障害者・病者とその家族のドキュメント


工藤美代子、それにつけても今朝の骨肉、筑摩書房、2006年
 工藤は1950年生まれ、兄の茂雄は1946年生まれ。兄は1949年に日本脳炎を患い、半身麻痺、知的障害、視覚障害となった。この本は、障害の兄をめぐる家族の物語ではなく、そんな離婚した父と、その父との軋轢を持ちながら支え合う家族の物語である。障害の兄について、多く語られていない。日本脳炎という病気は、昭和40年前後に子ども時代を過ごした自分にとって、聞き覚えのある言葉(病気)である。詳しくは知らなかったが、「脳」という言葉に恐い病気と思った記憶がある。施設入所、帰宅して家で世話をする家族、家を離れた父が送ってくる雑誌を破って気持ちを紛らわす障害の兄。父は、障害のある男児に代わり男児で生まれてくることを期待していて、美代子が生まれた。そこに父と美代子の軋轢の発端があった。この本にあって、障害の兄は部分にすぎないが、中心でないだけに、兄が登場する場面における障害の記述が私には重く伝わってくる。美代子が小学校時代、「私は子供ながら疲れはてた」p26。障害の兄の存在が、家族、そして妹美代子にのしかかっている。

本人
「潜水服は蝶の夢を見る」
ジャン=ドミニック・ボービー 講談社、1998
 
10年前に出版された本。映画化されたことで光があたり、自分も読むことができた。良い本である。脳梗塞で身動きできなくなった著者、簡素でユーモアがあって、苦しい状況にある自分がどのように「生=精神の安定」を保っているか。潜水服のように身動きできない中で、蝶のような自由さで考えて、想像力を働かせ、夢想する。
 映画の原作であっても、映画とは違う人生と障害を語っている。映画とは独立し、映画・このエッセイがぞれぞれ独立したよい物語となっている。

本人
「一九八一年の黒船 JDと障害者運動の四半世紀」花田春兆、現代書館、2008年
読みました。
 私が大学で障害児教育を学んだ4年間、その間に1979年養護学校義務制、1981年国際障害者年がありました。この本に綴られた年月は、自分の障害児教育との関わりの年月と重なります。春兆先生が、ご自分が書きたい流れで書き留められたこの記録は、もう「歴史」となっています。30年内の出来事が、もう歴史となっています。JDの歴史であり、春兆先生の歴史であり、障害者運動の見えない裏の歴史ですね。これを読むと、障害者運動が政治的な運動の流れの中にあるが、春兆先生は文芸運動の中にあったため、政治的な流れから少し離れておられ、それがJDでの活躍につながったように読めました。文芸が春兆先生を政治運動から距離をとることになり、ノンガバメントな政策提言が必要となった時代に春兆先生をその世界に引き込むことになった。
 さて、大江健三郎氏の講演に対する春兆先生の反論、読み応えありました。言葉に対する考え、思いが強く伝わってきました。正論と見える話は、疑う必要がありそうです。
 綴る、に関する光明学校に加えて、柏学園のことが書いてあり、とても嬉しく思いました。この10行の記述が、今後の柏学園研究に、いつかつながるのではないかと思っています。なお、柏学園の金子さんの名は「精宏」です(「靖宏」となっていましたが)。重版の際に直るといいと思います。
 この本、4日に書店で購入しました。ちょうどしののめの会が三田で行われている時間でした。きっと本に紹介されている荒井さんたちと語りあっておられるだろう、と思いながら本を手にとりました。荒井さん、また曼陀羅制作において、春兆先生を支える人が、絶妙なタイミングで出現していますね。
 では、一読後の感想等のみ。失礼します。

本人
マイケル・J・フォックス ラッキーマン 2003年 ソフトバンク
 人生、家庭、映画の仕事、パーキンソン病について綴る