。出きる限り膝を使わずに、静かに走り、ひたすら時間をやり過ごす作戦で行くことにしたのです。30キロ。まだ余力は十分だ。茶畑が好く見える。しかし、絶対にペースを上げてはならない。今頑張れば必ずあいつが顔を出すだろう。35キロ。体はだいぶん重い。足がばたばたしてきた。シューズが水を被って走りにくい。沿道になん枚も「ここまできた自分に自信を持とう」と檄書が見える。まわりのランナーの息も荒くなっている。ようやく38キロだ。好くまあ、ここまできたもんだ。しかし、炎症が進めば一気に走れなくなることは知っているはずだ。とてもきつくなってきた。歩いている者も多くなってきた。40キロ。檄書は「さあ、あなただけの感動をどうぞ」と変わった。
静岡へ向かう車中、私は「フック」を読んでいた。大人になってしまったピーターパンが、再び空を飛ぶために練習を重ねるがうまく行かない。その時妖精のティンカーベルが「一つだけ幸せなことを心に想いなさい。そうすれば飛べます。」と忠告する。からだの底からエネルギーを絞り出して走りながら、私にとって幸せなことはなんだ、なにか幸せなことを考えなければ、と本気で想う。ピーターにとっては、それは離ればなれになった家族の顔だったっけ。応援してくれているはずの人達の顔が、次々と浮かぶ...。 ゴールへつながる最後の坂で、ようやくペースを上げる気になった。実際は上がっていないのだが、間違いなく次のマラソンへ行けるという安堵感が気を楽にさせてくれたのでしょう。
針の穴を通すように神経を使いながら、半年の準備をし、ようやく完走。にぎわうグランドを歩きながら、幸せなことを想えば本当に空を飛べるのだ、と本気で感激いたしました。
小坂井 章
次の記事は、峠を越したかなと感じているメンバー、ランニングはもう十分だと思っている人だけがこっそりお読み下さい。カモメのジョナサンはワープもできる仙人カモメになりましたが、これを読み理解すれば、あなたも走りの極意に近づき、さらなる高みに登って行けることでしょう。(古伝の日本武術の術技と思想を専門とする甲野善紀著「身体のハイテク−古伝の武術」より抄訳)
...近代になって、ほとんどの武術が、加納治五郎の「術の小乗を脱して、道の大乗へ」という言葉に強く影響され、いっせいに道を強調し、その結果、単なる反復練習の延長線上には決して存在し得ない術の世界が衰亡しかかっている...精神論をスローガンとして前面に出し、「出来ねば無意味」という武術の原点をぼかしてしまっている...
現代武道では、どうしても「より速く、より強く」なろうとするが、深い人間研究によって組み上げられた古伝の武術では、こうした「速く、強く」ということを短絡的に追い求めると、術としての動きが育たず、単なる反射や筋力の限界で壁が出来てしまうことが十分に知られていたようである。術としての完成度の高い柔術の流派ほど、いわゆるナマの力(ウェイト・トレーニング等でつく筋力)は嫌ったものである。
では、どういう力を用いたのであろうか。その術と呼べるほどの身体運動によって生み出される力(術の力)、それはもとより、「瞑想によって得られる心の力」などという抽象的なものではない。...
本来の術の力とは身体の動きが質的に転換したときに生ずるものであり、それは地面を蹴って進んでいた初期の自転車と、チェーンと歯車によって、極めて効率よく走るようになった現代の自転車ほどに違うものである。...
古伝の武術の名言に「我ガアル故にニ敵アリ 我ガナケレバ敵モナシ」というのがあるが、自分の姿勢を保とうとして、地面をふんばって立っていたのでは、その「我」(これをガと読めばいっそう感じが出る)を消すことは難しい。
この我を消す体捌き、足捌きは、...「水鳥の足(両足をふんばることなく同時に動く足捌き出で、四心多久間流柔術に「無足の法」として伝えられているものとほゞ同質のものである。
こうした足捌きを基にして、身体各部が遅速なくピタリと一つの調子で動いたとき、その動きは相手の目から「消える」のである。...
...精妙な武術の動きは、ノルマをかけて強制するような稽古法や、単なる反復稽古では決して育つものではない。...
...精妙な武術の動きは、すぐれた芸術作品と同じように何よりもセンスを磨くことが重要であり、無理にノルマを負わせて感性を鈍らせるような方法では育つはずがない(他目には一見ノルマを課しているように見える場合があるかも知れないが、稽古法が的を射ていれば、それは稽古する者の意欲と自発性を十二分に引き出しているものである。)...
武術という、個人の特性を最大限に引き出すことを目的に稽古しているものと、一個の部品として命令に従順になることを第一に訓練する軍隊とは、本来まったく違うものである...
日本における武とは、つきつめれば「肯心自ら許す(自分にとって、より深く、より納得の出きる)人との対応ができるか」ということでもあり、これは命のやりとりという極限的なものから、ごく日常の対人関係に至るすべての場において言えることである。...
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この記事を読まないで済ました、いま登り坂を行く新人諸君は、この記事を読んだ、下り道を降りてくる仲間達を決して侮ってはいけない。君が峠を越した頃、きっと仙人ランナー達が助けてくれるから...
小坂井 章
昔むかし、中村清という偉い先生が、走ることの芸術性を説いたことがありました。そのとき、瀬古選手のなめらかな走りはスポーツの領域を越えたかのように思えたものでした。
先月の会報で荒木さんが、ランナーは一人ひとりが芸術的作品なのでは、と書いています。確かに、意識するしないにかかわらず、自分を作品に見立てて磨き上げるようなところがランニングにはあるので、私のような駄作もあるけれど、みんな芸術品であることは間違いなさそうです。
ただ、芸術の価値からいえば、創意工夫があるか、ひらめきが感じられるかでだいぶん違っても来ようというものです。ベテランたちが前者に優れているとすれば、月に100キロも走っていない「鼻たれランナー」は、さしづめ無垢のままの素材が活きている芸術品というところか。
数日前の夜、グランドで相馬さんが、高度なランニング技術をコーチしているところを見掛けました。スタート直後のペースの入り方やカーブのとり方、他のランナーを抜くときの呼吸、腕の振り、腿の引き上げ、下腹の力のいれ具合、、、芸術品になるのは大変のようですが、少なくとも向上心は失わないことが大切。レーサー、ランナー、ジョガーとも、それぞれの「秋」に向けて、いわば「血中芸術家濃度」を高めていこうではありませんか。
小坂井 章
近くにも森はいっぱいあります。8月に予定しています今年2回目のマラニックは、熱いご期待に応えて、さらにやさしい、さらに楽しいコースを考えたーい。で、ちょっとジョギングして行きたいところがあったら教えて下さい。いま候補に上っているのは、森林公園、桧原村(数馬の里)、日の出山方面のひなびた温泉、湘南のジョギングコース(これは森ではないが)、、、。放っておくと、ベテランたちがタフなコースを持ち込むことにもなり、ヘイヘイホーとはいかなくなる。
小坂井 章
著名なコーチ、パーシー・セラティーは言っています。−重要なのは到達することではなく、そこに到達する道筋である、と。「月に100キロ」の目標は生活の中に刻まれているでしょうか? 初心忘れるべからず。自分の目標を見据えて、焦らず、たゆまぬ努力をする。そこに自分だけのかけがえない勝利がある!
ついでに、阿久 悠さんにかわり、「走る詩人に拍手を!」を添えて、心からの激励といたします。(小坂井)
拍手を
風の姿をした勝者のために拍手を
賞賛と羨望を半分ずつ
風になれないロマンチストから
拍手を
なぜ走るのかという偉大な不可解を
不可解のまま納得させてしまう
すばらしい勝者に
地球の残り少ないロマンチストとして
これは
永遠の不可解にしておこう
なぜなら
また走る姿を見たいから
42キロ195メートル
あなたは
その足裏で地球の言葉を聴き
それをぼくらに伝えてくれたのだ
拍手を
走る詩人に拍手を
小坂井 章
36歳のときに私が走り始めたのは暇潰し、つまりレジャー活動ではない。差し迫った美容上の必要、せり出てきた腹を原形に復元するという、整形行為に他ならなかった。そのころは日野に住んでいて、駅からアパートまでの500メートルほどの坂道を背広のままジョギングで往き来したり、勤めていた会社がある8階まで駆け上ったりした他に、ときどき昼飯を抜いたりしていた。転居して図らずも玉川上水に巡り会ったのが、1976年の暮れも押し詰まった頃。ここで、行き交う走人達と次第に輪が広がることになる。やがて、好きだから走り続けるという遊び心と、暇さえあれば走るというとりとめのないレジャー活動に変わってくる。今年で16年目。なんだか折り返し点をまわるような気がする。
1984年の3月に、玉川上水沿いで、それぞれがいろいろな想いを持ちながらタマランが生まれたが、草創期の1年は、健康ランニング目的の人と早い人優先のエリート主義が混在して、ちぐはぐな難しい時期を乗り越えなければならなかった。「玉川上水ランナーズクラブ」と「タマラン」の言い出しっぺを引き受けた手前、この時だけは私のわがままをお許し頂き、15名の「自分の健康のために走る」ことができる方だけに残ってもらい、ようやく2年目が始まった。
以後、メンバーの意志をできる限り尊重する姿勢、柔軟で自由な、拘束の少ない仲間づくりを大切にしながら、タマランは10周年を迎えている。
でも、30余名になった仲間達は、「健康のために」だけで入会しているわけではない。多士済々な顔ぶれを想えば、「健康」は広く門戸を開けておくための‘リトマス試験紙’ではなかったかと感じる。つまり、健康な人が参加するサークル、の方が実態に近いようなのだ。
日頃のストレス解消の為に走っている「休息ランナー」、記録と距離と練習内容で目標意識の強い頑張り屋の「固執ランナー」、道具と走りに工夫を凝らす「手仕事タイプ」、いろんなクラブで活動している交際好きの「社交派」、栄養や筋肉に詳しい「知性派」、バーベキューは好きで苦しいレースは嫌いな「快楽派ジョガー」、負けるのが大嫌いのレーサー・タイプの「競争者」。まさに多彩なタマランの面々は、‘たてまえ’スローガンの健康そっちのけで活動している。ただ、「健康」はエリート主義を排除するための暗証、向上心のない逃避型の暇潰しと決別するためのパスワードにはなったようだ。
顔も性格も生活も様々だから、お気づきのように、走り始めた動機や目的は一つではないし、いつまでも同じでもない。「整形」しながら、走後の美味しいビールも飲みたいし、自己新にも魅力はある。大勢のマラニックも捨て難いが、独りでレースに行くのもエキサイティングだし、小人数でゆっくり渓谷を走るのなんか実にファンタジックである。気恥ずかしいような新調のシューズも次のビッグ・レース用に大事そうにしまってあるが、かといって毎日の汚いジョギング・シューズだってとても大切なんだ。
捕まえどころのない仲間達のランナー的生活がどんなものかについて際限なく考えを巡らせるのは、いい加減にしよう。元気ならば、それでよいのだから。
でも、折り返しの印に、少しだけ気取って、メンバー共通のパフォーマンスは、結局、「自分の心と身体を玉川上水の水と空気と土と、樹木の緑でカクテルにして、自分しか出せない味を出すことだった」、と身勝手な結論でも書いてから、復路に向かいましょうか。
1993年7月 小坂井 章
仕事と親孝行とマラソン。家族4人のアメリカ行きは、3つの目的を一挙に済ます魂胆の格安旅行でした。
マラソンは3月7日。4日にロス入りしてすぐに、ゼッケンを受け取り、エントリー費を支払い、参加賞をもらう。予定走破タイム別に3種類のカラーのラインで識別してあるゼッケンは、前だけの1枚でちいさめ。びっくりしたのはビニール袋いっぱいの参加賞の品々。菓子、化粧品、薬を中心に如何に多くのスポンサーが応援しているかがわかる内容だ。
本番まで、いちばん苦労したのは時差ボケより、食べ過ぎて調子崩さないこと。いろいろと食べてみたい気持ちもあり、とても多量の料理を控えたいという気持ちもあって、だんだん不安になってくる。と同時に、これでおもいっきり楽しく走れると覚悟もできる。
日中の気候はほとんど夏。ホテルをまわる朝ジョグの頃は涼しいけれど、レースは酷暑マラソンまちがいなしと予想を立てる。
ロスはマイ・カーでしか動けない街だ。バスは路線が複雑で遅いし、タクシーは高いし流しもない。地下鉄も1本できただけだし、歩き回るには余りにも広く、危険も大きい。仕事のパートナーである友人が、はかりしれないほどの便宜を図ってくれなければ、制約ある日程内での単独行はまず不可能。
当日6時半頃にレース会場のあるコンベンションセンター近くの駐車場にはいる。陽に当たりすぎないようにしながら、だんだん盛り上がってくるあたりの様子を見つつ、初体験の2万人のマラソンを静かに待つ。暑い(27度)のでアップなし、体操だけで、あとは何となくうろうろとあちこち見てまわる。ウォーキングや車椅子が先にスタートを切る。9時10分のスタート時間が近づいた。サービスのミネラルウォーターを1本もらって飲みながら、自分の位置へはいる。レース管理はとてもよさそうで、道路の広さもあり、人の流れはよい。市長と大会委員長の簡単な挨拶のあと、号砲。モハメッド・アリが妙に威厳のある顔つきでランナーを祝福する中、私はどんなマラソンになるのかわくわくしながら走りだした。
今日も、前半は調子がいい。「人種の坩堝」といわれるこの街の様々な顔と声が広い沿道を埋め尽くしている。Good job! Looking
good! Go go go!
今走っているのは30キロぐらいの所(らしい)。これまでずっと沿道の人垣が続いてきた。賑やかなメキシカンの声援は特に目立つ。しばらくまえまで、予定通りのペース(4’30”)で進んできた(はずだ)。多彩な音楽と踊りが、ほとんど切れ目ない感じで見聞きできた。はっぴ姿の鬼太鼓も2カ所で見かけ、特別な感傷を味わった。リズム感とランはこんなにうまくマッチするのか。おかげで前半は、少し走りすぎた気もする。
距離表示がマイルだ。係員が時折、キロも併せて叫んでくれる。疲れてきたし、余りにも賑やかで、しかも英語ときているからうまく聞こえない。どこを走っているか分からなくなってきた。ストップウォッチまで操作失敗してゼロに戻ってしまった。こうなったらとにかくこのまま走り続けるだけと、自分に言い聞かせて、ふんだんに水をもらい、頻繁に飲み、脚にかけ、頭からもかぶる。体調は非常によい。が、なぜか脚が鉛のようになってくる。周囲のランナーたちが止まった。マイルをキロに換算する作業はつらいのでとっくにやめていた。からだ中ずぶぬれの感じだが、微風がさわやかだ。そのうち、ランナー達は私をどんどん追い越しはじめていた。
残り5キロはキロ6−7分に落ちていたはずだ。「玉川上水がんばって」とうれしい日本語の応援が耳にとびこんできた。「ありがとう」。まだ音楽は続いていた。呼吸は短く、浅く、忙しいが、意識は大丈夫。ゴールに近づいたらしいことが、ぎらぎら輝く太陽と、激しさを増したきた沿道の応援でわかったときは、ただただ、ここまできて歩くわけには行かないという内からの声が身体を運んでくれた。
ロサンゼルス・マラソンは原色のお祭。タイムは3時間26分52秒、完走者1万4000人中799位、50歳代700人中29位。
走りきってよかった!
その日は、街は10時間の交通規制をしいており、クルマ社会の中心部は完全に麻痺していたが、楽しげにゴールに向かって歩く人の長い列も、大勢の熱心なボランティアも係員も、沿道の応援者も、「全ての人が‘勝者’になる」という大会の主旨を理解していて誇らしげだった。
1993年10月 小坂井 章
マラソンは根性では走れない。マラソンは人生の縮図だから。マラソンは激しくもあり、それがまたうれしくもある。でも、そうあるためには、十分な練習の苦労を味わい、思い通りの元気なからだでスタートに立つことが必要です。走り込み期が終わりつつある人を念頭にいれたレース前1ヶ月の過ごし方は、例えばこんなものになるでしょう。
1.1ヶ月前から直前まで。1−3ヶ月積み上げてきたスタミナやスピード感を保ちながら、疲れをとり、バランスを失わず、走りたい意欲を呼び戻す。もっと積極的には、レース・スピードをしっかりからだに覚えさせるために、距離のはっきりしているところでペース走を繰り返す。これがレースまでのリズム。原則的には、走距離と内容(質)を少しずつ落としながら、本来の力が出る状態にする。強敵は、今までと同じような食生活だと体重が増えること。それから、脚筋力や無酸素での走力はかなり短期間に落ちていくこと(スピードがなくなる)。そこで、2000−5000、または10キロ程度のペース走(4時間を切りたい人なら5分30秒)と60分−90分のロング・ジョグを適当に組み合わせて、カロリーを消化し、リズム感を忘れず、心肺機能を働かせながら過ごすことになる。もちろん、筋トレはもうしない。ストレッチやマッサージは大歓迎。週に1−2日の完全休養もよいだろう。そしてときどき流し(100−150m)をいれ、1−2度のタイムトライアルも(5キロが限度)ができるようなら上等だ。1週間前からの高蛋白、3−4日前からのハイカーボは「利く人には利く」が、慣れていない人はハイカーボ(3日前からのエネルギー蓄積)だけをお薦めしたい。スタートに着いたとき、レースの半分以上は終わっている。
2.レース。レースは集中力とリズムで走るものだ。集中力は自信からも生まれる。走りきるぞ、と強く心に思えば、身体は走る前から準備態勢にはいるそうだ。当然スタート後の立ち上がりが早くなる。その意味での根性なら、確かに根性でマラソンが走れるという部分はある。「リズム」はすでに身体が覚えている動きで走るということだから、マイペース、イーブン・ペース、冷静沈着を心掛け、ガス欠やまめや脱水など、リズムが狂う可能性があるものはいっさい避けておくことが大切だ。ゴールに入ったとき、最低、3分の1の気力は残しておこう。精も魂も尽き果てるのは、まだ修行が足りない。
3.レース後。明日がある身なのだから、早く体力を回復しよう。3分の1の気力さえあれば、また、バランスのとれた練習が再開できる。それは、走る前にストレッチ、走ったらストレッチ、時間をこまめに見つけて筋トレやストレッチでからだの手入れを行うこと。悪い信号には耳を傾けて、心配をひとつずつなくしながら継続すること。最後に勝つものが真に笑う。だれに勝つのか?最大の敵は己なのだ。
小坂井 章
一時間に65ミリという記録的な豪雨が大手町を襲った。その11号が通り過ぎた快晴の翌朝、90分のジョグ。9月というのにやっと夏らしい日がきたような光、空気。上水の土手は、緑のままのまだ元気そうな葉と、たくさんの枝があたりかまわず散らばっている。おととい小金井で30キロやったときに左の足首をひねっているので、用心しながら行く。今日の狙いは、ぼつぼつフル向けに意識したフォーム走と、仕上がり具合のチェック用に用意した明日の岩井20キロのための積極的休養。
時計を考えずに動いているときは、いろんなことに気がつくし、自由時間がいっぱいあるような感じになって、とても好きだし、ためにもなる。例えば今日は、足首を中心にしてその先の動きとすねの使い方について、言葉でいうのはちょっと難しい好い感覚をつかむことができた。わが家で「チョンラン」といっている朝鮮大そばのにんにくの超多いラーメン屋が東華園という名前だったことも知ったし、中央公園で「ディフェンス93」という防災フェアをやること、10時に来れば鈴木囃子が聞けることも分かった。
元気なうちでも、台風がきておっこってしまう枝もたくさんあるのだから、それはそれで仕方ないのだけれども、できるだけ夏は夏を経験し、秋も冬も、それらしいものをやり過ごしながら行きたいものだと思う。
鎌倉橋に戻ってきたときには、気持ちのよい汗をたっぷりかき、からだの動きは軽くなっていた。
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