黒蝶の戦略
ジャコウアゲハの超能力
Strategy of Black Butterfly

黒く妖艶なアゲハチョウ、ジャコウアゲハの幼虫はウマノスズクサを食草としている。でも単に食べるだけではなく一生にわたって大変な恩恵をこの植物から得ている。その鍵になる化合物がウマノスズクサの作るアリストロキア酸という小さな分子である。

大方の読者はジャコウアゲハをご存知と思うが、中にはその姿を見たことも無い方もおられるかもしれない。この蝶は写真に見るように黒い翅を持ち、後ろ翅の周縁部には数個の橙色の斑点があり、胴体部に赤と黒の斑模様がある。毒々しい感じもするがひらひらとゆっくり舞う姿はたいへん優雅である。蛹で越冬し初夏から夏にかけて羽化する。名前の由来はオスが発する匂いが鹿の麝香に似るからだと言う。

さてこの話に登場するもう一人の相手役、植物のウマノスズクサにいたっては多くの読者は意識して見たことはないのではないのだろうか。多年生のつる草でちょっと見はヒルガオ、ヘクソカズラ、ヤマノイモなどに似ているが互生する葉の先端部が丸みを帯びている。夏に開く小さな小豆色の毛深い花は目立たないが写真に見るように金管楽器のチューバのような大変変わった形をしている。熟した果実が馬の首にかける鈴に似ているのがこの名の由来である。花に生える毛は内側を向いていて一旦入った昆虫は後戻りが出来ない。花の付け根に球形のふくらみがあり、誘導された虫はこの中に閉じ込められる。花粉が出来て花が萎れて、花粉をまとった虫はやっと解放される仕組みになっている。


ウマノスズクサの花、花の色は小豆色、直径は
1センチほどで目立たない。
花の付け根に丸いこぶがある。葉の輪郭はロバの顔に似ている。

以前、たまたま私は家の近くの公園でジャコウアゲハの蛹が羽化する様子を観察する機会があった。終令期の幼虫は蛹化の時期が近づくと何故か食草を離れ地上を這って何メートルも離れたところにある建物の南向きのモルタル壁に攀じ登る。高いのは23メートルも登るのである。そこで細い釣り糸のような白い糸を吐いて自分の身体を壁に固定して蛹化する。壁への接着部は黒いタールのような基礎構造がしっかりと塗りつけられている。その姿はさながら後ろ手に縛られて壁に括られたようで番町皿屋敷のお菊を髣髴させる。そんなことから「お菊虫」という別名がついている。

ジャコウアゲハの幼虫 白い斑点のある黒褐色の胴体からは沢山の突起が突き出しており、
いかにもおぞましい感じがする。先端の二つの突起には眼と思われるものがついている。
ウマノスズクサの葉のみならず茎も丸かじりする。




さなぎ 建物の白いモルタル壁に固定された蛹。写真では見難いが白い糸で括りつけられて
上半身がオーバーハングしている。襞のある裾、「お菊虫」の名前も頷ける姿である。
下は羽化を1日後にひかえた蛹、はっきりと黒ずんだ体色が透けて見える。


私が最初見つけた時、蛹は黄褐色だった。これが23日後には黒味を帯びて来て羽化が近いことを知った。翌日荒天下で羽化した成虫は私の助けを借りて草の茂みにぶるさがった。翌日には見違えるようにきれいに伸びてひらひらと舞って私を感動させた。私の見た羽化のドラマ(変身)である。こんなきっかけでこの蝶について調べてみた。

羽化 運悪く雨の日に羽化した成虫は地に落ち、翅もくしゃくしゃ、哀れな姿である。


でも翌日の午後には翅は完全に伸び見違えるように美しくなった。

調べてみると実はこのジャコウアゲハとウマノスズクサには切っても切れぬ深い関係があるらしい。ジャコウアゲハの幼虫はウマノスズクサの葉や茎を食べて育つ。全身に突起があり見るからに恐ろしい姿をしている。4回の脱皮を経て幼虫は蛹になり羽化して成虫になるが、交尾したメスは必ずジャコウアゲハの葉の裏側に産卵するという。

さて最初の疑問はジャコウアゲハのメスは数限りない草の中からどうやってウマノスズクサを見分けているのだろうか。実はこの研究は私の知人である京都大学(化学生態学研究室)の深見浩さんによってすでに行われていた。彼はこんな実験をしたのである。ウマノスズクサの抽出物をろ紙に吸い込ませるとジャコウアゲハのメスは何とそのろ紙に産卵を始めた。そこで抽出物の成分を分割して調べて行くと二つの成分に辿りついた。一つはアリストロキア酸、もう一つはセコイトールという物質だった。どちらか一方ではだめで、この二つの物質を混在させた場合にのみメスは産卵した。
この二つの物質についてもう少し詳しく説明しよう。アリストロキア酸はちょっと変わった構造を持つ植物アルカロイドで、数ある植物の中でウマノスズクサだけに含まれる。この名前はウマノスズクサの学名Aristolochia debilisから来ている。一方セコイトールはスギ科の落葉大木セコイアにも含まれるありふれた化合物である。二つの物質がどう関係しあっているのかはまだはっきりしないが、どうやらウマノスズクサの指標になっているのはこの植物に特有のアリストロキア酸であると言えそうである。

左:アリストロキア酸の化学構造。植物アルカロイドの一種であるが、ニトロ基(NO2)をもつ化合物は生物界では大変珍しい。
右:セコイトールの化学構造。イノシトール系の化合物で同類は生物に広く分布する。


肢で嗅ぐ!

ではジャコウアゲハはどのようにしてアリストロキア酸を識別しているのだろうか。オスとメスの前肢を比べるとメスの前肢には多数の針のような毛があり、メスはこの前肢で葉の表面をひっかいて傷をつける。前肢の毛にマニキュアを塗ってコートすると産卵しなくなるので前肢に感覚器官があると推定される。肢で匂いが嗅げるものか?最近、農業生物資源研究所でこれを研究した人がいて(蝶の味覚受容)、オスの前肢になくてメスの前肢にあるタンパク質をみつけ出した。そしてこのタンパク質は実際にアリストロキア酸だけに結合することがわかった。

毒で武装する

この話はこれでは終らない。アリストロキア酸は単なるウマノスズクサのマーカーというだけではなかった。この物質には強い毒性があったのである。人について言えばこの物質は中国産の漢方薬にも含まれるが腎不全をもたらすので注意が喚起されている。発がん性があるという説もある。日本で市販されている漢方薬はこれが除かれているというが注意したほうがよい。ウマノスズクサはこの毒を作ることで昆虫による食害から身を守っていると言えるが、ジャコウアゲハはその裏をかいて毒に対する耐性を獲得し逆に利用しているのだ。つまりジャコウアゲハの幼虫はウマノスズクサのアリストロキア酸をせっせと食べて体内に蓄積して小鳥などの天敵から身を守っているのだ。さらにメスはウマノスズクサに産卵する際、産んだ卵にアリストロキア酸を含むクリームを塗布して外敵から守るという念の入れようである。孵化した幼虫はまずこの卵の殻を食べて効率的に毒で武装する。


ここで賢明なる読者はいくつかの疑問を投げかけることだろう。その第一はどうしてジャコウアゲハはアリストロキア酸の毒にやられないの?だろう。おそらくジャコウアゲハはアリストロキア酸の作用する部位の構造が他の生物とは違っていてアリストロキア酸に対して鈍感なのだろうというのが一つの推測だが、これについてはまったく分っていない。まずはアリストロキア酸の作用部位が明らかにならないことには話にならない。これに関連して思い出すのはあの有名なフグの毒である。フグが自分で毒を作るわけではない。フグは海洋微生物の作る毒を食物連鎖をへて体内に蓄積する。フグはこの猛毒に対して平気である。毒が作用する神経系のナトリウムチャンネルの構造が他の生物とちょっと違って特別に出来ており、フグ毒が入り込めないのだという説が有力である。

次の質問は小鳥はどうしてジャコウアゲハが毒を持っていることがわかるの?だろう。写真に見るようにジャコウアゲハは幼虫も成虫も特別に目立つ色彩を持っている。これを警戒色と言って小鳥は学習しているのだという説がある。しかし学習したものは遺伝しないというのが常識、親から受け継いだものではない。学習したとすれば親から教育されたか、自分自身が一度はそれを啄ばんで手ひどい目にあったか、あるいはひどい目にあった仲間の姿を見て忘れがたく記憶しているということだろうか。それともアリストロキア酸は小鳥にとって嫌な匂い、あるいは刺激物として作用し小鳥はこれを敬遠するのかもしれない。これに関連して面白い話がある。アゲハモドキという蝶はその姿がジャコウアゲハにそっくりである。小鳥もだまされて敬遠する。これを擬態と言っているが、アゲハモドキは意識的に狡賢くジャコウアゲハを真似ているわけではあるまい。たまたま姿が似ているので得をしているにすぎないのだろう。

さらに賢明なる読者はこんな質問をする筈だ。ウマノスズクサはやられっぱなしなの?う〜ん、ウマノスズクサがこのジャコウアゲハとの関係でなんらかのメリットを得ているとすると、これはとんでもないどんでん返しだ。食べられるかわりにジャコウアゲハからどんなおみやげをもらうのだろう?

自然界における生物の営みははかり知れぬドラマに満ちている。不思議な現象を目の当たりにする時、そしてそれを解き明かした時、何時も大きな感動が待っている。

Uploaded August 7, 2005


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