レティクル座妄想 1994年4月21日(MCA VICTOR)→amazon
レティクル座行超特急
詞・大槻ケンヂ/曲・本城聡章、筋肉少女帯/編曲・筋肉少女帯
蜘蛛の糸
詞・大槻ケンヂ/曲・大槻ケンヂ、筋肉少女帯/編曲・筋肉少女帯
ハッピーアイスクリーム
詞・大槻ケンヂ/曲・内田雄一郎、筋肉少女帯/編曲・筋肉少女帯
香菜、頭をよくしてあげよう
詞・大槻ケンヂ/曲・本城聡章、筋肉少女帯/編曲・筋肉少女帯
さらば桃子
詞・大槻ケンヂ/曲・橘高文彦、筋肉少女帯/編曲・筋肉少女帯
ノゾミ・カナエ・タマエ
詞・大槻ケンヂ/曲・大槻ケンヂ、筋肉少女帯/編曲・筋肉少女帯
※別歌詞バージョンで「望み叶え給え」(シングル「リルカの葬列」のカップリングのみ収録)「望みあるとしても」(ベストアルバム「MCA ビクター在籍時
BEST&CULT」に収録)の2曲があります。
同じ歌詞を“少女側”“男側”“神様側”でそれぞれ書いたものです。
愛のためいき
詞・平田穂生/曲・大林宣彦/編曲・筋肉少女帯
ワダチ
詞・大槻ケンヂ/曲・内田雄一郎、筋肉少女帯/編曲・筋肉少女帯
ノゾミのなくならない世界
詞・大槻ケンヂ/曲・橘高文彦、内田雄一郎、筋肉少女帯/編曲・筋肉少女帯
パリ・恋の都
詞・大槻ケンヂ/曲・本城聡章、筋肉少女帯/編曲・筋肉少女帯
レティクル座の花園
詞・大槻ケンヂ/曲・橘高文彦、筋肉少女帯/編曲・筋肉少女帯
飼い犬が手を噛むので
詞・大槻ケンヂ/曲・橘高文彦、筋肉少女帯/編曲・筋肉少女帯
※セルフプロデュース(以降、全て) [Guest]秦野猛行(Key)、安紀(Cho) 他
【詩の解説】
筋少は、MCAビクターに移籍します。昨日あやふやだった当時の資料が今日見つかったので(^^;私の中での確認のためにも、もう一度整理します。('92.9)NHKホールが終わった時点で前レコード会社と前事務所との契約が切れて、メンバー会議の結果、事務所が決まらないまま、前レコード会社とはあとアルバム1枚(UFOと恋人)の契約をします。
('93.4)現事務所と契約。('93.8)「UFOと恋人」ツアーが終わった時点で、現レコード会社と契約。そのバックアップを得て、93.11/2、武道館ライブ復活〜解散の危機から復活したわけですね。このへん当時動向がつかめてなかったので、後で話を聞いて、涙涙(;_;)
('94.1) 先行シングル“蜘蛛の糸”c/w“1,000,000人の少女” 発売「1,000,000人の少女」は「さらば桃子」の別バージョン歌詞。女の子が100万人おちるかひとりおちるかの違い(^^;
で、アルバムですがまず「レティクル座」とは…1961年にニューハンプシャー州でUFOに遭遇したヒル夫妻の話。その時の記憶が抜けてしまった為、退行催眠術をかけてもらったところ、宇宙人にさらわれて、天体図を見せてもらったと言った。その天体図を催眠状態で書いてもらい、後に調べたら、この天体図は現存するレティキュリ座のゼータI,ゼータIIであることが判明した。しかも、当時発見されてなかった星も描かれていたという。その後、現在まで世界各地で「レティキュリ座星人と遭遇した」など、同様の現象が後を断たないという。
オーケンはこの現象を、妄想にすぎないが、こうやって妄想が広がっていくのがおもしろいと思ったそうだ。それで、妄想にとらわれた人々の物語を書いたということです。
えー、解説がツアーパンフでライターのかこいゆみこ氏がきれいにまとめて下さっているので、個人的見解を含めて簡単に。レティクル座には神様がいて、この世で愛されなかった人たちが死後そこで幸せに暮らせるのだという妄想にとらわれている人の物語が全体的なテーマ。「ノゾミ・カナエ・タマエ」は元が8年前に作られたという復讐の歌。「蜘蛛の糸」同様、この世を燃やしたいと考えている話です。「愛のためいき」は映画「時をかける少女」の挿入歌のカバー。「ワダチ」では、戦犯で処刑された人の遺書が引用されています。
「香菜、頭をよくしてあげよう」は、女の子を自分の色に染めたいなという願望の歌なんだそうな(笑)この曲はシングルになりましたが、カップリングの「望み叶え給え」は「ノゾミ・カナエ・タマエ」の別バージョン歌詞。「ノゾミ〜」では女の子からの視点なのが、こちらはその子をひそかに想っていた男からの視点の歌。さらに、最新シングル「リルカの葬列」のカップリング「望みあるとしても」でも別バージョン。こちらは、男と女の子の願いをかなえてやったレティクル座の神様からの視点で。ぜひ3曲セットでお聴きください(^-^)オーケンは、映画が編集で別バージョンがあるように、このアルバムの全曲のリポエム版を作りたかったそうですが、できなくて(^^;で、こちらと「蜘蛛の糸・第2章」はできたというわけです。
「香菜、〜」は、全作の「きらめき」とテーマ一緒だと思います〜。それから、逃げ場があるという妄想にとらわれた人達、「ノゾミのなくならない世界」では筋少のファンも含めて、(「1,000,000人の少女」もファンを象徴していると思うのですが)恋人も自分自身も含めて、そう思っているが、すべて妄想で、本当は何もないのであると言っています。死んでも、全ては灰になり闇にかえるだけなのだと。最後の曲「飼い犬が手を噛むので」では、江戸川乱歩を含める過去の人たちに裁かれます。だめなやつは結局だめだ!とぐるぐるしながら、この先どうなっていくのでしょうか?
この後にでたシングル「リルカの葬列」では、死んだ恋人のことを回想し悲しむ歌じゃないですか、「香菜、〜」での女の子は「さらば桃子」で死んでしまい、「パリ・恋の都」で残された男が死んだ恋人を想う、その続編的な感じでしょうかね〜?
(95.3.16)
〔ここまでのまとめ〕
作品には、どれも大槻さんの主張、心情、その背景がありました。いつも大槻さんが雑誌のインタビューなどで話していました。私が、リアルタイム見てきたそれらをできるだけ正確になぞり、紹介することでリアルタイムで見ていなかった方々にも作品の背景を知っていただきたいと思いました。
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しかし、紹介するつもりでもどうしても私の器で理解できるコトのみになってしまうような気がします。しかたないのですが。少々おせっかいながら、作品を楽しむのに参考になれば幸いです。
大槻さんの作品(ここでは筋少の詩)は、また大槻さん自身でもあります。かなり前に見たエッセイで大槻さんは、表現活動のことを「自分の内臓をさらけだすようなもの」と語っていました。詩を鑑賞することは大槻さんの人生を見ることでもあります。
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まず私はこれをひとつの小説のようなものとして見ています。
生きている現実の世界とはまた別の世界が存在していて、その別の世界を信じていてそこに行きたいと願う人々は現実世界を消したいと思っている。その人々にとっては実にばからしい現実の社会をどうとらえ、生きていっているか。ということが全体に流れているストーリーで、また、この「逃げたい」人物に対して「逃げ場所などない」と否定する人物が登場します。
そうやって私自身で解釈をしてストーリーを楽しんでいます。この物語が好きなのも、私も同じような厭世感を少なからず持っているからだと思います。
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作品から作者の姿が見えてきます。
私が大槻さんに興味を持ったのも、ラジオではほとんど楽しいことを言って笑わせている気さくなにーちゃんが、「いくじなし」を歌っているというギャップにでした。世をはかなんでいる、さめているのが本当の姿だというところでした。
また、狂気の人物をうたいながらも、実際本人はそうではないところ。(例えばUFOを完全に信じているわけではないように)何か、“自分の力ではどうにもならないもの”に怯えているところ。そこが私にも受け入れられるのだと感じています。
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そしてストーリー性だけでなく、「ことば」自体が好きです。
どういう手法を使っているかなどは私にはまだ分からないですが1行のことばにも涙をさそうものがあります。例えばタイトルだけでも「また会えたらいいね」や、「生きてあげようかな」など。使う言葉に芸術性を感じている部分もあります。
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それから、今回ソロアルバムではカバーといった形で表現されている「自分が感動した、影響を受けた作品・人物等」に対する表現が詩という形でなされているところにも注目しています。
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それらが私がずっと大槻さんの作品が好きで見てきたわけです。
話は変わって、おなじみ市川さんと大槻さんの対談(笑)(「音楽と人」)なのですが、大変面白かったので、すこし感想を。
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アルバム「オンリーユー」のプロモーション総括といった感じだったのですが、このインタビューでいつも言っていた「不安神経症」は、神経症の中では一番よくあるらしいのですね。なので、けっこう苦しんでいる方はいらっしゃるのでは?だからこの市川さんのタイトル通り、そんなに自慢しちゃあいけません(^.^)
でも、いろいろ悩んだり、俯瞰の自分がたくさんいて自問自答してると精神も病んでしまいそうなので。やはり。たくさんのファンの想いも重い(しゃれじゃないの(^^;)のでしょうね。ですがファンとしては体だけには気をつけて欲しいです(;_;)ほろり
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大槻さんが「十牛図」の話をしていてひとりで盛り上がって自己完結するといういつものパターン(^.^)を市川さんが徹底的につっこむとこが最高におかしくて(^o^)
私は市川さんの意見に賛成します(笑)もっとつっこんで欲しいです〜
でも正直いって、おーけんが本当に筋少やりたくないんだったら、いっそやめたほうがいいと思いますね。ですがそれでもやめないと思います。それはファンを大切にしているというわけだけではないのではないでしょうか。
ほかのインタビューででしたが「筋少がなくなると、ファンの青春と俺の青春も終わってしまうから」みたいなことを言っていたので、あーファンのことも把握しているのだなあ〜と感心しました。そこまで考えていたとは思っていなかったので、驚いたとともに、嬉しかったです。私にとってはほんとうに筋少が好きなことで高校生のときからでも頭がいっぱいだったので。筋少が終わったらきっと、ひとつの大きな区切りが来るのでしょう。それで、筋少が長くあってくれたら、こんなに嬉しいことはありません。
おーけんにとっても、筋少は大切なものであるのでしょう。
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しかし、大槻さんがいい作品を作っているから、ファンがつくというのはあたりまえですよね〜(^.^)なにもしないで好かれるなんてことはない(^^;
ですが、きっとおーけんがおーけんである限り、ファンはつねにいつづけることでしょう。
長生きして、ずーっと作品を作っていって欲しいです(^^)
(95.3.24)