ふにょきもの経歴
| ◆管理人の名前 |
「清正謀叛!」といいます。以後おみしりおきのほど。 |
| ◆名前の由来 |
| え〜、実はですねこのゲームの武将の中で一番のお気に入りが加藤清正なんです。 だいたい、このゲームを初めてやる人はみんなそうだと思うんですが、どの武将が能力がいいのか分からないですよね。でもって説明書に載っている昌幸や半兵衛、如水などの武将をとりあえず配下にしたりしましたよね。それで徐々に光秀やら秀吉なども使えるんだなと分かってきたりして、寝返らせたりして使うんですが、しかし!半兵衛はまあいいとして、昌幸はおやじ顔、光秀は金柑頭、秀吉は猿面冠者、如水に至っては「安国寺の糞坊主」(当時恵瓊の能力を知らずに使って部隊が壊滅し口癖になってました)と同じじゃないか! まあ基本的にこのゲームに快男児は少ないんですが、そんな中清正は違ってました。鋭い眼光、引き締まった頬、精悍な髭、知性を感じさせる烏帽子(でいいのかな?)。 高い政治力と何よりずば抜けた戦闘能力を有した無双の武将(今思うと作戦を5にして欲しかったけど)。初めて雇用したとき思わず惚れ込んでしまいました。上杉謙信と互角に戦える唯一の配下武将だったのも痺れました。 そんな清正を配下にして、後少しで初めて不如帰をクリアという所まできていたんです。「ついに初めて統一だな、清正お前と共に戦えてよかったぜい」と感無量になりかけた1625年の計略前・・その事件は起こったのです。 「きよまさ むほん!」 はうううっ・・・き・きよまさあぁぁぁぁ・・・当時律儀な私は、ゲーム終了時までノーセーブでプレイしていました。そしてその日は1590年代からノーセーブでした。その時不如帰の他のゲームにはない厳しさと儚さを教わりました。 で、管理人の名前はその時の出来事から取っています。長々と書く程でも無かったですね。 |
| ◆不如帰との出会い |
不如帰との出会いは私が浪人のときでした。当時私の兄がナムコの三国志(1か2かは忘れました)を購入するというので、密かに私もそれを狙っていたのですが、私は兄の薦め(脅迫)で不如帰を購入するはめになってしまったのです。しかしそれが私の「ふにょきもの」人生を決定するとは当時、露とも思いませんでした。 最初は慣れないシステムと武将の能力値がまったくわからない為、試行錯誤を繰り返しながらゲームをしていました。最初に選んだ大名は上杉謙信で、能力配分は説明書に作戦能力が高いと書いてあったので、作戦5戦闘3政治1魅力1でした。そして今では絶対に行わないこの能力配分は武闘派揃い(政治オンチ)の上杉家では序盤が非常に苦しかったことを憶えています。なにせ回りは作戦能力が非常に高い名将揃いの激戦区。作戦5ではまったく敵城塞値が減りません(汗 しかし昌幸を配下にしてから状況は一変。兵糧攻めに弱い長野を降し、宇都宮を屠り、葦名を駆逐し瞬く間に東日本を統一する勢いです。しかしそこで待ち受けていたのは、城塞値60、作戦6、政治6という不如帰最大の障壁、氏康率いる北条家でした。 今では対北条での定番、おとり国をわざと取らせ一網打尽にしたり、秀吉を使っての兵糧攻めというのを知らず、なんと10年もの年月を費やしてしまったのであった。 しかもその北条を潰してからは快進撃と思いきや、南から不如帰最強の軍団(武田・上杉が伸び悩むので実質最強かと・・・)がヒタヒタと押し寄せてきていたのです。そう万能型当主の貴久、不健康な顔で相手を威嚇する謀将義久、そして島津家数々の武功をうちたてた名将義弘という隙の無い武将に率いられた、島津軍団である。 奴らとの戦いは激戦に次ぐ激戦、貯めこんだ鉄砲を一気に失う失態をみせながらも、美濃での関が原の合戦を制し、軍団を再編成し怒涛の追撃戦を敢行しようとしたその時・・・ 「1636ねん うえすぎけんしん いせにて だいおうじょう」 むう、このゲームにも寿命があったのか、では何故貴久は・・・という思いが無かったといえば嘘になるが、それ以上にゲーム終盤になっても保たれる滅亡に対する緊張感とスピィーディーな戦闘、そしてマスクデータが多かった為いろいろ想像しながら自分のプレイを楽しめました。 そして気が付けばもう不如帰に魅せられてまして、その状態が15年後の今も持続・成長しているという次第です。 |