2. 「吹奏楽」について考える(2)
前回お話しした通り,軍楽隊を基盤として発祥,発展し,一定の地位を築き上げた吹奏楽ですが,20世紀に入り新たな側面が展開されます。
それはアメリカでのことです。諸外国に比べて圧倒的に歴史が浅く,独自の文化といえるものをなかなか持てなかったアメリカでは,新文化を構築する一つの媒体として,吹奏楽が取り上げられ,とりわけ学校教育のなかで積極的に吹奏楽活動が行われるようになってきました。
吹奏楽は学校教育にとても適している演奏形態です。その理由として,1つは,管楽器は弦楽器に比べて“一定水準の技術の習得が比較的容易”という特長が挙げられます。誤解を避けるためにも詳しく説明するしますが,これは楽器そのものの難易をいっているわけではありません。例えば,トレミファソラシドや簡単な楽曲を演奏するのまでにも数週間〜数ヶ月を要する金管楽器と,鍵盤を弾けば一通りの音が得られるピアノとでは,ピアノのほうが“一定水準に容易に達する”ということができます。しかし,だからといってピアノが“簡単な楽器”だという人はいないですよね。同様の観点から,導入段階において,管楽器のほうが弦楽器に比べて一定水準に比較的容易に達するということができます。このことは,楽器の訓練に割ける時間が限られている学校教育において大きなアドバンテージを生み出しました。
別の理由としては,編成の設定が比較的柔軟ということも挙げられましょう。管弦楽(オーケストラ)においては,楽曲ごとに編成の定員が(特に管楽器は)細かく規定されていますが,これでは学校の規模など,状況によって人数が変動する学校教育の現場にはそぐいません。アメリカでは授業の一環として吹奏楽活動が行われてきていますので「あなたはこの曲は出番なし」としてしまうのは,あまりに不都合でした。その点(芸術的な善し悪しはひとまず措いておきます。あくまで教育現場の話です)人員を重ねて編成を拡大しても,ある程度は均質な効果が得られる吹奏楽編成は,とても都合が良かったのです。
管弦楽との比較でさらに述べるとすれば,管弦楽の管楽器パートは常に“ソロパート”なのに対して,学校教育における吹奏楽では,多くの場合それぞれのパートを複数の人数で演奏します。授業としての吹奏楽活動は,時間練習も限られるので,技術的にも未熟になってしまうのは致し方ない面もあります。そのような状況において,時に協力し合い,時に助け合いながら,同じパートを複数人数で演奏できるということも,教育現場にとても良く適応しました。
ここまで,弦楽器や管弦楽との比較の話が続いてしまいましたが,前回のコラムでも述べたとおり,軍楽隊が管弦楽のレパートリーを演奏できるようにすることを企図して編成を発展させてきたという経緯を思い出してみてください。
さて,日本においての学校吹奏楽活動は,戦後,授業ではなく,部活動という形で発展してきました。各年代ごとに,吹奏楽の普及・発展に力を注がれた多くの関係者の努力の結果(特に,発展途上の段階において,環境面,経済面,社会的認知など,とれも不十分な状況のなか尽力された諸先生方への尊敬と感謝の念は,尽きることがありません),その規模は拡大の一途ををたどり,現在の隆盛を誇っているのはご存じの通りでしょう。
現在,全日本吹奏楽連盟には1万4千を超える団体が登録されており,うち約1万2千団体を小学校,中学,高校,大学のスクールバンドが占めています。それ以外の職場,一般バンドの構成メンバーも,ほぼ全員がスクールバンドの出身者ということができるでしょう。日本全国の吹奏楽経験人口は,すでに1千万人を超えるとも言われており,単純に計算すると全人口の8%以上,吹奏楽経験者がいる世帯の割合となると,さらに大きな数字が得られることでしょう。
今回は学校吹奏楽に主眼を置いてお話ししてきましたが,次回は,またちょっと違った角度から「吹奏楽」について考察してみたいと思います。