研究の歩み

<論文 病弱教育史>「白十字会林間学校に関する一研究 虚弱児教育を行う林間学校の設立について」桐山直人・中村勝二「三重大学教育実践研究指導センター紀要」第12号、1992年
 フランスの寄宿制林間学校を範に、結核予防運動の一環として小学校令第36条但書家庭修学規定を根拠に設立されたこと、設立に宮腰信次郎(元検事)が尽力したことを論じた。(6頁)

<学会発表>「肢体不自由養護学校における歩行車の利用について」桐山直人、関東地区肢体不自由教育研究会、東京青山会館、1992年
 K養護学校で33名の学習に歩行車を利用しており、目的は「移動(58%)」よりも「立位(79%)」の方が多いこと、利用の効果は立つこと・動くことによる心理的な安定にあると指摘する者(58%)が多かった。効果として歩行車による自力移動ができたことを指摘する者は30%であった。

<論文 肢体不自由教育>「鎌倉養護学校小学部の教育課程をめぐる流れ」桐山直人、「神奈川県立鎌倉養護学校 研究のまとめ」1993年
 昭和54年開校からの14年間を3期、T教育課程作成期、U指導内容充実期、V学級中心で学部としてのまとまりがなくなった時期ととらえ、引き継ぎと学部・学校全体で教育課程を検討し直す必要性を指摘した。(9頁) 

<短評>「茅ヶ崎の白十字会林間学校 虚弱児の学校教育の始まりについて」桐山直人「障害児教育かながわリソース」第6号、神奈川県立第二教育センター、1994年
 宮腰信次郎というキリスト者によって、神奈川県茅ヶ崎市に白十字会林間学校が設立され、病弱教育の先駆けとなったことを論じた。

<短評>「神奈川県病弱教育史年表 戦前の学級・学校を中心に」桐山直人「障害児教育かながわリソース」第11号、神奈川県立第二教育センター、1995年
 東京から近く気候等生活環境がよい神奈川県に、子どもの健康教育を主眼とする学校等が複数あったことを示した。

<短評>「障害児教育情報の検索過程について −情報提供111件の経験から−」桐山直人「1994年度 神奈川県立第二教育センター 障害児教育専門技術長期研修 研修報告」1995年
 障害児教育を主眼とするセンターの図書資料室に問い合わせがあった事項及び、返答にあたって活用した資料・データベースを整理した。
 図書資料室で受け付けた依頼であるという関係で、内容は文献・資料、実践研究が多かった。また、障害名や各分野 の用語の解説を求められることも多かった。
 回答にいたる検索過程は、所員の経験の蓄積→所内資料(カード、雑誌、辞典類)→オンラインデータベース→外部諸機関といった順序で行われた。「どのような情報はどこにあるか」「このような情報はここにある」といった情報ソースの在処を確認しておくことが大切である。

<短評>「白十字会林間学校の日誌に見る大阪」桐山直人「和神」21号、第二次大阪養護教育史研究会、1995年
 大阪の小学校教員等複数の者が見学していることを日誌資料をもとに示し、大阪の虚弱児教育への影響を示唆した。

<著書>「或る一人の医師の夢が果たされた 常盤山林間学校と小児科医籠山ォ」野呂小夜子・桐山直人、創英出版(私家版)、1997年
 東京の小児科医籠山ォが、昭和9年に鎌倉市外深沢村に開設した、虚弱児療育施設常盤山林間学校について、長女野呂氏の思い出の手記をまとめ、桐山が教育的、時代的な解説を加えて本にした。教育は地元深沢小学校に通う、寄宿療養施設であった。(分担27頁)

<論文 病弱教育史>「小児科医石田尚之と学校教育」桐山直人、「育療」9号、日本育療学会、1997年
 神奈川療養所に入院中の子どもの実態と、入院患者、医師等により教育が始まった経緯を概説した。1950年代小児結核医療に携わる中で、療養児童の教育の実現に向けて行動した石田医師の証言を構成して論じた。(8頁)

<論文 肢体不自由教育> 「養護・訓練担当教員の教員支援的側面」桐山直人、「教員の資質向上と教員支援システムに関する研究報告書」国立特殊教育総合研究所、1998年
 肢体不自由養護学校において、養護・訓練担当教諭教諭が担任等からうけた相談・質問事項のデータを取り、身体面だけでなく認知・コミュニケーション面の援助、教員の主体的な教育活動の補助を行う必要性を論じた。(5頁)

<著書>「茅ヶ崎の小さな学校 旧白十字会林間学校の三二年」桐山直人、草土文化社、1999年
 日本で最初の養護学校、白十字会林間学校の設立から終焉までを、一次資料及び運営した人物及び生徒の証言をもとに記述した。結核予防を目的に、家庭修学規程を根拠とした寄宿制私立小学校であった。校内に看護婦が常駐する静養舎と呼ぶ療養施設をもっていた。(全373頁)

<短評>「熱海外気学校の設立経緯について」桐山直人「筑波大学大学院リハビリテーション調査・実験報告集」8号、1999年
 同校で小学校6年の課程を学習し、地域の小学校を卒業したO氏の面接調査と校長高塚賢三の手記をデータとした。欧米の学童養護施設情報をもとに、高塚が経営していた湯治療養施設回春荘を外気学校に転用し、病院併設型教育施設として設立したことを論じた。

<短評>「知られていない教育と医学の歩み」桐山直人「教育と医学」第47巻11号、1999年
 昭和初期、医師が校長を務めた学校10校を紹介し、今後の研究の進展を提言した。

<論文 病弱教育史>「熱海外気学校における病・虚弱児の医療と教育」修士論文(筑波大学大学院教育研究科)、桐山直人、2000年
 昭和初期の病虚弱児学校を4つの類型に分類し、熱海外気学校を「療養教育施設型」に位置づけた。東京の公文書から東京府・市の「校外教授」規定により地元小学校で進級・卒業できたこと、入学児の分析から病気の子どもも対象としていたことを論じた。(103頁)

<論文 病弱教育史>「熱海外気学校が1930年代東京市・区の養護学園設立に与えた影響」桐山直人・香川邦生「筑波大学自立活動研究」第14巻、2001年
 修士論文の一部を発表。熱海外気学校校長で医師の高塚の申し出により、東京市教育局長藤井利誉は通牒として「校外教授規程」を設けた。温泉療養施設で教育を受け、東京地元の小学校を卒業できる規定である。それが、後の東京近県に設けた健康学園の開設の根拠となったことを論じた。(9頁)

<論文 病弱教育史>「常盤山林間学校と小児科医籠山ォ」桐山直人、「育療」23号、日本育療学会、2001年
 東京五反田の開業医が、鎌倉に設立した教育機能をもつ療養所の概要と特色を論じた。虚弱児の結核予防を目的として小学校として開校する意図があったが、家族経営による寄宿療養施設であった。(3頁)

<論文 病弱教育史>「熱海外気学校と内科医高塚賢三」、「育療」23号、日本育療学会、2001年
 入学児に、喘息、初期結核の症状がある者がいたことから、病気児の教育が行われたことを論じた。もともと療養所であり、校長が営む高塚医院と連携し、高塚の住居に隣接することから、病院併設養護学校に類する療養教育施設であった。(3頁)

<短評>「大阪市立六甲郊外学園長飯田吉太郎について」桐山直人「大阪養護教育史」第12号、第二次大阪養護教育史研究会、2001年
 大阪市の虚弱児教育の端緒を開き、六甲郊外学園長となった飯田吉太郎の略歴をまとめた。

<分担筆著書>「文学のなかの障害者像 福沢諭吉 かたわむすめ」桐山直人、「文学のなかの障害者像」花田春兆編著、明石書店、2002年
眉がなく歯が黒い「かたわむすめ」が、婚姻による眉を剃りお歯黒にする風習により「かたわ」でなくなる明治初期社会について述べる福沢の障害者観を論じた。(分担5頁)

<論文 病弱教育史>「花岡学院と花岡和雄・忠男父子」桐山直人、「育療」25号、日本育療学会、2002年
 虚弱児の保養と教育を行う私立小学校であったこと、脳性麻痺児の入学があったことを述べた。和雄、忠男が当時の「養護学校」全国組織結成に向けて尽力したこと、戦後忠男が「精神薄弱児育成会」結成のための運動を起こしたことを指摘した。(4頁)

<論文 病弱教育史> 「京都帝国大学付属病院における病院内教育」桐山直人、「育療」28号、日本育療学会、2003年
 1900年代、すでに入院中の子どもの教育が課題となり、同大小児科初代教授平井毓太郎のプランにより院内教育が実施されていた事実の新しい発見を報告した。1930年代まで続いていたこと、同院内教育研究上の課題を指摘した。(4頁)

<論文 文学に見る障害者像>「秘密の花園 バーネット」桐山直人「ノーマライゼーション」第23巻第11号、日本障害者リハビリテーション協会、2003年
 1911年発行の児童文学。車いすの少年コリンは、親の病気の不正確な知識と不安によって行動が制限され、それにより障害者となる事例とし、障害の克服と援助について論じた。(3頁)

<論文 病弱教育史>「生成学園小学校と精常園別所彰善医師」桐山直人、「育療」31号、日本育療学会、2004年
 大阪で独特の心身医学を実践した別所医師が、理想的とする町作りにおいて設立した小学校の概要と特色を論じた。虚弱児だけでなく情緒・精神的な病気の子どもの入学があったことを述べた。また、京阪神地区に多数の病虚弱児を対象とした学校があったことを指摘し、それらと国民学校令「校外学園」設置奨励との関係性を仮説として提示した。(4頁)

<論文 文学に見る障害者像>「悪童日記 三部作 アゴダ・クリストフ」桐山直人「ノーマライゼーション」第24巻第12号、日本障害者リハビリテーション協会、2004年
 第二次世界大戦以降のソビエト共産党下のハンガリーにおける人間の生き方を描いた作品である。村の知的障害少女への性的虐待、貧困の中で行動障害の息子の育児、ペトーの集団指導療育を思わせる訓練・乗馬など、障害を巡る影と光を読みとることができる、と論じた。(3頁)

<障害児教育史 編集協力>「写真・絵画集成 日本の障害児教育 全3巻」編集/津曲裕次 編集協力/リハビリテーション史研究会、日本図書センター 、2004年
 津曲裕次氏(長崎純心大学大学院教授、筑波大学名誉教授)の編集・企画により、障害児が必要な支援を受けながら地域の学校で学び、地域で友達と遊ぶ時代がくるようにとの願いを込め、小学校の総合学習で子どもたちが見て、調べて使える本にした。桐山が病弱教育史調査研究過程で入手した写真・資料と解説文の原案を提供し、協力した。病虚弱により通常教育を受けることができない子どもが多かった時代に、医師や医療団体が開設した学校が多数あったことを解説で述べ、その教育実態を視覚で確認できる写真資料を多数提供した。 

<短評>「生成学園小学校との出会い」桐山直人「銀のスプーン」25集、銀のスプーンペンクラブ、2004年
 大阪の別所彰善医師が、現兵庫県川西市において、住宅開発に伴って開校した小学校に関する先行研究と、同校の概要を紹介した。

<短評>「東京の障害者教育史 文献・資料紹介 石崎庸著、昭和の教育潮流にさおさして」桐山直人「東京の障害者教育史研究会会報」21号、2004年
 この本は、昭和初期の東京に特殊学級が開設される時期に難聴学級の担任として現場からその時代を見た者の、また戦後の東京の特殊教育を行政として推進した者の記録として貴重な本と言えるだろう。特に第1期は、特殊学級開設にあたり医師が務める教育局体育課技師が、調査から開設・学級編成方針立案まで行っていること、嘱託医師・学校看護婦の配置を行っていることなど、興味深い点である。なお石崎氏は「帝都教育」誌に「本校難聴児学級の実際」(1935年6月号)、「難聴児教育方法」(1935年12月号)、「難聴児教育と衛生」(1936年4月号)を発表している。これらと本書により、難聴児教育の形成過程研究の端緒を得ることができるであろう。

<調査研究>「障害児の放課後支援に関する報告−教育現場からの必要性・実態−」桐山直人「放課後クラブにおける障害児の受け入れと対応についての調査研究」主任研究員:津曲裕次、財団法人こども未来財団、2004年
 養護学校在籍者の保護者に対して行った放課後問題に関するアンケートと、すでに運営されている放課後保育の実態をもとに、テーマに関するニーズと課題を提言した。

<学会発表>「国民学校令以前「養護学校」の教育制度による類型別検討」桐山直人、日本育療学会第8回学術集会、東京後楽園会館、2005年  
 身体虚弱児の養護学校が初めて法令に規定された国民学校令以前に設立された養護学校の制度的な検討を行った。それにより、法制度にない教育の成立過程の一端を明らかにした。教育制度による類型を大きく6つに整理した。
 T 特別小学校型     家庭修学規程
 U 小学校分教室型  
 V 教育リソース型    各種学校、校外教授規程、地元小学校進級・卒業型
 W 小学校付設郊外教室型
 X 地域小学校通学型
 Y 施設内教育型 小学校教育の履修にならない私塾

<学会発表>「明治〜昭和初期の地方教育会による制度外教育の創設」桐山直人、日本育療学会第9回学術集会、横須賀国立特殊教育総合研究所、2005年
 先行研究をもとに、教師・地域・教育行政が一体となった地方教育会が、全国的に病虚弱児学校、盲学校等を作ったことを示した。教育会が、制度にない教育活動を行い、その実績が、後の国民学校令による養護学校規程につながり制度化されたのではないか、という仮説を示した。

<分担筆著書> 「運動障害と知的障害・視覚障害のある子どもの自立活動 目標設定四つの視点、方法計画三つの段階」桐山直人、「肢体不自由のある子どもの自立活動ハンドブック」国立特殊教育総合研究所、ジアース教育新社、2006年
 視点として@障害の進行予防 A持っている力の活用 B得意な感覚の活用 C本人と周囲の者が困っていることの軽減、を設定。指導にあたり@努力できるように教える A楽にできるように工夫 Bできないことは一緒に行う、を提言し、具体的な指導事例を紹介した。(分担4頁)

<論文 文学に見る障害者像>「長い日曜日 セバスチャン・ジャプリゾ」桐山直人「ノーマライゼーション」第26巻第4号、日本障害者リハビリテーション協会、2006年
 行動する女性障害者が主人公の小説。物語は第一次世界大戦中の1917年、マネクは婚約者マチルドの死を信じられず、調査を始める。下肢麻痺を補うために、行動を支える人、探偵・弁護士等で情報収集に努めたこと、人に愛される性格によって調査が進むこと指摘した(3頁)

<論文 文学に見る障害者像>「家の鍵 ―明日、生まれ変わる ジュゼッペ・ポンティッジャ」桐山直人「ノーマライゼーション」第26巻第10号、日本障害者リハビリテーション協会、2006年
 誕生の時、鉗子による脳の傷と酸素欠乏で脳性麻痺となったパオロ、デパートに出かけると父親フリジェリオは彼に寄り添ってエスカレーターに乗り、街の中では距離をおいて離れて歩く。父親の苦悩から受容へ、自身の再生の物語であることを論じた。(3頁)

<学会発表>「第二次世界大戦前の京都における病虚弱児教育施設」桐山直人・西牧謙吾・長谷川千恵美・滝川国芳、日本育療学会第11回学術集会、東京全逓会館、2007年 
 1990年刊行「日本病弱教育史」の「26京都府」の第二次世界大戦前の記述を補った。
 以下の事項を指摘した。
 ・公教育には位置付かないが、大学病院内の教育が平井教授の指導の下に1900年代から始ま  っている
 ・日赤が行う夏季児童保養所は、京都支部が全国初でこの後に各支部に広がった。また、日赤、  教育会、京都市児童院等複数の団体の主催により、同時期に平行して実施された
 ・軍事援護団体の福祉事業として八瀬学園が開校、虚弱児養護学園から健康学園に経営転換し  た
 ・京都市内の小学校は、虚弱児童に特化した養護施設ではなく、全校児童を対象とした郊外学  舎を開設した

<短評>「障害者の表現活動」桐山直人「ノーマライゼーション」第27巻第10号、日本障害者リハビリテーション協会、2007年
 特集「障害を越えた芸術交流」の総論として記述。障害者にとって表現活動が、身体的・精神的な治療となっている他、障害により芸術の規制概念を破り、これまでにないパワーや感性、新しい表現方法を生み出していることを論じた。

<論文 文学に見る障害者像>「遙かな国 遠い国 北杜夫」桐山直人「ノーマライゼーション」第27巻第5号、日本障害者リハビリテーション協会、2008年
 知的障害15歳の青年正太が、母の縁故で就労し、職場の仲間のサポートで地域生活を送り、それは死んだ父親と地域との関連性(住民の父親への恩)に支えられていた。知的障害者の一見「のろくさ」した行動には、本人にとってかけがいのない意味があることを作者が指摘している、と論じた。(3頁)

<論文 病弱教育史> 「日本病弱教育史(1999年刊)の成果から見る研究課題」桐山直人、「 国立特別支援教育総合研究所 課題別研究 我が国の病気のある子どもの教育の在り方に関する研究研究報告書」2008年
 「日本病弱教育史」の県別の通史を、18の項目に分類・整理して、病弱教育史研究上の課題を示した。病虚弱児の教育整備において、地方教育会、軍関連機関、大学医学部、教育ボランティアによる先駆的な営みがあったという、今までない観点を示した。(17頁)

<短評>「書評 花田春兆著:1981年の黒船 JDと障害者運動の四半世紀」桐山直人「リハビリテーション」No.505、鉄道身障者福祉協会、2008年
 脳性麻痺の俳人花田氏の自伝の3部作3作目にあたり、かつ「日本の障害者運動にそれまでにない画期的な足跡を残してきたJD」の記録になっていることを紹介した。

<論文 文学に見る障害者像>「桜桃 太宰治」桐山直人「ノーマライゼーション」第29巻第10号、日本障害者リハビリテーション協会、2009年
 作中の「痩せこけた子」は太宰の実際のダウン症の長男をモデルにしている。障害に立ち向かうことを避ける親の心情と子どもとの生活の喜びを描いている。社会的支援があったなら、太宰は自死に至らなかったのではないか、と論じた。(3頁)

<短評>「生成学園小学校の沿革と資料」桐山直人「銀のスプーン」31集、銀のスプーンペンクラブ、2010年
 同校の年表と、設立者別所彰善医師の著作等の資料を紹介した。

<論文 病弱教育史>日本の病弱教育通史作成に向けた基礎研究 〜学校保健とのつながりに視点をあてて〜
桐山直人、長谷川千恵美、西牧謙吾。育療50号、2011年3月、日本育療学会。p51〜93
/桐山分担:杉浦守邦の学校保健史研究の概観と病弱教育史の時代区分

<短評>『知的障害教育の開拓者 セガン』の刊行に寄せて
「セガン研究報」第V期第1号 2012年1月20日 p94〜96