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道路交通関係条約集


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2008/05/01
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このページの目次

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条約関係についての更新履歴 — まとまった更新のみで、細かな修正はこっそりとやっております。
update
最近の締約 (加盟) 等の状況 (2001年以降)
recent_contracting

第2次大戦以前の時期に作成された条約

○ 1909年自動車交通に関する国際条約
作成 1909/10/11

おそらくは道路交通に関する最初の国際条約ではないかと思いますが、資料が入手できていませんので、よくわかりません。

次の1926年自動車交通条約には「1909年旧条約の締約国が1926年新条約に加盟したときは、旧条約を廃棄すべし。」という規定 (1926年自動車交通条約 第15条) がおかれていますので、この1909年条約はたぶん完全に失効していると思います。ちなみに、後の1949年および1968年の交通条約では「新条約を締約した国相互間においては、旧条約は効力を失う。」とされていて、積極的に旧条約を排除するとまではされていません。

○ 1926年道路交通に関する国際条約 (パリ)
Convention internationale relative à la circulation routière (Paris,1926)
本則 (20KB) — 原文 (仏語)・私訳
作成 1926/4/24 — 発効 1927/10/1 (たぶん ← 第9条(a)、12条) — 加盟国数 不明

○ 1926年自動車交通に関する国際条約 (パリ)
Convention internationale relative à la circulation automobile (Paris,1926)
本則・附属書 (59KB) — 原文 (仏語)・私訳
作成 1926/4/24 — 発効 1930/10/24 — 加盟国数 47 (加盟国名はリンク先の末尾にあり)

1926年4月20日から24日までパリにおいて開催された国際会議で作成された条約です。
2つの条約がありますが、ともに、正文は、条約に明記されてはいませんが、仏文のみのようです。

「道路」は新規制定で、「自動車」の方は、その制定文に1909年条約の改正であると書かれていますが、こちらも、実体は新しい条約であろうかと思います。

「道路」については、加盟状況は不明です。
「自動車」の方の加盟状況は把握できていますが、その加盟国数のカウントは、1930年代なかば頃の状態に基づくものであって、現在の条約の加盟国数と単純に比較できる数字ではありません。

これら2条約は、現在では、常識的に考えれば過去の遺物としか言いようがないでしょうが、それでも、少なくとも「自動車」の方は、現在でも一部については、後述のように、形式的に意味を持っています。

「道路」と「自動車」との2つで何が違うかというと、「道路」は「交通ルールを定めるもの」、「自動車」は「車の規格やドライバーの資格にかかわるもの」となっていました。
この区分は、当時の日本の交通法制でも同様になっていて、「道路」に対応する「道路取締令 (大正9年内務省令45号)」、「自動車」に対応する「自動車取締令 (大正8年内務省令1号)」の2本立て体制でした。

かくして、「道路」条約では「共通の交通ルールの取り決め」が目論まれたわけですが、その内容としては、「あたりまえ」としか言いようのないものもありますが、第2条から8条において、

などの基本的なルールが規定されました。大略は、現在も条約に定める交通ルールとなっています。
それでも、「ルールの共通化」には抵抗が大きかったのか、条約の署名国数は、「自動車」と比べてだいぶん少なくなっていました。

他方の「自動車」条約では、「国境を越えて旅してきた自動車やドライバーの便宜を図る」ため、その走行や運転が認められる条件が規定され、その際に必要とされる書類等

の様式が定められました。これらも、概略は、後の条約にそのまま存続しています。
国際運転免許証で指定される車種は「小型自動車・大型自動車・自動二輪車」の3区分とされ、小型と大型とは、許容最大重量3.5トンで区分する (第7条) とされました。この区分けの数値も、現在そのまま存続しています。

この国際運転免許証のために、「自動車」条約は、形式的としか言いようがないと思いますが、現在でも意味を持っています。
例えば英国とブラジルはどちらもこの1926年 (自動車) 条約に加盟していますが、戦後の条約については、英国は1949年条約にのみ、ブラジルは1968年条約にのみ加盟していますから、これら両国は戦後の条約の加盟国であるにも係らず、英国–ブラジルの関係においては、この1926年条約のみが共通の拠り所となってしまうからです。(戦後の2条約では、前記のとおり「新条約を締約した国相互間においては、失効」となっていますから、積極的に1926年条約の廃棄手続きをしない限り、1926年条約は、形式的な効力を持ち続けます。)
実際、AA (英国における JAF のような組織で、国際運転免許証の発給権限を与えられている。) の サイト には、「(現在でも) 1926年条約に基づく国際運転免許証を必要とする国がある。」と書かれています (まあ、冗談と言ってもいいような…)

「自動車」条約では、その他に、警戒標識の様式が定められました (→ 附属書 F)。標示板の形状を正立三角形とし、その標示板に規定の絵文字を描き込むとされました (色彩については、濃淡も含めて、定めなし。)。

道路標識については、この「自動車」条約に続いて、警戒標識だけでなく規制関係の標識および灯火式信号機の仕様共通化が国際連盟の道路交通常設委員会 (Permanent Committee on Road Traffic) において審議され、その結果が 1929年報告書 および 1930年報告書 となっています。特に、1930年報告書では、交差点での優先関係に関連して、逆立三角形の「道を譲れ」標識の導入が提言されました。これらが、次の条約につながっていきます。

○ 1931年道路信号の統一に関する条約 (ジュネーブ)
Convention concerning the Unification of Road Signals (Geneva,1931) — Convention sur l'unification de la signalisation routière (Genève,1931)
本則・附属書 (52KB) — 原文 (英語)・私訳 — (正文には、英文、仏文の2つあります。)
作成 1931/3/30 — 発効 1934/7/16 — 最大時の加盟国数 17 (加盟国名はリンク先の末尾にあり) — 1963/7/30 失効

1931年3月16日から30日までジュネーブにおいて国際連盟主催で開催された「欧州道路交通国際会議」(→ Final Act) で作成された条約です。

タイトルの road signals を道路信号と訳しましたが、内容としては道路標識に関するものであり、綴りからもわかるように signalsign (標識を意味する現在の単語) からの派生語ですから、むしろ道路標識とした方が適切であろうかとも思います。実際、この時期の文書では、signal を「標識」と訳すべき場合が多いです。
例えば、前記 1930年報告書 の付図1 および 2 は signal を図示しているのですが、それらが今にいう道路標識であることは明らかです。また、戦後の1949年標識議定書1968年標識条約のタイトルでは、仏文には la signalisation routière とこの条約と同じ単語が使用されているのに対し、英文では Road Signs and Signals と変更されています。

つまり、この1931年条約は、一部 (警戒標識) は1926年 (自動車) 条約で既に言及されていますが、道路標識の国際的取り決めの原点と言ってよいものだと思います。ただし、会議の名称からもわかるように欧州主体のものでした。このため、条約加盟国もエジプト、トルコ (これらも、欧州隣接国ですね。) を除けば欧州諸国のみでした。日本も、この条約には未加盟のままでした。

この1931年条約は、1926年条約の場合とは異なり、後の1949年標識・信号議定書に「加盟した締約国は、1931年条約を廃棄する。」という規定 (同議定書 第59条) があったため、形式的にも加盟国数が減少し、1931年条約自体にある失効規定 (第15条4項) に従い、1963/7/30 に名目上も失効しました。

この条約では、道路標識は次の3種 (細分すれば5種) とされ、その形状により識別できるようにするとされました。色彩については、規制標識 (禁止) の赤色基調及びその他一部についてのみ規定されていました。

  1. 警戒標識: 1926年条約の延長 (色彩も無指定のまま) で、通常のものは (1a) 正立三角形の標識ですが、(1b)「道を譲れ」標識が逆立三角形の形で追加されました。
  2. 規制標識: 円形の標識。(2a) 禁止の意味 (赤色が基調の標識とする。) と (2b) 命令 (義務) の意味の2種類。
  3. 案内標識: 矩形の標識で、情報を伝えることのみが目的。

1930年報告書で提言された「逆立三角形 = 道を譲れ (= 先方車両優先)」標識が (1b) にあるように規定され、それは後の1949年議定書、1968年条約にも引き継がれて、国際的な共通認識となりました。ただし、日本は、別ですけどね

この条約では、(2b) に「通関のため一時停止」の標識がありますが、一般的な「一時停止」の標識はありませんでした

ジュネーブ (Geneva) 国際会議 (1949/8/23 より 9/19 まで開催) にて作成された条約・議定書

◎ 道路交通に関する条約 (ジュネーブ交通条約, 1949年交通条約)この条約のみ日本は加盟 (加入) しています。
Convention on Road Traffic (Geneva,1949) — Convention sur la circulation routière (Genève,1949)
本則 (108KB)  附属書 (86KB) — 原文 (英語)・公定訳
作成 1949/9/19 — 発効 1952/3/26 — 加盟国数 95 (加盟国名はこちらを参照)

○ 道路標識及び信号に関する議定書 (ジュネーブ標識議定書, 1949年標識議定書)
Protocol on Road Signs and Signals (Geneva,1949) — Protocole relatif à la signalisation routière (Genève,1949)
本則 (131KB) (附属書はありません) — 原文 (英語)・私訳
作成 1949/9/19 — 発効 1953/12/20 — 改正発効 1964/10/22 — 加盟国数 39 (加盟国名はこちらを参照)

会議の Final Act は、こちら

交通条約、標識議定書とも、正文には英文、仏文の2つありますが、リンク先は、英文のものです。 また、リンク先には、後記の「補足欧州協定」による補足内容も記載しています。
なお、中南米諸国に配慮して、会議の決定 (Final Act paragraph 7(g)) に基づき国連事務局が作成した (半公式訳とも言える) スペイン語訳もあります。

1926年条約では「道路」と「自動車」との2つに分かれていたものが、ひとつの条約 (道路交通に関する条約) にまとめられました。
ただし、道路標識等については、道路交通条約を本条約として、その附帯議定書 (道路標識及び信号に関する議定書) となっています。したがって、この議定書のみに加盟することはできません。 また、道路標識の統一化については合意が得られなかった (その結果、この議定書では、欧州式・米式の2つに大別できる標識体系のうち、欧州式が採用されている。) ので、この標識議定書には、希望国のみが加盟すればよいとされていました (Final Act paragraph 7 (h))。

この会議には、日本は、未だ国際社会の一員としての認知を受けていませんでしたから、出席していません (できませんでした)。しかし、日本 (及びドイツ) がこの条約に将来加盟 (加入) することは、別の附帯議定書 により、認められました。

1964年になって、日本は、交通条約の方のみに加入しました。一方、ドイツは、東西ともこの条約に加入はしませんでした。もちろん、まだ有効な条約ですから、これから加入する可能性が皆無というわけではありませんが、次の1968年条約に既に加盟 (西は署名・批准、東は加入) していますから、実質的には、可能性ゼロです。

この1964年という年は、言うまでもなく、東京オリンピックの開催された年です。したがって、東京オリンピックという国際的イベントに合わせたメンツ第一の駆け込み条約加入であったであろうことは、容易に推測できますし、多分その通りだと思います (条約発効は9月6日、オリンピック開会は10月10日、ついでに東海道新幹線開業は10月1日。)

なお、上で「日本は、交通条約に加入 (accede, accession) した。」と書きました。これを批准 (ratify, ratification) と呼んでいる記述を見受けることがしばしばありますが、実効性は同じとはいえ、加入と批准とは別の手続きです (例えば 1949年交通条約では、第27条 を参照。) ので、厳密には誤用です。後で引用する国会や政府委員会の議事録でも、次の1968年条約への (正確には、批准でなく) 加入に関して、いちいち訂正はしていませんが、誤用されています。

交通条約では、交通ルールとして、1926年道路条約にあったものに加えて、次の事項が規定されました (条約第9条から12条まで)。

きわめて重要なことですが、ここにあるのは、「どこを走行すべきか、また、優先関係がどうであるか」という車両交通上の最低限の基本ルールです。この条約に加盟する国のドライバーは、この基本ルールは身に付いているものとして、自国で取得した運転免許で他の加盟国でもそのまま運転することを認められています。(言語の問題から、運転資格の証明書として、別途に国際運転免許証を用意することが求められることもありますが。) ところが、日本のドライバーは、どうなんでしょうか?ほとんどのドライバーがまったく身に付いていないと言ってもよいのではないでしょうか。

日本は、この条約への加入にあたり、道路交通法 (以下「道交法」) のうち上記の基本ルールと抵触する部分、つまりキープ・レフト道路標識による優先関係について法改正 (1964 (昭和39) 年第46回国会での道交法第一次大改正) を余儀なくされました。

しかし、前者のキープ・レフト (当該改正後の 第18条1項および 第20条2項) については、道路端を通行する歩行者を危険にさらすという理由で反発を受け (完全な誤解であり、歩行者の安全は大前提として確保したうえで、2車線 (以上) あるときは左側 (最左側) を走行せよという趣旨なのですが。)、法改正案が可決されるに際し、『キープレフトの原則の採用にあたっては、わが国の道路交通の実情に即するよう (とくに歩車道の区別のないところにおいて) 慎重に検討の上実施すること』という附帯決議 (衆議院地方行政委・昭和39/5/28・第50号の末尾の方にあります。) がなされました。この附帯決議が警察当局に対して (『慎重に検討の上実施すること』では、実質的に『無期限に延期する』という意味になってしまいますから)「高速道路以外の一般道では、キープ・レフト違反を容認せよ。」と求めることになってしまったようです。(法治国家のすることかよ、まったく。言うまでもないことですが、法を適用するだけの環境が整っていないときになすべき附帯決議は、「環境整備を速やかに進めるべし。」であって、「立法するけど適用するな。」では無法国家ですよ。)

その後1971 (昭和46) 年の道交法第二次大改正で「一部の片側3車線以上の道路では最右側だけ空ければよい」という規則 (当該改正後の第20条1項但書。ただし、条約ではこのようなことは認めていないので、この部分は憲法 (第98条第2項) 違反というべきです。) になりましたが、キープ・レフト原則は、道交法のうえでは、現在でも基本的にそのままです。ところが、実状はというと、残念ながら、この基本ルールに関して、日本は、高速道路に準ずる規格で建設された現在の幹線道路においても、違反容認の無法国家状態です。警察も、無法者だらけで対応できないのか、それとも上記の附帯決議に束縛されているのか、無法者を野放しです。

また、後者の優先関係についても、道交法の文言上は「優先道路」という言葉が導入されました (第36条に第1項追加)。しかし、それならば絶対に必要なはずの「道を譲れ (=先方車両優先)」の標識が定められないままで、さらには、先に交差点に入っている車両が優先されるという「先入車優先ルール (第35条)」がそのまま存続するなど、実態として導入されているのかすら曖昧なままにされてしまいました。(「道を譲れ標識なし」は現在でもそのままですが、「先入車優先ルール」は、後の第二次大改正で撤廃されました (当該改正における改正前第35条の削除)。にもかかわらず、現在でも「先入車優先」と思っているらしきおバカさんがたくさんいるようです。)

この1949年の条約 (議定書) は、次の1968年条約 (日本は未加盟) が発効してからは、当然のことながら旧条約と化しました。特に、標識議定書の方は、全体の合意ではないという前述の事情もあって、現在では、ほぼ見捨てられていると言ってよいでしょう。他方、交通条約の方は、締約国の数も多く、また、新条約に加わることに躊躇する国も多いようで、まだ実効性のある条約ではあります。しかし、新規に加わる国は最近ではほとんどなくなっており、ソ連・チェコスロバキア・旧ユーゴスラビアの解体や植民地の独立に伴う条約承継 (形式的には、新規加入の形をとっている場合もあります。) を除けば、1983年のアイスランドの加入以降、新規の加入は、ずっとありませんでした。

ところが、最近になって、アラブ首長国連邦 (2007年1月)、アフリカのブルキナファソ (2009年8月) が新規に加入しました。ただし、これは、周辺国との関係 (1949年条約加盟国が多い) によるものだと思われます。

関係欧州協定等

道路交通に係る国際協定等は、第2次大戦前の条約でもそうであったように、欧州諸国が主体となっています。これは、地理的な条件を考えれば当然のことでしょう。戦後は、国連欧州経済委員会 (UNECE: United Nations Economic Commission for Europe; 国連経済社会理事会に属する地域経済委員会の一つ。頭の「国連 (UN)」は抜いて ECE と略されることも多い。) の下部委員会である内陸運輸委員会 (Inland Transport Committee) で取り扱われています。そのなかでも道路交通のルール等に関する作業は、さらにその下部組織である道路交通安全作業部会 (Working Party on Road Traffic Safety) においてなされています。

この交通条約及び標識議定書についての補足事項を定めた欧州協定が 1950年に作成されています。その補足内容は、いろいろな点から参考になりますので、リンク先の交通条約、標識議定書のページ中に記載しています。欧州協定の全文は、次のリンク先にあります。

◇ 1949年道路交通条約及び1949年道路標識・信号議定書を補足する1950年欧州協定 (18KB)
European Agreement supplementing the 1949 Convention on road traffic and the 1949 Protocol on road signs and signals (Geneva,1950)
作成 1950/9/16 於ジュネーブ — 発効 1953/12/20 — 加盟国数 14 (加盟国名はこちら)

道路標示に関しては、道路標識以上に合意が得られなかったとみえ、標識議定書の二つの条に簡単な言及があるだけですし、上記の欧州協定でも言及はありません。

1957年になって、欧州での道路標示に関する協定が作成されました。次の 1968年標識条約中の道路標示に関する条項のベースになるものとして参考になりますので、載せておきます。
この1957年欧州協定は、形式的には1949年条約・議定書とは独立なものですから、それらとは関係なく加盟することができます。

◇ 道路標示に関する1957年欧州協定 (28KB)
European Agreement on Road Markings (Geneva,1957)
作成 1957/12/13 於ジュネーブ — 発効 1960/8/10 — 加盟国数 18 (加盟国名はこちら)

ウィーン (Vienna) 国際会議 (1968/10/7 より 11/8 まで開催) にて作成された条約

○ 道路交通に関する条約 (ウィーン交通条約, 1968年交通条約)
Convention on Road Traffic (Vienna,1968) — Convention sur la circulation routière (Vienne,1968)
本則 (218KB)  附属書 (127KB) — 原文 (英語)・私訳
作成 1968/11/8 — 発効 1977/5/21 — 改正発効 1993/9/3⋅2006/3/28 — 加盟国数 72 (加盟国名はこちらを参照)

この条約は2度改正されていますが、リンク先は、1993年改正後の条文に2006年改正の内容を見え消し (抹消される部分は 抹消、挿入・追加の部分は 挿入・追加 の形にして) 書き加えたものです。(以下「書き加え」とあるのは、「見え消し書き加え」の意味です。)
したがって、リンク先では、2006年改正前 (1993年改正後) の内容も見ることができますが、1968年作成のオリジナルのうち1993年改正で書き換えまたは抹消された部分は見えません。そこで、1968年オリジナルの内容 (および1993年の改正がどのようなものであったか) を見るために、1968年オリジナルの条文に1993年改正内容を書き加えたページ (→本則附属書) も用意しています。

○ 道路標識及び信号に関する条約 (ウィーン標識条約, 1968年標識条約)
Convention on Road Signs and Signals (Vienna,1968) — Convention sur la signalisation routière (Vienne,1968)
本則 (162KB)  附属書1 (道路標識の例示集) (177KB)  附属書2 (道路標示の例示集) (40KB) — 原文 (英語)・私訳
作成 1968/11/8 — 発効 1978/6/6 — 改正発効 1995/11/30⋅2006/3/28 — 加盟国数 62 (加盟国名はこちらを参照)

この条約も2度改正されていますが、本則および附属書1,2 でその改正の態様がだいぶん違うので、リンク先は、各々次のようになっています。

会議の Final Act は、こちら

正文には国連の公用語 (英語、仏語、ロシア語、スペイン語、中国語) すべてによるものがありますが、リンク先は、英文のものです。

これら2条約は、作成日からは40年以上が経過していますが、2006年に改正されていることからもわかるように、道路交通および道路標識等に関する最新の条約です。

日本は、この会議に出席はしましたが、これらの条約に署名はしていません。その後、加入もしていません。しかし、加入の予定 (意思) がなかったのではなく、後記のように、少なくともかつては、加入の準備 (としての法整備) をしていました

なお、会議の Final Act には、日本 (の代表) も (その Final Act の内容を認める) 署名をしています。 言うまでもなく、「会議の議事内容を認める (Final Act に署名する)」ことと、「その会議で決定された事項に同意する (条約に署名する)」こととは、別のレベルの話です。とは言うものの、「作成された条約に○○は不同意である (あるいは、不同意国がある)。」旨の記載がない Final Act に署名したならば、「その条約に同意する方向である。」旨の意思表示はしたことになるんではないかとも思いますが…。(例えば、前述のように、1949年ジュネーブ会議の Final Act には、「標識議定書については、会議参加国全体の合意は得られていない。」と明記されていました。)

道路標識については、一部のものについては国際的な統一を放棄して、いくつかの選択肢 (多くは欧州式・米式の2つ) を記載して締約国がどれ (どちら) を採用してもよい (例えば、後記の「止まれ」標識) という形で標識条約が作成されました。

「国連標識 (国際連合道路標識)」という言葉を見受けることがあります。それは、この会議が国連事務総長の主催によるものであったことから、たぶん、この1968年標識条約に規定する標識を意味しているのだろうと思います。しかし、こういう妥協の産物たる条約ですから、「国連」という言葉が入っていても、決して「国際的に統一された」という意味ではありません。これについての誤解が非常に多いようです。

例えば、国土交通省 (旧建設省) 道路局のページをたどっていくと、「世界の道路標識の紹介」というページに行き着きます。そのページのなかに「道路標識の国際統一化」という項があり、あたかも「条約によって国際的に統一された道路標識が定められている」か如きことが書かれていますが、そこにある条約成立過程についての記述 (1949年議定書と1968年条約の区別がついているとは、到底思えません。) も含めて、まったくのデタラメです。「1949年議定書ではあまねく採用されることを犠牲にして欧州式に統一したのに対し、1968年条約では、より多くの国が採用することの方を重視して標識体系の統一の方はあきらめた。」という事実をまったく認識していません。www.mlit.go.jp という URL の日本政府公式サイトがデタラメを書いて誤解の流布に務めているとは、言葉を失います。

日本はこれら1968年の2条約に加盟していませんが、それでも、現行法規は、これらから大きく影響を受けています。

現行の道交法及びその関連法規 (施行令、施行規則、標識令) のうち交通規則に係る部分の骨格は、意外に知られていないようですが、1971 (昭和46) 年の第二次大改正時に定められたものです。 そして、この大改正は、1968年2条約を意識してなされたものです。 というよりも、道交法等をいきなり1968年条約に適合させて抜本改正したりすると混乱しかねないということで、暫定規定 (経過措置) としてなされたのが1971年大改正です。
つまり、「その後幾度かの改正を経て1968年条約に適合した法体系に整備し、条約に加入する」というのが1971年当時の予定であったと思われます。

国会の議事録を探してみると、第63回国会の衆議院地方行政委・運輸委・交通安全対策特別委連合審査会 (昭和45/4/23・第1号) の議事録 に、上記大改正の前年 (1970年) になされた道交法改正 (昭和45/5/21・法86号) の審議内容が載っています。その質疑において、警察庁交通局長 (久保政府委員) は、1968年条約に言及した質問に対し、「今回の改正は、1968年条約とは独立に立案されたものであって、条約の内容を全面的に取り入れることはしていない。」としたうえで、爾後の予定として、『… 一つは、道路交通に関する国際条約がいずれ次の国会では批准ということになろうかと思いますが、その中身を取り入れていくということであります。…』と答弁しています。この爾後の予定についての答弁には、警察庁長官 (後藤田政府委員)、国家公安委員長 (荒木国務大臣) も言質を与えています。

翌年の第65回国会でも、衆議院地方行政委 (昭和46/4/13・第20号) における上記大改正 (昭和46/6/2・法98号) の審議の場で、警察庁長官 (後藤田政府委員) は、『… したがって、私どもとしては、この条約には入って、そして対処してまいりたい、現在こういう考えでおります。…』と答弁しています。(これら議事録はかなり長いですが、「条約」をキーワードにしてページ内検索をすれば、すぐに行き着きます。)

いずれ次の国会では…」から40年経っているわけですけど、いつのことになるんでしょうね。嘘つき…は泥棒の始まりじゃないの、警察庁さん?

もっとも、現状は、1968年条約加入のための法整備は現実的に不可能に近い状況になってしまっています。

その要因の一つは、上にも述べたキープレフトに関する無法状態」です。この問題を認識してはいても「1949年交通条約に準拠した現行の道交法のキープレフト規定は、交通量の多い現状には即さない」と言う人もいます。しかし、だからと言ってその道交法を無視してよいわけではありません。そんな言い訳が通用するような国は、法治国家ではありません。現状に即さないならまず法の改正をなすべきであり、その法が条約に拘束されて動けないのなら、その条約の改正を求めるべきなのです。

しかし、その1949年交通条約の改正を求めることはまったく無意味です。相手にされないでしょう。なぜなら、ここにあげた新しい1968年交通条約が既に発効していて、その中には交通量の多い道路でのキープレフト問題を考慮した細かな規定が入っている (第10条及び第11条) からです。取るべき道は、この1968年条約に加入し、その規定に合わせた法整備をなすことです。必要ならば、条約内容の一部に適用留保を付すことも可能です。しかし、現行の簡潔な規定ですら守られない実状を考えると、1968年交通条約に基づいた細かな規定を道交法に導入したとして、はたして守られるでしょうか。

日本にある逆立三角形標識
(329)  (330)

さらに別の大きな要因は、標識条約にかかわることですが、前述の「道を譲れ」標識に関連して、形状を逆立三角形とする標識です。

日本では、右に図示するように、この形状の標識は2種類 (細かく言えば、(329)には補助標識の有無で2種類ありますので、計3種類。) あり、そのうち (330) は、いまや無数に設置されていると言っても過言ではありません。

ところが、逆立三角形標識は、前述したように、1930年の国際会議 で「右下の図の上段に図示する『道を譲れ』標識に使用するもの」として提言され、翌1931年には 道路信号の統一に関する条約 でその旨規定され、その後1949年標識議定書でも、1968年標識条約でも、そのまま、しかも、「道を譲れ以外の意味で使用することは不可」として、存続しているものです。逆立三角形をこの意味に限定するのは、この標識が交差点での優先関係を表示するきわめて基本的かつ重要な標識であるからに他なりません。

「止まれ」については、標識条約では、同図の下段にあるように別の (特に左側のものは特殊な) 様式です。
「止まれ」を設置するのは、もともとは、特別に停止を求める必要がある場所 (例えば、検問所等) に限った例外的な場合 です。 現在では、見通しの悪い交差点などで非優先側に「止まれ」を求めるようにもなっていますが、それでも、日本の現況のように野放図に設置することは禁止されています (第10条8項)。

条約にある関連する標識
道を譲れ
Give Way
(内部に「道を譲れ」の意の文字があってもよい)
止まれ
Stop/a または Stop/b
(二つの選択肢があるが、ほとんどの国は左を使用)

標識条約においては、当然のことながら、

場合には、それらを置き換えて条約に適合させることが求められます。
(330) は、(1), (2) 双方に該当しますから、標識条約に加入したなら (330)すべてを、その意味から考えてほとんどは Give Way に、置き換えなければなりません。しかし、そのような置き換え作業は、現実問題として、不可能になってしまっていると言えるのではないでしょうか。 なお、置き換えには猶予期間がありますが、(1) については4年間 (第3条2項)、(2) については15年間 (第3条3項) ですので、後者としてでは何とかなっても、前者の「4年間」に応えるのはまず無理でしょう。

なお、標識 (330) の意味は、現在でこそ「一時停止せよ。先方道路車両の進行妨害をしてはならない (つまり、道を譲れ)。」とされていますが、後段の「進行妨害禁止」部分は、1971年の大改正で付け加わったもので、それまではありませんでした (同改正における 第43条の変化 を参照—この改正後そのまま現行に続く)。つまり、この日本式「止まれ」標識は、もともとは、優先関係を示す標識とはされていなかったわけです (詳しくは、こちらを参照)。しかも、現行にも続く改正後の文言では、改正前の文言を引きずって、「一時停止が主で、進行妨害禁止は従である」が如きとも読め、さらに、現実の警察の取り締まりでもそのような運用がなされているようにも見えます。しかし、「逆立三角形 = 道を譲れ」という 70年以上も続く国際的取り決めを考慮すれば、少なくとも「進行妨害禁止を主とする」運用がなされるべきでしょう。

このように「得体の知れない『止まれ』標識を乱発し、基本標識たる『道を譲れ』を無視する」日本の標識体系は、世界のなかで異端というべきです。

上に引用した国土交通省道路局のページからリンクされた「日本、アメリカ合衆国、ドイツ、国際連合道路標識の概要」というページは、これら各国の (および、条約が定める) 標識の概要を示していると称しているのでしょう。しかし、そこでは、この「道を譲れ」標識は、米国のところに示されているだけで、ドイツおよび国連のところには記載されていません。あたかも「こんな標識が米国にだけはあるよ。」といったニュアンスです。国土交通省は、「日本の『道を譲れ』無視が異端である」ことを認識していないのか、それとも、日本の標識体系の異様さを隠蔽しようとしているのでしょうか。認識していないとは到底思えませんから、後者ということですね。

関係欧州協定等

この両条約に対しても補足欧州協定が作成されました。前回のジュネーブの時とは違って交通、標識が別の条約になりましたから、それぞれに対応して二つの欧州協定があります。また、後者 (標識) については、道路標示に関しての追加議定書も作成されています。

◇ 1968年ウィーン道路交通条約を補足する1971年欧州交通協定 (本則/19KB)
European Agreement supplementing the Convention on Road Traffic opened for signature at Vienna on 8 November 1968 (Geneva,1971)
作成 1971/5/1 於ジュネーブ — 発効 1979/6/7 — 改正発効 1993/8/28⋅2001/1/27⋅2006/3/28 — 加盟国数 35 (加盟国名はこちら)

◇ 1968年ウィーン道路標識・信号条約を補足する1971年欧州標識協定 (本則/18KB)
European Agreement supplementing the Convention on Road Signs and Signals opened for signature at Vienna on 8 November 1968 (Geneva,1971)
作成 1971/5/1 於ジュネーブ — 発効 1979/8/3 — 改正発効 1995/11/27⋅2006/3/28 — 加盟国数 32 (加盟国名はこちら)

◇ 道路標示に関する1973年議定書 (1968年ウィーン道路標識・信号条約を補足する欧州標識協定への追加) (本則/19KB)
Protocol on Road Markings, additional to the European Agreement supplementing the Convention on Road Signs and Signals opened for signature at Vienna on 8 November 1968 (Geneva,1973)
作成 1973/3/1 於ジュネーブ — 発効 1985/4/25 — 改正発効 1995/11/27⋅2006/3/28 — 加盟国数 27 (加盟国名はこちら)

これらの欧州協定等では、上記のリンク先の本則は事務的な事項を記載しているだけ (このため3つとも、条約や協定の名前に言及している箇所を除けば、同文です。) で、条約文の読み替え・追加の内容や補足事項は協定等附属書のなかに記載され、読み替え・追加については、いわゆる「改め文」もどきの形式で書かれています。(「改める」では旧文言を抹消する (replace) ことになりますが、欧州協定等による読み替え (read as) というのは、形式的に言えば、条約の文言を抹消してはいないので、「改め文」とまでは言えない「もどき」です。)

そこで、読み易さのために、「改め文」部分については、条約本文にいわゆる「溶け込み」をさせた形で (補足事項はそのまま補足事項として) ページに載せるようにしました。ただし、補足がわずかしかなく簡単に追記できるようなものについては、前記のリンク先のページに既に書き込んでいます。なお、これらは、「1993年 (または1995年) 改正後の条約文に2006年改正内容を書き加えたもの」に「欧州協定等を溶け込ませた」もののみです (1968年オリジナルに係るものはありません)

◇ –1971年欧州交通協定を溶け込ませた–1968年道路交通に関する条約 (本則/196KB)
リンク先は、条約本則に溶け込ませたものです。
条約附属書については、欧州協定による補足は条約附属書1に項をひとつ追加するのみですので、前記の条約附属書のページ に既に書き込んでいます。

◇ –1971年欧州標識協定及び1973年道路標示議定書を溶け込ませた–1968年道路標識及び信号に関する条約
本則 (140KB) 附属書1 (道路標識) (162KB) 附属書2 (道路標示) (43KB)

最近の動き—1968年条約等の改正

1968年交通及び標識の両条約 (およびそれらを補足する上記の三つの欧州協定・議定書) について、国連欧州経済委員会 (UNECE)・内陸運輸委員会において改正案が検討されてきました (実際の作業は、前述のように、その下部組織である道路交通安全作業部会において) が、2004年4月になってその最終案がまとまり、同年9月に正式に提案 (国連事務総長への通報) されました。その後は、条約 (および各協定等) に定める (交通条約では第49条標識条約では第41条) 形式的な手順を経て、この改正は、原案通り、2006/3/28に発効しました。

改正点は、細かな文言の修正等は除いて、次のとおりです。(「左右」は、既述ですが、日本のような「車は左側通行」の場合を想定したものです。)

道路交通安全作業部会では、既に次の改正に向けての検討作業に入っています。

1968年条約への日本国政府の対応

わが日本国政府は、1968年条約にどのような対応をしているんでしょうか。

建前上は「1968年交通条約 (及び標識条約) に加盟することに問題があるとは承知していない」ということのようです。

少なくとも交通条約については、内閣府のOTO 推進会議苦情処理部会の 第16回議事要旨 (2001/3/23) に、国土交通省のコメントとして、『国土交通省は1968年条約を批准することに所管部分については問題はないとの立場。』と書かれています。同時に『ただし、外務省や警察庁の所管部分については不明。』とも言っていますが、その後の 第18回議事要旨 (2001/5/14) に、OTO事務局からの説明として、『所管省は所管部分については問題ないとの立場。』とありますから、外務省や警察庁も『問題ない』としていると思われます。(OTO = Office of Trade and investment Ombudsman (市場開放問題苦情処理体制))

しかし、前述の道路交通の現状を見ると、『問題ない』とはとうてい思えませんから、「検討した結果、『問題ない』と判断した」のではなく、「『問題ない』と言わないとOTO委員がガタガタ言って面倒だから、『問題ない』と答えておく。」ということなんじゃないでしょうか。

実際、その第18回議事要旨をさらに読むと、OTO委員のイライラ感まる出しの発言として、『1968年の道路交通条約になるべく署名、批准の方向で努力していただきたいが、国内官庁でどこがやろうというイニシアチブを取れば動きだすのか』(翻訳すれば、「てめーら、『問題ない』って言ってるが、口からでまかせだろうが。本当に『問題ない』なら、自分でイニシアチブ取ってやってみろってんだよ。」という意味ですね。) ともあり、要するに、わが国政府は、「反対とは言わないが、賛成の方向で動くつもりもない。」、つまり、率直に言って、本音は黙殺ということのようですね。

これらのOTO部会は2001年春に開かれているわけですが、それから後に警察庁や国土交通省がどのような動きをしたかというと、次のようなものがあります。

警察庁のまさに黙殺の動きとして、2004年の道交法の改正 (平成16年法90号第4条) に伴う運転免許の車両総重量による区分の変更 (道交法施行規則第2条の表の改正) があります。2007年6月より、それまでの 2区分 (8トンで区切り) から 3区分 (5トン・11トンで区切り) に変更されましたが、1968年交通条約も 2006年3月の改正同じく2区分 (1926年条約から続く3.5トンでの区切り) から3区分へと変更 (強制ではありませんが。) されています (この部分については、2003年春には原案が公表されていた。)。ただし、同じ3区分でも 3.5トン・7.5トンでの区切りとなっています。

道交法施行規則で、「当面は、3.5トン・8トンで区切る」としておけば将来1968年交通条約の区切りと合わせ易いでしょうし、どうせ経過措置が必要なのですから「3.5トン・7.5トンで区切ることとし、7.5トンと8トンの間は経過措置とする。」としてしまっておけばもっと簡単だと思うんですが、わざわざ1968年交通条約と合わせ難い方向にもっていきたいということなんですね。

前述のように、1968年条約では、「国際運転免許証は廃止し、国内運転免許証をそのまま国際的に通用させよう」という方向ですから、「1968年条約加入が問題ないとの立場」だったら、条約に定める車種区分と合わせることを本気で考えないでどうするってんですか。同じく前述の、40年近く前とはいえ、国家公安委員長や警察庁長官の国会答弁との整合性をどう考えてんのよ→警察庁さん。「そんなもん知るか」ってことなんでしょうか。

というか、黙殺というよりは「くたばれ1968年交通条約」がわが国政府の (というか、警察庁及び国土交通省の) 方針のようです。

パトカーや救急車のような緊急車両の屋根上にある回転灯 (警光灯) の色は日本では赤色ですが、1968年交通条約では青色と定められています (例外として赤色の使用も認められていますが、「青色回転灯を緊急車両以外に使用すること」は禁止されています。第32条14項(a) を参照。)。 したがって、1968年条約に加入する気があるのなら、現在の赤色を青色に変更していくことを考えなければなりません。少なくとも「青色の使用」は留保しておくべきです。

ところが、2004年秋に、なんと「青色回転灯は別の目的に使用する。」と決めてしまったんですね (警察庁サイトのHOME→生活安全の確保 にある文書中、2004.09.30 掲載の「防犯パトロール車への青色回転灯を認める仕組みについて (by 警察庁&国土交通省)」(pdf ファイル))。こういう行為は、1968年条約の規定を当局が知らないはずはありませんから、常識的に判断して、1968年条約加入への露骨な妨害工作であるとしか思えません。つまり、警察庁と国土交通省は「1968年交通条約加入は、断固阻止するぞ!」の意思表明をしたも同然ですね。こんなことでいいのでしょうか...?

OTOの委員さん、何か言ったら...。内閣府というか、OTOなんてなめられているわけね。まあ、この種の委員なんて「パラサイトみたいなもんで、まじめに相手になんかできるか」というのもわかる気がしますが...。

なお、日本ではほとんど知られていないようですが、赤色回転灯も含まれる赤色の点滅信号は、標識条約 (第23条第1項(b)) に定める国際的標準では、その意味が「(赤色点滅の続く限り) 絶対停止」であって、「踏切、フェリー埠頭、開閉橋などでのみ使用するもの」とされています。(これらの例示だけで、その意味するところは明確でしょう。「無視すりゃ、死ぬよ」です。) ですから、緊急車両や夜間の信号機での赤色点滅の使用は、条約に加入する気があるのなら、やめる方向に持っていくべきです。特に、信号機の赤色点滅は。

ただし、この赤色点滅の意味は、1968年条約に積極的な欧州での状況を想定してのものです。信号機の赤色点滅については、米国 (北米) も日本と同じです (というよりは、日本は米国のルールが導入されたのでしょう)。米国 (北米) において、「絶対停止」の信号があるかどうかについては、知りません。米国が1968年条約に冷淡なのは、この「赤色点滅」が大きいのかもしれません。