病弱教育史 講義内容メモ
NISE 病弱教育史 講義
組み立て
○原稿
○資料
○資料を見る
○配布資料
○自己紹介
茅ヶ崎 白十字会林間学校
○白十字会林間学校との出会い
茅ヶ崎に白十字会設立者林止次男の嫁 茅ヶ崎に林間学校設立者宮腰信次郎の孫=教員宮腰丈夫の娘
○教育史に導いたもの
熱海外気学校、校長の高塚賢三は、学童養護協会を組織した人
○日本で最初の養護学校、白十字会林間学校
日本の養護学校を組織した、高塚賢三、熱海外気学校校長 これで国民学校令下養護学校を見渡すことができた
○西牧先生との歴史研究、病弱教育史全体への広がり
○病気の子どもの教育 法的な位置づけ
病気療養児の教育の制度化
病弱養護学校の制度化
虚弱児教育の制度化
大学付属病院の中の教育の始まり
病気の子どもの教育の始まり
子どもの病気を教育現場で扱うことの始まり
病気が障害に転化して、医療上教育が必要となった
こうなると、小児科、整形外科、精神科、眼科、耳鼻科
○ねらい
はじめに
時代区分
大きな時代区分
○初等教育の歴史
○国民学校令からはじめる
○ここでPP 国民学校令下養護学校の制度
○T〜U 国民学校令までの流れを順に
○脚気説明 脚気の様子、小説
当時、食事するということは、飯を食べること 大正期において、それ以前には
三重尋常師範学校
乳幼児死亡率
○トラホーム
○ジフテリア 小児にとって最も恐ろしい伝染病 冬から春にかけて多く、夏季は少ない
ジフテリア予防接種で死亡者続出(昭和23年)
昭和23年11月4日,5日の両日,京都市でジフテリアの予防接種を受けた幼児が,高熱などの症状を示し次々に入院した.患者数は935人,そのうち68人が死亡するという壮絶な惨事となった.11月11日には島根県御津村でも同様の症状により248人が発熱などの症状を訴え,重症の18人の幼児が死亡した.
○学校内、歯科治療
○DVD視聴
○結核予防に役立ったか
上田は、新井は、松田道雄は
○V
病気の種類の変化
○京都の例をPPで
○それを受けて
大学、京都だけではなく、東大も名大も九大も
大学医学部と子どもの教育の歩み
東大整形外科 高木憲次
九州大学 遠城寺教授
軍関係、軍事保護院戦時下軍関連団体による虚弱児教育
もちろん医師も富士高原児童養護道場
知られていない「教育と医学」の歩み
では教師たちは、もちろん、教育会が、そして一部は公立校に再度山林間学校 六甲校外学園
○東京では
病弱教育史年表
○昭和16年の国民学校令から見ていこう
その時に養護学校、養護学級が規定された
それを実現した先行事例は、東京の麹町小、白十字会林間学校、関西の郊外学舎
一宮学園
赤坂臨海学園
病弱教育史、学校保健周辺 先行研究
文部省、学校衛生〜学校保健の分掌、課長の動向